セリム・ブラッドレイの許婚   作:クラレントブラッドブラッドレイ

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下戸の建てた蔵は無い

 騒いでいる。夢を見た。

 騒いでいる。夢を見た。

 騒いでいる。夢を見た。

 

 幾重もの、夢を見た。

 

「……最近多いですね、この夢」

 

 呟いて、呟けたことに驚く。

 夢の中なのに。

 

 眼下──大雨の降る最中にある、真っ黒で真っ赤な血だまり。そこで倒れている女。頭部から血を流し、警察と救急隊に取り囲まれて、今にも担架に乗せられていくその様を、私は見下ろしている。

 

「アレですか。七つの大罪と絡んでいるから、自分の罪を見せつけられている、みたいな」

 

 馬鹿馬鹿しい。

 

「くだらないことをした、という自覚はありますよ。やるならせめて、もっと人目に付かないところで、他者との縁を全て断ってからやればよかったと。無駄な心配と無駄な杞憂と、文字通りの罪悪感を植え付け過ぎましたね。反省しています」

 

 どう見ても助からない命を必死になって繋ぎ止めようとする人々には頭が下がる。申し訳ない。私は満足していたというのに、あなた達には「救えなかった」という想いを押し付けてしまった。どこかの山奥で白骨死体にでもなっておくべきだった。身元もわからないくらいの状態で。

 ……そうやって冷静になれるのは、結局一度死んだからだ。残念ながらこの時の私にはそんな余裕、なかったし。

 

 いっぱいいっぱいだった。

 救われたことを背負わされた、なんて表現するのはあまりにも不謹慎だけど──その重荷が、もう要らなかった。

 

「早く覚めないものですか。それとも、誰かが故意に見せているとか。どちらにせよ夢は夢。これを真摯に受け止められるほど私の性根はまっすぐじゃないです」

 

 騒いでいる。騒がしい。うるさい。

 ──夢だった。

 

 

 *

 

 

 朝から憂鬱だ。

 それは酷い悪夢を見たから、ではない。あれを悪夢と表現するには、私は満足し過ぎている。

 そうじゃなくて。

 

「はぁ。ダッドリー家は剣に生きる家。剣を授からぬ身であるとはいえ、ダンスレッスンとは如何なものかと」

「レイゼン。何事も卒なくこなす貴女が、唯一嫌がるのが踊りの授業ですからね。母も教え甲斐があります」

「別に不出来というわけではないでしょう、お母様」

「……だからこそ、なんですけど」

 

 そう、今、私は踊っている。

 正確にはダンスの振り付けを延々やらされている。

 セリムの許婚である以上、幼少の身とはいえ社交界に出る……可能性を考えてのことだ。アメストリスは軍事国家であって貴族国家ではないため、別にそこまで貴族染みた事が必要になったりしない。だから多分これはお母様の趣味。

 ダッドリー家も別に貴族というわけではないし。名家ではあるけど。

 

 ダンスの練習相手を務めているのはお母様。といってもセリムとは身長差があり過ぎるので、私は立ち回りを覚えるというただ一点のみを叩きこまれている。

 正直本当に憂鬱だ。だって時間が勿体ない。この間に何度剣を振れるか。この間にどれだけセリムと策略を練られるか。

 無論、ラグスお兄様に言われた通り、ただ筋肉を鍛えるためだけの素振りが意味をなさないことは知っている。というかこれ以上が無いことも薄々気付いている。

 じゃあダンスを取り入れた戦法、というのも中々無理だ。女性のダンスはどちらかというと振り回されるのに体をついていかせる、みたいな動きが多い。私の剣は私が主導権を握り、相手を動かすことで錬金術を発動させる、というスタイル。

 

 真逆。

 

「……ね、レイゼン」

「なんでしょうか」

「ラグスや、エイアグラムから聞いたわ。色々と悩んでいること。あの夜の一件といい、この前の家出といい……何か、私達にも話せないようなことを抱えているってこと」

「まあ。年頃の娘ですから、悩み事くらいは普通かと」

「自分で年頃の娘、なんて言う子はそうそういないのよ? それに貴女、年頃というほど年頃ではないし」

「そうですね。まだ幼等部に通う幼子です」

「自分を幼子という幼子もそうそういないと思うけれど……ね、レイゼン。そうやって話を逸らすの、今日は止めにしない?」

 

