未だに読んでくださっている皆様には感謝に耐えません。
勝手ながら、何卒今後ともよろしくお願いいたします。
出撃を控えた『ユキカゼ』では、早速私の指揮の下で猛訓練が始まった。
元々『ユキカゼは』は、先の『第一次火星沖海戦』以来、長期にわたって続いた警備、護衛任務によって、損耗箇所が多くなっており、これの修理と、一部兵装の改装の為に内地へ帰投していたものであり、これらは私の着任時点で既に完了していた。
その間、戦力の立て直しの為、艤装以来のベテラン乗組員の約半数が他艦へと異動し、補充された新しい乗組員たちは、その多くが未だに戦闘航海の経験がない若者たちだった。
当然ながら、技量練度の向上及び古参乗組員たちとの擦り合わせは急務である。
が、これにはかなりの制約がある。
地球に停泊している宇宙艦は、水上艦の出動訓練のように、「ちょいとそこまで」と気軽には宇宙に出られない為、必然的に行える訓練はドックに固定された艦上での限られた内容となる。
”陸に上がった河童”というわけである。
しかも、『ユキカゼ』のランチウィンドウ―――嘗てほど厳密ではないが、安全上、効率上の観点から未だに使用されている―――までは後10日。しかも、その内物資の搭載やら、最終点検やらで2日は掛かるから、訓練は実質1週間ほどしかできない。
練度が整わないうちに前線に投入された艦の運命を嫌という程に知っている身として、心もとないこと甚だしい。これはよほど褌を締めて掛からねばとんでもないことになると思った。
そしてその日から、昼夜を問わない、火の吹くような猛訓練を実施した。
特に応急訓練、救助訓練、戦闘訓練といった、謂わば艦の最も基本となる部署訓練は徹底的に鍛え上げるべく、乗組員たちは常に第一~第三の戦闘・哨戒配備で過ごし、更には、早いうちに宇宙に順応するために、上陸休養も返上して、その時間を地上の訓練施設を使用しての訓練に充てた。
この間、私は現場の細かい訓練指導については四名の幹部に任せ、あまり口出ししなかった。
これは、私の前世からのやり方であるが、とかく何かにつけて口やかましい指揮官というのは、却って兵隊には嫌われるものである。
艦長職にあって、各班長の仕事に際し細かく口出しをするということは、すなわち部下に委せられない、信頼できないと言っているようなものだからだ。
これでは各班長をして能力を十分に発揮させることができず、把握もできない為、艦内の専門化・分業の特徴を自ら殺してしまうことになる。
―――「じゃあビシバシやるから、部下たちの統率はよろしく頼むぞ」
着任時に古代先任にこう言ったが、男の仕事というのは一度委せたからにはあれこれと指図してはいけない。
軍人というのは命じ命ぜられて動くものだが、それだけでは戦には勝てない。
委せろと口にしたからにはおよそ思いつく限りの最上の結果を挙げなければならないし、委せたからには何かあった場合の全責任を負う覚悟で信じなければならない。
また、こうした指揮官としての心得とは別に、私自身の錬磨の為という現実的な理由もある。
指揮官としては何回も死を覚悟した修羅場をくぐってきた―――実際に一度死んだが―――と自負している私だが、宇宙軍人としてはまるっきり初めてで、現時点での『ユキカゼ』に於いて知識、経験が最も不足している。
確かに、半年間に渡って術科学校で講習を受けたし、シミュレーターでも好成績を叩き出せるようにはなったが、所詮は失敗したところで自分も部下も死ぬことのない、云わば”宇宙戦争ごっこ”をやっただけだ。
これからは違う。実戦場を駆け回る『ユキカゼ』乗組員二十四名の命を預かる身となるのだ。
いくら部下に仕事を委すべしとは言え、不勉強で、仕事内容も部下の状態も把握せず、ただ目くら印を押すだけの艦長に、いったい誰が命を預けるであろうか。
私は、口をほとんど出さない代わりに、身体はどんどん酷使した。
