VTuber育成ゲームに転生したけど、ステ振りに失敗しました 作:bnn
威勢よく飛び出してきたはいいものの、葉月さんの姿はどこにも見当たらない。
あの流れで事務所を出ていった葉月さんが、呑気にどこかで寄り道をしているとは思えない。なので向かうとしたら、とりあえずは駅方向だろう。
そう思い、駅までの道を全速力で駆け抜ける。
しかし途中で葉月さんの背中が見えてくることもなく、そのまま駅前までたどり着いてしまった。
「……葉月さん……いったいどこに……」
もしかして、もう電車に乗って帰ってしまったのだろうか。だとしたら今これ以上追いかけるのは難しくなる。
どうかまだ近くにいますように……と願いながら、駅前の人だかりの中に葉月さんの影を探す。
周辺に立ち並ぶお店の中に葉月さんがいないか探していると、不意に背後から不揃いなギターの音が鳴り響いた。
振り返ると、横断歩道のわきにある小さなスペースで、路上ミュージシャンがギターを演奏していた。
……そうだ。
事務所から駅に向かうなら、この横断歩道を必ず通っているはず。ずっとここで演奏していたなら、もしかしたら葉月さんを見かけているかもしれない。
演奏中に申し訳ないが、アコースティックギターを抱える男性に恐る恐る声をかけてみる。
『あの、すみません』
「〜〜〜♪ え? うわっ! あ、え、はい?」
目の前でスマホを左右に振ってみせると、気持ち良さそうに鼻歌を歌っていた男性が演奏の手を止めた。
驚いた様子で、まじまじと私の顔を覗き込んでくる。
『ついさっき、ここを水色の髪の女性が通りませんでしたか? 二十歳くらいで背筋がすらっとした、細身の女の人なんですけど』
「女の人……あ、あー。もしかして、改札の前で喧嘩してたあの子かな?」
幸運なことに、葉月さんの姿に覚えがあるようだ。
喧嘩……? と内心で首を捻るが、詳しく話を聞いている暇はない。
一刻も早く追いかけたくて、『その人、どっちへ行きました?』と入力したスマホを勢いよく見せつけた。
「えーっと……たしかこの大通りを駅とは逆方向に歩いていったよ。どうしたの? 何かトラブル?」
やや顔を赤くした男性が、交差点の奥の通りを指さした。
どこに向かったのかは分からないけれど、とにかく急いで追いかけないと。
「ねえ、もし良かったら何か手伝おうか?」
『ありがとうございます、大丈夫です!』
「あ……そう?」
親切な申し出を丁重にお断りして、交差点へ足を向ける。
男性に向かって小さく頭を下げてから、駆け足で横断歩道を渡った。
道路に面したおしゃれなカフェやコンビニの中を覗き込みつつ、ビルとビルの間を走り抜ける。
葉月さんの姿を見落とさないように注意しないと。キョロキョロと辺りを見回しながら、大通りを真っ直ぐ進んでいく。
やがて首都高の足元をくぐり抜け、緑の増えてきた通りをさらに進むと、左手にかなり広めの公園が見えてきた。
入り口から首を伸ばして、葉月さんの姿を探す。
「……あっ!」
公園中央の芝生の中に、葉月さんの後ろ姿が見えた。
よかった! ようやく見つかった!
歓喜のままに公園へ足を踏み入れ、そちらへ駆け寄ろうとして――思わずその場に釘付けになる。
葉月さんの目の前に、同じ水色の髪を持った見知らぬ女性が相対していた。葉月さんよりもやや大人びた顔つきで、よく手入れされた長い髪が怜悧な印象を与えている。
二人の間には剣呑な空気が流れていた。
無言のまま睨み合うその光景を見て、葉月さんが駅前で喧嘩をした相手がこの女性であることを悟る。
物々しい雰囲気に話しかけようにも話しかけられず、私は慌てて近くの東屋の柱の陰に身を隠した。
……ど、どうしよう。
思わず隠れちゃったけど、今さらのこのこ出て行くのはあまりに空気が読めてないだろうし……かといって引き返してその間に葉月さんを見失ったら、何のために追いかけてきたのかわからなくなるし……。
というか、彼女はいったい誰なんだろう。
何やら葉月さんとただならぬ関係みたいだけど……。
どうしたものかと悩んでいると、睨み合いを続けていた二人の空気が、バチリと弾ける気配がした。
高まる緊張感に息を殺すと同時、葉月さんが口を開く。
「――まさか、あんたがわざわざ会いに来るなんてね」
警戒心をむき出しにした固い声で、目の前の女性に語りかける。
無表情のままこちらを見つめる、葉月さんによく似た女性。そんな彼女に、葉月さんは続けて言葉を投げた。
「トップVTuberのあんたが、今さら私に何の用? ……沙月」
葉月さんが、さらに鋭い眼で女性を睨み付ける。
沙月と呼ばれた女性は……感情の読めない無表情のまま、静かにその眼差しを受け止めていた。
* * *
私がまだ〝杉田葉月〟という一人の人間でしかなかった頃。
初めてVTuberという存在を知ったのは、確か中学生になる少し前のことだった。
その時はまだ『ただ好きなだけ』で、具体的に何がどう自分の心を打ったのかも分からないまま、とにかく夢中で配信や音楽ライブの映像なんかを見漁っていた。
それから何年かして、ふと自分でもやってみたくなった。
何か特別な出来事があったわけではない。本当に何気なく、軽い気持ちで踏み出した一歩。
普段の配信を見ながら『自分だったらどうするだろう』と妄想する、そんなささやかな日常からうっかりはみ出したような、ほんの少しの延長線のつもりだった。
今の時代、ネットさえあれば大抵のことは自力で調べられる。それに、もともと趣味でイラストを描いていたことも幸いした。
活動開始までのハードルは低くはなかったけれど、越えられないほど高くもなかった。
