フー君が思春期の青い衝動に振り回される話   作:kish

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来週は忙しそうなので今日のうちに更新します。
色々と喪失するお話です。


シスターズウォー・二日目その2

 

 

 

「え……?」

 

 四葉――の格好をした一花は呆然としている。

 余程俺に正体を見破られた事がショックだったのだろう。

 仕事柄、演技に自信があるというのは理解しているが、あまり舐められるのも癪だ。

 なんでこんな事をしているのかはともかく、もう以前のように簡単に騙されないという事をたっぷりと教えてやろう。

 

「まず、四葉はあの程度走っただけじゃ息を乱さない」

「ちょ、ちょっと急いでいたもので」

「第二に歩き方が違う。よく後ろで手を組んで歩くのは一花の特徴だ」

「あ、あはは……たまたまですよ、たまたま」

「最後に足に履いてるものが違う。上の方は真似たが下まで変える余裕はなかったみたいだな」

「そ、そんなところまで」

「加えて言わせてもらえば、お前ぐらいしかやりそうな奴がいなかった、といったとこだな」

 

 四葉本人でないことはわかりきっていたし、二乃なら変装はせずに自分のままぶつかってくるだろう。

 ホテルにいるはずの二人がここに来ているとは考えにくいので、消去法で残りは一花となる。

 そもそも付き合えと言っておいて放ったらかしだったので、どこかのタイミングで接触してくるのは予想できた。

 他にも指摘できる部分はあったのだが、セクハラに該当しかねないので控えておいた。

 

「はぁ……まるで名探偵だね」

「そもそもお前の変装は一度ノーヒントで見破ってるからな」

「そうだったね。フータロー君の成長にはお姉さんもびっくりだよ」

 

 リボンとウィッグを外して一花は正体を表した。

 わかっていた事なので驚きはない。

 さらにこの下から別の誰かが出てきたら話は別だが、そんな面倒すぎる展開は勘弁して欲しかった。

 

「で、そろそろ目的を話してもらおうか」

「……今日は四葉と一緒にいて楽しかった?」

「質問してるのは俺なんだが」

「六年前の事、結構思い出したんじゃない?」

「何が言いたい」

「教えてあげたいのはやまやまだけど、そこはさすがに自分で気づいてほしいかな」

「……それが今日付き合えと言った理由でいいのか?」

「そんなとこだね」

 

 ただでさえ頭を悩ませる問題が多いというのに、その上で更に考えろというのか。

 面倒だが、一花の言う埋め合わせを了承した手前がある。

 このミニコーナーに付き合えというなら、乗ってやるしかないか。

 

「フータロー君は、さっきの話の女の子が私たちの誰かだって気づいてるんじゃない?」

「まぁな。お前達の家庭教師を引き受けてから二回接触があった」

 

 二学期末試験の時と、先日の買い物の時だ。

 そいつの正体はわかっている……五月だ。

 素直に受け止めれば六年前の女の子も五月という事になるが、恐らくはそう単純な話じゃない。

 思えばあいつも一花と同じように、何らかの答えを期待しているように思えた。

 

「なるほどね……もしかしてその時にお母さんの名前を名乗ったのかな?」

「ああ、誰かはっきりしない以上は零奈と呼ぶしかないだろ」

「……そういうことだったんだ」

 

 一花は考え込む素振りを見せたが、すぐに得心がいったように呟いた。

 今の反応を見れば、こいつも五月の行動を把握してなかったのは間違いなさそうだ。

 

「ちなみにさ、私が六年前の女の子だって言ったら信じる?」

「信じないな」

「即答!?」

「まわりくどいにも程があるし、お前の行動のいくつかに疑問が生じる」

「む~、じゃあ誰だと思うのさ」

「それは――」

 

 修学旅行前の五月の反応、ここ最近の一花の行動、それらを考えればなんとなく答えは見えてくる。

 ただそれには確証がない。

 俺の推測が正しければ、あいつも六年前の事を覚えている。

 だというのに言い出さないというのには、きっとそれなりの理由がある。

 そもそも、今更過去の種明かしをして何の意味がある。

 それを無理につつく事であいつの機嫌を損ねるのは得策じゃない。

 ……いや、違うな。

 きっと俺は、あいつが離れていく事が怖いんだ。

 あのお人好しのお節介の笑顔を曇らせたくない。

 

