■約1800年前・青銅都市レシュラック
「さぁ、皆さん整列して!」
夜のレシュラックには景気の良い声が響いていた。
空は黒く、抜けるようで、まるで無限の淵だった。
「顔を上げて!そう、笑顔でね!」
また、朗らかな声が響く。
「大変お騒がせしております、私たちは……」
その声は、徹底してにこやかだった。
「……砂漠の皆様にはお馴染み!<
誰も、笑わなかった。
レシュラックの町は大勢の賊に占拠されていた。宮殿の正規軍は軒並み倒され、王は死に、そして傭兵は逃げ出した。城壁は崩され、砲台から弩砲が引き摺り下ろされていた。
残った国民を残らず引っ張りだし、並ばせ、今まさに演説をぶっている賊の頭目は、奇妙な風体の男だった。意味の分からない派手な柄のマントを羽織り、笑顔の模様を描いた面布を提げ、真っ赤な手袋を嵌めている。
「……笑いなさい」
ただし、実力は本物だった。
男が掌を振る。十メテルは遠くで、多勢に無勢と降伏していた衛兵の一人が倒れ伏す。不思議なことにその首は、他ならぬ賊の頭目の手にあった。
「あぁ、なんということか!痛ましい事件!」
その男は、血まみれの首を振り回しながらくねくねと動いていた。
「私は悲しい!彼が死んでしまったことが!何故このようなことになったのでしょう!笑顔であれば、彼は幸せに生きて行けたのに!私はただ、それを分かってほしい!」
首が飛んでいく。行列の中、転がったそれと目があった一人の女が、静かに気絶した。
「さぁ!笑いなさい!」
今度は皆が従った。凄惨な現場から目を逸らすように、無理な笑い声がポツポツと生まれ、やがてひとつの大きなうねりになる。その渦中にて、賊の頭目は空を仰いだ。
「あぁ!皆が笑っています!歓声が鳴り響いています!世界の人々が皆、笑顔に包まれますように!天にまします神よ!十三人の御使いよ!偉大なるそのお耳に、我らの喝采の届かんことを!」
「神よ!」
「神よ!」
「神よ!天罰神よ!我らの笑みをお納めくださいッ!」
「お納めください!」
「お納めください!」
そのさまは、はっきり言って狂信者のさまであった。
◇◆
ひとしきりの騒ぎが済んで、人々は都市の真ん中にある、大きなホールへと残らず集められた。少なくとも、すぐさま皆殺しにしようというのではないようだったが、そのことはむしろ彼らを不安がらせた。物取りならば金品を渡せばいい。だが、狂信者たちには何を渡せばよいだろう?
「その女性は大事ないかね?」
市民の一人がそう言って、さっき気絶したあの女を見た。女の連れらしき小柄な少年は、やけに平然と答えた。
「問題ないよ」
フードを被った少年は言った。
「血を見るといつもこうなんだ」
「ご婦人には無理もない」
その男は礼儀正しく座った。
「格好を見るに、西からの異邦人か。ヴァレイラの古道を通ってきたのだろう?長旅の果てがこの有り様とは、実に申し訳ない」
「あんたの謝ることじゃない」
少年はぶっきらぼうに言い、そしてそれを後悔したように続けた。
「……地元の人だからって。僕らはこの程度の荒事には慣れてる。むしろこんなので気絶する方が悪いんだ」
少年は女の頬を叩き、耳をつねった。
「フランソワーズ!」
「……起きてるよ、キャスパー」
フランソワーズと呼ばれた女は、身体を起こして頭を振った。赤みのある髪が揺れる。
「少し前から」
「なら、しゃんとしてよ、フラン」
キャスパーは背嚢から水を取り出し、フランソワーズ……フランに手渡した。それを勢いよく飲み干して、フランは呟いた。
「失態だ」
その瞳には力と確信があった。
「私ともあろうものがこんな醜態を晒すとは……非常事態だな。悪行を見過ごすのも後味が悪い。せめて賊を殲滅してその雪辱と替えさせてもらおう」
「やめた方がいい、お嬢さん」
ここで初めて、フランソワーズは傍らの男を認識したようだった。目がぱちくりし、唇がひきつる。
「誰だ」
「……彼らは強い。多少腕に覚えがあっても、一筋縄ではいかないよ。それに、一般市民を巻き添えにする気か?」
「その臆病な理屈で投降したのか?」
フランは獣のような鋭い眼光で、男を睨み付けた。
「君は」
男は躊躇って、頷いた。
