セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
未だ歓楽街。
だけど今は同行者がラグスお兄様ではなく、ラスト。だから余計に声をかけてくる連中が減っている。というか視界にさえ入れてもらえない感じ。
ラストは美人だけど、子連れ美人とかヤバい匂いしかしないからだろう。誰もが見てみぬふりをする。
「ラストさん」
「なにかしら」
「頼る、って。どうすればいいんですかね」
「……それ、私にする質問かしら?」
確かに。
「課題なんです」
「ふぅん。別に、深く考える必要はないんじゃないかしら」
「というと」
「甘えることだって頼ることよ。おねだりすることもそう。欲しいもの、やってほしいこと。今困っている何かしらではなく、それを手に入れるために困るから頼る――そういうのも、頼る、に含まれるわ」
「……なるほど」
困っているから頼る、ではなく。
困る未来が見えているから頼る。
欲しいもの、か。
才能かなぁ。欲張りとは言われたけど、ダッドリーの剣の才が欲しい。
「それで……頼った相手が損をするとしても、ですか」
「大抵の場合、頼られた存在は損をするでしょうね。時間にせよ技術にせよ物にせよ、何かしらを支払うのが頼られて、その期待に応える、ということなのだから」
「……」
「相手を損させたくないから、頼りたくない……といったところかしら。貴女の今の悩みは」
「……かも、しれません。とても含蓄のある言葉だと思いました」
「そ。それなら良かったわ」
相手を損させたくないから頼りたくない。
成程。なるほど。それは、あるな。私の中に。
死んでほしくないから頼りたくないし。余計なことに巻き込まれて欲しくないから頼りたくないし。
逆にエドワード・エルリックやセリム、グリードには素直に頼れている。それは私が頼ることで、その情報自体が彼らのためになると知っているからだ。
凄いな。
流石は長き時を生きるもの。悩み、大体解決。
……問題はどうやって頼るか、の部分ではあるけど。
「これは、プライドが苦労するワケねぇ」
「私はセリム様にとって負担ですか?」
「さぁ。それは本人に聞きなさいな」
「聞いたところで"そんなことを僕が君に言うと思いますか?"と返された挙句、"君にそう言ったことを吹き込んだのは、……ラストあたりですかね"となるのがオチかと」
「……そういうところだけは熟知しているのが本当に不思議」
解釈一致な行動については任せて欲しい。
最近は解釈違いも呑み込めるようになってきたので、どんどん無敵に近づいてきている。
「……あなた、怖がらないのね。聞いてるんでしょ、私達が化け物だって」
「はい。でも、あなたはセリム様より弱いと聞きました。なら怖がる理由がありません」
「確かにプライドに勝つ未来は見えないけど、今ここで貴女を殺すことは容易なのよ?」
「それは、周囲にいる大人なら大体そうですね。私の体躯であれば、数回腹や肺を蹴って首を踏み潰すなどで簡単に殺せるかと。抵抗はしますが無意味でしょう」
斬る。斬り伏せるつもりはある。
だけど必ず勝てるなんて欠片も思っていない。私の弱さは私が一番わかっている。たとえ死を恐れない精神が備わっているとしても、非力であるこの身は変えられない。
──十数人程度なら、道連れにして死んで、アメストリスの治安維持に協力する所存ではあるが。
ああいや、今はダメなんだった。セリムをハッピーエンドに届けるんだった。物騒な思考はポイである。
「繰り返しのことも、知っているのよね」
「はい。ラストさんもやっぱり知っていましたか」
「当然でしょう?」
「そうですね」
「……""前""。私は貴女に会っている。数回だけだし、戦闘をした、というわけでもないけれどね」
「そうなんですか」
「あらあら、欠片も興味がない、ってカンジね」
「他人事なので」
真実。
「その時のあなたより、今の貴女の方が鋭利に感じるわ」
「軍人だったという大人の私より、ですか」
