真正面から迫る影へ拳を突き出す。しかし残念かな。ダメージを与えるどころか、触れることさえ叶わない。手ごたえを得られないまま標的を通り抜けた拳は空を切り、次の瞬間には背後から襲う衝撃に弾き飛ばされる。
地面を何度もバウンドしながらも両手を器用に使い、後方宙返りしてから着地。反射的に両手に生み出したエネルギー弾を恐ろしい勢いで追撃を仕掛けてくる桃色の己へと放った。そして確実に命中したことを示す爆発音と火柱が上がる。
しかし、オリジナルである彼が速度を緩めることはない。むしろ、〝今、何かしたか?〟とでも言いたげな猟奇的な笑みを浮かべ、更に速度を増して突き進み、揃えた両足で虚像の腹部を踏み抜いていく。
「おい、どうした? 口数が減ってきてるぞ? ほらほら、さっきみたいに楽しそうに煽れよ、貶せよ。オレは全部否定してやるからよっ!」
『ッッ……』
痛む腹部を庇って後方へ回避を試みたが、それを許さないと言わんばかりに放たれたエネルギー波が左脚を消し炭にする。片足を失い、バランスを崩した体が前向きに倒れ込みそうになった。しかし倒れる隙すら彼には与えられなかった。
本当に一瞬、ほんの僅かに視界に捉えた拳に顔面を打ち抜かれ、今度は天井へ向けて打ち上げられた。
「イヒヒッ! なあ、この程度か? こっちはまだまだギアを上げられるぞ」
『くっ……なん、でっ!』
虚像である黒い仁は困惑していた。
虚像としての性質上、強さは互角。それ以上でもそれ以下でもない。もし本物の仁が自身の負を受け入れれば弱体化し、拒絶すれば強化される。そんな些細な変化こそあれど、基本的なステータスに差があるはずがなかった。
例外として、ハジメは戦いながら成長することで虚像の自分を上回りはしたが、それは相手によって戦い方を変え、手札を変え、強さを変えるハジメだからこそ可能なギリギリの攻略法だ。
魔人ブウとしての力を未だ引き出しきれていない仁もその攻略法自体は可能であったが……これは違う。そんな目に見えてわかる変化を仁はこれまで見せてこなかった。
なのに……。なのに……。なのに……。
『なんでっ!
仁はハジメのように開き直れる図太さを持ち合わせていない。雫のように己の負を受け入れる道を選びもしなかった。彼が選んだのは、最も簡単かつ愚かな選択。
拒絶による対立だった。
そうなれば黒い仁が強化されるのは必然。本来ならこの勝負、黒い仁が圧倒しているはず……圧倒していなければおかしい戦いだったのだ。
だが結果は真逆。
拒絶される度に強くなっていく黒い仁よりも更に速く、更に硬く、更に強く。仁は常に成長し続ける自分を上回り続けていた。それこそまるで、
「なんだ? まだ分からないのか?」
『っ……?!』
空中で動きを止めた黒い仁の背後から聞き覚えのある声が届く。そこには逆さの状態で背を向けて浮かぶ仁の姿が。咄嗟に黒い仁は振り返りながら裏拳を振るう……しかし当たらない。
〝瞬間移動〟で真下に回避した仁に脚を掴まれ、黒い仁は地面に叩き落とされてしまう。
『がはっ! くっ……はぁはぁ……』
「そもそもな、そんな小細工でオレに挑もうって考え自体が甘いんだよ」
『な、にが……いいたい……』
「難しいか? ならもっとシンプルに考えてみろ。おまえはオレの虚像である以前に、解放者ヴァンドゥル・シュネーが作った大迷宮に刻まれた魔法によって生まれた生命体だ」
仰向けに倒れる黒い仁のすぐ近くにゆっくりと着地した仁は、もう一人の己を見下ろしながら、指をクイッと曲げる。あからさまな挑発だ。黒い仁は飛び上がるように上体を起こしてストレートパンチを繰り出すも、それもあっさりと掴み取られる。
「もしかして本気で思ってたのか? たかだか魔法で作られただけのおまえが……魔人ブウと同じ強さを持つって」
『……僕が、不完全だったとでも言いたいのかっ!』
「いいや、おまえに落ち度はないさ。これはオレが強過ぎただけ。相手が悪かったってやつだな」
