この調子だと三日目がクソ長くなりそう……
「こ、これいつまで続くのよ……」
「食べ終わるまでかな……うっぷ」
「二人ともそんな無理しなくても」
「抜けがけ、ダメ、絶対」
「三玖と五月ちゃんをほっとけないからね」
「だから私が様子見に行ってくるって言ってるのに」
「トイレに探しに行ったって無駄よ」
二乃と一花は、三玖が抜け駆けしたことを確信していた。
そしてそれを五月が幇助していることも。
すぐにでも追いかけたかったが、新幹線でのポーカーが足を引っ張っていた。
「まったく、あんたがあんな提案するからよ」
「まさかこんなことになるとは」
勝者である五月がここで昼を食べるといえば、その通りにしなければならないのだ。
もちろん命令者である五月はその限りではないし、三玖には明らかに目こぼしをしている。
つまり、自分たちは昼を食べ終わるまで追いかけることができない。
しかしこの料理の量である。
「……二人と合流したら五つ子会議……いえ、裁判にかけるわよ」
「こわぁ」
二乃の背後に揺らめく炎が見えたような気がした。
そもそも命令など無視すればいいのに律儀なことである。
それはお互い様なので、一花にどうこう言えたものではないのだが。
「それにしても、この量は体型維持にも響きそうだよ」
「見られる職業は大変ね。ま、私も他人事じゃないけど」
「あはは、グラビアとかやってたらもっと大変そうだよね」
「そういう四葉はあまり気にしてなさそうだね」
「食べたらその分動けばいいだけだからね!」
「あー、あんたはそうよね」
お腹一杯の状況では運動のことなど考えたくないものだが、四葉は一味違った。
もしかしたら山頂まで走るつもりなのかもしれない。
それに付き合わされることを考え、二人は断固として阻止することを誓った。
「ごめん、ちょっと外の空気吸ってきていい?」
「なによ、あんたも行く気?」
「さすがにしないってば。体勢変えればもうちょっと入ると思ってさ」
「じゃあ私も行くわ」
「信用ないなぁ。四葉、戦線の維持頼んだよ」
「了解!」
一花と二乃は連れ立って店の外に出た。
山頂に続く石段に目を向けたが、まだ追いかけていくわけには行かない。
「まさか五月がここまで三玖に肩入れするとはね」
「最近パン作りの練習に付き合ってたみたいだし」
「なるほどね。……料理のことなら私に頼ればいいのよ」
「あれ、もしかして寂しがってる?」
「誰が?」
「はいはい。まぁ、五月ちゃんだったら、味に関してはしっかりアドバイスくれそうだしね」
それに、バイト先で教えてもらってるとなれば先生役はプロだ。
二乃もパンを焼くこと自体はできるだろうが、教え役としてさすがに及ぶわけがない。
一花に頼むのは三玖の目的を推察するのならまずない。
結果、妹のどちらかに頼ることになったのだろう。
「大体ね、節度節度って言ってたくせにどういうつもりなのかしら!」
「うーん、たしかに不可解なとこはあるよね」
三玖への肩入れの件は一花の中では納得できている。
しかし例の写真にまつわる部分が不透明だ。
事と次第によっては、この修学旅行で一花と五月は真っ向から対立することになるだろう。
「不可解といえばあんたもよ」
「私?」
「最初は四葉を引き込んでの悪巧みかと思ったけど、それにしては四葉自体を気にしてるみたいだし」
「……そうだね」
一花は四葉に一つの負い目がある。
風太郎と向き合う上でそれは避けられないものであり、だからこそ精算する必要があった。
そのためには、風太郎と四葉と共に京都を回る必要があるのだ。
もちろん手段を選んでいられない状況では、このような考えには及ばない。
心境的にある程度余裕があってこそのものだ。
要は、どうせ風太郎を頂いてしまうなら色々スッキリとさせておきたいのだ。
「さぁて、そろそろ戻ろ? 四葉だけに任せておくのはさすがにね」
「あーもう、五月は当分おかず減らして――」
二乃の言葉が途切れる。
四つ辻の一方……自分たちが登ってきた道の方を凝視して固まっている。
一花もそちらに目を向けると、同じように固まってしまった。
走り去っていく五月の後ろ姿があった。
見間違えるわけがない。
二人は頷き合うと店の中へ。
「四葉、緊急事態!」
「私たちのお代は置いてくから、四葉は三玖と合流して! 多分フータロー君と一緒にいるから!」
「え、え、なにかあったの?」
「五月を追うのよ!」
そう言い残して二人は慌てて出て行った。
下へ続く道へ走っていく姉達を呆然と見送る四葉。
事態は飲み込めないが、動かなければならないことはわかった。
とりあえず精算してから店を出る。
