料理は愛情。実に理想にありふれた蠱惑的な言葉だ。
食事に見せる人の情熱とは或いは同種へ向ける愛という感情にも似ている。
人は食事も人間関係も同様の一生をかけて向き合うべき事柄として捉え、自身に最も都合の良い在り方へと相手を変容させる。対人、対物。その根本的な性質は違うのだろうが、己が欲のままに他を歪めんとする姿勢は等しく醜い。
食事において人は対等ではない。ただ口を開けて皿を待つ者と、自らを削り料理に勤しむ者。それがたとえ気心の知れた仲であってもそこには明確な立場の差が厳然と存在している。
それは人の愛という行為にも同じことが言えよう。
通じて、与える側にとって愛とは常に施すだけの調味料であり、幾ら求めたところで無償の奉仕者であり続けるしかないのだ。
「店員さーん、唐揚げセット一つください」
「こっちも同じ奴一つ!」
忙しなく踊る人の声、飛び交う注文が絶えることはない。おおもりご飯の黄色い内装の中では、多種多様色とりどりの衣服達が波打っている。
3月6日、この日は月に一度のおかず増量キャンペーン。しかも、創業記念日に限り更に増量に次ぐ大増量。12時前だというのに店内は常連、新参問わず人々でごった返し、店へと続く列は店頭カウンターにて受け付けているテイクアウトと店内飲食の二種類で絡み合っていた。
「はーい、ただいま!」
「お待たせしました、チキン南蛮定食です!」
ゆうこが注文の声を聞いてメモ帳を片手に店内を駆けめぐる。それとすれ違うように姉のあいが料理を乗せたお盆を届けては別の席へと回る。退店しては補給される客足に彼女たちの足が止まることはない。
しかし、忙しい様子は客席スペースに限らない。厨房もまた炎が舞い、鉄器具が荒れ狂うメタルフェスが繰り広げられている。
「米田さん、定食の盛り付けお願いします!不破くんも手が空いたらお弁当の用意頼むよ!」
父、大森たけおがおかずを乗せたトレーに室内中央のスチールテーブルへ移すと、すぐさま別の調理を始める。彼の指示を受けながら、二人の男もセカセカと早急かつ繊細に厨房内で己が作業に努めていた。
一人は不破と呼ばれた赤髪の若者。彼こそがファントムの世を忍ぶ仮の姿、
「すいませーん、お手伝いに…って、凄い人だね」
「聞いてはいたが、随分混んでるな。流石はおおもりご飯だ」
放課後、自宅にて身支度を終えためぐみと誠司。直行したおおもりご飯の外観を見るや否やめぐみは店頭カウンターに大森家の女親ようこ目掛けて駆け出すも、蜿蜒長蛇の人波に阻まれピタリと足を止めた。
そして、二人は外観をグルリと回り、店の裏手から厨房の勝手口を開ける。
「こんにちは、お手伝いに来ました」
覗き込んだキッチンの中から、飛び込んできた熱気。炎にゆでられた室内の空気に男たちの放つ気力が混ざって、冷えた外気をほんのりと熱くさせた。
慌ただしい厨房で、テーブルの上へ続々と重箱が積み上げられている。
「今日はよろしく、めぐみちゃん、誠司くん!あとちょっとで配達分が出来上がるから、悪いんだけどもう少し待っててもらえるかい?」
たけおに言われ、二人は商店街広場のガーデンテーブルで続報を待つことにした。
「キッチンの方も大変そうだったね」
「あれだけの客が来てるなら作るのはもっと忙しいだろうな。あの量を作るなんて凄いハードだぜ」
広場から見える大窓越しに見えた店内は、恐ろしい程の混雑状況だ。大急ぎの店員に反して、来店客たちは各々の好物を頬張り、口角を上げる。広場にて弁当を食べている人たちも同様に、喜色を満面に浮かべていた。
「二人ともお待たせ、今日は来てくれてありがとう。お店だけでも凄く忙しいから助かるわ」
「大親友の頼みだもの、わたし頑張っちゃうよ!ね、誠司!」
「そうだな、むしろトレーニングと思えば燃えてくるくらいだ!」
配達の用意を終えて、準備は万端。一同は肩に重たい配達用の箱をぶら下げながら、いざ出陣の点呼を取る。
特に誠司は一際大量の弁当を収めた箱を両肩に吊るし、両手には同じ内容物の袋を握りしめている。大役を任され、勇ましくもその瞳には小さく炎が宿っていた。
「それじゃあ張り切っていきましょう!」
「おー!!!」
ゆうこの号令の下、三つの手が空へと上がった。
「こんにちは、おおもりご飯です。お弁当の配達に来ました」
「おぉ、待っていたよ!もうお腹ペコペコで」
