セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
雨が降っている。
「そこを退きなさい、レイゼン」
「……申し訳ありません、ホークアイ中尉。その命令には従えません」
「退きなさい。退かないのなら、撃つわ」
「どうぞ。──ただし、確実に殺さないのであれば、その腕一本程度は貰っていきます」
「っ……この」
地下水が落ちている。
「そこをどけ、ダッドリー少尉! 退かないのなら貴様から焼く!」
「そうしてください、大佐。そうしなければ、私はあなたを刺し殺します」
「君が庇っているのは当然のように人間を殺す化け物だぞ!」
「なれば、当然のように人間を殺す化け物を守る者もまた、化け物でしょう」
「私は、何もしていない君を殺す気は──」
砂埃が高く上っている。
「な──なんで庇うんだ、レイゼンさん!」
「使命ゆえ」
「そいつらを止めないと、大勢の人間が犠牲になるんだ! あなたの家族だって、あなただって!」
「であれば私を殺しなさい、アルフォンス君。この方に手を出したいと言うのであれば、私は君の大勢の人を救う、という使命に歯向かいます」
「止まってよ……お願いだから、もう動かないで!」
「脚が動く以上、腕が動く以上──私は、盾として」
日も当たらないような地下道にいる。
「レイゼン! アンタは騙されてる! アンタみたいな人がそんな奴に利用されて」
「利用されていません。全て私の意思です。──私はセリム様を守る盾。諦めて殺しなさい、鋼の錬金術師。そうしないのであれば、私は全霊を以てあなたを止めます」
「どうして、そこまで……」
「誰かを守る理由に、そこまで言葉が必要ですか」
「この──分からず屋が!!」
そして、いつも最後は。
「……君は僕より先に行く。いつも、いつもだ」
「ご無事であれば──思い残すことは、ありません」
「こちらの気も知らないで」
リヴィエラにある小さなホテルに、私達は居た。
エドワード・エルリック。アルフォンス・エルリック。そして私とグリード。
重い口調で聞かされていたのは過去の私。前の私の話だ。
何度も何度も死んでいるとは聞かされていたが。
まさかそんなにも目の前で、毎度毎度殺されていたとは。
「本当に……覚えて、ないんだな」
「はい。申し訳ありません」
「謝ることじゃねぇよ。ただ……」
「自らの手に掛けた人間とこうして話している事に気分を害しましたか」
ゴン、と殴られる。硬化していないグリードに。
まぁしていたら頭蓋骨陥没もあった。危ない。
「いちいち煽るんじゃねえ。話が進まねえだろ」
「はい。今のは全面的に私が悪いです。ごめんなさい」
「あはは……その素直で言い訳をしない真っ直ぐな所、本当に……レイゼンさん、だね」
「あの堅物、大人になるまでに練り上げられた価値観だと思ってたけど、子供の頃からこうだったのかよ……」
外は雨が降っている。そんな外の様子……あるいは窓に映る自身の顔を見ながら、エドワードはもう一度私の顔を見た。まじまじと。
「で! 交渉ってなんだ」
「はい。私は覚えていませんが、今仰られていたようにこの世界は何度も何度も同じ歴史を繰り返しているようでして、私達はそこからの脱却を望んでいます」
「そりゃ……オレ達もそうだよ」
「そして、ご存知の通り私はセリム様の盾。この望みは私だけではなく、セリム様も共有しているものです」
「……」
「つまり、こちらの要求は全面的な協力。そしてこちらからの提供も全面的な協力です」
「……アンタらと仲良しこよしでフラスコの中の小人に立ち向かえ、ってか?」
「知りません」
「はぁ?」
「私はエドワード・エルリックに協力を仰ぐことを目的としてきました。気の遠くなるほどの""繰り返し""の中で、あなたは必ずと言っていいほどセリム様の前に立ちはだかったと聞いています。しかしセリム様は此度自らの在り方を変え、あなた達側に着くことを決意しました。ただ」
ただし、だ。
