ハピネスチャージプリキュア!の小説   作:モリ―・ジョニー

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5.出現

 その日は穏やかな夜だった

 暗い空にかかった雲が裂けた間から顔を見せた星々が瞬いては、月が照らす闇へと消えていく。夕方まで窓を焼いていた陽光はすっかり鳴りを潜め、そよ風がマンションの外壁をそっと撫でている。

 

 長風呂を終え濡れた髪の毛を乾かしている時にふと思い立ち、リビングの掃き出し窓を開ける。ルームシューズから足下に置かれているサンダルに履き替えると、パジャマ姿のままでベランダへと出た

 

 夜中のひんやりとした空気はとても爽やかで、吹き抜ける優しい風は体中の熱気を流し去り火照った体に囁かな癒しをくれた。

 深い紺青の空に耳をすませてみれば、気流に運ばれて犬の遠吠えや別の部屋に住む人達の団欒の声が聞こえてきた。断続的に流れてくる音達は虫たちの輪唱のように静かな夜に染み入りなんだか心地が良い。

  

 涼しい風を全身で味わい、楽しそうな笑い声に心を休める。一日を締めくくるにはなんていい夜なんだろう。

  

 そう心の中でしみじみ思うと、今度は手すり壁の埃を払い、そこに腕を乗せてマンション下の光景を見渡した。

 大中小、沢山の家々には白い明かりが灯り、その奥で影達が揺らめいている。カーテンに映しだされる感情豊かなその姿を見ると平和の存在をありありと実感する。

 民家の隙間から覗く道路に目をやれば仕事帰りのサラリーマンが街灯を頼りにくたびれた足取りで帰宅路を急いでいるのが見えた。向かいのマンションを通して見えるビル街は忙しなく輝き続け、夜中の10時だというのに眠ることを知らないみたいだ。

  

 きっと、あそこで働いている人達にも家に帰れば出迎えてくれる家族がいて、その人たちの為にこんな遅くまで頑張っているんだろうな。

 

 そんなこの街に生きる人たちの愛ある営みを感じるだけで、どんなことがあっても頑張ってみようと勇気が湧いてくる。道行く全ての人に大切な物があり、無数の影の一人一人にもかけがえのない人生がある。そういった沢山の暮らしが交差する中で家族や出会えた友達と優しさを分け合いながら生きている。そう考えるとそれだけで何だかとても幸運に思えて幸せな気持ちで満たされる。

 だから、マンションのベランダから見えるこの景色が好きだ。だから、平和な日常が当たり前に溢れているぴかりが丘の街が大好きなんだ。

 

 小さい頃から抱いていたその気持ちがより強くなったのはプリキュアとしての活動によるものが大きいのかもしれない。

 

 今から二年前の一月。中学二年生に昇級したばかりのある日、ひめとあたしは友達になり、そしてあたしはプリキュアになった。

 人々の為に幻影帝国と戦うテレビの中の彼女たちに憧れるだけだったあたしが正義の戦士の仲間入りを果たしたのだ。

 

 それからは驚きの連続だった。地球の神様ブルーと出会ったり、幼なじみのゆうゆうがキュアハニーだったことが判明したり。巷で噂のキュアフォーチュンの正体が同じ学校のいおなちゃんだったり。それはもう人生観が百八十度変わるようなことの詰め合わせって感じで。

 

 その中には辛い出来事も沢山あった。

 いおなちゃんのお姉さんのまりあさんを巡ったいおなちゃんとひめの確執。ミラージュさんがブルーを想うからこそ、その気持ちが憎悪に変わってしまったこと。レッドの自分の星を失った悲しみが地球への怒りになったこと。

 そして、あたしと誠司も……。

 

 だけど、そんな辛い憎しみ達を乗り越えてお互いを分かり合えたからこそ誰にも脅かされない平和を掴み取ることができたんだと思う。

 

 それからブルーが地球を去り、移りゆく時の中であたし達は三年生になった。そして、時間に追われる日々を過ごしていく内に季節はどんどん変わっていって十六回目の冬も終わりが見えてきた。 

 

 その中であたしはどれだけ変われたんだろうか。このところそんなことがふと頭を過ぎる。

 この一年でやってきたことと言えば受験勉強だけ。人より勉強のできないあたしには目の前の問題と向き合うのに精一杯で、他に何かをする余裕は無かった。その甲斐あって志望校には合格は出来たけれど、受験が終わり目標を失ったあたしは毎日をただ無闇に生きているだけで……。

