VTuber育成ゲームに転生したけど、ステ振りに失敗しました 作:bnn
カタ、カタ……と、鶴見さんのタイピングの音が響く。
氷川さんが事務所を出て行ってから、十五分ほど経った頃。
ようやくガラス張りの会議室に、社員の二人と、ライバー候補の五人が揃っていた。
時刻は十七時を少し回ったところ。
傾き始めた日差しを浴びながら、氷川さんが満を持して立ち上がる。
「遅くなったけど……それじゃ、始めましょうか」
その場に集まった面々にそれぞれ視線を送り、顔合わせの幕が上がった。
会議室には、コの字型に机が並べられていた。唯一空いているスペースの壁際には、大型のモニターが設置されている。
氷川さんが陣取っているのは、モニターの対面側。コの字に並んだ机の中央の席。
そしてその両隣を埋めるように、鶴見さんと、赤い髪の女性が腰を落ち着けていた。
氷川さんの声を聞いて、鶴見さんがパタリとノートパソコンを閉じる。
「ようやくかよ……まったく、たかが顔合わせでどれだけ予定が狂ったことか」
「あはは〜……どうもすみませ〜ん」
謝罪の声を上げたのは、氷川さんの左側に座る赤髪の女性。
身体中にアルコールの香りを纏い、机の上に体を投げ出して座っている。起きているのか疑わしいほど、眠そうに目を細めていた。
「おい、紅葉。お前酒くさいぞ。また昼間から飲んでたのかよ」
「違いますよぉ、瑠奈ちゃん先輩。昨日の夜から飲んでたら、いつの間にか今日の夕方になっちゃってただけですよ〜」
「つまり丸一日飲んでたってことじゃねーか。いい加減にしろよお前。体壊しても知らないぞ」
「途中で寝落ちしたから丸一日ではないで〜す。十八時間くらい?」
「一緒だ、ばか」
氷川さんがわざわざ家まで迎えに行った、赤い髪の女性。
『紅葉』と呼ばれた彼女は、上機嫌に頬を紅潮させて、にへらと笑っている。
そんな締まりのない顔の彼女を、鶴見さんは呆れた目で一瞥した。
なんだか、ずいぶん社員の二人と親しげな様子だ。
座っている席も近いし、それに鶴見さんのことを『先輩』と呼んでいた。もしかしたら旧知の仲なのかも。
「はいはい、本題に入るから静かにしてちょうだい」
左右に座っている二人を、氷川さんが手を叩いて黙らせる。
二人が素直に口を閉じたところで、改めて私たちに向かって声がかけられた。
「まずは自己紹介からしてもらいましょうか。各自の自己紹介が終わったら、私から事務所内での注意事項と、今後のスケジュールについて説明するわ」
氷川さんが、コの字に並ぶ机の両端に視線を送る。
氷川さんから見て右側の机には私と小鞠ちゃんが。そして左側の机には、葉月さんと、ショートカットの黒髪が似合う、格好いい雰囲気の女性が座っていた。
それぞれの顔を順に見ながら、氷川さんがまた口を開く。
「最初は私からね。といっても、ここには私が直接声をかけた人に集まってもらってるわけだから、全員ある程度は面識があると思うけど。この事務所の代表を務める、氷川麻子よ。詳しい経歴は省くけど、元々フォースター・プロダクションでタレントのマネジメントをしていたわ」
場慣れした様子で自己紹介を進めていく。
大企業に勤めていただけあって、ビジネススーツを着こなしハキハキしゃべる姿がとても様になっていた。
「今はあなたたち全員のスケジュール管理と、取引先との折衝、会社経営上の雑務全般を担当してる。企画や活動方針なんかの相談にも乗れるから、何かあったらいつでも声をかけてちょうだいね。それじゃ、瑠奈。次お願い」
うわぁ……。
ちょっと聞いただけでも多忙すぎて目が回りそう。
具体的に何をやってるのかは知らないけれど、この上さらにフォースターでの仕事と引き継ぎ業務まであるんだから、社会人というのは本当に大変だ。