「この繰り返しの黒幕がそのフラスコの中の小人なる存在であるとは限りません。私達の目的はあくまで私とセリム様が死なずにこの繰り返しから脱却すること。その最中において、あるいは過去あなた方が敵対した者達とも協力関係を結ぶ可能性もあると思ってください。その一例が私達です」
「……ムシも都合も良すぎる話だろ、そりゃ。この国に国土錬成陣が刻まれてることはもうこっちは把握してるんだ。その上で協力関係を築けだぁ? だったらこの首輪外してから卓に付きやがれ」
「交渉決裂ですか。では」
「待て待て待て待て! おい嬢ちゃん、お前本当は交渉決裂させてぇんじゃねえだろうな!」
「冗談じゃないですか、今のは。私が剣に手を当てていないことから察してください」
「あ、あはは……どんな時でも声のトーンが変わらないのもレイゼンさんらしいっていうか、本当にレイゼンさん、なんだね……」
先程は流したけれど。
断片的な情報を紡ぐ限り──どうやら私は、彼らにとって「初めて手に掛けた人間」であるようなのだ。数多の繰り返しの中で、状況や場所は違えど、アルフォンス、エドワード共に人間を殺さずに来た──その旅路の中で、唯一殺した人間。殺す気が無かった人間。
キンブリーとの死闘とてそれに入るような気もしているけれど、アレの最終手はそれこそプライドだし、致命傷を与えたのはライオンマンだし。
人を殺さない。殺さなかったはずの彼らが、唯一殺した相手。
殺さないと止まらなかった、彼らより遥かに弱い女性軍人。それが私、と。
成程。トラウマなわけだ。
「それについてなのですが」
「どれについてだよ」
「国土錬成陣のことです。私はあなたほど錬金術に造詣が深くないためしっかりとしたことはわかりませんが、私がこの国に錬成陣を描くのであれば、おかしな点があったのです」
「おかしな点?」
バックパックから地図を取り出す。
ごく平凡なアメストリスの地図。アエルゴ、クレタ、ドラクマは端の方にしか描かれておらず、東の大砂漠とシンがちょろりと描かれたソレ。
「国土錬成陣──というのは、こういう錬成陣ですよね」
そこに正円を描き、六角形と五角形の組み合わさった陣を描いていく。私の覚えている限りの錬成陣だから詳細な文字はわからないけれど、図形だけ見たらコレで合ってるはずだ。
「合ってますか?」
「……ああ、オレの記憶とも相違ねぇよ」
「本当に?」
「やけに疑ってくるな……」
「本当に、あなたの記憶と相違ないですか?」
「だーかーら! 本当に合ってる……って」
エドワードの左目瞼がピクリと動く。
私が地図から離れたら、彼はビタンと机にがっついて目を見開く。さらには「アル、ちょっと」と弟をも呼びつけて、地図を詳しく詳しく見て良く。
「んだぁ?」
「私も木っ端とはいえ錬金術師です。だから、この錬成陣がおかしいことは私でもわかるんですよ」
「おかしい?」
「はい。この錬成陣は」
エドワードが自らのバッグから地図を取り出す。その地図には様々な書き込みが為されていて、恐らく記憶を取り戻してすぐに書き起こしたものなのだろうことがわかった。使いこまれているから。
「ンだ、これ……」
「……全部東に、ズレてる?」
「はい。僅かにですが、ブリッグズ砦、ペンドルトン、アエルゴの国境、イシュヴァール、リオール。それらの位置が明らかに東に寄っています」
「それだけじゃねえ。ここ、リヴィエラであったリヴィエラ事変も、カメロン内乱、ソープマン事件、ウェルズリ事件、サウスシティであった南部国境線もそうだ! オレ達の記憶にある国土錬成陣から、わずかに東にズレてる」
地図上で東にズレているのがわかるのだから、現地では相当にだろう。私が調べたブリッグズ砦もそうだったし、イシュヴァール殲滅戦が起きておらず、内乱の戦火が東部の内側にまで行っていないというのであれば、もう少し奥まった場所に血の紋があってもおかしくはない。
そして東にズレていると何が起こるのか。
「やべぇ、これ、クソ親父は気づいてんのか?」
「父さんなら、気付く……と思いたいけど」
「オレ達も前と同じだと思って完全な先入観に囚われてた。……これだと、中心が変わっちまうし、カウンターも……」
