「こんな大事な日に現れるなんて、本当にサイアークも空気読まないんだからさ!」
解散後、大使館に戻ったひめは入るや否や開口一番に明確な不満を高らかに叫んだ。パーティー飾りを片す動きも乱雑で苛立ちを隠す気すらない。
「サイアークが人の気持ちを考えたことなんて一度もないわよ」
怒り心頭のひめを他所にテーブルに広がっている皿などを纏めながら、いおなも呆れるように言った。節約家な彼女がわざわざ出費を拡大させていたのだ。彼女とてこの日を待ち遠しくしていたのは言うまでもない。
持ってきた荷物を取りに帰ったいおなやゆうこは、ひめの反対を押し切り後始末に助力していた。めぐみや誠司は家へ直行させることはできたものの、立ち寄る理由があるのならば断わるわけにもいかない。
事後処理まで一任することを前提としていたひめは、手伝ってくれて嬉しいやら悔しいやら。入り乱れた感情の矛先をサイアークに向けることで精神の安定を図った。
「卒業までは少し時間があるから、また開けばいいじゃないんかしら。わたしとファンファンでもっと沢山作ってくるよ」
いおな同様に食器を重ね、キッチンへと向かうゆうこ。今日の分だけでも相当な量だったが、それよりも品数が増えるとなると本格的にバイキングへシフトしてしまいそうだ。
「それはそうなんだけど、やっぱりシチュエーションがねぇ……」
これまで会合を度々サイアークに邪魔されてきた経験がフラッシュバックし、この先も上手くいかないのではないかと勘繰っている。人の集まるところサイアークありとさえ言えてしまうお邪魔ぶりがたまらなく腹立たしい。
「恐らく、今日出てきたサイアークが最後だとも思えませんしね」
「今度またパーティーの最中に現れでもしたらおヒメちゃんが鬼になるかもな」
リボンがぐらさんの手を借りながら高所の長いパーティーモールを取り外して、元の段ボールへと戻した。
二度、三度とまた横やりが入るとなると、ぐらさんの軽口も些か冗談では済まないのかもしれない。僅かに肩を震わせるひめの後ろ姿をリボンは薄目の中に通した。
「これからお前たちはどうするつもりだ?オレは今からでも元凶を探しに行くぞ」
ファントムは応接室へ戻って早々、椅子へ座り落ち着いていた一同へ捜索の再始動を提した。
「何言ってるのよ、もうこんな時間なのよ?」
「そうだよ、明日になって皆でもう一度探した方がいいじゃない」
空は既に真っ赤に染まっている。このまま探したとしても恐らく結果は実らないだろうことは容易に想像できた。
「サイアークは一刻も早く倒さなければならない!こうしている間にも何を企んでいるか分からないんだぞ!!?」
「それはそう……だけど」
「落ち着いてファンファン。今日のあなたはなんだか変よ。今だって随分焦ってるじゃない」
それでも、ファントムは譲らない。突如、威圧するように声を荒げた。気圧されたひめは言葉を納めるが、必死な彼の姿にゆうこが極めて穏やかな口調で問う。
「何かあったのなら教えて?わたし達が力になるわよ」
「そういうわけじゃない……」
「……貴方、私たちに気を使ってるんでしょ」
優しい声色を受けて冷静さを取り戻したファントムは態度を改めるが、不自然な返答にいおなが何かに感づいたようだ。ジッと鋭い視線がファントムの肌に突き刺さる。
質されたファントムは沈黙を以って回答としたが、いおなはそれで見逃すことはしなかった。
「隠したって見ていれば分かるわよ。ひめの話を聞いているときも浮かない顔で、今日一日ずっと居心地悪そうにして、ハピネスチャージに加わったばかりの私にまるでそっくり」
「そうなの、ファンファン?」
少しばかり逡巡すると、ファントムはこれ以上の頑とした態度は得策ではないと悟り、ゆっくり重い口を開いた。
「……あぁ、そうだ。多くの人間を不幸に陥れてきたオレが幸せであっていいのか。幻影帝国が倒されてからそのことを考えない日は無かった」
そして、ファントムは続ける。
