VTuber育成ゲームに転生したけど、ステ振りに失敗しました   作:bnn

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ミッション15 懇親会

 

 

 

『今日は急なお誘いにも関わらず、お時間をいただいてありがとうございました。これからどうぞよろしくお願いします。それでは、カンパーイ』

 

 スマホから、無感情な音声が流れた。

 棒読みの『カンパーイ』に戸惑いながら、全員がぬるっとグラスを持ち上げる。

 

 ……スマホで乾杯の音頭をとると、驚くほど空気が盛り下がるのだと、初めて知った。

 

 白けた雰囲気の中、懇親会がスタート。

 場所は事務所からほど近い、目黒川を挟んだ向かいにあるハワイアン料理のお店。

 

 最初はファミレスとかにするつもりだったのだけれど、紅葉さんが『どうしてもお酒が飲みたい』と駄々をこね始めたので、仕方なくここになった。

 急遽お店を探してくれた葉月さんには頭が上がらない。

 

「いやぁ〜、いい席を用意してもらえてよかったね〜」

 

 マンゴーのカクテルを飲みながら、紅葉さんがしみじみと呟く。

 

 私たちが座っているのは、階段を上った場所にあるロフト席。一階部分を見下ろしながらゆったりくつろげる、開放感のあるソファー席だった。

 二人掛けのソファーに、私と小鞠ちゃん、紅葉さんと咲耶さんがテーブルを挟んで座っている。そして一人掛けのソファーに葉月さんが座って、率先して料理などを取り分けてくれていた。

 

 ガーリックシュリンプを人数分の小皿に均等に分けながら、葉月さんが口を開く。

 

「平日の早い時間でよかったね。人気店っぽいから、混んでる時だったら絶対入れなかったよ!」

 

 ことり、と私の前に小皿が置かれる。

 食欲をそそるガーリックの香りが鼻腔をくすぐった。

 

「それにしても、律ちゃんが真っ先に懇親会を提案するとは思いませんでしたぁ。こういうの苦手だと思ってたので」

 

 全員に料理が行き渡ったところで、隣に座る小鞠ちゃんに話しかけられる。

 彼女はアンチョビポテトをフォークに大量に突き刺して、口いっぱいに頬張っていた。

 

『確かに得意ではないけど……でも、このまま解散しちゃうのはまずいなって思って。一週間しかないのに、まだお互いの連絡先も知らなかったから』

「ああ……宿題ですかぁ」

 

 ごくんと喉を鳴らしてから、小鞠ちゃんが答える。

『宿題』という言葉に、五人それぞれが思い思いの反応を示していた。

 

「ふむ……僕たちの『ユニット名』か。どうせなら格好いいものをつけたいところだけれどね」

「えー? 可愛い方がいいですよぉ」

 

 咲耶さんと小鞠ちゃんが、正反対の希望をあげる。

 私としてはどちらでも構わない……というか、どんなものがいいのか見当もつかなかったので、口の挟みようがなかった。

 

「ん〜……麻子先輩は何て言ってたっけ〜?」

「プロモーションの方向性を決めるために、しっかりコンセプトを固める必要があるって言ってましたね。そのために私たちの『個性』を把握する必要があるとか」

「あ〜、それもそうなんだけど、その後。何か考えてみてって言われてたような〜……」

 

 顎に指を当てて悩む紅葉さんに、葉月さんがスラスラと答える。

 私もポキサラダを口に運びながら、氷川さんの言葉を思い出していた。

 

『確か……今後どうなっていきたいか、何を目標に活動していくのか、でしたっけ』

「あと、私たちにとってVTuberとは何なのか、だね」

 

 私の記憶から漏れていた言葉を、葉月さんが付け足してくれる。

 VTuberとは何なのか……漠然としていて、いまいち答えづらい質問だった。

 

「目標かー。みんなは何かあるの〜?」

 

 紅葉さんが、一杯目のグラスを空にしながら問いかける。

 

「そういう紅葉さんはどうなんですかぁ?」

「私〜? そうだなー……イラスト関連で取りたい賞はあるかな〜。世界で一番愛されたイラストに与えられるやつ。あ、あと自分専用の美術館建てた〜い!」

「ははっ、美術館か。それは壮大だね、素晴らしいよ」

 

 咲耶さんからの称賛に、紅葉さんが「ありがと〜」と返している。

 当たり前みたいに自分の好きなことを目標にしている紅葉さんを、すごいと思ったし、羨ましいとも思った。

 

