傷と咆哮   作:しらなぎ

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first years
1 入学


「身体に気をつけてね。無理しないで、嫌になったらすぐ帰ってきて。ママはいつでもセツナちゃんのことが大好きよ」

 

 涙ぐんで母親のシンディーは、セツナの長い長い前髪をかき分けて、おでこに熱烈なキスを落とした。そのまま瞼、頬、鼻にキスをして、またおでこに落とす。

「行っちゃうのね、セツナちゃん。ああ、ママ、ママ……」

 シンディーの潤みきった声が大きくなってとうとう泣き出したかと思った。周りの子供たちや大人が何事かと見ている。

 

 叔父のデイヴィッドは苦笑してシンディーの肩を叩いた。

 彼は疲れが全身に漂っていたが、着ているシャツはパリッとのりが利いていて、ローブは滑らかな光沢を放っている。

「クリスマスには会えるんだ。お前がそんな反応だったら、セツナも行きづらくなるだろう」

 その通りだと思ってセツナは頷いた。本当は行きたくなくてしょうがなかったが、こんな母親の様子を見てしまうとわがままは言えなかった。本当に家に連れ戻されてしまうと思うから。

 もうセツナは母親にいらない心配や心労を掛けたくなかった。

「ママ、だいじょうぶだよ。周りはわたしとおんなじ子ばっかりだもん。日本よりうまくやれるよ……」

 だんだんと声が小さくなってしまったが、何とか俯くのは抑えられた。不安でいっぱいの瞳も前髪に隠れて母親には見えなかったようだ。

 

 母親と叔父に見送られながら、セツナは何度も振り返った。行かなくていいなら行きたくなかった。母親と長い間離れるのは初めてだし、セツナは学校という空間が大嫌いで大嫌いで大嫌いで仕方がなかった。

 

 

 コンパートメントは出来るだけ端っこを選んで、軽量化のかかったトランクを何とか載せた。背の小さいセツナは靴を脱いで座席に登って押し上げた。

 そして、1冊だけ取り出していた呪文学の本を広げて膝に乗せる。こうすれば、たぶんだれにも話しかけられない。

 

 人の足音が外を通り過ぎて話し声でがやがやとし始めた。

 

「ここ、座ってもいい?」

「うん」

 

 セツナの声が小さすぎて聞き取れなかったようだが僅かな首の動きで判断したようだ。少女は話しかけてきた。セツナは観念して顔を上げた。

「私メアリーよ。メアリー・マクドナルド」

「……セツナ・ノースエル」

「セツナ? 変な名前ね」

「日本の血が混じってるの」

「ああ、それで」

 彼女はジロジロセツナを眺めて何かを納得したように頷いた。強烈に身体が強ばるのを感じた。

 やっぱりヨーロッパの子から見るとセツナの見た目は明確に何かが"違う”のだ。

 

「何読んでるの? 教科書? あなたって真面目ね!」

「う、うん、ありがとう……」

「なんの教科が楽しそうだと思う? 私は変身術が気になったわ! ママが得意科目だったって言ってたの。パパは魔法薬学だけど、私虫やら蛙の死骸を刻むのが楽しいとは思えないわ」

「えっと……」

 

 メアリーがペラペラ喋り掛けてきてくれたが、セツナは半分ほどしか聞き取れず口ごもった。メアリーに見つめられて曖昧に頷くと彼女は眉を寄せた。

「……どこの寮に入りたいとかある?」

「えっと……あんまり……」

 ボソボソと喋るのでメアリーは何回も聞き返さなければならなかった。しかも、セツナは積極的に返事をしてくれないし、表情も長く陰気な前髪に隠れて伺い知れない。とりあえず、笑顔は浮かんでない。無表情で体は強ばっていて非友好的だ。

 ずっとそわそわオドオドしていて、前髪からちらちら見える目は不安そうにキョロキョロしている。

 

 あまりにも親しくなる気がないセツナの態度にメアリーはだんだん口を開かなくなった。

 セツナは申し訳なさと悲しみに襲われたが、同時に安堵してまた本に目を落とした。

 

 