「それと、こちらおまけのハニーキャンディです。食後にどうぞ」
「ありがとう、ゆうこちゃん。また頼むよ!」
家主のおじさんから代金を受け取ると、引き換えにゆうこはハニーキャンディを手渡す。食後のオマケに飴を渡すという店の方針は、お客さんの幸せな表情に対してお返しをしたいと昔ゆうこが提案したからだそうだ。
「それじゃあ、わたしは真ん中の道に行くから、相楽くんとめぐみちゃんは左右の道をお願いするわね」
大量のお弁当を前にしながらも順調に配達をこなしていく一行。やがて行き着いた三叉路からしばらく別れることとなった。
「どうも、おおもりご飯です!こちらびっくり大盛り弁当お二つお届けに上がりました!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「平日でお忙しいでしょうにご苦労様です」
「いえいえ、おおもりご飯はお客様の幸せハピネスが第一ですから!」
チャイムを聞くや否や、弾ける元気で少女が出迎える。めぐみは母親から代金とキャンディーを交換すると、少女が放つ満面の笑顔を背中に受けながら、次のお客の家を目指した。
「さっきのが山田さんで、今のが織原さんのおウチだから、次は…と」
道中、何件かの配達を終えて荷物が軽くなったことを感じつつ、めぐみは事前に渡されていた配達用のメモを確認する。
大雑把な地図の上には一際大きな家のイラストが載っており、その麓に端麗な「三ツ谷さん」の字が添えられていた。
歩き慣れた道のりをガイドされていると、小池沿いにそびえる大使館とも見まごう程の豪邸が姿を見せる。
「こんにちは、おおもりご飯です。お弁当の配達に上がりました!」
「なんだい、今日は他の子達は居ないのかい」
「すいません、今日はわたし一人で」
玄関から出迎えたのは三ツ谷のぶこ夫人。若葉色の着物に袖を通し、白髪を頭頂部で団子状に纏めたそのおばあさんは店一番のお得意さまだ。
「なにを謝る必要があるんだい。別に怒ってるわけじゃないんだ」
「マッタクモー!」
夫人に合わせるように肩に乗った大きな白いインコ、オウム似のピーちゃんがしゃがれた声で相槌をうつ。
ゆうこの手伝いで何度か尋ねた事があるが、三ツ谷さんの顔ほどに大きい姿には毎度少々の威圧感を覚えるものだ。
「ご注文は大盛り幕の内弁当でしたよね」
配達用ボックスに残った最後の弁当を手渡しためぐみ。そして代金を受け取るも、夫人は手のひらを差し出したまま意味ありげに指をクイッと引き寄せている。
そのジェスチャーにすぐさま合点が行っためぐみは、三ツ谷さんの小さな手の上にキャンディーを二つ乗せた。三ツ谷さんはこの甘いハニーキャンディ―が大好きなのだ。
「それでは、これで」
「ちょっと待ちな。あの子に伝言頼めるかい?」
帰ろうとしためぐみを呼び止め、三ツ谷夫人は口元のしわをまごつかせた。あの子とは、ゆうこの事だろう。
「伝言ですか?任せてください、一言一句逃さず伝えますよ!」
「そうかい。じゃあ、あのお嬢ちゃんに『いままで美味い弁当を届けてくれてありがとう』って三ツ谷が言っていたと伝えてくれるかい」
神妙な口ぶりと面持ちを構えた三ツ谷さんの様子に、めぐみはただ事ではないと予感した。
「まぁ、今度から別の街で息子夫婦と一緒に住むことになったもんでね。今流行りのばりあふりーって言うのかい。最後までこの家にいるつもりだったけど、寄る年波には勝てんものだね」
三ツ谷さんの紡いでいる言葉を黙して受け取るめぐみ。それにはピーちゃんすらも嘴を紡いでいた。
「ここは良いところだ。孫と暮らせるのは嬉しいが、あの人と余生を過ごしたこの町から離れるのも寂しいもんさ……なんて、あんたに言っても仕方ないかね。最後だと思うと、つい独り言が多くなって困るよ」
三ツ谷さんはめぐみ越しに誰かへ言い聞かせるように空を見ていた。
ややあって、めぐみは言葉を返した。
「申し訳ありませんが、そのことはお店に行ってゆうこちゃんに三ツ谷さん自身の口で直接伝えてあげてください。わたしを通すよりもその方が三ツ谷さんにとっても良いと思います」
「そうさね…そうするよ。最後の礼を人に頼るだなんてあたしも焼きが回ったもんだね」
「マッタクモー」
自身の配達を一通り終えて、合流地点へと向かうのみとなる。