 ……。

 流石に通じなくなってきているか。まぁ過ごしている時間が段違いだ。私の手八丁口八丁なんて見抜かれて当然だろう。私のスタイルはあくまで初見殺し。同じ相手に対しては効果が薄くなっていく。

 

「教えては、くれないの?」

「はい。お母様では何もできませんので」

「むぅー。もう、これでもそれなりに戦えるのよ、母は」

「無意味です。戦力でどうにかなるのなら、私はお爺様に相談しています」

 

 ステップを踏みながらの会話。

 けれど、足の作業的パターンタスクと会話のタスクであれば、切り離して考えられる。即興創作ダンスやりながら喋れ、とかだと難しいけれど、型にはまった動きならば思考リソースは要らない。

 基本は踏み込みと離脱の応用だ。ただし防戦一方である戦況想定なので、実戦だったら二秒くらいで死んでいると思う。私は受けの戦闘ができない。弱いから。

 

「……お義父さんも、ラグスもエイアグラムも、賢いと思うのだけど」

「お父様の名は出さないのですか」

「あの人は今南部で忙しいもの」

「正論ですね。そして、正誤判定はお任せいたしますが、私にとってお爺様もラグスお兄様もエイアグラムお兄様も無知の部類に入ります。この世界について知らないことが多すぎるし、私についても何も知らない。そこにはお母様も含まれます」

「貴女は、こーんなちっちゃな時からそうよね。母としては泣いてほしい時にも泣かないし、どれだけ弱っていても頼ってくれないし。自分を見せるの、そんなに怖い?」

「はい。私の素を知っているのは──そうですね。最近だとセリム様だけかと」

「二人がお熱なのは知っているけれど、そっか、そこまで気を許しているのね」

 

 本当の私かどうかと問われたら話は別だ。内心じゃセリムに様付けなんかしてないし。

 ただ、人格としての私は割と素な気がする。ああ、あと、ラグスお兄様と戦った時もちょっと素が出かけていた。アレは危なかった。

 

「ねぇ、伝わらない?」

「お母様は私の役に立ちたいと言っている――と、そう判断しました」

「伝わってる。でも、言及しないってことは」

「はい。要りません。なんなら邪魔です」

 

 多少剣が扱えるだけの人間が何になる。

 私だってその""何になる""側の人間だけど、塵は積もっても塵だ。だったら無駄死にする塵芥は一人の方が良い。セリムをハッピーエンドに届けるまでは死なないつもりだけど、そこにダッドリー家を入れる必要はない。

 気がかりがあるとすれば、ダッドリー家が途中から出て来た家である、ということくらいか。

 お父様……フラスコの中の小人の差し金であるのは間違いなく、もしダッドリー家が彼の計画にとって何か重要な役割を持っているのなら、逃がせないかもしれない。

 

 どちらにせよ、だ。

 セリムが私を愛しているのは理解した。それでも彼の本質はプライドであり、人間なんか見下している……はず。彼がvsラグスお兄様の時に私の家族を殺さなかったのは、私が彼らを心配したから。

 それ以外の状況においては。あるいはほかの人造人間(ホムンクルス)相手ならば。

 

 なんの躊躇いもなく殺される。銃に打ち勝つ剣がなんだ。あっちは半永久的に再生する化け物だぞ。

 

「……決めた」

「何を、ですか」

「レイゼン。母親権限です! 次の三日の休日──全部家族に使ってもらいます!」

「えー」

「えー、じゃあありません! お義父さんと私とラグスとエイアグラム。それぞれ一人ずつ、一回以上何かしらで頼ること! そうしないと休日中は家の敷地から出しません! いいかしら?」

「ヤです」

「決まり!」

 

