女子部屋は3人ないし4人部屋に分けられていた。セツナは4人部屋で、ネームプレートにはセツナの上にリリーの名前が書いてあった。
「まあ! 同じ部屋なのね!」
彼女は思わずと言ったようにセツナの手を握り、驚いて肩をすぼめた。喜怒哀楽が大きくフレンドリーで自分とは真逆な彼女に圧されるセツナの様子に気が付いたのか、「あ、ごめんなさいね」と少し申し訳なさそうに手を離す。嫌だったわけじゃない。慌てて首を横に振る。
セツナは1番奥にあるベッドを自分のものにすることにした。2つずつ向かい合って並ぶ、四本柱の天蓋付きベッドは、日本人が思うセレブの女の子の憧れのベッドのようでセツナは少しドキドキした。
腰掛けると柔らかい反発があって、壁には騎士が戦っているところを描いたタペストリーが飾ってある。
トランクを開いて室内用のスリッパを取り出し、自分の靴を扉の近くにさりげなく置くと、リリーが奇妙な顔つきで眺めていた。
「何してるの?」
「靴を……」
リリーは首を傾げる。
「日本だと、部屋の中は靴を脱ぐから。こ、ここに外用の靴を置いてもいいかな」
「かまわないと思うわ」
小さくお礼を言って、ベルベットの赤いカーテンを閉じる。誰かと暮らすのは家族以外では初めてで、プライバシーの無い生活には不安しかないけれど、他者からの視線を遮ると僅かばかり心が落ち着きを取り戻した。
朝はどうやって起きればいいんだろう。
一応日本にいた時から使い慣れたちいさな置時計を持ってきてはいたが、ホグワーツに入った時間から動きを止めていた。
シャワーを浴びたかったが、いちばん最初に使っていいのかも迷った。ほかの2人はまだ談話室から戻ってきていなかった。
セツナはローブを脱いで、制服からパジャマに着替えた。特に飾り気のないシンプルなトレーナーにズボンだ。シンディーは花柄とか、華やかな黄色やピンクの服をたくさん買い与えようとしてくれたけれど、セツナはそれを断って、よく言えばシンプルで質素、悪くいえばこの上なく地味な服ばかりを持ってきていた。
人の目を惹くようなものを着るのは怖い。
ただでさえセツナは日本とイギリスのハーフで、他の子と違うのに。
見た限りでは1年生でアジア系の生徒はたぶんいなかったし、イギリスの魔法族が多く入学するホグワーツで英語に自信が無い子も少ないだろう。
カーテンの合間からこっそり外を伺うと、リリーはセツナの隣のベッドを選んだようだった。彼女は荷物を片付けながら家族の写真を並べたり、教科書を読んだりしている。
「お、お風呂に入ってもいいかな」
「? いいと思うわよ?」
「ありがとう」
なぜそんな質問をするの? という顔をしてリリーは答えた。セツナが小さくお礼を言うとますます不思議そうな顔を浮かべる。セツナは媚びるように少し笑ってカーテンをシャッと閉じ、人目をはばかるようにシャワールームに向かっていった。
イギリスのお風呂は日本みたいに浴槽とシャワーが分けられているものじゃなくてまだ少し慣れない。お湯に浸かるのを懐かしく思いながら、セツナは素早く頭と身体を洗い、素早く身体を拭いた。ドライヤーがないし、コンセントもないし、そもそもホグワーツで電化製品は使えないとのことだから、仕方なくセツナは丹念にタオルで水気を吸い取った。
セツナは黒髪だが光に透かすと少し赤みがかっていて、ヘーゼルの瞳をしていた。このせいで日本にいた頃は周りの子から浮いてしまい、よくはぶかれたり、虐められたりしていた。
周りの子と違うことをからかわれるのは恥ずかしかったし、とても傷ついたけれど、生まれた時から日本に住んでいたセツナの内面はある意味でとても日本人的だった。時には笑って流し、時にはただ耐えて、何も言い返せない。ひたすら人目を避けて、我慢して、特に人と違う目を隠すように前髪を伸ばした。
さらには、セツナは魔女だったから……不思議な現象をよく起こしてしまった。子供たちはセツナを化け物のように扱ったし、先生も気味悪がってセツナに必要以上に関わろうとはしなかった。
色々あって両親が離婚することになり、10歳の頃イギリスにやってきたが、小さい頃から英語を勉強してきたとは言え、まだあまり言葉をあやつるのは得意じゃなくてホグワーツでの生活が不安でたまらなかった。
1日過ごして思ったのは、こっちの子供たちは日本人よりとても大人びて見えるし、大声で話すから怒っているようで怖いし、人とぶつかり合うことが当然だということだ。
自分の思ったことを言うのが当たり前で、セツナはそれが上手くできない。性格も言語的な問題も文化的な問題もある。
セツナはすでに母のシンディーと叔父のデイヴィッドに会いたかった。
