それもこれもこんな時期に引越し作業をやってるのがいけない。
一周年には間に合わなかったよ……
それはともかくとして、最終話です。
「新郎入場――」
一礼の後、静謐な空間を一人歩む。
決して多くはない参列者。
父、妹、祖父母、数少ない友人達に、今までお世話になった人達。
目が合うと、友人の一人は呆れるように肩をすくめた。
『何回付き合わせるんだコラ』
そんな言葉が聞こえてくるようだった。
不良をやっていた時は明るかった髪色も、すっかり黒々としている。
だけどその目つきの悪さは今も変わらない。
そんな彼の隣には、揃いの指輪をしたかつてのクラスメイトと、二人の間に出来た子供の姿。
こちらに向けられた小さな手に手を振り返すと、あどけない笑顔を向けてくれた。
夫婦で来ている人達の姿は他にもある。
小学校時代の旧友二人や、高校時代にお世話になったバイト先の店長達。
人数的には寂しいが、だからこそその祝福は本物に違いない。
しかしその中にあって一際厳しい目を向けてくるのは、新婦側の参列者の中の一人。
自分の孫を強く想う彼からは、こちらを見定めようとする意思が感じられた。
「新婦入場――」
ステンドグラスから差し込む光の中、父親と共にヴァージンロードの上を彼女が歩いてくる。
純白のウェディングドレス、ベールの向こうの表情は緊張からか少しだけ硬い。
こうして必要以上に肩肘を張ってしまうのは、出会った頃から変わっていない。
視線が絡み、少しだけ相手の眉が釣り上がる。
これだけの付き合いになれば言いたいことは大体わかる。
何故自分はこんなに緊張しているのに、そちらは平気そうなのか。
こんな場じゃなければ、すぐにでも不公平だと食ってかかってきそうだった。
こちらにも緊張がないわけではないが、五回目となると流石に慣れる。
苦笑しつつその手を取ると、グローブ越しに彼女の体温が伝わってきた。
それは向こうも同じだったようで、安心からか表情が柔らかくなった。
どうやらいくらか緊張は解れたようだ。
彼女の父親が離れる際、一瞬だけ目が合う。
常と変わらない目つきで、こちらに訴えかけていることは今も昔も変わらない。
娘を悲しませたらただじゃおかない……そう言っているのだ。
かつての俺は、その表面の薄皮一枚下までしか読み取れていなかった。
始まりは小学六年の修学旅行か、それとも高校二年の夏か。
こうして彼女と向き合っていると、強く思い起こされるのは家庭教師の日々だ。
高校生活のおよそ半分、俺の将来を決定づけた一年と半年。
最悪の出会いからそのまま、幾度となくぶつかりあった。
そしてぶつかりあった分だけ、彼女を理解することができた。
絶対に離さないと告げられた日も、絶対に離すまいと誓った日も、どちらも鮮明に思い出せる。
賛美歌、祝詞、誓いの言葉、そして指輪の交換。
最初は家に忘れてくるなどのやらかしもあったが、今ではそんなヘマはしない。
「それでは、誓いのキスを――」
ベールを剥いで直に対面したその表情は……またしても緊張。
この期に及んでという言葉が思い浮かんだが、それを口にしてはデリカシー法違反だ。
ここは初心に帰らせてやるのが一番か。
あの、比喩でもなんでもなく甘い味がしたキスを。
「落ち着いて思い出してみろ。修学旅行の、最後の日のことを――」
「それじゃ店長、おつかれさまでーす」
「気をつけてね」
閉店作業を終えた店内で、三玖はアルバイトの女子高校生を見送った。
最早卒業して久しい旭高校の生徒……つまりは遠い後輩だ。
この五月の大型連休の最中にもシフトに入ってくれるのはありがたいが、私生活の方は大丈夫なのかとつい心配してしまう。
彼氏がどうのこうのと、愚痴じみた相談を受け続けていた身としては気になるところである。
もっとも三玖も経験豊富ではない、というよりもお世辞にも普通と言える恋愛ではなかったため、基本的には聞き役に徹していたのだが。
これが二乃だったらもっと踏み込んでいただろうか。
きっとあれこれとお節介を焼いていたに違いない。
その光景を想像して、声に出さずに笑みを漏らす。
年を経て大人になっても、世話焼きなところは変わらないのだ。
ほのかな照明に照らされた店内を眺めて、三玖は今日に至るまでの日々を振り返る。
義父に貸してもらったこの場所で、姉と共に立ち上げた店。
それなりの苦労と充実を経て、今では従業員を雇える程度に余裕がある。
反面、二乃が顔を出す機会も減ってしまったのだが。
自分よりも一足先に式を挙げた姉は、免許皆伝を言い渡して現在は主婦業を優先している。
今でも手伝いに来ることはあっても、以前のように出突っ張りではない。
二人で始めた店なだけに寂しさはあったが、引きとめようとは思わなかった。
二乃は自分の夢に付き合ってくれたのであって、姉にも姉自身の道があるのだと。
「それに、誰か一人はいないと大変だよね」
姉妹の現在の住居は、店から徒歩圏内の一軒家だ。
豪邸と呼べるほどではないが、土地面積的には普通と比べて十二分に広い。
大きな家というのは、維持するのも一苦労だ。
それを慣れているからと引き受けてくれたのだから、むしろ感謝するべきかもしれない。
それともう一人、あの家を贈ってくれた最愛の人にも。
左手の薬指の指輪を、三玖はそっと撫でた。
「ただいまー、じゃなくてお邪魔しまーす」
遠慮がちに店内に入ってきたのは四葉だ。
今やトレードマークのリボンはなく、代わりに左手の薬指に指輪。
