セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
というわけです。と締めた。私がエドワード・エルリックに抱いている疑念。ロイ・マスタングに見せかけている可能性。それらを開けっ広げに何も隠さず二人に話した。
反応は一様。
「……」
「……」
沈黙だ。
「ただ、勘違いしないでください。これらは全て事実確認をしていません。事実確認をしにここへ来た、が正しいでしょう。現時点ではこれら憶測は私の妄想の域を出ず、そうでないというのがおかしいからそうである可能性を考えた、に過ぎません」
「……兄さんを……疑うのはイヤだけど、……兄さんが何かをしている、というのは、うん。そう、だと思う。そして」
「錬金術とか真理とか、繰り返しとか。そーいうのはあたしにはわかんない。けど」
そしてまた一様に。
「兄さんは、本当に兄さんなのかな」
「あれ、エドじゃないでしょ。絶対」
異口同音。
……え?
「エドワード・エルリックではない、ですか?」
「うん。これは、身内贔屓とか、兄さんを盲信しているとかじゃなくて……兄さんは、目的のために他人を犠牲にできる人じゃないんだよ。たとえそれが母さんを生き返らせるためでも、母さんを生き永らえさせるためでも。ボクたちはもうそれをやらないって、誓ったんだ」
「というかアルに隠し事をし続けられてる時点でエドとは思えない。そんなことしてたらスグに顔に出るでしょ、アイツ」
「あはは、そうかも。イカサマ以外でのポーカーフェイスは苦手だからなぁ兄さん」
その可能性は考えていなかった。
エドワード・エルリックが、エドワード・エルリックではない。
「……ですが、昨晩……ああいえ、三日前に私の決闘に水を差したのは、アルフォンスさんとエドワードさん、ですよね?」
「うん。言葉、濁さなくてもいいよ。父さんとレイゼンさんの決闘に横槍を入れたのはボクと兄さん」
「決闘? ……野盗に襲われたんじゃなかったの?」
「どちらかというと私が野盗で返り討ちにあった形でしょうね」
彼の大事なものを奪おうとして、手も足も出なかった。それだけだ。
そういえばキンブリーはどこへ行ったんだろう。……私が死んだと見做してダッドリー家に連絡を、なんて短絡的な行動をする存在じゃない。なら、またどこかに潜んでいるか。
「どうして、だと思いますか?」
「何が?」
「エドワード・エルリックが本人にせよ偽物にせよ、彼にとって私は邪魔な存在のはず。身を挺してまで守る意味も、私が起きた時のように取り乱すことも、初めて会った時のように罪悪感を抱いた顔をする意味も──無いと思うのですが」
「だから、
「それなら合点が行くわ。あたしから話を振った時も、ずっとバツが悪そうな顔してるし。ああいう顔をするときのアイツは、脅されてるとか、弱味を握られてるとか、決まって自分じゃどーしようもないことがある時」
呆然としている、というのが正しいのかもしれない。
私はエドワード・エルリックという存在を「鋼の錬金術師の主人公」という形でしか知らない。だからその表情変化の差異や機微に、原作以上の理解は深められない。
幼馴染──あるいは彼女と、兄弟──あるいは相棒。
私では決して至れない境地。
幻想を抱きすぎているのではなく、幻想にさえ辿り着いていなかった、か。
「……ヴァン・ホーエンハイムは、どこへ行きましたか」
「わからない。ボクと兄さんが父さんを止めた後、父さんは行方を晦ました。ああ、そういえば、キンブリーから伝言があったよ。"ある程度の時間は稼いであげましょう。これで貸し借りは無しです"、ってさ」
「貸し借り? ……した覚えがありませんが」
「ボクに言われても。……それよりさ、レイゼンさん」
鎧だから表情はわからないけど、多分神妙な顔をしている。彼──アルフォンスは。
「あとは任せてくれないかな。ボクとウィンリィで、兄さんを問い詰める」
「危険でしょう。彼がエドワード・エルリックではないというのなら、アルフォンスさんはともかくウィンリィ・ロックベル、貴女は非力が過ぎる」
「じゃあ黙って見てろって? バカ言わないでよ。あたしはあいつの……彼女、なんだから。もうあいつの人生は半分貰ってんの。というか、あんたこそそんな満身創痍で何ができるっての」
