ハピネスチャージプリキュア!の小説   作:モリ―・ジョニー

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11.追憶

 世界は光で包まれている。喜び、安らぎ、笑顔、そして愛。人々を司るまぶしいほどの正の感情が世界には広がっている。その輝かしい光は家族や友人、果ては赤の他人との間ですら生み出される。このポジティブな感情が満ちている世界のことを人は幸せと呼ぶのだろう。

 

 だが、幸せとは些細なことで脆く崩れ去る。望もうと望むまいと、突如として人は傷つき、ネガティブな世界へ足を踏み外す。

 それは仕方のないことだ。心とは実に複雑なもの。誰も他人の全てを理解できないように自分自身のことすら完璧には理解できていない。

 だからこそ、他人の未知なる領域に踏み込むことを恐れ、思いやりという建前の下で互いに自分の世界が傷つけられないように人間達は暮らしている。

 

 しかし、幾ら丁重に扱ったとて心の変化に歯止めは効かない。原因の所在に関わらず少しの弾みで喜びは怒りになり、安らぎは不安へ色を変え、笑顔は悲しみと化す。そして愛は……。

 

 今思えば、幻影帝国とは求められた存在だったのやもしれない。突然現れた絶望によって黒く塗り潰された世界にあっては瞬いた光は強い輝きを放ち、希望への依存で以って目の前の不幸ですら、いつかは変わるはずだと信じて盲目的に生きていけた。矮小な幸せですら存分に味わって生きていけた。

 だが、今はどうだろうか。強大な悪意は消え、希望に眩んだ世界には色が広がってしまっている。停止させた思考は作動を始め、自分の意思で生きていくことを余儀なくされている。受動的にその日をやり過ごしさえすればよかった世界は終わりを迎え、代償として社会には不安が満ちていった。それは未来への危惧か、現在に抱える苦悩か、はたまた過去に産み落とした過ちか。いずれにせよ誰もが幸せの絶頂から絶望へと叩き落されることを何より恐れているのだ。

 なればこそ、奴らは人々から幸せを奪い不幸へと意識を釘付けにするという面でむしろ人の幸せに一役買っていたと言える。

 

 禍福というものは人の根幹を握りながらも、異なる方へ容易くその身を翻す。人間は幸せを求めるほど背後で肥大化する不幸に怯え、不幸においては幸せに包まれた都合のいい世界を夢想し現状に苦しむ。

 故に心とは厄介な代物だ。初めから心という病理が無ければ、人は二律背反の感情に惑い悩むことも無かったのだ。

 

 未来という果てしない道を歩み始めた人間たち。取り巻いた世界が様相を変える中

 あたしはこれからどうやって生きていけばいいのだろうか。

 ここ最近夢を見るときはそんなことばかりが頭の中に浮かんでくる。幾ら考えたとしても目が覚めれば中身なんてぼんやりとしか覚えていないのに。

 目的のはっきりしない変な夢。毎度のことながら、夢なんだったらもう少し愉快であってほしい。

 しかし、今回は少しばかり様子が違う。自分の意思で動くことは出来ず、尚且つ意識もはっきりとしない。今までの明晰夢とは違う一般的な夢の中に居る際の感覚に近い。そして、その夢に色は無く、無限に白い荒野が広がっている世界にはそれ以上の情報は一切なかった。

 

「……って!……ないで!!」

 

 靄に包まれたような頭の中で誰かの叫び声が木霊した。聞いたことが有るような無いようなその声は、ノイズが走ったように途切れ途切れではっきりとは聞こえない。

 

「……みちゃん!…ぐみちゃん!」

 

 木霊する音は跳ね返るにつれ段々と形を変えていき、今度はあったかくて安心する声のように聞こえてきた。

 この声は確か……

 

「めぐみちゃん!早く起きて!」 

 

 体を揺すられる感覚で目を覚ますと、めぐみはむっくりと上体を起こした。

 声の主は案の定ゆうこ。しかし、声の調子は焦っているようだった。デジャブを感じ、めぐみは瞬時に時計に視線を移す。

 ゆうこの呼びかけにめぐみが目を覚ました時、既に時刻は三限目の僅か3分前を回っていた。例の如く、体育館で行われている卒業式演習への移動は他のクラスメート達は済ませてしまっていた。

