セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
あの日、何のお咎めも無しに帰宅できた私は、自室のベッドの上でううんと唸っていた。
未来で困ることがあるから頼っておく。おお、あの時は啓蒙に近い言葉に思えたけれど、言葉で理解してそれを実行に移せていたら、今の私はいないのでは……?
恐るべしや
なお、お母様に敷地外に出ることを禁じられていたにもかかわらずお咎め無しだったのは勿論ラグスお兄様の失態……彼が飲み仲間を含めた散々"ツケ"にしてきた人物たちに追っかけまわされている姿が多数に目撃されていたこと、及び行きは私を連れていたのに帰りは一人だったことなどから、怒りの矛先がラグスお兄様の方へ向いたためである。
あそこまで背中の小さいラグスお兄様は久しぶりに見た。
「それで、君の出した結論は、未来で困るから今から頼っておく、というもの……だったか」
「はい。ですので、私が欲しがりそう、あるいは困りそうなものを思いついてほしいのです、エイアグラムお兄様」
言えば──エイアグラムお兄様は眉間を揉む。
端正な顔立ちに皺が寄る。これは将来しかめ面の軍人として有名になるに違いない。
「頼る……確かに君に必要なことだ。けれど、同時に……難しい課題を出すな、母さんは」
「わかってくださいますか」
「斯くいう私も苦手な分野でね。上司や……部下、同僚。全員から"何でも一人でやろうとするな"と罵られている」
あれ。
……あれ。
「ええと、では、その場合、どうしているのですか? 流石にエイアグラムお兄様も軍人となられてからそれなりの年月を経ているのですから、解決法などが」
「苦肉の策として、月一の飲みの場で奢ってもらう……という取り決めをした。押し付けられたに近いが、私にできる頼り方として最もミニマムな、そう、他人に迷惑をかけ過ぎない選択だった」
あれ。
この人、私と同じでは?
「それが解決策であるとすると、難しいですね。今の私は親の庇護下にある身。奢り奢られ以前に、生活の全てをダッドリー家に頼っている状態です。あ、ならいいんじゃないですか? 私、今ダッドリー家に頼って生きています」
「家族を、それもまだ十に満たない幼子を育てることを"養う"なんて思っている親はいないよ、レイゼン」
それはそうかもしれない。
……いやでも、やろうと思えば私は独り立ちできるのでは。いや、
「ちなみにそのこと、お母様は知っているのですか?」
「知っているよ。過去、私も君と同じような内容で怒られたことがある。その時は、"そのまま一人で背負い過ぎると却って孤立するからやめなさい"、と。この言葉が無ければ、今の私は……軍の中でも孤立していた自信がある。それくらい他者を必要としない生き方を選んでいたし、それくらい……他者を身内の線に入れるのが怖かった。レイゼン、君もそうなんじゃないかな」
「……身内の線、ですか」
「ああ。あの頃の私は自分と自分以外……つまり己か守るべきアメストリス国民か、くらいの区切りしかつけていなかった。他者を他者としてしっかり認識できていなかったんだよ。……酷い話だ。一つの戦争を共にした仲間にさえ、そう考えていた。強弱の話ではないよ。私が、この身の保つ限り、守るべき人間である――だから、守るべきアメストリス国民。そう、本気で考えていた」
馬鹿ですね、とか言えればよかったんだけど。
思い当たる節がちょっとあるから、閉口してしまう。
自分か自分以外か。
私の場合、セリムかセリム以外か、になるのかな。いや、エイアグラムお兄様よりは身内のラインは広いはずだ。だって私はもうダッドリー家や他の
セリムと誓いのように言葉を結びあったにもかかわらず、そのためならば命を薪にしても問題ないという壊れたセーフティがある。
──多分、エイアグラムお兄様よりも身内の円は広いのに、エイアグラムお兄様より短絡的なこの思考は……確かに孤立を生みそうだ。
それが、孤立することが何か私にデメリットを齎すのか、なんて思ってしまうくらいには、私は短絡的なのだ。
「レイゼン。君も将来軍に入る気なのだろう?」
「ダッドリーとして生まれた以上は、そうですね。セリム様の許婚である以上どこかで見極めをつける必要はあるのでしょうが」
「……なら、仲間を作る、ということは最重要事項だ。私も随分と苦戦した。ラグスのような誰とでも仲良くなれる才が私にあれば良かったのだが、無いものを羨んだところでどうしようもない。だが、こんな私にも……他者を認識する、ということをしただけで、付いてきてくれるものが増えたんだ。正確に言えば、ずっと私を心配してくれていた者達が、"ようやく自分たちを見たか"と笑顔で肩を組んできた、というニュアンスになるが」
