ハピネスチャージプリキュア!の小説   作:モリ―・ジョニー

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1.夢

 澄み渡るような青。どこまでも広がる雲一つない大空には真っ赤な太陽が浮かんでいる。寒い1月が終わり、2月も中盤に差し掛かったところ。今年の冬は例年より早くシーズンの終わりを迎え、まだ2月だというのに平均気温も3月半ばに近い。

 季節の変わり目の乾いた空気に暖かな一陣の風が吹き抜けると芽吹く草花は踊り、気の早い寒桜の木々がざわめきだす。

 近づいてくる早めの春の訪れを否が応にも感じる。そんなのどかな朝だ。

 

 赤き神レッドとの争いの果てに地球の神ブルーが青い星を去ってから一年。プリキュア達は戦いの日々から自分の生活へと帰り、少しずつだが世界は元ある姿を取り戻そうとしていた。

 

 そしてここぴかりが丘にもまた幸せな日常を歩む者たちがいた。

 

「おい、危ないぞ。気をつけろよ!」

 

 不安げな表情を浮かべながら、背の高い街路樹を見上げる少年、相良誠司の視線の先には木の中腹まで登っている少女がいた。

 

「大丈夫、大丈夫!もう安心だからね。怖がらなくていいよ」

 

 そう言いながら、愛乃めぐみは木の枝にしがみつく子犬へ向かって手を伸ばす。

 幸い木の枝が太いため腹這いになっている子犬も幾分かは余裕がありそうだ。

 

「よし、もうちょっとで……」

 

 震える子犬を怯えさせないように一挙一動を慎重かつ丁寧に実行する。

 あと数センチで届こうかといったその時、強い突風がめぐみの登った樹を大きく揺らした。

 左右に煽られた子犬が必死にしがみつくが、十秒としない内に力尽き枝から投げ出されてしまった。

 

「危ない!」

 

 咄嗟にめぐみが幹を蹴り、子犬に飛びつく。その腕に犬を抱え込むが、次はめぐみが落下する状態になってしまった。

 めぐみは体を小さく丸めて犬を守る。あわや地面に激突するかと思われた。しかし、既のところで下に控えていた誠司が受け止めることに成功した。

 

「だから、気をつけろって言っただろ……。全く、お前が怪我したら元も子もないだろう」

 

 誠司は慣れた口調で自身の両腕に抱えためぐみに向かって忠告する。

 

「えへへ、ごめん。でも、もし何かあっても誠司が助けてくれるって信じてたから……。」

 

 めぐみは子犬の無事を確認し、ちょろっと舌を出してお茶目にウィンクする。

 

「そっ、そうか。まぁ、何ともないならいいんだ」

 

 思わぬ返しに意表をつかれた誠司は明後日の方向を見ながら頬を染める。

 そして、自身がめぐみを抱きかかえていることに気づき、慌てて地面に下ろした。めぐみも子犬を放すと、子犬はキャンキャンと鳴きながら、木の下に立っている少女の元へ駆け寄った

 

「はい、これ。もう落としちゃダメだよ」

 

 そう言ってめぐみは少女にソッと麦わら帽子を被せてやる。

 

 一連の事は風で攫われた主人の麦わら帽子を追いかけ木に登った子犬をめぐみが助けようとした為に起こったのだった。

 

「ありがとう、お姉ちゃん……」

 

 少女は麦わら帽子を深々と被り照れくさそうに感謝を述べる。しかし、少女の浮かべたその安堵の前に申し訳なさが混じったような表情にめぐみは一瞬考え込み続けた。

 

「大丈夫、気にしないで。わたしがこの子助けたくてやったことだから」

 

 優しい声色で少女へとまるで何事も無かったかのように振る舞う。

 人助けを趣味とする彼女にとってこの程度は日常茶飯事。そして無茶をするめぐみをカバーすることもまた誠司にとって苦ではなく当たり前のことなのだ。

 

「それに、わたしもこの子も怪我なく無事で万事解決、みんな幸せハピネス!……でしょ?」

 

 気持ちのこもった満面の笑みを少女へ向ける。めぐみが見せる笑顔は目がくしゃっとした弧を描き、薄い唇の間から見える真っ白な歯は日光を反射し眩しく光る。見ている人へ明るさを分け与えてくれる。そんな弾ける笑顔だ。