そう、全てがズレる。
国土錬成陣が僅かに東にズレているだけで、元の通りだと思ってホーエンハイムが仕込みを行っているのならマズいし、通称お父様の間ことあの空間の場所も変わっている可能性がある。
「……なんで気付けた。アンタ、前を知らないんだろ」
「別に、この国の成り立ちと国土錬成陣の形を照らし合わせてみればわかることです。アナタの理論で行くのなら、私には先入観がないので」
「そうか、知らねえからこそ……」
本当は知っている。どっちかというと知っていて脳裏に焼き付いているからこそ違和感に気付けた。あと現地を見ていなかったから、というのも大きいかもしれない。リオールやイシュヴァールなどの現地に赴いてしまっていたら、「ああやっぱり知識通りなんだ」と納得していた可能性が高い。
私がずっとセントラルにいて、ダッドリー家と学院以外の場所に赴いていなかったからこそ気付けたこと。
「……色々調べ直す必要があるな。で? これに気付いた上で、オレ達に協力関係を仰ぎてえと」
「はい。私とセリム様は基本セントラルから離れることができません。勿論私達もフラスコの中の小人成る存在の意図は探りますが、期待はしないでください。セリム様はあなた達に着くという決意をしたものの、本質的に裏切ることは難しい様子」
「まぁ、だろうな。特に兄ちゃんは親父殿に近ぇ。裏切りまで行かずとも、兄ちゃんが親父殿に質問攻めしてる姿なんざ想像できねえよ」
「兄さん、とりあえず大佐と師匠に相談した方がいいと思う。あの二人も気付いてないだろうし」
「そりゃ勿論だが……」
「こちらの用意した現状の交渉材料はこれだけです。そして要求としては、私達はあなたと敵対するつもりはない、ということをあなた方に知っていただきたかった。それだけです。最初に全面的な協力と言いましたが、現状できることが各地を旅しているあなた方にばかり偏ってしまうことをお許しください」
そう、協力関係を、といっても私とセリムにできることなんかほとんどない。
私は親の許可がなければ外出の自由がなく、セリムは作ってしまった立場上あまり広く動き回れない。プライドとしての影なら各地にいける、といってもじゃあその影が聞き込みやら調査ができるか、といったら話は別だ。
「……確認したい。グリード、お前はどうなんだ」
「親父殿に、ってか? いつも通りだよ。ま、昔の昔だったら相棒と共闘できねぇのはちっと思う所もあったんだがな、一度親父殿の中に戻っちまうと記憶もぶっ飛んじまうのがいただけねぇ」
「前と同じく中立か?」
「中立っつーか、俺様は誰の下にもつかねえよ」
「レイゼン」
「はい」
「アンタは……その、仮にセリムがオレ達を、つかアンタを騙してて、このズレた国土錬成陣を使ってフラスコの中の小人と何かをしようとしていた場合、どっちの味方をするんだ?」
「セリム様です」
ピリッとする部屋。
「ただ、安心してください」
「何をだよ」
「セリム様は私にぞっこんですので。毎日のように囁いてくる愛の言葉が嘘でないのであれば、セリム様が私を騙すような真似をするとは思えません」
「ぞ……」
「……っこん?」
一気にデフォルメ絵っぽくなるエドアル。
ぞっこん。何か言葉を間違えただろうか。日本語的表現を訳しているから何か誤訳したか。
「がっはっは! そう、見せてやりてぇよお前らにも! あの兄ちゃんがこの嬢ちゃんにベタ惚れで、毎日毎日歯が浮くよォな甘ったるい言葉吐いてるトコ。そんでもって全部受け流されてるトコ!」
「セリム様の真意を受け入れたので、もう受け流していません。ただ公衆の面前でああいうことをされると気恥ずかしい思いはあります」
「安心しろ嬢ちゃん。俺様達も怖気が走ってる」
クツクツと腹筋に手を当てて笑うグリード。
そして部屋の隅に寄って行って二人だけで何かを話すエルリック兄弟。
「ぞっこん……ってのは、アレだよなアル。その、師匠とシグさんみてぇな」
「うん、多分……落ち着いてる時の兄さんとウィンリィも似たトコあるけど」
「いや無ぇよ! で、でだ。それがあのプライドが?」
「想像できる?」