 強引な。

 まぁ、セリムにゆっくりやろうと言われていて、フラスコの中の小人にも会えなくて、軍法会議所は今セリムが掛け合い中で……他重要そうでセントラルにいる住民で、ってなると大体が軍人で、やっぱりセリムの返事待ちになってしまって。

 暇であるのは、実は事実だ。まさか中央司令部に単身突っ込むわけにもいかないし、研究所は先述の通り。

 

 家族のために時間を使う。

 なんだか仕事人間な父親への要望みたいだな、とか思ったり。

 

 しかし、頼る、か。

 難しいことを言う。最近になってようやくセリムを頼れるようになったのに。私の最も苦手とする分野は踊りでも交渉でもなく誰かを頼ることだ。全部自分でやろうとする癖は、死んでも治らなかった。

 

「わかりました。ちなみに、やり遂げることのできなかった場合、どういったペナルティが課せられますか?」

「え? えー……そうね。レイゼンは何が苦手かしら」

「人を頼ることですね」

「そう……じゃあ、この休み明けまでに四人に頼れなかった場合」

「場合?」

「──とてつもないおめかしをして、セリムくんの前に出てもらうわ。私が腕によりをかけて貴女をお姫様にしてあげる」

 

 ふむ。

 別に、いつもと変わらず「可愛らしいですね」とか言ってきそうだけど。その程度が罰になると思い込んでいるのなら、好きにさせておくべきだろう。私は死にたがりだのと罵倒されることが多いし否定はしないけど、何も罰を受けたがっているわけじゃないのだから。

 

 しかし、頼る、か。

 ……頼るかぁ。

 

 

 

 

「それで、一番乗りが俺かよ」

「はい。エイアグラムお兄様に頼ることといっても特に思い浮かばないので、あれほど大声で俺達を頼れ、と言って来たラグスお兄様であれば、私が何か頼ることも思いつけるのではないかと思ってきました」

「つまり何も考えてねぇと」

「肯定します」

「否定しません、ですらねえのかよ」

 

 ダッドリー家は剣特化の家だ。お母様でさえダッドリーの剣を授かり、その修練を積んでいる。

 そんな家族の何を頼れと。

 

「お前に頼られること、ねぇ。でもお前、結局抱えてるモン話す気はねえんだろ?」

「そうですね。お兄様達に話したところで何の解決にもならないどころか、余計な被害を増やすだけですので」

「そのチョーシで何を頼られるっつーんだか。……そもそもさ、お前なんか勘違いしてねえ?」

「勘違いですか?」

「俺達のこと舐め過ぎてねぇかって聞いてんだよ」

「正当な評価のもと、お兄様達は役に立たないと判断していますが」

「相っ変わらず言葉を包むって概念の無ぇ妹だな……」

 

 ラグスお兄様は、ガシガシと後頭部を掻く。

 

 そして、「よし!」と何かを決意したように立ち上がった。

 

「俺がお兄様らしいトコ見せてやるよ。兄ちゃんや爺さんには絶対にできなくて、母さんにも多分できねえことだ」

「はあ」

「外、出んぞ。準備しろ」

「四人を頼るまでは家の敷地から出さないと言われましたが」

「その"頼る"の一環だよ。いーから付いてこい馬鹿」

「はあ」

 

 まぁ。

 拒否するほどお母様の言葉を遵守するつもりもない。何かあれば抜け出す気満々だったし。

 それが家族合意のもと出られるというのなら、願ったりかなったりだ。

 

 ……念のため、錬成陣に少し手を加えておこうか。

 

 

 

「ほれ」

「……なんですか?」

「クレープだよクレープ。まさか見た事ねえとか言わねえよな」

「勿論見たことはありますが。……あの、ラグスお兄様にしかできないこと、というのはもしかして、私に食べ物を奢る、ということですか?」

「奢るってお前……。兄貴が妹にクレープ買ってやんのにそんな言葉使うかよ。とりあえず腹ごしらえって奴だ。要らねえのか?」

「貰えるものは貰いますが」

 

 クレープ。

 ……おや。前世含めて何十年ぶり……というか、前世でも食べたことないかもしれない。私甘い物あんまり好きじゃなかったしな。売っている場所が屋台だとか、テイクアウトして外で食べるとか、そういうのもあんまりしてこなかったから……本気で初めて食べるのでは?

