VTuber育成ゲームに転生したけど、ステ振りに失敗しました 作:bnn
「いらっしゃい、律ちゃん! どうぞ上がってください!」
小鞠ちゃんに誘われて、急遽開催されることになったお泊まり会。
私は小鞠ちゃんに手を引かれ、彼女の自宅までやってきていた。
小鞠ちゃんの家は、最寄りの駅から徒歩十分ほどの場所にある、七階建ての立派なマンションだった。
広々とした洋室付きの、開放感のある1LDK。
立地や間取りからして、それなりに家賃のかかりそうな部屋だ。
「えへへ……お友達がおうちに来たのって初めてなので、何だかそわそわしちゃいます。律ちゃん、ゆっくりしていってくださいねぇ」
小鞠ちゃんはそう言い残して、荷物を置きにリビングの奥にある洋室へ消えていった。
取り残された私は、所在なく周囲を見渡してみる。
リビングには可愛らしい小物が溢れ、まるで雑貨屋の一角のような雰囲気を放っている。窓にかかるパステルグリーンのカーテンが、おしゃれな空間を彩っていた。
木棚の上にはたくさんのスノードームが並び、ガラス玉の中から小さな黒猫がこちらへ前足を伸ばして、尻尾を左右に揺らしている。
「荷物、もし必要なければこっちに置いておくといいですよぉ」
猫に合わせて左右に顔を振っていると、小鞠ちゃんから声がかけられた。
お言葉に甘えて、奥の洋室へお邪魔する。どうやら寝室兼配信部屋になっているらしい。
壁際にデスクとゲーミングチェアが置かれ、卓上には二つのモニターと様々な機材が所狭しと並べられていた。
「………………」
デスクの横にリュックを下ろしながら、配信用の機材をしげしげと眺める。
初めて目にする本格的な配信環境に、私もデビューまでにこれくらいの準備をしなければならないのかと不安になった。
機材のこととか、小鞠ちゃんにしっかり相談に乗ってもらった方がいいのかも。
「律ちゃん、律ちゃん」
肩を叩かれて振り返る。
私のすぐ後ろで、バスタオルを胸に抱えた小鞠ちゃんが、ワクワクした顔でこちらを見つめていた。
その表情を見て、何とも言えない嫌な予感を覚える。
「今お風呂沸かしてますから、一緒に入りましょう!」
* * *
「――お湯加減はどうですかぁ?」
浴室の外から、小鞠ちゃんの不満げな声が聞こえてきた。
声が出せないので、代わりにお風呂の壁をコンコンと叩いて返事をする。
「んー、よく分かんないです。やっぱり一緒に入ってもいいですか? いいですよねぇ?」
今度はもっと激し目に、『ゴンゴンゴン!』と浴槽の縁を叩いた。もちろん強い否定の意味を込めて。
扉の外から残念そうなため息が聞こえて、しぶしぶ脱衣所を出ていくのが分かった。
危ない危ない。
うっかり裸の付き合いなんてものをしてしまうところだった。
小鞠ちゃんのことは好きだけれど、今日初めて会ったのにいきなり一緒にお風呂に入るなんて、流石に恥ずかしい。小鞠ちゃんには悪いが、ちょっとハードルが高すぎる。
結局、小鞠ちゃんには先に一人でお風呂に入ってもらった。私は後からゆっくり湯船に浸からせてもらっている。
私が右手を怪我しているせいか、それとも別の思惑でもあるのか……やたら入浴の手伝いをしたがっていたけれど、丁重にお断りさせてもらった。別に背中くらい片手でも問題なく洗えるし。
「……はぁー……疲れたなぁ……」
浴室で一人になったことで、ようやく自由に声を発することができた。
湯船の中で体を弛緩させると、どっと疲労と倦怠感が押し寄せてくる。
今日一日で、色んなことがあった。
氷川さんの事務所で契約の話をして、久しぶりに母親に電話をして、同期たちと顔合わせをして、懇親会をして、小鞠ちゃんと葉月さんが喧嘩になって、飛び出していった小鞠ちゃんを追いかけて……そしてなぜか、小鞠ちゃんの家でお風呂に入っている。