食事を残してしまうことを謝ったら、早く行ってやりなさいと送り出された。
先ほどの会話を聞かれていたようだ。
四ツ辻に出た四葉はどうするべきか迷って、とりあえず三玖に電話をかけた。
『もしもし、どうしたの?』
「三玖? どこいるの?」
『……ごめん、先に山頂まで登っちゃった』
「もしかして上杉さんも一緒?」
『う、うん』
一花や二乃の言っていたことは本当だった。
四葉は素直に感心すると、さらに自分がどうするべきか考える。
三玖の想いや頑張りは四葉も知るところである。
風太郎と一緒にいるところを自分なんかが邪魔していいのか、と。
姉妹の中でも頭がいい三玖はきっと風太郎とお似合いだ。
少なくとも自分よりは。
『四葉?』
「えっと……ちょっと心配になっちゃっただけだよ」
『……勝手に抜け出してごめんね』
「ともかく上杉さんと一緒なら大丈夫だね! じゃあまたなにかあったら連絡するから」
電話を切って四葉も参道を下り始める。
一花と二乃が五月を捕まえてバスでホテルへ向かったという連絡が来たのは、その途中のことだった。
「落ち着いたか?」
「これならどうにか歩けそう」
稲荷山の山頂の片隅。
三玖のハグで注目を集めまくった俺たちは、目立たない場所で休憩をしていた。
旅の恥はかき捨てと言うが、同じ学校のやつがいるかもしれない場所でやるのはリスキーに過ぎる。
良からぬ事を考えないように全力で脇腹を抓っていたので、おそらく内出血が酷いことになっているだろう。
「くく、次の日の筋肉痛が楽しみだな」
「むぅ、フータローの意地悪」
「冗談だ。パン、ごちそうさま」
「……お粗末さまでした」
むくれたりはにかんだりと、三玖の表情はコロコロ変わる。
そこに出会った頃のような無表情な印象はどこにもない。
もはや利害一致なだけのパートナーではない。
温泉で五月に言われた言葉を思い出す。
俺たちも、それだけの積み重ねを共有してきたということだろうか。
「そういえばあれから四葉から連絡は?」
「来てないよ。でもさすがにそろそろ合流しなきゃ」
「そうだな。俺もあいつらを置いてきちまったし――」
俺と三玖の携帯がほぼ同時に音を鳴らした。
電話ではなく、メールの到来を告げるメッセージ音だ。
確認すると武田からだった。
班を組むにあたって、武田と前田の二人とは連絡先を交換していた。
「前田のやつ、ダウンしちまったみたいだ。先にホテルに行ってるってよ」
「こっちも五月がはしゃぎすぎて疲れたからって」
「まさかあいつも食べ過ぎか?」
「否定できない……」
顔を強ばらせる三玖だが、その気持ちはわかる。
あれだけの胃袋を持つ五月が行動不能になったのなら、それはどれほどの修羅場だったのかという話だ。
もしかしたらストレスによる過食が原因かもしれない。
そして今のあいつが抱えているストレスに俺は無関係ではない、のかもしれない。
そう考えると、俺も顔を強ばらせざるを得なかった。
「他の奴らは?」
「みんなホテルに向かってるって」
「なら俺たちも行くか」
「うん」
二人連れ立って来た道とは反対の方へ。
地図を見た限りではこちらの方が距離が短い。
登る時よりも短時間で山を降りられるだろう。
「フータローってパンが好きなの?」
「まぁ、好きだな。だけど好きというよりも、思い出の味なんだ」
「思い出……」
「死んだお袋が個人喫茶をやってて、そこで手作りのパンも出してたんだ」
らいはは赤ん坊だったから覚えちゃいないだろう。
俺も小さかったから朧気なことも多い。
でも、お袋が作ってくれたパンの暖かさだけは覚えている。
「それを毎日食わせてくれてさ、俺も親父も大好きだったよ」
「フータローのお母さんが」
「お前のパン食べてたら、それを思い出した」
味が似ているとかそういうことじゃない。
俺の舌はポンコツだから本当に大雑把にしか味がわからない。
だけど懐かしい暖かさを感じた。
それはきっと、家族のためにパンを焼いたお袋と同じなのだろう。
三玖も誰か……この場合は俺ということになるのか。
いよいよ自分への誤魔化しが厳しくなってきた。
だというのにこの期に及んでその感情が友愛か、それとも別の何かに基づいているのかなどと考えてしまう。
答えはほぼ出ているはずなのに、途中式を埋めきれないからと答案は白紙。
……だって自意識過剰とか言われたら恥ずかしいだろ。
言い訳がましくなるかもしれないが、そういうのは一花と二乃の件でキャパオーバーなのだ。
さらに五月の謎の行動という問題も頭の片隅にチラついて離れない。
総じてこいつら姉妹が悩みのタネという認識は変わりない。
いや、四葉は勉強方面だけな分比較的マシか?