「ですが」
「くどい! 重傷患者はベッドで休む! 傷が癒えるまで無理しない! というかあんた、生き急ぎ過ぎだし見てて心配になるし、一回止まって自分を見る時間を作りなさいよ。落ち着くとか、一息つくとか、普通のことに見えて、案外難しいものよ」
落ち着くとか。
一息つくとか。
……。
「うん、ウィンリィの言う通りだ。レイゼンさんは一回振り返った方が良いよ。……こういうの、当人同士で解決した方が良いことだとは思うんだけど……あのプライドがさ、誰? ってなるくらい落ち込んでたから」
「何か、言っていましたか」
「ううん。まるで普通の人間みたいに、ただただ落ち込んでた」
「そうですか」
ふぅ、と。
無理して起き上がっていた上体を、ベッドの枕に預ける。
頼るのではなく、任せる、か。
「……ま」
「はいはいもう何も言わないで良いから。あたしたちがあいつの身内としてやることなんだから、あんたが気負う必要はないし、心配も要らない! あいつが欠片でもエドなら、あたしとアルになんかしてくることはないでしょ」
「というか危険なのはレイゼンさんの方だよ。レイゼンさん、今気力だけで喋ってるよね。まだ重体なんだから、無理しないで。無理に動こうとしてベッドから落ちて気絶してたり、それで失血死してたりしたら、今度こそ帰ってこれないかもしれないよ」
「──……。──……。──……わかりました」
「どんだけ飲み込むのに時間かけてんのよ」
気力で起きているのは、まぁ実際そうだ。
こうして喋っているだけでも気を失いそうだった。体力の限界。ギプスに包まれた手足も強い痛みを発したまま。
今は治すことに注力するべきか。
腕さえ、指さえ治ってしまえば錬丹術の陣を描ける。だから、今は……立ち止まってみるべきだ。
「ウィンリィさん」
「なによ。まだなんかあるっての?」
「もう脱走を試みることはありません。よって看病は不要です。それよりも私は、あなた達がエドワード・エルリックを問い質せなかった時の方が怖い。逃げられてしまった時の方が怖い」
「あんたねぇ、いい加減に」
「ですから──早めにお願いします。前回似たようなことがあった時も、私は簡単に痺れを切らしてしまいました。待ちます。待ちますから、最速でお願いいたします」
私は酷く短気だし短慮だ。
不安を覚えたら自分で行動したくなる。放っておかれたら自身で確かめに行きたくなる。それらは行動力と称するにはあまりに美化し過ぎで、つける言葉があるとすればただ臆病なだけ、が正しい。
だから。
だから、私の不安がはちきれない内に、お願いする。
「任せなさい。エドの口を割るなんて、一瞬なんだから」
「うん。任せてよ、レイゼンさん。ボクは兄さんの弟だから」
「はい。任せます」
そうして、二人は部屋を出ていく。
離れ行く会話。「エド、どこいるか知ってる?」「わかんない。けど兄さんならきっと」「そうね、じゃあとっとと──」と、声も聞こえなくなって。
特に窓辺にエンヴィーが来るとか、キンブリーが来るとか、そういうこともなく。
一人に、なった。
「……これは独り言です。聞き流してください」
一人の部屋で呟く。
「まるでなっていない、と感じたのなら、それは正解です。……どれほど傲慢に振舞おうとも、私にはその根の部分に
全身から力を抜いて、ただ言葉を紡ぐことにのみ体力を集中させる。
「だから私は、傲慢には成り切れない。他者を振り回す言動をしても、自らに誇りがないからブレブレで、芯の強い人間には相手にされない。他者を見下すような強い言葉を吐いても、他者を弱いと断定できなくて、信頼できなくて、だから自らが動こうとしてしまう。本当に傲慢だというのなら、どこぞの椅子にでも座ってふんぞり返って、ただ指示を出すなりだけしていればいい。だってせっかく私を心配してくれている人々がいるのだから、使わない手はないのに」
お兄様も、お爺様も、お母様も。
そして、あなたも。
言えば従ってくれたのだろう。私が真に傲慢であれたのなら、私はずっと安全圏にいられたのだろう。
傲岸不遜。正しく真理だ。
