旅をしたいのに周りが許してくれない!   作:どこにでもいる名無し

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姫子の場合

 

「おーい姫子〜。一緒に飲もうぜ」

 

 個室に繋がる扉を叩く、生じたコンコンと響く音とは別にウェクトルは内心覚悟していた。

 姫子とは、この星穹列車の主人とも言える人物だ。学者としての道を歩み、この列車と共に群星の旅をしている。

 余談ではあるが、姫子は別の世界にも存在している。パラレルワールドというのとは少し違うが、違う宇宙の姫子は学者にはならず、父の死の真相を追う一人の戦士として人類の大敵『崩壊』と最後まで戦い続け、そして最後には大切な生徒を守るためにその命を散らした。

 ウェクトルはそんな別の姫子とも面識はあったが、それも過去の話。今となってはどうしようもない話だ。

 

 閑話休題。

 以前の話でウェクトルはヴェルトとの賭けで負けた事により罰ゲームとして姫子のコーヒーを飲まなければならない。

 はっきり言うと姫子のコーヒーはクソ不味い。時折り列車内の人に飲まないか誘う姿を見ることはあるが、誘われた側はその度に言い訳としか思えない断り方で去っていくまでがテンプレだ。

 飲む人もいるが、それは精神修行の一環として扱われる始末。いずれにせよまともな物ではない。それを承知しているウェクトルの内心は穏やかではなかった。

 

 少しの時間を経て、扉が開かれれば赤髪の美女が現れる。彼女こそが姫子、例の人物だ。

 

「あら、珍しいわね。あなたから珈琲の誘いなんて」

 

「いやー、ちょっとした息抜きで飲みたくなってなー?アハハ」

 

 もちろん、嘘である。

 この男、無理に己を騙そうとしている。彼女の作る物はどれも「食べられる」ではなく「口にできる」程度しかない。彼も昔、自分は例外だと言わんばかりに姫子の料理を口にしたことがあったが、口にした後の記憶がなくなったことから彼女の料理は本物だと恐怖した。姫子の飯マズ適性はそれだけのものだということだ。

 故に背中は冷汗でいっぱいなのだが…それはどうでもいいことだ。

 

「で、どうだ?お取り込み中だったらやめるけど」

 

「いいえ、ちょうど暇してたの。よかったら上がってちょうだい」

 

 内心、タイミングが悪ければそのまま無かったことに…なんて浅ましい考えを持っていたがどうやらそんなことはなく。むしろこうして誘ってくれる人がいてご満悦な様子の姫子に彼の口は引き攣りかける。

 

「おじゃまします…って、すごいな。書物だらけだ」

 

「学者の身である以上、学はいくら身につけても足りないものよ」

 

「へー…なんか、感慨深いな」

 

 別の世界の姫子を知っているからこそ自然と出た言葉。目の前にいる姫子にはわからないことだろうが、戦場で命を捨てた彼女に思いを馳せる彼からはどこか哀愁を感じる。

 

「さてと、ちなみにコーヒーはいつできる?」

 

「そうね、30分もすれば出来上がるわ」

 

「へー…それは楽しみだ」

 

 もちろん嘘である。この男失礼にも(オレの命もあと30分か…)なんて人のコーヒーをあたかも殺人兵器のような扱いをしている。失礼千万とは正にこの事である。

 そんなことはつゆ知らず姫子は文書を読み漁っていた。そこに伴う動作は優雅で、余裕を感じさせる。他とは違う佇まいは見ていて圧巻の一言だ。

 

「そういえばこの前、ベクターと一緒に歴戦余韻に挑戦したよ」

 

「ふふ、また引き摺り回されたのかしら?」

 

「残念だけど…その通りだよ。あの子はオレを乱暴に扱う節がある」

 

「出会った時からそうだったものね。同族だと思われてるのかしら」

 

「同族ってそんな…まぁ、昔はスラム街でゴミ漁って生活してた時もあったからなぁ。その匂いが今でも付いてるのかもしれない」

 

 遠い昔の話を懐かしそうに語る彼を姫子は微笑みながら聞き役に徹する。そこに流れる時間は在りし日の憧憬に近く、それがどれだけ遠い存在で、他人の空似だとしても、二人の関係は変わらないのだと示されているようだった。

 

 そして、その時は来た。

 

「…あっそろそろね」

 

(死刑宣告かな?)

 

 30分とは実にあっという間だ。友との会話の中であればそれも尚更。心の準備はこの部屋に入る前にしたというのに、まだ彼の中にはしこりが残っている。

 過去の例では、歴戦の英雄ですら火を吹かせ、その意識を消し飛ばしたことのある人間が作る飲み物。別人だが、本質はどこまでも同一人物。何もいうまい。今のウェクトルは菩薩の如く、全てを受け入れる精神を得ようとコーヒーが出されるまでの限りある短い時間の中で己を研ぎ澄ませていた。

 

「待たせたわね。お待ちかねのコーヒーよ」

 

「…いえ。待ってなどおりませんよご婦人」

 

「急に変わったわね。どうしたのかしら?」

 

「いやちょっと、許容の精神を得ようとね…?」

 

「…?まぁいいわ。さっ一緒に飲みましょ」

 

「…うん」

 

 提供されたコーヒーを眺める。見た目は至って普通。ぼこぼこと何故かガスを排出しているわけでもなければ、中に異物が混入されているわけでもないどこまでも普通のコーヒー。

 生唾を飲み込んで、意を決したウェクトルはカップの取って部分に手をかける。

 

(逝くぞ)

 

 行くぞ、ではなく、逝くぞ。覚悟の違いを見せた彼はそれを一気に呷る。コーヒーはそういう風に飲む物じゃないぞ。

 全て飲み干した彼はやってやったぞと言いたげな満悦顔だった。が、異常はすぐにやってきた。

 一気に体内に取り込んだ事で体のあらゆる器官が悲鳴を上げ、停止してしまったのだ。

 もちろん気絶。いや、この場合はバタンQだろうか。口から湯気を上げながら気を失うのだった。

 

 

 





 符玄来ますね。前世丹恒も魅力的ですが、私としてはあの符玄の声と体が欲しいです。

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