「あぁ、すまない」
また謝罪をする。
「レシュラックは我が王国だと言うのに」
「あんたは……あぁ。エンジン・レシュラック。インゲニウム王の嫡子か」
キャスパーは頭を振って、ため息をついた。
「なるほど。謝るわけだね」
「諸君らには謝罪してもし足りない」
エンジンはまた頭を下げた。そばにいた市民たちは騒然とした。
「王子!」
「あなたの責任ではございませぬ!」
「お止めください、異邦人などに!」
「その言い方はイラっと来るよ」
不満そうなキャスパーを尻目に、フランはどっかりと腰を下ろすと、エンジンの真っ直ぐな眉尻を見つめた。
「私は、レシュラックの軍は精強だと聞いていたんだ。竜を討ち、獣を逐い、砂漠を駆ける勇士の群れだと。かの“青銅都市”は、一介の賊を討ちきれぬほどなのか?」
「確かに、単なる賊党であるならその通りだ」
「ならば何故賊に降った」
燻るフランに、エンジン王子は首を振った。
「時勢が悪かった。この時期、レシュラックの付近は砂嵐に閉ざされる。南の隊商都市群からの援軍は呼べぬ。それでも我が軍は容易く賊に遅れなど取らぬ、そのはずであった」
エンジンの顔には、恐れがあった。
「……あの頭目を見たか?」
「変な面布を着けてた」
「そう。<
エンジンは身震いをした。
「分からぬか?【強奪王】だよ。
「……超級職か」
キャスパーは浮かぬ顔で言った。
「もっと北にいると思ってた」
「我が父【奇襲王】インゲニウムが病に伏せっていたのも、彼奴らは知っていたのだ。やつばらめは宮を攻め落とすと、街へと素早く繰り出した。そこからは諸君らも知る通りだ」
「だけど、一人だろ?」
フランは涼やかな目蓋を撫でて、言った。
「王が一人居たところで、それほど危ぶむのか?」
「それはーー」
その時、蝶番の擦れる音がした。
大扉が開いたのだ。人々は口をつぐみ、そこからぞろぞろと入ってくる一行を横目で見つめた。
他ならぬ、あの賊の頭目だった。相も変わらず珍妙な格好をし、珍妙な歩き方で辺りを見回している。その後ろにはローブを着込んだ大小の人影と、小柄で痩せぎすの男が付いていた。
「みなさん!」
【強奪王】ダハク・ムブタシムは叫んだ。
「お待たせ致しました!おまちかね、<
「誰が待つか!」
フランは毒づいた。キャスパーはその口を押さえ、毒針のような視線で睨み付けた。
「おや、また笑顔が減ってきたようですね!良からぬことです。皆さん、笑いましょう!」
作り笑いに囲まれて、賊の頭目【強奪王】は満足げに手をたたく。
「結構。その結構な皆様方に贈り物をご用意しました!」
その途端、後ろに控えていたローブの一行が動き出した。懐から小さな書物を取り出し、群衆に配っていく。
不満げなフランを制止しながら、キャスパーも賊のひとりからその本を受け取った。いかにも手作りといった風で、粗雑な装丁だった。
「それは聖典です」
【強奪王】ダハクは朗々と言った。
「とても残念なことに、人は忘れる生き物です。弱い!その弱き心に笑顔を忘れぬよう、その聖典を教えのよすがとなさってください!」
聖典とやらの行き渡ったのを、満足げにダハクは見渡した。
「悲しきかな、我々はここに留まるわけには行きません!聖典を残して去らねばならぬ、不自由な我らをお許しください!」
「お許しください!」
「お許しください!」
その言葉に、群衆は少しばかり安堵した。
彼らはこの街を滅ぼすつもりはないらしい。本一冊賜るだけで命を見逃してくれるなら、安いものだ。
今度こそ、人々に本当の笑みが溢れ始める。それをどう解釈したものか、【強奪王】ダハクも朗らかさを増した。
「……素晴らしい!」
足を進める。その歩みが一人の男の前で止まった。
「ときに貴方。それはなんですか?」
世間話か?市民の男は緊張しながらも、努めて明朗に答えた。
「……計算機だ」
そう、男が持っているのは小さな計算機だった。ボタンやスイッチのついた小さな機械だ。
「<遺跡>で拾ったんだ。商売に重宝してる」
「それはそれは!」
ダハクはくねくねと頷き、
「聖典。第五章第三節」
その男の掌を“計算機”ごと握り潰した。
「うがぁぁぁぁあ!」