「そうね。とても似ているけれど、底の部分が何か違う。言い表すなら、全く同じ枝葉を付けているのに、根は違う木……のような」
「おお」
「……何かしら。キラキラした目……尊敬の念のようなものを感じる声だけど」
おお。
いや。いやいや。
「いえ、仕方のないことだと思ってください。私は何度も何度も別人であると主張しているのですが、周囲がその""前""の私と今の私を重ねてくるんです。セリム様でさえ曖昧な答えでした。ですが、ラストさんは今違う、と言ってくれました。私の中のラストさんの株が急上昇中です」
「声のトーンは変わらないのにテンションが高くなっているのがわかるの、何気に特技ね」
「感情表現が豊か、と言われたのも初めてです」
「言ってないわ」
わかる人にはわかるんだ。
それがわかっただけでも大収穫だ。いや、散々周りから言われたせいで私自身でさえ「もしかしたら私も記憶ないだけでループしてるのかも……?」とか思い始めていたけれど、色欲を冠する程人間の情動に聡いラストがそういうのだから、その言葉は信用できる。
だというのに、なんだろう。
なぜ不服そうな顔をしているんだろう、ラストは。
「言っておくけれど」
「はい」
「プライドの方が、私より年上よ」
「ああ、そうなんですか」
……そうか。
長き時を生きるものだから、ではないと。そういうことか。
「でも、彼は子供っぽいので。セリム様の時も、プライド様の時も」
「……ホント、貴女に言わせると形無しも良い所ね」
「この前なんか、スロウスさんとグラトニーさんに、"彼女は僕のものですからね"みたいなことを宣言してました。宣言するためだけに私をよくわからない地下牢に連れて行ったくらいです」
「あら本当に子供っぽい。……それが良い変化なのかまではわからないけれど、あのプライドが、ねぇ」
その意見はごもっとも。
私だって彼の変化の良し悪しはわからない。傲慢であるからこそのプライド。成熟しきって見下し切っているからのプライドなところはあるわけだし。
「そういえば、ラストさんは、どうしてここに?」
「人間は気の緩んだ時と、どん底で光を見た時にこそ本性や隠し事が零れ落ちるもの。そういう点で、歓楽街は良い情報収集スポットなの」
「今更収集するべき情報なんてあるんですか? 全部知っているのでは?」
「""前""と同じであるかを確認するための情報収集でもあるのよ」
「成程」
……それを怠っていたから、私はイシュヴァールのことや研究所関連で後れを取ったわけだし。
含蓄が。含蓄に気圧されて潰えてしまいそうだ。
「だとすれば、一つ聞いてもいいでしょうか。踏み込んだ質問なのですが」
「ええ、構わないわ。答えるかどうかは別として」
「はい。──ラストさんは、情報収集も兼ねて人間との愛恋を何度か経験していると思われますが──どうなんですか?」
「どう、とは」
「相手の全てを知り尽くしている状態なんでしょう。相手の仕草、相手の癖、腹に隠し持っているもの。好き嫌い。それを知った上で、まるで初恋のように驚けるものなんでしょうか」
「まるで初恋のように驚ける、ね。それ、私ではなくプライドへの質問でしょう」
「はい。ラストさんは感情制御が上手に見えますので、こういう悩みはなさそうです。でも、プライド様……セリム様はそうではない、ように思います。少なくとも彼の許婚として過ごしてきた十年にも満たない短い時間の中で、彼は私に何かを見出し過ぎている」
私が遠くへ行ってしまうような感じ、とか。
驚かされることばかりだ、とか。
大人私がそうも今私とかけ離れているのならば、ああも重ねることはないはずだ。だから私への褒め言葉に似たそういう感嘆は全て演技、ないしは感情の籠った言葉ではないのではないかと疑っている。
だから何と言われたらそれまでだ。別に感情が籠っていなくても良い。ただ、好き合うと宣言した以上、その真意や本意を私だけが知ることができていないというのは不平等だ。ぶっちゃけもう重ねる重ねないはどうでもいいけど、私の、私も知らない秘密を彼が握っている、というのが……なんか。