「どうしたの? 難しい顔してる」
「いや、一度お前のパンを親父達にも食わせてやりたくなってな」
「え……」
「た、ただの思いつきだ。別に都合がつかなかったらそれでも――」
「――作る! もっともっと上手くなって、フータローにも毎日食べてもらいたい!」
本当にただの思いつきだったのだが、三玖はものすごく食いついた。
なんでだか、祖父の家で昔見たドラマのワンシーンを思い出してしまう
細部はあやふやだが男が女に、毎日ご飯を作って欲しい、みたいなことを言っていた。
当時はよく意味がわからなかったが、今ならなんとなくわかる。
あれはずっと傍にいてほしいということだったのだ。
「それで……フータローの事もたくさん聞かせてほしい」
「今更語るような事なんて無いぞ」
「ううん、お母さんの話だって全然知らなかったし、私の事ももっと知ってもらいたいから」
「お前の事?」
「だってフータロー、勉強方面以外は無頓着だし」
中野姉妹の三番目にして戦国武将大好き娘。
得意な教科は日本史だが成績自体高水準(中野姉妹比)だ。
特に戦国時代周りの知識量は半端ない。
こいつに負けじと、学校の図書室から関連書籍を片っ端から借りていったのを思い出す。
思えば、四葉を除けば一番最初に歩み寄ってくれたのが三玖だ。
向き合ってきた時間もその分長いはずなのだ。
完璧とまではいかないまでも、それなりには知ってることはある。
勉強不足と決めつけられては、こちらの気がすまないというものだ。
「私の好きな食べ物は?」
「……コロッケ?」
「違う、抹茶」
「抹茶は飲み物では!?」
「次、私の好きな動物は?」
「う、馬? 武将も乗ってるやつ」
「違う、ハリネズミ。よく見るテレビは?」
「大河ドラマ、的な?」
「戦国時代のは見るけど違う、ドキュメンタリー」
思った以上に難易度が高かった。
というか三玖の言う通り、勉強方面以外はボロボロだった。
家庭教師と生徒という関係上、話題が偏るのは仕方がないのだ。
この調子で中野姉妹テストなるものが実施されたら、もはや赤点を取る自信しかない。
「じゃあ嫌いな食べ物は?」
「甘い物、だったような……」
「もっと具体的に」
「さ、砂糖」
「もはや原材料……チョコレートだよ。好きな飲み物は?」
「抹茶ソーダだ!」
「それも好きだけど、正解は緑茶」
「食べ物は抹茶で飲み物は緑茶か……」
他にも日課は朝の占いチェック、武将が出てくる映画が好きで読む本は主に自叙伝。
何かの隙間がお気に入りのスポットで朝御飯は白米派。
辛うじての正解は映画と本の項目だった。
パンを焼いてきたからパン派だと思ったら、それは二乃なのだという。
酷い引掛けもあったものだ。
こうも外しまくったらいっそ清々しい。
もうどうにでもなれ、というやつだ。
ただ、それ見たことかとでも言いたげな三玖の顔は少々頭にくるものがある。
そろそろこちらの反撃と行かせてもらおう。
「調子に乗るなこの卑屈馬鹿」
「ひ、卑屈? しかも馬鹿って……」
「なにかにつけてネガティブネガティブネガティブ……こっちがどれほど気を使ったと思ってやがる」
「うぅ……」
「だが、お前はそれでも前に進んできた」
前に進むなんてのは誰もがやっているし、特別な事ではないだろう。
だけど、自分に出来ないことを克服するとなったらそれ相応の努力がいる。