氷川さんの仕事量を心配していると、バトンを渡された鶴見さんが「はいよ」と言って立ち上がった。
「鶴見瑠奈だ。最初に言っておくが、麻子とは高校からの同期で、今二十六歳。お前たちの中で誰よりも歳上だからな。身長のことをいじってきたヤツは、生まれてきたことを後悔させてやるから、そのつもりでいろよ」
半目になって、ジロリとライバー候補たちを睨みつける。
まず真っ先に言うことがそれなんだ……子供みたいで可愛いと密かに思っていたけれど、どうやら本人に伝えるのはタブーらしい。虎の尾を踏まないように気をつけよう。
「前職はフォースターのエンジニアだ。個人でソフト開発もしてる。ここではモデリングとお前らの技術サポートを担当するから、何か問題が起きたらチャット飛ばしてくれ。ワークフローを用意しておくから」
そこで自己紹介を切って、椅子に座り直した。
すると同じ机に座っている二人が口を挟む。
「瑠奈はこの会社の最高技術責任者でもあるわ。技術系のトラブルがあれば、まずは彼女に相談してね」
「高校の時から凄かったですからね〜。何か困ったことがあっても、ルナえもんに任せれば大概なんとかしてくれますよ〜」
「……おい、誰がルナえもんだ」
赤髪の女性の言葉に、鶴見さんがこめかみをひくつかせる。
「ほら、喧嘩しないの。次は紅葉、お願いね」
「はーい、了解で〜す」
力の抜けた返事をしながら、赤髪の女性がのんびりと立ち上がった。
彼女が動くと、アルコールの臭いがこっちまで漂ってくる。
すべての動作が緩慢で、体がふらふらと前後左右に揺れていた。まさに酔っぱらいという言葉が相応しい風体だ。
「うへへへ、どーもー。丸山紅葉っていいまーす。麻子先輩と瑠奈ちゃん先輩の高校時代の後輩で、二十五歳の無職でーす。今日は遅刻しちゃってごめんね〜。お酒飲んでたらいつの間にか寝ちゃってました〜」
わあ、すごい。
絵に描いたようなダメ人間。
ううっぷ、と吐きかけながら自己紹介する紅葉さんを見て、そんな感想を抱いたのはきっと私だけではないだろう。
よく見ると靴下は左右バラバラだし、着ているシャツは皺だらけ。美人ではあるのだけれど、何というか、すごく残念な人という第一印象だ。
「前はゲーム会社でデザイナーやってました〜。キャラデザからUIに3DCGまで一通り勉強してるよー。モーションも齧ってるけど、本業はやっぱり2Dイラストかなー。まあなぜか会社クビになっちゃったから、今は何もしてないけど〜」
「勤務中に酒飲んでベロベロになってたからだろ。むしろよく就職できたもんだ。日本の就活市場が心配だよ私は」
「ええ〜。瑠奈ちゃん先輩ひどいな〜」
ふにゃふにゃとした口調で、酒気を帯びた息を吐き出す。
近くに座っている葉月さんが、引きつった笑みを浮かべていた。
「今はイラストレーターとして、たまーに麻子先輩の仕事を手伝ったりしてたんだけどー。ついに独立するってことで、本格的にスカウトされちゃいました〜。趣味はお酒とエッチなイラストを漁ること……あいたっ! 何ですか麻子先輩……あ、しまった。未成年もいるのか。うそうそ、お姉さん怖くないよ、よろしくね〜」
途中で氷川さんの肘打ちをくらった紅葉さんが、こちらに向かってひらひらと手を振ってきた。
一応私も会釈を返しておく。隣では小鞠ちゃんが、楽しそうに顔の前で両手を振り返していた。
席に着いた紅葉さんを一睨みしてから、氷川さんが言葉を引き継ぐ。
「紅葉にはイラストレーターとして、あなたたちの素体のデザインを依頼しているわ。こんなどうしようもない酔っぱらいだけど、腕は確かだし、実績もちゃんとあるから」
「実は結構前から作業を始めてるよー。もうすぐ完成するから楽しみにしててね〜」
紅葉さんが私たちの顔を見ながらニヤリと笑う。
これまで眠そうに細められていた目が、僅かに見開かれた。