 私はこれまで、自由に歌うことができなかった。

 だから『歌いたい』と願うことはあっても、『歌うことで何かを成し遂げたい』と思えたことなんて、一度もなかった。

 

 やっぱりずっとその道で生きてきた人とは、見ている景色も、覚悟の大きさもまるで違う。

 そんな劣等感を煽るように、小鞠ちゃんと咲耶さんがそれぞれ己の目標を語る。

 

「私は好きなゲーム全部で世界一を獲ることですかねぇ。最強のゲーマーといえば『ハナミヤ』って、世界中に認めさせたいです。やっぱり好きなことで負けたくないですよねぇ」

「僕はVTuberの劇団を作りたいな。VTuberだからこそできるリッチな映像表現を舞台に取り入れて、新しい形のエンタメに昇華させたいんだ。もちろんお金も手間もかかるだろうから、簡単にはいかないが。いつか選りすぐりの役者たちを集めて、他に類を見ないVTuber演劇集団を作りたいものだ」

 

 二人とも、まったく淀みなく滔々と語り続ける。

 舞台装置やバーチャル空間ならではの演出について熱弁を振るう咲耶さんを見ながら、私の目標は何だろうと思いを巡らせる。

 

「律ちゃんは何かありますかぁ?」

 

 小鞠ちゃんがストローから口を離して、顔だけこちらに向けてきた。

 少し考えてから、ゆっくりと指を動かしていく。

 

『私は……具体的な目標とか、よく分からなくて。たくさん歌いたいとは思ってるんだけど……』

 

 悩みながら答えると、咲耶さんが優しく微笑んで口を開いた。

 

「本当に歌が好きなんだね、律。いつか私にも聴かせてくれると嬉しいな。だけど、目標とはちょっと違うかもしれないね。それだけではただの願望だ」

 

 いきなりの呼び捨てに内心ドギマギしつつ、平静を装って会話を続ける。

 表情筋に力を入れながら、スマホで音声を返した。

 

『願望、ですか?』

「ああ。律の中で完結する願いではなく、現実に何を果たすか……言い換えるなら、歌うことで『この世界にどんな変化をもたらしたいか』を考えてみるといい」

 

 変化か……。

 私は歌うことで、この世界の何を変えたいんだろう。

 

 何だかそうやって言うと、すごくスケールの大きな悩みに聞こえてしまうな。

 もっと身近なところ……自分自身の不満とか、欲とか、そういうのに素直になれば、おのずと見えてくるものなんだろうか。

 

『……すみません、まだよく分からないです。でも、より多くの人に自分の歌を聴いてもらいたいとは思います。だから……とりあえず、チャンネル登録者100万人が当面の目標でしょうか』

 

 100万人という具体的な数字に、他のメンバーが「おおー」と感嘆の声を上げる。

 

 周りには納得してもらえたみたいだ。だけど、自分ではあまり気持ちよく受け入れられていなかった。

 

 チャンネル登録者100万人というのは、自分で打ち立てたものではない。『Ultimate VTuber』というゲームから与えられた、借り物の目標だ。

 私自身が心の底から欲しているかと考えると、どうもしっくりこなかった。

 

 自分が本当に達成したいことは何なのか、しっかり考えないと。

 

 そう心のメモ帳に書き留めていると、最後に葉月さんが目標を語った。

 

「私は『WVC』に出場してみたいな!」

 

 聞きなれない言葉に、脳の処理が一瞬停止する。

 だぶりゅーぶいしー……ああ、アルファベットかと理解するのに、数秒の時間を要した。

 

「すまない葉月、その『WVC』とは何だい?」

 

 私が思考停止している間に、咲耶さんが質問してくれた。

 見たところ、小鞠ちゃんと紅葉さんは何のことか理解しているみたいだ。

 

 何の話か分かっていないのは、VTuberについてあまり詳しくない、私と咲耶さんの二人だけ。

 そんな素人たちの疑問に、葉月さんが答える。

 

「『WVC』っていうのは、『World Virtual Christmas Festa』の通称で、毎年クリスマスに行われる、VTuberにとって最大規模のイベントのこと。その年最も活躍したVTuberをファンの人気投票で二十名選出して、色んな企画やパフォーマンスを行なって、その年のナンバーワンVを決める大会なんだ」

 

 なるほど……VTuberにとって、年に一度の特別な祭典か。

 言われてみれば、この世界について調べている時に、そんな単語を目にした覚えがあるような気もする。あの時は余裕がなかったから、あまりよく覚えてないんだけど。

 

