セリム・ブラッドレイの許婚   作:クラレントブラッドブラッドレイ

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ほんわか回


第三章 「M」
身の置き所がない


 1912年は足早に過ぎていく。

 四月、五月を過ぎて六月。アメストリスに梅雨の概念はないけれど、なんとなく雨が続いているなぁ、とか思っていたその時――私はその人に出会った。

 

 褐色の肌に、赤い目。

 そして──額の傷。

 

「……」

「……」

 

 知らない。

 イシュヴァールの殲滅戦が無かったというのに、なぜ彼が額に傷を負っているのか。何故その両腕に入れ墨があるのか。雨。雨だ。私にとってはそこそこな意味を持つ雨の中で、傘を差す二人。

 

「……」

「……お前は」

 

 フードやコートを纏っているわけじゃない。普通にしている。それを見ても当然誰も何も言わない。アメストリス人はイシュヴァール人を差別などしていない。聞いている話だ。知っている話。

 それでも身構えてしまうのは、彼の所業を知っているからだろう。

 思わず剣に手を伸ばしてしまったのは、彼の復讐心をずっと見て来たからだろう。

 

 呼吸。間合い。

 動き出しは完全にあちらの方が上だった。私は感じ取れないけれど、私から漏れ出でる殺気を感知したのかもしれない。破壊。破壊の右を以って、彼が私へと肉迫する──。

 

「何をしているんだ」

「っ……兄者。いや……少々立ち眩みを覚えただけだ」

「なに? 体調が悪いのか?」

「ことイシュヴァールの武僧にそれを言うか、兄者」

 

 しなかった。

 背後から彼に声をかけてきた者が、彼を止めてくれた。メガネが特徴的な男性。

 

「……お前は」

「あなたは」

 

 被せる。話の主導権を握る。

 その上で踏み込む。

 

「あなたは、未練を残していますか」

「……? 何の話だ」

 

 イシュヴァール人。殲滅戦なんかがあったんだ。未練という意味では、やり直したいと望むにあたっては、彼はうってつけだろう。だけどその反応からして違うとわかるし、何よりイシュヴァール人として、復讐者としてを抜いた彼個人の性格的にそういうことはしなそうだとアタリをつける。

 

「なんでもありません。それでは、失礼します」

「待て」

「なんですか?」

 

 雨が降っている。

 彼の兄が少しおろおろとしているのは、まぁ私が幼子だからだろう。彼自身が強面であるのを自覚していないのか、あまりにも鋭い視線で私をねめつけるものだから、仲裁に入ろうとしているのがわかる。

 

「お前の眼は、見たことがある。名は何だ、娘」

「──レイゼン・M・ダッドリーと申します」

「……そうか」

 

 ゴキ、と彼の腕が鳴った。

 それ見た彼の兄が、大慌てで彼を止めんとする。「何をする気だ」と。

 

「兄者──コイツは危険因子だ。この国の未来のためにも、ここで殺しておくべきだ」

 

 この国の未来のため、なんて言葉が彼の口から出るとは。

 ああでも、イシュヴァールはアメストリスとの併合を受け入れたのだったか。若者たちの衝突だけで、あとは合議で片が付いたと。ならばアメストリス人としての自覚でもあるのかな。

 だとして、私をそういう目で見るということは。

 私を──敵の一味、みたいな眼で見るということは。

 

 やはり彼にも記憶がある。気付いている。そして、その上で。

 

「この娘はいずれ騒動の中心となる――兄者。止めてくれるな」

「止めるに決まっているだろう! 自分が何を口にしているのかわかっているのか!?」

 

 傍から見れば事案だ。

 そして、そうでないにしても、今私を殺すのはマズい。なんせ雨が降っているとはいえ往来。イシュヴァール人の心象が今どうなっているのかは知らないけれど、女児を殺した、となれば流石に火もつこう。なんせ彼らがそうだったのだから。

 

「──申し訳ありませんが、私も無抵抗で殺される、ということはできません。言葉は要らないでしょう。多くを語って分かり合える程であるのなら、あなたはそんな目を私に向けはしない」

「……」

「そちらの方は、お下がりください。戦士でないのなら──」

「そこまでだ!! 双方退け!」

 

 声を聞いても視線は外さない。一挙手一投足、見逃した瞬間に死がある。

 まるで猛獣か何かを相手にしているような気分だ。けれどそれに竦む足は持っていない。ただいつも通り風溜まりを足裏で錬成し──。

 

「だぁぁあああっ! なんでこう話聞かねえ奴ばっかなんだよ!!」

 

 直後、私達を分断する形で巨大な壁が錬成された。

 ……なんという規模だ。速度も強度も、絶対に敵わないと思い知らされる。

 