SNSなどで先人に相談に乗ってもらい、試行錯誤を積み重ね、やがてセルフ受肉という形で最初の活動はスタートした。
すぐに同じような境遇の友人もできて、幾人かの固定の視聴者にも恵まれた。気の合うコミュニティ内で自由気ままに活動するのは、学校という狭い檻の中しか知らなかった私にとって新鮮な楽しさで溢れていた。
毎日ワクワクしながら配信の内容を考えて……新規の視聴者にコメントを打ち込んでもらった時なんか、自分でも呆れるくらいに心が躍ったものだ。
だけど次第に、それじゃ物足りなくなった。
自分の視聴者を、もっと楽しませたいと思うようになった。
自分を推していて良かったと、視聴者に思ってもらいたくなった。
他のVTuberに負けたくないと思った。
――『数字』を、欲してしまった。
目的が変われば手段も変わる。
自分が楽しむために始めた活動は、いつしかより多くの数字を得るための活動へと変わっていった。
そんな変化の中で、私の双子の姉――沙月がVTuberに興味を持ち始めた。
たまたま私の配信を見たのがきっかけだったらしいけど……その時の私は、それを〝チャンス〟だと思った。
リアル双子VTuber。
まだVTuberという文化が今ほど広く根付いておらず、配信者の数自体が少なかった当時、これはかなり珍しかった。
オタクの妹が、二次元のコンテンツ全般に疎い姉に色々教えていくという分かりやすい構図。おまけに、しっかりキャラ分けも出来ていた。
これはいけると思ったし、実際に姉を活動に誘ってから、数字は驚くほど伸びた。
けれど、調子に乗れたのは一瞬だけだ。
姉が配信に慣れてくると、すぐに視聴者の人気は姉に集中し始める。
私を求める声は目に見えて減っていき、それに反比例して姉は人気を高めていった。
身内の贔屓目なしに見て、姉は……杉田沙月は、現実世界でも非常に魅力的な人物だ。
賢く勤勉で人望があり、自分の意見をズバズバ言える人。それでいて他者をよく見ていて、ちゃんと気を遣える人。
優秀な人だ。才に溢れた人だ。大きなことを成せる人だ。
……私とは、あまりに違う。
姉を人気者にする方法なら、私はいくらでも考えることができる。
だけど駒を私に入れ替えたら、途端にどんな手を打てばいいのか分からなくなってしまう。
VTuberを見続けて肥え太った私の目は、残酷な現実を正しく見据えてしまっていた。
つまるところ――私には、才能がないのだ。
それでもVTuberとして、私より遅く活動を始めた姉に負けたくなかった。
ようやく姉に勝るものが見つかったと喜んでいたのに、ただ一つ負けたくなかったこの道ですら、私は姉に勝てないのだろうか?
それを認めてしまうのが怖くて、不安を振り払うように、私はますますVTuberとしての活動にのめり込んでいった。
努力でどうにか出来るなら、どんな努力だってしてやると心に決めた。
個人活動では限界があると思い、とある弱小事務所のオーディションを受けた。
そこまで倍率も高くないはずで、正直受かる自信はあった。それなのに、結果はまさかの不合格。高校卒業を目前にして、社会の厳しさを知った。
ただ、それだけならまだ良かった。
合格者リストの中には、なんと姉の名前があったのだ。
それを知ってしまった瞬間が……私の地獄の日々の始まりだった。
姉とは決定的に仲違いし、二人での活動は続けられなくなった。線香花火が落ちる瞬間のように、短い間小さな輝きを放っていた双子のVTuberは、音もなくひっそりと消えていった。
姉は結局その事務所に入り、同期で入所したもう一人の天才と共に、VTuberとしての道を切り拓いていく。やがて事務所は『V.I.P』へと名前を変え、今では業界を牽引する企業に成長した。
私はといえば、姉に負けたくなくて色々と試行錯誤を繰り返すも、どれも上手くいかずに中途半端に投げ出してばかり。
好きで始めたはずの活動は、いつの間にか『姉に勝てないのであれば価値のないもの』に変わってしまっていた。
もうやめてしまおう……と何度も思った。
だけど結局やめられなくて、ズルズルと同じような活動を続けては、自己嫌悪に啜り泣く惨めな毎日。
やめどきを見失ったまま歩き続ける報われない努力の道は、まさしく地獄だった。
そんな生活のさなか、不意に垂らされた蜘蛛の糸。
氷川さんに声をかけられた私は、もはやみっともないくらいの勢いでその話に飛び付いていた。
実質的に、フォースターの傘下に入れる。これなら姉とも戦える。
今思えば自分の手柄でもないのに、その時は本気でそう思っていたのだ。
自分の力で道を切り開き、一から事務所を大きくした姉と比べたら、情けなさすぎて笑ってしまう。
そんな私の甘えた考えを見透かしたように、また別の〝天才〟たちが無自覚に私を踏み潰していった。
お前には何もないだろう、と。そんなお前が居ていい場所ではないのだと、これ以上ないくらいに分かりやすく教えられてしまった。
集まった面々の顔を見て、愚かな私はようやく気づく。
ここは私が居ていい場所ではない。何も持っていない私が、居座ることを許されるような安い席ではないのだ。
華やかな同期たちの前で、これまでの地道な活動を堂々と口に出せない自分が恥ずかしくて堪らなかった。
ましてやフォースターの傘下に入れなくなったなら、なおさら私がいる意味などない。
だから、スターライズへの所属は辞退した。
やめてどうするのかは分からない。Vtuberとしての活動は続けるつもりでいるけれど、またあの地獄に戻るのかと考えると、どうしても足が重くなる。
そんなことを考えながら事務所を出たら、駅前で姉が待ち構えていたのだ。