「まあ、私もVTuberになるのなんて初めてだから、そんなに詳しくは知らないんだけど……でも、VTuberにとって一番大きなイベントだからね。せっかく目標にするなら、やっぱりこれかなって」

 

 照れ臭そうにはにかんで、葉月さんが語る。

 私にはイメージが湧きづらいけれど、『ママ』である紅葉さんには刺さる内容だったみたいだ。新しく注文したカクテルを飲みながら、「わかる〜」と笑っていた。

 

「クリスマスまであと半年くらいか〜。今年出場するのは流石に厳しいかな〜?」

「活動期間が下半期だけじゃ、ちょっと難しいですよね……」

 

 二人の会話を黙って聞きながら、そういうものなのかと納得して一人頷く。

 

 人気投票で出場者が選ばれる、というのがどれだけ過酷なことなのかは何となく想像できた。世間からの支持がそのまま結果に表れるんだから、その競争が激しくならないわけはない。

 

 ましてや二十人という狭き門だ。

 一部の上澄みを除いて、多くのVTuberにとってはシビアな戦いになることだろう。

 

『ファンの投票で出場者が決まるから、単純に長く活動を続けてた方が有利ってことですよね?』

「そうだね〜。それに投票までしてくれるような熱心な視聴者は、大半が人気のある大手に流れてるから、残りの数パーセントを奪い合うしかないんだよ〜」

「なるほど……後発組はかなり不利というわけだね」

 

 私と咲耶さんも、朧げにWVCの実態を掴んでいく。

 出場の難易度はかなり高そうだ。だけどそういう、全VTuberが目指すべきイベントがあると知って、気が引き締まる思いだった。

 

 今年は難しいかもしれないけれど、来年か、その次の年くらいには、私もみんなと――

 

 

 

「――ちょっと待ってください。なんで()()()()()()()?」

 

 私が未来を思い描こうとした瞬間。

 小鞠ちゃんの冷たい声が、ロフト席の天井に小さく響いた。

 

 一瞬で空気が凍り、全員の視線が私の隣に向けられる。

 そこでは不服そうに顔を歪めた小鞠ちゃんが、ジッと葉月さんのことを見つめていた。

 

 葉月さんが、あの時の表情――ゾッとするような笑顔を貼り付けて、小鞠ちゃんに返す。

 

「あはは。えっと、花宮さん? それって私に言ってるのかな?」

「はい。なんで嘘つくんですか?」

「嘘って何? 私は本心で『WVC』に出たいって思ってるけど」

「……まあ、そういうことにしておきたいなら別にいいですけど。どうしようと葉月さんの自由ですし」

 

 小鞠ちゃんの意味深な言葉を聞いても、葉月さんは眉ひとつ動かさず、笑顔で視線をはね返している。

 

 二人の間に流れる、緊迫した空気。

 間に挟まれた私は、どうすればいいのか分からず固まっていた。

 

 ……小鞠ちゃんは、どうして葉月さんが嘘をついてるって思ったんだろう。

 私が見落とした何かに気付いたんだろうか。それとも、他に理由でもあるのか。

 

「引っかかる言い方するなぁ。本当だって言ってるのに」

「だから、それはもういいです。どうせ話してもらえなさそうなので。代わりに教えてもらいたいんですけど、葉月さんって()()()()()()なんですか? ()()()()()()()、麻子さんに声をかけられたんです?」

 

 ――瞬間、時間が止まった気がした。

 

 表情はまるで変わっていないのに、葉月さんの瞳の温度が、急激に下がっていくのが分かった。

 絵画のように固まった、影のある笑顔に恐怖を覚える。

 

「……あはは、何でだろうねぇー。私にもよく分かんないんだよね。氷川さん、なんで私みたいな――」

「何で笑ってるんですか?」

 

 葉月さんが言い終わるのを待たず、小鞠ちゃんが言葉を被せる。

 

 二人の間に挟まれて、私の喉はカラカラに乾いていた。

 一触即発の状況にいてもたってもいられず、急いでスマホに文字を打ち込んでいく。

 

『二人とも、いったん落ち着いて――』

「何? 笑っちゃダメだった? ちょっとでも空気が良くなるように気を遣ったつもりだったんだけど」

『とりあえず飲み物でも――』

「別にダメじゃないですけど、意味が分かんないです。何もできることがないって話で、なんで笑ってられるんですか?」

 

 いくら音量を上げても、ヒートアップした二人には、スマホの無感情な声では届かない。

 感情的になった二人の生の声に、虚しくかき消されてしまう。

 