肩にかけたバッグを下ろして、カウンター席に腰をかけた。
自転車通勤の妹が、こうして仕事帰りに顔を見せに来るのは珍しくはない。
三玖は手馴れた様子でソーセージを数本取り出すと、皿に乗せてレンジにかけた。
この時間なら夕食はまだだろう。
家では二乃が作った料理が待っているので、これはそれまでの繋ぎだ。
四葉は差し出されたおやつに、申し訳なさそうに手をつけた。
「う~ん、背徳の味だね」
「いつもながら大袈裟」
神妙な面持ちでソーセージを平らげ、四葉はそんな感想を口にした。
これが五月だったら確実におかわりを要求してくるところだ。
明日に大一番が控えた末っ子は、今は何をしているだろうか。
「三玖、電話じゃない?」
着信が来ているようで、カウンターテーブルに伏せたスマホが光りながら震えていた。
タイムリーなもので、相手は五月だった。
明日のことで何か相談でもしたいのだろうか。
三玖は妹の悩みを受け止めるべく、通話ボタンをタップした。
『み、三玖! 助けて……!』
『ちょっ、この年にもなって……いいからおとなしくしなさいよ!』
『二乃に殺され――』
『人聞き!』
必死な様子の五月の声と、やや遠い二乃の声。
何やら慌ただしい物音がしたかと思うと、通話は途切れた。
何が起こっているかを大体察した二人は、顔を見合わせて自分の耳たぶを軽くさすった。
普段からピアスを身につける習慣がないので、穴はすっかり塞がっていた。
今五月が受けているのは、式の前の通過儀礼というやつだ。
母の形見のピアスを身につけるためには、避けては通れない道なのだ。
元々注射の類が苦手なので、相当に抵抗があるのだろう。
だとしても殺されるというのはどうかと思うが、そこは個人の感想か。
今は施す側の二乃も自分の番にはかなり躊躇していたのだが、自分のことを棚上げするのは彼女の得意とするところである。
当時を思い出して、二人は揃って苦笑した。
「三玖さんただいまー……ってあれ? 四葉さんもいたんだ」
「らいはちゃん!」
店内に顔を出した義理の妹に、四葉は飛びつくように抱きついた。
最早十年近く繰り返されたやり取りなので、らいはの対応も手馴れたもので、さながら猛獣使いのように義理の姉を瞬く間に宥めてしまった。
こと四葉の扱いに関しては、姉妹以上かもしれない。
「ごめんね、最近は手伝えなくて」
「ううん、就活とかで忙しいと思うし。それに最近はバイトの子もいるから」
自宅の真下ということもあり、らいははよく店を手伝ってくれていた。
ついでに夕飯も用意できるから丁度いい、というのが本人の弁だ。
バイト代が入る上に光熱費や水道代を少しでも浮かせられるのは、非常に都合がいいのだとも。
小さい頃から台所を取り仕切っているだけあって、倹約には人一倍敏感だった。
性格的にはあまり似ていない兄妹だが、同じ環境で育ったからかそういう部分はよく似ていた。
「それより聞いてよ。お父さんがさぁ……」
「喧嘩でもしたの?」
「そういうのじゃないけど、最近は一人にしないでくれーって泣きついてくるんだよね」
「あー、わかる。すっごい想像しやすい」
上杉家の男は総じてらいはにはデレデレだった。
風太郎も進学のために東京に行く際は、最後までらいはとの別れを惜しんでいた。
その父である勇也が娘に縋り付く姿が、四葉には容易に想像できた。
就活を進めているということもあり、将来一人取り残されることを危惧しているのだろう。
「なんかね、彼氏なんかいないって言ってるのに結婚なんて許さんって」
「あ、そっちかー」
「それは確かに言いそう」
どうやらまだ現れていない娘婿への警戒のようだった。
これに関しては間違いなく風太郎も同じことを言う。
そんな光景を思い浮かべて、三玖と四葉はまたもや苦笑した。
「いざとなったら私がいるし、らいはちゃんは就職も恋愛も好きにしたらいいよ」
「それはそれで、三玖さんに押し付けるみたいで気が引けるんだけど」
「こんなに良くしてもらってるし、そこは気にしないで」
三玖がこの場所を貸してもらうにあたって、当然賃料が発生している。
とはいえ、所謂身内価格というやつだ。
相場から比べれば相当に安い。
その代わりと言ってはなんだが、別の形で返すのは全然ありだろう。
そうでなくても最早家族なのだから、気にかけてもおかしいことは一つもないのだ。
「うーん……だね! 私も素敵な人と結婚したいし。三玖さんたちはちょっと見習えないけど」
「あ、あはは……否定できない」
「……今更だけど、らいはちゃんは私たちの関係のこと、嫌だったりしないの?」
三玖が言及したのは、自分達姉妹とらいはの兄である風太郎との関係についてだ。
到底世間一般からは受け入れられない関係。
籍は入れられないし、公表することもできない。
なにより自分達で決めたことだからと、姉妹は結婚式に関しては半ば諦めていた。
『式を挙げよう。何年かかったってかまわない。祝福してくれる人を集めて、幸せになるぞ』
その上で、風太郎はそう言った。
幸せにすると誓ったのだから、自分に出来ることはなんでもすると。
そして互いの親族にはもちろん、今までの人生で出会った人達の中で自分達が信頼できると感じた者に対しても事情を話し、出席を願った。
そうそう都合良く受け入れてもらえるはずはないし、難色を示す人も少なくなかった。
特に風太郎が姉妹の祖父を尋ねた時は、投げられすぎて打ち身が酷かった。
らいはも打ち明けた時は複雑そうな顔をしたが、これまでの式には出席してくれている。