「幻影帝国が世界から消えてこの世界はようやく前へと進みだした。人々が笑顔を取り戻し活気があふれる世界の中で、オレが、幻影帝国が人々からかけがえのない時間を奪ったことがどれだけ罪深いことであったかを改めて思い知らされた」
ファントムの今日のどこか余所余所しい態度はその為だったのか、と合点がいったひめとゆうこが目を見合わせた。
「でも、ファンファンは罪を清算しようとしたんでしょ?」
「そうよ、プリキュア達に謝りに行って。それで、皆から許してもらえた。これからは皆の幸せの為に頑張るんだって言ってたじゃない」
去年、ファントムは一人で世界中のプリキュアへと直接謝罪に行っていたのだった。自分が倒してきたプリキュアだけではなく、文字通り全てのプリキュアへ。
それは、時間こそかかったがファントムなりのケジメだった。
「確かにそうだ。だが、お前たちが卒業という一つのゴールへ向かっている姿を見ていると、次第に頭の中でオレにこの場に居る権利など無い……夢の中で何度もその声が響いた」
「夢……?」
妙なワードにゆうこが思わず聞き返す。それに対してファントムは陰りを更に濃く染めた。
「その声が、幻影帝国の幹部ファントムとしての内なる声がオレを離さないんだ。何をしたとしても罪は償いきれないとな……だから、オレは」
「まったく…まだそんなことを考えてたの」
更にその先へ続いていきそうなファントムの悔悟を、その途中でいおなは他愛もないという風に切り捨てた。
「そんなことだと?オレはお前の姉の、キュアテンダーの人生を奪ったんだぞ!!?それだけじゃない、何人ものプリキュアを手にかけてきたんだ!」
抱えていた苦悩があまりにあっさりと、しかもかつて深い因縁があったいおなによって切り捨てられたことに狼狽する。
いおなの姉、氷川まりあはかつてプリキュアハンターファントムとの闘いに敗れ、数年もの期間を鏡の中に封印されていた。姉を倒される場面を目の前にしたいおなはハピネスチャージプリキュアに加わる以前までファントム打倒を目的として強い憎悪を燃やして戦っていた。
ファントムはそれだけにいおなのカラっとした反応に困惑を隠せなかった。その反応に彼女は顔つきを精悍なものへと変えた。
「えぇ、確かに一度背負った罪は消えないわ。たとえ、どんな事情があったとしても」
いおなの言葉の先をひめは緊張した面持ちで聞いている。口調こそ諭すようではあるが、内容を聞けば責めているのと相違はない。ファントムもまたそのつもりで受け止めているようだ。
「去年、貴方が謝りに来た時お姉ちゃんは驚いていたわ。まさか、あのプリキュアハンターがわざわざアメリカにまで足を運んで深々と頭を下げるなんて、ってね」
ファントムが行脚して回ったプリキュアには、アメリカへ留学しているまりあも類に漏れず、アメリカの自宅前に突如立っていた赤髪の男を両親から誤魔化すことに苦労したそうだ。その事を姉から耳にしていたいおなも彼の行動力に大層驚いたことを覚えている。とはいえ、ファントムが空を飛べる事が大いに働いたことではあるが。
「でも、その姿からファンファンが心の底から罪を悔いていることが伝わった。だから、お姉ちゃんは貴方のことを許した……そうでしょ?」
「だが、しかし……」
いおなに非難するつもりはない。むしろ、未だに罪の十字架に苦しんでいた彼の助けになりたい。その思いゆえの言葉だった。
だが、ファントムは態度が煮え切らない様子を続けた。
「それに、他のプリキュア達も許してくれたんでしょ?なら、今はそれでいいじゃない」
「そう……なのか」
「えぇ、貴方がどう思うかは別だけど、少なくともプリキュア達は貴方のことを許している。それは変わらない事実よ」
後悔で意固地になることはよく理解している。そういうときにかける言葉の選択は身を以って熟知していた。
「後悔をしているのなら、不幸にした人間よりも沢山の人を幸せにしたらいいじゃない。大切なのは罪を悔やむことじゃなくて後悔を次へ繋げることよ」
それはいおなが学んだこと。かつて憎しみに囚われ、周りが見えなくなっていた自身へ皆が教えてくれたことだった。これにパァっと顔を明るくさせるとひめも流れに続いた。
