VTuber育成ゲームに転生したけど、ステ振りに失敗しました 作:bnn
『どうぞ、上がってください……』
居留守を決め込んでから、どれくらいの時間が経っただろうか。
あまりにもしつこすぎる訪問者に、私の牙城はあっけなく崩れ去り、結果として自宅への侵入を許してしまっていた。
圧倒的な敗北感に打ちひしがれながら、二人をリビングへと通す。
二人の女性のうち、片方は申し訳なさそうに、もう片方は大口を開けてあくびをしながら部屋に入ってきた。
「お邪魔します。突然ごめんなさいね」
申し訳なさそうな方……スーツ姿の女性が、肩から荷物を下ろして頭を下げる。
その丁寧な態度に幾分か警戒を和らげていると、幼女の方がぼふっと二人掛けのソファーにダイブして、そのまま横になった。
「ふわぁ……結構いい家に住んでるんだな。玄関を見た感じ、一人暮らしか?」
「ちょっと、失礼でしょう。起きなさい」
幼女は眠そうに目を瞬かせる。
スーツ姿の女性はそんな幼女の脇に手を差し込んで、ソファーの端に座らせた。幼女は不満げに顔を顰めて足を組み、背もたれに体を預ける。
私はスーツ姿の女性にもその隣の席を勧めて、自分は空いているカーペットの上に座ろうとした。
すると女性が「申し訳ないので自分が下に座る」と遠慮したため、結局二人ともカーペットの上に、テーブルを挟んで九十度の位置で座ることに。
女性の後ろで、幼女だけが我が物顔でソファーを占領していた。
ひとまず全員の腰が落ち着いたところで、スーツ姿の女性が名刺を取り出して、自己紹介とともに差し出してくる。
「それじゃあ、改めて……フォースター・プロダクションでマネジメント部に所属している、氷川麻子です。こっちは同期のエンジニアで、鶴見瑠奈。よろしくね、RiTZさん」
えっ、ど、同期っ⁉︎
この見た目で⁉︎
信じられない情報を耳にして、二人の顔を何度も見比べる。
今だけは声が出せない体でよかったと思った。絶対に失礼な言葉が飛び出ていただろうから。
女性がフォースターに所属しているマネージャーだという話は、インターホン越しに聞いてはいた。
だけど同期ということは、この幼女、もしかしなくても私より年上なのか……。
そんな気持ちが表情に出てしまったのだろう。
私と目が合った年上幼女――鶴見さんが、ジロリと睨みつけてきた。
「……なんだその顔は。これでもこいつと同い年だよ。敬ってくれていいんだぞ」
「なんでそんなに偉そうなのよ……今年で二人とも二十六になるわね」
同い年という言葉に疑いの眼差しを向けてしまったのか、氷川さんが補足してくれた。
二十六歳……とても成人しているようには見えないのに、一回り以上も上だったのか……。
「おい。私たちが自己紹介したんだから、お前も教えろよ。まず名前は?」
いよいよ不機嫌な声色で、鶴見さんが尋ねてきた。
まだ色々と聞きたいことはあったが、まずは自分も挨拶くらいしないと……と思い、慌ててスマホを手に取る。
メモ帳を開いて文字を入力しようとしたところで、さらに鶴見さんが声を被せてきた。
「何だ? さっきから気になってたけど、お前喋れないのか?」
ストレートな物言いが、ぐさっと胸に刺さる。
面倒くさくてすみません……と身を小さくしながら、正直に『人と対面すると声が出せないんです』と伝えた。
その文章を見た鶴見さんは、「ふーん」と小さく呟くと、自分のスマホを少しいじってから私に差し出してきた。
画面にはQRコードが表示されている。
「ほら、これダウンロードしてみろ」
ダウンロード……?