男が絶叫する。【強奪王】もまた絶叫した。
「“天罰神は人の傲慢なる文明の発展を憂い、悪しき先々期文明の頭上より十三の鉄槌を下しましき”!機械技術は神のお怒りになるところ!それを拾い、生業に用いるとは!なんと罪深いことでしょう!」
「なっ……!」
思わず立ち上がったそばの市民たちを、賊の手下が巨体で制止する。
「しかし!彼は知らなかったのです!嘆かわしい!その手の疵と、我らが聖典がこの先、彼の無明に光をもたらさんことを!あぁ天罰神よ、お許しください!」
「お許しください!」
「お許しください!」
賊は唱和した。
ダハクはその顔を動かし、不気味に市民を睥睨した。
「そこの女。それは?」
「あ、灯りでございます」
老女が言い、腰のランプを差し出す。同じく<遺跡>からの出土だろう、機械式の照明装置だった。
「お許しください!知らな、知らなかっ……」
放り出されたランプに、ダハクは黙って視線を送る。次の瞬間、賊の巨漢がそれを叩き壊した。
「あぁ、御安心なさい!貴女は今、心より懺悔し、忌まわしき遺物を棄てた!天罰神もお喜びになるでしょう!」
老女が息をつく。
「しかし笑顔が足りませんね」
そして、巨漢が老女の頭をも叩き潰した。
凄惨な光景に民衆はどよめき、しかし恐れのために笑顔は崩さなかった。上ずった笑い声が疎らに響く。
巨漢のローブが外れた。
その巨漢の顔は、身体は、砂をこね上げて造られていた。恐らく他の賊も。明らかに、人間ではなかった。生き物かどうかさえ怪しい
「皆さん!笑顔ですよ!そして遺物を放棄するのです!機械文明からの解放は喜びなのですから!」
その背後にいた痩せぎすが大きく頷く。ダハクは痩せぎすの頭を撫で、言った。
「善き行いですよ。あなたの能力は実に役立つ。天罰神もお喜びになるでしょう……【
「ありがとうごぜえます、【
その言葉に、フランとキャスパーは顔をひきつらせた。
「……まさか」
「【
「あれがレシュラックの陥落した原因だ」
エンジン王子は悲しげに言った。
「【魔王】が……あれほど恐ろしいとは。奴らはあの砂人形の軍勢で、我が兵たちを擂り潰して見せたのだ。疲れもせず、怯まず、死を恐れない。多勢に無勢という言葉があるが……」
エンジンは小声でそう言って、二人を見た。
「どうしたのだ?やけに気にしている」
二人は身を強ばらせ、エンジンを振り返った。
「【魔王】に何か?」
「あぁ、ちょっとした因縁がね」
キャスパーは呟いた。
「切っても切れない縁さ」
「【
フランは黄金色の髪を揺すりながら言った。
「あの痩せっぽちがいる限り、奴の手下は倒れない。キャスパー、【怠惰魔王】の情報は?」
「よく分からないね」
キャスパーは手元のノートを捲った。
「【魔王】で僕らが詳しいのは件の二種だけ。他の能力は基本的に不明だよ。ただ伝承に依れば、少なくとも統率者であるのは確かみたいだ」
「そんなことは分かっている」
フランは言った。
「確実な答えなど当てにしてない。お前の推測を聞きたいんだ」
「あの賊党がほぼ全て奴の……“眷属”だとして」キャスパーは何やら書き付け始めた。「リソースが合わない。やっぱり制約があると思う。媒体を手ずから造る必要があるとか……射程距離かな?いや、町を攻め落とせるのなら、能力は広域型指向だね。なら、能力の中心にいる本体が弱くなるはずだ。行動制限系……【狂王】や【将軍】型みたいな……従魔師系統の方式から類推して……」
エンジンは目を丸くした。キャスパーのノートにびっしりと書き込まれた文字を見、その表紙に焼き付けられた
「知識があるのだな。もしやどこかの貴族か?」
「キャスパーは凄いよ。私などより余程賢い。
フランはしみじみ言った。
「で、結論は?」
キャスパーが顔を上げ、眼をくるくるさせながら言う。
「【怠惰魔王】……本体には殆ど戦闘力がない、筈だ。多分、自分で発動できる力の種類に制限がかかっている。素早く倒せばいい。問題はむしろあの【強奪王】の……」
「謀反の相談ですか?」
そして、他ならぬ【強奪王】がすぐそばに立っていた。
キャスパーが沈黙し、フランが目を剝く。
(いつの間に……!)