特に、こいつのように後ろ向きな奴には。
「勉強もそうだし、パン作りにしたって結構苦労しただろ」
「……うん」
「将来なりたいものとか、夢はあるか?」
「それは、まだわからないよ」
「もし目標があって、それを不安に思うなら思い出せよ。自分は壁を乗り越えてきたんだって」
そしてその努力は、きっとこれから先も進んでいくための篝火になる。
なんだか説教臭くなってしまったのは、曲がりなりにも教師を続けてきたからか。
それに……実を言うと、三玖に共感するところがないわけじゃない。
かつての俺にとっての出来ない事は、勉強そのものだったのだから。
「……昔、悪ガキの見本みたいな奴がいたんだよ」
「いきなり何の話?」
「いいから聞け。頭は染めてたしピアス穴も空けてたし、修学旅行に親父の仕事道具を勝手に持ち出すどうしようもない奴だ」
「いわゆる不良かな」
「このままじゃダメだと気づいたそいつは一念発起して苦手な勉強をしまくって、そして学年一位を取れる程度にはなりましたとさ」
「それって……もしかしてフータロー?」
「誰にも言うなよ? とまぁ、嫌いだ苦手だと思ってても、ここまでやれるようになれるってことだ」
大分恥ずかしい話をしてしまったが、旅の恥はどうせかき捨てだ。
こんな話をしてしまったのも、きっと修学旅行のテンションのせいだ。
三玖の反応はわからない。
つーかあんな話をした後だから俺の方が顔を見せたくない。
「なんか先生みたい」
「お前らに対しては事実としてそうなんだが」
「でも、ふふっ……フータローのこと教えてもらっちゃった」
三玖の声は弾んでいた。
嬉しそうなのは結構だが、こっちはそれに比例して羞恥のゲージが上がっていくのが問題だ。
今更ながら、話した事を後悔してしまう。
「ね、最後に一つ当ててみてよ」
「またクイズかよ。勘弁してくれ……」
俺の前に出た三玖はこちらに向き直った。
理由は様々ながら、顔を逸らしてしまう。
その後に続く言葉は、そんなことを忘れさせる程度には強烈だった。
「私の好きな人、誰だと思う?」
直前までの羞恥は吹き飛んで、三玖の顔を凝視してしまう。
真っ赤だった。
だというのに、視線をそらそうとはしなかった。
これには俺が耐えられない。
変な考えが湧き出てくる前に逃げの一手を出さざるを得なかった。
「か、家族だろ?」
「違う、もっと変な意味で」
「せ、戦国武将とか」
「違う、ちゃんと今生きてる人」
「――っ、おっといい加減戻らなきゃな!」
逃げ道も見えなくなってきたところで取る手段は一つだ。
即ち、物理的な逃亡。
横をすり抜けて石段を降りようとするが、肩が接触してしまい三玖はよろけてしまう。
そんな勢い良くぶつかったわけじゃないが、ここは足場が不安定で足の疲労もあったのだろう。
倒れていく体に手を伸ばし、どうにか鳥居に手をついてバランスをとる。
事故でしかないのだが、三玖の顔が至近距離にあった。
そしてこいつは何を思ったのか俺の首に手を回してきて――
「おい、待て――」
「やだ」
唇と唇が触れ合う。
体勢もあってか避けることはできなかった。
三玖の匂いや感触に、今朝発散したはずの青い衝動が首をもたげてくる。
このままでは、意に反して体の一部が形状変化してしまう……!
