セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
「何を──何を考えているんですか、君は!」
開口一番が怒号だった。
いつも冷静沈着な彼には珍しい、焦燥と怒りの綯い交ぜになった声色。
あるいはエドワード・エルリックが自らの中に入って来た時と同じくらいの、恐怖に怯えるが如き感情。
「前に言ったはずです。父の前では、君とて塵芥に等しいと。私では君を守り切れない──だというのに君は、私に断りも入れずにっ」
「フラスコの中の小人が私を殺すことはあり得ません。ので、その懸念は杞憂に過ぎません」
「何故そう言い切れるのですか? いや、君はわかっていないだけです。父の恐ろしさを」
「錬金術師は研究者です。研究者は突然変異体に対し、過剰な刺激を与えることを良しとしません。あくまで冷静に培養を図り、増やせることが分かってから様々な実験を施していく。それが研究者というもの。フラスコの中の小人は錬金術の父とも言える存在なのですから、彼だってその例に漏れることはありません」
「それは一般的な人間の話だ! 父を君と同じ土俵で考えてはならない!」
「加えて私は突然変異体ではなく異物です。あるいは混入物。そこさえフラスコの中の小人に示してしまえば、それを駆除することなど絶対にできない。言い切る理由はただ一つ。彼が緻密な計画を練って行動するタイプの存在だから、です。突発的かつ実験的な内容を、悲願の前で無計画に広げるわけがない」
「だから、それは」
彼の激昂を。彼の心配を。
私はどこか、冷めた目で見ている。聞こえているのに、通り過ぎていく。
「──理解しました」
「っ、何を……」
「あれだけ私に愛を囁き、あれだけ私と手を取り合ってハッピーエンドを目指すと言っておきながら」
怖いんですね。
「──……」
「あなたも大総統と変わらない。偽の親子でありながら、子は親に似るを体現している。セリム様。あなたはこの閉じたフラスコの中で私と日常を過ごしたいだけ。考えてみれば当然の話ですね。あなたは
長きを生きる
だったら、もし彼が本当に私と長く共にありたいとそう願っているのなら。
「私の中で黒幕は大体絞り込めていましたけれど、あなた、という可能性もありましたね、セリム様」
「そんな、わけが……ないでしょう」
「ええ、そうですね。私は"一度目"にはいなかった。ダッドリー家自体が途中で現れた家だから、この繰り返しを構築したのがセリム様であるはずがない。けれど今、この時、あなたの恋の成就したこの時においては──まだまだ続いてほしい、と思っているんじゃないですか?」
アルフォンスも言っていたけれど、この世界はあくまで等価交換のもと成り立っている。
誰か一人がこの大規模な儀式を構築し、そのリスクを背負い続けるのは無理がある。閉鎖・真理の扉なんていうものを作り上げた何者かが一人であるとは限らない。あるいは初めこそ一人だったのかもしれないけど、回を重ねるごとに協力者を増やしていった可能性だって否めない。
セリム。
セリム・ブラッドレイ。
あなたがそうでないと、何故言い切れるのか。
「僕を……疑っているんですか、レイゼン」
「ええ、あまりにもらしくないので」
「らしくない?」
それは前々から言ってきたことだけど。
私に対する行動のすべてが、あまりにもらしくない。
従わないのであれば無理矢理閉じ込めてしまえばいいのに。
失うのが怖いなら自由を与えなければいいのに。
それを行い得る力が、彼にはあるのに。
「誠に勝手ながら、非常に厄介な解釈を押し付けた上で言わせてもらいますが──今のセリム様は、傲慢とは程遠い。まるで普通の人間みたいです。化け物のような影を操ることのできる、ただの人間」
「僕が……」
変化を恐れて蹈鞴を踏む様も、今みたいに言葉を飲み込んで言い淀む姿も。
「別に、本気で疑っているわけではないですよ。ただ本当にハッピーエンドへ向かっているのか怪しいな、と思っただけです。あなたは私の隣に立とうとしてくれているのかもしれませんが、目指しているところは決定的に違うのかもしれない。今更あなたの恋心を疑うことはありません。あなたの愛情を否定することはありません。けれど」