「あれ、雨降ってきた?」

「今日は晴れの予報だったはずだが」

「通り雨かな……って、すごく降ってきた!」

「どこかでやり過ごすぞ!」

 

 付近に軒下に入れるような建物はなかった。

 道から外れた弊害だろう。

 降りしきる雨から逃れるため、俺と一花は近くの木の下に避難した。

 

「ちょっと濡れちゃったね」

「通り雨ならすぐ止むだろ」

「それじゃあ、少しの間だけ雨宿りしてようか」

 

 二人で木に背を預けて空を見上げる。

 雲の色は濃かった。

 通り雨で済むかどうかは怪しいところだ。

 

「それにしても喉渇いちゃったね」

「音羽の滝の水なら飲み放題だぞ」

「そこに行くまでにずぶ濡れなんだけど」

 

 冗談で言ったつもりだが、一花の視線は冷たかった。

 しょうがない……たしか飲みかけのお茶があったはずだ。

 リュックを漁ると空のペットボトルが出てきた。

 そういえば、四葉と回っている最中に飲み干してしまったんだったか。

 

「悪い、なくなってた」

「なーんだ、残念。せっかく間接キスのチャンスだったのにね」

「はっ、今更その程度じゃ動揺しねーぞ」

「あっ、開き直り。さすが経験者は言うことが違いますなぁ」

「ぐっ……もうそこから離れてくれ」

 

 後は捨てるのみのペットボトルをリュックの中へ戻す。

 そして底の方に入ったそれに気付いた。

 丸みを帯びたプラスチック容器の感触。

 取り出すと、また別の小振りなペットボトルが出てきた。

 中身は黄色味がかった、薄く濁った液体。

 見ようによってはお茶に見えなくもない。

 これは確か、二乃に貰った栄養ドリンクだ。

 前回の事を考えるとおいそれと飲むわけにはいかず、ずっとリュックの中に入れっぱなしだったのだ。

 さすがにこれを飲ませるのはな……

 

「飲み物あるじゃん。じゃあこれ貰うね」

「おい、待て――」

 

 素早く俺の手からペットボトルを奪うと、一花は止める間もなく口をつけてしまった。

 走ったり喋ったりでよほど喉が渇いていたのだろう。

 一気に三分の二程飲み干してしまった。

 

「だ、大丈夫か? どこか体に異常はないか?」

「んー、スポドリかな?」

「二乃によると栄養ドリンクだな。模試の時も貰ったんだが、バージョンアップしたらしいぞ」

「そういえば作ってたね。あの時は見た目がちょっと……だったけど」

 

 一花の様子に現段階ではおかしな所はない。

 本格的な効果は少し遅れて表れるんだったな。

 腹痛はないと思うがそれ以外も問題だ。

 元気になるのはいいが、元気になりすぎるというか。

 俺の場合はアレが膨張して収まらなかったが、それが女の体になるとどう表れるのかはわからない。

 一緒にいる間は俺が面倒を見るしかないとしても、早々に姉妹に任せるべきだろう。

 となればのんびり雨宿りしているのは得策ではない、のだが……

 

「雨、酷くなってきたね」

「雨男か雨女がいやがるな」

「これじゃ見学も無理そうだし、バスに戻った方が――」

 

 一花の言葉が途切れる。

 体を折るように前かがみになり、何かを堪えるように両腕で自分をきつく抱きしめていた。

 息は荒く、顔は見えないが耳は紅潮している。

 おいまさか、こんなに早く効果が出たのか……?

 二乃はスポドリ風味にしたと言っていた。

 味として近づけたということは、成分も近い可能性がある。

 つまり、体にめちゃくちゃ吸収されやすい。

 いや、急に具合が悪くなったって線もある。

 まだ慌てるような時間じゃない……!