どうしてここに? と訊こうとして、そういえば姉の勧めで、家族間でGPS情報を共有できるアプリを入れていたことを思い出す。
それを辿って来たのだとしたら、私の姉はストーカーの素質があるのかもしれない。
とにかく、逃げるように事務所を後にした私にとって、今一番顔を合わせたくない相手が目の前にいる。
そう考えると冷静ではいられなくて、普通に話しかけられただけなのに、つい返す声が大きくなってしまった。
顔出ししていないとはいえ、姉は今や超がつくほどの有名人だ。駅前で言い争いなんてしていたら、声だけで正体がバレてしまうかもしれない。
周囲の目を集めてしまった私たちは、少し離れた公園まで移動してきた。
そこで睨み合うことしばらく。
やがて痺れを切らした私は、大嫌いな双子の片割れに向かって尋ねた。
「――トップVTuberのあんたが、今さら私に何の用? ……沙月」
自分でも驚くほど、皮肉っぽく荒んだ声が口からこぼれた。
流石に嫌味が過ぎると思い、どうでもよさそうな気の抜けた態度を装って、急いで言葉を付け加える。
「あんたも暇じゃないでしょ。さっさと要件を言って」
私がそう言うと、姉は少しだけ唇を尖らせたあと、小さく口を開いた。
「葉月。あなた、氷川さんの誘いは断るんじゃなかったの?」
「……は? もしかして、それを確認するためにわざわざ駅で待ってたわけ?」
相変わらずの過保護ぶりに、ため息が漏れそうになる。
確かに姉には、スターライズへの所属の件は逐一報告していた。というより、しつこく訊いてくる姉を追い払うために、しぶしぶ情報を渡していたというのが正しいか。
同じ家に住んでいる上、もともと姉と氷川さんには少なからず面識があることもあって、全てを隠し通すことは難しかった。
新しい事務所に誘われたことは当然知っていたし、その誘いを蹴ったことも昨夜伝えたばかりだった。
「何度も言ってるけど、私がどこで何をしようと、あんたには関係ないでしょ」
「関係あるわよ。家族なんだから」
「ちょっと早く生まれただけで、いつまでも保護者づらしないでくれる? お互いもういい大人なんだし」
「それこそ関係ないでしょう。いくつになっても、あなたは私の妹なのよ」
「……うっざ……」
私が気怠げにぼやくと、姉は不機嫌そうに眉を歪ませた。
それから静かに瞼を閉じて、仕切り直すようにまた声を上げる。
「それで、結局どうすることにしたの? 一晩悩んで考えが変わった?」
「……昨日伝えた通りよ。スターライズからの誘いは断った。事務所には入れなくなったけど、また一人でVTuber活動を続けていくわ」
端的にそう告げると、姉の唇の端が小さく引き結ばれた。
相変わらず表情から感情が読み取れない女だ……と思っていると、姉は軽い嘆息を漏らして静かに私を見据える。
そして――
「あなたが一人で何をするの? 何度も言ってるでしょう。いい加減、無駄なことはやめなさい」
冷たく放たれたその言葉を聞いて、これまで何度となく抱いてきた苛立ちが、また私のささくれ立った心を撫でた。
「……あんたに無駄なんて言われたくないわよ」
「葉月のためを思って言ってるのよ。一人で意地を張って、この先どうするの? ちゃんと生活していける? 将来安心して過ごせるだけの収入は得られるの?」
「そんなこと……」
あんたに関係ない、と言おうとして口をつぐんだ。
どうせまた『家族なんだから』と返されることが分かりきっていたから。
私が何も言えないでいるうちに、姉は一歩こちらに近づいていた。
無表情の中に微かな笑みを織り交ぜて、作り物のような優しい声で語りかけてくる。
「どうしても今の活動を続けたいなら、私の下に来なさい。如月蒼の公式妹VTuberとしてデビューさせられるよう、スタッフさんに口利きしてあげるから」
はっ? という腑抜けた声が聞こえて、それが自分の口から漏れたのだと気づくまでに、かなりの時間を要した。
姉をこの道に引きずり込んだのは私だというのに、今では逆に情けをかけられてしまっている。
もともと私に誘われて始めただけのくせに、すっかり立場が逆転してしまった。いつの間にこんな差が開いてしまったのだろう。
「私の下でなら、あなたも好きなことができるでしょう? だからくだらない反抗はもうやめなさい。あなたがこれから何をしようと、私には……私たちには、絶対に届かないのよ」
……無意識のうちに、固く拳を握り締めていた。
もしナイフを握っていれば、そのまま心臓を突き刺していたんじゃないかと思うほどの激しい憎悪が沸き上がってくる。
「これまでもずっと試行錯誤して、それでもだめだったんでしょう? 最初から、あなただけでは無理だったのよ」
もちろん、殺す相手は私自身だ。
姉に悪意なくこんなことを言わせてしまう、自分の不甲斐なさが心から憎かった。
「あなたを最も理解しているのも、一番上手に使ってあげられるのも私なんだから。ね、葉月。もう無駄に苦しまないで。あなたは私の言うことを聞いていればいいの」
感情的な暴言や、根拠のない強がりならいくらでも吐き捨てられる。
しかし姉を言い負かせるだけの説得力のある言葉は、私の実績のどこを探しても見つからない。
幾多の敗北と失敗の記憶が、私の口を固く閉ざしていた。
「あなたがこれから歩く道は、私が用意してあげるから。だから葉月、私のところに来なさい」
悔しい。情けない。なのに何も言い返すことができない。
もう、無理なのだろうか。私ではこの天才に勝つなんて、最初から無謀だったのだろうか。
VTuberとしての活動が大好きだった。