いったい何だろう。
首を捻りながらも、言われるがままにコードを読み取ってダウンロードを開始する。
やがて私のスマホに、一つのアプリが追加された。
「学生の時に暇だったから作った読み上げアプリだ。二人で画面を覗き込むなんてくそ面倒だからな。あった方が便利だろ」
アプリを開いてみると、その言葉通りテキストを読み上げるための専用アプリのようだった。
テキストの入力欄のほか、再生や保存、履歴といったボタンが並んでいる。また『返事』『挨拶』『質問』といったフォルダにあらかじめ短文が記録されていて、そのボタンを押すだけで『はい』や『いいえ』といった定型文を返すことができた。
すごく見やすく整理されていて、初見でも使いやすい。
試しに『ありがとうございます』のボタンを押してみると、機械的な女性の音声が再生された。
「別にそんなアプリ無料でいくらでもあるし、お前のスマホに元々入ってる機能でも似たようなことはできるぞ。ま、私のが一番使いやすいだろうけどな」
可愛らしいドヤ顔を見せて、ふふんと鼻を鳴らす。
そんな鶴見さんの様子を呆れた目で見てから、氷川さんが私に顔を向けた。
「それじゃ、自己紹介の続きをお願いできる?」
コクコクと頷いて、急いでスマホに文字を打ち込んでいく。
再生のボタンを押すと、自動で音声が流れた。
『雨音律です。よろしくお願いします』
「ようやく会えて嬉しいわ。よろしくね、律さん……あ、名前で呼んで大丈夫かしら?」
こくりと頷いた後、あれ? と疑問に思いまたスマホを触る。
『そういえば、さっき自己紹介する前に、私の名前を呼んでませんでしたか?』
「ああ。あれはSNSのアカウント名を呼ばせてもらったのよ。『RiTZ』ってあなたでしょう?」
そう言って、氷川さんが『ツブヤイター』を開いて私に見せてきた。
画面には私のアカウントが表示されている。
ああ、なるほど……と一瞬納得しかけるも、すぐに『何でバレた⁉︎』と心臓が飛び跳ねる。
ツブヤイターに、私を特定できるような個人情報を載せた覚えはないのだが。
「この間『My Tube』で配信してたでしょ? その時の動画のURLで検索をかけたら、このアカウントが見つかったのよ」
「動画側にSNSのリンクくらい貼っとけよなー。面倒くさい」
言われて思い返してみれば、確かに初配信の前に、ツブヤイターで告知を出していた気がする。
そこからSNSアカウントを特定されたのか……。
「何度もツブヤイターからDMを送ったんだけど、返事がなかったから……ああ、その様子だと、やっぱり確認してなさそうね」
氷川さんの言葉を聞いて、すぐに自分のスマホでツブヤイターを確認してみる。
確かに氷川さんらしきアカウントから、大量のメッセージが送られてきていた。
私、いつ通知切ったっけ……?
覚えてないけど、連絡を無視してしまっていたことは事実だ。
申し訳なさで胸を満たしながら、スマホに文字を打ち込んでいく。
『すみません……まったく気がつきませんでした』
「ううん、それはいいのよ。いきなり不躾に連絡したこっちも悪いから。とにかく、メッセージに返事がなかったから、こうやって直接会いに来たってわけ」
なるほど、それで家まで……いや、待て待て。
『あの、どうしてうちの住所が分かったんですか……?』
「ああ、それはね……」
恐る恐る訊いてみると、氷川さんは気まずそうに視線を逸らして、ソファーの上でふんぞり返っている鶴見さんにバトンを渡した。
鶴見さんは鞄からタブレットを取り出すと、気だるげに操作してテーブルの上に放り投げる。
「ほら、これだよ」
腰を浮かせて、タブレットの画面を覗き込む。
画面には、私の初配信の時の静止画が表示されていた。
「何でこんな意味不明な画面で配信したのか知らないけど、お前画角の調整とかちゃんとやらなかっただろ。ほら、ここ」
鶴見さんはそう言って、画面の一部をズームしてみせる。
スケッチブックの絵が画面から消えるくらいまで近づいて、ようやく私も気がついた。
「…………っ‼︎」
スケッチブックとカメラの画角のわずかな隙間から、部屋の中が微かに見えていた。
注意して見なければ気にならないような小さな隙間。そこには外の通りに面した窓ガラスがあり、反射して部屋の中がうっすらと映っている。
窓ガラスには、朧げではあるが、歌っている私の姿も映っていた。
私だと判別できるほど鮮明ではないものの、意図せず露見していた自分の姿に驚愕して息を呑む。
そんな私の様子を一瞥してから、鶴見さんがさらに画面をアップにした。