大迷宮から生まれた虚像達はオリジナルと寸分の狂いもない強さを持つが、人の手によって生まれた存在である以上、そこには必ず限界が存在する。つまり、いかに虚像であろうとも許容量を超える強さは再現できないのだ。だからこそ、仁は何かしたわけではない。何かする必要もない。
ただ本気で戦うだけで、虚像を上回ることができる。
いくら解放者であっても、魔人ブウと同レベルの虚像を作るなんて不可能だ。もしそれが可能であったなら、解放者達がブウ一体に全滅近くまで追い込まれることもなかっただろう。仁は最初からそれを当然のこととして理解していたのだ。
『あ、ありえない……そんなの、試練として成り立たない……』
「だよな。それはオレも思った。だからわざわざおまえを否定してやったろ? オレに追いつけるように」
『なっ……僕を強くするために、わざと僕を認めなかったのか!?』
「ああ。だって、そっちの方が面白いだろ?」
理解不能な仁の行動に、黒い仁は驚愕のあまり顔を青く染める。
そしてその反応を見て。仁は確信する。相対する虚像の自分は、〝魔人ブウ〟ではなく〝風磨仁〟を元に生まれた存在なのだということを。
元々、風磨仁という人間は少しずれてはいるものの、少なくとも光輝に常識を口にできるくらいには普通寄りの人間だ。だからこそ、風磨仁が風磨仁のままでは理解ができるはずがない。
強敵との殺し合いによる、歓喜を。
「さあ~て、じゃあそろそろ終わらせるかな」
『なにをっ!』
「全力で行くって意味だ。オレならそれぐらい察しろ間抜け」
直後、仁は今度こそ完全に気を解放し、全身に暴力的なまでのどす黒いオーラを纏わせる。
あまりに桁違いな気に防御に意識を集中させた黒い仁だったが、それでも今の彼では仁の姿を捉えることなどできない。瞬きする間で懐に潜り込まれ、無防備な体にボディーブローが突き刺さる。
「よーい、ドンッ!」
拳を振り抜き、再び上部へと殴り上げられたもう一人の己を追って、仁も跳躍する。
咄嗟に体勢を立て直したばかりの黒い仁へと間を置かずにエルボー。再び吹き飛ばし、今度を体勢を立て直す前に顔面に拳を叩き込む。そこから続けざまに腹、顎、胸、腕、足。怒涛の連撃を叩き込み、最後に横腹を蹴り上げ、またもや黒い仁が勢いよく吹き飛んでいく。
ただでさえ膨大な気を更に増幅させて加速し、黒い仁へと突進。勢いそのままに頭突きを食らわせ、頭を大きく逸らしたところに蹴りを放つ。しかしギリギリで意識を繋ぎ止めた黒い仁はそれを己の腕で防いた。そして零距離での殴り合いが始まった。
回避などない。拳を肘で、蹴りを腕で、膝を膝で、肘を脚で、己の肉体を矛に、そして盾にし、激しい攻防を繰り返す。だがその最中に仁の肘打ちが黒い仁の顔面に直撃し、拮抗は一瞬にして崩れ去った。
回避など許さず、防御されるよりも速く。一瞬にして何十もの打撃を虚像の自分へ打ち込んだ仁は怯んだところを狙い、脚を両手で掴むとハンマー投げの要領で投げ飛ばす。
飛んでいく黒い仁を追いかけて飛んだ仁は組んだ両手を振り下ろして背中を殴りつけ、黒い仁を叩き落す。そして地面にクレーターを作って墜落したのを確認してから、指先に気を集中させ、気のレーザーを放った。
一発や二発ではない。その数は約三十発。貫通力に特化させた光線の全てが黒い仁の体を貫いていく。そしてとどめの一撃と言わんばかりに膨大な気を指先に集中させると、超極太のレーザーが放たれた。
「砕けろ」
『うっ……あぁあああああああ!!』
黒い仁の悲鳴が試練のため用意された空間に反響する。
黒い仁は仁のように超人的な再生能力こそ持っているが、その速度はオリジナルには大きく劣る。それでもハジメ達とは比べ物にならないタフさを誇るが、仁のようにほぼ無尽蔵というわけではない。加えて、虚像である彼の攻撃は仁にとって大したダメージに繋がらないが、逆の仁の攻撃はダイレクトに体に痛みを与える。そこにもう勝ち目はなかった。
『ぐっ……まだだ、まだ! 負けてない!!』
もう瀕死と言っても遜色ないほどにボロボロの状態から肉体を再生させた黒い仁は地面を殴りつけて立ち上がると、片腕を掲げ、巨大な赤黒いエネルギー弾を掌の上に生み出し、地面に降り立った仁へと放り投げた。