応援してくれるファンのみんなが愛おしかった。
もう一人の自分に会える、かけがえのない居場所だった。
だから、どうしても負けたくなかった。
だけど……もう、終わりにするべきかな。
諦めてしまえば、また純粋にVTuberというものを心から楽しめるようになるかもしれない。
「……また一緒に、二人で活動していきましょう?」
そう言って、姉が手を差し出してくる。
私にはその手を握ることも、振り払うこともできなかった。
きっと、すでに心が折れていたのだろう。
じっと差し出された手を見つめていると、次第に涙が込み上げてくる。
泣き顔なんて見せてたまるかと、背を向けて歩き出そうとしたそのとき――
「―――― うるっ……さあぁぁぁぁぁぁいっ‼︎」
けたたましく掻き鳴らされたギターの音と共に、誰かの痛切な叫び声が、公園の中に響き渡った。
* * *
すっかり出るタイミングを失った私は、そのまま柱の陰に身を隠し、葉月さんたちの会話を黙って聞いていた。
短いやりとりだったけれど、ある程度の事情は把握できた気がする。
二人の関係性や、葉月さんのお姉さん……沙月さんの立場。
葉月さんがずっと、トップVTuberであるお姉さんを超えたくて頑張っていたこと。
そしてそのどれもが上手くいかず、その果てに氷川さんの事務所にやって来たこと。
葉月さんは私に向かって『いつもあんたたちみたいな天才にあっさり追い抜かれて』と話していた。
もしかしたら葉月さんは、あのとき心の中で沙月さんの姿を思い浮かべていたのかもしれない。
葉月さんが語ってくれた『WVC』への出場という目標は、きっと沙月さんと肩を並べられる舞台に立ちたいという意味だったんだろう。
それらを踏まえると、今ここにいる私はどう考えても部外者だ。
二人の因縁に私はまったくの無関係。ここで割り込むなんて明らかに空気が読めていない。
だから二人の話が落ち着くまで、しばらく待っていようと思ったのだけれど……。
「――あなたは私の言うことを聞いていればいいの」
……葉月さんの意向を無視して、自分の思い通りに動かそうとする沙月さんのことが、どうしても許せなかった。
自分勝手な話だけど、私は葉月さんに諦めてほしくなかった。
好きなことで負けまいと抗い続ける葉月さんに、何としても勝利を掴んでもらいたかった。
このまま大切な同期を取られてしまうなんて、そんなの許せるわけがない。
葉月さんには沙月さんではなく、私たちのところに戻ってきてほしい。私の伸ばした手を掴んでもらいたい。
どうにかしてそれを伝えたい。だけど、どうすれば――
「――――っ!」
いっそ飛び出してしまおうかと迷っていたところへ、背後の通りから男性が歩いてくるのに気がついた。
先ほど駅前で、ギターを演奏していた男性だ。誰かを探しているのかきょろきょろと辺りを見回していて、手にはハードケースに入ったアコースティックギターを持っている。
直感的に『これだ!』と確信していた。
まともに喋れない私がのこのこ出て行ったところで、自分の気持ちの百分の一も伝えられない。
やっぱり私にはこれしかないのだ。人に本気で何かを届けたいなら、これしか――
走って男性を追いかけて、短い交渉の末に一時ギターを借り受ける。
それを持って少し離れたすべり台に駆け上り、一緒に借りたピックでじゃららんと弦を鳴らして、軽くチューニングを合わせた。
私の声が、想いが、葉月さんに届きますように。
自分の選んだ道で戦い続ける葉月さんに、少しでも勇気を与えられますように。
葉月さんを縛る何もかも……周囲のあらゆる雑音を、私の声で掻き消してしまおう。
がむしゃらに音を奏でながら、私は大きく息を吸い込んだ。
* * *
「――あんたっ、何でここに……⁉︎」
声のした方へ顔を向けると、そこにはさっきまで事務所にいたはずの……雨音律とかいうスマホスピーカー女が、ギターを鳴らしてこちらを見下ろしていた。
雨音はさらに何か言おうとしていたけれど、口の中でもごもごと吃るばかりで、上手く喋ることができないようだった。初対面の際に聞いた、会話が苦手という情報は本当だったらしい。
声を出せないことがわかると、雨音は諦めた様子でギターを構え直し、きりっと私たちに鋭い視線を向けてきた。
ギターって……まさか、歌うつもりか。こんな場所で。
そういえば彼女は自己紹介のとき『歌うのが大好き』とか話していた気がする。あとは音楽関係に強いとか。
それを見込まれて氷川さんから勧誘を受けたのだとしたら、彼女もまた、さぞかし素晴らしい才能をお持ちなのだろう。
自分の歌に絶対の自信を持ってたりするんだろうか。だとしても、どうして今ここでいきなり歌い出すのかはわからないが。
私はそんな斜に構えた態度で、すべり台の上でギターを構える雨音に冷ややかな視線を送る。隣で沙月もまた、訝しむような顔で同じ方を向いていた。
何だか知らないけれど、わざわざ黙って聞いてやる理由もない。歌いたければ一人で勝手に歌えばいい。
空気の読めない暴走女のパフォーマンスに巻き込まれるなんて冗談じゃない。
そう思って、歩き出そうとしたそのとき。
すぅ……という掠れた息遣いが耳に届いて、私の全身にゾワリと鳥肌が立った。
「…………――――っ⁉︎」
明らかに空気が変わった。肌を突き刺すようなプレッシャーが、すべり台の上から降り注いでくる。
わけもわからないまま、とにかく何かがやばいと本能が警告を発し始める。
無意識のうちに雨音に視線が吸い寄せられ、目が離せなくなってしまう。
そして鳴らされたギターの音に合わせ、雨音が歌声を響かせた瞬間――――
