そして旅立ちの朝。それから一年の時を過ぎた世界から届いた手紙です。
誤字脱字。一人称や認知不足など多々あるかもしれませんが、とある領主を通した秘書官の思いが届きますように。
領主様へ
お元気でしょうか。
領主様がこの世界から旅立って、一年の時が過ぎました。
カオスの脅威が去り、大きな災いが鎮まり還った後は、脅威と戦った皆さんもそれぞれ安息に喜んでいました。
そんな安息の日々が流れて二週間程過ぎたある日。
領主様は神妙な雰囲気を纏い、私達を呼び集めました。
私もサシャさん達も、領主様の苦い表情から何か良くない報せを感じていました。
カオスの脅威が去ったというのに、また新たな脅威が訪れるのか。
再びこの世界に暗雲が漂い始めるのかと、内心恐れたものです。
ですが、領主様の報せは、新たな脅威ではありませんでした。
-この世界から旅立つ事となった。帰還は待たなくて良い-
そう告げた領主様は、やはりとても苦しく堪えて見えました。
私やサシャは、領主様に何故旅立たないと行けないのか。ずっとこの世界に居て欲しい。この世界で皆と暮らせば良いじゃないか。やっと落ち着いて世界を再び巡る事ができるのにと。
そんな矢継ぎ早の質問と説得に駈られてしまいました。
そんな私達を止めてくれたのは、同じく呼び集められていたナディアさんとフローゼ様でした。
領主様が理由も無く旅立つはずがない。きっと新たな、領主様にしか出来ない使命があるのだ。それを引き留め困らせてはならないと、焦り戸惑いを露にしていた私とサシャさんを、お二人が止めてくれました。
-私達には言えない、けれど大切な事なのね?-
そうナディアさんが問うと、領主様は静かに頷かれていました。
何かを決意した表情の領主様の事を、私達はもう留める事は出来ません。
サシャさんと私は悲しみを堪え、ナディアさんも寂しそうに私達の肩を抱いてくれました。
-本当に、帰還は待たなくて良いのか-
そう問いを投げたフローゼ様もまた、気丈に振る舞って見えたものです。
帰還は待たなくて良い。それはもう、領主様が二度とこの世界に戻る事は無いという事です。
私やサシャは勿論。ナディアさんも問えなかった質問。
けれど、誰かが問わなくてはならない問いを、同じ悲しみを堪えているであろうフローゼ様が確かめてくれました。
もし、ほんの僅かでも希望があれば、そんな想いを懐き領主様の言葉を待ちます。
ですがやはり領主様のお答えに変わりは無く、それ以上私達は何も言えずにいました。
-今は、少し落ち着きましょう-
そう告げたナディアさんの言葉に従い、私達は領主様の居られない中庭でお茶をしながら、これからの事についての話し合いを重ねる事にしました。
けれど、領主様の唐突な言葉に困惑していた私達は言葉に詰まり、流れるのは柔らかな微風だけ。
こんなにも驚き、戸惑い、悲しんでいるというのに、何故時間は流れていくのでしょう。
悩む私達の中で、始めに言葉を発したのはサシャさんでした。
-今も領主さんとの別れる時は近づいているんですよ。旅立つ事が決まっているなら、せめて最後まで皆で笑いあって、たくさん幸せな時間を過ごして貰わないと駄目です。こうしてはいられないですよ。早く他の人達に連絡や手紙を送って、領主様とちゃんとお別れ出来るようにしましょう-
心を落ち着かせる間すらも惜しい。その一秒一瞬を無駄にしないように。
私達は各地に報せを送る準備に掛かりました。
※※※
ギルザニア、タウゼンレジャー。トウドの国、ルーベルク魔術院。
砂の国にドール。探空家の地に、海の国。ワンダーガーデン。
ルッケンバウムに海底の国。グラージャ。雪の大地。星降る大地。
果てはレッドキャッスルに魔界。神世の地に迄に、領主様の旅立ちの報せは届いたとの事でした。
他にも数多の地へと報せは届いたとか。
確かに私達は力を合わせて多くの地に手紙や報せを送りましたが、急ぎ領主様に再会された方々。早々に返ってきた手紙や報せの数は、明らかに予想以上の量でした。
中には星の子の皆さんからのお手紙も多くあり、差出人不明の、けれど深い信愛が込められた手紙もある程です。
忙しくも喜ばしい来客の歓迎の中、私達は理由が分からず首を傾げたものです。
後に判明したのですが、あれは各国が更に関係諸国に報せを流し、領主様の報せを知った魔族の方々が面白がって更に広めていったとか。
