VTuber育成ゲームに転生したけど、ステ振りに失敗しました 作:bnn
「おはようございまーす」
緊張感の欠片もない自然体で挨拶をしながら、紅凛が現場に入ってきた。
スタッフからの指示を受けながら、どこかにいるはずの相方の姿を探す。
いつもなら準備万端で自分を待ち構えて、顔を合わせるなり小言の一つでも言ってくるはずだった。しかし今日はその姿がどこにも見当たらない。
と思ったら、スタジオの端っこでひっそりと影を潜め、黙々と台本に目を通していた。
普段の居丈高な態度はどこへやら。魂でも抜けてしまったみたいに、無気力な顔で台本を開き目を滑らせている。
何やら様子がおかしいな……と思い、凛は唯一の同期である如月蒼に声をかけた。
「蒼、おはよっ」
「……早くないわよ。もう夕方じゃない」
おっと、これは重症だぞと、凛は密かに冷や汗を流す。
時間帯に限らずいつでも『おはようございます』と挨拶するのはあくまで慣例的なものであって、別に何か意味があったわけではない。
そんなことは蒼もわかりきっているだろうに、わざわざ突っかかってくるあたり、相当余裕がなくなっているに違いなかった。
蒼がここまで追い詰められるような、特別なイベントでもあっただろうか。
最近の彼女との会話を思い出しながら、凛は記憶の中に手がかりを探す。
「……あー。もしかして、妹さんと喧嘩しちゃった?」
半分は勘で言ってみただけだったが、僅かに肩を震わせた蒼の反応を見て、心の中で「ビンゴ」と呟く。蒼がここまで執心する存在など、自分か肉親くらいのものだ。
泣きそうな顔で台本を握りしめる蒼を見て、凛は「可愛いなぁ」と思う。といっても、その微細な表情の変化など、凛以外には誰も気づかないだろうが。
「妹さん、うちに来るんじゃなかったっけ? 結局どうなったの?」
「……そのつもりだったけど……」
「ああ、やっぱり失敗しちゃったかー」
だろうな、と頷いて凛は笑う。
一緒にデビューした当初から、蒼が妹をこの事務所に引き入れたがっていることは知っていた。
もとは妹と一緒にずっと活動していきたくて、妹に隠れてこっそり受けた事務所だ。
それを自分だけが受かってしまったことで、蒼はずっと自責の念に囚われている。自分の浅慮が妹を落としてしまったのだと。
実際、確認したわけではないが、選考の際に実の姉妹であることが障害になったという可能性もなくはない。
あのとき事務所は人数を絞るために、できるだけ共通点のない、それぞれ個性を出しやすい人材を求めていた。妹さんのことはよく知らないが、すでに蒼がいるから落とされた可能性は大いにある。
しかし凛からすれば、それも含めての実力であり、厳しい言い方だが企業に『採りたい』と思わせられなかった妹が悪いのだ。順当に勝ち残った蒼が罪悪感を覚えるようなことではない。
とはいえ、自分が口を出すことでもない。シスコンを拗らせた時の蒼に関わると面倒臭いし……と、凛はこの問題については距離をとるようにしていた。
しかし。
「……やっぱりって、何?」
じめっとした視線を向けてくる蒼を見て、凛は己の失言を悔やむ。
当たり障りのないことを言って急場を凌ごうと、ふわふわした言い訳を並べていく。
「いやーなんと言いますか……蒼ってせっかちなところあるしさ。勧誘とか、そういうの苦手だろうなーって思って。あははー」
「……別に、そんなことないわよ。変なやつに邪魔されたの」
「ん? 変なやつ?」
何だか気になるワードが出てきて興味を惹かれてしまう。変人は大好物だった。
「ようやくここまで来たのに……あいつさえいなければ、葉月も私と一緒に来てくれてたはずなのに……」
それはどうだろうなーと苦笑いを浮かべる。
蒼は自分がVTuberの頂点に立ちさえすれば、昔のように尊敬されるお姉ちゃんに戻れると思っている。が、果たしてそう単純な問題なのだろうか。
むしろ蒼が頑張れば頑張るほど、妹は対抗心を燃やしてしまい、二人の間の溝が深まっていくような気がしてならない。そもそも仲違いの発端は、蒼に負けたくないという妹の反抗だったはずだし。
綺麗にすれ違ってるなぁ……と呆れ半分に思うが、しかし凛はそれを指摘しない。
なぜならその方が面白そうだから。それだけの理由だが、凛にとってはそれが全てだった。
ただ、これまでの蒼の苦労を思うと、流石に同情してしまう部分もある。
仕事を選ばず必死に会社を大きくして、事務所内での発言力も手に入れ、いざ妹を迎えに行こうという段になって唐突に横から掻っ攫われたのだ。
しかもそれが氷川さんが立ち上げた新事務所だというから、世間は狭いものだと感心してしまう。
自分があの配信のリンクを送ったのがきっかけなのだとしたら、その巡り合わせに運命的なものすら感じるほどだった。
「あいつ、絶対に許さない……葉月もろとも返り討ちにして、私のところに来るのが一番いいんだってわからせてあげなきゃ……」
「……うんうん。やる気があっていいねー」
「他人事じゃないわよ! あんたも全力で戦いなさい!」
とばっちりを受けて、凛はうへーと肩を落とす。
そんな『お姉ちゃんすごい!』と思ってもらうための争いなど、凛からすれば不毛以外の何物でもない。
そもそも――紅凛に敗北などあり得ない。
相手が誰であれ、勝負事で手を抜けるほど温厚な人間ではないのだ。
「その変な人ってのも気になるなー。どんな人だったの?」
「ふんっ。とにかくムカつくやつよ。色々な意味で、ね……」
「ふーん?」
やけに含みを持たせた言い方に、何か思うところでもあるのかと首を捻る。しかし詳しく話す気はなさそうだったので、追求するのはやめておくことにした。
少なくとも『敵』としては充分に認めているようだった。蒼がそう判断したなら、やはりその内会うことになるのかもしれない。
楽しみはそれまで大事にとっておこう、と決めた。
「えへへー。楽しみだねっ、蒼!」
「何がよ⁉︎」
いつかの邂逅を夢想して顔を綻ばせる凛を、不機嫌そうな蒼が叱りつける。
そんな二人に向かって、「そろそろ収録開始しまーす」とスタッフの声が届いた。