目が回るような一日だ。
誰かと本気で関わりを持とうとすると、いつもの日常なんてものは途端にコントロールが利かなくなる。
ずっと一人で生活してきた私には、骨身にこたえる変化だった。
「……いや、疲れたなんて言ってられないな。ちゃんと話をしてみないと。小鞠ちゃんとも、それに葉月さんとも」
水滴の滴る天井を見上げながら、小さく呟く。
せっかく同じチームとしてやっていくのに、喧嘩したことを引きずって、ぎくしゃくしたままデビューを迎えるのは嫌だ。
人には相性とかもあるだろうから、絶対に仲良くしてほしい、なんておこがましいことは望めない。
だけど、わだかまりを残すような関係にはなってほしくない。二人のためにも、チームのためにも。
そして何より、私自身のためにも。
「よしっ。まずは小鞠ちゃんからかな」
拳を固く握って、勢いよく立ち上がる。
一度シャワーを浴びてからお風呂を出て、小鞠ちゃんが用意してくれていたパジャマに着替える。
ドライヤーで髪の毛を乾かしていると、リビングから『キイイイッ』という機械音が聞こえてきた。
「……? 何だろう?」
ドライヤーのスイッチを切ると、機械音はさらにはっきりと耳に届いてくる。
気になってリビングに戻ると、小鞠ちゃんがタブレットを手元で操作して、部屋の中で黒塗りのドローンを飛ばしていた。
「あっ、律ちゃん。おかえりなさい。ゆっくり休めましたか?」
カーペットの上で膝を崩して座っていた小鞠ちゃんが、顔だけをこちらに向ける。
その間にも彼女の指は細かくタブレットをなぞり、存在感のあるドローンを巧みに操っていた。
空中で静止するドローンを眺めながら、小鞠ちゃんの隣に腰を下ろす。
小鞠ちゃんは自分のスマホを私に差し出すと、また手元のタブレットに視線を戻した。
「私のサブのスマホですけど、どうぞ使ってください。読み上げ用のアプリをダウンロードしておいたので」
『――ありがとう、助かるよ。ところでこれは?』
お礼を伝えてから、ドローンを指差して問いかける。
小鞠ちゃんはタブレットに視線を落としたまま、早口で答えた。
「えへへぇ、最近ハマってるんです。ちょっと前に大会の景品でもらいまして。もう一つあるんですけど、律ちゃんもやってみます?」
『ううん、やめとく。絶対壊すと思うから』
「えー、そんなに難しくないですよぉ?」
空中でドローンを旋回させると、私たちの少し前に着陸させる。
鳴り続けていた機械音が次第に収まり、完全に停止したところで、小鞠ちゃんが小さくため息をこぼした。
「やっぱり家の中だとできることが限られますねぇ……広いところで思いっきり飛ばしてみたいです」
『外に飛ばしに行けばいいんじゃないの?』
「どこでも自由に飛ばしていいわけじゃないんですよぉ。空港の近くとか、人が多い場所では禁止されてるんです。うーん……都内だとかなり限られちゃいますねぇ」
ほらぁ、と言って小鞠ちゃんがタブレットの画面を見せてくる。
画面には赤や緑に色分けされた、関東近郊の地図が表示されていた。どうやらドローンの使用が許可されている場所を調べられるアプリらしい。
ゲームが好きな小鞠ちゃんのことだ。せっかく持っているのに自由に遊べなければ、もどかしい気分にもなるのだろう。
残念そうな顔の小鞠ちゃんを見ていると……何となく、励ましてあげたくなる。
『じゃあ、今度一緒にどこかに飛ばしに行こうか。思いっきり広い場所でなら、私もちょっとくらい飛ばせるかもしれないし』
何気なく発した言葉に、小鞠ちゃんが勢いよく顔を上げる。
驚いたように目を丸くして、こちらを見上げていた。
