その舞台裏では何が起こっていたのかーー。
時は遡り、4日前。
航空偵察機「瀬戸」が領空侵犯した対価として入手した情報は、即座に外務省・国防省・情報省に送られた。三省で一時解析を終えたのちには、その他の省庁と大統領府・内閣府官邸、それに各国の外務省や国防省に通達される。
なお、日英同盟締結75周年の記念式典は中止されサッチャー首相以下、イギリス政府要人は横須賀の空母打撃群と共に帰国の途についていた。ハワイまでは紅玉艦隊が、その後はアメリカ太平洋艦隊が護衛の任に就くことに加え、イギリス本土までの道のりは急拵えの通信設備で大体は把握できていたため、彼らが国に帰れなくなる心配はなかった。
各国政府や研究機関で収集・分析された情報を基に、各国では閣僚級緊急対策会談が開催され、日本政府においても内閣の主要閣僚が大統領府官邸の大会議室に集まっていた。
日本国 大統領府官邸 大会議室
「ーーこの写真から推察するに、この飛行生物を人が操作し付近の陸地には都市クラスの街が存在していたことを考えると、偵察及び戦闘活動に生物を使用した我々の常識の範疇を超えた文明が存在していると思われます。それ以上の情報は、今回の写真のみでは国防省として分析できませんでした」
「それだけの情報が得られただけでも十分だと思います。今回の偵察は危険の孕んだものでした。あれ以上の偵察敢行はその後の外交に影響を与える可能性もあり、私としては危険な任務を行なってくれた国防省には感謝しています」
海軍軍令部総長である高野がモニターをタブレットで操作して、先日「瀬戸」が撮影した写真をモニターを通して、閣僚たちに掲示した。また各々の机には紙の資料も置かれており、閣僚たちはモニターと資料に目線を行き来させている。
高野の後に口を開いた清貧党の若手議員の1人であり、海外協力庁長官を務める安倍晋三郎の労いの言葉を否定する閣僚はいなかった。
「「瀬戸」が撮影した写真を各省庁、大学機関、及び専門機関で分析した結果、飛行生物……いや、ワイバーンと呼称しましょう。そのワイバーンは、時速230km前後で飛ぶ飛行生物で、羽ばたくことで旋回したり推進力を生み出していると考えられます。我々の身近な生物としては鳥が最も近い生物でしょうな」
文部科学大臣にあたる人的資源開発大臣を務め、賢議院議員でもある新渡戸洋介が高野に変わってモニターにグラフや参考資料を表示して説明する。日米英仏加の研究機関と各国の大学教授らで構成された専門チームが作成したもので監修を賢議院が担当しており、信頼のおける情報としてこの会議にも使用されている。
「賢議院内では、政府に提言するために国際政治学者らによる特別研究チームが分析を行いました。その結果、彼らが我々に気づき、数体のワイバーンで「瀬戸」を迎撃しようとしたことを推定しますと、地上には集落ないし国家が存在し我々を脅威と考え迎撃しようとしたとの結論に至りました」
地球世界とは異なる世界の国家との接触ーー、この事実に閣僚たちも騒然となる。
「この場合、我々は既に他国の領空を無許可に侵犯しておりますので、彼らとの意思疎通は困難を極める可能性もあります。無論、他国と協調する道を選び発見した大陸には関与しない方針を取ることも、1つの外交方針です。ですが、この未開拓の世界で我々だけで生きていくことも茨の道であり、加えて新たな資源や技術を入手できる可能性もあります。学術面から見て、孤立主義的な外交よりも積極的な関係構築を目指すべきと進言します」
「私からも一つ宜しいですかな?」
新戸部の説明が終わり席に着いたのを見計らって閣僚席から一人の男が手を挙げた。膨よかな体格に蝶ネクタイをつけた老紳士。巷では、その体格から巷では「ダルマさん」と呼ばれ親しまれている高橋洋治大蔵大臣である。
「新戸部さんは外交関係の観点から述べられていますが、国家財政の観点からも接触を早急に行うべきと考えます。現在、国内経済及び世界経済は危機的状況にあります。各国の迅速な指示による早急な株式売買の停止と市場の一時閉鎖により多少の混乱は防がれましたが、いずれは各国とも経済活動を再開させなくてはなりません。そうなれば待っているのは先行き不安による株の売り注文の大量発生とそれに誘発される株価の暴落、史上類を見ない最悪クラスのデフレ、そしてそれによって引き起こされる世界的金融危機です」
転移時、西郷総理の命令で株式市場は緊急閉鎖された。だが、数々の異常事態に市場は混乱しており、新帝国興信所以下株式市場の株価は下落することがほぼ確定だ。
「恐らく、それは1929年の世界恐慌すら凌駕する落ち込みになります。そうなれば、過去の大陸進出のような強硬派の台頭をも許すことになりましょう。この機会は、そんな経済不安の原因を少しでも解消できるチャンスが今なのであります。私も新戸部大臣の方針に賛成です」