 ほんの少しの時間、無言が教室に響き渡る。

 

「うわぁ!ごめんゆうゆう!!」

 

 めぐみがようやく状況を理解する。そして寝起き早々に飛び上がると血相を変えて教室から飛び出した。

 

「本当にありがとう!急に眠っちゃってたみたいで!」

 

 急いで廊下を移動するめぐみ。目をぐるぐるとさせる彼女に並ぶゆうこは事も無げに返した。

 

「仕方ないわ。昨日は大変だったし、わたしもちょっと眠いもの。でも、もう少し早く起きて欲しかったかな」

 

「ゴメン、昨日はたっぷり寝たつもりだったのに!」

 

「なんてね、そういう日もあるわよ」

 

 両手を合わせて何度も深く頭を下げる。自分のせいで巻き添えにされたのも関わらず、尚もにっこりとほほ笑むゆうこ。

その優しい気遣いが今は少しだけ苦しい。めぐみはちくっとした胸の痛みで焦る足に力を込めた。

 

 めぐみ達が体育館に到着したとき、一斉に館内の全員から注目を浴びたのは言うまでもない。

 

 

「そう、ファンファンの悩みも解決したんだ。良かったぁ、様子が変だったからちょっと心配してたんだよ」

 

 ゆうこ達から昨日の自分が帰ったあとに起こった出来事を聞かされためぐみは、昨日のファントムが見せた妙な態度に納得していた。

 

「めぐみは気づいてたのね」

 

「まぁ、なんとなくね」

 

「めぐみちゃんは昔から人のことによく気が付くものね」

 

 放課後、一同は今後の方針を話し合うために一度大使館に集まることとした。誠司は家の用事で先に帰ってしまったが概ね昨日のメンツが会している。

 

「それで、サイアークについて分かったことはあるかしら?」

 

「なんにも。目的が不幸のエリアを広げることでもないなら何したいかなんてさっぱりだよ」

 

 会議の指揮を執るいおなに対して、ひめが情報皆無の現状に両手を広げ何もないというジェスチャーを見せる。

 

「少しでも情報を集めなきゃと思っても、昨日からあの調子」

 

「どうしたの、リボン?」

 

 ひめが部屋の奥に視線誘導すると、その先でリボンが鏡を至近距離で嘗め回すように寄っていた。

 

「それがブルー様に連絡をと思いましたが、どうにも鏡が繋がりませんの」

 

 リボンが壁に掛けられた大きな鏡に手をかざすが以前のように青髪の青年が映ることはなく、鏡は自身を睨みつける妖精とその後ろで椅子からこちらを覗くいおなの姿を反射していた。

 

「それは変ね、神様とは鏡を通して連絡が取れるはずよね」

 

「そうなんですの、去年までは繋がっていたはずなんですけれど」

 

 鏡は尚もリボンといおなの困惑した顔を沈黙と共に映し出している。最近は諸々の事情でめっきりであったが、昨年までは定期的に地球の状況について報告がてら近況を話していたはずだ。サイアークのいなくなった日常を楽しく過ごしている人間たちの話を聞いて、その都度ブルーは嬉しそうに微笑んでいた。

 

「神様達って今は赤神様の星にいるんでしょ。多分、今は地球から遠すぎて電波が届かないんだよ」

 

 お気に入りの昼ドラを横目にせんべいを齧りながら、他人事のようにひめが言った。

 

「ミラー越しの連絡って、そんな携帯電話みたいなシステムなのかしら」

 

 ゆうこもおぼんのお菓子に手を迷わせながら、いい加減な話に尾ひれをつける。

 

「電話といえばキュアラインは地球上どこでも通じるけど、流石に宇宙の彼方だと届かないのかも」

 

 言葉と共にめぐみが鞄からスマホ型のツール「キュアライン」を取り出して軽く振って見せつける。キュアラインは神様からハピネスチャージプリキュアに加わった際に連絡手段として渡されたアイテムだ。見た目こそスマホそのものだが通信制限や電波障害などもなく、有事の際には眠りこけた所有者を起こしてもくれる優れものだ。