子供っぽさには子供っぽい我儘で対抗しておいた方が良いかな、とは。
「新鮮であるのは確実でしょうね。聞いての通り、貴女が幼かった、なんてことは過去一度も無かったのだから」
「幼い程度でセリム様の情動に何か変化があると思いますか?」
「さぁ、私はプライドではないし。けれど、そうね。敢えて一般的な人間の視線を語らせてもらうのなら──プライドも探り探りなのだと思うわ」
「はあ」
「プライドが本当の本当に貴女に惚れているのなら、当然嫌われたくない、という気持ちが付き纏うはずよ。嫌われたくない。怖がられたくない。離れ離れになりたくない──至極当然の感情が」
「でも彼は、
「傲慢だから、よ。傲慢であるが故にプライドは愛されていない状態を酷く嫌う。何故なら愛されて当然だと、プライドの根本部分がそう言ってきているはずだもの。だというのに貴女、長いこと全く振り向かなかったでしょう。そんな貴女の態度は、プライドにとっては極度のストレスだったのではないかしら?」
ふむ。
だから怖がった。ある意味で距離を置くような……距離感を間違えて私に嫌われるのを恐れて、自ら距離があるような言動をしたと。
「少なくとも貴女が現れるまでのプライドは、お父様に対してそういう態度を取っていたから、あながち間違ってもいないはずよ」
「お父様、ですか」
「あら、まだ零していない情報だったかしら」
「いえ、フラスコの中の小人なる存在は示唆されています。実物を見たことがないだけで」
紙面で、あるいは映像媒体としてなら見たことあるけど。
本物はまだだ。
「──つまり、セリム様の好意は親へ向けるそれと同義と考えた方が良いということでしょうか。無論彼の恋慕について否定するつもりはありませんし、私はそれを受け取ったと認識しています。ただ、理解も出来ました。家族、あるいは親への愛情のすり替えが私に起きているのであれば、距離感を測りあぐねるのもわかるというものです」
私だってまだ、ダッドリー家に対しての距離感はわかっていない。
本当の家族じゃない、とまでは言わないけれど、やはり前世の家族を覚えている身としては、そこに隔たりがあるのは事実だ。過ごした年数が違い過ぎる。
「……」
「そのジトっとした目。何か間違っていましたか?」
「いいえ。ただ、大変な娘に恋をしたものねぇ、と思って、初めてプライドに同情という感情を覚えているだけよ」
「面倒な女である自覚はあります」
「そうね。重い女ではなく面倒な女なのが肝ね」
ム。
……肝に銘じておこう。
「さて、そろそろ私は行くわ。この後デートの予定があるから」
「そうなんですか。お相手は軍人ですか?」
「いいえ、一般人よ。貴女の言葉を借りるなら、軍の事はもう大体わかっているから、そこまで探りを入れる必要がないの。情報の齟齬も私が危険を冒してまで探るほどのものではないし。逆に一般人の方が要否に駆られるわ。彼らの全てを把握する、というのは中々難しいことだから」
「確かに」
人口5000万人、だもんなぁ。
そこに、たとえば私のように""前""と違う存在がいるかもしれない、というのを探り続ける仕事。
……大変そうが過ぎる。
「頑張ってください。応援しています」
「ふふ、そんなことを言われたのは初めてね。ええ、有難く頂戴しておくわ」
ハボック大尉ではないのかな、という探りではあったけれど。
よくよく考えればまだそんな時期ではないのか。普通に別の男性か。
あるいはもう、ハボック大尉には興味がないのかもしれない。過去を覚えている可能性のある人間が少なからずいる中で、マスタング大佐の部下に手を出してまた焼かれる、なんてのはラストとしても面倒だろうし。
剣に手を添える。
「ほう?」
ラストと別れた瞬間にこれだ。歓楽街のはずれ。憲兵の目の届かない路地裏付近。
鞘から剣を──抜かずに、地面を叩いて錬成陣を起動させる。ただ光るだけのそれは、今まで薄暗い路地裏にいた相手になら効果的だろう。
その隙に室外機から室外機へと飛び移り、建物の屋上へと飛び上がる。
