YONEXのバドバックか、まあ使ってるやつは珍しくもないな。俺も含めて、幾らでもいる。
お隣さんからバタバタと飛び出してきた人影、その背中を見送りながら俺はスマホを握り直した。間が空くと面倒だからな、遊佐は。
あれは感情が顔に出にくいだけで、静かに燃えるし執念深い。うっかり生返事したらまた嫌みを言われてしまう、あいつは先輩を敬うって事を知らないからな。面倒見る側の身にもなってくれ。
しかし同じOBなら俺よりも他を頼りゃ良いのに、なんでか練習付き合ってくれだのなんだの言ってきやがる。
手間のかかる後輩だよ、本当に。
俺は自分をそこまで強いとは思わない、人より要領が良いだけだ。俺の一個下になる兵頭は圧倒的に上手いやつで、なんでもこなす努力の天才。あんな化物がいたら、そりゃうちのレベルも上がる。佐知川の勇名を三年でどれだけ轟かせたか、見当もつかない。
遊佐もそれは分かってるし後輩として学びはするが、真似はしなかった。出来なかったのか、はたまた。在学中はダブルスで組むこともなかった辺り、勝てなくて悔しいからってのもあるかも。意外なくらい負けず嫌いで面倒臭いからな、顔は良いのにモテない辺りそれが伝わってしまうんだろうか。
……あと最近って言うかここ暫くは、兵藤に「弟子」が出来てなんとなく気まずいってのもあるらしい。ただ普通に弟子がいるだけならまだしも、遊佐が今一番勝ちたい相手がそれなんだそうな。『猪股くんに勝ちたいだけで、一緒に練習したいわけじゃない』とかなんとか。
次の――最後のインターハイでは必ず勝つ、といつもののっぺり顔で気合いいれてたが、どうなることやら。
日本にはバドのプロリーグはないし、プロのバド選手なんて世界にも少ない。実業団入り出来るのは実績と人間性と運に恵まれた極々一部だけ、バドで生きていくのは難しい。そもそも俺だってバイトしながら絶賛モラトリアム中、先なんかわかりゃしない。どんなに頑張っても、将来の見通しは暗いのが高校バド界隈だ。しかしまあ、それを理由に心がおれる程みんな柔じゃないけどさ。
若人はみんな頑張ってるのだよ、うん。
「ん、……ぁ」
通話を終えてスマホを仕舞ってようやく、俺は覚えた違和感の正体へと辿り着く。お隣って、確か女の人だった筈。前に貰い物のバームクーヘン引っ越し祝いに持ってった時、ちょっとだけ話したし。あとなんだっけ、ゴミ出しで顔合わせた時に持ってたお菓子をあげた気がする。なんだっけ、俺いっつも誰かになんかあげてるからな。あんまり食べないのに何故かポケットに小さいお菓子入れとく癖があって、なんとなくホイホイやってしまうのだ。田舎のばあちゃんじゃあるまいし、飴とか煎餅とか何で入れっぱなしにしてんだろう。ちょいちょいそのまま洗濯しちゃって服がのど飴の匂いになったりするけど、どういうわけか無意識に持ち歩いてしまう。なんなんだろ、この癖。前世で飢え死にしたから常に食べ物を手元に置きたいとか、そんなかな。
まあそれはそれとして。
あのバドバック背負ってたのは、明らかに男だったな。
まさかあの黒髪少年が女装して生活してるとか、逆にあれが男装した姿だとかは……無いだろうな。そもそも体格が違った気もするし。
そうなるとあれは何処の誰なのやら、……って。
「まあ――良いか」
顔を出しそうになった余計な詮索、それを心の奥へと押し込んでバドバックを背負う。別に気にする事じゃない、他人の事だ。迷惑さえかけてこなけりゃ、何をしようが誰を連れ込もうが自由自由。友達と肩を寄せあって資格の勉強しようが、ベッドで別の勉強しようが好きにすれば良い。
俺は俺で忙しいんだから、すれ違った程度の隣人を気にしてなんかいられないのだ。
遊佐も催促して来そうだし、早めに行かないとまた面倒臭い事になる。バイトの隙間を使って付き合うんだから少しは愛想良くしてほしいが、あれにはそんなもん期待できないか。
さてと行かにゃなるまい、面倒臭いが浮き世の義理だ。
歩き出す先に吹くのは、まだ冷たい春先の風。
今日は何かありそうな気がするけど、どうだろうかな。