――――雨音の歌を聴い、て――――
――――私――は――――ぁ――――
わあっ――という歓声が耳に届いて、私はようやく我に返った。
雨音が歌ったのは一曲だけ。時間にしてたった数分のはずなのに、それ以前の記憶がほとんど飛んでしまっていた。
雨音の歌声が脳内で反芻される。その度に鼓動が高鳴り、体温が上昇していくのがわかった。頬が上気して、全身が汗ばんでいる。いつの間にか息も弾んでいた。
この数分間、全力疾走していたようなケタ違いの興奮が、私の胸中に渦巻いていた。
今聴いた音楽は……今観ていた光景は、いったい何だったのだろう。
理解が追いつかないまま、すべり台の上で肩を上下させている雨音を呆然と見つめる。
雨音は歌っている時とは別人みたいな毒気のない顔をして、周りに集まっていた十数人の聴衆に驚いていた。
それからすべり台を下りようとして階段に足をかけるも、ギターを持ったままだと怖かったのか、結局坂の方から滑り下りてきた。
両手で体を支えられず、最後にステンと仰向けに転んでいる姿を見るに、運動神経はあまり良くないようだ。
「……何やってんのよ」
その間抜けな姿に、思わず笑ってしまう。
歌っている時と違いすぎるだろう。ついさっきまで全身から異様なオーラを迸らせて聴くもの全てを圧倒していたのに、今はまるで鈍くさい子猫のようだ。
まともに喋れなかったり、会話を繋ぐのが下手だったり、空気が読めなかったり……。
散々ダメなところばかり晒してきたくせに、今さらあんな姿を見せられたら、どうしたってギャップにやられてしまう。
「……腹立つ……反則でしょ、あんなの……」
まさかとは思うが、それが狙いでずっとダメな女を演じていたんじゃないだろうな。
そんなことを考えている間に、雨音はいつの間にか聴衆に囲まれて、身動きが取れなくなっていた。
どうやら聴衆の一人にギターを返そうとして、近付いたところを一斉に囲まれてしまったらしい。
「ったく、何やってんのよ……!」
ああもう、世話の焼ける。
あわあわとスマホを弄っている雨音のもとへ、人と人の隙間を縫って走り寄る。そのまま無防備に晒された雨音の腕を掴んで、強引に引き摺って連れていく。
抵抗は驚くほどなかった。警戒心なさすぎだろ、この女。
雨音は驚いたような顔をしたあと、聴衆に向かってペコリと頭を下げてから、なぜか嬉しそうにはにかんで私の後をついてきた。
まだ追いかけてこようとする数人の取り巻きを撒くために、雨音の細い腕を掴んだまま全力で走る。
何度か路地を曲がって人気のない地下駐車場に逃げ込むと、ようやく二人になることができた。周りに誰もいないことを注意深く確認して、ホッと胸を撫で下ろす。
一度深く息を吸って呼吸を整えてから、隣で私以上に息を切らしている雨音に向き直った。
「――あんた、馬っ鹿じゃないの⁉︎ あんな大通りに面した場所で、白昼堂々歌ったりしたらどうなるか、少しは考えなさいよ!」
よろよろと顔を上げた雨音に、声を張り上げてそう言った。
いきなりお説教を食らった雨音は、予想外の事態に直面したように目を丸くして、ぽかんと私を見つめていた。
その間抜けな顔にデコピンでもかましてやりたくなる。
「そもそも雨音、あんた何であそこにいたの? 事務所からつけてきたわけ? あいつ……沙月との会話、全部聞いてたの?」
雨音は何か喋ろうとぱくぱく口を動かすが、やっぱり上手く喋れないようだった。
じれったくなって、雨音がスマホを取り出している間にさらに追求していく。
「まあそれはいいわ。仮にそうだとして、何でいきなり歌い出したの? 正直それが一番意味わからないんだけど。確かにいい歌だったかもしれないけど、それより――むぐっ」
私が喋り続けていると、慌てた様子の雨音が両手で私の口元を押さえつけてきた。
確かに一方的に話しすぎたかもしれない。反省して、雨音が文字を打ち終えるのを待つ。
雨音は蚊の鳴くような声で「はっ、葉月さん……!」と私の名前を呼ぶと、慣れた手つきでスマホの再生ボタンを押した。
『あの、名前で呼んでくれないんですか?』
はあー? という感情が、思いっきり顔に出てしまっていたと思う。
これだけ色々あって、まず最初に言うことがそれ?
やっぱりこいつ、どこかズレてる。天才ってみんなこんな感じなんだろうか。
「そんなことより――」
『前は律さんと呼んでくれていたので。雨音って、呼び捨ては嬉しいですけど、できれば名前の方がもっと嬉しいです』
私の声に被せて、雨音がさらに音声を流してきた。
スマホの音声は一度流れ出したら言い切るまで止まらないので、必然的に私が折れるしかない。
タイミング悪くてごめんなさい、みたいな顔をしてくる雨音に、また苛立ちが募る。
「……律。これでいい?」
私がそう呟くと、雨音……じゃないわ。律は心から嬉しそうに目を輝かせて、コクコクと頷いていた。
何やってるんだ、私……と、深いため息がこぼれる。
どっと肩の力が抜けてしまった私の横で、律がいそいそしくスマホを操作していた。
『あの歌、私が初めて作った曲なんです。あの時はどうしても葉月さんにあの曲を聴いてもらいたいなって思って、それで』
また唐突に話が変わって、思考が多方面にとっ散らかる。
あー……『何でいきなり歌い出したのか』に対する答えか……と、数秒遅れて理解した。
……って、いやいや。答えになってないでしょ。
何でいきなり聴いてもらいたくなったのかまで、ちゃんと説明してもらいたい。
私が「何でよ」と尋ねながら首を捻ると、律は少し悩んでから、やや視線を尖らせて答えた。
『だって、悔しかったから』
悔しい? なぜ?