 心の底から向けられた感情に少女も思わず吊られてクスッと笑ってしまった。

 

「おい、めぐみ。そろそろ行かないと間に合わないぞ!」

 

 二人のやり取りを眺めていた誠司がふと道に立っている時計を見て叫ぶ。彼らは学校へ登校している最中にいたのだ。

 

「ちょっと待って誠司!じゃあね。今度は気をつけてね!」

 

 めぐみが少女の方を向いて後ろに下がるように歩きながら、少女へ手を振って別れを告げた。

 それに対しまた少女も手を振りかえす。その表情は笑顔で溢れていた。

 めぐみのお節介にかかれば困った人でもすぐさま立ち直ってしまう。そんな人を元気付ける力が愛乃めぐみの持ち味だ。

 

「今日も朝から幸せいっぱい~。あの子もハッピー。あたしもハッピー。やっぱり笑顔が一番だ~!」

 

 気の抜けた詞を思い付きのメロディに乗せて口ずさむ。めぐみの湧き出る感情のままに”心の歌”が辺りへ響き渡る。彼女の幾つかある変な癖の一つだ。

 

「幸せなのはいいけどさ。どうするんだよ、その格好」

 

 指摘されめぐみが自身の服装を見てみると、薄くクリーム色の混ざった白い制服には木の皮や土埃で黒い斑点がプリントされ、鮮やかな赤のスカートは沢山の木の葉や擦り跡により見るも無惨な様相だ。

 色彩の濃いマゼンタのボニーテールにも何本か小枝が刺さっており、まるでジャングルで遭難した冒険家のようである。

 

 めぐみが急いで全身を叩くも細かい汚れは落としきれず、所々にまだ残ってしまっていた。

 

「人助けをするのはお前のいい所だけど、もう少し注意してやれよな」

 

 呆れた様子で誠司がはぁ、と軽く溜息をした。

 めぐみは元来不器用でドジな女の子なのだが、他人を助けようとする余りに自分を疎かにした行動を取ってしまう。

 彼女はプリキュアとして最前線で戦ったあの一年間で紆余曲折の果てに大きく成長したのだが、この癖だけはどうにも変えられない様子である。

  

「分かってるよ。分かってるんだけど。ワンちゃんを助けようと思ったらつい……」

 

 両手の人差し指をツンツンと突き合わせながら必死に弁解するも段々とその声が小さくなっていく。

 めぐみが困っている人を助けて、そんな彼女を誠司が助ける。この流れが二人の間では恒例のようになっていた。

 

「でも、汚れちゃったものは仕方ないし、今は急ごう。ね?」

 

「たくっ。本当に分かってんのか」

 

 反省はしているのだろうが、どこか飄々としているめぐみの様子に誠司もとうとう諦めてしまった。そのまま右手をめぐみに引かれたまま二人は学校の通学路へ向かった。

 

 二人が程なく歩いていると、長い川にかけられた斜張橋のふもとに差し掛かった。

 多くの老若男女が行き交うこの河川敷はぴかりが丘中学校の生徒にとって三年間に何度も通ることになるメインストリートといっても過言ではない。

 

「この辺もすっかり元通りだな。すこし前まではお菓子やらカビやらがまだ残ってたのに」

 

 誠司が辺りを一瞥する。本来サイアークを倒すことでしか浄化できない不幸のエリアも幻影帝国の滅んだ時、世界中から自然消滅していた。しかし、人生の三割ほどを不幸のエリアの隣で生きてきた彼らにとってある種身近と言ってもいい存在となってしまっていた。

 

「あれから二年も経ったんだもんね。時間が経つのはあっという間だなぁ」

 

「そうだな。桜も咲きはじめて、もうすぐ春って感じだ」

 

 誠司は風に舞う寒桜の花びらを捕まえて、薄紅色に季節の移り変わりを肌で感じた。

 

「俺たちもあとちょっとで卒業するんだよな」

 

「卒業かぁ……。卒業したら、こういう風に友達と一緒に学校に行くなんてことも無くなっちゃうのかな」

 

 変わっていこうとする日常にめぐみは、珍しくシュンと俯いた様子を見せた。

 

