ここは東京都練馬区の一角に位置する小さな町、ぴかりが丘。大きなビル街が建立される中心部と多くを住宅地で占める郊外で構成されているが、山から東京湾へと流れる町を分断する大きな川。ぴかり川を中心に豊かな緑が溢れていて狭苦しさを感じさせない空気の澄んだ雰囲気の良い町だ。
精霊や神が住むと言われているこの町の歴史は古く、遥か千年前のまだ集落と呼ばれていた時代から天より現れた神と現地の少女が恋に落ちたという伝説が存在するほどだ。
その逸話は人々によって脚注され、実際のところは三百年ほど前の出来事だが千年前にこの地に神が現れたというのは事実である。今となっては人類がその事実を知る由もないのだが。
東京という小さな都道府県の更に一区画という狭い土地に三万人ほどが集まって暮らしているこの町はそれ故に隣人同士の距離が近く、近所付き合いが密接である。そのため、慣れ親しんだ相手との交流によって毎日目障りなほどの笑顔が溢れている。
早朝のぴかりが丘の中心街は眠い目を擦りながら自身の目的地へと向かう人間達でごった返していた。渋滞に巻き込まれ迫る時間に焦っている者もいれば、連なる車の群れを横目に悠々と徒歩通勤を選択した者など、列挙すればキリがない。
そんな、日本中どこにでもあるような日常の風景は突然の爆風によって吹き飛ばされてしまった。
「サイアーク!!!」
地響きと共に落ちてきたのは信号機を優に超える巨体を持った人型の怪物。世界を侵略する悪の組織「幻影帝国」が人の弱い心から生み出す悪の手先「サイアーク」が雄たけびとともに出現した。
社会の営みが行われている真っただ中に舞い上がった土煙は中心街に瞬く間に広がり、行きかう人々に脅威の存在を知らせる。劇場の大音響スピーカーを思わせる迫力の怒号は、娯楽の為に計算された映画のそれとは違い人々を恐怖させることだけを目的として力のままに大地を揺らした。
前触れなく現れたビルほどに大きな姿に誰かの悲鳴が上がる。それを皮切りとしてオフィス街を敷き詰めていた人々は手に持った仕事道具すら忘れ、我先にと一目散に逃げ出していく。
全身を黒く染める鋼鉄の魔人が歩を進めるたびにコンクリートの道路は容易く陥没し悪魔の進行をまざまざと刻み付ける。拘束具のようなモジュールを装着した四肢を戯れに振るうだけで辺りの建造物はあまりにあっさりと瓦礫の山と化した。陽を浴びて赤いグラスが燦然と輝き、首元に巻いた緑のマフラーが風に靡く皮肉めいたヒロイックな姿から繰り出される圧倒的な暴力がより強い恐怖をもたらしていた。
我が物顔でビルのジャングルを闊歩するサイアーク。すると、その破壊の痕に根差すようにコンクリートの大地をカビの塊が覆い尽くした。サイアークが暴れまわった地域は奴らの放つ瘴気によって”不幸のエリア”と呼ばれる汚染区域と化し、人の住めない環境へと変貌してしまうのだ。そのエリアの変化の仕方はサイアークを生み出した幹部によってそれぞれ違いを見せる。
「いいですぞ、サイアーク。その調子でどんどんこの町を蝕んでやるのです!」
人っ子一人いないストリートの真ん中に人影が一つ。それは街灯の頭に器用に立ちながら、サイアークへ命令を下した。
虫の触覚が生えたような黒のシルクハットを深々と被り、緑色のコートで全身を包んだ英国紳士風の男の名はナマケルダ。ぴかりが丘の侵略を担当している幻影帝国の幹部だ。襞に身に着けたジャボットと両手に嵌めた手袋の白から清潔感を漂わせているが、顔の右半分を隠す程に長くだらしない前髪や足元でぐしゃぐしゃに折れ曲がった丈の合っていないズボンが彼の本質が怠惰であることを示していた。
壊され醜く変貌していく街、決して敵うはずもない強大な敵、突如奪われた日常に人間たちは何を思っているだろうか。目の前の理不尽への諦観だろうか。それとも、自身の無力さに拳に握り打ちひしがれているだろうか。
否、この場の誰一人としてこの状況に絶望してはいない。何故だか、彼らの瞳にはこの状況下の中でも光が宿っていた。
サイアークが意気揚々と街で最も大きなビルに目を付ける。そして、一撃の元に標的を沈めようと大きく腕を振り上げた。
その刹那、空中に一筋の閃光が走る。
遅れてやってきた轟音が鳴り響くと、サイアークは知覚する暇もなく後方の地面へと叩き飛ばされた。重機以上の重さの巨躯が抗うことも出来ずに大地を転がり、一転二転の末にうめき声とともに這いつくばった。
「そこまでよ、サイアーク!」
紫電とともに聞こえる勇ましい声。突然の衝撃に体をゆっくりと体を起き上がらせたサイアークの前に立ち登る四つの光の柱。その中から現れた光の戦士達にナマケルダが戸惑い時代劇の悪役めいたセリフを口走る。
「現れましたなお邪魔虫達めが!」
この世に悪が現れるとき、それに対抗するように光も生まれる。それがこの世の摂理である。非道を尽くす闇の魔物に立ちはだかる正義の使徒。その名は──
「世界に広がるビッグな愛!キュアラブリー!!」
「天空に舞う蒼き風!キュアプリンセス!!」
「大地に実る命の光!キュアハニー!!」
「夜空にきらめく希望の星!キュアフォーチュン!!」
「ハピネス注入!」
「幸せチャージ!」
「ハピネスチャージプリキュア!!
