推奨BGM:『逆光』(FGO第二部OP)もしくは『DAYBREAK FRONTLINE』(原曲:Orangestar)
玄関から扉が開く音がした。
宿題をしていた私は握っていた鉛筆を置いて、玄関へと小走りで向かう。
玄関で靴を脱いでいたお母さんにそのままの勢いで抱き付くと、お母さんはびっくりした顔をしてすぐに仕方ないなぁと言いたげに表情を綻ばせる。
伸ばされた手が私の頭をゆっくりと撫ぜる。その感触に思わず口角が上がり、抱き付く力がさらに籠る。
ふと、お母さんを見上げると目線が合う。娘である私とよく似た輪郭と色合いのお母さんがこう口にする。
『アイ、愛しているわ』
────ああ、これは夢だ。夢を見ている。明晰夢、とかいう奴だろうか。
なんてヒドイ夢だろう。なんて残酷な夢だろう。
お母さんは、そんな風に私を撫でてくれなかった。お母さんは、こんな風に私に笑いかけてはくれなかった。
『愛してる』って言葉だって、言われた状況はこんな夢の中のようなものではない。
私のことを怒鳴ったり、叩いたり、すぐ近くにお酒の瓶やガラスの灰皿を投げつけてきたり。
ひとしきり暴れて怒鳴って眠って、目が覚めて落ち着いたら私に泣いて謝って縋ってようやく絞り出すような言葉だった。
私にとって『愛』とはそういうものだった。それが幼い私にとってお母さんから貰える唯一の『愛』だった。
でも、それがもらえる日は、もう来ないのだろう。
…………本当は、
でも、本当に、来てほしかった。
痛いのも苦しいのも、お腹が空いてひもじいのも嫌だけど我慢できるから。今までされたひどいことも、謝ってくれたら許してあげるから。
お母さんは私のことを迎えに来てくれるって信じていたかった。…………私はお母さんに捨てられたんじゃないって、思っていたかった。
そんな私の
怖かった。他の子達が『宝石のようだ』と口にする、彼の『青』は私にとっては底知れないモノだった。
怖かった。彼のなんの衒いのない
嘘を見破られたことで背を這うゾクゾクとした恐れと何処からか感じる悦び、その奥にある醜くて見窄らしい本心まで見透かされたような羞恥が、今の今まで溜め込んできた感情を爆発させた。
苦しい。
悲しい。
寂しい。
虚しい。
つらい。
気持ち悪い。
うるさい。
ウザい。
嫌い。
どうして。
もうヤダ。
言葉にすればそんな感情がぐちゃぐちゃに混じり合って、ドロドロに溶けあって、いっそ見事なくらいに醜悪な
こんな理不尽な怒りを突きつけてやればきっと彼も怒るだろう。突き飛ばされるかもしれないと思いつつも、それでもいいやと心のどこかで投げやりに彼に掴みかかった。
でも、彼は拒絶するどころか、掴みかかった私をそのまま抱き止めてくれた。
最初は抵抗したけれど痛いくらいに抱きしめられて、諦めと共に怒りは疑問へと変わっていく。
どうしてこんなに優しくしてくれるの?
どうしてお母さんは私を迎えに来てくれないの?