 

「ふ、フータローくん? ちょっと、お願いがあるん、だけど……」

「バスまで戻るんだな? 肩ぐらいならいくらでも貸すぞ」

「そうじゃ、なくて……」

 

 途切れ途切れの上、雨の音がうるさくていまいち聞き取りづらい。

 顔を寄せる。

 一花の荒く乱れた息遣いが耳についた。

 

「もう、ダメ……」

 

 体を木に押し付けられる。

 俺の体に縋り付くように抱きついて、一花はこちらを見上げてきた。

 胸元で潰れる柔らかい感触と、何かを訴えかけるように潤んだ瞳。

 もはや疑いようはなかった。

 吐息があご先をくすぐる。

 ジワジワと、理性が侵食されていく。

 

「……落ち着いて聞け、今のお前はさっきの飲み物のせいでおかしくなってるだけだ」

「はぁ、はぁ……飲み物って、これ……?」

「そうだ。とりあえず治まるまでは人がいない所で……おい、何してる」

 

 何を思ったのか、一花はペットボトルを煽って残り全てを口に含んでしまった。

 空の容器が地面に落ちる。

 一花は笑った――普段見せるものとは一線を画す、艶然とした笑顔。

 見蕩れてしまった。

 だから反応が遅れた。

 首に腕が回される。

 顔が、近づいてくる。

 そして唇と唇が触れた

 

「ん、ふっ……」

「――っ」

 

 触れるだけにとどまらず、舌が侵入してきた。

 一花の舌は形を確かめるように歯をなぞっていくと、縮こまっている俺の舌を絡めとった。

 未知の感触に頭が痺れた。

 膝から力が抜ける。

 ズルズルと落ちていく俺の体を支えるように抱きしめると、一花は口に含んだ液体を流し込んできた。

 抵抗しようにも、そんな力はとっくに奪われている。

 ぼんやりと駄目だと思いながらも飲み下す他なかった。

 じんわりと、体の内から外へ熱が広がっていく感覚。

 推測は当たっていたようだが、喜ぶ気にはなれなかった。

 頭はとっくに熱に浮かされていて、今度は体の方が反応し始めた。

 

「えへへ……大人のキス、初めてだけどどうだった?」

「お、まえ……なにしてんのか、わかってんのかよ……」

「その余裕ない表情、かわいいなぁ……」

 

 ぐるんと視界が回転する。

 木の裏側に俺を引きずり込むと、一花は俺の手を掴んで自分の胸へと導いた。

 張りがあるのにどこまでも沈み込んでいきそうなほど柔らかく、先端には硬さを主張する部分がある。

 俺の手は、まるでどうすればいいのか知っているかのように動いた。

 

「んんっ……」

 

 艶かしい声が脳を侵していく。

 駄目だ、やめろ、止まれ……!

 理性の叫びは届かない。

 空いている左手が一花の体を抱き寄せる。

 再度、顔と顔が近づく。

 引き寄せられるように、俺は一花の唇を――

 

「くっ……!」

 

 口の中に血の味が広がる。

 自分の唇を噛む事で、消え去りそうな理性をすんでの所で引き止めた。

 眼前には熱に潤んだ瞳。

 どうしてと訴えかけていた。

 俺はこいつらのパートナーであり続けるためにも、これ以上の間違いを犯すわけにはいかない。

 両手を一花の体から離す。

 熱は相変わらず体の中で蟠ったままだ。

 とりあえずお互いに物理的に距離を取る必要がある。

 

「やっぱり私じゃダメ、なのかな……?」

「……そういう事じゃねーよ」

「じゃあ!」

 

 しかし一花がそれを許さない。

 責め立てるように、縋り付くように掴みかかってきた。

 目には涙すら浮かべていた。

 普段見せている余裕はどこかへ消し飛んでいた。

 そんな一花を、俺は突き放すことができなかった。

 

「んっ……」

 

 再び唇を塞がれる。

 傷が付いた下唇をなぞる様に舌が這い回った。

 泣けなしの理性が、溶かされていく。

 

