推しの為に死ぬ話。 作:ざるそば
今回こそ最後です()
誤字報告下さる方、本当にありがとうございます。いつもご迷惑おかけしています。
あの日、運命の日から五年。文字通り世界が揺れた。
士官学園で繰り広げられた人類の歴史においてかつて見ない程の死闘。災厄が打ち倒され、一人の少年がこの世を去った日。
それらを思い出す度に、私は心の何処かが燻っているのを感じている。出来る事はやった筈だ。激戦を背後にする最中、怪我人を急いで治療して回る。両手が血に染まりながらも、只管にただ只管に治癒の魔術を使い続けた。
いつまでも止まない音が響く中で、ただあの時自分に出来る精一杯をやった。
「……」
けれど、それでもまだ心が囁くのだ。何もかも燃やし尽くした灰の中で燻る焔のように。
――本当に? 私はやれる事をやり切った? もしそうだと言うのなら、何故私は彼を助けられなかったのか。何故、まだ後悔の念を抱き続けている。
あの時、まるで巨大な何かが激突するような音が響き、すぐに見ると下半身が消し飛んだ彼が文字通り転がっていた。それを見た瞬間、脳裏を空白が過ぎって。騎士達を押しのけて彼の下へ向かった。
もう意味が無い事を知って、それでも治療の魔術をかけ続けた。たとえ私でも、手の施しようが無いほど。
消えゆく命の中で、彼は穏やかに笑った。
“どうか、幸せに”
それが彼の残した言葉。
きっと時間も無かった。それに伝えたい事だってもっとあった。話したい事だって沢山残っていた。
彼が伝えた最後の言葉。その意味を見つける為に、ただ今を生きている。それだけが今の私を支えている。
けれど、それでも。まだ何も見つけられていない癖に。
「……」
国を挙げて行われた葬儀には世界中から数多の人々が集っていた。排他的であった筈の砂の国の民、世界でも有数の戦力を持つ連合国の王子とその近衛騎士、ギルドの中において文字通り頂点の座にいる冒険者一行、本来ならば他所の国とすら一切の交流を持たない筈の魔道国家の長――それだけの旅を彼はしてきたのだ。
世界中を回って、数多の人々の助けとなって、そうして災厄をも打ち倒した。
人類を脅かしていた存在を単身で打倒した。それを英雄と呼ばずして何と言うのだろうか。
あの戦いを遠巻きに見届けていた王国騎士達は言った。
『災厄はまるで嵐のような勢いだった。けれどそれでも立ち続ける彼の姿は、夜空で微かに輝く星のようで。
小さな体で、強大な力に立ち向かっていた。足掻いていた。――我々は、ただ見ている事しか出来なかった』
『信じられるか? 俺の息子と変わらない年の少年が、たった一人で戦っていたんだぞ。
遠巻きに見ていたけれど、それでもあの体は震えていた。武者震いなんかじゃない、自身の中から来る本能的な恐怖とも戦っていたんだろう』
『アイツが一歩動く度に大地が揺れて、地面が割れた。風が嵐のように吹き荒れた。我々は立っているのが、見守るのがやっとだった。
彼は何度も倒れかけながら、それでも跪く事無くあの場所に立ち続けた。――あれこそ、騎士の本懐だ』
彼らの言葉を、そして彼が成し遂げた結果を後世に残す為に。王国は戦場となった学園の現場をそのまま保存する事にした。何人もの精鋭の魔術師達がそのために動員された。
世界中で彼と共に戦った者、そして彼の最期の戦いを見守っていた騎士達の言葉は書物として残される事になった。悪童と呼ばれた少年が英雄になる――その言葉は人々の心を動かすには充分だった。
そして葬儀が終わった後、学園の入口に彼の墓を建てた。そこは一種の観光名所となって、連日人が押し寄せている。
何百年の間、人類の脅威であった存在がもたらした力。それを乗り越えた者がいる事を見るために。人類はまだ先へ進めるのだと、そう示すために。
「……私は」
押し寄せる人の群れ。絶え間なく流れゆく歳月。そんな中で私は独り、彼の墓の前で立っている。
一体、何が出来るのだろうか。
「アイリス姉ちゃーん! 遊んでー!」
「はいはい、そこで待ってて。済ませてくるから」
孤児院の一角でいつものように子ども達の世話をする。災厄は打ち取られたが、それでもまだ戦いそのものが終わりを迎えた訳ではない。
争いは続いている。その災禍で摘ままれた未来をもう一度紡ぐために、私は戦災で孤児となった子ども達の面倒を見ていた。
彼から残された命を、彼に言われた幸福の意味を、遺言を探すように。
「……」
彼の形見と呼べるものは何もない。
……結局のところ、私は彼に助けられておきながら何一つ彼の事を知らないのだ。命を救われて、運命を拾い上げてくれた彼に。
「ねえーちゃん! キレーな女の人来てるよ! 知り合い?」
「女の人?」
「うん、フード被ってる! 見た事無いや!」
「分かった、すぐ行くわね」
孤児院の入口に行くと、件の人物が立っていた。