訓練中は早朝から夜間まで常に先頭に立つように心がけ、時には戦闘訓練中に応急の為と称して前触れなく電源を切ったり、防火訓練の想定にあえて仮眠中の部屋を入れて、消火剤を噴霧させたりと意地悪をすることもあった。
訓練後の各班長からの報告の際には、幾つか質問するようにし(口出しに非ず)、先任士官に任せることの多い夜間巡検も自ら行うようにした。
こうすることで、各班長がどの様に指導しているのか、乗組員達がどの様に作業をしているのか、どのように機械を取り扱っているのか分かる。
他にも、部署表、艦橋要表、規則類の確認など、やることは山ほどあって寝る間もない。
幸いなことに乗組員たちは、そんな私の姿勢を”率先垂範”と見てくれて、
「艦長を見ろ、何時も真っ先に先頭に立ってるんだぞ、お前たち若いんだから、艦長に負けるな」
と、へばりそうになる新乗組員を叱咤激励していた。
幹部士官四名もそれぞれ様相は異なるが、皆仕事熱心な良い監督者だった。
小松崎船務長は、規律厳正。部下から煙たがられることも恐れずにビシビシと強く指導する「叱責型」。
藤川航海長は、機敏で明朗闊達。部下の長所を褒めて、やる気を出させる「煽て型」。
石黒機関長は、口下手で、切れ味もいい方ではないが、黙々コツコツと自身のやるべきことをやって部下を納得させる「行動型」だ。
そして中でも、彼らの取り纏め役とも言うべき古代守先任士官の統率力は、目を見張るものがあった。
何事か有った際に艦の責任を負うのは私だが、実質、艦や部下の状態を把握しているのは先任士官である彼である。
長田前艦長から太鼓判を押されていただけあって、その仕事ぶりは確かであり、私が知っているようなことは何でも知っていた。
私の補佐も献身的かつ公正で、例えば、日々の訓練報告でも、見たまま、聞いたままの状況を正確に報告し、自身の意見や解釈は私から質問するか、「意見具申します」と先に述べたうえで行った。おかげで私としては艦内情報を客観的なものと主観的なものを分けて、正しく把握することができた。
軍人に限らず、報・連・相は社会人の常識と思われるが、実は意外とできない人間の方が多いのである。
その反面、必要だということになると、私ですら驚くような行動力を発揮することがあった。
実は、先に述べた地上を活用した訓練の言いだしっぺは私ではない。
それは、軌道護衛総司令部から艦に戻り、幹部四名と出撃前の行動方針について協議した時である。
私は、当面は技量の練度向上が我々に課せられた最も重要な任務であり、かつ過酷なものになるということを強調した上で、幹部四名の意見を求めた。
最初に口火を切ったのは小松崎船務長で、彼は訓練期間中の乗組員の上陸、すなわち休日を全て返上して訓練を行う他はないと主張した。
「現在の艦の状態ですと、少なくとも倍は訓練を行わなければ、技量上不安と言わざるを得ません」
これに最初に反論を述べたのは藤川航海長である。
「確かに訓練を濃くすれば技量は上がりますけど、陸上じゃできることが限られてますし、出撃前に単調にやりすぎると却って意気が上がらんように思いますけど」
続いてベテランの石黒機関長もやや慎重な意見を述べる。
「乗組員たちの多くは夜になると上陸する習慣が付いてしまっている。陸地に繋がったままでは、訓練に身が入らん」
一般市民からすれば「何を寝言言ってる!?」と思われるだろうが、私の経験上、陸地に停泊している際、夜になると上陸したくなるのは、船乗りの習性ともいうべきもので、どうしても意識は散ってしまう。
反面、訓練地に行くとこれも習性で、一切の煩悩を断ち切って、充分に訓練に専念することができる。
水上艦は訓練の際、ほぼ確実に海上に出て行き、停泊訓練時も沖合に錨を入れることが多いが、その理由の一つには陸地と縁を切るためというのが挙げられる。