「この先どうなるかは分かんないけどさ。少なくとも俺たちは高校が一緒なんだし、そんなに気に病む必要もないんじゃないか」

 

「そう……、そうだよね!誠司と、それにゆうゆうとは同じ高校だもんね!それを思い出したら何だか安心して」

 

 春の陽気に誘われ、めぐみが大きく口を開けてふわぁ、と欠伸をした。そして両腕を伸ばして全身で暖かな春の風を味わうと、両まぶたに残る重みを手の甲ですり潰した。

 

「どうした、めぐみ?朝から何だか眠たそうだな」

 

「うーん、今日は6時に起きたのもあるんだけど、最近寝不足気味なんだよね」

 

 そう喋りながらも、めぐみはもう一回小さくあくびをした。

 

「寝不足って、それ大丈夫なのか?」

 

「寝不足と言っても高校に進学してから置いていかれないように少し遅くまで勉強してるってだけ。全然大したことじゃないよ」

 

「それならいいんだけどさ。にしてもなんで今日に限って早起きなんてしたんだ?おまえいつも7時起きじゃないか」

  

「あぁ、それはねぇ……。あっ!」

 

 会話の最中に何かを思い出したのか。突然、めぐみが全速力で走り出した。それを見て、誠司も慌てて後を追いかける。

 

「どうしたんだよ、いきなり!ちょっと待てって!」

 

 誠司の制止も聞かずに、めぐみは一心不乱に走り続けた。その髪が馬のしっぽのように縦横無尽に暴れることも気にしていない。彼女の表情はあまりに必死で、何やら重大なことをしでかしたことは想像にかたくない。

 

「今日はゆうゆうと一緒に登校しようって約束してたんだった!日直の仕事が朝からあるから早起きしたのに!」

 

 めぐみが後ろの方へ振り向きながら答えた。何があったのかと思った誠司は拍子抜けしてしまっていた。

 

「なんだ、そんなことかよ。大森なら気にしないって」

 

「ゆうゆうじゃなくて、あたしが気にするの!このまま学校まで走るよ、誠司!」

 

 その言葉でめぐみは更にスピードを上げる。普段なら沢山いる登校途中の学生が自分達しかいないこともあり、誠司も続くように全力で駆け出した。

 

「はぁ……はぁ……、何とか間に合った。久しぶりに走ったから、体力が……」

 

 めぐみが校門の壁にもたれかかり思いっきり肩で息をする。

 時刻は長針が5の目盛りを回ったところ。彼女達の通う私立ぴかりヶ丘中学の校門の施錠時間は8時30分。最後のラストスパートの甲斐あって普段より10分の遅れを取りながらギリギリのゴールインだ。

 まばらではあるが他の生徒の姿もチラホラ見えている。

 

「お前日直なんだろ。早く教室行かなくていいのかよ」

 

「はぁ…はぁ……、ちょっと休憩させて……。誠司は先に自分のクラスに行ってていいから」

 

「一緒に来たんだし、そういう訳にも行かないだろ」

 

 目をバッテンにさせて散発的な呼吸をするめぐみに対して冷静に諭す誠司には疲労の色が見えない。自分磨きの一環として普段から空手や早朝ランニングに励んでいる彼にとってはさほど苦ではなかったらしい。

 めぐみもプリキュアとして活動していた際に行っていた体力作りを戦いが終わった後も続けてはいたが、ここ最近は受験勉強に気を取られて疎かになってしまい、どうにも急な運動が応えたようだった。

 

「この上靴もちょっとキツくなってきたなぁ。これも成長してる証だよね。うんうん」

 

 めぐみは靴箱の前で茶色のローファーを先端が赤く塗られた白のスクールシューズに履き替える。 入学当初に購入した上履きのサイズが今の自分には合わなくなってきたことにどこか満足そうに腕を組んで頷いていた。

 

「この階段を登るのもあと何回になるのかなぁ」

 

 二人が3年生の教室がある三階へと上がる途中、ハッと気づいためぐみが吐息混じりに呟いた。

 その段を進める足も一歩一歩を確かめるようでどこか重苦しい。

 

「どうしたんだ今日は。そんなにやることなすこと懐かしんで、何か困ってる事でもあるのか」

 

 朝から妙な様子のめぐみを誠司は心配していた。誠司自身も塩らしいめぐみへの違和感から肩にぶら下げている青い学生鞄を手に持ち替えたりと忙しない様子だ。

 