彼女が悔しがるような出来事に心当たりがなくて、私はさらに深く首を傾ける。
私が氷川さんの誘いを断ったから?
いや、それで律が悔しいと言うのもおかしな話だ。
私が去った後、事務所で何かあったのだろうか。だとしても、それで私に歌を聴かせにくる意味がわからない。
彼女の真意を汲み取れずに渋面を浮かべていると、不意に後ろから聞き馴染みのある声が聞こえた。
「はぁ……やっと見つけたわ」
上から目線の、憎たらしい声。振り返らなくても誰だかすぐにわかる。
うっかり忘れてしまっていたけれど、公園から私たちを追いかけて来たらしい。完全に撒いたと思ったのに居所を把握されていたのは、流石に双子の姉と言うべきか。
私の後ろには、さっきまで対峙していた沙月が変わらぬ姿で立っていた。
いや……よく見ると、その表情はどことなく不機嫌そうだ。苦虫を噛み潰したような顔で、私の奥にいる律を睨みつけている。
いつも冷静な姉がここまで感情を表に出すなんて、かなり珍しい。
「話の途中でどこに行くのよ、葉月」
「……それどころじゃなかったでしょ」
さっきまでの不愉快な会話を思い出してしまって、一気に気分が沈んでいった。
今や業界最大手の一角となった事務所『V.I.P』への勧誘。沙月の公式妹として、鳴り物入りのデビュー。
条件だけ見れば破格と言っていい。こんなに魅力的な誘い文句、他に絶対ないだろう。
……私のプライドにさえ目を瞑れば、の話だが。
「早く帰るわよ。事務所にも連絡しないといけないし、やることはたくさんあるわ」
「……私は……っ」
「今さら悩む必要ないでしょう。あなただってわかってるはずよ。今、うち以上に勢いのある事務所なんて――」
「――いっ、行かっ……ないで、ください……っ!」
律のたどたどしい声が響いて、沙月の言葉を遮った。
同時に、背中にぼすっと衝撃が加わる。首だけで振り返ると、律が後ろから両腕を回して、私の胴体をがっしり掴んでいた。
「なっ……あんた、何して……」
力任せに振り払うこともできず、その場に所在なく立ち尽くす。
一生懸命になりすぎて、自分が空回りしていることにすら気づいていないのだろうか。
別にどこに行こうとしたわけでもないのに、私が口を開いただけで、律の腕にはますます力が込められる。
どうしたものかと悩んでいると、いよいよ不機嫌になった姉が舌打ち混じりに声を上げた。
「行かないで? どの立場でそんなことを。誰だか知らないけど、家族の話に口を挟まないでもらえるかしら」
冷たく言い放たれた言葉を聞いて、律は負けじと姉のことを睨み返す。
私を間に挟んで、二人の間で火花が散っていた。
『私はスターライズの雨音律といいます。葉月さんの同期です。葉月さんは私たちと一緒にスターライズからデビューします』
「何その話し方、ふざけてるの?」
『いいえ』
「……葉月からは、すでに所属の件は断ったと聞いてるわ。あなたはもう無関係のはずよ」
『関係あります。私たちには葉月さんが必要です。私はどうしても葉月さんと一緒にデビューしたいんです』
「随分と勝手な言い分ね。葉月の立場になって考えれば、V.I.Pに来るのが正解だってわかるでしょう。うち以上に葉月に相応しい環境なんてどこにもないわ」
『そんなことありません! スターライズは葉月さんにとっても、最高の居場所になるはずです』
「はあ? 何を根拠にそんなこと」
律の言葉に、沙月は不愉快そうに眉を歪ませる。
私の前後でバチバチにやり合っていて、口を挟む隙がなかったけれど、スターライズのメンバーが私を必要としているという話には笑ってしまいそうになった。そんなわけないだろう、と。
だから、私の背中にぴったり張り付いている天才に向かって、自虐的に言った。
「冗談はやめて。あんたらに私が必要なわけないでしょ。同情か知らないけど、あそこが私の居場所になんてなるはずないじゃない」
私がそう言うと、目の前で沙月が「ほら見たことか」とでも言うように勝ち誇った顔で鼻を鳴らした。
しかし律は怯むことなく、怒ったように私の背中にゴンと頭を打ち付けると、『同情なんかじゃありません』と音声を流した。
『この通り、私はまともに話すことができません。他のメンバーも、当たり前みたいに遅刻してきたり、いつも酔っ払っていたり、女癖が悪かったりと、まともな人間なんて一人もいないと思います』
事務所の内情をあけすけに打ち明けられて、確かに改めて聞くとかなりヤバいなと他人事のように思う。
それを姉に聞かれてしまったことが、少し恥ずかしくなった。
「……そんなおかしな事務所に、葉月を預けられるわけ――」
『だからこそ、葉月さんが必要なんです!』
沙月の声をかき消して、律が私にスマホの画面を見せつけてくる。
力強い『!』マークに、律のまっすぐな感情がこもっているような気がした。
『葉月さんに足りないものがあれば、私が埋めてみせます。だから私に足りないものを、葉月さんに埋めてもらいたいんです』
律に足りないもの?