とはいえ、思いの外多くの方々と領主様がお別れの時を過ごせたのは、とても幸福な事でした。
そうして旅立ちの日となる一ヶ月間を、賑やかに。けれど晴れやかな春の木漏れ日を想わせる時を過ごせました。
旅立ちの前夜は、私とサシャさん。ナディアさんと最後の晩餐を食して、各々が明日も変わらないような夜を過ごす事に努めていました。
※※※
翌日の朝。旅立つ時の領主様は、どこか晴れやかな姿でした。
見送る私達の様子も、領主様には晴れやかに見えていたでしょうか。
-それじゃ、行ってくるよ-
そう告げた領主様が荷物を片手で掴み背負い、先へと向くまで、私達は変わらない微笑みで見守ります。
もう、戻りを告げる言葉を聞く事も、お帰りをお待ちする言葉も交わす事はないのでしょう。
領主様から旅立ちの報せを受けてからその日まで、時間は充分に戴きました。
けれど何故でしょう。一歩ずつ新たな道を進むその背に手を伸ばし、引き留めたいと思う気持ちは最後まで消えてくれませんでした。
呼び留める我儘を口にしたい。今ならまだ間に合うのではないか。
そう願い思う気持ちを抑えられたのは、最後に見た領主様のお顔がいつものにように優しく晴れやかだったからかもしれません。
そうして旅立つ領主様を見送ったのが、今から一年前の事でした。
※※※
領主様が旅立って一年が過ぎた今。
この世界は幻獣の脅威こそ薄れましたが、やはり争いの灯火は世界の彼方此方で時に燻り、時に鎮火し続けています。
天使、魔族、人間の間にある溝は、カオスの脅威が封じられた後でも、容易くは埋める事が出来ないもの。
各々の種族同士の中でも絶えぬ争いは、きっとこの先も燻りを無くす事は無いのでしょう。
それでも、この世界で領主様が残した希望の種は、新たな若葉を咲かせて根を張り、長い時間を掛けて大樹となると私は信じています。
嘗て小さな願いと希望の下に集まったヴィデーレの一族のように、今度はカオスの力も聖杯に頼る事もなく、私達は種族を越えて力を合わせて生きています。
ギルザニアでは、アストリア殿下を筆頭にフローゼ様も公務に追われ、セレンディさんやハーチェさんがお二人を支えているそうです。
革命軍もドールの地を守り、レッドキャッスルは今も崩れる事無く代が変わり人々が互いを支え、どちらも援軍の必要性は今のところ無いとの事です。
タウゼンレジャーからも先日、新鮮な魚介類が届きまして、サシャさんとアクアパッツァを作りました。
その際はメーリエさんを引き留めて、三人で美味しく戴きました。
トウドの国からは四季折々のお手紙が届き、どうやら日々比較的穏やかに過ごされているようです。
ワンダーガーデンやルーベルク魔術院。ルッケバウムやグラージャからは特に報せなどはありませんが、報せが無いのは平和な証拠だと領主様も嘗て口にしておられましたので、私達もそう思い穏やかな時を過ごしています。
同様に魔族の皆様からも、神世からも報せ等は無く、少し気に留めていました。
ですが先日書庫の整理を行って居た時、不意に背後にラプラス様の気配を感じました。
振り向くと机にはラプラス様の筆跡で、珍しい書物が手に入ったので良ければ退屈凌ぎにするようにと書かれたメモ用紙と、最近の魔界を元にしたような物語が書かれた書物が置かれていました。
その様子から、どうやら魔界も平和なようです。
小さな争いの灯火が全て鎮火する事は、神世に願っても難しい事なのでしょう。
全ての生物は命を宿し燃やして、いつの日か天寿を全うするものです。
庭に咲くこの綺麗な花達や樹木達も、皆そうして生きているのでしょう。
領主様がこの世界でそうであったように、私達も日々を懸命に生きていきます。
嘗て領主様がお話して戴いたとある世界には、天使や魔族は空想の存在で、そこには魔力も魔法も存在しなかったとお話戴きましたね。
その世界も日々争いが絶えず、やはり全ての争いを鎮火させる事は難しいとの事でした。
けれどそんな世界でも、人々や数多の生き物達は懸命に生きて、空や海は澄んだ青色で、花は咲き、希望や喜びも確かにある。そんな世界もあるのだと語っておられました。
私達の住むこの世界の空や海と、きっと同じ澄んだ青色なのでしょう。
領主様が今居られる世界も、この世界と同じ空の色をしていますか?
同じく風は大気を揺らしてますか?
もしそうであれば、私達の居る場所と領主様の居られる場所は、繋がって居るのかもしれませんね。