抗いがたい情動を必死に抑える。
模試の時の二の舞になるわけにはいかなかった。
「――どう、わかった?」
「……安売りしすぎだ。もっと自分を大事にしろよ」
「好き」
「これだけされたら、さすがにわかる」
唇が離れ、支えていた体も離れ、幾ばくかの沈黙が流れる。
顔が熱いのは見た目にもきっと表れている。
横目で見た三玖の顔は相変わらず赤いが、どこか表情は晴れやかだった。
まるで今まで解けなかった難問が、やっと解けたかのようだ。
こっちは更に問題を抱えるような事態になってしまったわけだが。
そして差し当たっての問題が一つ。
ここは公共の場で、他の観光客の目があるということだ。
「……降りるか」
「……そうだね」
俺と三玖は顔を真っ赤にしたまま、無言で山を下るのだった。
「で、あんたは一人抜け出してフー君と一緒だったと」
「心配かけてごめん」
「心配というよりも、してやられたってところかな」
「一花も二乃も、よく三玖が上杉さんと一緒にいるってわかったね」
「まぁ、状況証拠の積み重ねだよね」
「それと乙女の勘よ」
ホテル内のレストランでの夕食。
一人欠いた中野姉妹は同じテーブルについていた。
三玖を除く三人は昼御飯の影響か箸の進みが遅い。
「……五月は大丈夫?」
「部屋で休んでる。歩き疲れちゃったって」
「あの子がご飯を抜くなんて相当な事態よ」
一花と二乃が捕まえた時には泣いていたのか、五月は目を腫らしていた。
何を聞いてもなんでもないと答えるだけなので大事をとってホテルへと連れて行ったのだが、それからはベッドに座り込んでずっと無言だ。
下手に触れるのは良くないと判断した姉二人は、ひとまずは姉妹の合流を優先した。
少し遅れて四葉がホテルに到着して、それからだいぶ遅れて三玖が到着。
部屋に立ち寄る暇のなかった三玖は、まだ五月と顔を合わせていない。
「あんたが五月と結託してたのはわかってるわ。なにか様子がおかしな所はなかった?」
「わからない……抜け出してから顔も合わせてないし」
「う~ん……あっ! もしかしたら私たちが先に食べてるのに気づいてショックを受けたんじゃ……」
「あんな外から店の中の様子なんてわからないわよ」
「脇目もふらずに行っちゃったからね」
「そっかぁ」
四人で頭をひねっても答えは見つかりそうになかった。
この問題に関しては風太郎も当てにならない。
となれば、本人に聞くしかないだろう。
心配なことは変わりないが、四人の意見はひとまず一致した。
そうすると次に矛先が向くのは三玖だ。
五月の件で暗くなりそうな空気を変えるために、一花は少し声のトーンを上げて切り出した。
「五月ちゃんのことは後に回すとして、何をしてたのか詳しく聞かせてよ」
「え……それは、ちょっと」
「なになに、もしかしてイケナイ事をしてたとか?」
「……」
無言で顔を赤くする三玖に、姉二人は顔を引きつらせた。
そして後で風太郎を尋問することを決意した。
一方四葉はイケナイ事と聞いて、鳥居に登る風太郎と三玖を思い浮かべた。
「三玖、さすがに罰当たりだよ!」
「そ、そうなのかな」
「それより大丈夫? 降りるとき怪我しなかった?」
「うん。フータローが支えてくれたし……あっ、ダメ――」
そしてその後のキスの事を思い出して、三玖は膝を抱え込んで悶え始めた。
妄想の中で三玖と風太郎はもうすごい事になり、最終的に結婚して子供も生まれていた。
またいつものか、と呆れる姉二人の耳がシャッター音を捉えたのはその時だった。
「……またね」
「ホテルに向かう前、バス乗る時にもあったよね」
「ここまで来たら偶然じゃないわよ」
「よく修学旅行生が狙われるって話もあるし」
「そもそも女優様が一緒だもの。そういう輩が出てきたって不思議じゃないわ」
「何の話?」
「盗撮、されてるかも」
「えっ」
一花から出た盗撮という言葉に四葉は小さく驚いた。
そういうことがあるとは知っていても、まさか自分が当事者になるとは思ってもみなかったのだ。
そして再びシャッター音。
三人が音がする方へ振り向くと、違うテーブルで食事をとる女子がSNS用の写真を撮っていた。
「あ、あはは……考えすぎだよ二人とも」
「そうだといいんだけど」
「おかしいわね……」
「あれ、どうかしたの?」
そこで三玖が妄想から復帰した。
一花と二乃は同時に脱力した。
「さ、早く食べて部屋に戻ろうよ」
「そうね。五月をほっとくわけにもいかないし」
「お腹空かせてないかな……心配」
「テイクアウトショップあったよね。何か見繕っていこうかな」
「そうだね、私も行く――痛っ」
一花に賛成して立ち上がった三玖だが、足の痛みでまた座り込む。
酷い筋肉痛だった。
山道で頑張りすぎた代償だ。