 

「ねぇ、わたしはこれからどうしたらいいのかな」

 

 手の中の愛の結晶に話しかけてみる。もちろん、返事が返って来ることはなくただ月明かりを反射してキラキラと神秘的に光っているだけだった。だけど、それでもよかった。とにかく今は何かに向かってボヤいてみたい。そんな気分だったから。

 

「わたし、これから先不安なんだ。高校生活も上手くやって行けるか分からないし。それに……お母さんの体調も気になってさ。最近は調子いいみたいだけどいつ病気の具合が悪くなるか、とか色々考えてると怖くてさ」

 

 お母さんは生まれつき身体が弱く、不治の病に侵されていた。現代医学ではあまり解明されてないその病気は症状はそこまで重たくないけど毎日たくさんの薬を飲んでいたり激しい運動ができなかったり、あたしは生まれたときから多くの制限の中で生きているお母さんの姿を見てきた。

 

 そんなお母さんが去年の夏に急にデパートで受付スタッフのパートをしたいと相談してきた。その時、もちろんあたしは反対した。体力を使わない仕事だとは言え、万が一のこともあるかもわからない。それにお母さんが働く必要があるほど生活に困っているようにも思えなかった。

 

 お父さんも心配していてはいたけれど、結局お母さんの意思を尊重してしまった。かかりつけのお医者さんからも無理をしなければ問題はないという話は聞いている。確かに今の今まで何かが起こった訳でもないけど、それでも気が気でいられない。

 

 突然の心変わりに思い当たる節があるとすれば、あたしの高校の学費ぐらい。志望校のぴかりが丘高校は市内でも有名な私立の進学校だから、中学校の時よりも相応にお金がかかる。金銭面を考えれば公立高校に行った方が負担が少ないというのは誰でもわかることだ。

 

 明確な志望理由があったわけじゃない。進路相談では進学や就職に有利だからと建前を言ったけど、本当は両親からぴかりが丘高校が良い母校だったと薦められたからというのと、そこへ進学する友達が多かったからというのが概ねの理由。進学先に悩んでいたところへ理由を与えられたから易々と選んでしまった。

 

 それだけにその無責任の責任を果たすためにこれまで受験勉強に必要以上にのめりこんできた。その分、この先どう生きていけばいいのか。全くヴィジョンがない。

 

 ひめたちがこの一年間で夢を持った中であたしだけが宙ぶらりんのまま、ただ迫る時間を前に立ち止まっている。

 

「なんて、今日は妙にセンチメンタルだな。あたし」

 

 めぐみは夜空を背景に独り言ちた。自身の悩みすらもぴかりが丘の風は優しく吸収してくれる。解き放った弱音が誰の元にも届いていないことを願った。

 

「そんな恰好でベランダに居たんじゃ風邪ひくぞ」 

 

「うひゃあ!!?誠司!」

 

 隣から聞こえてきた馴染のある声に静かな町に叫び声がこだまする。自分の世界に浸っていためぐみの心臓は喉から飛び出そうなほどに一気に脈動し始めた。気が付けば、中に大量の衣服の入った洗濯籠を両手に抱え、相良誠司が隣のベランダに立っていた。

 

「そこでなにしてるの!?てか、いつから?」

 

「なにって、洗濯物を干しに。来たのはたった今」

 

「そ、そうなの……」

 

 そう言いながら誠司はベランダの天井から吊るされた物干しざおにバスタオルをかける。そして、縮こまった白い布地を左右に十分に広げ上から下へとしわを入念に伸ばした。置かれた洗濯籠を見るに洗濯をしたというのは疑いようがないその口ぶりからしても今入ってきたばかりというのも間違いはないだろう。一先ず、めぐみはうるさい心臓を落ち着かせることに務めた。

 

「そこまで驚くことないだろ?そっちこそなにしてたんだよ」

 

「あ、あたしはお風呂上りでちょっと暑かったから涼んでただけ……」

 

 嘘はついていない。そうめぐみは自身に言い聞かせないとすぐぼろが出てしまいそうで怖かった。

 

「そんなことよりさ!誠司は今週末予定空いてる?」

 

「土日は特に何もないけど、どうしたんだよいきなり?」

 

 あまりにも不自然な話題の転換に眉をしかめる誠司。それを更に誤魔化す勢いでめぐみは続けた。

 