国家の財布を預かる大蔵大臣を務める高橋は何よりも株式の暴落と、それによって引き起こされる金融危機、1929年の世界恐慌に匹敵するような最悪の恐慌が起きる事を何よりも警戒していた。
市場が再開した暁には瞬く間にそれが現実味を帯びてくる。日本の財政状況を改善させるためにも、外国との関係構築は必須と大蔵省内で結論づけており高橋もこの認識だった。
「コホン。我が国の食糧事象についてですが、安心していただいて大丈夫です。ジオフロント化した農業センターは現在も正常に稼働中ですし、畜産業に関しても同じくジオフロント化している全国各地の酪農施設に異常ありません。漁業については、一部栽培漁業施設が消えていまいましたが、国民生活に支障をきたすほどの影響はありません。例え、孤立無縁になったとしても十二分にやっていける量は賄えております」
高橋の発言後、一呼吸置いて発言したのは、高橋の隣に座るホワイトスーツに身を包んだ女性。金髪に紺色の瞳をしたゲルマンの血を引く日系ドイツ3世であり、京都帝国大学地政学部教授の愛娘である吉田マルガレーテ環境型生産大臣だ。
日本国内の食料自給率が異常に低いことを懸念していた大高弥三郎内閣は、日本列島のジオフロント化を計画しており、第三次世界大戦後には国連、東方エルサレム共和国、東シベリア共和国の協力で世界初のジオフロントが箱根に作られた。
これを皮切りに全国各地にジオフロントが誕生し、その広大な地下空間を利用した大規模農場・牧場によって、日本の食料事情は大幅に改善されていた。そのため、心配事も少なく会議に出席する閣僚の中では、彼女が一番冷静でもあった。
「環境型生産大臣は気楽だな。だが、そうは言ってられない。現在我が国の貿易は完全にストップしていて、内需経済に切り替えたとしても輸出関連企業を中心に大幅な減益が予想される。また、我が国の経済の主体である輸出部門が麻痺すれば、それこそ農業分野にいたるまで日本経済全体に悪影響が波及する。加えて国際線は運休、日本周辺海域の船舶の航行も制限されている。既に市場が混乱している今、貿易問題は解決すべき喫緊の課題だ。工業型生産大臣としても新戸部大臣の方針に異論はありません」
日本の内需経済や、対外貿易、エネルギー、インフラなど日本産業の主要生命線である産業・生活インフラ分野を統括する工業型生産省の大臣である池田勇人工業型生産大臣も新戸部の意見に賛成する意向を見せた。
実力主義の議員たちが多い国会の中で、数少ない世襲議員の家の生まれである池田は実力派の議員たちに侮られないよう、人一倍努力を怠らないエリートだ。また優秀人材の取り合いから環境型生産大臣を務めるマルガレーテとは気が合いにくく、互いに憎まれ口を叩き合う仲でもある。
「うーむ、池田大臣の言うことも一理あるな。確かに内需経済でも賄える部分もあるが、我が国は貿易重視の経済政策を取ってきた。その取引先が大幅に減り数カ国になった現状は、憂慮せざるを得んだろう」
「失業問題もネックになりますからね。経済が停滞すれば、その分失業者も増えます。無論、こちらでもセーフティーネットは展開しますが、その分の負担は大蔵省に予算増加を頼むことになります」
「それは困りますぞ、加藤大臣。この上、社会保障費の負担は我が国の財政を悪化させます」
「だからこそ、国交開設は急務ですな。大統領並びに総理はどうお考えなのでしょうか?」
伊藤是清副総理兼産業府長官、加藤聖美労働大臣の発言の後、会議の流れを黙って見ていた大高並びに西郷の意見を聞くべく、閣僚全員の視線が彼らに向く。
「私も皆さんと同意見です。外交・国防については大統領にお任せしておりますが、内政の面から見ても、閉鎖的な外交政策よりも積極的に活路を開いた方がメリットが多いように感じます。無論、先の領空侵犯が相手の怒りを買っている部分があり、場合によっては戦争に巻き込まれる可能性もあります。それでも、私は中長期的な国益の点から見て積極的に海外進出を行うべきと考えます」
内政を預かる西郷総理の発言が終わった後、意見を述べていなかった他の閣僚も意見を述べる中、全員が外交関係構築に賛成の意を示した。
「総理、各大臣諸君の忌憚なき意見に感謝します。私としましても、この機会は他国との交流を図る上で逃すわけにはいかないと考えております。我が国を始め米国や英国が同様の謎の減現象により転移しているという事態はいまだに信じられませんが、事実として受け入れなくてはなりません」