「別にそう言うわけじゃないんだけど。やっぱり卒業しちゃうのが寂しいなって……」

 

 伏し目になっためぐみに返す言葉もなく、その横顔をただ黙って見つめるだけだった。誠司も思っいてることは一緒だったからだ。

  

「じゃあ、あたしはこっちだから」

 

 三階に上がってすぐの廊下で二人は別れた。めぐみは右に、誠司は左に。二年間、同じクラスの二人だったが三年目でとうとう両者別々になってしまったのだ。

 手を小さく振るめぐみに誠司はおう、と軽く返し彼女に背中を向けた。

 

 

「本当にごめん!忘れてたわけじゃないんだけど、途中困っている人が居たから見捨てられなくて…。」

 

 教室に入るや否や、めぐみが腰を直角に降り、両手を倒した頭の上で合わせる。その拝み倒す先はほんわかとした雰囲気を漂わせる垂れ目の少女。

 明るい茶髪を外はねのショートヘアにしている彼女の名前は大森ゆうこ。めぐみと誠司の幼い頃からの親友にして、ハピネスチャージプリキュアの一人、黄色いプリキュアのキュアハニーその人である。

 

「気にしないで。めぐみちゃんのことだし、人助けか何かだろうと思って日直の仕事は済ませておいたから」

 

 必死に謝るめぐみとは対象的に朗らかな笑みを浮かべるゆうこ本人の気性の穏やかさも相まって本物の菩薩のようだ。

  

「おぉ、なんとありがたい。神様、仏様、ゆうこ様!」

 

 許しを得ためぐみが上げた両腕を上半身と一緒に倒してひれ伏すようなわざとらしいジェスチャーをとる。すると、ゆうこはふふ、と僅かに息を漏らしてめぐみの頭をポンと叩いた。

 その手つきは妙に小馴れていてこれまでにも二人の間で何回も行われてきたやり取りだと伺える。

 

 めぐみを持ち前の快活さで元気を与えるチームの芯とすれば、ゆうこはどっしりと構えて皆を支える女房役といったところだろうか。

 彼女の穏やかなオーラにかかった物は荒んだ心でさえあっという間に癒されてしまう。そんな独特の雰囲気を持ったのが大森ゆうこという少女である。

 

「今日は遅かったじゃない、めぐみ。もうすぐでホームルーム始まっちゃうよ」

 

 はしゃぐめぐみに話しかけたこの女の子は石神りん。ショートヘアと同年代の中では高めの背丈から活動的な印象を受けるめぐみの友達の一人だ。

 

「えへへ、そうでした。和泉先生に怒られちゃうところだった。ありがとう、いっしー!」

 

 照れ隠しに後頭部をさすったかと思えば、すぐさまウィンクをしながらグッと親指をたてる。次々に表情を変えながら、めぐみは窓際にある一番後ろの列の自身の席へ急いだ。

 

「めぐみちゃんは今日も朝から随分元気ですわね。とてもいい事です」

 

 めぐみの前の席に座っているおしとやかな口調のこの少女は高野れい。プックリとした厚めの唇が特徴的なアンティークショップ高野の一人娘である。

 彼女と石神れい、そして他クラスの古田かな、椎名えれなの四人は特に仲が良くめぐみ達のよき友人グループである。

 

「まぁね、元気なら誰にも負けない自信があるから!」

 

 めぐみが胸を張り腰に手を当て鼻息を強く吐いた。

 

「皆さん、既に知っているとは思いますが卒業式まで残すところあと一ヶ月と少しになりました」

 

 朝のホームルームが始まり、上下を鮮やかな緑のタイトなスカートスーツに身を包んだ和泉先生が生徒達へ行事連絡を知らせる。

 

「幻影帝国がプリキュア達に倒されてから一年が経ちました。そのため、今年は卒業式が3月末に行なわれることになったのは以前伝えた通りです」

 

 幻影帝国の侵略が始まって以降、経験したことのない世界規模の未曾有の脅威に行政の対応は困難を極め、諸々の理由によりぴかりが丘中学校を初め日本の全ての学校は正常な活動に難航せざるを得なかった。