けれど、だ。
「申し訳ありません、セリム様。──私には、閉じた世界で一生踊り続ける趣味はありません。たとえこの身が滅びようとも、それであなたが悲しい思いをしようとも、この繰り返しを続ける意味を見出せない。私はセリム様、あなたの護衛です。よって──あなたが怖れ、怯えて行動を起こさないというのなら、私がやります」
「……君に何ができるんですか。非力で非才で、ただの子供でしかない君に」
「繋ぐことができます。閉じた世界と、外の世界を」
「……」
「疑っていますか? けれど私には実績があります。たとえばセリム様、あなたとエドワード・エルリックを繋ぎました。互いに相容れない存在であるはずのあなた達に繋ぎを作ったのは私です」
「まさか、あの時僕が君を褒めたことを本気にしているんですか? ……理解できないようならはっきりと言ってあげますよ。アレは皮肉です。君が行かない方が、僕が行った方がまだスムーズに事が運んだ。君が繋ぎ止めたものとしてはあまりに弱い実績だ」
「けれどセリム様は今までやってこなかったじゃないですか。勿論そうだと思いますよ。あの時セリム様が行っていれば、多少の戦闘こそ起きたでしょうが、私より効率よく彼らを手を結ぶことができたでしょう。けれどセリム様、あなたは行こうとすらしなかった。言動では自分が行く素振りを見せていたかもしれません。セリム様が行くと揉める、と私が言ったのかもしれません。けれど実際にあなたは行かなかったし、私が行って成し遂げた」
あの日、
ヒューズ邸に寄り付いたのも。
全部、私だ。あるいはラグスお兄様もそうかも。
「傲慢の名。返上してはいかがでしょうか。代わりに私が貰い受けますよ。今までの全て、これまでに成り立ったありとあらゆる事象は私の成果であると胸を張ります。非力で非才で何もできない子供はあなたに譲ります」
傲慢の許婚なのだ。
傲慢を騙ったところで文句はないだろう。
私自身、元から傲慢なきらいはあるのだから。
「ここ、開けてください。大丈夫ですよ、セリム様。あなたが何もできない己を恥じて、自らを弱いと嘲り、才の無き身であると言い訳をしている間に──私が全てを終わらせます。フラスコの中の小人が協力してくれるそうなので、セリム様の上位互換とも言える彼がいれば何も問題はないでしょう」
影は。
目と口だけの影の化け物は──それでも部屋を覆いつくしたままだ。私を囲んだまま。
良い。
なら、勝手に出ていくまでだ。
その影に、触れる。あるいはその鋭い口に触れる。
「ッ、……やめたほうがいい。これは、君の力でどうにかなるものではありません」
「何もできないから、何もできるはずがないと諦めて。何もできないから、何もしないでも変わらないと諦めて。私は変わりました。あなたに告白されたので。無限の箱庭の中で、唯一選ばなかった選択肢を取った怪物の告白を受けて、迷うことをやめました。諦めることをやめました。──どうぞご勝手に。今ここで私を阻んでも、私は前へ行くことを止めませんよ。この手があなたの鋭利さに負けて切り裂かれても、この身があなたの堅固さに押しつぶされても、この魂があなたの恐ろしさに食い尽くされようとも」
力を込める。
当然のように溢れる血。原作最強、厚みの無い影の化け物。
機械鎧でもないこの手が敵うはずもない。ただ当然のように皮膚が破れ、肉にまで達する。
残念ながら私の頭では、即席のフラッシュグレネードなんて作れない。まず素材がないし。
「やめなさい。……やめてください。やめてください、レイゼン!」
血だらけになって行く。ふむ、まぁ、ペンが増えた、と考えるべきだろう。
両手の指で錬成陣が描けるようになった。ただそれだけだ。
さて、ではどのようにしてこれを破ろうか。
ペンが増えたところでキャンバスがない。ああいや、服に描けばいいか。描いたところで素材が無い。そもそも何を錬成したところで勝てる気はしない。
じゃあやっぱり剣か。
レイゼン・M・ダッドリーと言えば剣だろう。ダッドリーの剣もここにある。剣術はお母様に習った者もある。独学で習得したそれもある。