それでも、何も思っていないということはないだろう。
ネガティブな考えは昔からの悪癖だが、これで最後ともなると尋ねずにはいられなかった。
「本当に今更だなぁ……まぁ、今でもうちの兄はどうしようもなく女の敵だなって思ってるけど」
「うわ……風太郎君が聞いたら泣いちゃうね」
「それでも、みなさんが幸せなら差し引きプラスかなーって」
「そっか……うん、勇気出して聞いてみて良かった」
「でも、明日でいよいよ最後なんだね。年一の行事みたいになってたから、ちょっと寂しいかも」
明日は五月五日、中野姉妹の誕生日にして結婚記念日。
そして風太郎にとっては五回目の結婚式が行われる日だ。
しんみりとしたらいはの手に、三玖と四葉は自分の手を重ねた。
「うん、だから目一杯祝ってあげて」
「らいはちゃんからなら、五月もきっとすごく喜ぶよ」
五月が特にらいはを可愛がっていたのは、姉妹にとっては周知の事実である。
生まれてからこの方末っ子扱いだったからか、妹のような存在ができて嬉しかったらしい。
可愛がっていたことに関しては四葉も同じだが、明日は妹が主役なので譲ることにした。
それはそれとして、二人の手に更なる力がこもる。
かねてから思っていたことを、吐き出そうとしていた。
「「らいはちゃん」」
「はい?」
「「そろそろ、お姉ちゃんって呼んでもいいんだよ?」」
「えーっと……」
声を揃えてこれまた表情まで揃えられると、本当に同じ顔が並んでいるようにしか見えない。
迫る二人に、らいはは曖昧な笑顔を浮かべた。
兄との関係を考えれば、義理の姉となることに疑問を挟む余地はない。
姉妹それぞれとの関係も良好だし、らいは自身も姉ができることには肯定的だった。
だがしかし、この年にもなってお姉ちゃん呼びは流石に恥ずかしい。
兄に関しては、もうお兄ちゃん呼びが染み付いてしまって離れないので仕方がない。
それでも対外的にはうちの兄呼ばわりである。
「も、もうちょっとお互いを知ってからでもいいんじゃないかなーって」
まるでやんわりと交際を断るときの常套句みたいな言葉が出てきた。
これは、らいはが中学から大学にかけて学んだ処世術の一つである。
父や兄に話すとうるさくなりそうなので、あの二人には内緒にしているが。
「よし、じゃあ親睦を深めるためにお姉ちゃんと飲みに行こう!」
「お金なら心配しないで。お姉ちゃんが奢ってあげるから」
三玖は戸締りを速攻で済ませて、四葉はらいはの肩をガシッとホールドした。
やたらとお姉ちゃんを強調してくる二人に、らいははいつだったか兄が自分の生徒の暴走癖に関してボヤいていたのを思い出していた。
口を挟もうとしたが、まあいいかと思い直す。
たまには義理の妹として甘えてみるのも悪くないだろう。
そうして三人は夜の街に繰り出した。
二乃からお叱りの電話が飛んできたのは、その直後だった。
ちなみに、後に誰が一番にらいはからお姉ちゃんと呼ばれるか中野姉妹間で一悶着があるのだが、それはまた別の話である。
「いいからとっとと帰ってきなさい! 明日は大事な日なんだから」
自身のスマホに向かって一頻り叱りつけると、二乃は通話を切った。
帰りが遅い姉妹を心配して電話をかけてみれば、まさかの飲みに繰り出そうとしていたのだ。
事前に連絡がないから夕食を用意してしまっていたし、なにより明日は大事な日だ。
万が一にも、二日酔いの状態で参加させるわけにはいかない。
もういい年なのだから、年齢相応の落ち着きを持ってもらいたいものだ。
妹達の暴走癖にどうしようもないと漏らす二乃だが、見事に自分のことは棚上げしていた。
他の姉妹、あるいは風太郎がこの場にいたら、間違いなくお前が言うなと突っ込んだだろう。
五つ子の中で最も暴走だとかそういった言葉が似合うのは、他でもない二乃なのだ。
「ただいま~って、まだ全然帰ってきてないみたいだね」
「一花、思ったより早かったじゃない。まだ東京だと思ってたわ」
「こっちに着くのは明日の朝になるかと思ったけど、思ったより早く撮影が終わってさ」
「そう、なら明日の準備はゆっくりできそうね」
「だね。それで、五月ちゃんは?」
五月の話題になると、二乃は気まずそうに目をそらした。
式の前の通過儀礼を敢行して以来、自分の部屋にこもりきりなのだ。
誤解のないように説明すると、自分でやるのが怖いからと頼んできたのは五月だった。
決して二乃が嫌がる五月に対し、無理やり事に及んだわけではないのだ。
事情を説明すると、一花は朗らかに笑った。
「二乃の時も大概だったけどね」
「そう言うあんたは、元々空けてたから楽そうだったわね」
「そこはお姉ちゃんだからね。膜を破られたのも一番先だったし」
「喧嘩なら買うわよ」
「やだなぁ、ただの事実だってば」
「事実陳列罪って知ってる?」
事実陳列罪とは、事実を列挙することで誰かの心を傷つけた時に適用される罪状である。
そんな意図はなかったなどという訴えは通じない。
虐めとは、虐められた側がそう感じた時に発生するものなのだ。
ちなみに架空の罪状である。
もしこの場に風太郎がいたら、そんな罪状は存在しないとバッサリ切り捨てていただろう。
そしてその後に、場合によっては名誉毀損が適用されるかもしれないと言い出すかもしれない。
しかしこの場合だと傷つけられるのは一花の名誉なので、結局はノーゲームだ。
そんな彼女達の最愛の人は、結婚式の前日だというのに夜遅くまで仕事である。
今日も帰れるのは日を跨いだ後だと早々に連絡があった。