「七つの大罪には前身となった八つの枢要罪が存在し、しかし後世においては九つにまで細分化されます。細分化されたものは恐怖と欺瞞。……私は自らを
欺瞞。
目的のためならば手段を問わない心。虚栄心。良く言えば皆の希望になる存在で、悪く言えば虚飾……自身を飾り立てていないと気が済まない。
傲慢が愛されていないことに恐怖を感じるのならば、欺瞞の感じる恐怖は無価値であることだ。
非力で非才。子供。何も変えられない。何もできない。何にも影響を与えられない、いてもいなくても変わらない存在。それが無価値でなくてなんという。
だから、強迫観念のように自らを追い立てて来た。常に自らの思う最高──最も近くにいて、最も恐ろしかった存在、傲慢であれるようにと在り続けた。
「意識を失う前に、もう一つ独り言を残しておきます。心して聞いてください」
薄れゆく視界。
緊張するように動く影。
「彼女に、会ってきました。──レイゼン・M・ダッドリーに」
「!」
「おや、その姿でも動揺は隠せないんですね。……いえ、無駄話はやめます。疲れるので」
雨降る純白。
混線した世界で見た、彼女の最期。
「"願わくは、セリム様の健やかなる未来を"。彼女は自身の喪失の対価として、この世界に穴を開けた。偉業であり愚行。彼女こそ本当の傲慢です。私には真似のできない傲慢でした。だから」
視界が暗い。
けれどこれは、暗転していく意識故ではない。
この部屋全体を影が包み込んでいるからだ。
「彼女の願いを、捨てないであげてください。あなたが愛した彼女を。今のあなたが愛しているのが私であるとしても、かつて愛したあの人の悲願を。──真理に確認を取ってきました。まだ穴は開いたままだそうです。もし。もし、黒幕をどうにかしても、システムをどうにかしてもどうにもならないと判明した時は──あなたのあらゆる知識、あらゆる力を以って、こんな
「……君は、手伝ってくれないのですか?」
「今の言葉を聞き届けるか。私に助力を求めるか。全てはあなた次第です。
ぷつん、と。
まるでテレビの電源を切ったみたいに、意識が途切れたのを感じた。
限界だったのだろう。限界を超過していたのだろう。
気力だけで麻酔に抗うなんて土台無理なんだ。──さぁ、けれど、関の山は背後にある。
ここから先は──。
*
ピ、ピ、ピと。
規則的な機械音が響いている。ベッドに横たわっているのは私ではない。私は彼を見ているに過ぎない。
「なぜ、私を救ったのですか」
答えはない。意識不明の重体。呼吸器のつけられた男性は、私を救った人間だった。
なんてことはない。信号無視をした自動車。突き飛ばされた時はなにも理解できなくて、周囲で響く悲鳴さえも消えなくて、その人は私の代わりに轢かれて──搬送された。されていくまで、私は何も感じられなかった。
「私を生き残らせて、何がしたかったんですか」
あなたの方が価値のある人間だったのに。あなたの方がやり残したことは多かっただろうに。
私はあなたのことを全く知らないけれど、有名人で、功績のある人物で。
「重いんですよ。邪魔でした。あなたに救われた命なのだから、何かしなくてはならない、なんて──くだらない。世間が求める期待はあまりにも的外れ。私はあなたの血縁者でも後継者でもない。あなたから引き継いだものなんて一つたりとてない。私は何も成せず、何も遺せず、何も達せない普通の人生を誇りに思って生きていた。私はそれこそが満足の行く人生だと疑わなかった」
ピ、ピ、ピという規則的な機械音は、しかし容態が安定していることを示すものではない。
彼の命がもう幾許も無い状態を示すものだ。
雨がまた、降っている。降っていた気がする。
「あなたのせいです。──人生に意味を求めよう、なんて思ってしまったのは。頭蓋、脳髄が地と激突するあの寸前に、自らの生の意味を考えてしまったのは、あなたのせいです。そして今、私が私の関わらぬ幸福を享受できないのも、あなたのせいです」
命を救ってもらった。言葉はそう言っているけれど、その実そうは思っていない。
押し付けられた。カタチを押し付けられた。在り方を押し付けられた。
重荷。
「もう一度問います。何故私を助けたのですか。私を助けることに、どんなメリットがあったのですか。あなたの命を賭したその行動は、何を生んだのですか」