「ほんとですかっ⁉︎ 小鞠と一緒に遊んでくれます⁉︎」
『私でよければ喜んで。あ、多分めちゃくちゃ下手だと思うけど……』
「――ぜ、絶対ですよ! 約束ですからね!」
詰め寄ってくる小鞠ちゃんに向かって、首を縦に振る。彼女は心から嬉しそうに、くしゃくしゃに顔を歪めてみせた。
深く考えての発言ではなかったけれど、想像以上に喜んでもらえたみたいだ。だけど私も友達と遊んだことなんてなかったから、彼女の反応をそこまで大袈裟とは思わなかった。
友達と遊ぶ約束ができるって、すごく贅沢で、幸せなことだ。
「じゃあじゃあ、小鞠がいっぱい教えてあげますね! 小鞠こういうの得意なので、任せてください!」
微笑ましいほどに張り切っている小鞠ちゃんを見て、私も顔を綻ばせる。
葉月さんと喧嘩してから、たまに思い出したように沈んだ表情を浮かべていたけれど、やっぱり小鞠ちゃんには笑顔が一番似合う。
『うん、頼りにしてるね。それじゃ……この後どうしよっか?』
上機嫌でドローンを片付ける小鞠ちゃんに尋ねてみると、彼女は「あっ!」と声を上げて立ち上がった。
そのままパタパタとキッチンまで走っていき、戸棚から大量のお菓子を取り出して帰ってくる。
お菓子の箱をカーペットの上に広げて、子供みたいな顔で笑った。
「律ちゃん、今夜は一緒にゲームパーティーしませんか? 小鞠、お友達とやってみたいゲームがたくさんあるんです!」
片っ端からお菓子の封を開けていく小鞠ちゃんに、苦笑いを返す。
世界一にもなってるゲームのプロを相手に、私がまともに勝負できる気がしない。
『あの、小鞠ちゃん。私ゲームが苦手というか、すごく下手で……』
「そう言うと思ってました。安心してください! デジタルのゲームだけじゃなくて、カードとかボドゲとか、アナログなゲームもいっぱい持ってますので!」
そう言うが早いか、棚からたくさんの小箱を抱えて持ってくる。
あっという間に積みあげられていく、大量のゲームたち。朝までにすべて遊びきれるかどうか……。
「えへへっ、今夜は寝かせませんよぉ、律ちゃん!」
屈託なく笑う小鞠ちゃんを見て、私も徹夜を覚悟する。
この笑顔を曇らせてなるものかと、力強くコントローラーを握った。
* * *
誰かと一緒に遊ぶゲームは、一人の時とは比べものにならないほど楽しくて、あっという間に時間が溶けていった。
やっぱり友達と一緒だと、何をしていても楽しく感じるものなのかもしれない。
一緒に色んなゲームを遊んで、二人でたくさん笑いあった。
やがて体力が尽きて、二人で一つのベッドに潜り込んだときには、もう夜が明け始めていた。
僅かに差し込んでくる朝日から逃れるように、小鞠ちゃんの隣で仰向けになり、疲れ切った目を休ませる。
「……狭くないですかぁ?」
細く掠れた声で、小鞠ちゃんが囁く。
隣に視線を向けると、すぐ目の前に彼女のあどけない顔があった。
正直この距離感で一緒に寝るのは、まだちょっとだけ恥ずかしい。
だけど眠気も限界がきていたし、何より小鞠ちゃんがどうしても隣り合って寝たがっていたので、覚悟を決めて同衾することにした。
『大丈夫だよ』
スマホで短く返答してから、あくびをひとつ。
天井を見上げると、横から小鞠ちゃんが、すすーっと体を寄せてくる気配がした。
「……律ちゃん。今日は一緒に遊んでくれてありがとうございました。小鞠、すごく楽しかったです」
私の肩に額を擦り付けながら、そんな可愛らしいことを言ってくる。
まるで甘えてくる猫みたい。撫でたくなる衝動を必死に堪えながら、スマホに文字を打ち込んでいく。
『私こそありがとう。初めて友達の家に泊まれて嬉しかったよ』
そう返すと、小鞠ちゃんは気恥ずかしそうに私の腕に抱き付いて、表情を隠した。