「……つまり大佐版プライドだろ? ……いや、ぶふっ、想像、できねぇ……!」
「想像できたから笑いを抑えきれないんだね兄さん。ボクも肉体があったら呼吸困難になってたかも」
あ。
少し、気になる言葉が聞こえた。
「エドワードさん」
「あ、あぁ、すまねぇちょっと意外過ぎて」
「少し込み入ったことを聞いていいですか?」
「おい、嬢ちゃんそれは」
「──お二人は、何故身体を失ったのでしょうか。人体錬成を行ったとセリム様より情報として齎されましたが──誰を、あるいは何を?」
デフォルメになっていたエルリック兄弟が一気にリアル調に戻る。
踏み込んだ話過ぎるのはわかっている。だけどトリシャ・エルリックが生きていて、微かに聞こえた感じウィンリィも無事。
ならば、誰を、と。
「……」
「……ごめん、レイゼンさん。その話は……ちょっと」
「わかりました。こちらこそ踏み込み過ぎたことを謝ります。──ただ」
ただ。
「ただ、なんだよ……」
「私達はハッピーエンドを目指しています。この繰り返しを抜け出すために誰ぞかや何かを犠牲にするとか、やめてください。私とセリム様だけが生き残ることは決してハッピーエンドではないと思っています」
「……アンタからそういう言葉を聞ける日が来るとは思ってなかったよ」
「私を何だと思っているんですか?」
「頑固で話を聞かなくて、悲観的で意地っ張りな死にたがり」
「……セリム様にも言いましたが、その前の私とやらを覚えていない以上、前の私なる女性と私は別人です。似通った部分はあるかと思いますが、私は私として見てください」
「記憶が無くてもソイツはソイツだろ。別人なワケあるもんか。そんなこと言ったら、レイゼンが……""前""のレイゼンがいなくなっちまったみたいだろ」
──……そう、言っているのだが。
まぁ。
「配慮が足りず申し訳ありません。ただ、それでも大人の私と今の私を重ねられるのは不快です。あなた方の気持ちとしては、私は死んでいない、ということにしたいのでしょう。あるいは殺していない、生きている、と。ただその場合、今の私が塗り潰されて死ぬことになります。ですので、まぁ、委ねましょうか」
前の私を取るか、今の私を取るか。
「どの道、あなた方とは本質的に関係のない話です。あなた達はあなた達のハッピーエンドを目指してください。私達は私達のできることをやります」
……なんだか余計な枷を嵌めた気がしないでもない。
「嬢ちゃん」
「はい。なんでしょうか、グリードさん」
「もちっと言葉繰りの上手な奴を仲間に引き入れな。アンタじゃ相手の神経を逆撫でるだけだ。交渉ごとに向いてねぇ」
「自覚しています。……治し方ってありますか」
「人の話を聞け。自分の話をし過ぎるな。んで、自分の過去を知れ。俺様も全部を知ってるワケじゃねえから、兄ちゃんに聞きな。なんせアンタとずっと一緒に居たのは兄ちゃんなんだから」
私の話。
……あんまり興味ないけど、まぁ、そういうのなら。
「申し訳ありません、エドワードさん。今地雷を踏んだ上でお聞きしたいのですが、交渉の方は成立ということでよろしいでしょうか」
「あ……ああ。……グリード」
「あん?」
「レイゼンが変な道に行かねえよう見張っといてくれ」
「おいおい、俺様に頼むことかよ、それ」
「オレ達はもう、レイゼンに刃を向けることはしたくねぇんだよ」
グリードは「あー」と言いながら後頭部をぼりぼり掻いて。
「わーったよ。ま、兄ちゃんから任された子守りだからな。兄ちゃんのトコ戻すまではちゃんと面倒見てやるさ」
「……よし。交渉成立だ。レイゼン、オレ達もその、なんだ。ハッピーエンド? を目指す。だから、頼むから死なないでくれ。気付いたらオレ達の前に立ってるとか、もうやめてくれ」
「状況次第ですね」
「そこは嘘でもわかりました。っつーんだよ」
「嘘では意味が無いのでは?」
「うーん、これはやっぱりレイゼンさん……」
だから前の私に重ねるな、と。
……そんなに似ているなら本人の可能性は否定できませんが。まぁ。
交渉、成立です。やればできるじゃないですか私。