「アル、レイゼン連れてけ! オレは傷の男(スカー)の方を説得する!」

「うん、任せて、今度は逃がさないから!」

 

 駆け寄ってくる金属鎧。

 取るべき手段は。

 

「捕まえ、た! ……って、あれ?」

「もっと抵抗するかと思った、というような声ですね」

「う、うん。だってこの前は」

「この前は私の守るべき対象が殺されそうになっていたが故の行動です。此度は違います。守るべき者のない戦いにおいて、私は然程やる気は見せませんよ。相手が剣士でもなければ、ですが」

 

 アル。アルフォンス・エルリック。

 彼と戦う理由がないから、何の手段も取らずに捕まる。

 

「おいコラてめぇ傷の男(スカー)! 今何やろうとした!」

「レイゼン・M・ダッドリーが災禍の中心となるのはお前もわかっているだろう。ゆえにここで摘み取っておくべきだと判断した」

「今っつーか今回は事情が違ぇんだよ! つか後先考えろ馬鹿! この、今の平和なアメストリスで子供に手ェ出したらどうなるかくらいわかるだろ!」

「ム……」

「エドワード君の言う通りだ。子供に手を出すこと自体が論外だが、仮に何らかの因縁があったとしても、時と場合を考えろ」

「兄者までか」

「誰が見てもそう言うわンなもん!」

 

 壁の向こうでは──なんだか、仲が良さそうな言い合い。

 そうか。

 そこ、別に敵同士じゃないのか。

 

「もう戦う意思はないので、降ろしてください。流石にこの雨に打たれ続けると風邪をひきます」

「あ、うん……ホントに戦わないんだよね?」

「あちらに戦闘の意思がないのであれば、こちらから動くことはありません」

「ほんとかなぁ……」

 

 無論、そんなことはないけれど。

 今の私は、ちょっとくらいの分別はつく。

 

 恐る恐ると言った感じでアルフォンス・エルリックが私を降ろす。降ろされたので、そのままスタスタと地に落ちた傘を取って、簡易的な錬金術で服の水を飛ばす。

 

「え、今どうやって錬金術使ったの?」

「服の裏地を含めて、私は全身のあらゆるところに錬成陣を仕込んでいます。咄嗟に描いたものだと効果が薄い、あるいは望んだ効果が得られないためです」

「でも今、手、当ててなかったよね」

「当然です。今の錬金術は下着に刻んでいるものですから。流石の私も貴方の前で下着に触る、ということへの羞恥心や抵抗感はありますよ」

 

 ……ああ。

 

「錬成陣に手を当てずに錬金術を発動する方法の方に興味があるのですね」

「興味があるというか、よくできるなぁ、って。ボクもできないことはないけど、難しくない?」

「容易です、とは言いませんが、基本的に私の両手は剣と鞘で埋まっていますので、できるようになるまで訓練しました。……国家錬金術師であるエドワードさんには敵いませんよ。錬成速度もその規模も……私では遠く及ばない」

 

 それは真理を見たが故の、だけじゃないと思う。

 彼の類まれなる想像力とセンス、そして演算能力が行えている所業だ。十年、二十年とかけてもこの域に達することは難しいと断言できる。

 

「お二人はどうしてセントラルに?」

「ああ、ちょっとこっちでやってた調べ物がひと段落ついたから、報告と情報のすり合わせをしたくてね」

「成程。それは此方としても良い機会かもしれません。こちらにもすり合わせたい情報がいくらかありますので」

「ホント? じゃあ兄さんたちのが終わったら、どこかホテルとかに入って話し合いだね」

「男性四人と女児一人でホテルですか」

「……え、えーと」

「冗談です。ですが、流石に目立ちますから、こちらの用意しているセーフティハウスを使いましょう」

「そんなのあるんだ……」

「セリム様が買ってくれました」

 

 ラグスお兄様と話し合いをするときにいちいち大総統府に行くのは面倒、ということで、そのセーフティハウスへ私達が赴き、セリムは影で参加、が最近のスタイルだ。ちなみにラグスお兄様からヒューズ中佐への取次はちょっと難航中。 

 気さくな人物ではあるけれど、軍法会議所の軍人でしかも上官に、適当な理由で「飲みに行こうぜ」とかは流石のラグスお兄様でも無理だった。なので今外堀を埋めている最中だとか。詳しく聞いても「あー、いいから俺に任せとけっつったろ?」で終わらされてしまうので詳細が把握できていない。

 

「アルフォンスさん」

「なに?」

「これは後でも話すことなのですが、一応聞いておきます」

「うん」

「あなた達兄弟もまたこの繰り返しからの脱却を目指している――というのは、前提として考えてもいいんですよね?」

「それは、勿論だよ」

「──お母様が亡くなられるかもしれないのに、ですか?」

「……」

 