「良くありませんよ。何より笑顔がない。厳めしい顔をして敵意を振り撒いている。実に、実に良くない!……おやァ?」
その顔が揺れた。
「隣の貴方……もしかしてレシュラックの第一王子では?」
エンジンの顔がひきつる。それに確信を得たのだろう、ダハクは喜色満面で言った。
「おやおやおやおや!市民に紛れていたのですか!死亡報告は受けていませんでしたからねぇ……なるほど、護衛や何かを付けてはここにいると教えるようなもの。簡単な理屈ですが、しかし大胆な策謀だ……!」
感心してか、ダハクが揺れる。
「して、それは?」
指差したその先を見て、エンジンは青ざめた。
腰にある銃は、青銅都市に納められた発掘品のひとつ。旧文明の技術を宿した魔力式銃器だ。護身用に持たされていたものが、今になってどういう意味を持つか、彼には既に分かっていた。
「王子殿下!いけませんよ、インゲニウム王亡き今、御身はこのレシュラック王国とひとつ。ましてや機械文明に毒されるとは……」
その手が開く。【強奪王】の唇が動く。
「《グレーターテイクーー」
「そこまでだ」
そして、フランが【強奪王】の横面を殴り飛ばした。
「奸賊め!見たか!」
「あーあ、やっちゃった」
フランが鼻息荒く叫び、キャスパーは嘆息した。
あの【強奪王】は分厚い筈の石壁を突き破って吹き飛んでいた。砂人形を引き連れたあの痩せっぽちの【魔王】が、慌てて大扉から追いかけていく。
「まぁ妥当かな。ちょっと直情径行だけど、よしとするよ。フラン、引き続き頼む」
「了解、だ!」
フランが構える。その気配が一気に膨らんだ。
「シッ!」
刹那、フランは弾丸のように飛び出した。
「さぁ、来い!【強奪王】!」
その彼女の振る舞いは、明らかに溜まったうさを晴らしていた。呆れたように、キャスパーがまたため息をつく。エンジン王子はそんな二人を呆然と眺めていた。
「なんてことを……」
「でもさ、あの土壇場で他に選択肢もなかったでしょ、殿下?」
皮肉っぽくキャスパーが言う。
「大丈夫だよ。僕らはまぁ、強いから……ちょっと不本意だけどね」
◇◆◇
□青銅都市レシュラック・中央
夜明けが近い。
白み始めた空を横目に、ダハク・ムブタシムは身体を起こした。面布が揺れる。
「随分と丈夫だな」
「……至宝。それゆえに」
壊れてしまったブローチのような破片を投げ棄てると、ダハクは笑顔で、しかし忌々しげにその女を見た。
(なかなか高等な隠蔽を付けている)
目の前の女も、さっき隣に居たあの少年にも、《看破》は効かなかった。もう少し腰を据えて調べられれば別だろうか。
(どちらにせよ、先の膂力。こうして挑んでくる自信。超級職と見込んで間違いはないでしょうね)
「アルセーヌ!」
「御呼びで、猊下!」
向こうからえっちらおっちら走ってくる【怠惰魔王】に、ダハクは叫んだ。
「反抗的な方々がおられる。“
痩せ男アルセーヌはゼエゼエ頷くと、手を叩いた。途端に大地が揺れ、正体を露にした砂人形たちが波濤のように駆け寄ってきた。それらが拳を振り上げる。
「多勢に無勢で磨り潰してしまえば……」
だが、その拳が全て砕けた。
「こんなものか?」
得意気に笑うフランは、何一つ動いていない。脱力して立ち尽くしたままだ。その身の堅さゆえに、攻撃を仕掛けた砂人形のほうが砕け散っているのだった。
「なら、今度は此方からだ!」
フランが走り出し、【強奪王】へと迫る。間に入る砂人形たちが、全て体当たりで崩されていく。
「ふん。なかなかお強いようで」
【強奪王】の笑みが僅かに、怒りの形相になる。
「しかし、実に笑えない……笑えない事態です。そう、笑えない。私から笑顔を奪うなど、万死に値する罪。罪人は死して己が咎を償わねばならない!おお、天罰神よ、我が心に加護を!」