 

「そんなこと言って、こんな緊急事態に神様と連絡がつかないなんて大変なことなのよ」

 

 作戦会議のはずが、ただの井戸端会議へとしゃれこんでしまいそう。そんな和やかなムードをいおなが制した。淹れたお茶を一口飲むと、ひめは正面へと向き直った。

 

「確かに、どうやって手がかりを探すかだよね。このままじゃ何も分からないままだし」

 

「今のところ、サイアークの気配は一切感じられねぇ。外へ探しに行ったとしても恐らく無駄足になるぜ」

 

 ぐらさんの言う通り、昨日の一件以来サイアークはおろか、そのさらに下の戦闘員であるチョイアークすら現れていない。奴らは以前も不定期に出現していたが、不幸のエリアが生み出されていないこともあり、ここまで痕跡がないことは珍しい。

 

「あれから考えたんだけど、他のプリキュア達にも聞いてみたらどうかな?注意喚起もあるし、なにか分かるかも」

 

 めぐみがこれ幸いにと手に持っていたキュアラインの電話帳のページを下にスクロールし、オハナとオリナの文字を。ハワイのプリキュア「アロ~ハプリキュア」の二人の名前を示した。

 かつて、氷漬けにされたハワイへ救援に行った際に交流を深めた彼女たちと連絡先を交換していたのだ。

 

「それだ!さすが、めぐみ!」

 

「えぇ~、そんなこと……あるけど!」

 

 ズビシッ!と指さすひめの称賛をあえて肯定するめぐみ。恒例行事の逆転現象を横目で見ながらいおなも握り拳に頬を乗せ、サイアークを探る方法を考えていた。

 

「まだ他に手立てはないものかしら」

 

「オレたちで他の妖精たちにもあたってみるぜ。とにかく手あたり次第にやるしか方法はないからな」

 

「そうですわね、ブルー様に助力を願えない以上は足で稼ぐほかありませんわ」

 

 クロスミラールームを使えない現状では広範囲に捜査を広げるには中々に骨が折れる。キュアラインや鏡を通した連絡でも相当の時間は要するだろう。ブルーの不在がここまで痛いものだとは思ってもみなかった。

 

「そういえばファンファンは?昨日はあれだけ乗り気だったのに」

 

 ひめが部屋中を見渡してみるが、自信の無さげな垂れ目も鋭くとんがった吊り目のどちらもそこにはない。先に大使館に来ていたぐらさんは置いてもゆうこから集合の連絡ぐらいは受けていそうなものではあるが。

 

「ファンファンは今日は店の手伝いをしているの。お昼時だし、お客さんが途絶えなくて抜けられないみたい」

 

「平日から随分忙しいのね」

 

「お陰様でね。繁忙期に入るから、三月からはもっと忙しくなるのよ」

 

 おおもりご飯では季節に合わせて様々なキャンペーンを行っているのだが、春先には白米やおかずの量を増やす新春増量キャンペーンを開催しているため、利用客がひっきりなしにやってくるのだ。

 

「あとは、他にも話を聞ける人はいないかな。例えば……例えば……」

 

 めぐみがこれではまだ不十分だと更に範囲を広げようと模索するが、どうにも浮かばない。

 それから全員でしばらく対策を考えたが、地道に妖精やプリキュア達に聞き込みしていくしかないということで会議を打ち切ろうとしたその時だった。ひめのかけていたドラマが終わり、華やかなOP音楽と共にでかでかとニュース番組のタイトルロゴが映し出された。

 その名はプリキュアウィークリー。毎週の朝昼夕のどこかで放送されていた全国区の大人気番組で、主にプリキュアの活躍を取り上げていた。幻影帝国が倒されてからは、プリキュア達も現れなくなったため半年ほど前に惜しまれながら終了していたはずだったが。

 

「テレビの前の皆さん、お久しぶりです!皆に伝えたい、わたしが伝えたい!看板キャスターの増子美代です!」

 

 大きなディスプレイモニターの前でポーズを決めるのは、黄色のジャケットが目を引くメガネがトレンドのニュースキャスター、増子美代。キャスターらしからぬ明朗快活なキャラクターがテレビの前の人へ元気を与えていたことを覚えている。