「フータロー君は悪くない。悪いのは全部私。だから……ね?」

 

 頭のどこかでそれを否定する声がした。

 吐かせてでも止めなかった俺の責任なのだと。

 なんにしても、そんなか弱い抵抗ではもう止められない。

 

「犬に噛まれたと思ってさ」

「――ふざけんな」

 

 体の位置を入れ替える。

 一花を木に押し付け、貪るように口付ける。

 平気な顔をしてみせても、こいつはどうせ後で一人で抱え込もうとするに決まっている。

 俺にはそれがどうしても我慢ならない。

 だから、間違いを犯すのはあくまで俺なのだ。

 

「犬に噛まれるのはお前の方だ」

「……君のそういう不器用で優しいとこ――大好きだよ」

 

 一花は耳元で囁いた。

 それが最後の防壁を完膚無きまでに破壊した。

 理性という枷が外れれば、難しい事は何もない。

 後は本能の赴くまま――俺は目の前の女に、一生消えない傷を刻みつけた。

 

 

 

 

 

「……死にてぇ、いっそ殺してくれ」

「上杉君、気をしっかり持ちたまえよ」

「つーか何やってたんだよコラ」

 

 ホテルの廊下で項垂れる。

 頭も体も冷えた今となっては、後悔の念が容赦なく俺の心をすり潰しにかかっていた。

 一花との一件の後、バスに戻った俺達はこっ酷く叱られた。

 大雨で見学は中止、ひとまずホテルに戻る流れになっていたそうだ。

 ところが俺達はどこにも見当たらず、携帯に連絡しても返事がない始末。

 一応外から見えないように配慮していたから見当たらないのは当然だし、事の最中は着信に気付きすらしなかった。

 それで都合一時間ほど遅れて合流した俺と一花を出迎えたのは、呆れ顔の中に怒りを滲ませた担任だった。

 当然理由も聞かれたが、まさか不純異性交遊してましたというわけにもいかず、適当な理由をでっち上げて切り抜けた。

 俺だけでは難しいところだったが、周囲の覚えもいい一花がいた事が幸いした。

 外面を取り繕う腕前に関しては、女優の面目躍如といったところか。

 そうして残った問題は、俺の中であの出来事をどう受け止めればいいかだ。

 ……いや、本当にどうしたらいいんだよ。

 

「しかし、ずぶ濡れになって帰ってきたというのに随分と血色がいいね。なにか運動でもしてたのかい?」

「ば、バスまで走ったからな! 柄にもなく全力疾走しちまったぜ!」

「なんで焦ってんだよ」

「俺はいたって冷静だが!?」

 

 全力疾走に嘘はないが、今の俺が運動と聞いて真っ先に連想するのがアレであるのはどうしようもない。

 前田と武田の訝る視線から逃げるように部屋へと向かう。

 軽くタオルで拭いたが濡れていることには変わりないので、早いところ着替えておきたかった。

 見学の方はこの天気では見送るしかない。

 ひとまずは部屋で待機してろとお達しが出ている。

 残念なのは確かだが、今の精神状態で存分に楽しめるかと言われたらそれは難しいだろう。

 親父からもらったお守りのおかげで最悪の事態は避けられたと思いたい。

 事の重大さに変わりはないが、時間を経ることでそれに対する心持ちも変化があるかもしれない。

 とにかく、今は中野姉妹と顔を合わせずに済む時間が欲しかった。

 そもそもあんなことをしでかした俺に、あいつらと向き合う資格があるのかは怪しいところだが。

 

「明日のコースはどうするよコラ」

「悩みどころだね。どれも興味深いよ」

「上杉は行きたいとこねーのかよ」

「悪い、お前らにぶん投げるわ」

 