 それ故に昨年まで中学進級及び高校入学などの時期は一月に前倒しとなってしまっていたのだが、一年の猶予期間を経てようやく各教育機関の儀式の日程は多少の遅れ程まで持ち直していた。

 

「しかし、既に中学校での勉強を終えているとはいえまだまだやることはありますよ。皆さんには卒業文集に載せる作文を書いて提出してもらいます」

 

 それを聞くや否やクラスの男子を中心に不満の声が教室中で渦巻いた。そして生徒達は各々好きに話し出し、あっという間に作文の話題で騒がしくなった。

 

「皆さん、聞いていますか。………静かにしてください!作文のテーマは将来なりたい自分です。皆さんが将来就きたい職業や未来の展望についてを四百字詰めの原稿用紙2枚を式の二週間前までに仕上げてもらいます」

 

 部屋中を飛び交うざわめきを和泉先生が鶴の一声で制する。

 彼女のかけた丸メガネに光が差し込み、表情の見えないその顔に底知れない凄みを感じさせた。

 

「という訳なので皆さん忘れないようにしてくださいね。作文の事ももちろんそうですが、ぜひ残りの中学生生活を悔いの残らないよう送ってください」

 

 それを最後にホームルームを終えた3-3のクラスには再び喧々諤々とした様相が戻ってきた。

 

「作文なんて、聞いてねぇよ!用紙一枚の半分だって書けないぜ!」

 

 クラスのムードメーカー山崎健太が一際大きい声で叫びだす。あまり勉強が得意ではない彼には文章を書くこともまたこの世の終わりのように感じているのだろう。

 

「山崎くんはまだいいじゃない。野球部の夏の大会で大活躍だったし、将来の夢はプロの野球選手で決まりなんじゃないの?」

 

「簡単にそんなこと言ってくれるなぁ、石神。やることが決まってても書けないもんなんだよ」

 

 健太とりん、二人のやり取りを横目に見ながらめぐみもまた、頭を抱えていた。

 

 ──将来なりたい自分かぁ。別に気にしてなかった訳じゃないんだけど。何回も何回も考えて、でも思いつかなくて。そして毎日を過ごしている内にいつの間にかあんまり考えないようになってたんだよなぁ。

 なんだろう、あたしがやりたいことって。パティシエ!は、お菓子作りが得意な訳じゃないし、デザイナー……って何の?

 

 漠然としたお題に彼女は自分の目標を上手くまとめられずにいた。何かを思い浮かべては立ち消え、表情を明るくさせてはすぐに顔色を渋くさせていた。

 

 ──うーん、お仕事、お仕事。CAさん、スポーツ選手……どれもピンと来ないなぁ。

 あとは、レーサーでしょ、探検家でしょ。忍者、ひよこ……。ひよこ?

 

「あー、全然思いつかない!」

 

 めぐみは思案の末に髪の毛をぐしゃぐしゃにかき乱しながら、気持ちを実際に口に出してしまっていった。クラス中の全員が突然何事かと自分の方へ振り向いたのに気づき、慌てて苦笑いで誤魔化す。

 

「えっー!いおな、代表スピーチに選ばれたの!?すごごごーい!!」

 

 悩むめぐみの思考を遮るように廊下から妙に耳に残る甲高い声が響き渡る。

 

「ひっ、ひめ!声が大きいってば、恥ずかしいから!」

 

 独特の言葉遣いと特徴的なハイトーンボイスが流れたあと、それを諌めるような声が飛んでくる。隣のクラスの白雪ひめと氷川いおなによるお馴みの茶番である。

 

「そういういおなだって、大きい声だしてるじゃない」

 

「揚げ足取らないの!」

 

 駄々をこねる子を叱る母親のような華麗な会話劇に隣のクラスで爆笑が起こる。いおなとひめの息のあった漫才は隣のクラスでは最早恒例行事のようになっていた。

 その後、しばらく隣からやかましさが消えることはなかった。

  

 そして、一時間目の授業が始まり、高校授業の対策と称して雑多な科目のプリントと自習時間が与えられていたが、友達と談笑する者、作文を書き始める者、机に突っ伏して寝ている者、各々好きなように過ごしていた。

 

 ──将来の夢にしたって、プリキュアになりたいって夢はもう叶っちゃってるし、ぴかりが丘で皆と幸せに暮らしたいってのも叶ってるしなぁ。

 