 沈黙の時間を強いノックが切り裂いた。大きな音に軽くセツナは飛び上がった。

「どうぞ?」

「ごめんなさい、ここ座れるかしら?」

 険しい顔つきをした赤毛の女の子が問いかけた。メアリーが頷くと、黒髪で猫背の少年も後から入ってくる。

「私メアリー・マクドナルドよ。あなた随分ご機嫌ナナメじゃない? どうしたのよ」

「ああ、嫌だわ、私……。さっき感じの悪い人たちに会って、つい。リリー・エヴァンズ。リリーって呼んでちょうだい」

「……セブルス・スネイプだ」

 少年はそれきりむっつり黙り込んだ。セツナの隣に座ったが、興味を示すことは無かった。

「あなたは?」

「……セツナ・ノースエル……」

 俯きがちに返事をしてすぐに本に逃げると、リリーはメアリーと会話を始めた。2人はすぐに仲良くなって盛り上がり始め、セブルス・スネイプは置いてけぼりになった。彼はリリーの顔を見つめたあと、黙って本を読み始めた。

 

「嫌なことって?」

「男の子たち2人が初対面でいきなりバカにしてきたの。私の真似して、本当に嫌な人達だったわ」

「いきなり災難だったわね。ねえ、リリーはどの寮に入りたい?」

 むっつりとリリーは黙り込んだ。戸惑ってメアリーは顔を覗き込む。

「なに? どうしたの?」

「私マグル生まれだから……あんまりホグワーツの寮に詳しくないし、行きたいところも決まってないの。あの子たち、それをバカにしてきたわ」

「なんだ、そんなこと」手をヒラヒラしてメアリーが快活に笑う。

「私が教えてあげる」

「いいの? ありがとう!」

 

 嬉しそうな彼女と対象的にセブルス・スネイプの顔は渋くなった。彼はリリーにスリザリンに入って欲しかったが、このメアリーという人間もどうせリリーに悪いことを吹き込もうとしているに違いないと思って、歯を噛み締めた。

 

「ホグワーツには4つ寮があるの。獅子がモチーフのグリフィンドール。勇敢で騎士道精神を重んじる逞しい人が入るわ。強気で単純な人も多いけどね。

 蛇がモチーフのスリザリンは、悪い噂が多いわ。闇の魔法使いをいっぱい出してる」

「闇の魔法使い?」

「つまり犯罪者ってこと。悪い魔術を使うの。しかも差別主義者よ。でも、彼らは気品に溢れてて、必ず目的を達成する強さがあるわ。極端な人たちなの。

 鷲がモチーフのレイブンクローは頭が良くて、好奇心が旺盛で、変わり者が多いわ。周りを気にしない人達ばっかり。学術的に成功を収めるならここね。

 ハッフルパフは穴熊モチーフよ。彼らのことのんきでとろくて劣等生って言う人は多いけど、みんな優しくて真面目で心が広いわ。協調性も高いし、みんなと仲良くしたいならハッフルパフが1番だわ」

 彼女の説明は主観も多かったが分かりやすく、リリーはにっこりした。

 

「セブルスはスリザリンがいいって言ってたわ。あの人たちはグリフィンドールがいいって」

「ふうん」

 メアリーはセブルスを眺めて、リリーを見た。

「まあ、スリザリンも悪くないところかもしれないけど。でもリリーはマグル生まれなんでしょ? スネイプ……だった? あなたも?」

「……僕の母は純血だ」

「でもマグルで育ってる。スリザリンに入りたいの?」

 スネイプは陰気な目つきで激しくメアリーを睨んだ。怯んだ彼女を見てリリーが眉を釣り上げる。

「セブ! どうしてそんな目をするの?」

「リリー、これはその女が……」

「彼女は親切にしてくれたわ」

 セブルスはたじろいで、もごもご言葉にならない何かを呟いたあと、不貞腐れたようにまた本を読み始めた。

 

 セツナは会話を途切れ途切れだったが理解して、不安に襲われていた。

 イギリスの子達は日本の子どもたちよりよっぽど論理的にまっすぐぶつかってくる上に、子供らしく感情ですぐ好き嫌いを判断する。

 日本で生まれ育ったセツナにとって、英語はまだ馴染みきれないものだった。10歳の頃にイギリスの母の実家に来て1年経ったが、話し相手は叔父くらいしか居なくて、母親はいつも仕事でなかなかゆっくり話せなかった。聞くのはできるけれど、話すことは性質も相まって苦手だ。

 小さい頃から英語を習っていたからある程度は出来るものの、実践的で生活に根ざしたものとは到底言えない。

 

 ホグワーツに近付いて、ローブに着替える間もセツナは無言だった。メアリーやリリーはセツナより背が高くて、スラッとしていた。

 セツナは群を抜いて小さかった。

 

