刀花幽明譚~とある肺病を病んだ剣客と吉原の少女のつかず離れずの話   作:高田正人

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第27話:藤は幸せだったさ。私が保証する

 

 

◆◆◆◆

 

 

「おや、そこにおられるのは光悦殿ではないか。まさかここで会えるとは思わなかった」

 

 華やかな女性の声がして、光悦は目を上げた。

 

「徒桜、お主か」

 

 そこに立っていたのは、こざっぱりとした着物姿の徒桜だった。花魁の派手な着物や髪飾りはなく、今の彼女はずいぶんと動きやすそうだった。

 

「ああ。今は八雲と呼んでくれ」

「そういえばそうだったな」

 

 彼女の兄が彼女を八雲と呼んでいたことを、光悦は思い出す。

 

「まさか死ぬとこうなるとは思わなかった。何事もやってみなければ分からぬものだな、ははは」

 

 腰に手を当てて男のような仕草で笑う徒桜を、光悦は歌舞伎者を見る目で見る。

 

「何とも男勝りだったのだな、お主は」

 

 以前からそう思っていたが、死して後彼女は素に戻っているようだ。

 

「うん? ああ、着飾って紅をつけて白粉を塗り、科を作るのも悪くはなかったぞ。だがそれも遠い昔。私は三津屋の若旦那にいたく懸想されてなあ。結局絆されて彼の嫁になった。のんきな亭主に発破をかける日々の方が長くてな、許されよ」

「良き生涯を送れたようで何よりだ」

 

 光悦は心からそう思う。彼女もまた、人生を精一杯生きたのだろう。

 

「まあ、人間万事塞翁が馬、吉原に来た時はいよいよ万策尽きたかと思ったが、終わってみれば私は幸せ者だった。多くの方々のおかげだ」

 

 そこまで言ってから、徒桜はいぶかしげな顔をする。

 

「して、そなたはなぜここにいるのだ? まさか極楽から締め出しを食らったのか? もしそうなら私が行ってもの申してくる故、出立の用意をしておかれよ」

 

 極楽の神仏に抗議するつもりらしい徒桜を、慌てて光悦は制した。

 

「拙者は人斬り故、極楽に行けるなどとうぬぼれておらぬ」

「まさか。そなたのようなまともな侍が、悦楽で婦女子を殺めたわけではあるまい。私の兄を斬ったのは成仏のため。そなたが人を殺めたのならば、相応の理由があったはずだ。光悦殿は、地獄へ行くような悪人では決してない」

 

 堂々とそう言う徒桜に、光悦は温かなものを感じた。流血を厭わぬどころか求めてきた自分の剣にも、わずかな救いはあったのかもしれない。

 

「ふむ、ではなぜだろうか。そなたの幽霊が出たという噂も聞いたことがない」

 

 徒桜は首を傾げる。

 

「未練がましくも、人を待っておる」

「誰だ?」

 

 ためらいつつ、それでも光悦は正直に告げた。

 

「……藤だ」

 

 しばらくぽかんとしてから、徒桜は呵々大笑した。

 

「あっはっは! あい済まぬ! 殿方の情を察することもできぬとは、元太夫とはとても思えぬ失態であった!」

 

 気を遣われてしまい、しばし光悦は穴があったら入りたい心境だった。

 

「何とも恥ずかしいが、どうしてもここから動くことができないのだ」

 

 しかしすぐに徒桜は柔和な目で彼を見る。

 

「恥じることはないぞ、光悦殿。きっと藤もそなたが待っていて嬉しいに違いない。何しろ――」

「――藤は若くして尼になった、と聞いた」

「おや、誰かに聞いたのか。そうだそうだ、吉原一の太夫が人気の絶頂で尼御前となったのだ。それはもう、花街がひっくり返る程の騒ぎだったな。思えば、あの子なりに光悦殿に義理を立てたに違いない」

 

 石動には言えなかったことを、光悦は徒桜に言う。

 

「拙者は良い男を見つけて幸せになれ、と申したのだが」

 

 自分は藤のことが未練だったが、それは彼女に伝えなかったはずだ。むしろ死んでしまえば自分のことなどさっさと忘れて、良い男と結ばれて幸せに生きて欲しかった。それが比丘尼とは。いささか彼女のその後の生を縛ったようで気が引ける。

 

「藤は幸せだったさ。私が保証する」

 

 徒桜はそう断言しつつ、にやりといたずらっぽく笑う。

 

「つまり、あの子がここに来ても亭主持ちではないから遠慮することはないぞ。手に手を取って旅立つといい」

「いや、拙者は遠慮など……」

 

 と言いかけてから、いい加減認めなくては、と光悦は思う。藤が来ない限り、自分はここから一歩も歩けないのだ。

 

「――分かった、八雲殿」

「藤をよろしく頼む、光悦殿。私は先に行くぞ。亭主が待ちかねているだろうからな」

 

 一礼してから徒桜は歩き始める。しかし、ふと振り返った。

 

「そなた――私の記憶の中の光悦殿と見比べても、今が一番良い顔をしておるぞ」

 

 それだけ言って、彼女は悠然と歩み去っていった。その背を見送りつつ、光悦は再び腰を下ろした。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

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