その手が開く。
「《グレーターテイクオーバー》!」
どれ程の硬度を誇っていようとも、【強奪王】の力からは逃れられない。それは強盗系統の秘奥、王の権能、超越者の暴力だからだ。
「肉体を盗み取ってくれましょう!」
その能力がフランの胴に狙いを付け……
「《
しかして、湧き出した黒煙に遮られた。
「やっぱり。問答無用の“強奪”なんて強すぎる。リソースが合わない。有視界での視認が制約か……データに書き加えておかないとね」
「貴様……」
ダハクが壁の穴から出てきたキャスパーを睨み付ける。少年は涼しい様子で、手の甲を撫でていた。
「【スモーク・エレメンタル】。目隠しにはピッタリだろう?」
「賢しらに……よくも朗々と……」
「余所見かい?」
憤るダハクに、フランが肉薄していた。その無手が獣の爪のように唸り、ダハクを襲う。
ダハクはそれをぎりぎりで躱した。
「焦りはしたが……焦りはしたが!なるほど、貴女は明らかにEND型!素早さに秀でる我が【
再び、笑顔が戻ってくる。
「アルセーヌ、あれを出しなさい!」
「はい、猊下!」
【怠惰魔王】が後退りながら、一体の、ひときわ黒っぽい砂人形を呼び出す。のし掛かってきたそれを砕こうと、フランは拳を突きだし……顔色を変えた。
ダハクは高らかに笑った。
「その砂人形は特別製!砂に泥炭と粘土を混ぜた“
「なんだと、この!」
フランは激昂し、もう片方の拳をもねばつく人形へ突き入れ、そしてまた順当に、その拳は泥の中に取り込まれた。両腕を固定されてもがく彼女の後ろに、【強奪王】が迫る。
「押さえつけておきなさい、【怠惰魔王】!私が目隠しの効かぬ至近距離で、じっくりと背中の肉から心臓まで盗みとれるようにね!」
「……チッ」
キャスパーは舌打ちし、助太刀しようとした。その周りの手勢、彼に仕えるエレメンタルたちは、しかし砂人形を吹き飛ばすので精一杯だった。
「そこで見ているといいですよ、お仲間が腹の臓物を失くして、空っぽになって行く様を!」
【強奪王】は意気揚々と叫んだ。
「《グレーターテイクオーバー》!」
その瞬間、泥人形が弾けた。
土の焼ける匂いがして、固まった砂礫が飛ぶ。狙いを間違えた“強奪”が、フランの胸元から皮膚ごと首飾りを抉り取り、そしてフランの回し蹴りが【強奪王】の鼻先を掠めた。
「何……!」
「伝説級特典武具【陰陽手甲 ポロロッカ】」
フランが自慢げに答える。
その両手の篭手の掌には、プラスとマイナスを示す印があった。
「私の力だ!手が使えなくたって、やりようはあるのさ」
特典武具。それは、宝物獣を討伐した戦士の証。
「どうだ!」
「特典武具、だと……?」
ダハクは呟いた。
「いや、
「え、あー……」
フランは自分の胸元を見、滲む鮮血を見、そして落ちている
「しまったな」
「あり得ない、あり得ない!こんなことが……こんな巡り合わせが!貴女は、貴女も……!」
【強奪王】の瞳が震え、フランの力を看破する。
「神造
そう、彼女の称号を。
「世界に七つのみ存在する……最悪の器!」
民草の恐れる、その雷名を。
「貴女……【
「キャスパー……!すまない、バレたようだ」
「仕方ないな……全く」
どこか他人事のような二人とは裏腹に、ダハクは完全に狼狽えていた。
「【
「偶然だよ」
【暴食魔王】フランソワーズが呟いた。
「質の悪い偶然だ。はじめから、ね」
「そっちの餓鬼もか……!」
「失礼な呼び方だなぁ。さっきまでの慇懃さはどうした?」
キャスパーがせせら笑い、そしてフランが構えた。
「私は憎悪する……【強奪王】、そして何より【怠惰魔王】!力を振りかざすお前たちを!」
その瞳は、怒りに燃えていた。
「だが、超級職を削除するなら、命までは取らないぞ」
「ふざけないで頂きたいな!」