学生の時分は勉強魔人だったが、働くようになってからはワーカホリック気味なのだ。
体の心配、そしてなによりも一緒の時間が欲しい中野姉妹に無理やり休みを取らされるのも、たまによくあることだった。
しかし次の日には余計に疲労が溜まっている場合があるのが、この家の七不思議の一つだった。
当事者たちは多くを語らず、一体何が起きているのか全くの謎である。
「……ここまで長かったね」
そう吐き出した一花の言葉には、ここに至るまでの道程に対する万感の思いが込められていた。
結婚式を挙げようと言う風太郎の提案に、姉妹は一つのわがままを言った。
それは、式を挙げるのなら一人ずつがいい、というものだ。
実際に籍を入れられるわけではないので、どうしても形だけになってしまう。
だからこそ、一対一という形にだけはこだわりたかった。
かかる時間も、準備に要する手間も、なにより相当な資金が要る。
そんなわがままを、風太郎は聞き入れてくれた。
そうして年に一度、姉妹の誕生日に結婚式を挙げることになって今年で五年目。
明日は最後に残った五月の結婚式だ。
大体の時間を自宅で過ごしている二乃は常に結婚指輪を身につけているし、スキャンダルを懸念して外では外している一花も常に携帯はしている。
五月がそんな姉達を羨んで唸りを上げていた日々も、今日で最後というわけだ。
「同感ね。だけど、まだ終わりじゃないでしょ」
「私たちの時みたいに、うーんと祝福してあげないとね」
しかし終わりというのは同時に始まりでもある。
むしろ、ここからが本番と言っても過言ではないだろう。
人生はこれからも続いていくのだから。
「晩御飯、もう食べたの? 五月がそんなに食べなかったから、まだ余ってるわよ」
「じゃあ頂こうかな。急いで戻ってきたから、食べてる暇がなくてさ」
「なら用意するから荷物置いてきなさいよ」
「ついでに五月ちゃんの様子も見てこようかな」
自室へ向かった一花を見送ると、二乃はスパゲッティを茹でるためにお湯を沸かし始めた。
今日の夕食のメニューは、ビーフストロガノフ風のクリームパスタ。
味付けはデミグラスソースを使わない本場仕様。
サワークリームによる酸味と、生クリームのコクがマッチした会心の出来である。
……のだが、今日の五月は食が進まないようで、一人分しか食べていない。
おかげで食材は余り気味なのである。
きっと明日のことで緊張しているのだろう。
「お、今日はパスタだね。おいしそー」
「当然でしょ」
伸び代では三玖に軍配が上がるが、二乃の腕も学生時代に比べれば上達している。
一瞬、現在はどちらの方が料理上手なのか尋ねようとしたが、寸前で一花は口をつぐんだ。
それを言ってしまえば戦争が始まりかねない。
平時ならそれはそれで日常のスパイスになるが、めでたい日の前では控えるべきだろう。
「五月、どうだった?」
「だるそうだったし、眠いみたいだから寝かせてきたよ」
「それ本当? まさか風邪じゃないわよね」
それなら食欲がなかった理由にも納得がいくが、結婚式の前にそれではあんまりだ。
もしかすると、式に向けて意気込むあまり体調を崩したのかもしれない。
ストレスで免疫力が低下するというのは、それなりによく聞く話である。
真面目な性格の五月は、プレッシャーを感じやすい傾向にあった。
「本人は違うって言ってたけどね」
「何それ。まさか心配させないために嘘ついてるんじゃないでしょうね」
「さぁ、少なくともそんな感じはしなかったよ」
「ま、大嘘つきのあんたが言うならそうなのかもね」
「ひどっ」
一花へのからかいはともかく、五月の嘘は大体すぐにバレる。
昔ほどではないが、真面目な性格ゆえか誤魔化しが下手くそなのだ。
口の上ではともかく心の中では姉を信頼している二乃は、ひとまずその言葉を信じた。
「まぁ、でも何か隠してる様子ではあったかな?」
「あーもう、こうなったら本人に聞いてきた方が早いじゃない!」
「どうどう、二乃、ステイ」
「喧嘩だったら買うわよ!?」
「まぁまぁ、とりあえず落ち着きなって」
「あんたが余計にヒートアップさせたんでしょうが!」
「あはは、ごめんごめん」
そうしている間にタイマーが鳴ったので、二乃は料理に意識を戻した。
茹で上がったスパゲッティをお湯から上げて、温め直したソースと絡ませる。
これでパスタの出来上がりだ。
付け合せのサラダを用意しつつ、五月について考える。
体調はともかく、隠し事に関しては放置していいものかどうか。
食欲不振と合わせると、つまみ食いや間食のしすぎでお腹がいっぱいだったのだろうか。
しかし、今日は出かけていないし、家の食材も特に減っていない。
そもそもそんなことをこの年になっても心配するのはどうなのかと思うのだが、相手は五月なので決して否定はできないのだ。
そこでバカバカしくなって、二乃は考えるのをやめた。
「そういえば、私たちの準備の方は?」
「そっちはバッチリだよ。来てくれるってさ」
「そう、なら後は私たち次第ってことね」
およそ十年越しのリベンジ。
今更そんなことをして果たして意味があるのか。
そう思わなくもなかったが、姉妹全員の意見は一致した。
試すという行為の裏には、期待と疑念がある。
今更疑うわけではないが、これはけじめのようなものだ。
あるいは、信頼からくる甘えとも言えるかもしれない。
「ふふ、フー君の驚く顔が楽しみね」
「新婦入場――」