どうして貴方はこんな
真っ直ぐに私を見つめる青い瞳が、まるで我が事のように苦しげに歪む。それでも目を逸らさずに彼は私の質問に一つ一つ答えてくれた。
だからだろうか。私は彼に『愛』とは何か、と問いかけた。
『それは多分────君のお母さんも含めて誰もわからない。というか、正解なんてない、かな』
『誰かに向ける『愛』。自分に向ける『愛』。世界を溺れさせても余るほどの『愛』。世界を焼き尽くしても足りない『愛』。『愛』しているのに玩び、『愛』していても周囲と比べあって。『愛』すればこそより豪華にと望み、『愛』するからそれを証明したくて、『愛』しいからこそ全部背負い込む』
『それだけじゃない。憎しみが、怒りが、悔いが、苦しみが、嘆きが混ざることもある。『愛』は何時だって、誰であれ、同じものは一つもない。だから──』
『──『愛』を説明する言葉に、正解はきっとないんだ』
────帰ってきた応えは、続く言葉は、私にはあまりに衝撃的だった。
……そんなことない。正解は、答えは、あるに決まっている。きっときっと、あんなにも真っ直ぐ、
そんな私の甘えを断つように彼は続ける。
『それは、見出すものなんだ。『愛』に正解がない以上、君が、君自身の思いを通して見つけ出さなくちゃダメだ』
……それを聞いて、諦めが心を覆う。私は嘘をつくのに慣れていた。慣れ過ぎてしまっていた。
考えるより先に、その場の空気に沿った言葉が口をつく。もう自分でどこからがウソで、どこまでがホントのこと言ってるか、分からないようになってしまっていた。
そんな私を────彼は、自分と同じだと言った。
下手な嘘だと思った。優しい彼が私を慰めるための方便だと。だって、私は見ていたからわかるのだ。
真面目な彼。優しい君。青空のように、晴れ渡る笑顔を見せる貴方を、私はずっとずっと目で追いかけてた。
だから────見つめ合った時に貴方の言うことが、本当のことだってわかってしまった。
身長差から僅かに私が見上げる形になったことで影となる彼の目元、翳る青い瞳────その奥に、私は『満天の星』を垣間見た。
あまりに深い、全ての光を吞むような暗闇の中、ちりばめられた宝石のような星が無数に瞬く。
こうして見つめ合うだけでもわかる。どう数えてみても百は下らない星々が、闇に負けじと強く弱く、細く太く、赤く青く白く黄色く、時として流星のように奔り、多様多彩の輝きを放つ。
(────────────すごく、綺麗)
息を呑むほどに、思考を手放してしまうほどに、先ほどまでの激情を忘れてしまうほどに。私は只、その
そうして理解した。これほどの
『──最後に、愛じゃないけど夢のある話をしよう』
最後に告げられたのは、まさに今見ている夢のような荒唐無稽な与太話。
あんまりにも都合がいい。今日日、アニメや漫画だってそこまで安直ではない。使い古され誰もが結末を知る劇か、映画のエンディングのようだ。
…………………………でも、
『だから────いつか、君は『愛』を理解できるよ。俺はそう信じてるし、そう信じていたい』
…………良いのかな?
今見ている夢のように都合がよくても、彼が語ってくれた夢のような言葉を、信じてもいいのかな?
私は────お母さんのことを嫌いにならないままで、いいのかな?
夢の中で私を撫でていてくれた母の手が止まり、離れていくのと同時に、夢が輪郭を無くしてぼやけていく。
思うより先に、反射的に手を伸ばす。綺麗な、でもだからこそ悲しく寂しく寒々しい、しかしほんのり温かくなる夢を無くさないようギュッと抱え込む。
抱え込んでしばらくすると、蛍の光のように小さくなった夢からじんわりと両手に温もりが移っていく。
その温かさに安心を覚えた私は、ゆるゆると微睡みの中に落ちて行った。
「…………ん、ぅ?」
どこからか聞こえる鳥の鳴き声と夜が明けたばかりの薄明りによって眠りから目を覚ますと、伸ばせば手が届く位置に昨夜、私を呼び出した件の彼の寝顔があった。
しょぼつく瞼をこすりながら周りに目をやれば、そこはいつもの寝室とは別の部屋。……ガラス棚の中と消毒液の残り香から察するに、医務室のようだ。
私も彼も昨夜の寝巻のまま。私はベッドで彼の手を抱きしめるように寝ていて、彼はその脇で片手を枕にしながら膝をついて眠っている。
「…………………………あ」
外の窓に目をやれば太陽が少しずつ、夜闇を照らし消し去っていく。
完全に日が昇り切るまでのわずかな時間にだけ見れる────星空と青空が交じった空模様にしばし目を奪われた。
そばで眠る彼、その瞳と同じ色合い。