パジャマ越しに、彼女の高い体温が伝わってくる。
「……ほんとはね。小鞠、諦めてたんです。律ちゃんとお友達になるの」
くぐもった声が、隣から聞こえてきた。
小鞠ちゃんの表情は見えないけれど、声の感じで何となく、彼女なりの切実な心情は伝わってきた。
「葉月さんと喧嘩しちゃって、懇親会も台無しにしちゃったから……結局また独りになるのかなって、怖くてあそこから動けませんでした。そしたら律ちゃんが追いかけてきてくれて……小鞠、本当に嬉しかったんです」
目黒川のほとりで、一人ベンチに座り込んでいた小鞠ちゃんを思い出す。
……彼女がそこまで思い詰めていたなんて。
あのまま別れなくてよかったと、背中を押してくれた咲耶さんと紅葉さんに感謝する。
「……一緒にいてくれてありがとう、律ちゃん。大好きです」
小鞠ちゃんは表情を隠したまま、さらに強く私の腕を抱き寄せる。
ここまで心を許してくれたことが嬉しくて、つい頬が緩んだ。
私も返事をするべきなんだろうけど、小鞠ちゃんみたいにストレートに言葉にするのは照れくさい。
うむむむ、と心の中で唸った末に、『ありがとう』とだけ返した。
私のヘタレな内面を見透かしたように、小鞠ちゃんがくすりと笑う。
「……実は小さい頃から、ずっと憧れだったんです。お友達とゲームしたり、次に遊ぶ予定を立てたり、こうやって一緒にお泊まりするの」
ちらりと目元だけを覗かせて、小鞠ちゃんがこちらを見つめてくる。
「今日は夢がいっぱい叶った素敵な一日でした。また一緒に遊んでくださいね」
友愛がたっぷり込められたその言葉に、少しのむず痒さを感じながら頷いた。
『もちろん、いつでも誘ってね。私じゃゲームの相手としては不足かもしれないけど……』
「あははっ。律ちゃん、本当に下手っぴでしたねぇ。歌ってるときはあんなに格好よかったのに」
『いや、普段はもっとできるんだよ……? 今はちょっとスランプ気味というか……』
私の情けない言い訳を聞いて、小鞠ちゃんがくつくつと笑う。
「えー、運ゲーにもスランプってあるんですかぁ? それってもう呪われてません?」
『私もそう思う……』
呪い……言い得て妙だ。
歌えるようになる代わりに元々できていたことができなくなるなんて、まさにRPGに出てくる呪いの装備のよう。
「まあ律ちゃんが絶好調のときでも、小鞠は負けませんけどねぇ」
『そりゃ小鞠ちゃんはゲームのプロだし……私だってカラオケ勝負とかなら負けないもん……』
「お互いの得意分野だと勝負にならないですねぇ、小鞠たち」
小鞠ちゃんが深く息を吐きながら、仰向けに寝返りを打った。
二人で天井を眺めていると、しばし無言の時間が流れる。
「……律ちゃんは、どうして歌だったんですか?」
少しだけ気まずそうに、小鞠ちゃんが口を開いた。
質問の意味がわからなくて、隣で眠そうに目を細めている小鞠ちゃんに視線を向ける。
「……小鞠にとってはゲームが、生きていくための原動力でした。今までに出会ったたくさんのゲームがなかったら、小鞠は小鞠として生きてこられなかったと思います。でも……」
私の視線を受けながら、小鞠ちゃんは静かに語った。
薄暗い部屋に、か細い声が響く。
「どうしてゲームじゃないとだめだったのかと訊かれたら……小鞠には上手く説明できません。律ちゃんは、どうして歌だったんですか?」
小鞠ちゃんの顔が傾いて、私と視線が重なった。
数秒考えてから、私なりの答えをスマホに打ち込んでいく。
『私もわからないけど、多分、そんなに深い理由じゃないよ。ただ歌うのが好きで……本当に、言葉じゃ説明できないくらい大好きで……好きなことで誰かに負けたくないから、必死になって曲を作り続けてたってだけ』