「花宮さん、どうしたの? なんでいきなりそんな怒ってるのか、全然分からないんだけど」

「分からないのは小鞠の方ですよ。何もできることがない人が、なんでこの事務所に来たんですか?」

 

 私のスマホから流れる音を無視して、二人の言い争いは熱を増していく。

 何度再生ボタンを押してみても、二人の耳には入らない。

 

「あはは、何でだろうねー。氷川さんに聞いてみたら?」

「小鞠は葉月さんに聞いてるんです。自分のことは自分が一番知ってるはずでしょう」

「そうかな。他の人の視点も大事だと思うけど」

「はぐらかさないでくださいよ。小鞠が何の話してるか、葉月さんは理解してますよね。あなたは何のために、今ここにいるんです? それすら答えられないんですか?」

 

 私が腕を掴んでも、小鞠ちゃんはこちらに目もくれずに葉月さんを問いただす。

 葉月さんの表情が、初めて悔しそうに歪むのが視界の端に見えた。

 

「……別に答える必要なんてないでしょ。同じ事務所のメンバーだったら、何でも包み隠さず教えてあげないといけないわけ?」

「最低限のことすら教えてもらえないのに、信用できるわけないって言ってるんです。というか、教えられない方がおかしくないですか?」

 

 小鞠ちゃんの腕に、ぐっと力が入る。

 暴力沙汰だけは止めなければと、必死になって小鞠ちゃんの体にしがみついて、ソファーの座席に押さえつけた。

 

「もう一度聞きますけど……葉月さんは何をするために、今ここにいるんです?」

「少なくとも、あんたたちと仲良しごっこをするためじゃないけど」

「なら一人で勝手にやってればいいじゃないですか。事務所に入る必要なんてないでしょう。わざわざVTuberを――」

「――ああもう、うるさいッ‼︎」

 

 葉月さんが、叫び声を上げて立ち上がった。

 店内が水を打ったように静まり返る。

 

 息を荒らげて、感情を剥き出しにした両目で、小鞠ちゃんのことを睨みつけていた。

 

「簡単に一人でやればいいなんて言わないでよ! 何も知らないくせに……!」

「私はずっと一人でやってましたよ」

「アンタと一緒にすんな! 私には私の事情があんのよ!」

 

 大声で怒鳴る葉月さんを見上げる。

 表面に見える怒りの感情の奥に、怯えとか、悔しさとか、嫉妬とか……色んな悪感情がドロドロに煮詰まり混ざり合った、底知れない失意の念が隠れている気がした。

 

 そんな葉月さんに向かって、小鞠ちゃんが冷たく言い放つ。

 

「葉月さんの事情なんて知らないです。私は麻子さんから、この事務所には私の『同類』が集まるって聞いて、参加するって決めたんですから」

「同類……?」

 

 あ、まずい。

 直感的にそう思って止めようとしたが、喉が詰まって、声を出すことはできなかった。

 

 スマホを手に取る暇すらなく、小鞠ちゃんの言葉が耳に届く。

 

「つまり、ちゃんと()()()()()()()()()()()だってことです。その認識でここにいるので、今の葉月さんみたいに、何も持ってないのに事務所にただ乗りして、美味しいところだけ吸い上げようみたいな人がいるのはすごく嫌なんですよ。一緒に活動していくなら、最低限何ができる人なのか……その才能は示してほしいです」

 

 小鞠ちゃんの厳しい言葉が、静まり返った店内に反響する。

 

 葉月さんは今にも泣き出しそうな顔で、怯んだように視線を彷徨わせていた。

 その苦しそうな表情を見て、私は自分のどうしようもない失敗を悟る。

 

 ――ああ、私はまた、ステ振りに失敗した。

 

 もしここでほんの僅かでも、自分の声で話すことができたなら。

 機械の音声なんかではなく、自分自身の言葉で、二人の間に割って入ることができたなら。

 

 こんなことになってしまう前に、二人を止められたかもしれないのに――

 

 今さら遅いけれど、後悔せずにはいられない。

 アプリがあるから大丈夫なんて油断して、つい後回しにしてしまっていた。

 

 だけど違う。それは大きな間違いだった。

 今、この状況で、私が本当に振らなきゃいけなかったのは――

 

〈トーク力〉でも〈企画力〉でもなく……〈コミュニケーション能力〉だったんだ。

 

「最後にもう一度だけ訊きますね。葉月さん。あなたは、何ができる人なんですか?」

 