「向かいにマンションと、大型スーパーの看板が見えるだろ。マンション名とスーパーの店舗さえ分かれば、この建物を割り出すのは簡単だ。あとはガラスに映ってる間取りで部屋の位置が分かるし、外の景色から部屋の階数が分かる。お前の家の特定なんて朝飯前ってこと。まあ仕事の合間にやれって言われたから時間はかかったけど。お前、カーテンとかちゃんと閉めるクセつけた方がいいぞ」
当たり前みたいな顔をして淡々と告げてくる。
そんな鶴見さんに恐怖を覚えて肝を冷やしていると、氷川さんが「優秀なだけで悪い人ではないのよ」とフォローした。
「幸いこのクソみたいなサムネのせいで、五日経った今でも動画はほとんど見られてない。センスが無くてよかったな。早めに非公開にしておけよ」
く、クソみたいなサムネ……。
鋭い言葉が胸にクリーンヒットする。
再生数が回っていないのは、この場合運が良かったと言うべきか、悪かったと言うべきか……。
少なくとも〈運〉のステータスは、うちの住所が悪意を持った不特定多数の人間に知れ渡るという『不運』をもたらさなかったらしい。やっぱり配信内でしか作用しないステータスなのかもしれない。
確定ではないから、それが逆に不気味で、怖くもあるのだけれど……。
とりあえず、急いで『My Tube』を開いて動画の設定を非公開にしておいた。
『教えていただいてありがとうございます。助かりました』
「おー、崇め奉っていいぞ」
お礼を伝えると、鶴見さんは手をひらひらと動かしてまたソファーで横になった。
ごろんと丸くなる姿はまるで本当の黒猫のようで、その愛らしさにうっかり黒猫教に入信してしまいそうになる。
住所が漏洩する前に気付けて良かった……と胸を撫で下ろしていると、氷川さんがスッと背筋を伸ばして、私に向き直った。
自然と私の居住まいも正される。
「……直接会いに来るなんて、褒められた行為じゃないって分かってる。本当にごめんなさい。だけどどうしても、他の人に取られてしまう前に、律さんと話がしたくて」
氷川さんは真剣な面持ちで、じっと私を見つめていた。
その迫力に気圧されながら、たどたどしくスマホに返事を打ち込んでいく。
『何のお話でしょうか?』
短く尋ねると、氷川さんは小さく肩を震わせて、ふぅ、と息を吐いた。
慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始める。
「……あなたの配信を観たわ。そしてあなたの歌を聴いた。あの歌は私にとって、初めての経験だった。本当に、人生観が丸ごと変わってしまうくらい、素晴らしい歌声だったわ」
大仰な賞賛の言葉に、嬉しさと照れくささが同時に湧き上がってくる。
お礼を言いたくなるのを我慢して、氷川さんの次の言葉を待った。
「あなたの歌を聴いて思ったの。何としても、この歌を世界に届けたい、この歌で世界をひっくり返したいって。だから律さん。私に、あなたのプロデュースをさせてもらえないかしら?」
私を見つめる青い瞳が、緊張で揺らいでいる。
受け取った言葉の重さにたじろいで、すぐには答えを返せなかった。
世界をひっくり返す……私の歌で?
本気だろうかと悩むが、とても冗談を言っているようには見えない。
困惑しながらも、何とかスマホに文字を入力する。
『それは、私をフォースター・プロダクションのタレントとして加えたいというお話でしょうか?』
確認のために尋ねると、予想に反して氷川さんは首を横に振った。
「フォースターは近々退社するつもりなの。元々自分でプロダクション事業を起こすつもりでずっと準備していて、最近はそのために動いてる。律さんには、私が新しく立ち上げるVTuber事務所の初期メンバーとして参加してもらいたいと思ってるわ」
――新設のVTuber事務所。
それを聞いて、私の心には大きな迷いが生まれてしまった。
ミッションのために急いでVTuber事務所に所属しなければならない私にとって、氷川さんの提案は渡りに船だ。
他の事務所に入れる目処が立っていない現状ならなおのこと。
だけど、自分にとって都合がいいからといって、軽々しく氷川さんの船に乗せてもらっていいのだろうか。
すでに盤石の立場にある事務所の末端に加えてもらうのとはわけが違う。氷川さんはそれこそ人生を賭けて、自分の事務所を起こすつもりのはずだ。
……失敗は許されない。
初期メンバーとして参加する以上、私だけの問題では済まなくなってしまう。