ハピネスチャージプリキュアの四人が名乗ると同時に息の合った決めポーズを取る。とても意味があるとは思えないが、ヒーローが参上したときに見せつける俗にいう見栄の類は敵を威圧すると同時に怯える人を勇気づけるシンボルとなるようだ。
それぞれ桃、青、黄、紫のコスチュームを纏った少女たち。彼女らが名乗るプリキュアとは世界を襲う幻影帝国と戦う戦士の総称であり、ぴかりが丘、そして日本を守るプリキュアこそが彼女達ハピネスチャージプリキュアである。
「ナマケルダ、なんでこんな酷いことするの!」
「そうだそうだ、せっかくゆっくりと寝てたのにこんな朝早くに出てきて!」
キュアラブリーが投げかけた疑問に同調するようにキュアプリンセスも続く。青いツインテールを上下に動かして垂れるその内容は問いというよりは愚痴に近い。
「毎日毎日、朝からバスに揺られて晩まで仕事するなんてめんどくさいだけですぞ。むしろ私に感謝して欲しいぐらいですな。もう煩わしい仕事なんてやらなくて済むようにしてあげたのですから」
ナマケルダは電灯から飛び降り、地面にステッキを突き立てて気怠そうにぼやいた。その口から出る言葉も実に自分よがりな考えで満ちている。
「仕事だって生活の大切な一部なのよ!それを勝手に煩わしいだなんて」
「えぇい、やってしまいなさいサイアーク!!」
キュアハニーの諭すような口ぶりにイラついたのか、男は食い気味に遮ってサイアークを差し向けた。この期に及んでも彼自身が戦うつもりはないようだ。
指令を受けサイアークは深く踏み込み一気に跳躍する。百万馬力から生み出されるパワーによって人の目では反応できないほどまであっという間に加速しその距離を縮める。そのまま、猛スピードで交差点の中央に固まっているプリキュア達へパンチを繰り出した。
しかし、彼女達が言葉も無く一斉に四散すると、目標を失った鋼の拳が空を切る。サイアークが体勢を立て直した瞬間に生まれた隙を彼女達は見逃さなかった。
「はああ!」
気合とともにキュアフォーチュンがサイアークの背後から右足目がけて蹴りを放つと、何十tもあるその巨躯が大きく揺らいだ。サイアークに比べて圧倒的に体の小さいフォーチュンの華奢な身体からは信じられない威力に他人ごとながらひやりとした感覚を覚えるようだ。
サイアークの蹴り飛ばされた右足が力なく宙に浮き、一気にバランスを崩す。しかし、サイアークは左足を地面に突き刺し軸足として、そのまま蹴られた勢いを利用しフォーチュンへの回し蹴りへと変えた。
「良いですぞ、サイアーク!」
フォーチュンは咄嗟に腕を構え防御態勢を取るが、サイアークの右足が空気を裂き鞭のようにしなる。幾らプリキュアでもこの攻撃が直撃すれば大ダメージは必至だろう。ナマケルダは敵の脱落を確信しほくそ笑んだ。
が、それを彼女の仲間が許すはずもない。仲間のピンチにキュアハニーは手に携えた棒状のアイテム「ハニーバトン」リボンモード先端の星型のクリスタルから黄色のリボンを射出する。無限に伸び続けるリボンがサイアークの右足に巻きつき、紙一重で威力を完全に抑えることに成功した。
「危なかったわね、フォーチュン」
「ありがとうハニー、助かったわ」
危機を脱したフォーチュンがハニーへ感謝を述べると、すぐさまお返しとばかりにサイアークの固定された左足に回し蹴りを加えた。無防備で受けた強烈な一撃にサイアークが苦悶の声を上げる。
「さっきから不意打ちや無抵抗の相手に暴行とは卑怯ですぞ!」
「どの口が言ってるの!!」
ナマケルダの苦言に怒りで返すフォーチュン。一般人に襲いかかった幻影帝国の人間に言われる筋合いなどない。それに、無防備なサイアークを追撃することだけがフォーチュンの狙いではない。
