セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
愛とはなんぞや。
万人が追いかけて来た哲学で、万人に解釈のあるテーマだろう。それくらいは知っている。
愛とはなんぞや。
愛されている、ということは、なんとなくわかるようになった。大事にされている。愛おしく思われている。命を惜しまれている。
愛とはなんぞや。
愛する。愛を持つ。それを私は知らない。
愛していますと彼は言った。
愛してくださいとも彼は言った。
いずれ消えてしまうこの魂が、いずれ消えてしまう記憶の欠片であるとしても、これだけの歳月私を愛し続けてくれたのだから、愛し返したい。
だから──。
「それで、私に、ねぇ。一応聞いておくけれどアナタ、自分の立場や私の立場はわかっているの?」
「貴女はまだ敵である可能性の高い
「よく理解しているのに、全く理解していないのが難点よねぇ、このコ」
お母様に聞いてもテンションの高い「嬉しい」しか返ってこなかったし、お父様に聞いても要領を得ない見透かししか帰ってこなかった。ラグスお兄様とエイアグラムお兄様には会えていない。お爺様はとうに忘れてしまった、と言っていた。アレは多分覚えているけれど恥ずかしがって言えないだけだと思う。
他、ダッドリーの門下生の人たちや使用人の人たちにも聞いてみたけれど、「成長されましたね」とか「レイゼン様もそういうお年頃なんですね」とか「そういうのはいずれ、次第に、少しずつわかっていくものですよ」とか。
予想通りの答えしかくれなかったから、もっとドストレートに言葉を操れそうな人を訪ねに来た次第。尋ねに来た、でもいい。
「前は頼ること。そして今回は愛……。私から聞いても人間の思春期というものにしか見えないけれど、貴女のそれは違うのね」
「はい。私が思春期だった時代はもっともっと昔の話です。ただ、その時に恋や愛を知れていなかったから、今に至るので、もしかしたら思春期の延長線上にまだいる、という可能性は否めませんが──それでも私は、答えが知りたい。時間がないことは知っていますので」
愛。愛。愛。
文学における愛。趣味に向ける愛。物事に対する愛。
森羅万象、あらゆるものはあらゆるものに愛され愛し返し、そうして世界は育まれて行く。
そんな哲学チックな言葉ならいくらでも吐ける。けれど、果たして私が理解できているかと問われたら首を傾げざるを得ない。
理解。把握。納得。
愛とはなんぞや。
「いいわ、答えてあげる」
「おお、流石
「ただ──これは私の愛よ。あなたのではない。それを念頭に置きなさい」
「はい、構いません。万人には万人の愛があるということは知識で知っています。ですが、答えの収集はサンプルケースの類似性検出を高め、疑似的、あるいは本質的、根本的な深層心理に近いものが得られると信じています」
「多くの存在の愛の重なる場所。それが最も獲得しやすい愛だと、そういうことね」
「理解が早くて助かります」
愛のベン図みたいな。
集合とか、そういう話。
「相手を自分のものにしたい。自分の傷をつけて、自分のものだと主張したい──それが
「支配欲、ということですか?」
「そうかもしれない。けれど、どちらかというともっと無垢で無邪気な心ね。私は……人間を本気で愛した事なんて、多分なかったと思うけれど。だからこそそれはお父様に向いたのかもしれない。いいえ、
「自分のものにしたい。……それを聞くと、であれば、とそっちにも話を振りたくなります」
「だそうだけど、答えてあげないのかしら?