「そうだよ、せっかくあんなに美味しいご飯を作れるんだからさ。美味しいご飯で色んな人に幸せデリバリー!すればいいんだよ!」
そう言って、にっこりと笑うひめ。彼女を追うようにして皆がファントムへと語り掛けた。
「ファンファン、一人で意地を張らなくてもわたし達がいるのよ」
「同じ妖精の誼みだ。悩みがあるならオレ達がいつでも相談にのるぜ」
「えぇ、これでもお悩み相談はひめで慣れてますのよ」
かつて、自分が奪った笑顔、そして気にかけてくれる仲間達を前にしてファントムはようやく胸のつっかえが取れた感覚を覚えた。
時を同じくして、請け負うとした後片付けをひめに断られ、めぐみと誠司は仕方なく河川敷から真っすぐ家路へ向かっていた。夕日が焦がす二人の横顔には疲労の色が浮かび上がっている。しかし、倦怠感以上にサイアークが再出現した事実が彼女たちの足取りを重くしていた。
堤防敷のコンクリート道路を言葉なくのたりのたりと歩く二人。その間で流れる沈黙は夜気を察知したカラスのしゃがれた声によってその存在感をより増していく。しばらくして、住宅街と土手とを隔てた横断歩道へぶち当たると、目前にした信号が明滅し始め、やがてその色を停止を促す赤へと変える。
短い信号待ちの時間、誠司はどことない毛疎さを通り去る車たちに押し付けていた。
「ありがとう、誠司」
ふと、めぐみが口を開く。ささやくほどにか細い声に誠司はすぐ横にいるめぐみを見下ろした。
「俺が何かしたか?」
「あたしが立ちすくんでた時に声をかけてくれたでしょ。誠司が気づかせてくれなかったら今頃どうなっていたか……」
憂わしげな声色ではあるが、表情は妙に安心しているようにも見える。向けられた謝意に誠司はこめかみを掻くと、温い息を吐いた。
「……いいんだよ、そんなこと。プリキュアは俺たちの為に一生懸命戦ってくれてるんだ。それを助けるなんて当たり前だろ」
「うん…だから、ありがとう」
右手側から走ってくる車が緩やかに速度を落としていく。そして、再びシグナルが青になり歩行者へと通行権が譲られると二人は白線を踏みつけた。
「でも、あれは危ないよ!」
歩道を渡り切ると、背後の駆動音にも負けずな声でめぐみが誠司に迫った。怒った眉と嘆願するような眼差しのちぐはぐした表情に誠司は目をしばたたかせる。
「今回はたまたま大事が無かったから良いけど、万が一誠司が大怪我でもしたら……」
そう言うと、めぐみは視線を水平下へ傾けた。お礼を述べたかと思えば、怒って、また心配して。忙しなく感情を変化させた。
「お前がそれを言うのか」喉まで出かけた言葉を寸前で飲み込む。他人の窮地に危険を顧みずに飛び込むなど、彼女に一番指摘されたくのないことだ。とは言え、放心するラブリーの姿に浅慮で走り出したのもまた事実。幾らハニーの持つ回復能力と言えど、致命的なダメージを癒すことはできないとも知っていた。
俯くめぐみのいじらしさに観念し、誠司は再びこめかみを引っ搔いた。
「あれはまぁ、そうだな……本当のピンチはラブリーが守ってくれると思ってたから……とか……?」
誠司は言葉を繋げるにつれて次々に視線の先を変えていくが留める場所が見つからず、最終的に左手にいるめぐみとは真反対の空を見上げる形で落ち着いた。
続く言葉が無く不安に襲われた誠司は上げた横目でゆっくりと顔色を伺うも、深く俯かせた顔では表情も見えず、夕日に焼かれた耳の薄紅だけが映っていた。
会話が途切れたまま、いつの間にか住宅街の奥へと入っていた。まもなく視界が闇を帯びると道の脇に等間隔で置かれた電灯に明かりが宿り出し、まるで帰宅を歓迎しているかのように自分たちをマンションへと導いていた。
遠くに聞こえた鳥たちの鳴き声も巣に籠り、間に挟まる冷たい空気が沈黙を後押ししている。
「そ、そういえば幻影帝国もいないのに、よくプリチェンミラーを持ち歩いてたな」