他のことがどうでもよくなるくらい夢中だったのに、私の体は思いきり歌うことに耐えられなかった。
だから他人を羨んで、嫉妬して……歌えないくせに負けたくはないから、すがるように曲だけを作り続けて、自分を慰めてきた。
思い返せば、そんな目を背けたくなるほどの醜い嫉妬心が、私が今日まで生きてこられた原動力だったのかもしれない。
『それじゃなきゃ満たされないとか、どうしても諦めきれないとか……そういうのって、理屈じゃないんだと思う。私の場合は、気付いたらこういう風にしか生きられなかったって、それだけ』
ただ歌が好きで、好きだからこそ、自分が一番じゃないと嫌だった。
それなのにレースに参加することすらできなくて、暗い部屋の中、独りライバルの背中を見続けてきた。
あのときの、惨めな自分を焼き尽くす嫉妬の業火。
きっと、それが私の原点だ。
私の言葉をどう受け取ったのか、小鞠ちゃんはゆっくり瞼を閉じて、眉間に皺を寄せる。
難しい顔で何か考え込んだあと、また静かに口を開く。
「……そうですね、小鞠もおんなじです」
ひとつ息をついてから、天井を見上げ小さく呟く。
「それなら……葉月さんにとってのVTuberというものも、それとおんなじだったんでしょうか」
いきなり葉月さんの名前が出てきた驚きで、わずかに目を見開く。
独り言のように吐き出された小鞠ちゃんの呟きに、ただ黙って耳を傾ける。
「律ちゃん、覚えてますか? 小鞠が葉月さんに『なんで嘘つくんですか?』って言ったときのこと」
小鞠ちゃんの言葉に、首を縦に振って返す。
懇親会で、葉月さんがVTuberとしての自分の目標を語っていたとき……『WVCに出場したい』という葉月さんに、小鞠ちゃんが尋ねたのだ。どうして嘘をつくのか、と。
「あのとき、葉月さんには話をすり替えられちゃいましたけど……小鞠はべつに、葉月さんの目標が嘘だって言ったわけじゃないんです。そうじゃなくて……」
小鞠ちゃんの顔がこちらを向く。
本当に言っていいのか迷うように、瞳が左右に揺れていた。
彼女はそのまま少しだけ悩んだあと、おずおずと口を開く。
「葉月さん、VTuberをやるの、初めてじゃないです。正確な回数はわからないですけど、もう何度も転生を繰り返してるはずですよ」
転生……たしかVTuberとしての活動を終了した人間が、新たに名前と肉体を用意して、別のキャラクターとして活動を始めることを指す言葉だ。
葉月さんが転生……。
驚くと同時に、どこか得心がいく部分もあった。
顔合わせの自己紹介のとき、葉月さんが自分の経歴を詳しく語らなかったのは、やっぱり意図的に隠そうとしていたからだったんだ。
ということは、配信をしたことがないというのは嘘で……そのことは勧誘した氷川さんも知っていたはず。どうして何も口を挟まなかったんだろう。
一人で色々と考え込んで黙ってしまった私を見て、小鞠ちゃんが慌てて言葉を足してくる。
「あの、小鞠は転生するのが悪いことだなんてまったく思ってないです。でも、どうして私たちにも嘘をつくのかなぁって、それが気になって……」
たしかに……わざわざ嘘をついてまで隠そうとしたのなら、そうせざるを得ない理由があったのかもしれない。
それが何なのか、私には見当もつかないけど……。
『……小鞠ちゃんは、どうして葉月さんが転生してるってわかったの?』
「えっと……昔の葉月さんの配信、よく見てたんです。まだ小鞠がゲーマーとして活動を始める前に」
なるほど、転生前の活動をリアルタイムで追っていたのか。
声だけで葉月さんだと気付いたのか、それとも氷川さんに確認でもしたのか……いずれにしても、今でも記憶に残るくらいには小鞠ちゃんの中で印象的な配信だったんだろう。