柘榴のような深い朱色の瞳には、デザイナーとしての自信と、プライドと、確かな才覚が宿っている気配がした。
「紅葉はあなたたちの、いわゆる『ママ』になるわけだけど、この子自身も同期のVTuberとして一緒にデビューする予定よ。イラストやデザイン関連で何かあれば、私と紅葉に相談してね。工数を調整しながら対応を考えるから」
「大抵の要望には答えられる自信はあるよ〜。ママ頑張っちゃうから、気軽に頼ってくれていいからね〜」
紅葉さんが、私たちのママか。
この人がどんなキャラクターを描いてくれるのか、すごく楽しみだ。
鶴見さんと紅葉さんは、きっと氷川さんにとっての頼もしい両腕なのだろう。
素行に問題はあるかもしれないけど、その腕前には信を置いている。そしてそんな二人を、氷川さんが取り仕切る。
少数ではあるが、お互いの長所が上手く噛み合っている気がした。それに親身になって私たちを支えてくれるだろうという安心感もある。
この事務所を選んでよかったと、過去の自分を褒めてやりたくなった。
「じゃあ次は……紅葉、指名してくれる?」
「え〜? そうだなー。じゃあ遅刻の罰ってことで、遅く来た人順にしましょうか〜」
「ふむ。なら、次は僕かな?」
対面側の机……葉月さんの隣から、やや低めの色気のある声が上がった。
黒髪の女性が音もなく立ち上がり、肩に羽織っていたジャケットを落として椅子の背もたれに引っ掛ける。
そんな気取った所作も、彼女がやるととても洗練されて見えた。
余裕のありそうな華やかな笑みがそう思わせるのか。それとも全身から溢れ出ている自信と、眩いばかりのオーラが、私の目にフィルターをかけているのか。
姿勢よく立ち上がった彼女は、背がスラっと高くて、まるでモデルのようだった。
細身のパンツがスタイルの良さを際立たせている。
例えば女子校に通っていれば、間違いなく『王子様』的な扱いを受けるだろう。そんな中性的な美人といった印象の女性だ。
女性は左から右へ視線を動かすと、全員の目が自分に向いていることを確認して、鷹揚に自己紹介を始める。
「まずは遅れたことの謝罪を。役者仲間との読み合わせに熱が入ってしまってね。ふふ、埋め合わせはそのうちさせてもらうよ」
そう言いながら、なぜかウインクを飛ばしてくる彼女。
どれだけ自己肯定感が高ければ、こんなキザな仕草を自然と行うことができるんだろう。
「黒川咲耶だ。年齢は……流れ的に言った方がいいのかな?」
「別に必須ではないわよ。任せるわ」
黒髪の女性――咲耶さんからの確認の視線に、氷川さんがさらりと答える。
「ふむ、まあ隠しているわけでもないし構わないが。今は二十三歳で、少し前まで『劇団メルト』というところで役者をしていた。とある事情で劇団が解散したところを、お客さんだった麻子さんに誘われてね。配信業は初めてだからとても楽しみにしているよ」
へえ、役者さんだったのか。
観劇の経験はあまりないけれど、確かに華があるしスタイルもよくて、舞台映えしそうな人だなと思った。
「ちなみにとある事情ってのは? 言える範囲でいいけど」
鶴見さんからの質問に、咲耶さんは少し困ったような顔をして笑う。
「実は、女の子たちが僕を奪い合って大喧嘩してしまってね。僕としては普通にみんなと仲良くしていたつもりだったんだけど、いつの間にか六股疑惑までかけられて、結局どうにもならないほど泥沼化してしまったんだ」
「……お前、うちの事務所のメンバーには絶対手を出すなよ……」
ろ、六股……。すごい。想像もできない世界だ。
誰かと付き合ったこともない私としては、話を聞いただけで唖然としてしまう。
そういうのを芸の肥やしと言う人もいるけれど、人付き合いが苦手な私には理解できそうにない価値観だった。