「バニシングボールか。……まっ、オレならそれも使えるよな」
仁が持つ切り札、その中でも最高火力かつ相手を殺すための一撃。それが今、仁へと向かって迫ってきていた。
自分の最強が自分を襲う。普通であればもう少し焦りそうなものであるが、仁にその様子はない。むしろ笑みを浮かべて今もなお迫る殺意の塊を待ち受けていた。
避けるわけにはいかない。あんなものが直撃すれば大迷宮どころか、この星そのものがただでは済まないだろう。ならば、仁のやるべきことは決まっている。
「はあっ!」
蒸気のように溢れ出す膨大な気を全身に纏わせると、仁はバニシングボールへと向けて走る。そして真正面から膝を衝突させた。仁のしようとしていることは至極単純。膨大な破壊力を宿すエネルギー弾を力技で蹴り返そうとしているのだ。
通常ならば、まず不可能。しかし仁は、それをさも当たり前のようにやってのけてみせる。
「てやぁ!!」
仁が脚を振り上げ、バニシングボールを蹴り上げた。惑星一つくらいなら容易に破壊を可能とする脅威を誇るそれは、地面に着弾することはなく天へと上り、天井を破壊し、更にその先へ見えなくなるほど遠くまで消えていった。
『そ、んな、馬鹿な……』
「隙あり!」
『あぐっ!?』
自分の生み出した最強の一撃が天へと消えていった光景に、唖然としていた黒い仁へ、仁の全力の蹴りが叩き込まれた。衝撃は体を貫通し、凄まじい勢いで黒い仁は吹き飛んでいき、氷壁に背中から叩きつけられる。
氷壁をずるりと滑り落ち、地面に四つん這いになった黒い仁は未だ抵抗を意志を失わせず、顔を上げた。
「まだ
『っ……』
しかしそこにあったのは、至近距離で掌を向ける仁の姿。それは常人にとって銃を突き付けられたことと同義。敗北を受け入れた黒い仁は全身の力を抜き、氷壁に背中を預ける形で座り込む。
『……どうして?』
黒い仁が小さく呟く。
虚像である己の強さがオリジナルに遠く届かないことは嫌というほど思い知らされた。だが拒絶されればされるほど強くなるという性質上、仁が拒み続けている現状でここまで一方的な戦いになるとは、思いもしなかったのだ。だからこそ彼は思う。『どうして……』と。
「そこがおまえの
問いかけですらない呟きに答えたのは、本物の仁だった。
一瞬、言葉の意味が分からず唖然としていた黒い仁だったが、やはり彼も風磨仁。すぐにそれがどういう意味であったかを脳が理解し始めると、信じられないと言わんばかりに手で目元を覆った。
『ああ、そういうこと。うん、これは負けだね。完膚なきまでに負けたよ。言い訳すらでてこない。まったく、こっちが万全になってから倒すとか我ながら良い性格してるね』
「そうだろ? オレはそんなオレが大好きだ」
仕組みは単純。虚像の強さが最初から仁に及ばなかったことと同じだ。
大迷宮内で生まれた虚像の強さに限界があったように、その後に発生するバフにも許容量というものが存在する。そして黒い仁はとっくにその限界まで達していたのだ。
仁を模倣した虚像は紛れもなく現在過去未来【氷雪洞窟】で作られた戦士の中でも最強だろう。そんな彼が本体である仁に拒絶され、更なるパワーアップを遂げた。その強さは、生みの親であるヴァンドゥルをも大きく上回る。
それを仁は上から叩き潰した。
複雑な理由の一切ない。ただひたすらに仁が強かった。そんな何よりもシンプルで、理不尽な答え。それが虚像の敗因だった。
『僕の負けだ。ああクソ……悔しい、な』
「なんだおまえ。ちゃんとそういう感情もあったのか?」
『僕はあくまで
「そういえばそうだったな。最近はほとんど負けたことなんてないから忘れてたわ」
『うわぁ……羨ましい悩みだぁ』
自分が最高のコンディションになってから倒された以上、黒い仁は負け惜しみを言う事もできない。その顔は悔し気に、だが確かに晴れやかな笑みを浮かべていた。そして彼が負けを認めたことで、もうこの戦いも終わった。