しかし、先ほども言ったように宇宙艦ではランチウィンドウまでは地上と完全に縁を切ることはできない。
私が黙って考え込んでいると、古代先任が口を開いた。
「訓練はやってなんぼ。だったらここはやるに限る。しかし、航海長の言う通り艦上ではできる訓練に限りがあるし、缶詰めでは乗組員も気が参る。そこでだ、艦上では配置教育や防火訓練をやると同時に、地上施設でのシミュレーターを使わせてもらって艦外作業を想定した訓練を行えば、訓練の内容も増えるし、ある程度は乗組員の気晴らしにもなると思う」
一同がなるほどと頷く。
私も、これは考えていなかった。
ついこの間までシミュレーターで訓練をしていた私だが、それは他に実技の訓練を行う術がなかったからで、元々前世ではそんな便利なシミュレーターは無かったし、「勤務、運用術、航海術ニ関スルモノヲ主トシ、海上勤務ノ基礎ヲ確立スルヲ本旨」とする帝国海軍流実務教育を受け、その後、長く海上艦隊勤務を経験した私にとって、訓練とは艦上、海上といった現場で行うのが常識であり、陸上施設で行う訓練というのは陸戦隊を別にすれば、学校までの物だという固定観念があったからだ。
民間でも、自動車運転の教習を受ける際、シミュレーターを使用するのと、実際に運転するのでは感覚が全く異なり、シミュレーター使用でむしろ運転感覚が狂いそうになるということに覚えのある人は多いはずだ。
実地に勝る訓練無しというのは、何時の時代でも常識であるが、実は宇宙では、これがそうでもないのである。
これには、200年以上に渡る宇宙飛行の歴史が関わってくる。
まだ、人類が宇宙にやっと進出し始めた頃、世界でも2桁ほどしかいなかった宇宙飛行士たちは、陸、海、空で働く人たちと異なり、簡単には自分たちの居るべき場所―――宇宙に出ることができなかった。
宇宙という人類にとって最も広大で、最も未知の空間に出るには様々な制約があった為に、宇宙飛行士はまず宇宙に出るために訓練を行わなければならず、それらの訓練地は地上であった。
そこで宇宙に出るための条件をクリアした後、早ければ一年、遅ければ十何年に一回の割合で、やっと宇宙船に乗り組むことができたのである。
海の船乗りにとっての艦が、日頃の”食う寝るところに住むところ”であったのに対し、宇宙飛行士にとっての宇宙船は、宇宙に出るときだけの乗り物に過ぎなかったのである。
そんな宇宙飛行士たちが、自分の乗る宇宙船よりもずっと長く操作する地上の訓練設備が、より現実に近い、所謂”リアリティー”のあるものに進歩していくことは至極当然のことであった。
現在、宇宙船のシミュレーターは、疑似的ではあるが無重力を想定した訓練すら可能となっており、こと地上の重力下にあっては、むしろ艦上で行う訓練の方が”畳の上の水練”になってしまうほどになっている。
「しかし、許可が取れますか? 地上の訓練施設はどこも一杯で、そう余裕はないと思いますが……」
小松崎船務長が言うと、古代先任は事も無げに、
「取ってみせるさ。艦長、私は早速土方長官に直談判しようと思いますが、よろしいですか」
そう宣った。
これには他の三人の顔が”ギョッ”としたものになった。
私も正直ビックリしたのだが、同時に”そいつは面白い”と思い、
「よし、じゃあ俺も行くか」
と同行することにした。
古代先任は意表を突かれた顔をしたが、すぐに”我が意を得たり”とばかりに微笑んだ。
我々は善は急げと早速に車を飛ばして、軌道護衛総司令部へ乗り込んだ。
総司令部では古代先任が、基地内のシミュレーターを優先的に使用させてほしいという要望と、その必要性を強く説いたが、司令部の幕僚達はやれ割り当てがどうの、規定がどうのと言って渋い顔をしている。
私は初めは黙って両者の応酬を見ていたが、段々と腹が立ってきて、つい一言。
「赤ん坊にいきなりエスプレー(所謂大人の遊び)させるつもりか」
と、ぶちかましてしまった。