 そこはまだわかっていないことだ。

 この繰り返しから脱却した時、一周目、つまり原作の完結後の世界として未来が紡がれていくのか、此度の周回が地続きになるのか。

 前者であればトリシャ・エルリックは死ぬ。ダッドリー家もなくなる。当然私もいなくなる。

 どうしても、私には思えないのだ。繰り返しの中で、"死ぬはずだった人間が生き過ぎている"この現状で未来が続くのならば、それは死者蘇生と何ら変わりがない。そんな未来が訪れる、なんて。

 トリシャ・エルリックが死に、ニーナとアレキサンダーも死に、イシュヴァール人は殲滅されていて、マース・ヒューズ中佐も殺されて。

 

 あの未来から先が続くと考えた方が不思議じゃない

 

「……ボクと兄さんも、それについては……考えてる。勿論嫌だよ。母さんに会えなくなるのは。叶うならこの繰り返しをずっと続けていたい、って思いも……ボクたちの中にあるのは事実だと思う」

 

 でも、と。

 

「この繰り返しが歪である、というのもわかってる。というより、これは、これこそ後で話そうとしてたことなんだけどね」

 

 アルフォンスは、ギリ、とこぶしを握り締める。

 何か許せないことでもあったかのように。

 

「これだけの規模のことがノーコストで起きている、って考えるのは、ちょっと無理があると思うんだ」

「……それはつまり、誰か、あるいは何かが代償を支払っている、と?」

「うん。錬金術の世界は等価交換。この繰り返しを"得て"いる分、どこかの誰かが何かを損なっていると考えた方がボクら的にはしっくりくる。……もしそれが、人の命だとか、あるいは賢者の石だとかだったら、と考えたら」

 

 そんな世界は、望まない。

 強い口調で。

 

 ……強いな、やっぱり。

 

 と、その時バチバチと錬成反応が走って壁が消える。

 どうやら話がついたらしい。

 

「アル、逃がしてねぇよな!」

「うん。こっちはほのぼのだったよ」

「……そうかよ。んじゃまぁ、レイゼン。こいつら信用できねえとは思うが」

「いえ、信用しています。そして今後の予定についてもアルフォンスさんと合議がついています。私達のセーフティハウスへ案内しますので、どうぞ」

「あん? 別にオレ国家錬金術師だから軍用ホテルタダで使えるぜ?」

「兄さん兄さん。今回のレイゼンさんは子供なんだから、その」

「あー、野郎四人と女児一人。……よしわかった。そっちのセーフティハウスに案内してくれ。一応聞くがよ、罠とかは」

「ありませんが、時折人造人間(ホムンクルス)は来ます」

「それが罠じゃなくてなんだってんだよ……」

「敵対していないのですから問題ないでしょう?」

 

 何より、だからこそ機密性が保たれている、と言える。

 盗聴器だの盗撮だのは絶対にできない。毎日のようにセリムが部屋を監視しているらしいから。監視というか、掃除というか。

 一応どこぞからか気にはされているみたいなのだ。まぁ当然なんだけど、セリムとその許婚が二人っきりになるような家を買った、なんて聞いて──気が気でないのは政治関係者とあとお爺様。セリムの苦笑いに近い反応を見るに、ダッドリー家が多く動いているみたいだけど、私は何も知らない。殺してもいないようなのでガン無視だ。

 

 さて、それじゃあご招待、である。

 

 

 

 

「でっけー……」

 

 それについては同意する。

 あばら屋くらいでいいと私は言ったんだけど、セリムが買ったのは一軒家だった。セーフティハウスというか。もう根城とかアジトとかそういうのだよね。

 

「……中にいるのは誰だ」

「セリム様です」

「いっ!?」

「安心してください、と言っても信用できないでしょうが、まぁ安心してください。もし戦闘になった場合、初めに当たるのは私なので、その隙に逃げるなりなんなりしてくだされば」

「だから安心できねぇんだけど……」

 

 扉を開く。

 

 そこには、ニッコリ笑顔のセリムが。

 ──隠そうともせずに、影の化け物を展開して待ち構えていた。

 

「オイオイオイオイオイ!?」

「セリム様。そういうことをするから私達は交渉に向かないと言われるんですよ」

「あっ、今かなり傷つきました。君と同レベルに思われるのは僕の精神的によろしくないですね。ひっこめます」

 

 引っ込んでいく影の化け物。

 ……今言われた悪口については踏み込まないで置こう。

 