 当番組が終わってからは、同テレビ局の他番組で度々見かけることがあったがまさかこのスタジオに再び立つ姿を見るとは。

 

「特番として帰って来たプリキュアウィークリー。早速ですが、驚くべきニュースが入ってきています!昨日、お昼下がりのぴかりが丘になんとサイアークが現れました!」

 

 久しぶりのプリキュアウィークリーを懐かしむ暇も無く告げられたのは、渦中真っただ中の話題だ。

 

「プリキュア達のお陰で幻影帝国が倒され、現れるはずもないと思われたサイアークの再来にぴかりが丘の町は恐怖に包まれてしまいました」

 

 画面に迫り、物々しい言い回しで不安感を煽る。光を跳ね返したメガネがさらに雰囲気を増幅させている。他の番組にも積極的に起用されるようになったためか、以前にも増して迫力が凄い。

 

「しかぁし!皆さま、心配ご無用!わたしたちにはプリキュアが付いています!サイアークが現れたのも束の間、ハピネスチャージプリキュアが駆け付け、サイアークをあっという間にやっつけてくれたのです!!」

 

 転じて、キャスターは後ろへ下がるとディスプレイ画面に昨日の戦闘の様子を映し出した。その遠巻きからの映像にはサイアークの巨体と飛び交うプリキュア達の姿が確かに納められていた。どこから撮影されたかは分からないが、ともかく戦闘の証拠には違いない。

 

「たとえ、どんな敵が現れたとしてもプリキュアがいる限り、わたし達の平和が脅かされることはありません!バッタバタとサイアークをなぎ倒し世界を守ってくれることでしょう!!」

 

 ニュースには似つかわしくないハイテンションは久々のプリキュアウィークリーだからだろうか。かなりの誇張を織り交ぜながら増子美代独自の情報を活用した解説などして、そのまま番組は終わっていった。

 

「プリキュア達がいるからにはサイアークに怯える必要はないのです!次回は専門家の方々をお呼びしてサイアークについてお話を伺いたいと思います。以上、プリキュアウィークリーでした!」

 

 私的な感情が込められた大げさな読み上げは現役当時は応援の声として励ましてもらっていたが、暗中模索の今は却ってプレッシャーとなって喉を絞めあげてくる。もう少し、期待表現を抑えてくれれば幾分か楽観できたかもしれない。

 

「専門家なんて、誰を呼ぶって言うのよ」

 

 次の番組が始まると、ひめはテレビを消して背もたれへと沈み込んだ。背中だけではなく胃までもたれてしまいそうな重圧に番組への疑問を吐くことでなんとか胃袋の容量を空けているようだ。

 

「幻影帝国に詳しい人なんているのかしら?」

 

「そんな人がいるなら私達が会いたいぐらいよ」

 

 いおなやゆうこもその部分にはどこか引っかかっていた。サイアークや幻影帝国の専門家など今まで聞いたことが無い。突如世界に宣戦布告を仕掛けてきた悪の組織の詳細など誰が知ろうと言うのか。

 

「専門家かぁ……」

 

 ひめがもう一度意味ありげに呟いた。

 

 まもなく当面は地道に情報を集めていくしかないという方向で話は纏まり、今日のところは解散することとなった。

 

 

「ただいまー」

 

 帰宅して、すぐめぐみは自室へ真っすぐに向かった。リボンが各地のパートナー妖精へ情報を通達するまで時間がかかるため、聞き込みをかけるのは明日以降になるからだ。彼女としては一刻も早く行動したいところだったが、鏡での移動ができない以上はあちら側の都合があわなければ連絡の取りようもないということで諦めるしかなかった。

 

 今日も今日とて母親は仕事。昼を過ぎて、もう間もなく帰ってくるものとは思うが、家に戻っても母の声が返ってこないというのはやはり寂しいものだ。ここ最近は特にそれが強くなっている気がする。

 

「さて、あたしもやらないとな」

 