むしろ筋肉痛以外に異常がないのが幸いと言えるだろう。
「ほら、あんたは無理しないで部屋に戻りなさい」
「五月ちゃんへの差し入れは私に任せてよ」
「先生に言って湿布もらえないかな?」
どうにか食べ終わった姉妹たちは各々席から立つ。
二乃と四葉は歩くのが辛そうな三玖を支え、一花は五月のための食料を調達しに行った。
三玖は今まで協力してくれた五月に何かしてあげられないかと考えるが、すぐには思いつかなかった。
「なんでお前は毎度トイレについてくるんだよ」
「ふふ、僕と君の交流の場じゃないか」
「気持ち悪いことを言うな」
俺と武田は連れ立ってトイレを出る。
前田は夕食を早めに切り上げて別行動だ。
どこにいるのかはともかくとして、何をやっているのかは大体わかる。
それにしてもあいつ、昼にあれだけ無茶してよく晩飯も入ったな。
「それで、例の件はどうなってる?」
「ぼちぼちだね。まぁ、二日目は団体行動だから主にそこで、かな?」
「しっかり頼むぞ」
「それじゃあ、僕は先に部屋に戻ってるよ」
「ああ、俺も用を済ませたら戻る」
武田と別れると俺は目的の場所へ……行かず、廊下を行ったり来たりの往復だ。
目的とはあいつらの様子を見に行くことだが、これまた気まずい事情がある。
複数あるが、一番大きいのは他ならぬ三玖との一件だ。
あの後山を下っていったわけだが、俺達の体力的な事情でゆっくり行かざるを得なかった。
結果意外にも時間を取られてしまった。
その間は互いに無言、ホテル行きのバスの中でも無言だ。
俺としては少し離れて座るつもりだったが、三玖は隣に座ってきた。
そして座ってくるだけじゃなく、手を重ねて肩にもたれかかってくる始末。
そのまま寝てしまったので、おかげで俺は無心で素数を数える羽目になった。
バスの乗客がほとんどいなかったのは幸いだった。
そんなわけで普通に気まずい。
あいつらの告白の後は毎回これだ。
一花と二乃は返事を求めてきていないが、三玖の件も含めていつまでもそのままにしているわけにはいかないだろう。
「あれ、フータロー君?」
「一花か」
「奇遇だね。部屋こっちだっけ?」
「五月の調子が悪いと聞いたぞ。が、学級長としては確認しておこうと思ってな」
「うわっ、素直じゃないなぁ」
「うるせー」
ニマニマしながら肘でつつかれる。
獲物をオモチャにして甚振る様は猫のようだ。
追い払うように手を払って距離を取らせる。
中野姉妹に接近しすぎると危険なのはどいつでもそうだが、こいつの危険度はトップだ。
なんでかというと、肌色の面積が一番多い。
特に胸元は他の奴より一つ多くボタンを開けているため、谷間が見えてしまうことがあるのだ。
こんな所に気がつくようになってしまったのが少し悲しいぜ……
危険度が高いのはそうなのだが、校則に違反しているわけではないので注意もできない。
となると接近しすぎないか俺の精神力を発揮するしかないのだが、日中のあれこれで心の防壁がやや脆くなっている。
強度を回復させるためには、どこぞで発散する必要がある。
ブツはどうにか持ち込んだが問題なのはタイミングだろう。
「ところでお前ら部屋でパーティーでも開く気か?」
「これなら五月ちゃん用だよ。あれ、もしかして禁止されてる?」
「いや、菓子の類がOKだから大丈夫だろ。あまり散らかすなよ」
「なんか学級長っぽいね」
「学級長そのものなんだが」
一花が提げたビニール袋の中には、プラスチック容器に入った料理があった。
五月は夕食時には見かけなかったので、ずっと部屋にいたということだろう。
あの食いしん坊がご飯を抜くとはいよいよ重症だ。
詳しい事情は分からないが、零奈の件が関わっているとしたら静観を決め込んでいるわけには行かない。
やはりこんな所でマゴマゴしている場合ではないか。
「そういえばフータロー君、三玖となにかあった?」
完全に不意打ちだった。
五月の事に意識を割いていて、三玖との件でつつかれるとは思っていなかったのだ。
しかもこれは質問の体だが、一花の声音には断定じみた響きがあった。
こいつ、なにか掴んだ上で俺の口から吐かせようとしているのか?
……落ち着け、まずは穏やかにやり過ごそう。
「な、なにもないが?」
「なんだか焦ってない?」
はい失敗しました。
このまま知らぬ存ぜぬで通すのは、かえって疑惑を深める事になるだろう。
後で三玖に詰められたらそれで終わりだ。
だとしたらここで必要なのは当たり障りのない真実だ。
「ちょっとパンをご馳走になっただけだよ」
「なるほどね。三玖が持ってた紙袋の中身はそれだったんだ」
「結構美味かったぞ。お前らも今度ご馳走になってみろよ」
「うーん……五月ちゃんも協力してたし味的には問題ないのかな?」
どうにかやりすごせたか……?
