刀花幽明譚~とある肺病を病んだ剣客と吉原の少女のつかず離れずの話   作:高田正人

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第4話:……一つ聞きたい。斬ってもよいか?

 

 

◆◆◆◆

 

 

 口づけを止めて、禿はにっこりと笑って光悦の肩に手を置く。光悦はじっと禿を見た。息づかい、肌の色、心の臓の鼓動、そして体臭。それらは全て、相手の心情の変化を如実に語る。禿の息づかいは平常と変わらない。肌の色も火照っていない。心臓の音は規則正しく、匂いはわずかに甘い香りのまま。汗さえかかず、彼女は緊張も動揺もしていない。

 

「……お主はまこと、花魁になれる器量の持ち主だな」

 

 内心光悦は舌を巻いた。この年齢でよくここまで落ち着き払っていられるものだ。わずかの焦りも戸惑いも感じられない。

 

「興が乗りました?」

 

 光悦はうなずいた。

 

「いくらだ? 茶代程度で戯れるのはお主の芸事に対する無礼だ。値段を聞こう」

 

 無論、光悦としてもこの禿に手を出したいわけではない。しかし既に彼は禿に手を引かれて座敷に座り、三味線と歌を聞き、酌をされた。彼にとっては禿であっても、れっきとした一人の遊女にもてなされたに等しい。今までの芸事に対して、それ相応の対価を払いたいと光悦は思っていた。しかし、禿はそれを待っていたかのように姿勢を正した。

 

「……では。用心棒をしていただきたいのです、お侍様。この廓の一番の花魁『徒桜(あだざくら)』に鬼が憑いております」

「……鬼、か」

 

 光悦は苦笑した。おそらく悪い虫がついたのだろう。それを鬼と言っているだけだ。

 

「鬼は雨の夜にやってきては徒桜を襲います。しかし、私どもの太夫はただの遊女とは違い、剣客でもあります」

 

 この日ノ本は千引の岩がわずかにずれた国だ。その隙間から這い出したものが現世で跳梁している。事実、何度も光悦は亡者を斬ってきた。しかし、鬼は未だに斬ったことはない。そして――人も。

 

「ですが、相手は鬼。並の剣客では太刀打ちできません」

「……それで拙者に白羽の矢が立ったというわけか」

「はい。いかがでしょうか?」

 

 光悦の胡乱な目が畳の上の刀を見てから、再び禿へと移動する。

 

「……一つ聞きたい。斬ってもよいか?」

「斬る、とは?」

「……殺してよいか」

 

 光悦はその鬼を人だと思っている。つまり自分が依頼されるのは人斬りだ。御上にどう言い訳をするかは知らないが、ここは吉原だ。淫靡な異界は奉行の追求も及ばない場所と方法があることだろう。

 

 光悦の剣に対する執着がよみがえる。一度でいい。一度、人を斬ってみたい。斬り殺してみたい。それが光悦の切なる願いだった。外刀流を学びながら、活人剣などという偽りに惑わされたくはない。人を斬ることができれば、それは最高の体験になる。病によって歪んだこの剣が、ひとたび輝くのならば、身命を賭す価値がある。

 

「ふふ、殺せるのならば」

 

 禿が挑戦的に笑った。まだ十代初めとは思えない色香だった。

 

「……乗った。お前を買おう。今夜の代金は用心棒として拙者を雇うことで払おうか」

「お頼み申します」

 

 禿は頭を下げた。

 

「……禿、名はなんという。名も知らぬ女を買ったというのも滑稽だ」

「藤、と申します。お侍様は?」

「……志度光悦、と申す」

「光悦様ですね。よいお名前ですこと」

 

 改めて名乗った二人だったが、既に光悦の死んだ魚のように淀んだ目は、藤と名乗った禿を見てはいなかった。

 

「……では、藤。拙者はお主ではなく殺し合いで楽しもう。鬼といえども、血が出るのならば斬れる」

 

 光悦は、鞘に収まった刀をそっと撫でるのだった。まるで、牙を剥く猟犬をなだめる猟師のように。

 

 

◆◆◆◆

 

 

「……ということがあり申した。拙者、稽古の合間にこれからあの廓の用心棒を務めます」

 

 夜もさらに更け、待ち合わせ場所に現れた光悦は、石動と勘兵衛に自分のことを告げた。ちなみに甚六は今も白梅のところでお楽しみ中である。

 

「おいおい……光悦、お前童女が好みだったのか? 禿に手を出そうたぁ数寄者だなあ」

 

 勘兵衛が呆れた声を上げる。

 

「……月のものが来る前の童女など、興味の埒外ですが」

 

 真顔で光悦はそう答えた。

 

「……ただの戯れです。拙者が禿を買ったのは、用心棒を務める理由が欲しかった故。これで、大手を振って鬼に刃を向けられるというもの」

 

 光悦にとって禿の藤を買った理由はそれだけでしかない。むしろ彼は、これから始まるであろう殺し合いにこそ昂ぶっている。

 

 暗い情念を見せる光悦に、勘兵衛はぞくりと震えあがった。彼にとって光悦は同門だが、時折見ていて恐ろしくなるのだ。亡者が地獄から這い出して刀を握っているように見える。

 

「おい光悦」

 

 じっと黙って聞いていた石動が口を開く。相撲取りとがっぷり四つに組めるほどの巨漢がそう言うと、凄みがある。

 

「……なんでしょうか」

「その廓、荘子楼といったか」

「……はい」

「そこはいわくつきだ。もとより吉原には妖しのものが多い。その廓、妖魔がとりわけ集うところとして祓いを生業とする者たちが目を光らせている。鬼を甘く見るな。俺はお前の葬式には出たくない」

 

 どこもかしこも分厚く、筋肉で覆われた石動はそう言うと、じっと痩身の光悦を睨みつける。

 

「……もとより拙者は死神とは懇意。葬式はおそらく近いでしょう」

「馬鹿者!」

 

 光悦の言葉に石動は手を上げる。サザエのような拳骨で殴られると頭蓋骨が割れそうだ。

 

「いいか、お前が死んだら俺がお前の棺桶を担ぐことになるんだぞ! そんなことになったら俺はお前を冥府から引きずりだして鉄拳制裁してやるからな!」

 

 不器用な親切である。石動が情に厚いことは誰もが知っているゆえ、彼の拳骨に文句を言うものはいない。

 

「……ご安心下さい。拙者は死にませぬ。少なくとも、あの禿と約束を果たすまでは」

「なんでえ。やっぱりお前ぇ、禿に入れ込んでんじゃねえか」

 

 勘兵衛がにやにやと笑った。

 

「……そういうわけではありませぬ」

「ならいいんだけどさ。あんまり入れ込むようなことするんじゃないぜ。俺たちゃ武士だ。あんまりあっち側の連中ばかり相手にしてるとそのうち引きずり込まれるぜ。真っ当に生きろよ」

「……心得ました」

 

 あくまでも静かだが、それでいて斬ることに対する暗い情念を燃やす光悦に、勘兵衛はため息をついた。

 

「石動の兄ぃ。こいつ、本当に剣については馬鹿みたいに執着しますねえ」

「尚武の気風が強いからなあ。まあ、こいつは根っからの剣術馬鹿ということだ。しかし、こうなったら光悦は止まらんだろう。まあ、死なないように見張っとくしかあるまい」

「まったくですね」

 

 二人は互いにうなずきながら、のっそりと歩き出した光悦に続くのだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

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