この少々下世話な例えに幕僚達は元より古代先任も呆然としてしまったが、幸いなことに土方長官が、やや唇を吊り上げながら、
「そうだな、まずは大人にならねばな」
と、乗組員の大半が新人の状態で近く出撃しなければならない我々の立場を理解してくれて、シミュレーターの優先使用を許可してくれた。
「あれは無いでしょう、艦長」
帰り際に可笑しくなったのか、古代先任が笑いながらそう言ってきた。
「良いんだよ、お堅いのにはあんなもんで」
私は鼻で笑って、そう返した。
そもそも私からすれば、いきなり直談判をしようと言い出した古代先任にこそ驚きだ。
そのことを指摘すると、
「必要なことですからね。一々順番に話を通していられませんよ」
とのことだった。
古代先任の言動は、平時であれば組織人として問題あるものだが、非常事態の現場指揮官としては正しい姿勢だ。
それを迷いなく発言し、かつ実践できる人間というのは稀であると言える。
私自身、前世の鎮海要港部先任参謀だった時代に歯に衣着せぬ意見具申を繰り返して、司令官や参謀長にうるさがられた経験があるから、その難しさはよく分かっているつもりだ。
それだけに、古代先任のそうした姿勢は、私には好ましいものとして映った。
惜しむらくは古代先任はまだ青く、真っ直ぐすぎたことだろうか。少なくともこの頃は屁理屈が少し苦手だったように思う。
「まっ、何かあっても今回は俺持ちだ。次からはお前もあれぐらい言ってやれ」
私は、そう言ってアドバイス(?)したものだった。
さて、実際にこれを訓練日課に取り入れたところ、乗組員たちにはとても喜ばれ、おかげで艦内の空気も良くなり、一人の違反者も表立って不平を言うものもなかった。
しかも副産物として、富士山麓基地の宇宙訓練指導隊の協力を得られたことも大きかった。
これは、軍艦の乗員に対する訓練の指導、並びにそれらに必要な調査・研究等を専門に行う部隊で、各術科におけるベテランの士官、宙曹が配員されている。
本来は連合宇宙艦隊の所属であるが、当時は一時的に軌道護衛総隊の指揮下にあり、土方長官の配慮で『ユキカゼ』への指導に入ってくれたのである。
訓練の内容及び成果が向上したことは言うまでもない。
また、これ以来、私は古代先任他の部下達から多少は受け入れられたように思う。
ともあれ、短期間ではあったが、訓練を通して、私を含めた皆がこれからの戦いの厳しさをよく自覚し、効果は目に見えて上がっていった。
始めた頃は、消灯からの総員配置に一分近く掛かっていたものが、二十秒弱に短縮され、何とか及第点までいった。
後は、実際に動いての襲撃訓練やら、僚艦との運動訓練などがあるが、それは月で第一軌道護衛艦隊と合流してからとなる。
今にして思えば、少し厳しかったかなと思うし、彼らは私のやり方に驚いたであろうが、厳しい訓練は、案外彼らにとっても望む所だったのかもしれない。
――――――――――
古代守と言えば、出撃前にもう一つ心に残っていることがある。
一週間の訓練終了後、『ユキカゼ』では最終的な点検と、燃料、物資の積み込み作業が行われた。
昔であれば、これらの為に我々は熱病的に忙しくなるのだが、現在の宇宙艦艇では”イプシロン”と呼ばれる自動化システムがあり、発進の為に必要な点検作業はほとんどコンピューターが行うことになっている。
また、物資の方も多くは軍需部の方でやってくれる為、我々はその最終チェックを行うだけでよい。
つまり、我々は短い時間ではあるが、やることの無い状態となったのである。
「おい先任。今日から乗組員に半分ずつ臨時上陸を許してやろう」
私がそう言うと、古代先任は意外そうな顔をした。残りの期間は教育や整備に充てるのだと思っていたのだろう。
「よろしいのですか?」
「ずっと缶詰めだったしな。命の洗濯をさせてやろう」
―――明日は無い命だものな。とは言わなかったが、古代先任は察したのかもしれない。それ以上は意見をすることもなく、乗組員に通達した。