一花の興味は三玖のパンの方に向いたようだ。
木を隠すなら森の中。
真実は他の真実に紛れ込ませるに限る。
これで追求の手が止まる――
「それで? もちろんそれだけじゃないんだよね?」
「……さぁ? 他に何かあったかな?」
「フータロー君って結構わかりやすいよね」
なんてホッと胸をなで下ろしている暇はなかった。
一花はクスクスと笑っているが、その目は獲物を追い詰めた狩人の目だ。
まずい、非常にまずい。
やはりこいつは確信を持って俺に詰めてきている……!
「三玖にもさ、何してたのって聞いてみたんだ」
「へ、へぇ……なんか面白い事でも聞けたか?」
「面白いものは見れたかな。顔を真っ赤にして膝を抱えて悶える三玖、とか」
「ど、どうしたんだろうな? 風邪でもひいたかな?」
「私はそうなるだけの何かがあったと思ってるんだよね。ね、どう思う?」
まるで真綿で首を絞められてるような感覚。
ジワジワと、俺を追い詰めるように一花は距離を詰めてくる。
後ずさるも、すぐに壁際に追い詰められてしまった。
一花は壁に手をついて、下から俺の顔を覗き込んだ。
これ以上誤魔化すのは不可能か……
「……実は告白された」
「告白、三玖が?」
「う、嘘は言ってないからな」
「そっかぁ……やっと言ったんだ」
「……驚かないんだな」
「そりゃあね。三玖の気持ちは前々から知ってたし」
納得がいったようで、一花はようやく離れてくれた。
これでさらに重大な事実は話さずに済みそうだ。
どうにか切り抜けたか……
「それで、なんて答えたのさ」
「返事はしてねーよ。周りの目もあってそんな雰囲気でもなかったし」
「フータロー君も大概女誑しだねぇ」
「お前らの趣味が悪いんだよ!」
「あ、酷ーい! 自分でそれ言う?」
一花はむくれてまた詰め寄ってきた。
今度はさらに近い。
唇が、嫌でも目に入った。
勢い良く目をそらす。
「顔、赤いね。もしかして恥ずかしがってる?」
「……うるせー」
「むふふ、したいんならしてもいいんだよ、キス」
「今日はもう十分だっての」
「えっ」
「あ、やべっ」
どういうわけか、俺の口はうっかりと滑りやがった。
……はい、油断した俺の責任ですね。
一花が呆然としたのは一瞬で、次の瞬間には掴みかかってきた。
「ずるーい! したんだ、三玖としたんだ!」
「お、おち、落ち着け!」
「じゃあ私にもしてよ! ほら、減るものでもないんだから!」
「俺の精神が磨り減るんだよ!」
一花の頭を掴んで必死に押しとどめる。
これ以上の暴挙を許すわけにはいかなかった。
その後数分の格闘の末、どうにかクールダウン。
互いに肩で息をして壁にもたれて座り込む。
周囲に誰もいなくて本当に良かった……
「……フータロー君は三玖が好きなの?」
「わかんねぇよ。今だって戸惑ってるんだ」
「そっか、ならまだ大丈夫だね」
立ち上がってスカートの埃を払うと、一花は俺の前にしゃがみこんできた。
まさか第二ラウンドか?
こっちにはもうロクに抵抗する力がないってのに……
「埋め合わせを要求します」
「なんのだよ」
「三玖にはしたのに私にはしてくれなかった埋め合わせ」
「したんじゃなくてされたんだが」
「悲しいなー、いつまでもお預けくらって寂しいなー」
「こ、こいつ……」
自分で保留させたくせに随分と無茶苦茶を言ってくれるもんだな!