 誰の目から見ても明らかなほど、葉月さんの顔が苦痛で歪む。

 険しい表情を浮かべる小鞠ちゃんのことを、充血した目で睨みつけていた。

 

 立ち上がって葉月さんの隣に寄り添うが、かける言葉が見つからない。

 スマホを手に取ってみても、一文字も打ち込むことができないまま、ただ隣で立ち尽くすだけ。

 

 自分の無力さに吐き気がした。

 

「………………っ」

 

 すぐ隣から、湿り気を帯びた吐息が聞こえてくる。

 葉月さんが、声を押し殺して涙を流しているんだと、少し遅れて気がついた。

 

「葉月さん」

 

 小鞠ちゃんが、真剣な声で名前を呼ぶ。

 

 その呼びかけにハッとして、葉月さんは自分が泣いていることを自覚したようだ。

 悔しそうに、音が鳴るほど強く歯を食いしばると、乱暴に目元を拭う。

 

「…………っ‼︎」

 

 そのまま自分の荷物を拾って体を翻し、店の階段に向かって駆け出した。

 

「――あっ!」

 

 声を上げたのは誰だっただろう。

 慌てて反転したことで、葉月さんの荷物が隣に立っていた私にぶつかる。

 その勢いでスマホが飛んでいき、床を滑って、ロフトから一階の客席まで落下していった。

 

 転んでソファーに倒れ込みながら、スマホが床に当たって壊れる音を聞いた。

 幸い人にはぶつからなかったみたいだ。

 

 怪我人が出ていないことに安堵して、ホッと胸を撫で下ろす。

 しかし気を緩めた一瞬のうちに、葉月さんは階段を勢いよく駆け下りて、そのまま店を飛び出していった。

 

 ……店中に、重苦しい沈黙が流れる。

 

「ぃ…………っ!」

 

 体を起こそうと手をついたところで、右手首がズキンと痛んだ。

 どうやらソファーに倒れ込んだ時、変な方向に手をついてしまったらしい。

 

 痛みの声すら満足に上げられない自分の体を恨めしく思いながら、ゆっくり体を起こしていく。

 

「律ちゃん、大丈夫ですか⁉︎」

 

 隣に座っていた小鞠ちゃんが、慌てて助け起こしてくれた。

 大丈夫――と伝えたかったが、手元にスマホがない。仕方ないので、無理やり笑顔を作って頷いておいた。

 

 そんな私を見て、小鞠ちゃんの顔が悲しそうに伏せられる。

 

「……ごめんなさい。小鞠のせいです」

 

 そう言って唇を噛むと、葉月さんと同じように荷物を持って立ち上がる。

 そして座り込んだままの私たちに向かって、深々と頭を下げた。

 

「空気を悪くしちゃってごめんなさい。小鞠ももう帰りますね」

 

 髪の毛で表情を覆い隠したまま、小鞠ちゃんは私たちに背を向けて、店を出ていった。

 引き止めたかったけれど、スマホもないし、そもそもなんて言って引き止めればいいのかも分からない。体が動かなくて、遠ざかっていく小鞠ちゃんの背中に手を伸ばすことすらできなかった。

 

 ……どうしてこうなっちゃったんだろう。

 

 勇気を出して行動してみたのに、せっかくみんなが来てくれたのに、ことごとく上手くいかない。

 

 右手が痛い。

 ジンジンと熱を帯びているのに、『痛い』の一言すら言えない。

 

 思い通りにいかないことばかりで、泣いてしまいたくなった。

 

「ねえ、律」

 

 目頭が熱くなってきたのを感じていると、不意に向かいから声がかけられる。

 咲耶さんが、私の名前を呼んでいた。

 

「律、手を見せて」

 

 咲耶さんはソファーから立ち上がると、私の隣に座り直して、そっと右手に触れてきた。

 冷たい指先が、腫れた手首を心地よく冷やしていく。

 

「……よかった、折れてはいないみたいだね。少し捻っただけだ」

 

 そう言って鞄から赤いポーチを取り出すと、中から湿布と包帯を取り出して、慣れた手つきで手当てしてくれた。

 驚いている私に、咲耶さんは包帯で手首を固定しながら話しかけてくる。

 

「稽古で激しく動いたり、殺陣なんかをしていると、怪我をすることも少なくないからね。簡易救急セットを持ち歩くようにしてるんだ」

 

 これでよしと言って、咲耶さんは包帯の端をハサミで切って、テープで止めた。

 プラシーボ効果だろうけど、さっきまでよりかなり楽になった気がする。

 