「転生前の葉月さんは、それなりに人気もありましたし、いつも楽しそうに活動していて、VTuberをやめたがっているようには見えませんでした。だけどあるとき急に引退してしまって……そのときは、何か事情があったのかなって思ったんです。体調とか、ご家族やプライベートのこととか」
小鞠ちゃんは「だけど……」と呟いて、不貞腐れたように唇を尖らせた。
「しばらくして、何ごともなかったみたいにふらっと転生して、また活動を始めてたんですよ、葉月さん」
『それは……理由を表で話すことができなかったからじゃ……?』
「そうかもしれないですけどぉ……そんなことが何回も続いてたら、不満も溜まってきますよぉ。小鞠はキャラクターも含めて、そのときの葉月さんの全部を応援してたんですから。だんだん、この人にとってはVTuberとしての活動なんて、ただの気まぐれみたいなものなのかなぁ、なんて考えちゃって……」
前のキャラクターが好きで推していたのに、突然いなくなってしまったら……しかもそんなことが何度も起こったら、小鞠ちゃんが不満を持つのもわかる気がする。
どんな理由があったのかはわからないけど、それを知るすべのないファンにとって、粛々と受け入れるのは難しいことだろう。
「だから、もし葉月さんがまた引退すること前提でこの事務所に来たんだとしたら、小鞠は関わってほしくないなって思ったんです。小鞠にとっても大事な場所になるはずだったので」
小鞠ちゃんの手が、私の服の袖を優しく摘んだ。
私に会いたかったから事務所に来た、と話していたことを思い出して、むず痒い気分になる。
顔と気持ちを引き締めて、空いてる方の手でスマホに触れた。
『そっか。それであんなに葉月さんに突っかかってたんだね』
「はい……葉月さんがどんな気持ちで、何をするために麻子さんの事務所に来たのか、確かめておきたいと思いまして……」
大失敗しちゃいましたけど、と申し訳なさそうに自嘲する小鞠ちゃんを見て、私も胸が痛んだ。
もっと上手にフォローしていれば……せめて少しくらい、たった一言だけでも、あの場で自分の気持ちを口にできていれば、二人がこんなに仲違いすることはなかったかもしれないのに。
「……でも、律ちゃんとお話して思ったんです。気まぐれなんかじゃなくて、もしかしたら逆だったのかなって……」
『逆って……?』
「えっと、うまく言えないんですけどぉ……何度も転生してたのはいい加減な気持ちだったんじゃなくて、何よりも好きで、捨てられなかったから……VTuberとしての活動を諦められなかったからなんじゃないかなって」
ああ……それでさっきの会話に繋がるわけか。
私にとっての歌が、小鞠ちゃんにとってのゲームが、葉月さんにはVTuberとしての活動だった。
VTuberという存在が好きで、ずっと活動していたくて……何らかの理由によりやめてしまったけれど、どうしても諦められなくて、また戻ってきた。そんなことを何度も繰り返していたのかもしれない、と……小鞠ちゃんは考えたんだ。
『だとしたら氷川さんの事務所に来たのも、いい加減な気持ちなんかじゃなくて……』
「はい……それまでは個人で活動していたはずなので、むしろ縋るような気持ちで、必死になって麻子さんを頼ったのかもしれません。だとしたら、小鞠は葉月さんにとてもひどいことを……っ」
小鞠ちゃんの声が震えて、言葉を詰まらせてしまった。
深く後悔した様子でぎゅっと目を閉じている。
懇親会のあとからずっと一人で悩んで、自分の発言を悔やんでいたんだろう。
小鞠ちゃんをここまで悩ませてしまったことを申し訳なく思いつつ、それを今ここで私に吐き出してくれたことが、少しだけ嬉しくもある。