「趣味は観劇や映画鑑賞かな。ああ、喫茶店巡りも好きだよ。近くに美味しいコーヒーを淹れてくれるお店があるから、もし興味があれば一緒に行こう」
よろしくね、と爽やかな笑顔を見せて、咲耶さんが席についた。
コーヒーは私も好きなので、機会があればぜひ連れて行ってもらいたいところだ。
だけどあの自己紹介の後だと、二人きりで出かけるのはうっすら身の危険を感じてしまう。
信じてついていっていいものだろうか……と悩んでいると、隣に座っていた小鞠ちゃんが口を開いた。
「次は小鞠ですねぇ」
スマートに立ち上がった咲耶さんとは対照的に、小鞠ちゃんは席に座ったまま動こうとしない。
私のすぐ隣でほんの僅かに頭を下げてから、マイペースに自己紹介を始める。
「えーっと、花宮小鞠です。もともとはプロゲーマーとして活動してましたぁ。麻子さんからの勧誘はずっと断ってたんですけど、律ちゃんが事務所に入るって聞いたので、興味が湧いて来ちゃいましたぁ」
自己紹介の途中で、私の右腕に小鞠ちゃんの手が絡んできた。
いきなりすぎて、どういう顔をしたらいいのかまったく分からない。薄い笑顔を貼り付けたまま思考を放棄する。
体の右側に小鞠ちゃんの体温を感じながら、彫像のように固まって次の言葉を待った。
「あと何でしたっけ……ああ、趣味は可愛い小物集めとハーブ栽培です。特技はやっぱりゲームかなぁ。特にFPSとパズル系と古いRPGが好きです。いくつか世界ランクで一位になってるゲームがあるから、興味がある人は私のチャンネル教えるので見てみてくださいねぇ」
『世界ランクで一位』のところで、誰かの息を呑む音が聞こえた。
誰のものだったかは分からない。複数人かもしれないし、もしかしたら私だったかも。
世界一……しかも複数のゲームで。
eスポーツが世間一般に知れ渡って久しく、日本での競技人口も年々増えている。そんな中で、小鞠ちゃんがそれほど圧倒的な記録を叩き出しているとは思わなかった。
色々と問題が重なって、プロライセンスは失効してしまったと聞いていた。ただライセンスの発行元が関与しない大会には、たまに出場しては賞金を掻っ攫っているらしい。
小鞠ちゃんは本当に言葉通り、異次元の才能を持っているみたいだ。
そんな人に大会でやりたい放題されたら、そりゃあ出禁や謹慎になることもあるだろう。
「みんなも一緒にゲームやりましょうねぇ。よろしくです」
座ったままペコリと頭を下げて、小鞠ちゃんが自己紹介を終わらせた。
彼女の左手はまだ、私の右腕を緩く掴んでいる。
それにしても、何とも濃い人たちが同期に集まったものだ。
何となくこれまでの自己紹介を振り返っていると、対面側の席で、葉月さんがゆっくりと立ち上がった。
「――杉田葉月です。みんな、よろしくね」
一呼吸置いてから、葉月さんは明るい声で話しだした。
なんてことはない、ごく普通の挨拶。
だけど『あの表情』を見てしまった私には、それがとても歪んだものに聞こえてしまった。
……あの後、小鞠ちゃんと葉月さんの三人で、氷川さんたちが帰ってくるまでしばらく談笑していた。
葉月さんがどうしてあんな顔をしていたのかは分からない。和やかな笑顔を浮かべて小鞠ちゃんと話している葉月さんに、なんて声をかければいいのか分からなかったから。
結局、あの時の憎悪の正体には触れられないまま、小さなモヤモヤが心の片隅にずっと残っていた。
葉月さんはいったい、何を抱えているんだろう。
……私は葉月さんと、どんな風に接すればいいんだろう。
答えを出せないまま、彼女の自己紹介に耳を傾ける。
「年齢は二十一歳。趣味は散歩とか、ランニングとか。あとはツーリングかな? あ、キャンプとかも好きかも! キャンプ場で食べる料理って、不思議とすっごく美味しいんだよね。一緒に行きたい人がいたら、真心を込めて手料理振る舞うよ! って、インドア派の人しかいなさそうだけど……」