「腫れが引くまでは、あまり動かさないようにね。痛みが続くようなら軽く冷やすといい」

 

 ハサミなどをポーチにしまいながら、丁寧にアドバイスしてくれる。

 手当てしてくれたお礼を伝えたかったけれど、声が出ないし、手元にスマホもなかった。

 

 何もできず途方に暮れていると、目の前のテーブルに、画面がバキバキに割れたスマホが置かれる。

 

「探してるのはこれかな〜?」

 

 いつの間にか紅葉さんが、一階まで下りてスマホを取ってきてくれていた。

 店員さんにかなり怒られたようで、気まずそうに一階に向かって頭を下げている。

 

「残念だけど、電源つかないねぇ。とりあえずこれ使って〜?」

 

 壊れてしまった私のスマホの代わりに、紅葉さんが自分のスマホを差し出してきた。

 既にメモ帳のアプリが開かれている。これなら、利き手ではない左手でも筆談くらいならできそうだった。

 

『二人とも、ありがとうございます』

 

 ようやくお礼を伝えると、二人とも大人びた笑みを見せた。

 ついさっきあんなことがあったのに、全然余裕そうだ。これが人生経験の違いというやつなんだろうか。

 

 そんな二人に、気になっていたことを尋ねてみる。

 

『あの、どうして二人の喧嘩を止めようとしなかったんですか? 咲耶さんと紅葉さんなら、仲裁してあげられましたよね?』

 

 私がスマホを見せると、二人は示し合わせたようにお互いに視線を向けた。

 顔を見合わせながら、まずは咲耶さんが口を開く。

 

「……葉月が猫を被っているのは、事務所で最初に話した時から分かっていたからね。劇団にいた頃も、たまにああいう子がいたよ」

 

 その話を聞いて、驚きに目を丸くした。

 咲耶さん、気づいていたんだ。そんな素振りまったく見せていなかったのに。

 

「いい子ちゃんでいるのを否定はしないが、身内にも本音で話せないようじゃ、このチームに先はない。遅かれ早かれこうなっていたよ。どうせ必要な衝突なら、早い方がいいだろう?」

 

 そう言って、肩をすくめる咲耶さん。

 厳しいようだけれど、ずっと劇団という一つのチームで生きてきたからこその、この人なりの哲学があるんだろう。

 

 ……まあ、それをこの人自身が崩壊させたという過去には、いったん目をつむるとして。

 

「咲耶ちゃんすごいね〜。私はそんな大層なこと考えてなかったよ〜」

 

 咲耶さんの話を聞いて、紅葉さんがぱちぱちと手を叩く。

 マンゴーのカクテルを一口飲むと、ふにゃりと笑って話を続けた。

 

「私はねぇ、あー、青春してるな〜って思って見てたよ〜。あんなに熱いぶつかり合いを途中で止めちゃうなんてもったいないって〜」

 

 咲耶さんとは異なる見地からの、新しい意見。

 あれを『もったいない』なんて理由で続けさせてしまう紅葉さんに、再度目を見開く。

 

「普通の人からしたら、みっともなかったり、格好悪かったりするんだろうけどさ〜。私たちってみんな、自分をさらけ出してなんぼの人種でしょ? ああいうのが必要なんだよ、きっと」

 

 紅葉さんの言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

 自分をさらけ出してなんぼ、か……。

 感情を剥き出しにして怒っていた葉月さんを思い出して、あれすら肯定的に捉えていた紅葉さんの懐の深さに驚嘆する。

 

 それが正しいかどうかはさておき、クリエイターとして芯の通った生き方をしている紅葉さんのことを、素直に格好いいと思った。

 

「ねえねえ、律ちゃん」

 

 紅葉さんに名前を呼ばれた。ハッとして顔を上げる。

 

「お願いがあるんだけどね〜。小鞠ちゃんのこと、追いかけてあげてくれないかな〜?」

 

 そう言って、ソファーの横に置いていた私のリュックを拾い、こちらに渡してくる。

 戸惑っていると、さらに横から声がかけられた。

 

「葉月は内側に色々溜め込んでいるみたいだからね。今は誰かと一緒にいたくはないだろう。一人でじっくり考える時間も必要だ。だから今日のところは、小鞠と一緒にいてあげてくれないかな」

 

 咲耶さんの穏やかな視線が、こちらを優しく見下ろしている。

 