「じゃあさ、今週の日曜日一緒にお茶会しようよ!!最近あまり遊べてなかったでしょ。だから、卒業前の息抜きみたいな感じで!!どう……かな?」

 

「べ、別にいいけど。それってあの、だから、つまり……」

 

 しどろもどろになる口調を何を連想しているのか、誠司の顔の血流が促進される。しかし、めぐみはその反応に気づいていないようだ。

 

「来れるの?良かったー、皆も喜ぶよ!せっかく久しぶりに集まるのに一人欠けるのは嫌だもんね!場所と時間は追って知らせるよ!」

 

「あぁ……そういうことか。あぁ、もちろん、いいぜ」

 

 誠司は一人何かを期待していた自分の間違いを瞬時に悟る。気恥ずかしさを飲み込むと赤くなった顔を見せないように洗濯物へと打ち込んだ。めぐみもなんとか追及を免れたことで幾分か余裕を持ったことから、すっ飛んでいった心の平静を手繰り寄せるようにゆっくりと大きく鼻から空気を取り入れる。

 

 二人が互いに別種の動揺を鎮めていると、僅かにどちらも喋らない時間が流れた。その間、めぐみは何となく必死に衣服を干している誠司の横顔を見ていた。太い眉の下で映えるキリっとした眼、日光によって培われた薄褐色の肌から活発的な印象を受けるが、一人親の母を支えるために家事手伝いをしながら妹の面倒も見ている中々どうして出来た漢である。幼馴染ながらめぐみが彼から教えられることも少なくない。

 自身に伸びている視線に気づくと、誠司はまたほんのり顔を赤く染めた。

 

「な、なんだよ」

 

「別に、なんでも」

 

 戸惑う誠司に笑みを混じらせ曖昧に返した。釈然としない感覚を持ちながら洗濯物を干し終えると、誠司は洗濯籠を脇に抱えて窓の取っ手に指をかける。

 

「お前もそろそろ中に入れよ。週末までに体壊してお前が休んだんじゃ元も子もないからな」

 

「うん、もう少ししたら戻るよ」

 

「あっ、そうだ、これ」

 

 誠司は家の中に手を伸ばし、近くに置いていたらしい一つの本を差し出した。色褪せた赤地の表紙には入試対策という言葉が露骨なほどに強調されており、ボロボロのページを大量の付箋がカラフルに彩っている。

 ぴかりが丘高校と書かれたその分厚い本は先ほどまでめぐみが汗だくになって探していた参考書だった。

 

「あぁ、それ探してたの!なんで誠司が持ってるの!?」

 

「この間、お前が分からない部分があるって言うから教えてやったときに忘れていったんだよ」

 

「通りで見つからなかったわけだよ!ありがとう誠司!」

 

 めぐみは繋がったベランダを区切る鉄柵の上から参考書を受け取った。喜ぶめぐみの姿とは対照的に誠司は少し浮かない顔をしていた。

 

「あんまり、根詰めすぎるなよ。卒業するまでの少しの間ぐらい力抜いたって誰も文句言わないぞ」

 

 最後にそれだけ言うと誠司は家の中へ入って行った。

 

 あたしにそんな余裕があるのかな……

 

 脳裏を無粋な考えが過った。

 

「めぐみー、体冷えるわよ。もう部屋に入りなさい」

 

 居間にいるお母さんがあたしを呼ぶ声が聞こえる。自分が上がったあと間もなくお風呂に入ったお母さんが出てきたとなれば大分長い時間ベランダにいたことになる。言われてみれば芯から温まっていた体の熱はすっかり収まり、肌寒ささえ感じた。暖かくなってきたとはいえ二月の夜はまだまだ冷えるみたいだ。

 

「はーい、今戻りまーす!」

 

 めぐみは後ろを振り返り母に宣言すると、最後に街並みを一目して白い息と一緒に静かに呟いた。

 

「卒業かぁ……」

 

 そして、ありふれた絶景に名残惜しさを感じつつ足早にベランダから家の中へと入っていった。

 

 ベランダの窓がピシャリと音を立てて閉められた時、それは現れた。空を切り取るように小さな黒雲。その中で怪しく光る双眸は母と談笑するめぐみに視線を向けていた。

 夜の静けさに溶け込むように空間へ闇を落とす不穏な影。ただ黙して漂う異様なそれは街が朝の白光に包まれる頃、その姿を跡形もなく消していた。

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