 日が暮れきった頃、やがて汽車が止まり、悲壮な表情で手のひらが白くなるほどトランクを握りしめる。

 

 ボートの上から見る黒々とした湖や、威圧的な城はセツナを萎縮させ、まるで飲み込まんばかりだった。

 とうとうホグワーツ生活が始まってしまうのだ。

 

*

 

「エヴァンズ・リリー!」

 厳格そうな固い声で名前を呼ばれ、リリーは少し強ばった面持ちで帽子を被る。少しして、帽子が叫ぶ。

「グリフィンドール!」

 嬉しそうに笑ってチラッとセブルスを見てから、彼女は赤のローブたちに紛れた。

 コンパートメントで一緒だったメアリー・マクドナルドもグリフィンドールへ。

 

「ブラック・シリウス!」

 不機嫌な顔つきをした黒髪の男の子が前に出ると、他の生徒とは違うざわめきが訪れた。「ブラック家か……どうせスリザリンだろ」誰かが言った声には、聞きなれた、嫌な感じが籠っている。

 彼はしばらく帽子を被っていた。

 段々静寂が訪れて、周囲の怪訝な反応にセツナがよく分からず戸惑っているうちに、全校生徒の視線が彼に注視される。

 張りつめる沈黙の中、帽子が静寂を破る。

 

「グリフィンドール!!」

 

 シーン……と痛々しい沈黙が肌をざわつかせた。少年はポカンと端正な顔を混乱と驚愕に染め、徐々にゆっくりと歓喜を滲ませた。遠くからでも分かる綺麗な真っ白な顔に興奮したように赤みが広がっていく。

 白髪の、まるでサンタクロースみたいなおじいさんが拍手したのをきっかけに、先生たちがパチパチと手を叩いた。

「やったなシリウス! 君はやる奴だと思ってた!」

 近くの男の子が突然拳を振り上げてジャンプしたので、セツナは驚いて仰け反った。先生たちのまばらな拍手の中、彼の行動はひどく目立った。

 黒髪の少年はそれを見て弾けるように笑った。自分に向けられたわけじゃないのに、思わずドキリとしてしまうくらい無邪気な笑顔だ。

 今まで見てきた人たちの中でもっともうつくしい顔立ちをしている。セツナの中のいちばんは母親のシンディーだったが、彼は男の子なのに、たぶんシンディーよりもきれいだ。

 

「スネイプ・セブルス」

 コンパートメントで一緒だった陰気で無口な彼は、足を引きずるようにして帽子を雑に被り、スリザリンへと分けられた。彼はグリフィンドールを見てから、スリザリンの生徒に肩を叩かれ、緑色の仲間になった

 

「ノースエル・セツナ!」

 セツナの番だ。小さく呻いて俯きながら前に進んだ。全方位から視線が突き刺さって死にたくなった。帽子を深く深く被って視界を暗くする。

 

『フーーーム、なるほど』

 耳のすぐ側で、あるいは頭の中で深い声が響いた。帽子はセツナに聞かせる気があるのかないのか、ブツブツブツブツ呟いている。

 

『君は臆病者だ。かつ優柔不断、勤勉で我慢強い……ヘルガの求める人材にピッタリだ。

 しかし、俯瞰的・論理的な思考をする素地があるようだ。研究者、学者的要素も満たしている。フム、悩ましい、悩ましい……』

 

 自分に相応しい寮がどこかもわからなかったし、どこでも上手くやれる気がしなかった。帽子が悩んでいるのがセツナの心を焦りに苛ませた。

 

『何、君に資質が無いから迷っている訳では無い。人はひとりひとり多くの可能性を秘めている。もちろん、君がどうなりたいかもまた可能性だ。君はどう思っている? 何を望む? なぜ、ホグワーツに来たのかね?』

 

 帽子は実に難しい質問を投げかけてきた。

 セツナは他の生徒よりもずっと長く時間がかかった。

 望みを聞かれても深く考えたことは無かった。ホグワーツに来たのも、家にいるよりはいいと思ったから。母の顔を悲しく歪ませたくなかったから。

 でも、どうなりたいかは分かる。

 

 もう、あんな思いはしたくない。

 セツナは自分の弱さが大嫌いだ。自分が大嫌いだ。強くなりたい。変わりたい。もう誰にも酷いことをしない、弱さに振り回されない、強い心が欲しい。

 それがセツナの心にあるいちばん強い望みだった。そういう人間にセツナはなりたかった。

 