 授業中だというのに校内に広がっている騒がしいムード。それとは対象的にめぐみはただボッー、と静かに思い悩んでいた。

 机に頬杖をつき、原稿用紙を前にして唇の上に乗せた鉛筆を動かすめぐみ。

 しかし、手元の用紙に振り分けられた二百マスの四角い枠には将来の自分という簡素なタイトルとその横にバランスの悪い”愛乃めぐみ”という字が綴られているだけだった。

 壁に掛けられた9時30分を指す時計の秒針の一挙一動を眺めたかと思えば、目の前で作文作業に取り組んでいるれいの艶やかな後ろ髪に意識を移す。

 めぐみが作文に向き合ってからここまで四十分ほど経っていたが、全くと言っていいほど進行していなかった。

  

 ──ゆうゆうやひめ、いおなちゃん達は将来やりたいこととか決まってるんだろうか。やっぱり、まだ何も見えてないのはあたしだけだったりするのかな。

 

 原稿用紙をにらみつけながらもその目は標的を捉えず、筆を持っていたはずの指は無意識の内に髪の毛を弄りだしていた。

 

 ──今まで何回も考えてきたことだけど、この一年であたしは変われたのかな……。

  

 めぐみは心の中でポツリとボヤきながら、今度は遠景にそびえ立つぴかりが丘清掃工場の長い煙突。その先端から排出される細長い白煙に双眸を向けていた。

 

 ──あの煙達も何か目的を持って飛んでいるのかな。ううん、きっと風に乗るまま、流されるまま。まるで今のあたしみたいだ。

 ……高校生かぁ。全然実感湧かないや。

 

 感傷に浸るめぐみ。それに並行するようにして白筒の先から空へ流れる煙は次第に霞と消えていく。延々と続くそのプロセスに吊られるように彼女の思考力も段々と薄らいでいった。

 頭上に輝く太陽の暖かな日差しに包まれ、鉄のように重くなった両瞼が下ろされていき、段々とめぐみの目の前を黒に染めていった。

 今日はたまたま早起きをしていたせいもあって、抗いようの無いままにめぐみは机に倒れ込み、襲い来る睡魔に身を任せそのままゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 気がつくと、あたしは真っ暗な空間にいた。辺りを見回してみても、果てのない大地がどこまでも続くだけ。しかし、光源もないのに自分の姿や地面がはっきりと見えている。そんな不思議な場所。

 

「おーい、誰かー!」

 

 大声が辺りに虚しく響き、やがて闇の中に消えていった。壁か何かは有るだろう、と走り回ってみても景色は一切変わらない。

  

 埒が明かないまま、しばらく待っているとふと、背中に突き刺すような視線を感じ振り返る。すると、奥の方から大量の足音が流れてきているのが聞こえた。ブーツ、革靴、スニーカー、色んな種類の靴音が大きくなるに連れて近づいてきている何かの姿を拝もうと目を凝らすと、複数の人影が見えてきた。

 

 シルエットこそ大人の男の人、小さい女の子、おじいちゃん、おばあさん。老若男女が入り乱れてはいるけれど、それらは一様に全身を黒いウエットスーツに包んでいるみたいに具体的な姿が無く、人型の霧そのものが歩いていた。

 その人達皆が全くタイミングで足を振り上げ、そして大地を踏みしめる。その行進は何から何まで機械的で人型の姿との圧倒的な違和感にゾッとする。

 

 あぁ、これ夢を見てるのか。確かに全身の感覚もなんだか鈍い気がするし。もしかして明晰夢って奴かな。でも、どうせならもっと楽しそうな夢が良かったなぁ。

 

 奇天烈な光景に却って、混乱する頭が急激に冷静になっていくのを感じる。

 

「おーい、聞こえてますかー?」

 

 隊を組んでこちらへ向かってくる軍団は、あたしがどれだけ気を引こうとしても、見えていないのか、意に介していないのか、そのまま両脇を文字通りすり抜けていった。

 両腕を広げ通せんぼしても、やはり体を散らばらせながら進み続けて行った。

 

 今はこの奇妙なパレードを見ているしかなさそうだ。目覚めようと思っても夢から自由に起きるなんて、そんなのやり方は分からないし。

 