 鞄から取り出したのは作文のプリント用紙。ではなく、自習用に持っていった参考書数冊。情けなくも居眠りしてしまった分は取り戻さなければならない。そう言い訳すると、めぐみはボロボロの参考書のページをめくった。

 

 何十回と繰り返し解き方や理論まで把握している問題に今更手こずるわけも無く、ノートの上でスルスルとシャーペンを走らせる。解ける感覚、先の読める安心感にあっという間に目標としていたノルマを終わらせてしまうと、めぐみは満ち足りた気分で時間を確認する。

 しかし、勉強を始めてから僅か二時間しか経っておらず空もまだ明るい。本腰を入れて受験勉強を始めた時期には朝から夜までかかっていた問題達がこんなにも容易く解けるようになっていたとは。

 確かな学力の向上を実感すると共に、前触れなく脳裏に去来したのは受験の記憶。

 

 それまであまり考えてこなかった受験というものを強く意識させられたのは、確か三年生になってばかりの五月だったかな。

 学校で進路説明会を受けたお母さんがポロっとあたしに中学卒業してからの進路を聞いてきた。その時は答えられる材料も無く、正直にまだ考えていないと言った。お母さんも軽く「そうなの」と返してはいたけれど、実際のところは親としてあたしよりも危機感を覚えていたのかもしれない。

 それから時々、近くの高校のパンフレットを貰ってきてはあたしに渡してくれるようになって、ここがいいだとか。あそこがいいんじゃないかとか。色々提案してくれた。中でも熱心に紹介してくれたのはお父さんと出会った思い出の母校だというぴかりが丘高校だ。よほど母校に思い入れがあったようでいつもの明るさとはまた違ったハイテンションな姿が印象的だった。

 お父さんが家に帰ってきた時なんて両親揃ってぴかりが丘高校の利点を語っていたはずが、思い出話に花咲いていつのまにか二人の馴れ初めから結婚までに至るまでの話を聞いた覚えがある。

 

 しばらくして、ゆうゆうや誠司、他にも多くの友達がぴかりが丘高校に行くと聞いてあたしもぴかりが丘に行くことを決めた。誠司やゆうゆうは二年生の冬には既に志望校をぴかりが丘高校に決めていたらしい。そして、幻影帝国との闘いが落ち着いた頃から受験勉強を始めていたって。その時は感心が一番に来たけど、今はそれが少しばかり情けない。

 二人は明確な理由があって高校を選んだんだと思うし、焦るように受験を始めた自分とは違い受験中だって幾分かは余裕がありそうだった。合格という結果は一緒でも幼馴染との差は歴然。いおなちゃんも志望校は違うけど、きっと余裕をもって臨んでいたと思う。

 

 勿論、あたしもそのうち受験勉強に腰を据えるつもりではあった。二年生の春のテストでの大失敗をきっかけにそれまで全く手に付けてこなかった勉強を真面目に取り組んでいたことも働いて、三年生の時点で勉強は不得意だったけど苦とは感じなくなっていた。

 それでも、いつか始める。いつかはいつかは、と時期を先延ばしにしてきたのは心の奥底で楽観的な自分を許してしまったからだ。

 もっと将来について真剣に考えていたら、お母さんにも負担をかけないで済む道があったかもしれない。或いはもっと早くから勉強を頑張っていればここまで受験一辺倒で一年間を過ごす必要もなかったかもしれない。皆みたいに将来の夢だって見つけられていたかもしれない。

 これまでの人生で自分には必要ないと見送ってきたあらゆる努力。それが今になって作文用紙にたった400文字を綴ることすら困難にしているんだ。

 

「はぁ……」

 

 参考書の下からいつの間にか顔を覗かせた作文用紙を目の前にめぐみは机へ体を寝かせると、ゆっくり重たい息を吐いた。薄く開けた口から漏れでた温風がプリントの角を僅かに浮かび上げる。刹那的な記憶探訪が義務感のやる気すら奪い去る。

 先ほど味わった執拗な重圧、そしてサイアークへ打つ手なしの現状が自身の曖昧模糊な将来の展望と絡みつき、言えようのない倦怠感が彼女を襲っていた。

 

 次第にそれは眠気へと顔を変え、再び彼女を暗黒広がる世界へと誘うのだった。

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