そんなの……いや、まあ考えてみれば色々と思い浮かぶことはあるけれど、それを私が埋めるって……。
『本当に同情とかじゃないんです。葉月さんの力で、私たちを助けてほしいんです』
あんな異次元の歌声を持ってる化け物を相手に、私が対等に補い合えてるところなんてとても想像できない。それくらい、彼女が放つ輝きは眩しすぎるのだ。
だけど……少なくとも、律は本気で私を必要としてくれている。
「私の言うことを聞いていればいい」なんて上から目線の誘いより、よっぽど胸に響く言葉だった。
『……無駄とか、くだらないとか、絶対に届かないとか……言われっぱなしで悔しいじゃないですか。一緒に戦いましょう、葉月さん。力を合わせて、お姉さんのことも、他の人たちも、全部やっつけてやりましょうよ』
律の目元が鋭く吊り上がる。
青い瞳の奥にギラギラと闘志をくべらせて、熱い視線をこちらに向けていた。
『私たちが続けてきたことには意味があったんだって、証明してやりましょう』
律が放つ熱が、彼女の覚悟と共に伝播してくる。
その言葉は強がりでも何でもなく、本気で全員ぶっ飛ばして、自分こそが一番だと証明してやるという気概に満ちていた。
「……気持ちだけならどうとでも言えるわ。結局環境の差は歴然。何の実績もない事務所に葉月を入れて、失敗して傷つくのはこの子なのよ」
沙月の厳しい言葉を受けて、律の目にぐっと力が込もる。
『実績なんて、これから山ほど作ります。葉月さんと一緒に、スターライズを世界一の事務所にしてみせます』
「あなたたちがいくら束になったところで、今の『V.I.P』が負けるはずないでしょう」
『そんなことありません!』
また幼稚な言い争いを始めてしまった二人に、私はうんざりした気分で口を開く。
「あーもう! 二人とも、うっっっさい‼︎」
私が声を張り上げると、二人はびくりと肩を震わせてこちらに視線を向けた。
黙り込んでしまった二人に代わり、私はポツポツと歯切れ悪く語る。
「はぁ……もう、ほんとムカつく。今さら何なのよ、まったく……あれだけ大暴れしておいて、助けてほしいんですじゃないわよ……」
私の言葉を聞いて、律が不安そうに顔を歪め、逆に沙月は勝利を確信したように拳を握りしめていた。
そんな二人の様子を窺いながら、さらに続ける。
「……どいつもこいつも、自分勝手でムカつくやつばっかりだけど……でも、そうね。偉そうな姉の言いなりになるのに比べたら、百億倍マシだわ」
余裕ぶっていた表情から一変して、沙月が大きく目を見開いた。
その顔が見られただけでも、姉の手を払い退けてやった甲斐はあった。すっと胸がすく思いだった。
背中では鬱陶しく絡みついてくる天才が「なぁっ!」と嬉しいんだか何だかよくわからない声を上げている。
こんなやつの誘いに乗るのは癪だし不安もあるけれど、それでもまんまと感化されてしまった身だ。
こうなったら覚悟を決めて、こいつと心中してやろう。
「……葉月、考え直しなさい。ちゃんとした事務所に入らないと、またあなたが苦しむだけよ」
沙月が眉間に皺を寄せて、こちらに歩み寄ってくる。
馬鹿な選択をしてしまった出来の悪い妹を、正しい道に引き戻さなければ……とか、そんなことを考えているんだろう。
馬鹿で結構だ。どうせなら後ろのこいつみたいに、ド級の馬鹿になってやる。
身の程知らずに大言を吐いて、上から見下ろしてくるやつ全員に盛大に喧嘩を売ってやろうではないか。
「……確かにあんたの言う通り、私一人じゃ何をやってもダメだった。あんたに勝てることなんて、これまで一つだってなかったわ」
小さく語り出した私に、沙月が怪訝な目を向けてくる。
その視線を無視して、私は「だけど、今度は違う」とはっきり宣言してやった。
「沙月――いいえ、如月蒼。宣戦布告するわ! この子と一緒に、今度こそ私はあんたを超える。V.I.Pもフォースターも蹴散らして……私たちが、VTuberの頂点に立ってやるわっ‼︎」
身の程を弁えることなく、凡人が天才に向かって吠えた。
その大胆不敵な発言に姉のプライドが刺激されたのか、こちらを睨む瞳の奥が憎々しげに澱む。
一瞬の静寂のあと、トップVTuberとしての威圧感を全身から噴き出しながら、私に背を向けて歩き出す。
「――やれるものならやってみなさい。まとめて叩き潰してあげる」
そう言い残して、如月蒼は悠然と立ち去っていく。
その背中を眺めながら……私は冷や汗を流して、強烈な武者震いに襲われていた。
未だ背中にひっついているもう一方の天才は、急に動き出したこの状況についてこられていないのか、難しい顔をしてコテンと首を傾げていた。
* * *
その場の弾みでトップVTuberである沙月さんと、彼女が所属する業界最大手の事務所『V.I.P』に喧嘩を吹っかけてから数十分後。
私と葉月さんは、二人でスターライズの事務所まで戻ってきていた。
目まぐるしく変わる状況に感情が昂ってしまい、勢いそのままに何か大変なことをしてしまったような気もするけれど、とにかく葉月さんが無事に戻ってきてくれてよかった。
事務所に入りづらそうな葉月さんに代わり、私が先頭に立って入室する。
社員の二人以外はもう帰ってしまっているだろう……と思っていたけれど、小鞠ちゃんも咲耶さんも紅葉さんも、みんな私たちの帰りを待ってくれていた。
声を揃えて「おかえり」と暖かく迎えられて、嬉しさと同時に少しの照れ臭さも覚える。
「律なら絶対に葉月を連れて帰って来てくれるって、小鞠が言い出してね。今後の対策を考えながら、みんなで二人を待っていたんだよ」