 三日目は五つのコースに分かれて行動する。

 班で行動する必要はなく、どこを選ぶかは完全に個人で決めることになる。

 とは言っても大体は友人同士で班を作っているので、班ごと一つのコースという奴らもいるだろうし、俺達の班も恐らくはそうなる。

 俺個人としてはどこでもいいのだが、欲を言うなら中野姉妹と顔を合わせずに済むコースが希望だ。

 もっともあいつらの希望はばらけそうなので、どこに行っても同じ顔がいる、という事態も十分にあり得そうだ。

 まさか事前にリサーチするわけにはいかないので、ここは運……というか後ろで議論する二人に任せておこう。

 時折二人に意見を求められるが、生憎と返せるのは生返事ぐらいだ。

 

「おお、上杉。丁度いい所に」

 

 声をかけてきたのはうちのクラスの担任だった。

 さっき怒られたのは記憶に新しい。

 嫌な予感がした。

 

「着替えてからでいいから、各班に連絡頼むぞ」

 

 修学旅行中でも学級長という立場に変わりはない。

 あいつらとはこの後、早速顔を合わせることになりそうだ。

 ……勘弁してくれ。

 

 

 

 

 

「ふー、スッキリしたー!」

「ちょっとあんた、体はちゃんと拭きなさいよ」

「えへへ、ごめんごめん」

「風邪ひいちゃうから早く服着なさいよね」

「はーい」

 

 シャワーを浴び終えた四葉は全裸だった。

 そしてあれこれと世話を焼く二乃はオカンだった。

 三年一組の第五班――中野姉妹に割り当てられたホテルの一室である。

 五月は相変わらずベッドの上で膝を抱え、三玖も相変わらず倒れたまま動けないでいた。

 二人は制服姿だが、他三人はジャージを着用している。

 ずぶ濡れになって帰ってきた三人を見て、三玖は筋肉痛でラッキーだったなどと思ったりもした。

 

「一花、歩きづらそうだけど大丈夫?」

「ちょっと足をね。私はたいしたことないけど、そういう三玖の方こそどうなのさ」

「うっ……あ、明日は頑張る」

 

 一花の心配をしたはずが、逆に心配されてしまった。

 部屋に戻ってきて真っ先にシャワーを浴びたのは一花だった。

 自分を後回しにするかはさて置き、他の姉妹を押しのけてというのは珍しい。

 余程汗をかいたということだろうか。

 実際には汗をかくどころではない出来事があったのだが、知る由もない三玖はそう推測するしかなかった。

 

「それよりも、本当は何してたのよ」

「本当はもなにも、さっき説明したことが全てだけど」

「とてもじゃないけど信じられないわ」

 

 一花と風太郎は一時間ほど遅れてやっとバスに戻ってきた。

 その際に当たり障りのない理由を語っていたが、二乃はそれを明確に疑っていた。

 根拠があってのものではないが確信はあった。

 好きな相手と一時間二人きりで何もないはずがない。

 むしろ自分だったら確実にアクションを起こす。

 そういった自分の考えこそが根拠といえば根拠だった。

 

「まぁまぁ、先生にあんなに叱られてたんだからもう十分だよ、ね?」

「まったくもう、三玖に続いて一花まで……これは明日に勝負をかけるしかないわね」

 

 二乃の背後に炎が見えた、ような気がした。

 初日に抜け駆けを果たした三玖としては、この後の提案の事を考えると多少どころではなく気まずかった。

 四葉は恐らく賛成してくれるだろう。

 一花は正直な所よくわからないが、真っ向から否定はしないだろう。

 残るは二乃だが、反発される予感しかしなかった。

 

「そういえばさ、またフータロー君に栄養ドリンク渡したんだね」

「なにか感想言ってた?」

「えーっと、飲みやすくてすごく元気になった……とか?」

「なんで疑問形なのよ」

「あはは、今度私ももらおうかな」

 

 そもそもあれはどちらかというと精力剤だ、というのは言わないでおいた。

 黙っていた方が都合がいいこともあるのだ。

 とりあえず今後のことを見越して数本は確保しておきたいところだ。

 一花は甘い痛みに疼く下腹部をさすった。

 

「明日は晴れるといいなぁ」

「予報は晴れなんだけど、今日はそれでこの天気なのよね」

「てるてる坊主、作る?」

「さ、さすがにホテルの部屋に吊るすのはどうかなぁ?」

 