母の形見のピアスを身につけて、ステンドグラスから差し込む光を浴びながら、ヴァージンロードの上を父と共に歩む。
参列者の中には父方の祖父母に、この場では唯一血が繋がっている母方の祖父。
祖父は、私たち全員が幸せになるのを見届けるまで死ねないと、弱った体を押して来てくれた。
姉達の姿がないのは、この後の準備があるからだ。
その他にも友人の中の一握りに、高校時代にお世話になった恩人。
亡き母の教え子である彼女は、いつもは鋭い目尻を緩めて微笑みかけてくれた。
人数としては少ないのかもしれない。
けれど、私達を心の底から祝福してくれる人達がこんなにもいることが、たまらなく嬉しい。
それでも、この後のことを考えると少しだけ気が重くなる。
まだ誰にも話していない、私だけの隠し事。
いの一番に、彼に打ち明けようと決めていた。
受け入れてもらえるとわかってはいるけれど、それでも心の底に不安は残っている。
その彼が平気そうな顔をしているのを見ると、少しだけムッとしてしまった。
精神的に余裕がないこちらに対して、どうにも不公平な気がしてならない。
それでも、手を取られただけで安心してしまうのだから、我ながらお手軽と言わざるを得ない。
最悪の出会いから幾度にも渡る衝突を経て、そして自分の中の恋心を自覚した。
大嫌いから大好きへの急激な変化に戸惑うこともあったけれど、今は全てが愛おしい。
だから誓いの言葉も、淀みなく口にする事ができた。
そして互いの指輪を交換して、左手の薬指にはめられたそれを、噛み締めるように握り締める。
姉達にはバレてはいないはずだけど、実は結婚指輪をしているのがずっと羨ましかった。
彼からもらった指輪は、これで三つ目だ。
思わずにやけそうになる頬を、キュッと引き締めた。
「それでは、誓いのキスを――」
指輪に一喜一憂していたせいで、心の準備が全然出来ていなかった。
視界を覆う薄いベールが取り払われ、彼と直に対面する。
表情筋が強張って不細工な顔をしていないだろうか。
そもそもこんな人前でキスをするなんて、やっぱりいつまで経っても慣れない。
唇を引き結び、漏れそうになる唸り声を噛み殺す。
そんな私の耳元に、彼はそっと顔を寄せて――
「落ち着いて思い出してみろ。修学旅行の、最後の日のことを――」
忘れようもない、募る想いを告白した日。
踏み出せない私が、姉達に背中を押された挙句に勢いのまま唇を重ねた日。
顔を離した彼の口元は、わずかに歪んでいた。
家庭教師をやっている時に何度となく見せた、挑発的な表情だ。
あの時の勢いはどうしたのだと、そう言われている気がした。
「……意地悪」
こうなれば私が奮い立つことを熟知した上で、彼はあんな事を言ったに違いない。
悔しいけれど的確で、本当に意地悪としか言い様がない。
私を指して人生を狂わせた諸悪の根源だなんて言うことがあるけど、そう言う彼も大概だ。
彼に出会わなければ、私達姉妹はもっと真っ当な人生を送っていたはずなのだから。
私達に愛を与えて、私達からの愛を貪り、あまつさえこの指輪で縛り付けようとしている。
とんでもなく愚かで傲慢で、どこまでも欲深い。
だけど、この上なく愛おしい。
「全部全部、あなたのせいなんだから」
だから、この手は決して離してなんかあげない。
どちらかが先立っても、互いに朽ち果てても、ずっと永遠に。
「――愛してるよ、風太郎」
「あー、ひとまず堅苦しいのは終わったな……」
「お兄ちゃん、ダレすぎ。この後は披露宴なんだよ?」
「昨日の疲れが抜けてないんだ……ちょっとの間でも休ませてくれ」
控え室の机に突っ伏して、疲労回復に努める。
らいはにとやかく言われようと、こればっかりはどうしようもない。
わずかな時間といえど、決して馬鹿にはならないのだ。
激務といっても差し支えない日々の中で、休息の重要性はよく理解しているつもりだ。
しかし時折休日を取ったはずなのに余計に披露が溜まるのは、怪奇現象か何かだろうか。
俺にはどうしようもないという意味では、その通りかもしれない。
「あーあ、本当にお兄ちゃんはどうしようもないんだから」
「この高給取りを捕まえてなんて事を言うんだ」
「お金だけが全てじゃないでしょ。私が言ってるのは人間性の話だよ」
「うぐっ」
「五人と結婚だなんて前代未聞だよ……」
一応言っておくが、籍を入れていないので法には触れていない。
あくまで俺達は自由恋愛の中で、形だけの式を挙げたという扱いになる。
しかし法に触れていないからといって、それで丸く収まるかといえばそうじゃない。
現に式には来てくれるものの、俺に対して厳しい目を向けてくる人もいる。
らいはも出席こそしてくれるが、こちらを祝福するような言葉はかけてくれていない。
「え、普通に五つ子の皆さんには言ってるけど。お兄ちゃんにだけだよ」
「マジか……ここ最近で一番のショックだ」
「そういえば、アレどうしたの?」
「アレ? ああ、もしかしてあのミサンガか?」
「今朝はつけてたよね? いつまでもされてても恥ずかしいから、外してても全然構わないけど」
恥ずかしいだなんてとんでもない。
林間学校の日にらいはが贈ってくれたおまもりは、大事な日には欠かさず身につけている。
ポケットを弄り、切れて紐になってしまったそれを取り出す。
こいつを貰ってからもう十年以上は経っている。
それを考えれば、今日までよく保ったものだ。
「ここに戻る途中で切れてしまってな。落としそうだから外してたんだ」
「……そっか、ついさっき切れたんだね」