 暇だからジーッと一人一人の顔を眺めてみても皆揃って靄がかかったように定型を持っていなくて、とても不気味。

 

 「こんにちは!見えてますかー?」

 

 思い切って顔の無い顔にもう一度話しかけてみる。しかし、相も変わらずあたしはこの場にいないみたいに完全にスルー。

 ここまで無視されると流石にちょっと気分が悪い。

 

 見える者全てにしつこく声をかけていくうちにとうとう列もまばらになってきた。

  

「ねぇってば!」

 

 さっきのよりは小さい列の先頭を歩く二人に話しかけてみる。しかし、その声は届かなかった。両手で肩を揺らそうとしても、手は空を切り一切の反応は返ってこない。幾ら話しかけたって首も曲げず、吸い込まれるような黒は常に前方の一点だけを見つめている。

  

「聞こえてますか!」

 

 後ろの二人や更に後列の面々にも声をかけたが、結果は一緒。それらは微かにも反応せず、壊れた機械みたいに両足両腕を上下させるだけであたしなんかまるで眼中にないらしい。

 

 そして、なすすべないまま闇の向こうに消えていく背中を見送るしか無かった。

 

「もう……なんなの?」

 

 夢だから気にしても仕方ないんだけど、人の姿をした何かが集団で歩き続けるだけの夢。ただそれだけなのに妙に胸がざわついて落ち着かない。

 

 なんでこんな夢を見ているのかは分からない。脳の記憶整理の結果、偶然同じ物を見ているのか、それともストレスによるものなのか。

 ここしばらくの行動を思い返してみても人々の行列を見るに至る心覚えがない。それに毎日楽しくて嫌なことだって一つもない。

 一切の原因は掴めない。だけど、何となくこの夢はこれ以上見ていたくない。

 

「………ん、………ちゃん」

 

 しばらくすると、どこからか誰かの声が聞こえてきた。抱えた不快感を鎮めてくれる優しい声だ。耳馴染みのあるそれが今は何よりありがたい。

 

 なんだか……、また………眠くなって─────。

 

 そうして、彼女は再び意識を失った

 

 

 

「………みちゃん。………めぐみちゃん!」

 

「めぐみちゃん、そろそろ起きないと遅れちゃうよ」

 

 めぐみが全身の振動に目を覚ますといの一番に入ってきたのは怪訝そうにのぞき込むゆうこのクリクリっとしたブラウンの瞳だった。

 

「ふあ~、おはようゆうゆう。起こしてくれてありがとう」

 

 心配するゆうこを横目にめぐみが伸びをする。そしてまだショボショボとしている半開きの目を両手の甲で擦り、瞼の凝りをほぐし取る。起き上がった彼女の頬には下敷きとなっていた鉛筆の食いこんだ赤い跡ができていて、とても乙女の姿とは言えない。

 

「おはよう。何回も起こしたんだけど、随分ぐっすりと眠ってたみたいだからそのままにしちゃった。どう、いい夢見れた?」

 

「ん~、夢?………どうだったかな、見たような見てないような。って、そんなことよりいま何時!?」

 

 未だ夢見心地だっためぐみが慌てて壁掛け時計を凝視する。その時刻は10時42分。彼女は約一時間十二分もの時間寝ていたことになる。昼寝にしては些か長い。

 

「二時間目の授業まるまるサボっちゃってる!どうしよう、ゆうゆう!」

 

「二時間目は先生もプリントを渡してすぐ職員室に帰っちゃったし。自習時間で眠ってたのはめぐみちゃんだけじゃないから大丈夫だよ」

 

 青ざめるめぐみに対して微笑むゆうこ。それを聞いて落ち着きを取り戻しためぐみが教室内を一瞥するがゆうこ以外に人の姿が見当たらず、目を丸くさせてもう一度ゆうこの顔を見た。

 

「ふふ、めぐみちゃんまだ寝ぼけてるの?三時間目は卒業式の演習だから皆は先に体育館に向かったわよ。わたしたちも行きましょ」

 

「ちょっと待ってよ、ゆうゆう!」

 

 ──あんな変な夢を見るなんて、やっぱり疲れてるのかな。うん、きっと、そうだ。

 

 何かが引っかかったまま、めぐみは駆け足で教室を飛び出した。

 

 

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