会議室に集まった面々を見渡して、葉月さんが苦笑いを浮かべる。
確かに好き好んで山の中で寝泊まりしたいとは思えなかった。料理も、絶対家やお店で食べる方が美味しいと思う。いや、もちろん個人的な感想だけども。
「えっと……実は咲耶さんと同じで、配信はやったことありません。だから先輩たち、良ければ色々教えてね。頼りにしてるから!」
深々とお辞儀をして、葉月さんが席に着く。
とても模範的で、葉月さんらしく好感の持てる自己紹介だった。
実際みんな好意的に受け止めているようで、にこやかに彼女の話に聞き入っていた。
……ならやっぱり、私の考えすぎなのだろうか。
葉月さんが何をやっていた人なのか。どういう経緯で氷川さんから勧誘を受けたのか。
それがまるで分からなかったのは、葉月さんが自己紹介の中で、意図的に話そうとしなかった……いや、『
これまでの自己紹介があまりに異質すぎたせいで、まともな分だけ浮いて見えてしまうだけなのかもしれない。
だけど私には、彼女のどこに氷川さんが言うところの『欠点』があるのか見当もつかない。それが魚の小骨のように、いつまでも引っかかっていた。
「――律ちゃん、律ちゃん」
ふと、小鞠ちゃんの声が聞こえた。右腕がくいくいと引っ張られている。
気付けば、その場にいる全員の視線が私に注がれていた。
……そうか、私が最後か!
大慌てで立ち上がり、合間合間で用意していたテキストを再生する。
スマホの音量を最大まで上げて、自己紹介用の音声を流した。
『雨音律といいます。この通り、誰かと会話しようとすると声を出すことができません。ただ、歌うことは大好きです。趣味は作曲で、BGMとかも作ったりするので、もし音楽関係で何か困ったことがあったら相談に乗れるかもしれません。どんな音楽がほしいとか依頼してもらえれば、私の方で制作することも可能だと思います。よろしくお願いします』
無機質な機械の声が、間を置かず一息で喋りきる。
長文を打ち込むとこんな風に読み上げられるのかと、どこか他人事のように思った。次からは適度に空白や句読点を入れてもいいかもしれない。
そんな反省をしながら、頭を下げて席に着く。
ふぅ、と息を吐き出して緊張をほぐしていると、小鞠ちゃんが元気よく話しかけてくる。
「お疲れ様です! あの曲、自分で作ってるんですね! すごいです!」
素直な賞賛の言葉をむず痒く感じながら、『ありがとう』と返す。
自分の曲を直接褒められると、こんなに嬉しいものなのか……。
にやけてしまうのを堪えられず、手で口元を覆い隠す。
我ながら、音楽のことになるとどこまでも単純だな……と呆れていると、氷川さんが立ち上がって口を開いた。
「みんな自己紹介は済んだわね。これからこのメンバーで活動をしていくことになるから、しっかり時間をかけて、お互いを理解していってちょうだい。今日がその第一歩になることを願ってるわ」
氷川さんに視線を向けられたので、こくりと頷いてみせた。
みんなと仲良くなれるように頑張るぞ……! と、一人決意を固くする。
「それじゃ早速で悪いんだけど、時間もないから、今後のスケジュールについて簡単に説明するわね」
氷川さんは一度席から離れてしゃがみ込むと、壁際に立てかけていた卓上ホワイトボードを持ち上げた。
ホワイトボードには一ヶ月先までの日付と、いくつかメモのようなものが書かれている。
「まず、あなたたちの広報解禁日はおよそ二週間後。正式なデビュー配信は三週間後を予定しているわ」
「三週間? ずいぶん短いですねぇ」
説明の途中で、小鞠ちゃんが驚いたように声を上げた。
一般的な日程がどれくらいなのか私には分からないけれど、この中で唯一配信者として活動経験のある小鞠ちゃんが言うなら、きっとそうなんだろう。