極東管区における宇宙軍人の上陸制度は、帝国海軍のそれとほぼ同じである。
即ち宙曹・宙士の上陸は、平日は午後五時から明朝七時。土日祭日は午前八時三十分から明朝七時三十分の時間で行われ、前者は宙曹の1/2、宙士の1/4が上陸、後者は曹士共に半数が上陸する(昔はそれぞれ入湯上陸、半舷上陸といった)。
ちなみに准尉以上の幹部に関しては、当直に就いている者を除き、基本的に自由である。
規則というものは、尉官以上の幹部が作るものであるから、必然的に幹部たちに都合のよいものとなる。
それはともかく、これ以外に所属長(この場合は艦長のこと)の判断で許可する臨時上陸というものがあって、これは規則で定められているものとは別に十二時間以内の上陸を許すものである。
この日は平日であったので、私が許可したのはこの臨時上陸ということになる。
この知らせに乗組員一同、喜ぶまいことか。
「ややっ! 鬼艦長、中々話が分かるじゃねぇか」
などと言いながら―――やはりこの頃は多少恨まれていたのである―――喜んで上陸していった。今も昔も変わらぬ船乗りの性である。
かくいう私も、初日は折り悪く当直だった古代先任を除く三幹部を引き連れて上陸し、御殿場まで繰り出した。
富士山麓からほど近い位置に在る御殿場は、昔から帝国陸軍の演習場があった街で、富士山麓に宇宙軍基地が置かれてからは、帝国海軍に於ける呉や横須賀同様に宇宙軍港都市という面も加わり、地上軍を含めて市全体の1/2近くの土地が防衛関連に利用されている街である。
当然、街中にはそうした軍人向けの料亭や大衆酒場も多い。
極東管区への遊星爆弾の着弾が未だ無かった当時、活気に溢れていた御殿場で我々は出撃前の幹部壮行会と銘打って、大いに飲み明かした―――ちなみに私の奢りである。
そして翌日は、改めて古代先任へ埋め合わせをと考えていたのだが、生憎と古代先任は私用で上陸してしまったため、私は一人横須賀まで足を延ばすことにした。
極東管区・富士山麓宇宙軍基地から東京を中心とした首都圏、及び関東、東海の各要所には、地下に兵員輸送用の鉄道や直通道路が網の目のように張り巡らされており、いずれも最長でも30分と掛からず到着できるというから驚きだ。
前世、私の知る限りで最も早かった鉄道―――超特急『燕』が東京~静岡間に掛かった時間が約170分だったことを思えば、隔絶の感がある。
―――いや、違うのはそれだけじゃないな……。
今も昔も海軍の要衝である横須賀。しかしその光景は私の記憶にあるものとは大きく異なっていた。
地面は完全にコンクリートで舗装されているし、立ち並ぶ建物はすべて金属やらコンクリート製のメタリックな建築物。道行く車は電子制御付きの電気自動車で、排気ガスを出すガソリン車や路面電車は見当たらない。道を歩く人たちも100%洋服姿で、着物を着ている者など男女合わせて一人もいない。
思えば月面で目覚めて以来、自身の状態の把握やら、術科学校や『ユキカゼ』の訓練やらで忙しく、昔日の感傷に浸っている暇など無かったが、こうしてゆっくりと見慣れたはずの街の違いを見て回ると、否応なしに250年の時代の移り変わりを意識せざるを得なかった。
―――この艦と一緒。ということになるのかな?
横須賀に保存されている記念艦『三笠』を見ながらそんなことを考える。
私の記憶にある『三笠』はこんなに綺麗ではなかったし、東郷元帥の銅像もなかった。何よりも、『大和』の砲弾まで展示されているのには驚かされた―――実は直に見るのはこれが初めてである―――が、それでも250年という月日の中で、記憶との相違が一番少ない場所であった。
二十世紀に起こった二つの戦争に於いて戦った二隻の”連合艦隊旗艦”も、今はこうして伝説となり、静かに余生を送るのみとなっている。
―――ならば、俺は何なのだろうか?