『あとは僕を殺しておしまい……か。好きにしなよ。チョコにするのもいい。飴玉でも構わない。ちなみに僕の最推しはチョコスナックだね。勿論たけのこの方』
「悪いが今のオレはきのこ派だ。……というか食わないからな。いくらオレでも自分そっくりな奴を食うほど頭壊れてないぞ」
『あ、そうなんだ。……じゃあ出来るだけ痛くしないでお願――ああいや、その前にちょっと聞きたいことあったんだっけ?』
完全に殺される準備ができていた黒い仁は何か思い出したかのような反応を見せると、仁を見上げて問いかけた。
『結局君は……彼との関係をどうするつもりなんだい?』
「……」
仁は押し黙る。〝彼〟とは言うまでもなくハジメのことだろう。仁は本心ではハジメに対して嫌悪に近い感情を抱いていると、黒い仁は言った。それは嘘でも誇張した表現でもない。紛れもない事実。その証拠に仁がそれを否定した際、黒い仁は強化された。
個人的には満足してるが、一応大迷宮に作りだされた最低限の仕事は果たすべきと、黒い仁がした問いかけに、仁が返したのは大きなため息だった。
「はぁ……。分かってるよ。あいつに向けるこの感情は、いつかケリをつけなきゃいけないもんだ。このモヤモヤした感じで残しておくのも嫌だしな。ただ一つだけ訂正しておくと……おまえの言うようにこの感情はオレの黒い部分だが、だからといって間違ったものだとは思ってない」
『親友を嫌うその感情が正しいって? それは彼に対する裏切りじゃないか?』
「この程度で裏切りになるんだったら全人類に友達はいないっての。本当に心の底から信頼しあって、相手のことを無条件に何もかも信じる友情関係なんてこの世に存在するはずないだろ。それはただの依存か、とんでもない馬鹿だけだ』
仁は語りだすと、黒い仁は自分が弱体化している感覚を感じた。
先程まではより戦いを楽しむために黒い仁を拒絶していたが、もうその必要がないからだろう。自分自身が抱える負の感情についてとっくに折り合いをつけていた仁は、彼に向けてようやく本心を口にする。
そこには試練を自力で攻略したという事実が欲しいという理由もあったが、何より敵として戦った黒い仁に対する敬意の気持ちが大きい。
「一片の曇りなく全てを受け入れ、心から信じることだけが友人の関係性じゃない。そんな絵に描いたような分かりやすい関係性なんてこっちから願い下げだ。気に入らないところがいくつもあって、受け入れられないことばかりでも……それでも友であり続けたい。そう思うのはそんなにおかしなことか? 悪いところも全部ひっくるめた上で、こいつとなら仲良くしたい……それを友情以外に表現する言葉があるのか?」
『ははっ……ううん、ないね。良い答えだ、90点ってところかな?』
「ほほう、残りの10点は?」
『あ、ちなみにこれ500点満点中だから赤点だよ。…………ちょっ! 痛いッ! 踏まないで!?』
心から誰かを信じ、受け入れられる関係性は紛れもなく綺麗なものだろうが、砕けるのも一瞬。人間に好悪という感情が備わっている以上、信じた者が必ずしも想像する通りの行動や言動を続けられるはずがない。
好きの反対は無関心という言葉はある意味真理を突いている。好きであっても、嫌いであっても、どちらにしてもそこには必ず、〝知る〟という過程を通る。〝相手のことを知りたい〟という感情が挟まるのだ。だからこそ、嫌いという感情は友に対する裏切りにイコールとして繋がりはしない。
認められないところはあっても、友達でいたい。親密な関係であり続けたいからこそ自分の考えを相手に押し付ける。言葉にしてしまえば歪だろう。しかし、それは程度の差はあれど誰にでもあてはまるものだ。
ならば仁はその感情を間違いだとは認めない。悪い部分ですらない。ある程度の交友関係がある者ならばあって当然のものとして受け入れた。ならばもう、彼にその件での精神的揺さぶりは効果ない。
『まったく、ちょっと揶揄っただけだろう? ……でも君の意志は伝わったよ。試練の虚像として認めよう。肉体的だけではなく精神的にも君が