「決まっているじゃないですか」
「──」
声が聞こえた。
呼吸器をつけた彼、ではない。この悔恨の悪夢で、そもそも彼はしゃべらない。声を知らないから。どういう口調なのかも知らないから。
「衝動的に、ですよ。何故も無いし、メリットなんか計算していない。その後に生まれるものも、君が背負うものも勘定に入れていない。ただ目の前にいたから。君を助けた理由はそれだけです」
「それは数えきれない観察からの統計ですか。それともシミュレーションですか」
「どうでしょうね。私が彼の立場にあったのなら、というシミュレーションでもあるでしょうし、君の言う通り数えきれない程の人間を見てきて、似たパターンを持つ人間から算出した疑似人格であるかもしれない」
「では不要です」
「知りません。君が必要だとか、不要だとか、私には関係ありませんから」
何か。
光を、見た。
雨が降っているというのに、窓の外から光があった。
「眩しいですか?」
「あなたの前に幾度となく立ち塞がった光、ですか」
「はい。彼は確かに、彼ではないのかもしれません。私は……私もまた、彼に幻想を抱きすぎていた。だからこの光も偽物なのかもしれません」
光はどんどん強くなる。
雨が降っているのに、空が明るい。これは──天気雨、という奴だ。
あるいは、狐の嫁入り、とも。
「でもいいじゃないですか。関係ないでしょう。彼の意思が本物でも偽物でも、彼自身が本物でも偽物でも、ここで横たわる彼の意思に何が込められていてもいなくても、君が本物でも偽物でも、私が変質していてもしていなくとも──何か、関係がありますか?」
「何に、ですか」
「
世界に罅が入る。
知っている。私の中に、こんな記憶はない。彼の病室には常に彼の親族や仲間たちがいたから、私がこうやって一人で彼に語り掛ける、なんて時間は存在しなかった。
これはただの心象風景だ。全てを背負わされたと勝手に自負した私の、勝手な怨み言。
それが、がらがらと音を立てて崩れていく。
「もう一度言います。何度でも言いますよ、レイゼン。関係ないのです。どうでもいい。君がどんな重荷を背負っていて、もう背負いたくないと投げ出しているその思考もどうでもいい。僕がどんな存在で、どれほど僕らしくないことを僕がやっていてもどうでもいい。もしこの
病室が崩れて。
ただ、晴れ空と、雨の降る世界だけが残って。
目の前には──少年がいた。
「申し訳ありませんが、君が僕に抱く幻想など無視させてもらいます。僕は僕の感情に従って動く。君が僕を愛さなくても問題ありません。僕は君が好きです。僕は君を愛しています。そして──彼女にも。僕の愛した彼女にも、報いてあげたいと思っている」
「……傲慢な物言いですね。ですが、無意味ですよ。彼女はもういませんから。死者への手向けなど、生者の自己満足でしかない」
「だから関係ないのです。僕は僕のやりたいようにやるし、君は君のやりたいようにやればいい」
その少年が、手を差し伸べてくる。
ずっと変わらない姿の少年が、目まぐるしく姿を変える私に、手を。
「君は僕、セリム・ブラッドレイの許婚です。今の君はそれ以上でもそれ以下でもない。君の立ち位置でやるべきことは、ただそう在るということだけだ」
いいや。
私の姿は今定まった。彼の手を取ったから。
「起きてください、レイゼン。世界の全てが君を待っています。君が最後のピースです。もう頑張らなくていいんですよ。なんたって、彼らが全て解決してしまいましたから」
「──起きた時、目の前にあなたはいますか?」
「君が僕の名を呼んでくれるのなら」
「悩ましいことを言いますね。どちらの名で呼べばいいのでしょうか」
「お好きにどうぞ。どちらも僕だし、どちらも私ではないかもしれない。ただ君の思う僕を呼んでください」
「わかりました」
気怠い微睡みから、目を開く。
握られている手の感触に、声を出す。
「おはようございます──セリム様」
「ええ、おはようございます。レイゼン」
黒髪の少年。そして。
「おはようございます、エドワード・エルリック」
「……おう」
バツの悪そうな顔をした金髪の少年も。
それでは、解決編を始めましょう。
さて──。