人は元より、こうした艦や建物でさえ一部を除いて全て消え去り、過去と化している現代。そこにただ一人存在しているわが身を思い、柄にもなくおセンチな気持ちになってしまう。
懐かしさに惹かれて訪れた横須賀だったが、これは失敗だったかな。
そう思い、帰ろうかと思った時だった。
「艦長ではないですか?」
不意に声を掛けられ、顔を向けると私服姿の古代守が立っていた。
「おぅ何だ、古代か」
今はお互い軍服を脱いでいるから”先任”ではなく、”古代”と呼んだ。
「何してるんだ、こんな所で」
「実家から艦に戻る途中ですよ」
「あっ、そうか。三浦だったな、お前」
確か人事調書の出身地にそう書かれていたな、と思い出しながら言うと、間違っていなかったようで「えぇ」と返された。
「艦長こそどうしたんです?」
古代先任からの問いに、さっきまで感傷に浸っていたということが少し気恥ずかしくなる。
「あー、ちょっとこいつを見にな」
歯切れ悪くそういうと、古代先任は少し意外そうな顔をする。
「奇遇ですね、僕もこの艦を見に来たんです」
「ふーん。好きなのか、こういうのが」
私は別に意外とは思わなかった。
舞台が違うとはいえ軍艦乗りである者は、こういった昔の軍艦が好みであるものは多いし、それが高じて軍人になるというケースも少なくない。
「好き、というよりは憧れとか羨ましい、という奴ですかね」
「うん?」
しかし、この答えは予想外でちょっと難しい。
「いえ、艦の持つ潮気と言いますか、この艦はコンピューターなんてなしに、人の手で動かされてきた艦でしょう。僕たちは何でもコンピューターに向かってばかりで、本来船乗りの持つべきシーマンシップを忘れがちですからね、そうならないように、こうして時々見に来ているんです」
私は驚いた。彼の言うことは私の抱いていた不満そのものだったからだ。
前世の私の乗った軍艦と現在の軍艦に於いて、その立つ舞台を別格として違いを挙げれば、コンピューターによる制御が一番大きい。
前世の艦長というものは、電探や無電、肉眼での見張りの報告が次々と注ぎ込まれる、謂わば”艦の頭脳”であり、そこから咄嗟にはじき出される判断が命令となった。
それは勿論、頭の早い回転を必要とする大変なものだが、自身の手足の如く自由自在に艦を動かす爽快感と責任を強く感じることができたものだ。
対して宇宙艦に於いては、これらの困難さは多くがコンピューターによって肩代わりされ、艦長任務は随分と楽になっている。
無論それは悪いことではないし、必要なことでもあるのだが、私が気になるのは何でもかんでもコンピューターが優先して、人間の持つ所謂シーマンシップが軽視されつつある風潮である。
簡単な例でいうと、現代の戦闘に於いては敵味方の発見、識別、目標の優先順位、攻撃武器の選定等を全てコンピューターに任せて、人間はコンソール前に座って、ゲームでもするように盤面を操作していればよいということになる。したがって、盤面のコンソール操作が上手い反面、マニュアルでの操艦や運用作業となると苦手という者が出てくるようになり、事実そうした士官は多い。
私自身、術科学校でのシミュレーターと、『ユキカゼ』着任後に小松崎船務長達から実際の機器で、宇宙艦のシステムを学んできたが、便利だと思う反面、
「潮気が抜けちまう」
という危惧を抱いた。
無論、そんな昭和の海軍頭など、場違いのアナクロイズムであることは、重々、頭では分かっているのだが、それでも私は仮にも船乗りとして些かの寂しさを感じずにはいられなかった。
そこへ来て、この二十二世紀の時代、しかもずっと若い者に「シーマンシップを忘れたくない」等という時代錯誤がいるのかと思うと嬉しくなった―――実はそれほど時代錯誤でもないことを、私が知るのはもう少し後になってからである―――。
「うん、そうだな、その通りだ。シーマンシップ、やはり忘れちゃいかんよな」
時代と共に人は変わる、物も変わる。しかし反面、こうして古いモノから学ぼうとする者もいる。
―――そうだな、自分が何なのかなんて考えない方がいい。
今この場に存在する『三笠』が消え失せた無価値な存在でないように、私にも存在する意義は必ずあるはずだ。
まずは飛び込んでみることだ。
そう思った時、私は先ほどまでのやや沈んだ気持ちが軽くなるのを感じた。
「よし古代、俺に付いてこい。今日は貴様に酒を指導してやる」
「えっ、しかし時間が」
「いいから付いてこい、俺が奢る」
とりあえずは、突然機嫌を良くした私にやや呆気に取られた古代先任を、半ば強引に引き連れ、飲みに行くことにした。
私が『三笠』を見たのはこれが最後となった。
程なく遊星爆弾によって破壊される運命が待っていた。
――――――――――
明けた1月18日。いよいよ出港の日を迎えた。
天候は晴れ。絶好の日和である。
「出港準備」
航空機のコクピットのような『ユキカゼ』艦橋の中央で、私はこの時代初めてとなる出港の号令を掛けた。
同時に艦内各所で出航の為の最終作業が始まり、やがて次々と「出港準備完了」の報告が上がってくる。
「機関室、配置につきました」
「レーダー並びに通信システム感度良好、異常なし」
「射撃管制システム、異常なし」
「航法システム、異常なし」
「艦内全機構異常なし。エネルギー正常」
「艦長、出港準備全てよし」
「艦長了解。発進ゲート開け」
私が命じると、『ユキカゼ』の艦体を乗せたカタパルトが発射口に向けて動き出す。
”サードゲートオープン、サードゲートオープン”
地下格納庫に管制のアナウンスが響きわたる。
余談だが、極東管区宇宙軍人の間では第四ドックが圧倒的人気を誇っているのだが、その理由が発進時に”フォースゲートオープン”というアナウンスを聞きたいからだそうだ。
古代先任曰く「燃える」とのことだが、私にはよくわからない。
「別にそんな違いは無いだろ」
と言ったら、その場にいた全員から「わかっちゃいないな~」という顔をされた。何故だろう?