「でもまぁ、端を結べばまだいけそうだな」
「ううん、そのままにしておいて。……おめでとう、お兄ちゃん」
「ありがとう、らいは」
「五月さんたちを幸せにしてあげてね」
数年越しの祝福の言葉を残して、らいはは去っていった。
そこにどのような心境の変化があったのか、あんな風に笑いかけてくれたのはいつぶりだろう。
見送った後ろ姿に、まだ小さい頃の背中が重なった。
「おう、上杉」
「前田か」
「つーか何回ご祝儀払わせんだよコラ」
「これで最後だよ。松井……いや、今は同じ前田か。嫁さんはどうした?」
「今はガキの面倒を見てるよ」
最初の結婚式の時はまだお腹の中だったので、まだ四歳にはなっていないだろう。
式の最中もおとなしくしていたので、聞き分けがいい子のようだ。
「そういえば一花さん達の姿が見えねーが、予定が合わなかったのかよ」
「いや、来てはいるみたいだ。準備が忙しいだかで顔を出せなかったみたいなんだが」
その旨は今朝に聞いている。
とは言っても俺が起きた時には誰もおらず、朝食とメッセージが残されているのみだったが。
この後の準備となると、恐らくは披露宴で何かをしでかすつもりなのだろう。
「そうか、ならいいんだ。あいつみたいに、帰って来れなくなったらどうしようもねーからな」
「武田か?」
「あのバカ、あんな遠くに行っちまいやがってよ……」
前田は窓から空を仰いで遠い目をした。
きっとその向こうに武田の姿を思い浮かべているのだろう。
何というかまぁ、大袈裟なやつだ。
「全く……まるで人が亡くなったかのように語るのはよしてくれたまえよ」
部屋の入り口の壁に背を預けて、今話題に登っている本人がそこにいた。
年輪を重ねたせいか、はたまた学生の頃より髪が短いせいか、爽やかというよりも精悍という印象が強くなっていた。
宇宙空間という、過酷な環境に身を置いていたことも関係しているかもしれない。
今日は来られないかもしれないと聞いていたが、披露宴には間に合ったようだ。
「お、お前……宇宙行ってるんじゃなかったのかよ!?」
「ニュースを見たまえ。つい先日には帰還していたさ。リハビリで身動きは制限されていたがね」
「初のフライトの感想は?」
「驚きの連続さ。いかに自分が小さな常識の中で生きてきたのかを思い知らされたよ」
両手を広げて陶酔しているかのような表情。
多少見た目は変わろうと、こういうところはあの頃と変わらない。
思わず苦笑が漏れる。
「やっぱ気持ち悪いな、お前」
「ふっ、照れるよ」
「今のどこに照れる要素あったんだよコラ」
今この時ばかりは、高校時代に戻った気分だった。
楽しかったかと聞かれたら首を傾げざるを得ない日々だったが、こうして得たものもある。
「おめでとう、上杉君。同じ場で誓いを立てた身として、君が愛を貫いている事を嬉しく思うよ」
「嫁さんたち、泣かせんじゃねーぞ」
「ああ、もちろんだ」
「ところで前田君、今日のスピーチは僕に譲りたまえよ」
「色々といきなりすぎんだろ」
二人は披露宴でのスピーチの座を奪い合いながら去っていった。
全く、息をつく暇もない。
休息のために机に身を預けようとして――
「上杉君、少しいいかな」
「お、お父さん」
更なる訪問客に、背筋を伸ばさざるを得なくなった。
「何度も言うが、君に父と呼ばれる筋合いはない」
「あいつらにとっての父親なら、俺にとってもそうなります」
「こちらの言うことを聞き入れないという意味では、あの頃からまるで進歩がないね」
確かに五人全員と式を挙げたという現状は、当時の忠告をまるっきり無視した形になる。
しかし、マルオさんの言葉が俺の中に何も残さなかったかといえばそうじゃない。
「あの時の言葉は、俺や娘さん達を思ってのものだったと理解しています」
「……」
「その上で、俺はこの道を選びました」
突きつけられた現実は、俺の決意をより強固にした。
あの時の言葉があったらこそ、俺は五人に誓いを立てたのだ。
「人並みの幸せを叶えられないのなら、それ以上に幸せにしてみせます。だから……もう少しだけ見守っていてください」
「……ワインを頂こう」
マルオさんは俺の言葉に果たして何を思ったのか。
少しの間静かにこちらを見据えると、近くのワインボトルとグラスに手をつけた。
そして手酌で飲み始めてしまった。
確か、酒の類はあまり好きじゃないと聞いていたのだが……
「君は頭に大を付けるほどの愚か者だ」
「……返す言葉もありません」
「だがしかし……娘達の花嫁姿を見せてくれた事に関しては感謝しよう」
こちらに目を合わせないまま、マルオさんはグラスを傾けつつポツリと漏らした。
やっぱりというか、なんだかんだであいつらの事を想っているのが伝わってきた。
それはそうと、グラスを空けるスピードが上がっているように見えるのは気のせいだろうか。
「あの、少しペースを落とした方が……」
「私も人間だからね。自棄になれば酒に逃げたくもなる」
「後は、祝い事の時にとかな」
第三者の声がしたかと思うと、入口のドアに手をかけた親父が立っていた。
様子を見に来てくれるのは全然構わないのだが、その人の悪そうな笑みはやめてほしい。
こういった顔をした親父と関わると、ほぼ確実にマルオさんの機嫌が悪化する。
「けけけ、相変わらず素直じゃねぇなぁ、マルオ!」
「上杉、少し話がある」
「めでたいならそう言えばいいのによ」
「いいから来い」
親父はマルオさんに引っ張られて退場しようとしていた。
……一体何しに来たんだ?