道中、めぐみは三ツ谷さんがわざわざ数度顔を合わせただけの自分へ言葉を託した理由について考えていた。
悲しい、恋しい。色々浮かんだが、彼女は恥ずかしかったのだろうという結論に終わった。三ツ矢さんが素直じゃない性格であることは初対面でも分かったほど。そんな彼女だからこそ懇意のゆうこに直接告げるには気が引けたのだろう、と。
そんなことを考えていると、道の向こうでこちらへ手を振る人影が見えた。
「二人ともありがとう。お陰でいつもよりずっと早く終わりそうだよ。後少しだから、ラストスパート頑張ろうね」
ゆうこ、誠司と合流し、残すところ後一件となった今回の配達。時間的には1時を少し過ぎた頃合いだろうか。
聞こえる沢山の幼いかけ声に土を蹴る軽やかな靴の音が混じる。
程なくして着いたぴかりが丘保育園には、子どもたちの元気が溢れていた。
「保育園からも注文が来るんだな」
「お弁当持参の日で作る時間がない時とか、先生からたまにね」
門から監督役の保育士に声をかけ、ゆうこは弁当を複数入れたビニール袋を取り出した。
「こんにちは、おおもりご飯です。お弁当の配達にあがりました!こちら、お弁当です」
「あら、早かったわね。いつもありがとう。こちらお代金」
「おまけのハニーキャンディ―です。ちゃんと子供たちの分もありますから後で渡してあげてください」
「ありがとう、皆喜ぶわ。あ、たかしくん!オモチャ独り占めにしちゃだめよ!」
出迎えた若い女の保育士はゆうこ達を相手にしながら、子供たちの方を頻りに気にしているようだ。
「お忙しそうですね」
「えぇ、お昼ご飯を食べて皆元気なのよ。私たちも急いでお昼を食べないと」
対応に追われ、昼食を思うように取れずにいる保育士の顔には些かの疲労が見えている。
「あー!にんぎょうげきのおねえちゃんたちだ!!」
最中、一人の園児がゆうこ達を見つけると声を大にして走ってくる。その声を皮切りに遊びまわっていた園児たちが門周辺へと押し寄せる。
「ほんとだー!」
「きょうはなにしにきたの?」
「あそびにきたんでしょ!」
保育士たちの静止も跳ねのけ、しゃにむに集まってくる園児たちにいつのまにか三人は取り囲まれてしまった。
取り留めなく好き好きに言葉を投げかける沢山の児童に圧されて身動きが取れないでいるゆうこ達。
あまりの大人気に一行はタジタジだ。
もう一人の男の保育士が注意を投げかけるが、園児の声にかき消されて終わってしまう。
すると、見かねて施設内から増援にやってきたのは保育園の園長。彼女は若い保育士たちから任を受け取ると、パンパンと強く手を叩いて自身に注目を集めた。
「駄目よ皆、おねえさんとおにいさんは今日は遊びに来たんじゃないの。邪魔しちゃご迷惑よ」
「はーい」
園長の一喝を受けると、園児たちは残念そうな声を並べて再び園の中へ散り散りになっていった。
「すいません!私達が付いておきながらとんだ迷惑を」
「ごめんなさいね。ゆうこちゃん達、町内会のイベントでよく来てくれるじゃない?ほら、人形劇とか。そしたら皆が気にいっちゃったみたいで」
「気にしないでください。子どもは元気なことがお仕事ですから」
園児たちを抑えきれなかった不備を謝る保育士に、何事もなく遊びまわる園児たちを見てゆうこは笑んで言葉を返した。
「園児たちは私が見ておくから、貴方たちはお昼休憩に入ってきなさい」
「でも、園長一人じゃ」
「いいから、任せて。他の先生もすぐに出てこれると思うから」
園長は先に監督していた若い保育士二人を休憩に向かわせようとする。
しかし、幾ら園長と言えど、これだけの人数を相手に一人で面倒を見きれるものだろうか。すると、何かを思いついたのか。めぐみは仕事へ戻ろうとする園長を呼び止めた。
「それなら、園児たちはわたし達に任せてください!保育士さんたちの休憩が終わるまでわたし達がお手伝いしますよ!」
「待てよ、そんな勝手なことをだな」
「二人のお陰でまだ時間に余裕があるから、ちょっとぐらいなら大丈夫だよ」
飛び出ためぐみの癖に呆れ口調の誠司へ被せるようにゆうこは保育園の時計を確認した。
確かに、本来の予定より30分ほど早い。
「でも、園児たちの相手をさせるのは悪いですよ」
「いいじゃない。めぐみちゃん達は町内会のボランティアで園児達とも仲がいいんだし、私も見てるから」