こちらの負い目をチクチクと攻める戦法に切り替えた一花は、率直に言って厄介だった。
二乃の攻め一辺倒なやり方の方が単純な分まだ気が楽だ。
対処できるかはまた別問題だが。
……頭が痛くなってきた。
「俺に出来る範囲で頼むぞ」
「じゃあキス」
「埋め合わせの意味わかってんのか?」
「わかったよもう……明日、団体行動の時にちょっと付き合ってよ」
「何企んでるんだよ」
「フータロー君は私をなんだと思ってるのかな?」
「わ、わかった。明日の団体行動だな」
笑顔の一花だが目は笑っていなかった。
さすがに身の危険を感じては受け入れざるを得ない。
俺の返事に満足気に笑う一花。
仕事柄なのか表情の切り替えが早い。
ホントこいつ厄介だわ……
「部屋戻るけど、フータロー君も来る?」
「いや、今日は遠慮しとく」
このままの調子で一花に三玖、そして二乃まで加えたらもはや状況はカオスだ。
今の俺の体力でそれが乗り切れるとは思えなかった。
五月には明日にでも美味いものを持って行ってやろう。
ここら辺の悩みとは無縁な四葉が無性に恋しくなる。
あいつはあいつでまた厄介なことには違わないが。
「じゃあまた明日ね」
「ああ、あいつに好きなだけ食わせてやってくれ」
「五月ー、いるんでしょー? 鍵開けなさーい」
「電話もダメみたい……」
「なんで自分の部屋なのに自由に出入りできないのかしらね」
二乃と三玖が呼びかけるも、部屋の中の五月は応えない。
一花は五月のための食料を調達に、四葉は三玖のための湿布を貰いに行っていた。
部屋に引きこもった五月はさながら天照大神である。
岩戸を開くために尽力する二人だが、もはや万策が尽きつつある。
このままではマスターキーという最終手段に頼らざるを得ない。
「五月、私が気づかないうちに傷つけてしまったなら謝りたい……だからせめて、話だけでもさせてほしい」
部屋の中で膝を抱えた五月は、呼びかける三玖の声に自分の不甲斐なさを噛み締めた。
違うのだと、三玖を利用していたのは自分なのだと。
それで勝手に傷ついただけなのだと。
「仕方ないわね……あまり気は進まないけど、先生に言うしかないのかしら」
「二乃、それはさすがに……せめて一花たちが戻ってくるまで待とうよ」
「一花……その手があったわね! 食べ物の匂いに釣られて出てくる可能性は十分にあるわ!」
二乃のやや失礼な発言も五月の心には響かない。
それとは関係ないがお腹の虫が鳴いたので、掛け布団をかぶってさらに丸まった。
決してこれから来るであろう食べ物の誘惑に耐えるためではない。
「早くベッドに横になりたい……」
「シャワーも浴びたーい!」
ダメ元で呼びかけてみる二人だが、やはり反応はなかった。
ドアの横に座り込んで一花たちを待つ。
最終手段を除けば、これ以上できることはなさそうだった。
天井を見上げて同時にため息をつく二人。
カメラのシャッター音が響いたのはその時だった。
「げ、幻聴だよね?」
「そうよ、さすがにホテルの中でまで――」
廊下の角から覗くインスタントカメラと、それを握った何者かの手。
そのレンズは明らかに二乃と三玖を捉えていた。
「「~~~~っ!!」」
全身を走る怖気に逃げ出そうとする二人だが、三玖は走れる体ではなかった。
置いていくわけににもいかない二乃は、部屋のドアを強く叩いて呼びかける。
「五月、五月っ! 緊急事態よ! 三玖がヤバイの!」
先程とは打って変わった切実な声。
必死な二乃の声を聞いた五月は反射的にベッドから飛び出していた。
すぐさまドアの鍵を開け、二人を部屋の中に迎え入れる。
「や、やっと開けてくれた……」
「二人とも、一体何が――」
「いいから閉めるわよ!」
素早くドアを閉める。
オートロック機能で鍵は自動的に閉まった。
「……五月、大丈夫?」
「三玖、私は……」
「あーもう、またこんなに目ぇ腫らしちゃって。もうすぐ一花がご飯持ってくるから顔洗っておきなさい」
二乃は五月を洗面所に押し込んだ。
こういう時は有無を言わさず、多少強引に対応すればいいというのは経験則だ。
なんだかんだ面倒見のいい二乃と、末っ子気質の五月との相性は悪くないのだ。
「さて、一花と四葉に不審者注意って伝えておかないとね」
「疲れた……」
「せめて着替えなさいよ。シワになるわよ」
早起きしてのパン作りに、日中の山登りですっかり体力は空になっていた。
ベッドに倒れ込んだ三玖の意識は吸い込まれるように落ちていく。
その間際に浮かんだのは風太郎との事、そして先ほどの五月の顔だった。
(今度は私がなんとかしてあげなくちゃ――)
そう決意すると同時に、三玖の意識は完全に沈んでいった。
中腹から山頂、山頂から麓の手前まで走り通した五月の健脚。