いたたまれなさから無理やりに話題を提示する。ミラーを指した理由は特段なく、スカートのポケットからはみ出た透明なカバーパーツが、風に揺れて乾いた音を出しているのが暮れの静謐とした家々に反射して耳にこびりついたから。ただそれだけだ。しかし、この沈黙が失せさえすれば構わない。縋る思いで些事を投げかけた。
「まぁ……あれからも常に持ち歩いているようにはしてたんだけど。必要ないとは思ってても一応……ね?」
めぐみは言い訳じみた弁解の後、めぐみが腰から取り出したミラーを顔の前で左右に振って見せつけた。振られるたびに中で何かのパーツがカラカラと鳴いている。
ゴテゴテとした真っピンクの鏡。彼女の手に収まるかどうかといったソレに巨大なサイアークを倒せるほどの力が秘められているとはとんと思えない。妹がリビングで見ていたアニメの魔法少女が変身に使うメルヘンなステッキを想起させ、傍からは少しばかり出来のいい玩具にすら思える。
とはいえ、地球を産んだ神様由来なのだから、人知を超えた代物であることは疑いようもない。なにより、ほんのわずかであっても神の力が人間の感情に作用して多大な力を生み出すことは誠司が身を以って実証している。
こんなものが無ければめぐみは幻影帝国と戦おうとしなかっただろうか。いや、たとえ変身できなかったとしても彼女は立ち向かうことを諦めないんだろう。友達がプリキュアであるのなら猶更だ、ならば、自ら傷つこうとする彼女の痛みをやわらげることがせめて自分にできることなのかもしれない。
誠司は目の前でミラーの収納に苦戦する幼馴染の愛らしくも不器用な姿に、改めて自身の使命を思い起こしていた。
寒さにズボンのポケットへ突っ込んだ指先に固い感触が伝わる。そういえば、これもミラーと似たようなものか。
ふとして弾みで浮かんだ考えに、なんとかポケットへ鏡をねじ込めためぐみとは逆に誠司が腕を引き抜いた。
「そうだ、俺も実は毎日持ち歩いてるんだ、これ」
誠司は指でガラス玉をつまむと、その翡翠の体越しに歪む景色を望んだ。
「これ、覚えてるか?」
「勿論だよ、わたしもほら」
問われて、めぐみはパンパンに詰まったポケットへ再び手を入れる。少しの格闘の末、同様にガラス玉を掌で転がした。
「お前もまだ持ってたのか」
窘めるようにまだと強調するような口ぶりだが、めぐみの手の上できらめいている桃色の燐光に誠司は一瞬ホッとした顔を浮かべた。
「そうなの。皆はいつの間にかあげちゃったみたいだけど、中々渡す機会が見つからなくてね」
ブルーから誠司含め皆が貰った愛の結晶だが、ひめとゆうこは受け取ってから数週間と経たないうちに新しい友人へと贈っていたらしい。しばらくして、いおなも誰かに渡したらしいことを去年の夏ごろにひめが教えてくれた。
愛の結晶が本来神から人間へ譲渡されることを役目としているように、彼女達もそれに倣って各々が決めた相手へ渡すこととしていた。しかし、自身の手には未だに残り続けている。
お護りとして持っていたミラーや結晶も受験に押されるがままにいつしか放り投げてしまっていたのだろう。
「俺もタイミング逃して、すっかりお守り代わりだ。もしかしたら怪我しなかったのもコイツのおかげだったりしてな」
軽い憶測に応えるように翠玉がほんのり光った気がした。黄昏の空にもう日は無く、街灯だけが暗闇が広がる足元に明かりをもたらしている。
「あたしも……きっと、皆みたいに早く渡すべきなんだろうけどね」
めぐみは自身の愛の結晶を見つめると、誠司が覗き込んでいるガラス玉を瞥見する。まだ彼の手に残っていることを確かめるように。
「焦ることじゃない、本当にあげたいと思う大切な相手が出来たときに渡せばいいさ」
誠司が赤くなった指先をこすり合わせながら、自分の見当を元にめぐみへ説き聞かせる。しかし、その言葉と共に彼女の虹彩へ滲んだ暗い表情を誠司は己が目に認めることは出来なかった。
自分は愛の結晶をいつ渡そうと考えていたのだったか。
不意に思考を冷たい風がさらっていく。
今日は暖かくして寝よう。鼻筋を煽る寒気に身震いすると、誠司は屋根の上から顔を出す自宅の明かりへと連れ立った。