渋る保育士たちだったが、園長の説得が決め手となって休憩へと入っていった。
「せいじにいちゃん、おにごっこしようぜ!そっちがおにね!」
「よーし、いいぜ。俺から逃げられると思うなよ!」
ともあれ、園長の監視のもと児童たちの遊び相手を任された一行。
誠司は、五人の活発な園児たちを相手に鬼ごっこをしていた。両腕を大きく広げると、大ぶりな動きで四方に散らばる子供達を追いかける。
端の方へ目を向けると、ゆうこは砂場の方で女児数人とおままごとに興じていた。
「はい、きょうのごはんですよ。めしあがれ」
「これはこれは美味しそうなご飯ですねぇ。では、早速いただきまーす」
プラスチックのお子様ランチを目の前にして、セットのカトラリーでハンバーグを器用に挟み、口へ運ぶジェスチャーを見せる。もぐもぐと噛みしめ味わう様は、師匠が魅せる手仕草さながらに食卓を囲む女児一同のお腹を響かせた。
「めぐみちゃんはあたしたちとあそぶの!」
「いや、おれたちとひーろーごっこするんだ!」
一方で、言い出しっぺのめぐみは男児と女児に手を引かれ、大岡裁きの真っ最中。
右へ左へ揺さぶられて、ぐるぐると螺旋を描いた瞳が宙をさまよう。
「まっ、待って!一緒にっ。皆で一緒に遊ぼう、ねっ?」
そんな説得も虚しく両者譲らないまま、園長が止めに入るまでヘロヘロに回されていためぐみであった。
30分もすぐに迎え、休憩に入っていた保育士たちが戻り始めていた。
疲労が見えた誠司は児童たちの面倒をプロに任せて、施設内に置かれたテーブルで休息を取ろうとしていた。
「相楽くん、お疲れ様」
「みんな、わんぱくすぎて疲れたぜ」
「ふふふ、そうね」
少し先に戻っていたゆうこ。机を挟んで、その向かいの席へ誠司は腰を下ろした。
「なんだか懐かしいわね。わたし達もよくあんな風に遊んだよね」
「そうだな、それでめぐみの無茶のフォローをさせられたもんだ」
「でも、めぐみちゃんといるときの相楽くん凄く楽しそうだったよ」
「そっ、それは子どもの頃の話だ!まぁ…今だってあいつが危なっかしいのは変わらないけどな」
誠司はバツが悪そうに頬杖をついて外の光景を眺める。当のめぐみは一人で沢山の児童を相手に戦いごっこを繰り広げていた。彼女達の挙動を見る限り子供たちはプリキュアやヒーロー、めぐみはその敵役を演じているようだった。
「あいつもよく体力持つよな。近頃は体力が落ちたって嘆いてたのに」
「それは…ほら、めぐみちゃんも心から楽しんでるから疲れなんて気にならないのよ」
激しく走り回る園児達に囲まれて、向かってくる一人一人に大げさなフリで相手をするめぐみ。その様子に「確かに」とつぶやくと誠司は続けて言った。
「あいつ、意外と保育士とか向いてるんじゃないか」
「あら、そういうことは本人に言ってあげないと」
「うーん…それは俺から言っても仕方ないと思うんだよな。あいつのやりたいことはあいつ自身が見つけないと意味がない。悩んでるなら猶更だ」
「相楽くん、そのことなんだけどね」
問いかけられると、誠司はついていた肘を倒してゆうこの方を見やった。
「めぐみちゃんの悩みって夢のことだけじゃないと思うの。なにか本命の悩みがある気がするの」
「別の悩み…そんなことが分かるのか?」
「うん、ここしばらくの思い詰めてる様子を見てて、そんな風に感じるんだ。そっちは気を遣って話したがらないけど」
言われてみれば。確証はないが、そうとするならばそうともなるかもしれない。自分はフワフワとした印象だが、ゆうこには特別分かることがあるのだろう。
「そこで、相楽くんからそれとなく聞いてみてくれないかな」
「なっ、なんで俺が?大森から聞いても変わらないんじゃないか。俺に言えるなら大森にだって話せるだろ」
「だめよ、相楽くんじゃないと。わたしだと遠慮させちゃうから…」
「そういうものなのか」
「そういうものなんです」
ふふんと微笑んだゆうこに反して、誠司は頭にハテナを浮かべる。すると、空いた間に二人して、部屋の外を見る。すると、庭の方では決着がついたのか。はしゃぐ園児たちの前でめぐみがフラフラと千鳥足を踏んで、その場にゆっくりと倒れ込んでいった。
「楽しそうだな」
「本当にね」
青空の下で、顔に土をつけながらも子供たちと無邪気に笑い合う幼馴染に、二人も口元に笑みを残すのだった。