「大気圏内エンジン(ジェットエンジン)発動、20秒前」
そんなことを考えている間にもプロセスは進み、機関室から報告が上がる。
次元波動エンジンが登場するまでの国連宇宙海軍艦艇は、大気圏内ではジェットエンジン。宇宙空間ではイオン推進で飛行する二重構造になっていた。
カタパルトが地上に向けて上昇するのと同調して、漆黒の天井部分が細く割れて、青い空が見えてくる。
富士山麓の上双子山、下双子山の間に巧妙にカムフラージュされた発射口が開かれる。
「出航よォーい、舫い放てー」
私の号令で『ユキカゼ』を固定していたロック(正式にはガントリーロックと言うのだが、海軍思想の表れとして舫いと呼ばれる)が解除される。
同時に壁面の誘導ランプが青に変わり、”All Right”のアナウンスが響く。この間、一分足らずである。
「機関発動。『ユキカゼ』発進‼」
いよいよ発進―――。
「って艦長、座ってください‼」
「え?」と聞き返す間もなく、エンジンに点火した『ユキカゼ』が、発射口から勢いよく飛び出した。
それと同時に私の身体は思いっきり後ろに吹っ飛び、艦長席に腰から打ち付けられた。
―――しまった。つい立ったままで指揮していたか⁉
宇宙艦艇が、緊急発進を想定して電磁カタパルトを使用しての急加速で発進するということを、興奮と昔からの立ち癖が相まってうっかり失念していたのだ。
しかし、こうなっては加速が落ち着くまで今の姿勢で踏ん張るしかない。
幸い、その状態は5分もしないうちに落ち着いたが、少し腰が痛い。
「艦長、大丈夫ですか?」
「あー、まあな」
すぐ傍にいた古代先任の言葉に、私は死にそうに恥ずかしく思いながら答えた。
「艦長、地球大気圏離脱します」
平静を装っているが藤川航海長、笑いを堪えているのがバレバレである。
「第二宇宙速度に切り替えろ」
そう命じて私は艦長席に座った。
大チョンボだ。間違いなく部下たちの絶好の話題になるだろう。語り継がれなければ良いが。
私は、気を取り直そうと窓の外を見た。
窓の外の地球は相変わらず見惚れる程に美しい。
だが、よくよく見れば一部には赤い部分もある。噂の遊星爆弾の着弾後だろう。
否応なしに地球が汚されているのが分かってしまう光景だ。
「~~~♪」
そんな中で突然、私の耳に歌声が入ってきた。
宇宙船乗りの歌―――『銀河航路』だ。
顔を向けると、古代先任が自分の席で何処を見るともなく独唱していた。
その歌は自然と他の乗組員も習って歌い始め、何時しか狭い艦橋内に合唱となって響き渡った。
私にとってはこの時代に来て初めて聞く歌だったが、不思議と言い知れぬ懐かしさを覚えると同時に、身体の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じる。舞台が違うとはいえ、船乗りとしての血がそうさせるのだろうか。
改めて艦橋を見廻す。
私―――否、今この目に映る全員が故郷である地球を守るために命を張っているのだ。少しばかり抜けたスタートとなったが、その役割に徹しなければならない。
―――よぉし、この艦でどれだけやれるかは解らないが、俺は十分に使いこなしてみせるぞ。
ふと古代先任を見れば、私に向かって意味ありげに笑っている。
気を使ってもらったのだと気付いて、少し照れくさくなった私もまた、その合唱に参加した。
合唱は漆黒の宇宙へと溶けていくのだった。