「準備期間自体は少し前から取ってるし、プロモーションもフォースターの地盤をそのまま引き継ぐつもりだから。初出しからデビューまで、あまり期間を空けたくなくてね。話題性も薄まるし、お金も無駄にかかるから」
「ふむ。すまない、地盤を引き継ぐというのは?」
「要は人脈ね。独立前から声をかけて、工数を確保しておいてもらってたの。今あなたたちのプロモーション用の素材を作ってもらってるところよ」
咲耶さんからの質問に、氷川さんはホワイトボードを示しながら答える。
「私と瑠奈がフォースター退社前の有休消化期間に入るのが十二日後だから、本格始動はそれから。素材も、それに合わせた日程で作ってもらってるわ」
説明を聞いて、咲耶さんは得心がいった様子で頷いた。
他に質問が上がらないことを確認して、さらに話が続く。
「フォースターの時のスタッフが揃ってるから、話題性と拡散性はある程度担保されてる。だから今回は広報期間をそれほど長く取らないで、情報の鮮度があるうちにデビューさせたいってわけ。各自、そのつもりで準備しておいてね」
氷川さんの言葉に、メンバーが思い思いの返事をする。
私もちゃっかり頷いてみせたけれど、果たして準備とは何をすればいいのか、実はよく分かっていない。
あとで小鞠ちゃんか、氷川さんに聞いておかないと……。
スケジュールについての説明が一段落したところで、今度は事務所内での注意事項をいくつか説明してくれた。
カードキーは建物の外では外すようにとか、どこどこにある荷物は触らないようにとか。
結構大切な説明もあったはずなのだが、私が見たところ、真面目に聞いていたのは葉月さんくらいだった。
みんな興味がないことにはとことん不真面目だ。まあ、ほとんど覚えていない私が言えたことじゃないんだけど。
氷川さんも途中からは、半ば諦めている様子だった。ごめんなさい。
一通りの説明を終えたところで、氷川さんが「――さて」と呟いて、ポンッと手を鳴らした。
緩んでいた空気が一瞬で切り替わる。
「最後に一つ、あなたたちに宿題を出すわ」
これまでとはひと味異なる、硬質な声。
私の隣で、小鞠ちゃんがアレルギーを起こしたような顔で、「宿題ぃ……?」と嘆いていた。
「みんなには、自分たちのユニット名を決めてきてほしいの。これから一緒に活動していく、五人全員を表す名前をね」
「……あれ? それってもう決まってなかったですか? 確か『スターライズ』と聞いた覚えがあるんですが」
告げられた宿題の内容に、葉月さんが挙手をして質問を飛ばす。
『スターライズ』という名前は初耳だった。氷川さんから勧誘を受けた際に教えてもらったのだろうか。
「それは事務所の名称。いわゆる『箱』ってやつね。それとは別で、あなたたち五人を一つのパッケージとして売り出すために、『どんな五人なのか?』っていうのを視聴者に伝えるためのユニット名がほしいのよ」
会社名と事務所名、ユニット名はそれぞれ別のものなのか……。
ううん、何だかごちゃごちゃしていてよく分からなくなってしまう。
そんな私の心中などスルーして、氷川さんの説明は続く。
「プロモーションの方向性にも関わることだから、何でもいいわけではないわ。あなたたちの個性を把握して、しっかりコンセプトを固める必要がある……んだけど……」
氷川さんの声が、途中から一気に尻すぼんでいった。
どうしたんだろうと不思議に思っていると、隣で鶴見さんが「ははっ」と声を上げて笑う。
「お前ら、ものの見事にバラバラだもんな。それぞれの個性が尖りまくってて、方向性どころか見えてる世界がまるで違うだろ。お前たち全員の芯を貫くコンセプトを立てるのは、相当骨が折れるぞー」
鶴見さんの言葉に同意を示すように、氷川さんが難しい顔をして頷いた。