明日にはグリフィンドールに組み分けされたことを手紙に書いて送ろう。返事がなんて返ってくるか分からないけれど、きっと喜んでくれるだろうし、あのふたりを安心させてあげなきゃと思って、セツナは自分を励ましながらベッドに横になる。授業のことを考えて気を紛らわせていると、気付けばウトウトと微睡みに落ちていた。
*
目が覚めて、自分が知らない場所にいることに気付いて飛び起きた。不安げに周囲を見渡し、赤のカーテンを見て自分のいる場所を思い出す。
そろりと準備を整えて、セツナは談話室に降りていった。同室の女の子たちはまだ眠っているようだった。
制服もローブもぜんぜん着慣れなくて、自分が場違いな場所にいる感覚がする。身体を覆い隠すローブは動きづらく、ダボついて動きが阻害される。
暖炉のそばに何人かがいて、セツナはそこから離れたひとりがけのソファにそっと座った。談話室の壁にかかる大きな掛け時計は7時を示している。
たしか、9時から授業があり、8時半まで食堂があいているはずだった。
「早く行こうシリウス! 朝食をかきこんだらすぐホグワーツの探検だ!」
「落ち着けよジェームズ。寝癖も直ってねえじゃねえか」
「あっ、今僕を馬鹿にした? 残念だよ、このパーフェクトなヘアースタイルはブラックのお坊ちゃんには理解出来ないみたいだ」
賑やかな声が近付いてくる。くしゃくしゃ髪の男の子……ジェームズの髪は、シリウスの言う通りあちこちに前衛的に跳ねまくっていた。軽く皮肉られても全く気にせずバタバタと階段を駆け下りた。
ふたりはもう1限目の教科書を抱えている。
初日から探検だなんて、授業に遅れたらとか、迷ってしまったらとか考えないのだろうか。セツナには信じられない。
昨日すこし歩いただけでもホグワーツは難解で困難で、生活する上でまったく必要なさそうな仕掛けがたくさん施してあることが分かったのに。
厚ぼったい前髪の下からつい目立つふたりに視線が吸い寄られてしまったことに気付いたのか、シリウスがチラリとセツナを見た。彼はすぐにふいと興味無さそうに逸らしたが、ジェームズはセツナに気付いて屈託なく「おはよう」と笑いかけた。
まさか話しかけられるとは思わず、一瞬喉が詰まって、なんとか「……おはよう」と返した。逃げるように俯いてしまうのは避けられなかった。
「君も1年生だね? あー……ソファで膝を抱えて初日の朝を過ごすのは楽しいかい?」
たぶん彼に悪気は無いのだろうし、イギリスは皮肉と嫌味とブラックジョークとからかいが飛び交うのは知っていたが、顔が熱くなるのは抑えられなかった。
困って黙り込んだセツナにジェームズとシリウスは顔を見合わせて眉を上げた。
「行こうぜ、ジェームズ。時間がなくなる」
「そうだね。じゃ、有意義な朝を!」
セツナは僅かに頷いた。彼らはさっさと背を向けて歩き出していたので、それに気付いたかどうかは定かではなかったが。
日本でコソコソ悪口を広めたり、クスクス笑ったり、セツナの持ち物をこっそり隠したりするのは主に女の子だったが、セツナは男の子のほうが苦手だった。
彼らは声が大きいし、すぐ怒鳴ったりどついたりする。力も強くて、クラスのみんなの前で面白そうにセツナをからかってバカにするのは男の子の方が多かった。みんなと違うセツナを最初に得意げに責め始めたのも男の子だった。
朝ごはんはもう少し時間が経ってから食べよう。
セツナは同室の女の子と……いや、ホグワーツの子供たちと自分がどう接するべきか決めあぐねていた。
人と関わるのは、怖い。
嫌われるのも怖いし、何か言われるのも怖い。心が揺れ動いて、自分の心が自分の意志を離れてしまうのも怖かった。
グリフィンドールは勇敢な人が入る寮だと監督生が得意げに教えてくれたけれど、自分が相応しいとはとても思えない。
でも、友達がひとりも出来なかったらママは……。
ただでさえセツナが虐められていたことや、離婚したこと、セツナを死ぬほど心配していること、確執があって気まずい実家で頑張っていることを考えると、シンディーにこれ以上心配事を増やすわけにはいかなかった。
シンディーは娘のセツナが言うのもおかしいけれど、あんまり精神が丈夫じゃない。最近分かったことだけれど、セツナの色々考えて不安で踏み出せなくなるところは、たぶんシンディーに似たんだと思う。
いきなりみんなと友達になるのはむりでも、たとえばリリーなら……あの親切な女の子なら……。
去年まで学校に通っていたし、ごく短い期間だけれど、友達がいたこともあるからわかる。友達作りは最初が肝心だった。仲のいい子たちをそれぞれ見つけて固まり切ってしまう前に、セツナもどこかに入れてもらわないと、またひとりぼっちになってしまう。
ひとりぼっちは気楽だけど、みじめだ。ママにまた心配させてしまう。
セツナはなんとか勇気を振り絞って、ベッドに戻り授業の準備をして、リリーが起きるのを待った。
最初に起きたのはメアリーだった。メアリー・マクドナルド。彼女が起き上がって鏡の前で髪の毛を整え始めたので、セツナはカーテンを開けて、なんとかその背中に声をかけた。