 窓を通して雨雲を見上げる四葉。

 携帯で天気予報を見てため息をつく二乃。

 ベッドに転がったまま提案する三玖。

 てるてる坊主が吊るされた室内を想像して苦笑する一花。

 そして、自分の殻に閉じこもったまま一切喋らない五月。

 

「……五月、あんたいい加減にしなさいよ。いつまでもうじうじと、そういうのは三玖の専門でしょうが」

「二乃、五月は――」

「落ち込んでるのなんて見ればわかるわ。理由を一切話そうとしないのは気に食わないけど!」

「……二乃には関係ありません」

「ちゃんと喋れるみたいで結構……でもお生憎様。人間関係は一方通行じゃないのよ」

 

 自分もベッドの上に乗って、二乃は膝を抱えた五月と正面から向き合う。

 しかし、泣きはらした目は何も映さない。

 どこまでも沈み込んだ末っ子を引っ張り上げるために、二乃は無言で両の頬をつまんで引っ張った。

 

「い、いひゃいいひゃい、いひゃいれふ!」

「やっと顔上げたわね」

 

 二乃の手並みは鮮やかだった。

 こうして強引に相手の懐に飛び込むのは、三玖にはできない芸当だ。

 経験値の差を実感していた。

 しかし、それでもやるべきことがある。

 自分を助けてくれた五月のためにと、心を奮い立たせる。

 

『入るぞ』

 

 響くノックの音。

 一言の断りの後に、風太郎がドアを開けて入ってきた。

 学校指定のジャージを着用して頭にタオルを巻いた、シャワー上がりのスタイルである。

 

「五班、全員いるか?」

「――っ」

「ちょ、ちょっとトイレ!」

 

 風太郎の姿が見えた瞬間、動いたのは二人。

 五月は掛け布団を被って身を隠し、一花はトイレに駆け込んだ。

 

「なにかご用ですか?」

「連絡事項だ。今から三十分後に二階の大広間に集合だそうだ」

「なんで上杉さんが……」

「これでも学級長だからな」

「なるほど! って、私もですよね」

「確かに伝えたぞ。明日のコースもそこで決めるからちゃんと考えとけよ」

 

 簡潔に伝えると、風太郎はすぐに部屋の外へ――出ようとしたが、二乃に阻まれる。

 回り込んでの仁王立ち。

 強引に出ようとしたら体が接触してしまう位置取りだ。

 今の風太郎にとってはこれ以上ないバリケードだった。

 

「通せよ」

「明日一緒に回ってくれるならいいわよ」

「断る」

「どうしてよ!」

「俺に構うのより優先する事があるだろ」

「それは……」

 

 風太郎の視線の先には掛け布団にくるまった五月の姿。

 図星を突かれて二乃は言葉を詰まらせた。

 普段よりもそっけない態度もそれに拍車をかけていた。

 その身動ぎで生まれた隙間に体を滑り込ませるように通り抜けると、風太郎はドアノブに手をかける。

 だがすぐに出て行く事はなく、数秒立ち止まってから振り返らずに言い放った。

 

「どうにもならなかったら、話を聞くだけは聞く。……まぁ、成績を落とされたら面倒だからな」

 

 取って付けたかのような理由を添えると、風太郎は部屋から出ていった。

 素直ではないが、中野姉妹を気にかけているのは確かなのだ。

 五つ子を散々面倒だと評する当人もまた、面倒な性格をしているということだ。

 

「フータロー君、もう行った?」

「なんで逃げてんのよ」

「いやー、あはは……さすがに心の準備がね」

 

 突然の来訪者が退室したのを確認すると、一花がトイレから出てきた。

 今の心境で、風太郎と面と向かって顔を合わせられるほどの図太さは持ち合わせていない。

 半ば暴走に近い状態で事に及んだので、今しばらく心の整理をする時間が必要だった。

 頬を染めて苦笑する一花に、二乃は確実に何かがあった事を察した。

 放っておけない問題だが、今はそれよりも優先すべき事がある。

 自分のベッドの上で丸まった五月である。

 