 

 食べる。

 

 味の薄い生地に、濃い味の生クリームやフルーツが乗っている洋菓子。まぁここアメストリスだから洋も何も、って感じだけど。

 

「お前さ、食う時笑わねえよな」

「え、はい。笑ったら食べづらいじゃないですか」

「そういうことじゃなくてさ。……普通、美味いモン食ったら笑顔になるだろ。でも俺、お前が何食ってても笑ったトコみたことねぇなって思ってさ」

 

 美味しいものを食べて、笑う。

 ああ。まぁ、食事に価値を見出す人であれば、そういうこともあるのだろう。

 

「あんまり、わかっていないから、かもしれません」

「わかってない?」

「はい。今日の朝食とこのクレープと、昨日の夕食と、今日食べるだろう夕食と……これからラグスお兄様が買い与えてくれるかもしれない何かと。別に味がわからないわけではありませんし、美味しいと感じる心はあります。ただ、何がどう美味しいとか、好きとか、ないんですよね。苦手はありますが」

「……甘いモン、好きじゃなかったか」

「そう思っていましたが、今食べたらそこまででもなかったな、と思いました。食わず嫌いですかね」

 

 前世とは肉体が違うんだ。

 味蕾が変化していて、甘い物を好きじゃない、と思う脳も変わっていておかしくはない。間食として悪くない。ただフルーツを使っているから値が張り過ぎている部分はあるかな。この値段なら、もっと効率良くカロリーを取れる。勿体ない。

 

「次、行くぞ」

「はい」

 

 効率厨の一面は、まぁあるのかもしれない。じゃあなんで無駄死にを選ぶんだって言われたら何も言い返せないけど。

 なんだろうな。余計な感情……というか、嗜好? を故意に削いでいる傾向があるのは事実だ。それっぽっちのことで、咄嗟の時に意思が揺らがないために。……私は武士か何かだろうか。サムライガールと呼ばれていい気がする。

 

 ラグスお兄様についていく。

 セントラルの中でも少々治安の悪い南の方へ。

 

 治安が悪いと言ってもゴロツキがどうこうじゃなくて、だからつまり、歓楽街だ。

 客引きや際どい衣装の女性の多い空間。ラグスお兄様も今私服だから客引きに遭っているけれど、すぐ隣にいる私を見て「あっ」ってなってる。こんな場所にこんな幼子を連れてきている時点で「ワケあり」だ。関わりたくないんだろう。賢明。

 

「お前、こういうのにも耐性あんのな」

「こういうのとは? 水商売のことですか?」

「……まぁ」

「別に偏見を持つ理由がないので。そこに""堕ちた""と表現するか、自ら成ったと表現するかは自由だと思います。他者が言うのも自分が言うのも。私達が剣を振るのと、パン屋さんがパンを売るのと、何か違いがありますか?」

「……」

「ああでも、自らの意思でないというのなら、申し訳ありませんが私に同情の感情は期待しないでください。助けてあげたいとさえ思いません」

「なんでだよ。目の前で困ってる奴がいたら突っ込むんじゃねえの、お前なら」

「その方を私が身内認定していればそうするでしょうが、どこの誰とも知らない方のためにお金や命を賭すほど私は聖人ではないので」

「ふぅん」

 

 いっそ殺してくれ、と言われたら即座に首を掻っ切るくらいはしてあげるけど。

 望んだら望んだ時に死が手に入るくらいの自由はあって良いと思う。

 

「見えたぞ、目的地」

「……BAR?」

「ああ。俺の行きつけ。兄ちゃんも爺さんも絶対連れて来れねえだろ。酒は飲むか?」

「思考が鈍る毒を自ら呷る馬鹿がどこにいますか」

「冗談だよ。どっちみちお前の身体はまだアルコールだめだ」

 

 何故かアメストリスは二十歳まで酒が飲めない。日本みたいな医学倫理があるわけでもないクセに、そういうところだけはしっかり日本基準だ。そうじゃないとエドアルが飲めちゃって連載できなかったからだろうけど。