仲間を作る。グリードにも言われたな。
他者を認識する。……それは、身に染みる言葉かもしれない。なんせ前世においても私は他人をそこまで認識していなかったから。なんというか、生きる上で必要なワードとしてしか名前を記憶していなかった。……一度死んだから振り返ることができているけれど、いや本当に馬鹿な女だ。そんな特別な資質を持っていた、とかでもないクセに。
「幼等部の者から仲間を見つける、というのは……君程の聡明さを考えるに、難しいのかもしれない」
「そう……ですね。セリム様以外と話が合った試しがありません。正確に言えば、入学以来セリム様以外とはほぼ喋っていません。話しかけて来ませんし、話しかける気がなかったので」
「ただ、それでも周囲の人間は把握しておくのがいい。これは私も言われたことだけど、どうやら私達が他者を認識していない時の目、というのはとても分かりやすいらしいんだ。"物と人の区別のついていない、新型の全身機械鎧なんじゃないかと思っていた"なんて言われることがあったくらいだから」
物と人の区別。
使えるか、使えないか。壊れにくいか、壊れやすいか。
……。
「これは、エイアグラムお兄様を頼った、という認識でいいと思います。私は今、未来で困るだろうことに対し、事前に解決策を貰いました」
「母さんがそれで納得してくれると良いのだけどね」
「お母様次第なのはどの答えに対してもそうです。ただ、秘策はあります。任せてください」
「君がそういうことを言う時、大抵ろくでもない上に失策するものばかりな気がするけれど、そうだね、私にできるのはここが限界だろう。あとはお爺様と母さん自身か。頑張りなさい」
「はい。ありがとうございました」
頭を下げて退室する。何か書き物をしている最中だったというのに、本当の意味でお邪魔しました、だった。
さて次は──お爺様か。
「ならん」
「何故ですか?」
「なぜも何も、もうラグス達から聞いておるのだろう? ダッドリーの剣とは非才にこそ与えられる剣。その点、レイゼン。お前は才がある。なれば非才の剣を授けるなどもってのほかだ」
「はい。私には才があるらしいので、非才の剣も身に着けることができるのではないかと考えました」
「……才がある、と言われたからそう振舞っているだけで、実際の所お前はそう思っていないのだろう。目を見ればわかる」
ぎく。
……いや、だってそうだろう。今の「目を見ればわかる」を含めて、私には気配だとか殺気だとか、耳に聞こえる以上のことは悟れない。シンの氣を見る技術とか、ラグスお兄様、エイアグラムお兄様が訓練中に行う「死角からの奇襲に対する対処」……「もっと殺気を隠せ」みたいなのは、私は全くできない。
達人じゃないか、それは。私が真に天才なら、そういうのもっとできていいはず。でもできていない。
「とにかくならん! お前にダッドリーの剣は授けん。これは決定事項じゃ。どれほど言葉を積まれても儂は頷かんぞ」
「わかりました。では、お願いがあります」
「……なんじゃ」
「門下生の皆様と手合せさせていただけませんか? 授からずとも盗み取るのは……構わないでしょう?」
「それは、まぁ、良い。あのぼんくら共にも良い刺激になる。ただこれを言っておく。"怪我を前提とした攻撃はするな"。良いな?」
「はい。するつもりでしたが、やめました。釘を刺す天才ですか、お爺様は」
「お前の戦い方を見ておれば誰でも言うわ」
怪我前提、骨切肉断戦法は無し、と。
戦術の幅は狭まるけど、やるしかない。
さて、スライサー兄弟に手も足も出なかった私が、果たして門下生の皆さん相手にどれだけ立ち回れるか。
個人的にはスライサー兄の言っていた"決死の覚悟で来る相手"との戦闘経験を積みたいのだけど、それは贅沢が過ぎるから、とりあえず、だ。
戦って戦って、達人に一歩でも近づけるようになってみせよう。
あ、今のでお爺様を頼った扱いでいいよね。
剣を構える。
もう隠さなくなった、右手に剣、左手に鞘の四足の構えで。
「では──始め!」
初速、錬金術による小規模な爆風……風圧を靴の裏で爆発させる、というものを使って速度を上げて、門下生さんに肉薄する。門下生さんは目を少しだけ見開いて、けれどその速度に追いついた。追いついて防御した。
それにより割断される鞘。これにはさすがに驚く門下生さん。まぁ当然だ。練習用の木刀で木製の鞘をガードしたら、普通は止まるに終わる。余程強い力で殴ったとしても、押し合いが始まるくらいで割断までとはいかない。