黒いフードを目深く被り、腰には何の飾りも無い短剣を身に付けた女性。武器なのか分からないけれど敵意は無い。そういう人物が孤児院に入った場合は結界が発動するようになっている。
それに訪問客はそう珍しくは無い。先週は私の家族が様子を見に来てくれていた。ここの子ども達も訪問者には慣れている。
「貴方がアイリスさんね」
「え、は、はい」
「……ごめんなさい、自己紹介が遅れたわね。私は……シオン。シオンと呼んで頂戴」
「シオン……素敵なお名前ですね。まるで花みたいです」
同じ女性の私ですら息を呑んでしまう程、綺麗な人。
シオンさんは、私の言葉に小さく微笑んだ。
「突然、押しかけてごめんなさいね」
「いえ、シオンさんこそ長旅で疲れているでしょう」
接遇室でお茶を出す。時々実家の者が顔を出すから、来賓としてもてなすだけの準備はいつもしてあるのだ。
この孤児院から旅立った子ども達や私の意見に同調してくれた貴族、そして私の意志を押してくれた実家の支援があってこの施設は成り立っている。
……後は、彼の話を聞いて実際私に会いたくなったとか言う珍しい人もちらほら。
「……いいお茶ね」
「はい、私達の国で代々受け継がれている伝統の物です。口に合えばいいのですけど」
「合うわよ。だってこれは……あの子がよく私に作ってくれたものとよく似ているから」
「――え」
あの子――その言葉が指し示す人物は、私の中でたった一人しかいなかった。
彼女は、静かに笑みを浮かべている。懐かしい光景を思い出すように。
「……知って、いるんですか?」
「ええ、きっとこの世界で誰よりも彼の事を知っているわ。ずっと、見守って来たんだもの」
そういって腰の短剣を、その鞘を優しく撫でた。
今まで彼との関係を自称する者も多くいた。その栄光にあやかろうと画策した者も。
でもどうしてか、彼女の言葉に嘘は無いと信じられる。
「その……どうして私の所に。彼の話なら王国の歴史家に」
「彼が守ろうとした貴方だからこそよ」
「……」
「そんな貴方が、まだ迷っているみたいだから。彼を知っていた私として、せめて貴方の助けになりたいと思って」
まるで母親を思わせる声音で、彼女はそう語った。
それは雪解けのように私の心に響いてくる。
あぁ、そうだ。私は迷っている。彼から託されておいて、まだ何も見いだせないまま。時ばかりが過ぎていく。
そんな自分が情けなくて。彼に申し訳ないと思ってしまって。
「……っ、ごめんなさい……!」
「大丈夫、落ち着いてからでいいわ」
思わず悔しくて、目じりから涙が零れそうになる。
この感情が今も私を翻弄している。忘れようとして、でも頭から離れなくて。眼を背けている癖に、ずっと私の目の前から離れない。
そんな形容しがたい思いが五年間ずっと、ずっと私に染み付いている。
「……すみません、大丈夫です」
「そう……。きっと、彼にとってそうだったように。貴方にとっても大きな存在だったのね」
「……はい」
「本当、自分勝手よね彼って。私だってそうよ、あれだけ彼に心を搔き乱されたって言うのに。残していったのはこの短剣だけなんだもの」
言葉はそう告げているが、彼女の口元は微笑んでいた。懐かしい残骸を見つめるように。古いアルバムをめくるように。
「大切な、思い出なんですね」
「……そうよ、私にとってたった一つだけの、喪いたくない大切なモノ。裏切れない大事なモノ。
あの子はこう言っていたわ。裏切れないモノの為に人はどこまでも足掻くんだ、と」
「裏切れないもの……」
言葉にすればたった一言だけの、刹那の時間。
けれど不思議と胸に残る響きがある。
「彼にとって、それは貴方が生きてくれる未来だったのね」
「……私が、生きている未来」
「死人は、新たな言葉を紡ぐ事も、彷徨う手を引くことも出来ない。でもね、記憶の中に思いとして残り続けて、立ち止まる背中を押してあげる事は出来る」
「……」
「貴方は彼の最期に立ち会えた、この世界でたった一人。彼は、その時何と言っていた?」
「あ……」
“これから見つけていければいい。時間は沢山あるんだから”
“キミに会えて、良かった”
「……探していけばいい、と」
「……」
「これからの時間の中で、見つけたらいいって……」
「……そう。ならきっと、それが貴方の幸せの意味。自分で自由に定義していいの」
「それで、いいんでしょうか……」
「ええ、そうよ。だって人間は皆そのために、自分の人生を頑張って生きているのだから」
言葉は、雪に芽吹く春の草のように。
抜け出せなかった暗闇の中で、小さな灯が見えた気がした。
「……ありがとう、ございます」
「……良かった。これで私も、少しはあの子にそれらしい所は見せてあげれたかしら」
シオンさんは茶を飲み干してから、私に微笑んだ。
その瞬間、ふと違和感を覚えた。何かが切り替わったような――。