仁からの顔面フミフミ攻撃を耐えきった黒い仁は、赤くなった鼻を擦りながら満足気に笑みを浮かべる。そして晴れやかな表情で仁へ勝利を告げた。
単純な戦闘能力で黒い仁を圧倒した仁だったが、あのままでは大迷宮そのものにクリア判定を貰えない可能性があった。だからこそ虚像である彼が証人として断言した。〝風磨仁は試練を乗り越えた〟と。
「ありがとな」と仁は一言感謝を口にすると、満身創痍の虚像へトドメを刺すべく掌を向ける。しかし、まだ黒い仁は言い残したことがあったのか、待ったをかける。
『殺すのはもう少し待ってくれない? 面白い答えを聞かせてくれたお詫びに、こっちも特別にいいことを教えてあげるよ。試練の虚像としては本当はよくないけどね』
「なに? 可愛い女の子の口説き方でも教えてくれるの?」
『……君は一回雫ちゃんに殺された方がいいよ』
大迷宮の試練として彼の役割は終わった。だが彼の風磨仁としての部分が、これだけは伝えなければならないと今だけは個人の感情に従って行動する。
きっとその情報に意味はない。知らないまま生涯を終えたとしてもなんら不都合はないだろう。だが例えそれが無駄であったとしても、余分であったとしても、風磨仁は知らなくてはならない。
――
『ここに来る前、囁くような声を聞いただろう? あの精神的に揺さぶりをかける』
「ああ、オレだけ特殊だったやつだろ」
虚像である彼と戦う前、謎の囁き声を耳にしていたことを仁は思い出す。
心の綻びが大きい光輝から順に全員が聞こえるようになった各々が抱える負の感情を暴くような自分自身の囁き声。何故か仁だけは不特定多数の声から恨みつらみを騒音のようにかけられ続けたあの時のことだ。
今にして考えれば、あれはあの時点で自身が抱える負の感情に気づかせ、次の試練である虚像の精神攻撃をより効果的にするためだったのだろう。実に性格の悪いやり口だ。
だが黒い仁が口にした真実に、仁は驚きを隠しきれず呆然とした。
『あれはね……魔人ブウが抱える罪悪感を表したものなんだ』
「……は?」
可能性としては、なくもない話だ。原理としては罪悪感に苛まれた犯罪者が幻聴や幻覚に糾弾されているようなものに近いだろう。もしブウが耐えきれないほどの罪悪感に襲われていたならば、あの仁にとって聞き覚えのない声から向けられた殺意にも説明はつく。
だがそれはありえない。それは
仁は断言できる。〝それはない〟と。
いくらオスカーによって悪から善寄りの性格になったとはいえ、元があの魔人ブウだ。大量殺人程度、精々小動物を殺して可哀想と思うくらいの感情の揺さぶりにしかなっていない。しかしそれを黒い仁は否定する。
『君は
三本指を立てた黒い仁は解説を始める。そこまでは仁も知っていることであるため、特に驚くようなことはない。しかし続けて語った黒い仁の言葉に仁は衝撃を隠せなかった。
『二度目は魔人ブウが君を吸収したあの時。君の性格がブウに近づいたように、彼の方も君に影響された。まだ偏っていた段階だった心が完全な善なるものへ。彼に罪の意識が生まれたのは紛れもなくここからだろう』
「は? ……いやいや、ちょっと待て」
『そして三度目。君の冒険を、君の善行を、君の幸福を、内側から見て、体験していたブウは善の味を知った。悪逆を上回る喜びを善行の中から見出してしまった。そうして彼の罪悪感は増大した』
「だから待てって!」
記憶の中でしか知らない仁とは違い、大迷宮の試練としての役割を持つ黒い仁は風磨仁の影に隠れた魔人ブウの本心までをも理解していた。当然、彼も衝撃を受けたことだろう。風磨仁の虚像としても、大迷宮に生み出されたものとしても、魔人ブウが罪悪感を抱くだなんて予想もしていなかったのだから。
信じられないこと。だが大迷宮とダイレクトに繋がっている彼はその感情を、記憶を読み取っていた。
『分ったかい。魔人ブウは、君のせいで本来は感じることすらなかった〝罪の意識〟を抱えることになったんだ』
「……」
仁を吸収した際、仁がブウの記憶を得たように、ブウの方も仁の記憶を知り、その感情に影響を受けた。