これまでずっと一人で活動してきた私にとって、誰かの人生を一緒に背負うというのは初めてのことだった。
すごく重たく感じてしまって、どうしても不安がつきまとう。
これは私が首を縦に振ればすぐに終わる、簡単な話だ。
それでも、この重みを無視してあっさり頷いてしまうのも、何だか違う気がした。
『……私も事務所に入りたくて、どこか拾ってくれるところはないかと探してました。だから、そう言ってもらえるのはすごくありがたいですし、嬉しいです。だけど……本当に私でいいんでしょうか』
ちゃんと伝えよう。
自分の希望も、不安も、全部伝えた上で、それでも私を選んでくれるというなら……。
その時は、私も迷いなくこの人の手を取ることができる。
そう思って、スマホに指を這わせた。
「……どういうこと?」
氷川さんが、訝しげにこちらへ視線を送る。
その瞳を真っ直ぐ見つめ返しながら、再生ボタンを押した。
『私、歌うことしかできないんです。頭の回転も早くないし、楽しいお喋りもできないし、絵も描けないし、お芝居もできません。ゲームも下手くそです。歌うこと以外、本当に何もできないんです』
無機質な音声が、静かなリビングに流れる。
再生が終わるまで、氷川さんは黙って待っていてくれた。
『正直に言って、私は自分に氷川さんの人生を賭けさせる価値があるとは思えません。さっきも他の事務所から連絡がきて、書類選考すら通らなかったんです。歌うだけなら絶対に誰にも負けません。だけどそれ以外のことでは、私は期待に応えられないと思います』
読み上げが終わると、軽く頭を下げて会話のボールを相手に渡す。
素直に全部話した。これでだめなら潔く諦めよう。
そう思い返事を待っていると、いつの間にか氷川さんは私から視線を外して、鶴見さんと顔を見合わせていた。
「書類選考も通らなかった? それはおかしいわね」
「だな」
想定していなかった部分が取り上げられて、虚をつかれる。
鶴見さんがのそっと体を起こして、私を見下ろしてきた。
「応募した時のデータ残ってるか? ちょっと見せてみろ」
そう言って、手を差し出してくる。
私は慌ててスマホの写真フォルダを遡り、念のため保存していた応募シートのスクリーンショットを表示した。
私が画像を探している間、氷川さんが横から口を入れてくる。
「事務所の規模にもよるけど、基本的に書類選考なんてものは、明らかに水準に達していない応募者を間引くために使われるだけ。よっぽど書類に問題がない限りは、とりあえず見ておきたいっていうのが事務所側の心情よ。そのために馬鹿にならない予算がかかってるわけだしね」
「応募総数がそこまで伸びない大手以外の事務所なんかは特にな」
鶴見さんの補足を聞きながら、画像を表示してスマホを手渡す。
二人が画面を覗きこみ、しばしの沈黙が流れ――
「……ぷっ。あーっははははははははっ‼︎ まじか! これ送ったのかこいつ! 馬鹿だ、マジモンの馬鹿だ!」
「……くっ。ちょっと、失礼でしょう、瑠奈……」
いきなり鶴見さんがお腹を抱えて大爆笑。しかもその隣で、氷川さんも必死に笑いを堪えているように見える。
私は何がなんだか分からず、ただ困惑することしかできない。
氷川さんは唇をぷるぷる震わせながら、私にスマホを返してくれた。
自分でも画像を見返してみるけれど、当然内容は応募した時のままだ。
なぜ笑われてるのか理解できない。
そんな私に、氷川さんが一つ一つ質問を飛ばしてきた。
「律さん。学歴、職歴がほとんど白紙なのはどうして?」
『え……私高校行ってないですし、仕事もしてないので』
「好きな科目が『分からない』っていうのは?」
『ちゃんと学校で授業を受けた経験があまりなくて……』
「特技の欄が空白なのは?」
『あ……自己PRのところで作曲と歌うことって書いたら、他に書くことがなくなっちゃって……』
「過去の配信活動について。『昨日一回配信しました。また歌いたくなったら歌います』……これ、どこまで本気で書いてるのかしら?」
『え……全部本気のつもり……でした……』
「本人希望欄の文章。『喋れません。ゲームできません。絵かけません。お芝居できません。しばらくコラボ無理です。たくさん歌いたいです』って……あまりにも赤裸々に書きすぎじゃない?」
『え? あ、あれ……? えっと、正直に書かなきゃと思ってたんです……けど……』
「……志望動機の、『ミッションのため』ってどういう意味なの?」
『……えっと、これは……その……』