「今日の夜中、とびっきりの衣装を着て、彼のお墓の所に来て頂戴」
「え、それは……」
「ふふ、残念ながら一度きりの言葉なの。それじゃあね、アイリスさん。
彼と出会ってくれて、彼の支えになってくれて、ありがとう」
彼女は部屋から出ていく。扉が閉まって、急いでその後を追いかけたけれど彼女の姿はもうどこにもなかった。
そういってシオンさんは孤児院を去っていった。
そして私は彼女の言葉通り、ドレスに着替えて彼の墓へ向かっていた。
旧学園――彼が災厄と死闘を繰り広げた場所。孤児院からそう遠くは無い。何なら窓から見えるほどの距離だ。
「……うぅ、何か変な感じ」
久々に着たドレスは、やはり慣れない。白い百合を思わせるような色合い、派手ではないけれど歩きにくいハイヒール。うなじまで見えるよう高く結い上げた髪。
こう見えてもいい所の家系の関係者だから、晩餐会とか式典には呼ばれたりする。そのため、こういった服は常に準備していた。
……普段の、修道女のような服装の方が動きやすくて私は好きなのだけど。
彼の関係者であった彼女の言葉なのだから、無かった事にも出来ない。
「それにしても、綺麗な満月……」
不思議だ。普段ならこの時間でも人はいると言うのに、この日は誰一人として見かけない。ある意味運が良かった。格好こそ付けているけれど、実はこの姿は余り見られたくないのだ。自分でもどこか恥ずかしいと思ってしまう。
世界はただどこまでも続く静寂、そして月明かりが静かに差し込むだけ。
もうすぐ着く。――ふと人影が見えた。石碑の前で誰かが佇んでいる。
「……え」
在り得ない。だって、それは。
黒い髪、どこか頼りなさそうな顔。けれどあの時は、全ての覚悟と決意を背負った戦士の瞳。
まるで貴族が着る黒い礼服のような服装で、そこに立っていた。
私の記憶に刻まれた彼と、何ら変わりない人物が。
「貴方……なの」
「――」
彼は喋るけど、声は聞こえない。
きっと動かしてはいるのだろう。でも彼は死者で、私は生者だから。言葉は届かないのだ。
彼は無邪気な少年のように笑って、私の前に跪いて手を差し出した。
それは踊りの誘いなのだと分かった。きっと今までに経験が無いのだろう。よく見たら手も震えているし、心なしか足まで震えているように見える。まるで酷く緊張しているよう。
王国騎士ですら褒め称える程の戦いと偉業を成し遂げた癖に、こういう所は年相応の少年のようだ。
「……えぇ、私でよければどうかご一緒に」
彼の手を取る。触れ合う感覚は無い。でも確かに触れ合っていると、心の何処かがそう感じている。
きっとこれは夢の舞台。あり得ざる光景。本来なら決して在り得なかった筈の奇跡だ。千年に一度しか咲かぬ花のように。
月明かりがどこまでも照らす中で彼と踊る。流れる曲は無い。豪華な演奏も無い。見守る観客もいない。ただ静かに夜の世界が流れるだけ。
私も彼もお互い慣れない足つきで、でも綻んだ顔のまま。
誰もいない、誰も見てない世界でただ二人きりで。
こんな時間がずっと――。
「……あれ」
ふと目が醒める。瞼が酷く重い。まるで疲れ切ってしまっているかのよう。
どうやら寝てしまっていたらしい。場所は、応接室だろうか。
テーブルの上には飲み干されたカップが残されている。
「……夢?」
奇妙な夢だ。いつもはあの時の光景を思い出すと言うのに。
今は彼と踊った夢を見ていた。……誰もいないただ静かな世界の中で。
僅かな時間の後、ようやく私はある一個の現実に思い当たる。
「私寝ちゃってた? 出迎えてる時なのに?」
うわぁと声を出してしまう。そういえば応対をしている途中だった。
とんでもない失態をしてしまったのかもしれない。謝罪をしなくちゃと、来訪した人物を思い出そうとして。
「あれ……」
――どうしてか、顔が思い浮かばない。一度見たら忘れる筈が無いような美貌の人だった事は覚えていると言うのに。
とても大切な話をしていたような気がする。
……あぁ、そうだ。彼の話をしていた事だけは覚えている。
「……まあ、いっか」
思い出せないけれど、でも大切な事を教えて貰った。
彼は私の未来の為に戦ったと。ならば、そんな私がいつまでも引きずっているのは、彼に申し訳が立たない。
私は、私の幸福を見つけるために。そうして人生の中で見つけた、何か一つ裏切れないモノのために生きるのだ。
カップを片付けて、孤児院に出ると子ども達が遊んでいた。そんな彼らに交ざるように私も飛び込んだ。
きっとこの世界のどこにでもあるような、ささやかな幸福。
これが私の選んだ道。私が生きると決めた場所。
それは一人の英雄から教えて貰った大切なモノ。もう彼はいないけれど、それでも言の葉はいつまでも胸の中に。
「……ありがとう、ヴァン」
心の何処かで、彼が笑ってくれたような気がした。
シオンの花言葉
キミを忘れない
白い百合の意味
死者への捧げもの