左足がすっぽ抜け右足を吊られているサイアークが自身の体が完全に宙にあることに気が付いたときには既に遅かった。腕を振り回し何とか姿勢制御を試みるが、それに止めを刺すようにハニーがバトンを思い切り振りぬく。すると、リボンが解けると同時にサイアークの山のような図体がコマのように高速回転し始め、その視界を目まぐるしく変化させた。
「今よ、二人とも!」
ハニーが空に向かって叫んだ。サイアークの混濁した意識の中で微かに見えたのは天に浮かぶショッキングピンクとスカイブルーの光。
二つの眩い輝きが増大していくのを見据え、ナマケルダは静かにサイアークの敗北を悟る。
「愛の光を聖なる力に!ラブプリブレス!」
「勇気の光を聖なる力へ!ラブプリブレス!」
ラブリーとプリンセスは自身の左手首に装着した小型のブレスレット「ラブプリブレス」を構え拳を握ると、二人の体からあふれ出した光がブレスへと集約し必殺のエネルギーが増幅していく。そして、二人はラブプリブレスのハートの意匠が施された発光パーツの上部に取り付けてあるダイヤル部を回した。力の高まりによって自然と体から溢れ出してくる感情の爆発を掛け声に変え、共に叫ぶ。
「あなたにハッピーお届けデリバリー!」
それに合わせてお互いの腕をクロスし相手のブレスを叩くと、ブレスが更なる輝きを放った。二人は胸の前で両腕を回転させ聖なるエネルギーを手繰り寄せ光の塊へと変質させる。そして、抱えた二人の波動を一つに重ね巨大な光球を形成させた。
空を舞う二人の戦士は渾身の力を込めてサイアークへと必殺の一撃を蹴りこんだ。
青とピンク、二色の煌めく弾丸が迸る炎を伴って飛翔する。
「プリキュア!ツインミラクルパワーシュート!!」
地に落ち仰向けになった悪の怪人へ向かって光の奔流が降り注ぐ。浄化の力に包まれたサイアークは活動の源となる人間の弱い心を失い、冷たい漆黒の体は色落ちされたように暖かな白へと変えていく。
そして「ゴクラ~ク」という間の抜けた声を上げて空へと消滅していった。
「プリキュアがいる限りみんなの幸せを汚させないんだから!!」
ラブリーが天から降り立ち、目の前の長身の男へ指を指し仁王立ちする。プリンセスもまた腰から生やした羽をリボンの装飾へと戻し地上戦の構えを取ると、ハニー、フォーチュンもその横へと集合した。
4対1の体を成したこの状況を不利と見るや、ナマケルダは大きくため息を吐いた。
「やれやれ、これはまたクイーンミラージュ様にどやされそうですぞ。やはり仕事なんてめんどくさいだけでしたな」
負け惜しみのようにそれだけ言い終えると体を黒い影に変化させ、その場から瞬時に姿を消した。幻影帝国の本拠地へと逃げ帰って行ったのだ。
平日堂々に行われた戦いが終わると、次第に辺りの景色が変化していく。瓦礫の山たちは忽ちのうちに元の空高く聳え立つ高層ビルへと修復され、灰色の大地を埋め尽くしていた不快なカビ共はその足跡すら残さず消え去っている。サイアークが倒され、邪悪な力によって破壊された街が奇麗さっぱり姿を取り戻した。
闇のエネルギーが浄化され、浄化のパワーへと変換される。この現象こそがプリキュアが勝利を収めた確かな証拠である。
こうして、また一つ世界の平和が保たれた。
だが、本当にそれは意味あることなのだろうか。たとえ、幻影帝国の尖兵が倒され、帝国そのものが滅んだとして世界にはまだ悪の因子が眠っている。巨大な闇が倒されたとして人々の不安が尽きることはない。それどころか
いや、それは私が今語るべき事ではないか……