きっとそれは仁が善側の人間であったことが大きいだろう。オスカーによって揺らいでいた善悪の天秤が完全に善の方向へと傾いたのだ。そしてそれが、ブウに罪悪感を感じさせるきっかけにもなった。悪の方へと戻ることがなかったのは幸運だったろうが、その影響を受けたブウの心境は想像することすら難しい。
ついこの間まで壊して回っていた玩具に急に愛着を感じるようになったのだから。
だがブウの変化はそれでは終わらなかった。仁は魔人ブウとしての肉体を得た後も、これまでと変わらず人助けをすることに躊躇いがなかった。その光景はブウにとって非常に眩しいものだったのだ。
大勢の人間を殺して快楽を得て、今その罪悪感に襲われていたブウとは対照的に、大勢の人を救い、感謝されることに喜びを感じていた仁。自分の肉体で行われていくその善行の数々を肉体の内から目にしていたブウはまるで自分自身が多くの人を救い、敬われるような錯覚さえ覚えた。
だがその感情は同時に、ブウの罪の意識を更に増大させていた。それは時を追うごとに大きくなっていき、ついには仁の心に隠れていたにも関わらず大迷宮が容易く見つけてしまうくらいにまで肥大化していたのだ。
それが、この場に至るまでに仁が聞いた囁き声の正体である。
「そうか、
『だろうね。でも事実だよ。君は間違いなくブウを変えてしまった。それも最大限苦しめる形でね』
「だよな……」
あまりにも予想だにしていない状況に、仁は天を仰ぐ。
以前までの風磨仁は少し珍しいタイプではあったものの、ごく普通の高校生だった。香織のような純度100パーセントの善人ではないし、光輝のような強さもない。だからこそ過小評価してしまったのだろう。自分ごときが魔人ブウに影響を与えられるはずがないと。
黒い仁はまるで責めるような視線で仁を見つめる。彼にも風磨仁としての記憶がある以上、命を救ってくれた恩人であるブウに一定の感謝の感情があった。だからこそ、彼は目で問いかける。
『おまえは恩を仇で返した自分自身を許せるのか?』と。
しかし仁は、嬉しそうに笑った。
「別にいいんじゃないかそれぐらい。確かにそれは〝弱さ〟だろうが、人はそれを〝成長した〟っていうんだぜ。悔やむなんかよりは、喜んだ方がいい」
『成長って……そんな理由で彼の苦しみを君は肯定するのか?』
「そうじゃないさ。さっきハジメのこと信じなくてもいいとか言った手前、ちょっと言いずらいんだが――」
不満そうな黒い仁に、仁は安心させるように力強い笑みを向けた。
「オレは魔人ブウがその気持ちを乗り越えられるって信じてる」
自信満々に仁が言い切った。根拠も、理由もない。それでも仁の顔には強い確信だけがあった。黒い仁は毒気を抜かれたように瞬きを繰り返す。
「あの魔人ブウだぜ。オレ達みたいな人間の基準で考えるなよ。その程度の罪悪感なんざ、軽くねじ伏せてくれるに決まってる。それでいつか……ブウがこの
はっきり言うと、今仁がブウにできることはない。それこそ今彼が口にしたように信じることが精一杯だ。だが仁は一切不安に感じることはない。そこにあるのは不思議な安心感。
実際に顔を合わせたのは一度だけ、記憶の中にある限りは性格はまるで子供のようで、精神攻撃なんてホイホイ引っかかるだろう。そんなブウに罪悪感だなんて弱みが生まれたなどあまりに不安要素が強すぎる。
しかしそれでも、こちらの不安をよそに能天気に笑ってるブウの姿が仁の中には不思議と浮かんでいた。
それは黒い仁も同じ。大迷宮の虚像としてブウの負の感情を知っていながらも、心の底では〝魔人ブウならこの程度どうってことない〟と信じ切っていた。その気持ちがオリジナルの自分と同じであったことを理解した黒い仁は咎めるような表情とは打って変わって、穏やかな笑みを見せる。
『……分かったよ。それならもう僕が君に言えることはたった一つだけ。雫ちゃんとの恋愛事情とか、
――頑張れ、
そう言い、黒い仁は別れを告げるかのように手を振った。仁もそんなもう一人の自分へ向けて任せろといいたげに微笑む。