せっかく弱音を聞かせてくれたのだから、私なりに彼女の支えになってあげたい。
『……明日さ、一緒に謝りに行かない? 葉月さんが許してくれるまで、私もずっと付き合うから』
気付けば、指が自然と動いていた。
スマホの音声を聞いて、小鞠ちゃんがうっすらと瞼を開く。
「律ちゃんが……一緒にですか?」
『うん。私は小鞠ちゃんとも、葉月さんとも、みんなで一つのチームとして活動していきたいと思ってる。だから自分と無関係だとは思わないし、葉月さんの言葉もちゃんと聞いてみたい。小鞠ちゃんさえよければだけど、私も一緒に葉月さんのところに行っていいかな?』
小鞠ちゃんの目が細まり、目尻が朝日の光を受けてきらりと輝いた。
薄い唇が震えて、小さく開かれる。
「……でも、許してもらえないかもしれません。それどころか、もう小鞠と一緒にやっていくのは嫌だって言われるかも……」
『うーん……じゃあそのときは、またこうやって小鞠ちゃんの家に泊まりにくるよ。一緒にご飯を食べて、ゲームで遊んでから、ベッドに潜って作戦会議をしよう。どうやったら許してもらえるのか。二人が仲直りできるまで、私はずっと小鞠ちゃんの側にいるから』
私の言葉を聞いて、小鞠ちゃんは何度か瞬きをしたあと、表情を隠すように私の腕に顔をくっつけた。
小さく鼻を啜る音と、熱い息遣いだけが、私の隣で何度も繰り返されている。
らしくないことを言ってしまって、私の顔もあまり見せられるようなものではなかったので、火照りが冷めるまで黙って小鞠ちゃんに体を預けておく。
しばらくして、鼻の頭を赤くした小鞠ちゃんがずずっと顔を上げた。
「……ありがとうございます、律ちゃん。今度は一緒にお風呂にも入りましょうね」
『それは無理だけど』
なんでですか! と鼻声で詰め寄ってくる小鞠ちゃん。悪いけど、それとこれとは話が別だ。
『ほらほら、葉月さんのところに行くならお昼ごろには起きないとだよ。ちょっとだけでも寝ておこう』
じゃれてくる小鞠ちゃんを何とか宥めて、乱れた布団を整える。
目を閉じて静かに横になっていると、次第に睡魔が襲ってきた。
もう少しで眠れそう……というところで、小鞠ちゃんがこちらに体を向けて、腕を絡ませてくる。
「……………………ぅね、律ちゃん」
何かを言われたのはわかったけれど、すでに半分眠っていたのと、声が限りなく小さかったことで、言葉までは聞き取れなかった。
もしかしたら、不安なのかな。葉月さんのところに行くのが。
そう思って、寝ぼけ眼で小鞠ちゃんの方に体を向けて、髪の毛を優しく撫でてみた。
小鞠ちゃんの腕から少しずつ力が抜けて、夢と現実の境界が混ざりあう。
これで少しでも安心して眠ってくれたらいいな、なんて思っていたら、小鞠ちゃんはすぐに寝息を立て始めた。
いい夢を見られますように……と願い、私も重い瞼を閉じる。
頭の中から意識が薄れて、消えていく。
やがて心地よい、小鞠ちゃんの温もりだけが残った。
* * *
翌朝、陽の光を全身に浴びながら目を覚ました。
何だか寝心地が悪いなぁ……と思いながら、寝ぼけ眼でスマホを探して時間を確認する。
思ったより早くに目が覚めた。まあ慣れないベッドだとこんなものなのかも。
さて、今日の予定は……えっと、小鞠ちゃんと一緒に葉月さんのところに行って……それから、咲耶さんと紅葉さんにも連絡をして……。
あ、その前に新しいスマホを買いに行かないと。いつまでも小鞠ちゃんに借りているわけには――
「……え?」
自分の手元を見て、戸惑いの声を上げる。
今持っているこれは、自分のスマホだ。小鞠ちゃんに借りたものではなく、昨日画面が割れて使えなくなったはずの、私のスマホ。
どうして時間が確認できる?