「いつまで閉じこもってるのよ」

「ああっ」

 

 掛け布団を勢い良く剥ぎ取られて五月は狼狽えた。

 そして二乃はその隙にベッドから駄々っ子を引っ張り出すと、昨晩と同じように洗面所に放り込んだ。

 人前に出る以上、最低限の身支度は必要だ。

 

「さて、いい加減なんとかしないとね」

「五月ちゃんの事?」

「あんたのやりたい放題もなんとかしてやりたいけどね」

 

 威嚇するように鋭くなる視線を曖昧に笑ってやり過ごす。

 ここで一花がその所業を洗いざらいぶちまけても、余計に話がこじれるだけだろう。

 二乃もその点は理解しており、それ以上は突っ込まなかった。

 

「でも、なんであんなに落ち込んでるんだろ?」

「三玖はなにか聞いてない? 今日もずっと一緒だったんだよね?」

「聞いたけど、私の口からはちょっと……」

「じゃあ一個だけ聞くけど、食べ物関連なのかしら?」

「違う」

「それは深刻だね」

「ええ、深刻だわ」

「深刻だ……!」

 

 姉妹はあらためて事の重大さを実感した。

 本人が聞けば失礼だと怒り出しそうな反応だった。

 普段から食事で一喜一憂しているのは事実なので、無理からぬ事ではあるが。

 

「だからみんなに提案……ううん、お願いがあるんだ」

 

 静かな、しかしはっきりとした声。

 不甲斐ない自分を支えてくれた妹に報いるため、三玖は意を決して切り出した。

 

「明日一日、みんなの時間を貸してほしい」

「……それは五月ちゃんのためってことでいいんだよね?」

「ダメ、かな?」

「うーん、判断するにはちょっとわからないことが多いかな」

「五月がそれで元気になるなら……うん、私は協力するよ!」

「ありがとう、四葉」

「……随分と虫がいい話ね。あんたも五月も好き放題動いた結果じゃない」

「二乃……」

 

 三人の反応は、概ね事前に予想した通りだった。

 一花は保留、四葉は賛成、そして二乃は反対だ。

 都合のいい事を言っているのはその通りだし、そもそも詳しく事情を話さないのに協力しろというのは無茶な話だ。

 むしろ受け入れてくれた四葉はお人好しがすぎるのだ。

 それでも引き下がるわけには行かなかった。

 痛む体を奮わせて立ち上がると、三玖は三人に向かって頭を下げた。

 

「お願いします……!」

 

 その姿に一花はバツが悪そうな顔をして、四葉は慌てて頭を上げさせようとした。

 そして二乃は数ヶ月前、チョコ作りを教えた時の事を思い出した。

 あの時も同じように三玖は頭を下げていた。

 つまり、それほどに真剣だということだ。

 

「好き勝手暴走して修学旅行を台無しにして、自業自得すぎよね。……あー、逆に泣けてくるわ!」

「に、二乃?」

「これ以上泣かされたらたまったものじゃないわ。仕方ないから協力してあげる」

「え……」

「言っとくけど仕方なく、嫌々協力するんだからね!」

「……ありがとう」

 

 二乃はしかめっ面のままそっぽを向いた。

 あくまで不本意という体は崩さないようにしていた。

 

「私も協力してあげたいのは山々なんだけどね」

「ちゃんと説明できなくて、ごめん」

「んー、じゃあ私が五月ちゃんに聞こうかな」

「そ、それは……」

 

 三玖の脳裏によぎるのは、泣きながら想いを吐き出した五月の姿。

 一花を止める筋合いはないが、それでもやはり素直には頷けなかった。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

 

 一花は四葉を一瞥すると三玖をベッドに座らせて、安心させるように肩に手を置いた。

 五月がそこまで沈み込む理由を無理に聞き出すつもりはない。

 ただ、風太郎の思い出の少女に扮した理由だけは確認しておきたかった。

 その理由如何では――それ以上は考えるのをやめておく。

 