 少年誌、だったしなぁ。

 

 そもの話をすれば、私はお酒が嫌いだ。さっき言った通り思考が鈍るから。正常な判断ができなくなる毒を呷って何が楽しいのかわからない。私はその死の間際までクリアな思考をしていたい派だった。嫌なこともつらいこともちゃんと受け止めて咀嚼して、それを受けた私の感情の抑揚を楽しみたい派閥の人間だった。

 酒に逃げること自体が、私にとって罰だった。そんな派閥あるか知らないけど。

 

「ういーっす。マスター、ここってノンアルあるっけー?」

「あぁ? なんだラグス、真昼間から……お前軍人だろ! しっかり仕事しろ仕事!」

「今日は休みなんだよ。それよりノンアルだ。無かったら酒割る用のミルクでもいい」

「……あ?」

 

 スキンヘッドと髭。

 酒場の店主、って感じが強いけれど、ここはBARでラグスお兄様がマスターと呼んでいたので、このBARのマスターなのだろう。バーテンダーも兼ねているのか、カウンターには彼しかいない。

 

「子供……なんだラグス、結婚してたのか?」

「馬鹿か腐れ目。妹だよ。つか結婚してたとしても歳近すぎるだろ」

「妹……あぁ、お前さんが散々管巻いてた天才妹か。なんだ、口ぶりの割に仲良いじゃねえか」

「余計な事言うんじゃねえよ。良いからミルク出せ。俺には酒出せ。……ん、レイゼン。何してんだ。隣座れよ」

「はい」

 

 親しげだけど、作中で見たことのある人物ではない。

 まぁ作中に出せた人数の方が圧倒的に少ないから当然ではある。人口5000万人を描ききれるはずもなし。

 あ、というかダッドリー家がそもそも以下略。

 

「怖がられねえのは久々か? ベルクス」

「まぁな。だがあのダッドリー家だろ。不思議じゃねえよ」

「コイツはそういう教育受けてねえんだけどな。いつの間にかこうなっちまってた」

「血は争えねえって奴さ。よ、お嬢さん。俺はベルクス。この店の店主だ。ラグスとは、コイツが入隊した時からの付き合いだよ」

「成程。だからラグスお兄様はこんな粗暴な口調に」

「うるせえ」

「ラグスお兄様、ねぇ。お前が。あのはねっ返り坊主が! ク、こーりゃ傑作だ。あとで他の連中に話すタネができたぜ」

 

 ビールジョッキになみなみ注がれたミルクが私の前に置かれる。

 ……別に要らないんだけど、出されたものに手を付けないのはそれはそれで。

 

 ん。

 微かにだけど、アルコールが入っている。まぁ洗浄設備もそこまで上等なものじゃないだろうし、洗い漏れか。そもそもノンアル出す想定してないだろうし、そういうこともあるのだろう。ただ幼子の身に毒であるのは事実なので、分解させてもらうけど。

 

 パチ、と。

 小さな小さな錬成反応が走る。今唾液で口の中に描いた口蓋の錬成陣によるもの。分解対象がアルコールだとわかっていれば、これくらいはできる。傷の男(スカー)のアレみたいなのは無理。というかアレはよくわかんない。腕に刻まれているタトゥーは変わっていないはずなのに、人体破壊と物質破壊を思念だけで切り替えることができるとか、どういう錬成陣を描けばそうなるのか不明。

 流石は天才の腕、ということなんだろうけど。

 

「……」

「な?」

「ああ」

 

 なんだ。

 わかってて出したのか? ……敵か?