大高の言葉の後、大会議室のテレビモニターが切り替わり、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、アイルランド、東方エルサレムの首脳陣がモニターに現れる。各国首脳が姿を現した段階で大高は言葉を続けた。
「今回の異常事態に不幸にも巻き込まれた各国の首脳陣皆様。我が国は積極的外交を展開すべきと考えます。我々が経験した謎の現象、そして地球ではないこの世界は今までの我々の常識は通じない部分も多いと考えられます。それに我々の偵察行動が該当国に脅威を与えてるやもしれません。
しかし、平和を愛する志を持つ我々は彼の国との誤解を解くためにも膝を付き合わせて話し合いを行う覚悟です。この機会に際しまして、皆さんのご意見を頂戴したいと存じます」
緊急会談の提案者である大高がイニシアチブを握り会議を司会する。彼の発言の後に最初にマイクのスイッチを入れたのはアメリカだ。シチュエーションルームに缶詰めになっているリーガンの目には疲れの色が見え隠れしているが、本人はそれでも合衆国という超大国の威厳を示すべく気丈に振る舞った。
『ミスターオオタカ。合衆国としても日本の方針に異議はない。我々としても、周辺地域とのコンタクトは最優先にすべきと考えている。今、元の世界との連絡が閉ざされ各国が孤立無援に陥っている中、何としてでも隣国との交流を持つべきという考えは、私や国務長官も同じだ。後に長官から詳しく報告させるが、国務省に対して使節団を送るよう指示しており、今日中にも彼らをそちらに送ることが可能だ』
『イギリス政府も日本政府と同意見です。最早、異世界に我々が転移したという事実は受け入れるべきであって、各国との連絡が取れない状況においては、転移国家同士のブロック外交ではなく、積極的外交姿勢を打ち出すべきです。オオタカ大統領、我々も使節団の派遣用意を整えます』
『フランスとしても、貴国の主張に同意だ。積極的に対外政策を進め、市場開放を促し双方が大きな利益を得られるよう努力することが後々の為にも必要だろう。それに平和的に他国に影響力を持つこともできるはずだ。外務省としても早急に使節団に派遣する外務官僚を選定し、そちらに送ることを確約しよう』
『我々、カナダ連邦政府としましても特に異論はありません。孤立主義は2世紀も前の古い考え方です。加えて、我々は国ごと別惑星に転移するという前代未聞の事態に陥っている。ここで孤立主義を貫き通せば、いざという時に他国からの協力が得にくくなります。積極的な外交姿勢を見せることで何かしらの利益は得ることができるでしょう』
リーガンに続けて、フランスのミッテラン、英国にいるウォルポールと空母内の作戦司令室にいるサッチャー、カナダのマクミランは大高の意見に賛同の意を示した。
この会議の前に開催された日米英仏加による緊急外相会談の中で、日本、アメリカ、イギリス、カナダは周辺地域への積極的アプローチに乗り出すことで一致したが、フランスのみはその姿勢に当初は消極的であった。三度にわたる世界大戦で本土が戦場となったフランスは、再び海外へ進出した歳に戦争へ巻き込まれることに対する忌避感があったからだった。しかし、木戸、イギリス外務・連邦大臣であるアイザック・ディズレーリ、アメリカ国務長官のジェームズ・ローディ、そしてカナダ外務大臣のメアリー・ゴールドの説得によってフランスも方針転換をし、最終的に日本の提案に同意した。
第三次世界大戦後、世界平和を牽引してきた大国の方針に頷いた大高は、続いて他国にも同様の質問を行なった。
『アイルランド政府も日本国の提案には賛成です。しかし我々の文明がこの星の文明よりも優っていた場合に、超大国の棍棒外交や隣人の帝国主義的外交を行わないようくれぐれも注意願いたいものですな』
アイルランド首相の立場上、複雑な対英感情を抱えているゴスグレイヴは、外交を行う際に前時代的な外交手段を取らないように3カ国、特に米英に対し忠告する。自身の祖国が欧州帝国に踏み躙られたこと、またその前のアイルランド共和国時代には大英帝国時代の植民地支配を受けていたことなどからの経験だった。
『エルサレム共和国政府としても特に異論はない。即座に外交関係を構築することは良いことであり、寧ろ推奨していくべきだ』
永世中立国である東方エルサレム共和国の大統領を務めるアルベルト・ロッペンも大高の提案に賛成する。最も、世界有数の親日国であり大高の祖父である大高弥三郎の計画の一環で建国された東方エルサレム共和国が、日本政府の提案に反対したことは滅多になかったが。
基本的に中立の立場をとる東方エルサレム共和国であるが、国際組織の会議などでは日本寄りの態度をとることが多かった。
会議の末、大高の案に全関係国の承認が得られたことで、各国は先に日本が発見した大陸に7カ国合同で使節を送ることを確認し、早急に各国が大使を送ることで合意することになる。
