「どしたん、あかり」
かけられた声に、なんでもないよと返しながら。私はついさっき視界の端に捉えた影を思い、心の底で溜め息を吐く。
あれは、あのひょっとこのお面を着けていたのは――猪股先輩だった。確かにこの目で隙間から覗く顔を見たのだ、多分間違いない。さっき男バドの部長さんがクラスの人たちっぽいのと歩いてたけれど、あれとは別行動している感じ。つまりは皆と一緒ではないし、お面はきっと他の誰かに自分が来ていると知られたくないから。
それは、それは。あまり明るみにしたくない間柄の人と、二人で来ているという事では無いだろうか。
以前晴人は言っていたっけ、不倫でもしてるんじゃないかと。
…………まさか、そんな事は……。いや、うーん。
体育祭の日に聞いた話だと、どうも「付き合ってる人はいるけど……」みたいな煮えきらない感じがした。いない、じゃなく言えない、と答えたのはそういう事だと私らは解釈したわけで。しかしそうなると、やっぱり不倫とか浮気とかそんな事かもしれない。人畜無害そうな可愛い顔して、意外と腹黒いんだろうかな。そうあって欲しくないし、勘違いであってくれれば最善なのだけれども。
しかし私はどうしてまた、猪股先輩の心配なんかしてるのか。
小さい頃からバドは好きで、でも全然上達はしなかった。お兄ちゃんは全国に名を馳せるエースなのに、私はどうも凡人なんだ。まあ女バドと男バドじゃ区分けが違うから、あんまり比べられたりはしないけど。その辺晴人は大変だったみたいだ、お兄さんといつも比較され「なんだ弟の方か」とか言われてたそうだから。
なんとなく進んだ栄明で、とりあえず中学と同じ女バドに入って。それで練習中に猪股先輩と会ったんだっけ、肘の事を指摘されたのが一応初対面だ。
でもそれより大分前、お兄ちゃんが「栄明か。猪股ってのが根性があって面白い奴だ」と話してくれたから、存在自体は知っていた。
お前の一つ上で、見た目より結構やってくれる。なにより真面目だから伸びるだろう、なんて。お兄ちゃんが後輩を誉めるなんてあんまり無いから、結構強く記憶に残ってくれている。
好い人だしフォームも綺麗だし、まあ……好きと言えば好きなのかも。とは言え
……うん、その筈だ。お兄ちゃんは「猪股ならまあ良いぞ」とか言うけど、そもそも私はまだまだそういうのは興味が持てない。友達に彼氏が出来たとかそんな話が沸き上がれば、周りと一緒になって盛り上がるけど自分の事としてはイメージが出来ない。誰かを好きになって、恋人になって、キスとかそれ以上の事とかをする、なんてどう想像して良いのかも見当が付かないくらいだ。
要するに子供なんだな、私は。漫画とかドラマとか、そんなフィクションの中だけでお腹いっぱい。私に色恋沙汰は早すぎる、もっと大人になってからゆっくり考えよう。
友達と一旦分かれ一人で夜店を回りながら、ふと思う。猪股先輩にその――良くない関係の相手が本当にいたとして、私はどうするべきだろうか。
引き離すのはあまりにもやり過ぎだとしても、どうにか傷付かないように誘導するくらいは出来ないだろうか。それに猪股先輩、自分が人気有ること分かってない気がする。インターハイ出る実力者で後輩に優しくて顔も可愛いんだから、注目されないわけはないんだ。
それとなく「目立つような事は控えた方が良いです」って伝えるのが良いかも知れない、表沙汰にしたくない相手がいるなら余計にそうする方が良さそう。
もしどこかで会ったら、一言言っておこう。まあこの人混みじゃあ、どうなるか分からないけど。
「……そろそろ花火の時間かな」
見上げた夜空は星もまばら、雲はないけどあまり澄んではいない夏色をしている。夏が終わって暑さが引いて来れば、高く雲が流れる秋になる。その頃には、一体私はどうなっているんだろう。たかだか一ヶ月ちょい、でもきっとその間に色んな事が起こるだろう。
楽しみなような、そうでもないような。
まあ良いか、とりあえずは今だ。今を楽しもう、そうしよう。
花火が見えやすい場所はどこかな、と小さく呟きながら私は足を速めていった。