ラストと共に部屋の隅を見れば、何かの本を顔に載せて、ソファの上で寝ている――寝たふりをしている
「シンの向こう側の国には、寝耳に水、という諺があるそうです。寝耳に爪、というのはいかがでしょうか。硬化したとしても音が聞こえなくならないあたり、鼓膜は振動しているようですし」
「イヤよ。グリードの耳なんて、汚いでしょう」
「……聞こえてんぞー姉ちゃん」
「知っているわ。聞こえないフリをしていたのはそちらでしょう」
「グリードさん。貴方にも聞いてみたいです。実際のところ、どうなんですか? 貴方は仲間への愛情を持っていたように思いますし、よく女性を侍らせてお酒を飲んでいたでしょう。愛とは何か。自分のものにしたい、というのが色欲の愛であるのならば、強欲の愛は何になるんですか?」
「……」
「ラストさん。目から鱗が落ちる、ということがありますが、グリードさんの目は硬化対象なのでしょうか。対象であれば硬化と同時に見えなくなって、抉り出せばウロコのように落ちる可能性も」
「嬢ちゃん、リゼンブールから帰ってきてからなんかチィっとネジ外れたな。元からっちゃ元からだが」
またそれか。
死にかけた経験なら何度かあって、それでただ夢を見たってだけなのに、人がそう簡単に変わるものか。
変わった所でどうでもいいけれど。
「グリード。真面目な話なんだから、真面目に答えてあげなさいな」
「……へいへい。で、愛か。愛ねぇ。富と名誉と女と世界の全て。そいつらの全部が欲しいって俺様に、愛ね」
「少なくとも貴方の仲間への愛は本物なのだと考えていますが」
「本物ってなんだよ。愛に偽物もクソも……と、偽物の愛を使って情報収集してる奴が目の前にいたな」
「アラ失礼ねグリード。私はいつだって本気よ? 対等な存在であると認めていないだけ」
「へいへい。そこの言い争いをするつもりはねえよ。……で俺様の定義における愛は、まぁ簡単だ。ソイツを俺様のものにしたい。それが愛だろ」
「ラストさんと変わりませんが」
「変わっていて欲しかったのか、嬢ちゃん」
ふむ。
変わっていて欲しかったか、か。
……違う部分がありつつ重なっている、ならわかりやすかった。それなら本質を探れる。
だけど、全く同じとなると、採取するサンプルが悪いだけ、という感覚に陥ってしまう。
「なんなら
「
そして、恐らくは
「尽くしたい、という愛情は存在するけれど、それを罪という形で切り取られた私達に求めるのは酷というものよ。七つの大罪とはそのまま七つの欲望に置き換えられる。したい。したい。したい。それが私達の根源」
「つまり、聞く相手を間違えたってワケだ。兄ちゃんからの愛ってモンに応えたいとして、その答えを持ってるのは兄ちゃんと同じところに立ってる俺様達じゃねぇんだよ」
「ならば、誰が持っていると思いますか。ハボック大尉ですか」
「フフフ、彼、まだ私に声をかけてくれるのかしら」
……いや。
だから、そうか。
「ありがとうございました。私、心当たりがあります。答えを知っている人」
「でしょうね。むしろ思い至らなかったらどうしようかと思っていたわ。わざわざ名前も出したのだし」
「ちなみに聞くが嬢ちゃん、どうやって行く気だ? 兄ちゃんが嬢ちゃんを見逃すとは思えねえし、ラースが安易にあそこへ他人を近づけるとも思えねえ」
「はい。強行突破します。自身が消える。この世界が泡沫となる。そう考えると多少の無理も暴挙も気にならなくなるのはとても良いことであるかと」
グリードが額に手を当てて天井を仰ぐ。
ラストが口に手を当て上品に笑う。
「嬢ちゃん。アンタ頭回るのに馬鹿過ぎるんだわ。いいか、嬢ちゃん。立場を使え。言えばいいだろ、ただ子供らしく、兄ちゃんの許婚らしく、よ」
「止ま──おや、ダッドリー家のご令嬢ではないですか。その包帯類は……?」
「怪我は完治しているというのに、傷が開いたら怖いから、と中々外してくれなくて」
「はあ、では退院許可は出ていないのでは」
「でも病室は暇で。──なので、セリム様に会いに来ました。最近ずっと会えてなくて、寂しくなってしまって」
衛兵は二人。彼らは互いに顔を見合わせて、「仕方がないか」というような表情で溜め息を吐く。
「少しだけですよ、ダッドリー嬢。我々にも責務がありますから。でも──」
「小さな恋人の逢引きを邪魔できる程、アメストリス軍人は野暮じゃないんで。どうぞ。セリム様の部屋がどこにあるかはわかりますか?」
「はい。前に来たことがあります」
「それなら良かった。……ああでも、できるだけ人目には付かないでくださいね。コレ、キッチリ職務怠慢なんで。あんまりお偉いさんに見つかってしまうと、私達の首がポーンと飛んでしまいます」
「誰にも見つからないよう隠密を心がけます」