「確かに簡単じゃないわ。だけど、できればあなたたち自身に決めてもらいたいの。よく考えてみて。自分たちが今後どうなっていきたいのか。何を目標に活動していくのか。あなたたちにとって、VTuberとはいったい何なのか」
その言葉を、ライバー候補たち全員が真剣な顔で聞いていた。
かくいう私も、心の中で自問自答を繰り返す……いや、答えが出せないのだから自答ではないか。
私にとって、VTuberとは何か。
何を目標に活動していくのか。
……私はVTuberになって、いったい何がしたいのか。何を成したいのか。
分からない。すぐに答えを出せるようなものじゃない気がする。
ただ『歌いたい』というだけでは、きっともう、ダメなのだろう。
「私が決めてもいいけど、それだとあなたたちに活動の方向性を強いることになる。それじゃあなたたちは、きっと本来の良さを発揮できなくなるわ。ただ売りたいだけならそれでもいい。だけど私は、あなたたちの才能が放つ本物の輝きが見たいの。全員の意志が噛み合った時に起こる『化学反応』を、私は期待してる」
化学反応……私たちの意志、か。
自分自身のことすらよく分かっていないのに、五人全員が心を通わせることなんて、本当にできるのだろうか。
とてつもなく難しいことのように思えて、気付けば視線が下に向いていた。
長い沈黙に包まれた後、氷川さんが低い声で告げる。
「……一週間、時間をあげるわ。五人でしっかり話し合って、あなたたちに相応しいユニット名を決めてきてちょうだい」
その重たい宿題を受け取って、顔合わせは終了した。
* * *
「うーん、やっと終わったぁ……最後に大変な宿題が出ちゃいましたねぇ」
氷川さんと鶴見さんが退室し、顔合わせが幕を下ろしたところで、小鞠ちゃんが話しかけてきた。
背伸びをして体をほぐしながら、私と同様に宿題について頭を悩ませている。
……小鞠ちゃんは、この事務所で何がやりたいんだろう。
私の歌を聴いて興味を持ったと言ってくれていた。きっかけはそうだとして、私と出会ったことで、何か小鞠ちゃんの中で変化があったりはしたのかな。
小鞠ちゃんだけじゃない。
同期のみんなのことを、私はまだ何も知らない。
部屋の中を見渡すと、既にめいめい帰り支度を始めていた。
淡々と荷物を整理する者、スマートに上着を羽織る者、眠そうに机に突っ伏す者……行動はバラバラだけど、みんな一様に自分の世界に入っている。
――このままじゃダメだ。
この宿題は、自分だけで悩んでいれば解決できる問題じゃない。ユニット名とは、『私たち五人』を表すものなんだから。
気付けば立ち上がって、モニターの前に飛び出していた。
みんなの視線が一斉にこちらを向く。
ああ、怖い。こんなの、私の柄じゃない。
ずっと人付き合いを避けてきた私が、でしゃばって立つべき場所じゃない。
慣れない行動に、心臓が爆音で警鐘を鳴らしていた。
分かってる。私にはこういうの、向いてない。
だけど、氷川さんと約束したから。『打ち解けられるように頑張ります』って。
震える指で、必死にスマホを操作した。
『あの、みなさん。もしこの後時間があれば、晩ごはんでも食べに行きませんか?』
はは……ただ食事に誘うだけで、何でこんなに緊張してるんだろ。
こういうの、例えば渋谷さんとかだったら、あっさり仲良くなれちゃったりするんだろうなぁ。
だけど、私は私だ。
私なりの言葉で、ちゃんとみんなに伝えないと。
そう思って、ほんの少しだけ勇気を出してみた。
『氷川さんからの宿題もありますし、私もみなさんとお話ししてみたいです。なのでよかったら……こ、懇親会、しませんか?』
読んでいただいてありがとうございます。
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