「…………ん、しょ」
彼の片手を握ったまま、そちらへと身体を寄せる。少しだけ寝顔がよく見える位置に体を横たえると、指先で彼の目じりを、かかる黒髪を撫でる。
「…………早く、起きないかな」
彼の瞳が見たくなった。昨夜まではあれほど避けていた彼の眼差しが、欲しい。
目が覚めた時の彼の瞳は青空と星空、どちらの色をしているだろう。そう思うと、胸の奥がキュゥッとした。この、さっきまで見ていた夢のぬくもりと寂しさとは違う、切なさと手と胸の奥から全身にじわじわ広がる『熱』は何だろうか。
────この『熱』の正体が、知りたい。
「……ね。君は、知ってるのかな?」
もし知っているのなら、教えてほしい。教えてくれなくとも、私が気づくまで側にいてほしいと思うのは何故なんだろう。
そんなことを思っていると、彼が寝言を口にする。
「んぅ、…………マ、シュ……?」
「? ……マシュ、マロ?」
何故かお菓子の名前が出てきた。意外と食い意地が張って……………………いや、なんか違う。
なんというか、すごく親しみと優しさと寂しさと────とにかくそういうのが混じった声音である。
…………………………………………………………何故か、妙に腹が立ったので軽く彼のほっぺたを引っ張ってみる。
「………………う、うぅ」
「…………ふふっ」
むにー、と引っ張ると意外とよく伸びる。眉根を寄せてイヤイヤするように顔を動かす姿が可愛いらしく、少し溜飲も下がったので離してあげた。
すると、体勢が体勢だから眠りが浅かったのか。「ん、んん…………?」と瞼をシパシパと瞬かせながら、彼が上体を起こす。
「…………………………………………」
「…………おはよ」
「…………………………………………ハ」
「『ハ』?」
「────────―ハッッッックシュンっ!!!!!」
「フッハハハハハハハハハハハハハ!」
「……………………ッ!」
「何嗤ってんだコノヤロウ」と表情で語る彼は、腹を抱えて大笑いし続ける先生を睨む。しかし、ベッドから起き上がることなく、顔を赤らめて寝転がっていた。
宿直室にいた医務室の先生(この人家から通ってなかったっけ?)を呼びに行き、彼は軽く診察を受けた。診断結果は風邪。
どうやら私の涙でびしょびしょになったTシャツを着たまま、ベッドにも入らずに眠る私の傍にいてくれたらしい。……申し訳ないと思うと同時に、傍を離れずにいてくれたことがうれしくて自然と口角が上がりそうになる。
「ヒィー、ヒィィィー……! っ、ん゛ん゛っ! ────ふぅ。いや、悪かった。まさか君がそこまで馬鹿正直──違った、紳士だとは思わなくてねゴフゥッww」
「隠せてない隠せてない。先生、全然隠せてないよ」
彼の傍から離れづらかった私はお見舞い代表という名目で、そのまま医務室に居座り彼の看病をしている。と言っても、話し相手をするとか、汗を拭いてあげるくらいしかできないし、それも先生がいれば必要ないのだが。
なお、先生は私の看病の申し出に、それはもうニッコニコの笑顔で了承してくれた。……よく彼が『胡散臭い』と言っていたけど、確かに何か企んでそうな笑顔だった。これは胡散臭い。
「おっと、今日はこれから会議があるのでちょっと席を外さなければ。星野くん、彼のことをよろしくね?」
「ハーイ!」
そう言って先生は医務室を出て行った。私は彼が寝ているベッドの傍に椅子を置いて座る。
二人きりだ、と思うと何となく心が弾む。
「星野さんも部屋に戻って。うつっちゃうよ?」
「よろしくお願いされたので、絶対に戻りませんっ」
ニッコリ笑って彼からのお願いを却下する。若干顔を引きつらせる彼だったが、観念したのか苦笑して上体を起こす。
「……ありがとう」
「…………ううん、私こそ。ありがとう、藤……えっと…………「立香」…………え?」
「俺の名前。『藤丸立香』だから、『立香』でいいよ」
「…………立香?」
「うん」
「立香」
「なに?」
「……えへへ」
「?」
「フフ、なーんでもない。私も『アイ』でいいよ?」
「そっか。それじゃあ────────アイ」
────ああ、もう。名前で呼ばれただけなのに、なんでこんなに嬉しいのかなぁ?
それはまさに花がほころぶような笑顔だったと、のちに立香は写真を見ながら言っていた。
……………………………………………………アレ? それ誰が撮ったの? え、先生? どうやって? 隠しカメラ? 色々カスタムした結果、云十万の最高峰画質? うーん、完全にギルティだね。いずれお礼(参り)に行こうね。私も手伝うよ。