「風太郎、年寄りは丁重に扱えよ」
そしてそう言い残して行ってしまった。
気分も言動も大人気ない、もとい若々しく、自分から年寄りなんて名乗りそうもないのだが。
なんにしてもこれでまた一人。
時計を確認すると、披露宴までもう少し余裕がありそうだ。
「小僧」
「うわっ!」
立ち上がって凝りをほぐすように体を伸ばしていると、不意打ち気味に声がかけられた。
突然のことに驚いて、尻餅をついてしまう。
いつの間にか、五つ子達の祖父が部屋の中にいた。
相変わらずの存在感で、心臓に悪い登場だった。
同時に、親父の言葉がこの人のことを指していたのだと理解する。
もしかすると、ここまで案内してきたのかもしれない。
これまでこちらの控え室に顔を出したことはなかったはずだが、今日はどうしたのだろうか。
床に座り込むこちらに手が差し出される。
細く、掴んだら折れてしまいそうな腕だった。
ここ数年、年一回は顔を合わせているが、その度に小さくなっている印象を受けるのは、きっと気のせいではないだろう。
大学生活の途中、この人に五つ子達との関係を打ち明けた時のことを思い出す。
まず、問答無用で投げられた。
流石に手心を加えていてくれていたのか、大きな怪我はなく打ち身程度で済んだ。
しかし、本当に大変だったのはそれからだった。
俺に対して心を閉ざしてしまい、こうして式に出てくれるよう説得するのも困難を極めた。
五つ子達とマルオさんの取り成し、幾度にも渡る訪問、そして絶対に幸せにするという宣言。
『そこまで言うのなら、見届けてやろう。もし違えたら、お主を殺してわしも死ぬ』
その末にようやく口を開いてくれたと思えば、少々物騒な言葉が出てきたのは忘れられない。
それからこの人は、毎年式に顔を出してくれている。
自分でも椅子の背に手をかけつつ、その手を握る。
「すみませ――」
引き倒さないよう自分で勢いをつけて立ち上がろうとして、嫌な浮遊感とともに視界が回る。
数年前、嫌というほど味わった感覚。
投げられた……そう理解するのと、衝撃が来るのはほぼ同時だった。
しかし、思ったほどの痛みはなかった。
投げられた先がソファーだったため、威力が減衰したようだ
というよりも狙ってそこに投げたのだろう。
仰向けになった俺を、五つ子達の祖父は覗き込むように見下ろしてきた。
「お主は度を越した大馬鹿者だが、確かにあの時の言葉に嘘はなかったようだな」
「はい。過去の自分の言葉を嘘にしないよう、これからもあいつらに寄り添っていきます」
「そうか……それならば、思い残すことはもうない」
しわくちゃの顔の中に浮かべた、穏やかな笑み。
ああ、この人は本当にそのためだけに生き存えていたのだろう。
このまま、満たされたまま往生することが、この人にとっては最後の幸福なのかもしれない。
「……もっと欲張ってください。この先だって、あいつらにはもっと幸せになる瞬間が来ます」
「無理を言うな、この大馬鹿者めが」
自分でも無理を承知で発した言葉は、案の定バッサリと切り捨てられた。
小さく、丸まった背中が遠ざかっていく。
そして部屋を出ていく直前、こちらを振り返らずに――
「ならば、わしが死ぬ前にひ孫の顔を見せに来い」
それだけ言うと、五つ子の祖父は部屋から去っていった。
子供……考えないわけではないが、今ひとつ現実感は薄い。
俺達の関係から端を発する歪みを背負わせることに躊躇もある。
「新郎様、新婦様がお呼びですのでお越しください」
「五月が? わかりました」
控えめなノックと共に現れた式場のスタッフの先導で、新婦側の控え室へと向かう。
披露宴用のドレスに着替えているはずだが、何か問題でもあったのだろうか。
「五月、どうかしたのか?」
「ちょっと待ってて、今着替え終わるから」
入室すると、室内には区切るようにカーテンが引かれ、その先で声と共に衣擦れの音がした。
やっぱりというか、着替えている最中だったようだ。
「そういえば、あいつらは一体何してるんだ?」
「うーん、もうちょっとだけ内緒」
「ってことはサプライズの類か……じゃあ深掘りはやめておこう」
「ふふ、大人になってデリカシーも身に付いたみたい」
「からかうな。これでもそれなりに苦労してきてるんだ」
「うん、知ってるよ」
働きに出れば、嫌が応にも人との関わりは増える。
それで対人スキルが磨かれるというのは必然だろう。
バイト時代とは責任が比ではないので、しっかりとそこらへんを学び直す必要があった。
「お待たせ」
「……どうりで姿を見せないと思ったら」
カーテンが開き現れたのは、全く同じ姿をした五人の花嫁。
ペンタゴンの最上階、温泉旅館、そして後夜祭の教室。
いつかといつかといつかの光景が、今の状況に重なった。
驚きというか呆れというか、どちらも含んだ苦笑が漏れた。
この期に及んで五つ子ゲームとは、いい度胸じゃないか。
乗ってやるが、見くびられても困る。
速攻で片付けさせてもらおう。
「左から四葉、一花、三玖、五月、二乃!」
「って早っ! まだこっちは何も言ってないのに!!」
「うるせーこの真面目馬鹿が。お前らやっぱり揃って問題児だわ」
「むむむむっ」
「あちゃー、やっぱり見破られちゃったかぁ」
頬を膨らませた五月を撫でると、苦笑しながら一花がこちらに歩み出る。
髪を解くと、いつものショートヘアに戻った。
「せっかくお世話になってるメイクさんに頼んだのに」
「無駄に手間かけやがって……俺は、きちんとお前と肩を並べられてるか?」
「なに言ってるのさ、この高給取り!」
「いや、金の問題じゃなくてだな」
「心配しなくても君は大丈夫だよ、フータロー君」
「……そうか、そうだな」
一花が下がると、今度は二乃が前に出た。
髪を解き、いつもの蝶柄のリボンで縛りなおす。
……ウィッグを使わずに、どうやって同じ髪型にまとめているのかが非常に気になる。
そこは一花が連れてきたプロのメイクさんの腕前なのだろうか。
「流石ね、フー君」
「つーか、これ提案したのお前だろ」
「その通りよ。でもこれぐらいなら楽勝でしょ?」
「まぁな。これぐらいできないと、お前の愛情に釣り合わないからな」
「あーもう、好きっ――って、離しなさいよ三玖!」
「ダメ、今日は五月が主役でしょ」
諭されると、二乃は渋々下がっていった。
既に髪を解いていた三玖は、そっとこちらの手を握った。
「この前ね、バイトの子に青春クソ野郎って何ですかって聞かれたんだ」
「ぐっ……もう十年近く経ってるのに、まだ噂されてるのかよ」
「ふふ、それもこれも含めて私たちの思い出だもん」
「そうだな……だが、まだまだ終わりじゃないぞ」
「うん、これからも一緒に進んでいこうね」
手を握ったまま微笑むと、三玖は離れていった。