「折れますよ、貴女が祖父から貰ったその刀。そんなもの、私には通用しない。……そうですね、君の言う通りだ。大切ならば閉じ込めてしまえばいい。怖いなら自由を奪ってしまえばいい。……そうではなくなりたいと願った私が馬鹿でした。私達
「そうやって自省するところも傲慢らしくなくて嫌ですね」
風圧の錬成陣はどこにだって描ける。
なら、大総統に傷を付けたあれでやるしかない。私の最大火力。この血濡れの手に更なるダメージを与えてしまえば再起不能になる可能性もあるけれど──知ったことか。
私はセリムの護衛。そんな彼が動けずにいるのなら、手足を失ってでも彼の前に出るのが私の役目。
たとえ阻んでいるのが彼であっても、関係はない。
「──実に良いですね、アナタ」
突如目が焼かれる。
眩しい、眩しい光。その光に、影の化け物が蒸発するように消えていく。
一秒か、二秒か。あるいは十秒ほど経った頃か。
ようやく光に慣れて来たその視界に、彼はいた。
真っ白いトレンチコートの男性。
「……ゾルフ・J・キンブリー?」
「初めまして、レイゼン・M・ダッドリー。さぁ手を。こちらにどうぞ」
「警戒しています、と伝えます」
「正直で素晴らしいですが、早くしないと彼の影が復活しますよ?」
差し伸べられた手。
……取らずに彼の脇を通り抜ける。
「おや、フラれてしまいましたか」
「今の私の手は血に濡れていますので。敵の血なれば貴方は気にも留めないでしょうが、自傷の血になど触れたくはないでしょう?」
「ふむ、過去においても初対面に近い頻度しか会っていないはずですが……よく私のことを理解しているようだ。しかし、良いのですか?
「何を言っているのか理解できませんね。そこには誰もいませんよ」
「……素晴らしい」
キンブリー。
彼の背後には、一台の車があった。運転席には。
「エイアグラムお兄様?」
「ああ、私だ。……怪我を」
「気にしないでください。ちょっとささくれで切っただけです。ですが、この車がエイアグラムお兄様のものであるのなら、汚してしまうのはマズいですね。治します」
錬丹術で治療を施す。多少、引き攣りのような違和感は覚えるけれど、まぁ今更だ。
私程度の練度で完全な治癒ができるとは思っていない。
「何故エイアグラムお兄様が?」
「それは彼が私の雇い主だからですよ、レイゼン・M・ダッドリー」
「雇い主? ……まさか、エイアグラムお兄様が錬金術の師事をした相手が、ゾルフ・J・キンブリーなのですか?」
「そうだ。彼……キンブリー大佐とはイシュヴァール時代から繋がりがあってな。無理を言って教えを乞うている。さ、レイゼン。後部座席に乗ってほしい。キンブリー大佐、行きましょう」
「ええ、行きましょうか。彼女の言う通り、中には誰もいなかったので」
助手席に乗るキンブリー。
大佐? 大佐なのか。……上官殺しをやっていないから、か? 賢者の石も貰えなかったけれど、上官殺しもしていないから、順当に階級を上げてマスタング大佐と同じ階級を、と。まぁ妥当か。
発車する。
振り向かない。振り返らない。
視線をやることさえしない。
だから、誰も追ってくることはなかった。
車中。
「しかしまさかエイアグラムお兄様がゾルフ・J・キンブリーに教えを乞うていたとは思いませんでした。体に爆弾仕込まれたりしてませんか?」
「……レイゼン。お前はキンブリー大佐を何だと思っているんだ」
「爆発狂」
言えば、クク、とキンブリーが嗤う。
反対にエイアグラムお兄様は不機嫌そうだ。バックミラーに映る彼の顔が明確に顰められているのがわかる。
「違いますか? ゾルフ・J」
「ああ、キンブリーで構いませんよ、レイゼン・M・ダッドリー。いちいち長いでしょう」
「あなただって他人への呼称は必ずフルネームでしょう。いちいち長いのに」
「ふむ、先ほどのことといい、随分と知られているようですね。どこで私を知ったのですか、レイゼン・M・ダッドリー」
「どこで知ったのか、という情報はあなたにとって意味のあるものですか、ゾルフ・J・キンブリー」
「いいえ、全く。聞いたところで忘れるでしょうね。それくらいどうでもいい情報だ」