「よぉ、レイゼン。そいつらが例の国家錬金術師か。と、イシュヴァール人?」

「あ、いたんですかラグスお兄様」

「いたんですかはねーだろ」

「はい、こちらが国家錬金術師のエドワード・エルリックさん、その弟のアルフォンス・エルリックさん。そして名前の知らないイシュヴァール人の二人です」

「……ツッコミどころしかねぇが、まぁいい。お前を介して喋ると話が進まねえからな。俺はラグス・M・ダッドリー。少佐位だ」

「知ってるよ。たまにだけど、共闘したこともあったし」

「あー、悪いが、俺はそこまで鮮明になんもかんも覚えてるってわけじゃねーんだわ。だからまぁ話についていけないとこもあるだろうが、そこはテキトーに頼むわ」

「おう」

 

 共闘、なんてあったのか。

 ……ああいや、私と敵対したことがあったのなら、エドワード・エルリック陣営にいてもおかしくはないか。

 

「で? 傷の男(スカー)とその兄ちゃんは、やっぱここでも名乗んねえつもりか?」

「無論だ。泡沫の彼方とはいえすでに捨てた名を名乗るなどあり得ん」

「私もそれは同じだ。正直私には……()()()()()()()()()()という事実自体が上手く呑み込めていないが、死した者が蘇るのはイシュヴァラの教義に反する。呼びづらいなら呼びやすい呼び方で呼んでくれ」

「呼びづらいから名前教えてくれって言ってんだけどずっとこの調子なんだよなぁ」

 

 傷の男(スカー)と、その兄。

 作中屈指の戦闘センスの持ち主と、作中屈指の天才。エドアルも天才で、ラグスお兄様は……まぁ何かよくわからないけど、コミュ強。そしてセリム、あるいはプライド。

 

 ここにいる者だけでアメストリス転覆狙えそう。私はさしずめトロイの木馬かな。送り込まれて入り込んでバックドア仕掛けるくらいしか取り柄が無さそう。

 

「では、レイゼン」

「はい、セリム様」

「ちょっと買い出しを頼んでいいですか?」

「……? 何故ですか?」

「客人を招き入れる準備をしていなかったので、ここには食材や飲料というものがありませんから」

「いえ、そういうことではなく。何故私を話し合いから外すのですか?」

「君がいると円滑な話し合いに凄まじい摩擦が発生するからですよ」

「……あの、セリム様。何か怒らせましたか?」

「いえいえ。君が自ら進言する形でとりあえず交渉の席に着くだけでもしたい、と言っていたイシュヴァール人の二人を相手に、"言葉は不要"だとか"語ってどうなるものでもない"とか言って殺気を叩きつけていたことなどまったく気にしていませんよ。ほら、お願いします」

 

 えーと。

 ……はぁい。

 

「あ、じゃあボク付き添いで行くよ。女の子一人雨の中に放り出すのはちょっと思うところあるし」

「……」

「えっ、なに、すごい目で睨んできてる……」

「アレは嫉妬しているだけですよ。曲がりなりにも私とのデートとなるので。それでは行ってきます。ああ、セリム様。私にこれだけ言っておいて、帰ってきたらこの家が血みどろ、とかはやめてくださいね」

「君じゃないんですからそうはなりませんよ」

「……」

「……」

「……じゃあ、行ってきます。行きましょう、アルフォンスさん」

「う、うん。行ってくるね、兄さん」

「オウ」

 

 ばたむ。

 扉が閉じる。

 

 ……。

 

「え──っと、もしかしてプライド……セリムと喧嘩してる?」

「いえ、疑似倦怠期という奴です。今までの私達は、ただセリム様から一方的に愛を囁かれる関係にあり、私はその好意を認めたために、それに報いよう、という形で成立していたのですが、セリム様はやはり私からの好意も欲しいらしく。なので一旦このようにして互いを遠ざけ合い、限界が来たら互いが互いに相手に好意を伝えたくなるだろう、という、ちょっとした実験ですね」

「それは、効果あるのかなぁ……」

 

 ちなみにこれはセリムから言い出したことだ。

 大総統と食事をしていた時のあのラグスお兄様との話し合いの中で、私がセリムに好意を持っていない、というのを聞いたらしく、それをどう受け取ったのかはしらないけれど、最近は「愛していますよ」の中に「愛してください」が入るようになってきた。

 それでもまだ私の中に愛情というものが芽生えないものだから、この疑似倦怠期実験に踏み切った、というわけだ。

 効果があるのかは知らない。

 

「さて、行きましょうか。疑似倦怠期実験のためにもできるだけ明るい場所を歩きましょう。彼の影が聞き耳を立てられない場所で秘密の話でもしましょう」

「……それってつまり、セリム側を先に決壊させたい、って言っているように聞こえるけど……」

「はい。あんな大事そうな話し合いから私を締め出したのですから、当然の報いでしょう」

「あー……うん、レイゼンさんって、確かにセリムの許婚として最適かも」

「どういう意味ですか」

「どういう意味だろうね……」

 

 その後、どれだけ突いてもどういう意味かは教えてくれなかった。

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