路地裏。私にとっても戦いやすい場所ではあるが、地の利を考えたら相手の方が上。だって私ここ来るの初めてだし。
ならばせめて遮蔽物の少ない屋上の方が、と思っての行動だったが──果たして。
「良い反応だ。私達の手に掛けるに相応しい」
「……刀。軍刀ではなく、シンのものですか」
「いいや、さらにその東にある島国の手掛けたものだ。このように」
屋上の室外機がしゃらんと割断される。
速いし、巧い。
敵は成人男性。体格差は歴然で、今見せられたのが集中を要する絶技でないのなら、剣術の力量差も圧倒的。そして分の悪いことに──もう一人いる。
「良い耳をしているな、娘。弟に気付いたか」
「……弟」
そうか。
今まで会って来た人たちが過去を自省しているから判断に遅れたが──彼や彼らは、別に関係がないのか。覚えているかどうかも怪しいし、覚えていなくとも同じ行動を取った可能性が高い。
殺人鬼。
兄弟だから、バリーの方ではなく。
「スライサー兄弟、ですね」
「一般人にまで名が知れ渡っているというのは驚きだな。憲兵でさえまだ私達が刀を使う、ということしかわかっていないというのに」
「これでも剣術家の娘。剣の道を生きる者であれば、名は大体押さえています」
「……成程、ダッドリーの娘だったか。これはこれは、楽しい殺し合いができそうだ」
容姿に覚えはない。当然だ。原作に出て来たスライサー兄弟は鎧に魂を定着させられていたのだから。
確か。スライサー兄弟の死刑が決まったのが1912年。今年だったはず。まだ捕まっていない時に見つかってしまったのは最悪であるといえようが、同時に──口角を上げている自分がいるのも事実。
「殺気を前に、嗤うか、娘」
「生憎と殺気なるものを感じたことはありませんが、貴方が強者であることはわかります。──私はレイゼン・M・ダッドリー。不肖ながら、剣士の端くれに名を連ねる者。問います。貴方達は、私に何秒かけますか」
「多く見積もって六十秒と言ったところか」
「過分な評価をありがとうございます」
一分。
時間稼ぎで、それほど長い時間を保たせることができると評価されているのは素直にうれしい。
だから、言う。
「一分間です。手を出さないでくださいね」
「そんなことを私達が受け入れると思うのか?」
「いえ、あなた方に言ったわけではありませんので。勘違いさせてしまって申し訳ありません」
今にも──今にもスライサー兄弟を刺し貫き殺そうとしていた影に釘を刺す。
実戦だ。今までの戦いは全て相手が極限まで手加減してくれていた。大総統もグリードもアームストロング少佐もエイアグラムお兄様もラグスお兄様も。
けれど、こればかりは違う。
本気の殺し合い。得られるものは大きいと判断した。
「お二人で来ますか?」
「いいや。お前の発言を見るに、監視者がいる可能性が高い。弟にはそちらを消させる。弟には申し訳ないが、娘、お前との死合いは私が独占させてもらおう」
「承知いたしました。不意打ち上等ですので、全力で来てください」
「話を聞かん娘だな」
踏み込む。
私の出せる素の身体能力の最大速度で踏み込んで。
「遅いな」
「無論です」
「ほう?」
目の前にあった剣に鞘を当てようとして、躱された。
ちょっとわざとらしすぎたか。相手は本物の殺人鬼。こういう小細工は基本通じないと思った方が良い。
今のは私の得意分野になりつつあるソードブレイク。斬る、斬られると見せかけて、その実刀を折りに行っただけの奴。
躱された――けれど、その鞘を屋上に敷かれている送風管に当てる。
迸る錬成反応。このビルの人ごめんなさい。
「風……に、火薬か」
「はい。ですので」
突如送風管からごうごうと出ていた風が大爆発を起こす。ちゃんと屋内には入り込まないようにしている。この送風管も後でちゃんと直す。だから、今は大目に見て欲しい。
──とか、言っている場合じゃなかったらしい。
気付いたら目の前に刀があった。爆炎を突っ切って来たか。流石殺人鬼、生身でも頭が湧いている。