尚、異世界転移に伴い国際連合や国際的な枠組みの大改革も行われ、旧G20に変わる転移した各国を集めた新G7発足や、国際連合について加盟国の大幅減少に伴い、国連総会や国連安全保障理事会の再編成が国連で行われ、異世界各国の国連加盟の手続きを容易にする緊急法案が総会や安保理で可決されるなど大幅な変更も行われた。
関係閣僚会議兼
盟友である高野や木戸、内政を担当している西郷が彼の私的な招きを受け閣僚会議解散後に彼の執務室を訪れた際には、執務椅子に座りながら目を閉じる大高の疲れた姿があったほどだ。
3人は顔を合わせると、静かに執務室を退室しようとドアに向かったが、大高はその気配に気付くとハッと起き上がる。
「これは失礼しました。大統領、お疲れでしょう。久しぶりにこちらに戻られたようですし、公邸に戻られては?」
「いやはや、失礼な所をお見せしてしまって申し訳ない。ですが、私にもまだこれほどの仕事が残っておりますからな。君たちが頑張ってくれているのに、私だけ休むわけにはいきません。まま、どうぞ」
大高は入室した三人に座るよう促し、彼らが応接セット用の肘掛けソファに座ると大高も彼らと向き合うように対面のソファに座る。
大高の顔に、連日の対応で疲れの色が浮かんでいるのを見た西郷は話の前に彼の体調を案ずる。
「大高先生、本当に大丈夫ですか?転移現象に遭遇して以降、殆ど休まず政務に邁進しておられると聞きます。少しはお休みになられても誰も文句は言いませんよ。代わりの執務は我々が務めますから」
「美雨ちゃんーー西郷総理の気持ちには感謝しかないよ。だけど、休んではいられない。このような前例ない事態に、国家のトップが休んでいい時間などないからね。
ーー私が気を緩めば、不測の事態に対応できなくなります。『天災は忘れた頃にやって来る』と言うように、最悪の事態は気が抜けている時にやって来るものです。西郷総理や高野総長、木戸大臣達こそ、連日の激務の中このような時間を設けてくれたことに感謝します」
「何を仰いますか。大統領のお望みとあらば、即座に駆けつけます」
「ははは。そのお気持ち、有り難く受け取っておきましょう」
執務室にいるのは大高、高野、木戸、西郷の四人だけ。秘書も退室させた空間の中で、彼らはざっくらばんに話す。
「この度の事件、大統領はどう考えられますか?」
「そうですな。異世界転移……まるで夢物語のようです。国家が時空を超えて別の時間軸に存在する、我々は本来の時間軸上には存在しない異質な存在。以前から議論されてきた4次元世界がこんな形で証明されるとは……おっと失礼。話が逸れましたな」
異世界転移してきたことで、空気の汚染物質が減少し清潔な空気に包まれる瑞穂の官公庁街を眺めながら大高は静かに言った。
「正直、隣国との国交を樹立することができるのか。いや、それ以前に国交樹立のための交渉の席につけるか。これを私は危惧しています。我々の偵察行動がかえって裏目にでて国交樹立ができなかった場合、無資源国である我々は他国の援助なしには干上がりになってしまいます」
「その件については我々から素直に頭を下げて詫びるしかないでしょう。彼らは国を守るための自衛権を行使したまで、むしろ他国に土足で踏み入った我々が今回は悪なのですから。我々がかつて本土空襲を試みた米超爆B-30、独超重爆ヨルムンガンドの本土空爆に対して攻撃を行ったように」
「ですな。彼らが我々の謝罪を素直に受け取ってくれることを願いたいものです。木戸くん、ここからが正念場です。頼みますぞ」
日本国外務大臣で大高の右腕として活躍している木戸は後世第二次世界大戦で外務大臣として活躍した木戸孝義の孫である人物だった。
外務畑の彼を外務大臣として起用していた事は本当に運が良く、大高としても微かな自信があった。
「お任せください。必ずや国交樹立という成果を勝ち取り、亡国の危機を回避いたします。既に各国との情報交換によって万全な体制を整えており、あとは使節団の到着を待つのみです」
大高は高野の早い仕事ぶりに感謝しつつ交渉の無事成功を静かに祈る。
「賽は投げられました。あとはどのように転ぶのか。平和に物事が進むことを望むばかりです」
これから巻き起こる騒乱に巻き込まれるとはいざ知らず立秋を過ぎ暦の上では秋だがまだまだ夏の蒸し暑い空気が居座る瑞穂の街を、西に傾いた太陽が照らす夕日が包み込んでいた。
日本視点でお送りしました。
次回は国交開設に向けての交渉のお話になると思います。
みなさんお待ちかね、対ロウリア戦争まではもう少しお待ちください。
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