そしてそのまま、黒い仁はゆらりと姿をぶれさせると宙に溶け込むようにして消えていくのだった。
……
……
……
黒い仁が消滅し、仁が通って来た道とは異なる二つ目の道が目の前の氷壁を溶かして出現する。ちょうどそのタイミングだった。仁の背後にある氷壁の一部が溶け出したのは。
「うん? あれ、ハジメじゃん。いつの間に来た?」
「ちょうど今だ。そっちは……まあ勝ったみたいだな。それにしても、また滅茶苦茶だな」
「いやぁ、ちょっとテンション上がっちゃって……」
新たに生まれた道から現れたのは、全身が黒い衣服で包まれ、眼帯に義手という厨二病ファッションの超イタイ恰好をした男――ハジメだった。
クレーターだらけな氷壁や氷の床を見て呆れたような感想を漏らすハジメに、仁はさっきの虚像との話が聞かれていないがドギマギしながら返答を返す。流石に、あんな友情会話を聞かれるのは彼としても恥ずかしいことこの上ないだろう。
「どうやら、今回の試練は部屋同士が繋がってるみたいだ」
「だな。じゃっ、さっさと進もうぜ。出来れば次は女子メンバーと合流したいな……八重樫とか」
「それはお前の願望だろ」
そうして仁は虚像との戦いを始める前に脱ぎ捨てたコートを拾い、ハジメと共に新たに生まれた通路へ、進んでいくのだった。
だが仁は知らない。
実はハジメが、氷壁の向こう側でずっと聞き耳を立てていたことを。本心では自分をあまりよく思っていなかったこと、それでも自分と友人であり続けたいと願ってくれたこと。それらの話を全て聞いてしまったことを。
そして、今のハジメの顔に、僅かな影が差していることを。
仁は、気付けていなかった。
・仁の試練攻略
ハジメは開き直り、相手を肯定も拒絶もしない上で自分自身が今よりも更に強くなるという力技で攻略したのに対し、仁は相手を拒絶して強くさせた上で素の力で叩き潰す手段を選んだ。
どちらも正攻法でない攻略法のため、大迷宮側からしたら「こいつら試練クリアしたって判定でいいのか?」と悩ませている模様。
もし黒い仁が限界突破を使っていたら仁はもう少し危機的な状況に陥っていた可能性はある。
実は途中までは黒い仁を仁がお菓子にして、風磨仁(悪?)が誕生するルートも視野には入れていたのだが、流石に虚像吸収してパワーアップは少しカッコ悪い気がしたため、ごみ箱へとドボンッ。
・魔人ブウの罪悪感
過去、人間を殺しまくっていた魔人ブウが今になって感じるようになった罪悪感。
オスカーによって善寄りの性格とはなったものの、その時点ではまだ善になりきれていなかったブウが仁を吸収したことにより生まれた感情。
仁が善人であったためその程度で済んだものの、光輝やハジメといった精神歪組がもしブウに吸収されていれば相当ややこしいことになっていたはず。
ただその後に仁が魔人ブウの体使って人助けをしまくった影響上、ブウが自分がたくさんの人を救って喜ばれているような錯覚を感じるようになり、罪悪感が増大した。
実は、そこに関してはブウも体の中で仁にイライラしている部分。
仁が最初に魔人ブウとして目覚めた際、奇妙な夢を見ていた原因の正体はこれでした!(もう誰もが忘れているであろう伏線)
・盗み聞きするハジメ
実は仁が戦っている最中から既に仁の試練の間まで来ていたのだが、氷壁の奥から響いてくる戦闘音に「入りたくねぇ……」と思い戦いが終わるまですっと待機していた。そのせいで、仁の本心を聞いてしまうこととなる。
氷壁は空気を読んで最後まで解けないでおいてくれた。
薄々勘付いてはいたものの、仁に好かれていないと口にされ、内心では物凄く落ち込んでいる。
・仁の吹き飛ばしたバニシングボールの行方
龍太郎「南雲相手にユエさんを奪えるわけねぇだろうが馬鹿やろうがぁああ!!」
龍太郎(偽)『無理だからって諦めるのか
バニシングボール『はい、通りまーす!』
龍太郎(偽)『っ……逃げろ、俺!!」バンッ(龍太郎突き飛ばし)
龍太郎「な、なにをして……?!」
龍太郎(偽)『ぐ、うわぁぁああああ!!!』消滅
龍太郎「お、
坂上龍太郎、試練突破!