「それで、具体的には何してほしいのよ」

「五月とフータローが話す機会を作りたい」

「え、フー君絡みなの? なんか協力する気なくなってきた……」

「に、二乃! そんなこと言わないで協力しようよ!」

「はいはい、わかってるわよ」

 

 風太郎が関係していると聞いて二乃は顔をしかめた。

 ライバルが増える、という考えが真っ先に思い浮かんだ。

 またいつものデリカシーのない言動の線もあるが、そんな雰囲気ではなさそうだった。

 協力を撤回するつもりはないが、色んな意味で一筋縄ではいかないだろうという予感は拭えない。

 

「ところでさ、フータロー君がどのコース選ぶのかは把握してるの?」

「あっ」

 

 三日目は選択コースで向かう先が異なる。

 もし全員で違うコースを選んでしまえば、その時点で終了である。

 さっき聞いておけばと三玖は後悔した。

 黙って息を潜めていたのが災いした。

 一花ほど過剰な反応はしなかったものの、三玖にも心の準備が必要だったのだ。

 

「この後集合だし、その時上杉さんに聞いてみようよ」

「うーん、それはどうかなぁ」

「なら今電話で聞いてみるとか」

「そもそも、聞いて答えてくれるとは思えないっていうかさ」

 

 一花と色々ありすぎた風太郎は、恐らく姉妹との対面に消極的だろう。

 自分がこんなに悶々としているのだからそれは相手も同じだと、一花はそう踏んだ。

 先程のやり取りもどこかそっけなく事務的な色が濃かったのも、必要以上に気にしないようにしていたのだと。

 トイレからでは声だけしか聞こえなかったが、その中にある硬さは十分に感じられた。

 それでも最後にこちらを気にかけてくるのは甘いというか、風太郎の好ましい部分だ。

 前髪を弄っている姿を思い浮かべて、一花は小さく笑みを漏らした。

 

「じゃあおためしに……わっ、本当だ!」

 

 一応メールを送ってみた四葉だったが、返ってきたのは断るの一言。

 にべもなかった。

 ここまでバッサリだと逆に気持ちよくすらある。

 

「……コースは全部で五つ。私たちなら全部カバーできる」

「なるほどね。それでフータロー君がいるコースに後で合流する……ってことだよね?」

「そう」

「悪くないとは思うんだけど、やっぱり五月ちゃんが問題かな」

 

 三玖の案なら確実に風太郎が選んだコースを確認できるが、その後が問題だ。

 今の五月に合流を呼びかけたとして、それに応じるかは怪しいところだ。

 落ち込んでいる理由が理由だけに、風太郎との対面を避ける可能性の方が高い。

 ここは二人をどうにかして同じコースにしないといけないということだ。

 となると結局は五分の一の確率に賭けることになってしまう。

 またも行き詰まって、三玖は頭を抱えた。

 

「まったく、とんだガバガバプランニングね」

「二乃は何かいい考えある? 私は五月を上杉さんのとこに運んでいくぐらいしか思いつかなくて」

「あんたはどんだけフィジカル頼みなのよ」

 

 運んでいくとは比喩なのかもしれないが、四葉がそう言いだしたら本当に五月を背負って移動しかねない。

 強引に引っ張っていくというのはありなのかもしれないが、それよりも断然スマートな方法を二乃は知っていた。

 

「私、フー君たちがどのコースを選ぶのか知ってるわ」

 

 自分の部屋に戻る前、二乃は風太郎たちが話しているところに居合わせた。

 担任が現れたためその場では声をかけなかったが、それでも会話の内容は聞き逃さなかった。

 

『やっぱ映画村とか面白そうじゃね?』

『ふっ、前田君らしく俗っぽい選択だけど、悪くないね』

『おめーはいちいち一言余計なんだよコラ』

『上杉君もそれで構わないかい?』

『ん? ああ、Eコースな。いいんじゃないか』

 

「Eコースよ、間違いないわ」

 

 

 




というわけで二日目終了です。
出発前にもらったお守りが妊娠→退学のコンボから二人を守ってくれました。
次回はちょっと間が空くかもしれません。

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