【強奪王】もまた吠えた。
「既に勝った気でいる!その思い上がりを、世間では傲慢というのです!」
「あいにく、私は【
「死して消えろ!“笑顔”の怨敵め!」
【強奪王】が両手を振り回す。
「みたび!《グレーターテイクオーバー》!」
黒煙もない。透き通った夜の中、その力は過たず【暴食魔王】の首筋を直撃し、動脈を破らんとし、
「……何故」
薄皮を奪っただけで止まった。
「それなりに痛いんだがな」
「バカな、我が“強奪”の権能に奪えぬものは何一つ……」
ダハクが呟き、そして口ごもる。
「何一つ……何、一つ……!」
隠蔽の首飾りが落ちて、ダハクにはフランの全てが見えていた。その
「新情報。【強奪王】の能力はENDで抵抗できるようだ。面白いね」
のほほんとしたキャスパーの言葉も、彼の耳には入らなかった。
「《
フランが呟く。
「私が存在し続ける限り、世界がリソースをくれる。望もうと望むまいと。全く……忌まわしい力だ。【魔王】というのは」
「それほどのレベルを……それが、貴女の!」
「お喋りは終わりだ、【強奪王】。本気で往く!」
フランが足に力を込める。その突進は、ダハクにとって見切れぬ速さではない。
だが、強い。その圧に、【強奪王】は気圧され、震え、すくみ、どうにか寸前で飛び退いた。
「はっ……!」
そして、フランの突撃は止まらない。
「まさか、貴女は!」
「残念。最初から、狙いは此方だ」
背後、【怠惰魔王】へと迫るフランが叫ぶ。その拳が固められ、不健康そうな男へと唸りを上げて叩きつけられた。
「ひ、ス、“
【怠惰魔王】が絶叫し、背後に控えていた白砂の人形が彼に纏わりつく。砂の鎧へと変身した人形が、主を堅牢な守りに包み込んだ。砂塵装甲が拳を受け止める。
「駄目だ!逃げなさい【怠惰】!」
【強奪王】が叫んでいる。フランはその握った左拳をほどき、掌を砂鎧に埋めた。
「我、
右手をも持ち上げ、ゆっくりと砂塵に手を当てる。
「……
両手が触れ、そこには円環が出来上がった。両腕で【魔王】二人を繋ぐ円環が。
「《
そしてその円環を、暴れ狂う
砂の鎧がひび割れ、焼け砕け、砂塵へと還る。その内側では【怠惰魔王】の膨大な
全身を雷撃傷に引き裂かれた【怠惰魔王】がゆっくり倒れ伏す。ポロロッカの能力を喰らってなお、消し炭ではない死体を遺しているのが、彼の……【魔王】の強さの証明だった。
「それを殺せば、町を制圧している手下どもも沈黙する。自棄を起こして道連れ戦術を選ばれても面倒だし、いい選択だったよ、フラン」
キャスパーがへらへらと言う。その周囲では、あれだけ蠢いていた“奉仕種族”たちが砂塵へと崩れていた。
「さて、これで戦場はここだけになった」
「ぬ……」
もはや完全に笑顔など失せたダハクが、面布の奥で歯を食い縛る。
「フラン、さ、そいつもお願い」
キャスパーは事も無げに言った。その顔が怪訝そうなものに変わる。
「フラン?」
「……」
【怠惰魔王】の死体の前、煙を上げる鮮血と肉の前で……
フランソワーズは、屹立したまま気絶していた。
「あァ、なるほど、血と死体がね……」
「……ふは!はは!これはこれは!形勢逆転ですねえ!」
途端に、【強奪王】が笑顔を取り戻した。その指先がキャスパーを針のごとく指す。
「見るに、君は前衛型ではない。ならば、我が“強奪”は致命傷になるはず!ですが安心なさい、我が偉大なる使命に立ちはだかった罪を贖い得るように、手足の先から奪い取って殺して差し上げます!さぁ、笑いなさい!自らの命にピリオドを打てる歓びを!」
「ぺらぺらと……よく喋る」
キャスパーは露骨に気分を害したようだった。その首飾りを投げ棄て、エレメンタルたちを右手に呼び戻す。
「ほう。やはり、君もですか」
ダハクは目を細めた。