順番なのか、今度は四葉が前に出る。
かつてのトレードマークだったリボンはもうどこにもない。
本人が言うには、もう必要がないそうなのだが。
「ごめんね、驚かせちゃったよね」
「多少はな。お前との時にやってたら説教してたところだが」
「もうみんな一度は着てるもんね、ウェディングドレス」
「つっても、あのジンクスも当たらなかったみたいだけどな」
「あ、あはは……そう、なのかな?」
「覚えてないか? 修学旅行の後、一緒に式場で写真撮ったろ」
「わー、わー!」
いきなりこちらの口を塞ぎにかかった四葉だが、三人の手に阻まれて動きを止めた。
一花、二乃、三玖が笑顔で四葉の体を掴んでいた。
率直に言って怖い。
「何の話かお姉ちゃん興味あるなー」
「四葉……あんた、思いっきり抜け駆けしてたってわけ」
「久しぶりに裁判、する?」
「あわわわわ……あ、あれはそういうつもりじゃなかったというか――」
「え、でも部屋に写真飾ってたよね?」
「五月ー!?」
五月の証言で有罪が確定したようだ。
四葉は三人に引きずられていった。
こうして取り残された俺と五月だったが、こうやって向かい合うとやはり顔が強張って見える。
まだ先ほどの緊張を引きずっているのだろうか。
それとも、どこか具合が悪いのかもしれない。
「大丈夫か? 体調が優れないなら、無理せず言えよ」
「ありがとう。でも、違うの」
「そうか、ならもう少し肩の力を抜けよ。まだ披露宴だってあるんだからな」
「うん……」
しかし、その浮かない顔は相変わらずだ。
少しでも落ち着けばと触れようとして、その肩がわずかに震えているのに気づいた。
思い直して、背後に回る。
これは触れる程度では駄目そうだ。
震える五月を背後から抱きしめる。
「――風太郎?」
「こうしてると安心できるんだろ?」
「そうだね……うん、すごく安心する」
そっと、前に回した手に手が重ねられる。
震えは止まっていた。
そのまま、五月はゆっくりと口を開いた。
「その……実は、生理が来なくて……調べてみたら、できたみたいなの」
「……そうか」
「え、それだけ?」
「なんつーか、言葉が見つからなくてな」
もちろん驚きはある。
いきなりのことだし、何よりも避妊はしていたはずだからだ。
こいつの場合、避妊薬に任せてそのまますることが多かったが、何事にも絶対はない。
今回は撃ち漏らした……それだけだろう。
不安もないわけではない。
なんといっても未知の体験だ。
幼いらいはの面倒を見たことはあるが、自分が親になるのとでは大違いだろう。
それと、複雑な思いがあるのも確かだ。
マルオさんに言われた通り、俺達の間の子供は私生児扱いになる。
その事が原因で生じる問題もあるだろう。
しかし、そんな事情をひとまず置いて、素直な気持ちを言わせてもらえば――
「五月、ありがとう。お前がその気なら、是非とも生んで欲しい」
「……や、やだなぁ……せっかく整えたのに、メイクが崩れちゃうよ……」
「そのくらい別にいいだろ。ベッドの上じゃ、もっとすごい顔してるぞ」
「デリカシー! あなたって人はホントにもう!」
ようやくらしい声が出てきた。
やっぱりこいつは不安を抱えて震えているより、こっちの方がずっといい。
これを本人に言うと、また文句を言われてしまいそうだが。
「なになに? フータロー君また失言したの?」
「五月、うんざりしたなら披露宴代わってあげてもいいわよ」
「ダメダメ! 今日が私が主役なんだから!」
四葉に事情聴取していたはずの二人が帰ってきて、にわかに騒がしくなってきた。
大人になっても相変わらずだが、これはこれで安心する。
「それでね、フータロー。四人で話しあったんだけど……」
「てっきり四葉を締め上げてるもんだと思っていたが」
「そっちもきっちりやられたよ……」
三玖と一緒に戻ってきた四葉は、ぐったりとしていた。
あの頃のようにリボンがあったら、きっと萎れているだろう。
「で、何を話し合ったんだ?」
「もう一回結婚式やるの、どうかな?」
「なるほど……なるほど?」
一花がおねだりするように、手を合わせて提案した
飲み込んだつもりだったが、飲み込めなかった。
一体こいつは何を言っているのだろう。
「お前らとはそれぞれ式を挙げたつもりだったが、気のせいだったか?」
「それは一人一人とでしょ。せっかくだし、私たちにしかできないのもやってみたいじゃない」
「だからね、今度は六人で結婚式を挙げようって」
「いや、ついさっき前田にもこれが最後だって言っちまったんだが」
「風太郎君……ダメ、かな?」
四葉の上目遣いで勝負は決まった。
俺は昔からこれには抗えないのだ。
諸々の懸念は一旦とっぱらって、六度目の挙式に心が傾く。
だがしかし、あと一人意見を聞いていない奴がいる。
「五月、お前はどう思う?」
「うーん……」
五月は少しだけ考え込むと、いたずらっぽく笑った。
そして自分のお腹をさすりながら――
「もう一回頑張ってね、お父さん」
――特大の爆弾を投げ込んできた。
姉妹に向けて挑発的な笑みを向けているところを見ると、これは確実にわざとだ。
「「「「…………は?」」」」
四人の目が五月に向かい、そして俺に向けられた。
言葉こそないが、目は口ほどに物を言う。
五月との新婚旅行が終わった後、果たして俺に何が待ち受けているのか。
そもそも、無事にこの場を切り抜けることができるのか。
悟りにも似た諦めの境地の中、そんなことをぼんやりと考えた。
その後の披露宴は、参加者各位への妊娠の報告会も兼ねることとなった。
そしてこれよりおよそ一年後、我が家ではベビーラッシュが到来することになる。
しかしそれは完全に余談なので、ここで語るのはやめておこう。
何にしても今、揉みくちゃにされながら思うことは一つ
「やっぱこいつらめんどくせーわ」
苦笑とともに漏れた言葉で、さらにヒートアップしたことは言うまでもない。
というわけで完結となります。
最後の最後で五女エンド風味になりましたが、きっちり全員とくっついています。
実を言うと最初の結婚式にするか最後の結婚式にするか迷っていたのですが、最後の方が色々気にせず書けるかなーということでこうなりました。
ちなみに五等分の結婚式(1/5)は四女でした。
本編に組み込めなかったネタとかもあるので、それを投稿することもあるかもしれませんが、とりあえずこれで締めとさせてもらいます。
見切り発車で始めることが多いため、過去にはエタらせた経験もあるのですが、今作は無事に完結させることができてホッとしています。
それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。