「お、おはよう、メアリー」
「あら、起きてたの。おはよう、セツナ」
彼女はニッコリ笑って返してくれたので、緊張がほっとほどけた。汽車の中ではいい印象を抱いてもらえるよう振る舞うことができなかったけれど、彼女はリリーと気があっていたみたいだからきっと一緒に行動するはずだ。
彼女と頑張って仲良くならなければならない。
「あの……」
「何?」
メアリーは鏡越しにセツナを見た。シンプルな「What?」はセツナの気力を挫きそうになったが、なんとか言い切った。
「あの、ホグワーツって大きくてめちゃくちゃで……ひとりだと迷っちゃいそうな気がするの。だから、もし良ければ……一緒に朝ごはんを食べに、い、いかない?」
「……」
彼女は観察するように鏡越しにまじまじとセツナを見た。鏡の中の彼女は少し驚いているように見える。
制服のネクタイを直してメアリーは振り返った。
「いいわ、行きましょう」
「ほ、ほんとに? ありがとう」
「でも、あなたは私を好きじゃないと思ってた。それに、そんなに喋れるなんて知らなかった」
ニヤッと唇を釣り上げるメアリーの言葉がジョークだということは分かっていたが、セツナは慌てふためいて必死に首を振った。
「そっ、それは誤解なの! あの、汽車の態度は良くなかったよね、ごめんなさい……」
「やだ、軽くからかっただけよ」
メアリーは目をパチパチさせた。
「わたし、日本で暮らしてたから英語が得意じゃなくて……。ゆっくりなら聞き取れるんだけど」
「そうだったの。じゃあホグワーツは大変でしょうね。あー、えっと、このくらいなら大丈夫そう?」
セツナは頷いた。前髪で隠れて見えづらいが微笑んでいるようにも見える。汽車の中では非友好的で仲良くしづらい子だと思ったが、メアリーは思ったよりもいい関係が気付けるかもしれないと思った。
リリー・エヴァンズのほかにもうひとり女の子がセツナの同部屋だった。いちばん遅くまで寝ていた彼女はふわふわあくびをして、昨日すでに交流していたらしいメアリーに急かされながらのんびり着替えると微笑んだ。
「待たせちゃってごめんなさい。アリス・ステイシーだよ。よろしくね」
4人は食堂に向かった。
グリフィンドールの出口は肖像画が開いた穴から降りる必要がある。セツナはイギリスの子供たちの8、9歳程度の背丈しか無いので、這うようにして恐る恐る降りなければならなかった。
セツナの前でリリーとメアリーが楽しげに話している。隣のアリスは、なんというかすこし変わっていて……喋る絵画とか、ゴーストとか、気を取られたものにいちいち足を止めるのでセツナは何回か彼女の手を引っ張る必要があった。
ホグワーツの食事は豪華だった。母の生家で冷遇されているセツナだったが、ノースエルは名門で最低限の生活は義務的に保証されていた。食べ物に困ったことは無かったし、いつも何種類もの前菜が出た。その家に比べてもホグワーツは豪華だった。
「どうして勝手に食事が出てくるのかしら。昨日のはダンブルドア校長が出したのかと思ったけれど、違うようだし」
スコッチエッグを頬張りながらリリーが独り言のように呟いた。「たしかに」コンパートメントでは色々教えてくれたメアリーも知らないらしい。
魔法で食事も作られているのだろうか? テーブルやこの食堂に自動的に食事が作られるように魔法がかかっているとか?
「あれ、しらない?」紅茶を上品に飲んでいたアリスが首を傾げた。
「ホグワーツはハウスエルフをたくさん雇っているの。彼らが作って生徒がきたら出してくれるんだよ」
「ハウスエルフがいるの?」
嬉しくない事実に思わず顔を顰める。
ノースエルの屋敷にも何匹かいたけれど、彼らは薄汚くて、キーキー耳障りな声がするし、何よりとても意地悪だ。よく「穢れた血め」とか「居候の穀潰し」とか「平べったい顔のイエローモンキー」とか酷いことを言われる。あんまり好きな存在ではなかった。
「ハウスエルフって何?」
「リリーはマグル生まれなんだっけ? 彼らは屋敷に就いて、屋敷の主人に仕える魔法生物だよ。労働と奉仕を最高の栄誉と捉える魔法使いの優しい友人」
「へえ、そんな生き物がいるのね」
「聞いたことあるわ。お金持ちの家にしかいないから見た事はなかったけど」
感心して頷くリリーとメアリーの横で、セツナは自分の耳を疑っていた。魔法使いの優しい友人? 聞き間違い? でも、アリスの喋り方はゆっくりしているからセツナでもちゃんと聞き取れる。
ハウスエルフについての認識がまったく違くて、セツナは驚いた。
もしかしたら住む家とか、主人によって生態や性格がすごく違うのかもしれない。
お世辞にもセツナの祖父母は親切とは言いがたい人だった。しかも、シンディーの前では優しいふりをするのだ。