冷静に刀を避ける。いや避け切れていない。額の薄皮を四枚くらい持っていかれた。だら、と出てくる血液に、けれど時間を割いてはいられない。続く追撃を鞘で牽制すれば、スライサー兄は見事に引っかかってくれた。刀を引いたのだ。
なお、ブラフ。ソードブレイクはそんな頻繁に撃てる錬金術じゃない。ちゃんとした準備が必要だ。国家錬金術師ならもっと組み立ても早いのかもしれないけれど。
「大した胆力だ、娘!」
「そちらこそ、この身長差の相手によく合わせられますね。子供をそう何人も殺した、というわけではないでしょう」
「全く同じ言葉を返すぞ、娘。この体格差で一歩も退かないどころか驚きもしない、恐怖も覚えないとなれば、未来は豪傑だろう」
「ここで貴方に摘まれる命ですが」
「それがわかっていて平然としているのが大した胆力だ、と言っている」
「成程、称賛を素直に受け止めさせていただきます」
額からこぼれ出る血。
それが十分量に達したことを確認し、指で自らの額に血の錬成陣を描く。
アームストロング少佐の講座が生きた。簡単な錬成陣で高い効果を認めることのできる記号。その基礎訓練。
血中鉄分をそのまま極細の針へと錬成し直し、射出する。
さらに傷口をべったりと掌で触り、髪と右手を血まみれに。これで絵筆とペンができた。
「三十秒です。あと三十秒で私を殺してください、殺人鬼」
「異な願いをされたものだ」
「有言実行こそが至上。本気で来てくれないと困ります。あと三十秒しか楽しめないことを自覚してください」
突き──じゃない。蹴りだ。
足に沿うように体を回転させて、血の付いた掌を軸に回し蹴りを叩き込む。手応え無し。確実にわき腹を捉えたのにコレなのは、単純に筋肉量の問題だ。私の蹴りが弱すぎるのと、スライサー兄の腹筋が強すぎるの。
だが、流石にこれは通させてもらう。
「油断は」
「禁物ですね」
好機と見たか、フリーになった私の足を掴もうとした彼のその腹に、石柱がぶっ刺さる。形をグーにしたり尖らせたりしている余裕はなかった。ただ血で円を描いて、その範囲を押し出しただけ。
ただ、正直グーより円柱の方が威力出るんじゃないか疑惑はある。勿論尖っている方が確実に強いのは認めるけど、エドワードがよくやるグーの錬成は弱いんじゃないかってつくづく思うのだ。まぁ相手を殺さないようにしているからとか、彼のイメージがそのまま錬成に現れている結果なだけかもしれないけれど。
「四十二秒です」
「そうだな」
「──っぐ、ぅ!?」
石柱は確実に彼の腹筋にダメージを与えたはずだった。私の軟弱な蹴りとは違い、錬成による射出速度での打撃だ。普通の人間であればゲホゲホと咳き込むか、腹部を押さえて下がるくらいはする。
けれど、彼はそれをしなかった。飛び出してくる円柱にむしろ突っ込んできて、そのまま私を蹴り飛ばしたのだ。腹筋を使う斬撃こそできなかったようだけど、私にとっては普通に大ダメージ。想像の逆で、私が何度か咳き込む形となった。
「センスは良い。敵の隙とは攻撃のその瞬間だ。それを見極める目はある。──だが、娘。お前は自らを確実に殺しに来る──決死の相手、というのを相手取ったことが無いのだろう。それが敗因と知れ」
「五十、三秒、です。……なぜ、刀を振り下ろさないの、ですか」
「まだ秒数を数える余裕があるか。となれば、やはり狙撃手の類がどこかに──」
彼の興味は既に私ではなくなっている。
私を監視し、見守っている私よりも強い者がいるとわかっているのだ。そして、そっちと殺し合いたいとも考えている。
無理だ。
いくらスライサー兄弟が強かろうと、プライドには勝てない。
やめろ。あと七秒、六秒とあるその時間を私以外に使うな。
それがどれだけ貴重な時間か、わからないのか。
「勝敗は喫している。それでも尚剣を向けてくるとは、死にたがりか、娘」
「そうでなければ、殺人鬼と相対する、なんてことはしていません。とっくに逃げています」
「──自殺志願者の手助けをする趣味はない」
「殺人鬼が偉そうにご高説をどうも。では、さようならです」
五十八秒。
斬りかかる。こうすればプライドも強い攻撃……勢いよく貫くとか、食べるとかはできないと踏んで。