 なんて判断は流石にしないけど。幼子にアルコールを摂取させるリスクを理解しきれていないあたりは、まぁまだ産業革命直後くらいの時代設定だからなぁ、とかって納得する。

 アレか。これで多少でも私が酔ったら、ラグスお兄様を頼るとか、そういう? 裏で手回し……してる時間はなかったと思うんだけど、何か私の知らない符牒があったのかもしれない。ツーカーの仲なのかもしれない。

 

「落ち着けよレイゼン。悪かったって」

「はあ。落ち着くもなにも、特に気は立てていませんが」

「そうか? 殺気駄々洩れだったぜ」

 

 殺気。

 ……殺気ねえ。私それ、あんまりよくわかんないんだよね。対面にいる相手が殺しに来ているかどうかくらいはわかるけど、視線すら向けていない相手の殺気がどうこうとかは達人の領域だと思う。

 ダッドリーの剣はそれしか道が無かった者の剣だとお兄様は言っていたけれど……こうやってその達人っぷりをまざまざと見せつけられると、多少の腹も立ってくるというものだ。

 

「しっかし、お前ホント馬鹿だよな」

「何がですか」

「今、折角気付いたんだから、"お兄様、これアルコール入ってます"とでも言えば俺を頼った扱いでベルクスにグラス替えさせるとかできただろ。それでノルマ達成だった。なのにそれをしなかった」

「私が私一人で解決できることに、何故お兄様を頼る必要があるのですか?」

「ぶっ、クククッ……ぶ、っはっはっは! おいおいラグス! お前、この妹ちゃん聞いてた通り過ぎて、俺腹筋がいてえよ!」

「だろ? だから今回ショッキングなモン色々見せてやるつもりで来たんだが、この分だと全部ひとりで解決しちまいそうだよな」

 

 頼る良い機会だった、というのは納得するけれど。

 そんな欺瞞に満ちたヤラセでお母様の納得が得られるとは思えない。私は本当に困らないといけない。本当に困らないと頼れないから。

 だから頼らないんだけど。

 

「ん?」

「おや。ラグスお兄様、表の集団は、お知り合いですか?」

「いや……」

 

 不穏な空気。

 椅子から降りて、剣を抜く。

 

「おい待てレイゼン」

「ベルクス! 邪魔するぜ!」

 

 どかん、と扉を蹴破って来たのは──なんとも陳腐なチンピラたち。

 どこに売っているのかわからないあのぐしゃぐしゃのアロハシャツを着た集団。

 

「──何者」

「お嬢ちゃん、ちょいと下がってな。こいつらはラグスの客だよ」

 

 と。

 むんず、と首根を掴まれて、カウンターの中にまで引き戻される。……存外力の強い店主だな。あと油断していた。敵は本能寺にありか。

 

「客、とは」

「借金」

「……はい?」

「あいつらはこの通りで飲み屋やってる店主仲間だ。中には下っ端もいるが、まぁ大体知り合いでよ。んでラグスは結構な頻度でツケにしてんだよ、飲み代を」

「ああ、成程。自業自得ですか」

 

 剣を納める。

 身内が襲われていたら肉盾になる、と宣言した手前で悪いけれど。

 そういうことなら、私は手を出しません。ラグスお兄様が剣を抜かずに引き攣った笑顔で対応していることから、その程度の仲であることも窺えるし。

 ただ、長くなりそうではある。

 

「これ、一応私のミルク代です。ラグスお兄様には先に帰ったとお伝えください」

「お? よく抜けたな」

「襟首は最も掴みやすいウィークポイントですからね。抜け方も熟知していなければ、首や頭という人間最大の弱点を相手に晒し、引き寄せさせてしまいます。それでは」

 

 帰り方くらいわかる。ゴロツキが襲ってきたら斬る。

 目撃者が邪魔なら、路地裏に誘い込んでから斬る。

 

 ……人斬りがしたいわけではないことだけは明記しておく。

 

「それでは、兄をお願いいたします」

「おう、またな、天才のお嬢ちゃん」

 

 ラグスお兄様。

 それ、言いふらして回るの恥ずかしいのでやめてくれませんか。

 

 

 *

 

 

 案外誰も声をかけてこないものである。

 まぁ軍事国家。酔った勢いで幼子に手を、なんてのが憲兵に見つかれば一発だからか。

 

「あら」

「おや」

 

 ──だから、声をかけてくる存在があるとすれば。

 

「久しぶりね、レイゼンちゃん?」

「はい、お久しぶりです。ラストさん」

 

 人間の常識の通じない、化け物だけなのだろう。

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