ではなぜこうなったのか。
決まっている。そういう仕組みの鞘だから、だ。
「っ、油!?」
「の、ように着色した水です。そう恐れてさがらなくても大丈夫ですよ」
「……ご冗談を。レイゼンお嬢様相手に恐れを抱かず、油断するなど……私にはできません」
「過分な評価ですね」
「ええ、自覚がないのがより厄介です」
無駄に警戒されていてやりづらい。
確かに今のは着色した水なんかじゃないし、もう少し剣に纏わりつかせられていたらソードブレイクが可能だった。けれど門下生さんはすぐさま剣を振ってその液体を木刀から飛ばしてしまっている。
これ、ラグスお兄様のせいですね。あの人が天才天才と喧伝して回るから……まぁ、今いない人のことを考えても仕方がない。
割断された鞘を拾い、錬金術で繋げる。木製だから錬金術は効かない、なんてことは全くない。鋼の錬金術師の錬金術は錬金術をこそ名乗っているけれど、その実金属以外をどうこうしているシーンの方が多い。今のは生体錬成の応用というか、有機物に対する錬成の基礎。
そして今、「来ないのであればこちらから行きますよ!」と迫ってきている門下生さんが踏もうとしているのが。
「ッ!」
「……何故横に転がるような真似を?」
「お嬢様が指を鳴らしたからですよ。私はそのしぐさに覚えがあります」
「世に名高い焔の錬金術師──のしぐさ、ですか?」
「はい」
「でも、実際は何も起きませんでした。つまりブラフです」
「ブラフをブラフと喧伝する相手は戦場にいませんよ、お嬢様」
「そうですね。──では」
もう一度切りかかる。
今度は鞘ではなく剣──言っておくけれど、私も木刀──で。
門下生さんは、明らかに精彩を欠いた動きをし始めた。目線が私にない。キョロキョロとあたりを見渡して、何か"兆候"が無いかを見ている。
その、胴体に──横薙ぎの剣を入れる。
筋力の関係上彼にダメージはない。だけど。
「そこまで! 勝者、レイゼン・M・ダッドリー!」
この勝負、実は先に一本入れた方の勝ち、というルールだった。実際私が持っていたのが真剣であれば彼は致命傷を負っていたことだろう。勿論最初の割断で私もそれなりの怪我をしていたはずなので、そんなのはIFのそのまたIFでしかないが。
「……やられました。まさか、全部ブラフですか?」
「ああ、いえ」
効果範囲外にまで彼の手を引いて連れて行って、鞘の先端を強く地面にたたきつける。火打石のような構造になっている鞘の先端から迸るは火花。
それにより、先ほど零れた液体の振りかかった場所が激しい炎に包まれた。
「……」
「このように、引火性の高い油です。問題点は匂いが強いことですかね。あなたに悟られてしまったように、一瞬で油だとわかってしまいます」
「……お嬢様。私はダッドリー中将に、"今まで培ってきたダッドリーの剣を見せてやれ"と言われました」
「あ」
あ。
「ですが──見せる間もありませんでした。やはりお嬢様はダッドリーの剣を不要とする才がありますよ。私達は……ダッドリーの剣を授かっている身ではありますが、やはりお嬢様のように錬金術を用いたり、精確な銃撃ができていた方が良かった。羨ましいと、素直にそう思います」
「錬金術など学問でしかありません。学べば誰でも使えます」
「レイゼンお嬢様は、あまり周りが見えていないのかもしれませんね。今度、機会があったら聞いてみると良いですよ。民間で錬金術を扱う者に、習得にはどれほどの年月をかけたのか、そして戦いながら錬金術を発動できるかどうか」
言わんとしていることはわかる。
だけど、年齢は関係ない。私は前世の化学知識があるから早かっただけだ。
「……でも、私には突然現れた油を嗅覚だけで察知して回避し、一滴も残さずに木刀から振り飛ばす、という所業は行えません」
「それは経験値というものです。お嬢様程トリッキーな戦い方をする者はそう多くはありませんが、危険への嗅覚はダッドリーの剣を授かる上で必須のものですので」
危険への嗅覚。
それがダッドリーの剣の必須事項。
……一応、ヒントは貰えたのかな?
「なんにせよ、レイゼンお嬢様の勝ちですよ。もう少し喜んでください」
「申し訳ありません。喜び方をお母様のお腹の中に置いてきたことで有名なんです」
「泣くことも、笑うことも、ですか? ラグス様が私達によく愚痴ってきていますよ」
「嗤うことなら最近しましたよ」
「そうなんですか。それは喜ばしいですね」
ニュアンスの違いには気付かれないか。
まぁ、今は良いか。
これでお爺様ノルマも達成、かな?