張り付くようにして斬撃を入れ続ける。全ていなされ、全て弾かれているけれど、どうでもいい。私は、私は──ずっとぬるま湯に浸かっているわけにはいかないのだから。
ガン、と。
強烈な衝撃が脳に来た。いや、顎だ。膝蹴りを顎に食らったらしい。視界がぼやける。脳震盪……というかコレ、エイアグラムお兄様との戦いのときと同じじゃないか。学習しろよ、私。本当に非才の……愚か者め。
ああ。
「六十二秒。娘、お前の実力を見誤ったことは謝罪しよう。二秒、よく伸ばした。だがそれまでだ。──さて、どこで見ているか、聞いているかもわからぬ、この娘の守り人よ。出て来ないのであれば娘を殺すぞ」
「もういますよ」
「!?」
喋る隙は与えられない。
断末魔を発する口も、喉も。
体の内側から、数多の影が──鋭利な、厚みのない、影の化け物がスライサー兄を貫いた。いや、貫き殺した。
ずるり、と。
地上の方から、同じようにして死んだのだろう弟の死体が持ち上げられてくる。
「……ご迷惑をおかけしました、プライド様」
「迷惑だとは思っていません。ですが」
スライサー兄弟の身体が咀嚼されていく。
死刑にすらならないか。まぁ、魂の定着実験を必要としていないのならさもありなん。
ですが、と。
影の化け物は、私の前にその目と口を持ってきて──睨みつけるようにして、言う。
「心配はしました」
「申し訳ありません」
「身体をこの場に持ってきていないことを悔やみます。今すぐ君を抱きしめ、介抱したいのに……この身で君に触れてしまえば、介抱どころか傷つける可能性が高い」
「お気持ちだけで十分、です……?」
ぽて、と。
立ち上がろうとして、しりもちをついた。
ああ、まだ脳震盪のダメージが抜けきっていないか。
まずい。視界が。ここで倒れたら──ラグスお兄様に余計な罪悪感を負わせてしまう。
仕方がない。
カードを一枚切る。
迸るは錬成反応。けれど、円は無い。
「大丈夫ですか、レイゼン」
「はい。……錬丹術を行使しました。失った血液は取り戻せませんが、脳震盪及び止血は完了したものと思います。内臓ダメージがまだ少し残っていますが……家に帰る分には支障ありません」
「錬丹術。……シンの技術ですね。どこで学んだのですか?」
「独学です。プライド様の知っている通り、私にはシンの皇女候補の知識があります。彼女の使っていた技術を私なりに解釈し、簡易的な措置であればできるようになりました。問題があるとすれば、私の身体にしか使えない、という所でしょうね。流れというものの理解がまだ浅い私では、他者を治癒するには技量が足りな過ぎる」
同じ理由で遠隔錬成も無理。龍脈の流れというのを感じ取れたら話は別なのだろうけれど、今の私は自らの経絡の流れなんかを使った治療しかできない。それにしたってチャチなものだけど、使えないよりはマシだろう。
「……やはり、君は遠い。前にも言いましたが、どんどん遠くなって行くのをやめていただけませんか。隣にいてくれると約束したのですから、ずっと隣にいてください」
「はい。そのつもりです」
「……」
なんだろう。
影の化け物なのに、ジト目なのがわかる。
「申し訳ありません、プライド様。私は今お母様より出された課題の途中でして、時間がないのです。この連休期間中に課題を達成できなければ、相応の罰を受ける結果となってしまいます。ので、この辺りでお暇させていただきます」
「わかりました。ただ、家に帰るまでの間、ずっと僕がついていると思ってください。今回のような暴挙はもう許されないものと」
「はい。殺人鬼にまた襲われない限りはやりません」
「バリー・ザ・チョッパーなら1908年に死んでいますよ。食べました」
──なんだって。
「ではお気をつけて」
「……はい。ありがとうございます」
そうか。
人を減らし過ぎたくない方針で動いていた
そうか。
いないのか、バリー。良いキャラクターだったんだけどなぁ。
逆にスライサー兄弟の隠形を褒め称えるべきかな、ここは。
そっかぁ。