「神造
「あぁ。僕は礼儀を知っているからね。名乗ろう」
キャスパーが言う。その髪を、夜風が撫でた。
「【
「ふふ、ですがやはり……我が戦闘力には程遠い」
【強奪王】は【色欲魔王】の、彼に比すればひ弱な肉体スペックを嗤う。
「調子に乗りすぎたようで」
「いいや?それは君の方だよ……」
キャスパーは唇を舐め、
「……《
虎の子を呼び出す。
風が沸き立ち、キャスパーの頬を撫でる。薫風はすぐに荒れ狂う大気の奔流へと変わった。
それは嵐のエレメンタル。暴風と恐慌の化身だった。緑がかった渦巻きに、精霊の絶叫が混じっていた。
「なるほど?上質なエレメンタルです」
【強奪王】は首肯する。
「けれど、足りない。その程度の凡な存在では、私を圧倒できる筈もないでしょう!」
【強奪王】は腰を落とし、五指を獣のように開き、キャスパー目掛けて走り出し……
「《
強まる暴風に、足を止めた。
「これは……!」
「【サイクロン・エレメンタル】……“今は”違うけどね」
暴風は膨らみ、同時に濃くなっていた。黒ずんだ翠緑がうねり、ちっぽけな【強奪王】を睨み付ける。【強奪王】ダハクは思わず呟いた。
「風の……魔人?」
「眷属器【
そして、その暴風が爆縮した。
「ぐおおお!?」
吸い込まれていく【強奪王】が絶叫する。その疾さも、爆風に煽られてはもはや意味をなさない。できるのは砂を掻き、大地に掴まることだけだ。
「な、なんだこれは!こんなところで、こんなところで!私が死ぬ筈がない!死ぬ筈がないんだ!」
「いいや、死ぬよ。人は簡単に死ぬ。無慈悲なほどに」
「黙れ!」
ダハク・ムブタシムは、荒れ狂う風の向こうにいるはずのキャスパーを指して言った。
「お前が、お前ごときが!我が崇高な使命を!私には天罰神を笑顔で奉じるという使命があるのに!悪しき機械文明の存在を挫くという天命があるのに!それを傲慢にも、その渋面で妨げるお前には!どんな大義があるというのだ!」
「大義?使命?……それならあるさ」
キャスパーは暴風の渦中、閉ざされた視界の中で言った。
「全ての【魔王】は僕らが殺す。それに味方する奴らも全て、この忌まわしい力で……毒を以て毒を滅ぼす。全ての【魔王】を滅ぼし、その果てに僕らも死ぬ」
「何……!」
「それが、フランと僕の……【
キャスパーはそう言い、
「だから、君のような、小物の道理に道を譲る気は、毛頭ないんだよ」
鋭く断じた。
その言葉の重みに、【強奪王】はただ獰猛な笑みで答えた。キャスパーもまた、話は終わりとばかりにため息をついた。
「だめ押し、だ。《ゴールデン・グリッド》」
その黄金色の【ジェム】が暴風の中心へ吸い込まれ、“眷属”がそれを噛み砕く。
雷鳴と紫電を取り込んだ暴風は、まさに嵐の様相で【強奪王】へと襲いかかった。風が身体を押さえつけ、雷撃が躍り狂う。
「バカ、な、私は、神の!神の御意志を!おお、天罰神よ!今すぐ、この異端者に裁きを!十三柱の使徒を、遣わ、せ、たまァ、えァァァァァァ!」
その肉体が捩れ、砕け、塵になる。砂塵がそれを飲み込み、新しい同胞として朗らかに出迎え、そして、嵐が終わった。
「一分……」
消費したレベルを確かめながら、キャスパーはフランのもとへ駆け寄り、額を叩いた。辺りには、暴風に傷んだ街路樹からむせるような緑の香りが漂っていた。
後ろで、砂を踏む音がした。
「……貴殿ら」
「あぁ、王子さま。ごめんね、出来るだけ建物を壊さないよう配慮はしたんだけれど」
キャスパーは気絶したままのフランを抱え上げ、背後のエンジンを振り向いた。
「賊は全滅さ。言っただろ?僕らは強いって」
「貴殿らには謝辞の言いようも思い付かぬ」
エンジンは静かに言った。