「なら聞かないでください。無駄です」
「……エイアグラム・M・ダッドリー。聞いていた以上の堅物のようですね、彼女は」
「申し訳ない、キンブリー大佐。その、妹は……効率と合理と悲観と不屈を綯交ぜにしたような性格で」
「いえ、気にしていませんよ。フフ、それに……気付いていないようですが、アナタもそのきらいはありますから」
「私はレイゼンほど融通の利かない性格ではない自負がありますが……」
「そうですね、その点は認めます。ですが、効率と合理と悲観と不屈。ダッドリー家の人間には何度か会ったことがありますが、アナタもその体現者の一人と言って過言ではない。これはアナタの教師としての意見です。重く受け止めてください」
「……わかりました」
不思議な感覚だ。
キンブリーとエイアグラムお兄様。助手席と運転席に座る二人を、後部座席で眺めているこの状況。
なんか仲良さそうなのも不思議だ。エイアグラムお兄様はキンブリーの美学を理解しているのだろうか。キンブリーはエイアグラムお兄様の真面目さを理解しているのだろうか。
しているから、長続きしているのかな。長続きといってもそこまで長い間柄じゃないだろうけど。
「エイアグラムお兄様は、紅蓮の錬金術を習っているのですか?」
「国家錬金術師にその二つ名である錬金術を習う、なんて失礼なことはしない。私は錬金術の基礎、本当に基礎の部分を彼に教えてもらっているだけだ」
「そうですか。まぁエイアグラムお兄様に爆発は似合いませんし、それで良いと思います」
「……レイゼン。キンブリー大佐の何を知っているのかは知らないが、あまり失礼な態度は」
「私は気にしない、と言いましたよ、エイアグラム・M・ダッドリー。目上の人間を必ず敬わなければならない、などという古臭い悪習に、軍属ですらない彼女を巻き込む理由はないでしょう」
「大佐がそう仰るのであれば……はい。これ以上口は挟みません」
エイアグラムお兄様は少佐位だ。
だからこういう力関係になっているのか。押し切られるエイアグラムお兄様は珍しい。ダッドリー家では長兄だから、ほとんどの場合で発言を押し返される、なんてことはないんだけど。ラグスお兄様は押し切る以前に従わないだけだから。
「それで、何故あんなところを通りがかり、フラッシュグレネードなんてものを錬成したんですか、ゾルフ・J・キンブリー」
「あなたがあの家……セーフハウスでしたか。あそこにいると聞いたからですよ」
「誰から?」
「エドワード・エルリックですよ、レイゼン・M・ダッドリー」
「……驚きました。鋼の錬金術師と仲が良いんですか?」
「ええ、親友です」
「成程。ところでその親友という単語、読み方は隣人で合っていますか?」
ク、と笑うキンブリー。
この場にエドワードがいたら、「誰がテメェなんかとッ!」って機械鎧の腕の方で殴りかかっていたんだろうなぁ、というところまで予想できる。
「それで、鋼の錬金術師になんと言われて私を迎えに来たのですか?」
「素直ですね。エドワード・エルリックが私に何かを要求すると本気で思ったのですか?」
「聞き方を変えます。誰が、はどうでもいいので、なんと言われて私を迎えに来たのですか? ゾルフ・J・キンブリー。あなたは納得の行く理由が無ければ行動しないでしょう」
「ええ、そうですね。まぁ、私を動かせるだけの権限のある人間による指示、とだけ言っておきましょうか。誰なのかは会ってからのお楽しみですよ、レイゼン・M・ダッドリー」
「……大佐位を動かせる人間となると、グラン准将やアームストロング少将、グラマン中将あたりが思い浮かびますが。お爺様も中将位ですが、わざわざあなたを使うことはないでしょうし」
「会ってからのお楽しみです」
「そうですか」
「ええ」
考えても仕方がない、か。
まぁ、じゃあ、少しばかりの小休憩と行こう。車に乗ったのが久しぶり過ぎてなんだか慣れないけれど、ふむ。
……この時代の車、サスがあんまりよくないから酔うなぁ。苦手だ。あとでエイアグラムお兄様から許可を取れたら、錬金術でサスペンションの交換をしよう。許可取れる気がしないけど。