『よろしい、君が最も望むのは己を変える勇気と強さだ。それならば──グリフィンドール!』

 

 帽子は高らかに叫んだ。

 

 

 拍手に歓迎されながら、セツナはおずおずと赤色のローブが集まる場所へ進む。穏やかな鳶色髪の少年が席を空けてくれて、リリー・エヴァンズがグラスを差し出してくれた。

「セツナだったわよね? 一緒になれて嬉しいわ」

「……」

 セツナは戸惑って微かに会釈をして俯いた。人の話し声がザワザワ蠢いて、左右から話しかけられてもなんて言われているのかよく聞き取れない。

「初めまして、僕はリーマス・ルーピン。これからよろしくね」

 差し出された手をそっと掴み、素早く離してセツナも小さく言う。

「セツナ・ノースエル」

「セツナ、って言うんだね」

 

 名前の響きを確かめるように口の中で転がして、リーマスが人の良さそうな穏やかな笑顔を浮かべた。セツナは何故か親近感を覚えた。

 その笑顔は親しみやすさを演出するための愛想笑いのように感じられたというか……。そう、日本人的だった。彼はすぐ他の人に話しかけられたり、話しかけたりしていたが、どこか一歩引いている感じがした。思わず彼の横顔を見つめていると、視線に勘づいたリーマスが「どうかした?」と小首を傾げるので、慌てて首を横に振ってセツナはグラスをちびちび舐める作業に戻った。

 

 パーティーの最中、セツナは誰かに何回か話しかけられたが、そのどれもに曖昧に頷いたり、グラスを眺めたりして、ほぼ会話らしい会話をせずに終わってしまった。

 人の視線や、他人とのコミュニケーションが怖かった。

 

 

 グリフィンドールの談話室は素敵な空間だった。

 塔の最上階にあるグリフィンドール寮はモチーフカラーである真紅を基調とした、暖かみのある壁や調度品で整えられ、家具のふちの金色が炎のゆらめきと共に鈍く光っている。

「ははっ、最高だね!」

「ああ……」

 はしゃいだ笑顔のくせ毛の男の子に話しかけられても、黒髪のハンサムな少年はぼうっとした顔で談話室を見渡している。

「獅子の暖炉、赤い絨毯、騎士のタペストリー……そして赤と金のローブにネクタイ……俺は本当に……」

 黒髪の少年は弾けるようにくせ毛の少年の肩に腕を回した。

 

「サイコーの気分だぜ! なあジェームズ! 本当に最高だ!」

 

「ハハッ、そんなに喜ぶことかい? 僕はグリフィンドールになるって分かってた。もちろん君もね」

 感じ入った様子のシリウスに笑いかけて、ジェームズは彼の艶ややかな髪をくしゃくしゃに撫で回した。

 シリウスの瞳は星を詰め込んだみたいにきらきら光っていた。何人もの女の子が彼の笑顔に見蕩れてうっとりとした。

 

 それから、監督生という、高学年のリーダーが1年生を一纏めにしていろいろと説明してくれた。グリフィンドールは最高の寮だとか、寮のプライバシーを守るために定期的にパスワードを変更することや、棟に入る時はファットレディの肖像画にそれを伝えること。他寮生にパスワードと寮の場所を明かさないこと。門限は21時で、それ以降は寮の外出は完全禁止なことや、各寮で点数を競い合っていること。

 ネイティブな英語はセツナにはまだ難しいところがあったが、監督生は分かりやすく、非常にていねいに話してくれたので、セツナは小さな手帳に必死に言われたことをメモした。

 

 生徒が解散されると、隣にいた女の子……リリー・エヴァンズがにっこりと微笑んだ。

「ちゃんとメモまで取っているなんて偉いわ! 私、真剣に聞かなきゃって分かっていたんだけど、寮があんまりにも素晴らしいものだから、つい色んなところに意識が飛んじゃったの」

 彼女は食事の際もこうして声をかけてくれた。セツナは困って、曖昧に微笑を浮かべて頷いた。リリーは親切な女の子だと思うし、ハキハキしているが、興奮しているのか少し早口でセツナにはコミュニケーションが難しい。

 

「……あの、わたし、部屋に行ってみるね」

 おずおずと切り出すと、リリーは「それはいいアイディアだわ」と手を叩いた。

 彼女は当たり前のようにセツナの隣を先導するように歩き始めた。セツナはまた少し曖昧に笑って何も言わず彼女についていく。

 

 

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