咲耶さんの言葉に驚いて小鞠ちゃんを見ると、気恥ずかしそうに「何となくそんな気がしただけです」と誤魔化していた。
そこに少し遅れて葉月さんが入室してきたことで、全員の注目がそちらに集まる。
気まずい沈黙の中、気を回した鶴見さんが「で、葉月は結局どうするんだ?」と乱暴な口調で尋ねた。
複雑そうな顔をした葉月さんが、視線を横に逸らしたまましばしの葛藤を見せる。
ややあって、開き直ったように深々と頭を下げた。
「――色々ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。改めて、私をここからデビューさせてください」
誠意を持って謝罪した葉月さんのことを、氷川さんが優しくフォローを入れながら迎え入れる。その奥に隠れて、鶴見さんも嬉しそうに口角を上げていた。
そこへ小鞠ちゃんが近づいていき、恐々と話しかける。
「あのぉ……葉月さん」
小鞠ちゃんの姿に気づいた葉月さんは、まだ若干棘の残る態度で「……何?」と返した。
「小鞠、昨日は……その……」
気まずそうに視線を左右に泳がせる小鞠ちゃんのことを見て、葉月さんは眉間に皺を寄せると、そのままギュッと瞼を閉じる。
それから深く息を吐き出しながら、わしゃわしゃと自分の頭を掻いた。
「あー、もういいわ。あんたに言われたことは間違ってないし。私の方こそ大人げなかった。ごめん」
「えっ。い、いえ! 小鞠が悪いんです! 葉月さんみたいに、えっと、コンプレックス……? を拗らせてる人もいるって知らなくて、それで言い過ぎちゃって……」
「……あんた、それ謝ってんのよね……?」
「へっ?」
不思議そうな顔で惚ける小鞠ちゃんに、葉月さんが引き攣った笑みを浮かべていた。
葉月さんがギンッとこちらを向くと、咲耶さんと紅葉さんが即座に顔を背ける。
二人が何を言って小鞠ちゃんのことを宥めたのか気になるところだ。
「はぁ……ったく、あんたら……本当にまともなやつがいないわね」
「葉月こそ。猫被りはもうやめたのかい?」
「うっさい! あんな醜態晒して今さら続けられるわけないでしょ!」
「え〜、お姉さん的には前の無理してる姿も嫌いじゃなかったけどな〜。やってるな〜って感じで」
「あんたはもう事務所で酒飲むな!」
おお……すごい。しっかり者の葉月さんが振り回されてる。
歳上の二人に茶化されて顔を赤くした葉月さんは、逃げるように部屋の奥へ足を進める。
そして私たちの中央に立つと、右手でテーブルを叩いて声を上げた。
「――言っておくけど、私は別にこいつに絆されたわけでも、あんたらと仲良しごっこをするために戻ってきたわけでもないんだからね! 単に勝算があるから戻ってきただけよ!」
葉月さんは私のことを指差しながら、大声でそう宣言する。
氷川さんをはじめ、他のメンバーはその言葉に「勝算?」と首を捻っていた。ずっと葉月さんと一緒にいたはずの私も含めて。
周囲の疑問を、氷川さんが代表して尋ねてくれる。
「葉月さん? 勝算って、何のことを言ってるのかしら」
「もちろん、この事務所で次の『WVC』を制して天下を獲るんですよ。そのためにも、まずはフォースターの新人を返り討ちにして、デビューを成功させる必要があります」
〝天下を獲る〟ときっぱり言い切った葉月さんに、誰かの驚く声が聞こえた。
「話は変わりますけど、氷川さん。企画を丸ごと奪われたってことは、相手が打ってくる手はおおよそ予測できるってことですよね?」
「えっ? え、ええ……そうね。細部まではわからないけど、大まかな内容や規模感、リリースのタイミングなんかはある程度。必要ならフォースターを退社するまでに調べることも可能だとは思うわ」
「充分です」
葉月さんはそう言って頷くと、顎に手を当てて何かを考え始める。
真剣な顔で悩む彼女に、横から小鞠ちゃんが恐る恐る声をかけた。
「あのぉ、葉月さん。小鞠よくわかってないんですけど……フォースターと戦うって、具体的に何をどうするんですか?」
まさに私も気になっていたところだったので、同調するように頷いて葉月さんの返答に耳を傾ける。
葉月さんは肉食獣のごとき獰猛な目つきで、ホワイトボードに書かれたスケジュールを流し見ながら答えた。
「どうするも何も、喧嘩を売られたんだから正面から買えばいいのよ。向こうが私たちを潰すためにフォースターの新人連中を使うって言うなら、こっちは逆にそれを利用して、話題も人気も全部掻っ攫ってやるわ」
サディスティックな笑みを浮かべる葉月さんに、小鞠ちゃんは「おおー」と感心したような声を返す。
しかし全部掻っ攫うなんて簡単そうに言ってるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか。
「そう都合よくいくとは思えないが。何か妙案でもあるのかい?」
咲耶さんがソファーから尋ねると、葉月さんが「ええ」と自信満々に頷いてみせた。
そして私の方へ歩いてきて、みんなの前でぽむぽむと頭を叩かれる。
「当然あるわ。盤面を丸ごとひっくり返す、とっておきの秘策がね」
秘策って何のことだろう……と不思議に思っていると、氷川さんと小鞠ちゃんが何かを察したように表情を変えた。遅れて鶴見さんも意地悪そうにニタリと笑う。
咲耶さんと紅葉さんは、私と一緒でまだよく理解していないようだった。
「――私が作戦を立てるわ。全員、協力してちょうだい」
これまで溜まりに溜まった鬱憤を全て押し固めたかのような、頑強な芯の通った声。
まさに不撓不屈の精神で、葉月さんがメンバーに向かって頭を下げる。
その毅然とした姿を見て、スターライズの面々は皆嬉しそうに頷いた。