 私が追いかけてもいいんだろうか……それこそ二人のどちらかが行った方が、よっぽど小鞠ちゃんのためになるんじゃ……と悩んでいると、隣から「大丈夫」と背中を押す声が聞こえた。

 

「小鞠のことを一番理解してあげられるのは、きっと律だろう。だから大丈夫。律が迎えに行くことに、誰も文句を言ったりしないよ」

「ここはお姉さんたちが奢ってあげるから〜。ほら、行った行った〜!」

 

 私の内面を見透かしたような、暖かい励ましのセリフ。

 頼れる姉二人の言葉に力をもらって、私も覚悟を決めて頷いた。

 

 壊れたスマホとリュックを持って立ち上がる。

 優しく見送ってくれる二人に頭を下げると、勢いよくお店を飛び出した。

 

 

 

   * * *

 

 

 

 既にすっかり日は落ちて、点々と続く街灯が乾いたアスファルトを照らしていた。

 駅までの道を、全速力で駆ける。

 

 小鞠ちゃんはどこにいるんだろう。

 忙しく視線を左右に動かしては、あの可愛らしいツインテールを探した。

 

「…………!」

 

 目黒川にかかった橋を渡っている途中で、ようやく彼女の姿を見つけた。

 川沿いの遊歩道に設置されたベンチに、力なく腰掛けている。

 

 よかった。入れ違いにならずに済んだ。

 足を緩めると、息を整えながら、ゆっくり彼女の元へ近づいていく。

 

 何も言わずに隣に座ると、小鞠ちゃんの視線が気怠げにこちらを向いて、少し遅れて驚いたように顔を上げた。

 

「……追いかけてきてくれたんですね。嬉しいです」

 

 彼女らしくない、元気のない声だった。

 肩を落としたまま体をこちらに向けると、申し訳なさそうに頭を下げてくる。

 

「せっかく懇親会に誘ってくれたのに、台無しにしちゃってすみませんでした。どうしても我慢できなかったんです」

 

 小鞠ちゃんは、自分の言動を深く反省している様子だった。

 それでも、言わずにはいられなかったんだろう。

 

 やっぱり小鞠ちゃんは、私が見落としてしまった葉月さんの何かに気づいていたのかもしれない。

 

「……葉月さんの方に行かなくてよかったんですか?」

 

 小鞠ちゃんからの質問に答えようとして、スマホが使えないことを思い出した。

 バキバキに割れたスマホを手に持って、ぱくぱくと口だけを動かす。

 

 その様子を見て、小鞠ちゃんは状況を察してくれた。

 急いで自分のスマホを取り出して、紅葉さんと同じようにメモ帳を開き、私に渡してくれる。

 

 なんだか私、色んな人に助けられてばっかりだ。

 

『スマホ貸してくれてありがとう。咲耶さんと紅葉さんがね、葉月さんには、今は一人で考える時間が必要だろうからって』

「ああ、なるほどですねぇ……というか、本当にすみません、律ちゃん。小鞠のせいでスマホまで壊してしまって」

『いや、小鞠ちゃんのせいじゃないよ。あれは事故……というか、ぼーっとしてた私が悪いから』

「違います! 小鞠のせいです!」

 

 実際葉月さんの隣に無防備に突っ立っていた私も悪いので、素直にそう伝えると、小鞠ちゃんは頑なになって否定してきた。

 

 絶対に譲らない、と言わんばかりの小鞠ちゃんの表情がおかしくて、つい笑みを浮かべてしまう。

 そんな私の顔を見て、小鞠ちゃんもまた恥ずかしそうに笑った。

 

「……小鞠が悪いんです。お金は小鞠が出すので、修理しに行きましょう」

 

 小鞠ちゃんの言葉に恐縮して、首を左右に振る。

 修理なんて一人で行けるし、年下の女の子に自分のスマホの修理代を払わせるなんてもってのほかだ。

 

 そう思って遠慮しようとするが、小鞠ちゃんはそれを認めてくれなかった。

 

「今の律ちゃんじゃ、わざわざ紙とペンを持って行かなきゃいけないじゃないですか。それにその手だと、お店で色々大変でしょう? 放っておけないです」

 

 小鞠ちゃんの両手が、赤ん坊に触れるような繊細な手つきで、私の右手を包み込む。

 包帯の縁が、細い指でそっとなぞられた。

 

「小鞠のせいなんですから、手伝わせてください。ねっ?」

 

 そこまで言われてしまっては、断ることも難しい。

 上目遣いで懇願してくる小鞠ちゃんに、しぶしぶ首肯を返す。

 