質問が続くにつれて、私の声はどんどん窄んでいった。
他人に指摘されて初めて、自分の応募シートの惨状に気付く。
回答を一つ見直すたびに、顔が青ざめていくのが分かった。
ありえない。
こんな内容で、受かると思って事務所に応募していたのか、私は。
「ぷっ、くくっ……特に長所と短所がやばいな……長所が『歌』で短所が『それ以外全部』って、割り切りすぎだろ……!」
鶴見さんはまだお腹を抱えて、涙が出るほどに笑っている。
氷川さんは額を抑えて、深々とため息をついた。
二人の反応を見てようやく、私は自分に何らかのステータスの影響が出ていることを自覚した。
流石にこれだけおかしな回答が並んでいれば、以前までの私ならどこかの段階で気付くはず。
他人に指摘されないと、問題点に気付くことすらできない場合もあるのか……ちょっとこれは、早急にどうにかしないとまずいかも。
承知の上で上手くできないのと、自覚なく意図しない行動を取ってしまうのとではまるで違う。
あとでステータスを見直さなければ、と考えていると、鶴見さんが楽しそうに口を開いた。
「はあー、腹いてぇ……たまにこういうやつがいるんだよな、この業界。まあここまで分かりやすく尖ってるのは初めて見たけど」
丸い目をきらりと輝かせて、私の顔に視線が注がれる。
何か面白いものを見るような気色ばんだ瞳に、私の心中はますます落ち込んでいった。
やっぱり、こんな私がこれから立ち上げる事務所なんかに入っても迷惑をかけるだけなんじゃ……。
想像以上に自分の劣っている部分が見えてしまって、目線を下に落とした。
私にはきっと、一人で好きに歌っている方が性に合っているんだろう。
そんなことを考える私の頭上から、氷川さんの凜とした声が届いた。
「――でも、そういうところがいいなって思ったの」
へ? と声にならない息を吐き出しながら、ゆっくり顔を上げる。
氷川さんはテーブルに肘をついて、胸の前で両手の指を重ね合わせていた。穏やかな笑みを浮かべて、背中を丸めた私を見下ろしている。
「私が所属してるフォースターはね。いつも手堅いマネジメントをしていて、マルチに活躍できるタレントを積極的に採用しているの。全員が何をやらせても高水準にまとまっていて、多方面に優秀なタレントをたくさん揃えてるわ。誰もが入り口にもなれるし、ゴールにもなれる。だから、『とりあえずフォースターからVを知ろう』というファンを多く獲得して、内部の循環で完結してた。確かに運営は安定するし、配信者からしても心強い環境よね」
そんな優秀な人材を山ほど抱えていれば、それは組織としては強く、大きくもなるだろう。
歌うことしかできない私とは正反対だ。
私を見つめながら、氷川さんがさらに語る。
「だけど私が見たいのは、そういう百人に『いいね』って言われるような配信じゃないの。たとえ九十九人にそっぽを向かれても、一人の人生を丸ごと変えてしまうような……『本物』の衝撃を与えられる、そんな配信が見たいのよ」
――あなたの歌に人生を変えられた、私みたいにね。
そう付け加えて、氷川さんは少しだけ身を乗り出して、私に顔を寄せた。
「だからあなたが必要なの。私が欲しいのは、何でもこなせる器用なタレントじゃない。他のことでどれだけ劣っていたとしても、たった一つの武器ですべてを覆してしまうような、圧倒的な才能を持った異分子が欲しい」
私の目の前に、綺麗な手が差し出された。
手のひらを上に向けて、私が握り返すのを待っている。
「あなたに足りないものは、私たちがすべて用意するわ。だから律さん。一緒に、VTuberの頂点を目指してみない?」
目の前に置かれた大きな手に視線を落とす。
ここまで熱く誰かに求められたことが、かつてあっただろうか。
「あなたの歌が世界で一番だって、私は信じてる。大丈夫。あなたには、私が人生を賭ける価値が十分にあるわ」
天秤が傾きかけた私に、さらにダメ押しの一言。
氷川さんの言葉が、力強く背中を押してくれる。
……そんな嬉しいことを言われたら、断るわけにはいかないじゃないか。
それは、私がずっと誰かに言ってもらいたかった言葉なんだから。
『これから、よろしくお願いします』
それだけ短く打ち込んで、氷川さんの手を握った。
痛いほど強く握り返されて、彼女の歓喜している様子が直に伝わってくる。
この人の期待を裏切りたくない。
だから言われた通り、世界で一番の歌を歌ってやろう。
そう決意して、私も同じくらいの力で、彼女の熱い手を握り返した。
* * *
