他にも手はあったというか、俺まで滑り込まなくても良かったかもしれない。まあ俺は頭良くないから咄嗟に色々考えられないし、気付いたら身体が動いていたんだから仕方無いか。雛が乗り遅れたと聞いて、その姿が見えたとたん俺は飛び出していたから。
――間違ったことはしていない、その筈だ。帰りは少し遅れたけど、別に構うまい。千夏先輩が迎えに来る訳でなし、どうせ家に帰るだけだ。母さんには寄り道して遅くなったと言おう、それで良いや。
もし少し前の俺だったら、きっと狼狽えていただろう。予定の時間を過ぎてしまう事も雛と二人になった事も、千夏先輩に対して嘘を吐いてしまったように感じて。そしてそれを隠そうとして墓穴を掘り、もっと事態を悪化させていた。
でも今はもう、そうならない。起きていない事に怯えるのはやめた、千夏先輩の気持ちを勝手に推し測るのも。だって俺は、知っているから。俺は千夏先輩が好きで、千夏先輩は――俺を好きなのだと。勿論そこに甘えはしないけど、必要以上に縮こまる必要はない。だからこそ俺たちは、距離が離れても平気なんだ。
あの人が行く先には、色んな道があるだろう。俺よりも才能があって俺よりも立ち回りが上手くて、俺よりもずっと千夏先輩を好きになる人がいるかもしれない。それでも俺は、確信している。俺の気持ちがそうであるように、千夏先輩もまた俺をみていてくれると。
雛と俺の間に、まだ残る
俺は雛を大事な友達だと思ってきたし思っている、でも雛はそうじゃなかった。好きだと、言ってくれた。千夏先輩を好きなままで良い、いつか私を好きになってくれるまで待つから。そんな事さえ、言ってくれた。
でも、だけど。俺は、俺の気持ちは変わりようがない。匡が言ったように、雛への気持ちが俺の中に混ざっていってたとしても。どんなにミルクを入れたって、コーヒーがコーヒーである事は変わらないように。
あの日付き合えないと言ったのは、そこをハッキリさせなければいけなかったからだ。いつか、とかきっと、とか思わせながらズルズルと過ごしていたら、いずれ雛を破裂させてしまう。疎まれても嫌われても決着はちゃんと付けるべきだ、それが雛の為だから。
まあ、とは言え。あのあと暫くは、正直辛かった。都合の良い事を考えてはいけないんだけど、友達に戻れなくなりそうなのはやはり堪えたな。
雛が前みたいに話しかけてくれるようになって、本当に良かった。
もし雛が新しく誰かを好きになったなら、その時に支えを必要とするなら。俺は何をおいても、雛を助けるだろう。大事な友達として、必ず。
とりとめのない雑談は、ぽつりぽつりとだけど続いていく。さすがに緊張の糸が切れたか眠気が襲ってきてるけど、とりあえずはお喋り中。
そんな中でふと思った、雛は本当に強いんだなと。もし千夏先輩に誰か好きな人がいたとして、それでも俺は千夏先輩に告白できただろうか。今はまだ好きになってくれなくても良いなんて、言えただろうか。
その強さの根源はきっと、心の深い部分にある。新体操に臨む雛は、勝ちたいとか負けたくないとかじゃない。ただただシンプルに、積み上げてきた成果を履行するだけ。迷いもせず道を往く、それを極限まで突き詰めた姿。雛はいつだって迷わない、鈍らない。壁を突き崩し谷を埋め、ひたすら前へと歩んでいく。
尊敬に値する、アスリートの究極系。まあ照れ臭いし絶対イジられるから、そこまでは言わないけど。
でも多少はそんなこと言ったって良いよな、うん。揺れる車内でする適当なトークだ、真面目な顔する必要もない。
帰ったらまた、いつもの日々が始まる。すぐ進級して三年生になり、最後のインターハイが来る。頑張ろう、そうしよう。
そして出来るなら、叶うなら。
「雛、一緒にインターハイ行こうな」
口から溢れ落ちた言葉は、車内の空気にとけて。俺の意識は、すっと眠りの縁へと落ちていった――。