 せめてお金だけは自分で払おう……と思っていると、小鞠ちゃんは嬉しそうに破顔した。

 

「ありがとうございます! とは言っても、こんな時間にやってるお店なんてないでしょうし……明日行くしかないですかねぇ」

 

 街灯の灯りに照らされながら、辺りをキョロキョロと見渡す。

 顔合わせが長引いた……というより開始が遅れたこともあって、もう携帯ショップがシャッターを上げているような時間ではなかった。

 

 小鞠ちゃんは人差し指をこめかみに当てながら、うーんうーんと悩ましい声を上げる。

 

「明日まで律ちゃんを一人にはしておけないし……あ、そうだ! 律ちゃんさえよかったら、今夜うちでお泊まり会しませんか?」

 

 猫みたいな目をキラキラと輝かせて、そんな提案をしてくる彼女。

 一人にはしておけないって、この子は私のことをいくつだと思ってるんだろう。お世話しないと死んでしまうとでも思ってるんだろうか。

 

『いきなり泊まりに行くのは、ご家族にも申し訳ないから……』

「大丈夫ですよぉ! 小鞠、ずっと一人暮らしですから!」

 

 遠回しに遠慮しようとすると、まさかの退路を塞がれるパターン。

 嬉しそうにテンションを上げる小鞠ちゃんに回り込まれてしまう。

 

「律ちゃんと二人で、朝まで色々とお話ししたいです! ……だめですか?」

 

 ……ああ、ずるいなあ、もう!

 そんな期待するような眼差しを向けられたら、断りたくても断れないではないか。

 

 人の家に泊まるなんて初めてで緊張するけれど、この顔を見て『だめです』なんて言えるわけがない。

 しばらく迷った末、不承不承に頷いた。

 

 そんな私を見て、小鞠ちゃんが「やったー!」と喜んでいる。

 

 お泊まり会で子供のようにはしゃぐ小鞠ちゃんを眺めながら、これだけ喜んでもらえるならまあいいか、と微笑ましい気持ちになった。

 

 

 

 





読んでいただきありがとうございます。
よければ感想、評価等よろしくお願いします。




   * * *



以下おまけ
プロットにはあったけど本編に入らなかった会話


「行ったか」

「行ったね〜」

「……律は大丈夫かな」

「心配なのぉ? あれだけ自信満々に送り出したのに〜」

「………………」

「よしよし。きっと大丈夫だよ〜」

「……ああ、ありがとう。紅葉は余裕そうだな」

「う〜ん……余裕というか、あんまり気にしてないだけかもね〜」

「……? どういうことだい?」

「何ていうかねー。必ずしもみんなで事務所に残ることが、絶対の正解ってわけじゃないでしょ〜? 麻子先輩には悪いけど、仮にみんながバラバラになったとしても、その先でもっと幸せになれるなら、その方がいいよね〜」

「なるほど。だからあの時、二人を止めなかったんだね」

「そういうこと〜。結局さ、事務所に残るかどうかなんて、そんなに重要じゃないんだよ。大事なのは、どんな場所にいる時でも、『その瞬間の自分を好きでいられること』なんじゃないかな〜?」

「ふむ……そのために、葉月にはあれが必要だったと? 確かに隠しごとをしたままの自分を好きになれる人なんて、そうはいないだろうが」

「分かんないけど、あのままじゃ葉月ちゃんと小鞠ちゃん、両方のためにならなかったと思うんだ〜」

「まあ、小鞠も小鞠で極端に純粋な子みたいだからね。色々な意味で、相性はよくなかったかもしれないな」

「でしょ〜? だから不完全燃焼でブスブス燻ってるくらいなら、一回爆発しちゃった方がスッキリするんだよ〜。お互い本気でぶつかり合って、その上でちゃんと分かり合うことができたら――」

「できたら……?」

「……なんだろ〜? あはは、でもなんかすごそうだよね〜!」

「……ふふ。ああ、そうだね」

「若いっていいな〜。あ、咲耶ちゃんもありがとね〜」

「いや、僕は何もしてないさ。少し律を焚き付けただけだよ」

「いやいや、そっちじゃなくて〜。奢ってくれてありがとーってこと。うへへ〜、ごちそうさまで〜す!」

「ん?」

「え?」

「……悪いが、今日は持ち合わせがない」

「えっ」

「……劇団が解散して、いつも金欠なんだよ……」

「………………」

「………………」

「よし! 麻子先輩を呼ぼう!」

「名案だ!」


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