「この国は大きく傷ついたが、まさか異邦人の手で助けられるとは、今宵はなんとしても我が宮で歓待をーー」
「殿下!」
その時、市民たちが恐る恐る歩み寄り、王子を取り囲んだ。その怯えきった眼差しは、キャスパーとフランの二人を睨んでいた。
「殿下!彼女らは……」
「【魔王】……」
「気を許されますな!災いの種でございます……」
「ですから異邦人などに……」
「お前たち!」
憤るエンジンに、キャスパーは首を振った。
「いいよ。僕らはすぐ出ていく。どうせ夜も明ける頃だし」
「しかし……!」
「フランだってきっとそう言うさ」
キャスパーは東の空、もう紫色の雲に染まっている空を見上げ、砂を踏んで歩きだした。エンジンは躊躇っていたが、やがてまた絞り出すように叫んだ。
「せめて、そなたたちの名を!」
不躾な《看破》などしたくはなかった。キャスパーは振り返り、群衆に向かって言った。
「【
そう言って、キャスパーは二度と振り向かなかった。
影は少しづつ小さくなり、夜明けの風に溶けていく。町外れから、崩れた城壁を越え、そしてはるか東へと……その足取りを思って、エンジン王子は呟いた。
「レシュラックは亡んだな」
側にいた老人は首を振った。
「何を申されますか!厄災は去ったのです、これから建て直せばよい!」
「いいや亡んだのだ。青銅都市レシュラックは今日で終わりだ。父も身罷った、都市は荒れ果てた。だから、新しい国を興さねばなるまいよ」
老人は王子の言わんとすることを図りかねて、ただ瞬きをした。エンジンは続けた。
「そうだな。新しき国の名は……コルタナ、というのはどうだろう」
◆
◆◆◆
■???
朱塗りの宮には美しい日差しが注いでいた。
典雅な蓮池には白魚が泳ぎ、それを狙ってか背の高い鶴がじっと止まっている。
「……【
その畔で、翼のある女が気だるげに言った。
手元の水晶玉を覗き込み、軽く叩き、首をかしげる。やがて女は頷くと、眠そうな眼差しを上げた。
「間違いなくぅ。アルセーヌの僕ちゃんったら、ドジ踏んだのねぇ」
「ハッ!あの老け顔を僕ちゃん呼ばわり出来るのは、世界でお前だけだぜ」
ヒトと魚を混ぜたような、鱗のある幼児が苦言を呈する。
「あァ、お前もババアだからか。だから化粧濃いんだろ?キャキャ!」
幼児の悪辣な言葉に、女は顔を歪めた。端正な顔が途端に鳥のように、人間味の薄い不気味なものになる。
「黙れ!誰がババアよ!あたくしはまだ二十二……」
『静まれ』
そのとき割って入ってきた男が、嗄れ声で剣呑な二人を止めた。
その顔は、慟哭する深紅の鬼の面に隠れ、具足の隙間からは幼児のものとは違う、鋭い鱗が覗いている。その金色の瞳は、猛禽のように残酷だった。
『ワン・ダー。確かに【
「確かよぉ。でも、良い知らせもあるわぁ」
ワン・ダーは焦点の合わない目で笑った。白い羽根が穏やかな風に靡く。
「【
「へぇ?」
幼児が短い手足を抱えてほくそ笑む。
「じゃああの老け顔も、最期に良い働きをしたわけだ。イカれた教団に入り浸るのも満更無駄じゃなかったかな?」
『死者は悼むべきだ、カザン』
「断るぜ。オレはあのグズが嫌いだったんだよ、
幼子カザンは幼げな顔に醜い表情を浮かべて切り捨てた。
「二を足して、一を引く。これで前進と言えんのかよ?」
『あぁ。【怠惰】は神造
嗄れ声で、
『新たな攻略者も引き入れねばならん』
「断られたらァ?」
『言う必要があるのかね?』
「そう。それにあの【
「昂ってくるぜ、実によ」
『あぁ。全ての【魔王】を我らが手中に……』
三人は、宮の中央に刻まれた七芒星と、その七つの星を見た。四つは黒く、二つは白く、そして残りの一つは赤く塗り潰されている。
鬼の面の男の目の前で黒星が一つ消え、そして二つの白星が漆黒に染まった。
『……その果てに、世界をもな』
END