どうして画面が割れていない?
嫌な予感がして、急速に頭が覚醒していく。
と同時に、背筋に冷たい汗が流れた。
「……なに? え? なんで……っ」
見渡せば、そこは見慣れた自分の部屋。
寝心地が悪いはずだ。ベッドではなく、ソファーの上なんかで寝ていたら。
隣で眠っていたはずの小鞠ちゃんは、どこにも見当たらない。
だんだんと状況を理解して、だけど受け入れたくなくて、体が震えてきた。
「どうして……戻ってるの……⁉︎」
スマホの日付は、私がこの体になって四日目――初配信を終えた、次の日にまで戻っていた。
――どうして。どうして。どうして。
意味がわからない。こんなの絶対におかしい。ありえない。
ミッションはクリアしたはずだ。
VTuber事務所への所属という条件は達成していた。
何でだよ、なんで……というか、え? 嘘。嘘でしょう。
「……全部、なくなっちゃったってこと……? 事務所に誘われたのも、みんなと会ったことも……小鞠ちゃんとの約束も、全部……」
小鞠ちゃん。そんな、嘘だ、絶対嘘だ。
だって、約束したのに。
一緒に遊びにいくって。またお泊まりするって。葉月さんと仲直りできるまで、ずっと側にいるって……。
「嘘……やだ……嫌だよ……」
現実が受け入れられなくて、頭がまったく働かない。
ひどい吐き気と眩暈に襲われて、立ち上がることすらできない。
全身から汗が噴き出して、息切れと動悸が止まらなかった。
『デイリーシングルランキング、ベスト10はこちら!』
テレビから、甲高いナレーターの声が聞こえてくる。
「――――っ‼︎」
反射的に、持っていたスマホをテレビに向かって投げつけていた。
スマホはテレビの画面を割り、蜘蛛の巣状の罅を入れる。暗い画面に一瞬だけノイズのような線が映るが、すぐに真っ暗になって消えた。
「なんでだよ……! 私、ちゃんとやったじゃん……事務所にも入ったし、みんなとも仲良くなって……それで……っ」
昨日の出来事が、次々と思い起こされる。
俯くと、涙腺が壊れたみたいに涙がこぼれ落ちてきた。
「そりゃ失敗もしちゃったけど……それはこれから取り返していくって……小鞠ちゃんと謝りに行くって……約束だったのに……」
体に力が入らない。それどころか、表情すらピクリとも動かせない。
なのにどういうわけか、溢れる涙だけはどうにも止めることができない。
ああ、もう。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
全部めちゃくちゃになってしまえばいいのに。
この体も、思うようにならないこの世界も、全部、全部。
「死ねよ、私……何してんだよ……約束も守れないで、何が友達だよ……!」
ごめん。ごめんね、小鞠ちゃん。
本当にごめんなさい。
いっぱい約束したのに、何ひとつ守ってあげることができなかった。
それどころか、あなたの初めての友達も、お泊まり会の思い出も、何もかも奪ってしまった。
すべて、消してしまった。
ひどいよね。ごめん。本当にごめんなさい。
どうすれば償えるんだろう。わからない。もう何もわからない。
「…………っ!」
いつの間にか、その場で嘔吐していた。
吐瀉物に塗れたソファーを見て、頭の中で何かが焼き切れて、そのまま床に倒れ込んだ。
「……もう……嫌だ……嫌だよぉ……」
床の上で芋虫のように丸くなって、自分の涙とよだれで顔をぐちゃぐちゃにして、惨めに泣いた。泣き続けた。
「……うぅ……うああ……ああああああああああああああっ‼︎」
泣いて、絶叫して、また哭いた。
目の皮がふやけて、剥がれ落ちるまで泣いた。喉から血が出るまで叫び続けた。
だけど、何も変わらなかった。
どれだけ泣き叫んでも、この世界は知らぬ顔でカウントを減らし続けていて。
そして私は、友達との約束一つ守れない、ただの負け犬のままだった。