「それじゃ、契約に関する手続きはまた明後日ね」
事務所の住所や今後の流れについて説明してくれた氷川さんが、最後にそう付け加えた。
今日はもともと話だけのつもりだったようで、正式な契約手続きは後日事務所で行うらしい。
ミッションの〈VTuber事務所に所属しよう〉がどこまで厳密に審査されるのかは分からないが、できれば内々定ではなく、正式に契約を結ぶところまで進めておきたい。
氷川さんから書面上で確約をもらえれば、ひとまずは安心だろう。
そう思って『できるだけ早く事務所に伺いたい』とお願いしたところ、明後日のお昼から時間を空けてもらえた。
ミッション最終日なので、滑り込みセーフといったところだろうか。
何とかなりそうだと気を緩めたところで、氷川さんが思い出したように再度口を開く。
「ああ、そうだ。どうせなら他のメンバーも呼んで、顔合わせでもしておこうかしら」
『他のメンバーですか?』
何の話だろう、と疑問符を浮かべる。
スマホから流れる合成音声に、氷川さんがハキハキと答えてくれた。
「ええ。実は律さんの他にも四人ほど、声をかけてるライバーがいるの」
急にそんなことを言われて、目を見開いた。
私だけじゃなかったのか……いや、冷静に考えたら、新しく立ち上げる事務所で新人が一人だけなんて寂しすぎる気もする。
だけど何というか……ううん、そうか……私だけが特別じゃなかったのか……。
……これはいわゆる、やきもちというやつだろうか。
内面のモヤモヤが表情に出てしまったのか、氷川さんはくすりと笑って、優しく私の頭を撫でた。
「律さんが一番なのは本当よ。だけど他の四人も、それぞれの分野で頂点に立てる特別な才能を持ってる。私はそんな五人が集結して、今のVTuber業界をひっくり返すところが見てみたいの」
氷川さんの優しい手つきに懐柔されて、ついつい『まあ別にいいかぁ……』という気分にさせられそうになる。
ハッとして頭を離し、高速でスマホに文字を打った。
『せめて勧誘する時に教えておいてほしかったです……』
「ごめんなさいね。あの時は律さんのことしか見えてなくて、うっかり忘れてしまったの」
ようやく会えて浮かれていたのね、と言って微笑む氷川さん。
……なんか、ずるいなぁ。
そんなこと言われたら、こっちも怒るに怒れないではないか。
不満を露わにする私をよそに、氷川さんは楽しそうに話し続ける。
「大丈夫、きっと仲良くなれるわ。あなたたちは全員、一人じゃ足りないものだらけで、欠点を数えたらキリがない。才能に振り回されて、社会に出れば白い目で見られる異分子たち」
私を見つめながら、子供のようにくすくすと笑う。
何だかひどいことを言われてる気がしないでもないが、事実なので何も言い返せない。
「……だけどそんなあなたたちがチームを組んだら、きっと最強よ。足りない部分は補い合って、お互いの武器をより輝かせる。そんな最高のチームになれるって、私は確信しているわ」
自信に満ちた顔でそう断言してから、氷川さんはふわりと目元を緩めた。
安心させるような声色で、私に語りかける。
「だから、楽しみにしていてね。きっと律さんにとっても、かけがえのない仲間になると思うから」
そう自信満々に言われると、何だか私も顔を合わせるのが楽しみになってきた。
上手く丸め込まれた気もするけど、せっかく一緒にやっていくメンバーなら、確かに仲が良いに越したことはない。
『……打ち解けられるように、頑張ります』
人と接するのはあまり得意じゃないけど、仲良くなれるように努力してみよう。
そんな気持ちを込めてぐっと拳を握ると、氷川さんが微笑ましいものを見るように目を細めて、また頭を撫でられた。
「ええ、頑張ってね」
露骨な子供扱いを遺憾に思いながら、されるがままに頭を揺すられる。
氷川さんの手は程よく暖かくて、触れられてるとだんだん眠くなってくる。
不思議な心地よさに身を委ねていると、次第にまぶたが下がってきて――
「……なぁー。私、先帰っていいかなぁ?」
ずっと黙っていた鶴見さんが、いきなりソファーの上から声をかけてきた。
一気に目が覚めて、慌てて二人から距離をとる。
手櫛で前髪を整えながら、熱くなった顔を隠す。
指の隙間から覗くと、胡座をかいた鶴見さんが、意地悪そうにニヤニヤと笑っていた。
どんどん文字数が膨らんでいく……
どうして……
読んでいただきありがとうございます。
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