「ハハハ! そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。ただ、本当に少しだけにしてください。そして、出てきたら我々にまた声をかけてください。そうしたらセントラル病院に連絡しますから。脱走したダッドリー嬢を保護しました、ってね」
悪戯気味のウィンクをする衛兵さん。
……強行突破なんてせずとも、こんな平和的な解決手段があるのか。
「ごめんなさい、迷惑をおかけします」
「いいんですよ。最近のセリム様が酷く落ち込んでいたのは我々も知るところ。それがダッドリー嬢に会えていなかったことが原因だと思えば納得も行きます。そんでもって、我々もブラッドレイ家の皆様には楽しく笑顔でいてもらいたいですから!」
「それこそが俺達がここ、大総統府を守ってる理由ってモンなんでね」
そう言って、衛兵二人は私を通してくれた。
侵入者の手引きをしたのではない。ただ彼らが守る家族の息子の、その許婚を招き入れただけ。
立場を使う、か。
……そうやって聞くと、高圧的な物事ばかりに目が行ってしまっていたけれど……こういう使い方もできるのか。
「時間がないのは、事実、ですね」
呟く。
今頃ダッドリー家が捜索願を出しているだろうし、セントラル病院に私が入院していないことなど一瞬でバレる。極力誰にも見られずに来たつもりだけど、あの二人はどう頑張っても誤魔化しの利かない証拠。
スピード勝負だ。
気配を消して、物陰に隠れながら、最短効率で──目的地へ向かう。
──剣を抜こうとして、持っていないことに気付いて、思いっきり後方ロンダート。
ギシギシと、ピシピシと身体に痛みが走る。
「ほう、殺気の感知が上手くなったようだな」
「……今日は公務で忙しいと聞きましたが」
「忙しかったとも。だから代役を立てた。今頃慣れない仕事に悪戦苦闘しているだろうな」
「なんて使い勝手のいい変身能力……」
「ふっふっふ、弟に顎で使われることに怒り心頭といった様子だったがね」
全身の包帯から赤が滲み出てくる。
重傷患者、というのは誇張表現ではない。これだけ包帯がぐるぐる巻かれているのは、そうでもしないと命を繋ぎ止めることができないと判断されたからだ。
けれど血濡れで会うわけにはいかない。だから滲み出て来た赤を、動くようになった指で描いた錬成陣で離散させ、錬丹術で止血も行う。
完全に癒えはしない。だけどこの応急処置で十分だ。命を削る行為なのは百も承知だから。
「それで──私の大事な家に、何用かね、レイゼン・M・ダッドリー」
「ここに私が来ることをそんなに警戒する理由はなんですか、キング・ブラッドレイ」
「ふっふ、もう大総統、とは呼んでくれないのかね?」
「もっと大勢の前で
先程離散させた血液を腕から伸びる包帯の一本に集め、染み渡らせ──錬金術で硬化を行う。血中鉄分をこんな大量の鉄に、というのは本来色々なプロセスが必要なのだけど、そこは錬金術様様である。
見てくれだけの包帯剣。
こんなでも、キング・ブラッドレイ相手ならばないよりマシだろう。
「何用か、と問うた。答えぬのならばお前を斬る。そしてテロリストを招き入れたあの二人も斬り捨てよう」
「では、尋常に──」
「……レイゼン・M・ダッドリー。私は何用か、と問うたのだが。聞こえなかったのかね?」
「納得してもらえると思っていませんので、そこの問答は省略しました」
「……そうか。ではまずは、謝罪をしよう」
「はい?」
言って、ラースは軍刀をしまう。いや、いつの間に抜刀していたんだ。気付かなかった。
「少し揶揄っただけだ。この
「そんな醜聞もみ消せばいいでしょう」
「話を聞け、レイゼン・M・ダッドリー。何用か、と問うているだけだ。それを話せばいい。話せない理由で来たわけではないのだろう?」
「……」
包帯剣の鉄を分解し、真っ白に戻ったそれを巻き直す。
「愛を知りに来ました」
「……──もう一度、詳しく言ってみたまえ」
「ブラッドレイ夫人に愛とはなんぞや、を問いに来ました。
「……」
「よって、押し通らせていただきます。私はセリム様からの愛に応えるために、彼女からどのようにして貴方を愛したのか、どのようにして貴方を愛するに至ったのかを聞きださなければならない。そのためであるのならば、この身この命、ここで散らすことも視野に入れましょう」
「……うむ。よし、私は公務に帰る。エンヴィーに任せきりというのはそれはそれで恐怖なのでな。はっはっは、励め、若者。察するに思春期、青春の一ページ、という奴なのだろう。老い先の短い私には眩しくて敵わん」
「はい?」
はっはっは。
はっはっは。
そう楽しそうに笑って、ラースは中央司令部の方へ歩き去っていった。
……なんだったんだ。
ああ、いや、いい。
時間を無駄にした。行こう。
ブラッドレイ夫人。彼女のもとへ。