セリム・ブラッドレイの許婚   作:クラレントブラッドブラッドレイ

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長鋏よ帰らんか、食うに魚無し

 それでもまだ確証が持てていないのだろう、と彼は言った。

 

「この世界が自らの夢だと証明された。ただしそれは、やっぱりどこまで言っても""机上の空論""に過ぎない。次が本当に続くかどうかの証明はまだ完全じゃない。だからフラスコの中の小人はあくまで方針を変えるつもりはない。国土錬成陣を発動させる、という方針を」

「1915年の頭までは安全が保障されている、と」

「安全かどうかはわからない。ただ、""約束の日""までこの世界が続くのは確かだろう。……それが恐ろしいということを、アイツは知っている」

 

 無論、その推論を信じきることは無いけれど、成程、という納得も大きい。

 どうやってもフラスコの中の小人はシナリオを変え切りたくない。それによってこの世界が続かなくなることが怖いから。だから今まで、どんなシナリオになったとしても、国土錬成陣だけは発動させてきた。必ずカミを降ろし、そして打ち破られて来た。

 彼にとってはどうでもいいのだろう。カミ降ろしの成否は。結末が同じであれば、次がある。その検証はまだ続いている。

 

「フラスコの中の小人は紛い物のカミを対価に本物のカミをこの世に顕現させる、あるいは手に入れることを目的にしていると言っていました」

「だからこそだよ。そこで失敗して、次が無かったら。アイツにとってもまだこの等価交換は""レイゼン・M・ダッドリー""という女性と君という少女でしか証明されていないものなんだ。本命の実験を行う前に失っても構わないもので無数の試験をし続けるのは研究者として当然の行動さ。特に本命が一点ものなら特に、な」

 

 バックアップを作れないカミだからこそ、一回で成功させたい。紛い物を本物の代替にした後、世界が続くかどうかはわからないから、できるだけ試行回数を重ねたい。

 ……理解の範疇内だ。あるいはそれは、人間に近しい行動だからなのだろう。

 

「大体理解しました。それで、最後に聞きますが──」

「俺はどちらの味方でもないよ、レイゼン・M・ダッドリー」

「それは何故ですか?」

「なぜって……聞いちゃうんだ、そこ」

「考えてもわからないので。教えてくれないんですか?」

 

 彼は一拍黙って、観念したかのように溜息を吐く。

 

「俺も結局、奴隷23号という誰かの紛い物に過ぎないからだよ。俺の中にいる五十三万の命さえもな」

「それが理由になる意味が分かりません」

「紛い物が本物の邪魔をするのは……良くないだろ。少なくともアイツはまだ生きていて、俺はアイツの創造物、いや想像物でしかないんだから」

「どちらかを助ければどちらかを邪魔することになる。だからどちらも手助けせずにどちらの邪魔にもならない行動を取る、と」

「随分と遠回りをしたけれど、そういうことになるかな」

 

 それは。

 

「それは困ります。なので私達側についてください」

「……話聞いてた?」

「はい。理解した上でのお願いです。単純にこのままだと拮抗さえできないので、紛い物であっても賢者の石である貴方が必要です」

「言い方、もっとあるだろう……」

「言葉を選んだ言い回しの方が好みでしたか?」

「いや、らしくはあるよ。君は……別人みたいだけどさ。等価というだけあって、彼女によく似ている」

「レイゼン・M・ダッドリーと面識が……あるのは当たり前としても、そこまで話し合う仲だったのですか?」

「いいや、彼女と腹を割って話したのは一回きりだよ。それも前回だけ」

「……」

「気になる? レイゼン・M・ダッドリーのこと」

 

 随分と昔のことのように感じるけれど、確かグリードにも言われていたはずだ。

 

 過去を知れ、って。

 

「いえ、興味がありません」

「それは、どうしてなのかな」

「故人の史跡を辿るほどの余裕が私にはありませんので。いない人間はもう何の影響も及ぼしません。過去の残影に眉を顰める人たちは、その残影が陽光を通すことを知らないだけ。レイゼン・M・ダッドリーが如何なる人物でどのような足跡を残しているのだとしても、私はその一切合切を無視して突き進みます」

「でも、君が覚えていなければ、彼女の記憶は誰からも忘れられてしまう。この世界がどうなったとしても、本物は君とアイツだけ。アイツに彼女への興味がないのならば、代替となった君くらいしか記憶を貯蔵しておけない。俺達は簡単に創りかえられる存在だ」

「構いません。彼女はその身を代価に私を呼び込みました。その時点で存在という価値は私に奪われています。彼女の記憶もまたその一部。レイゼン・M・ダッドリーの人物像が私に置き換わることで、ようやく本当の等価交換が行われたと言えるでしょう。なれば、そこを邪魔する理由はありません」

 

 何より。

 私は墓荒らしに、言い知れぬ不快感を覚えるから。

 彼女は死んだ。それを他人たる私が勝手に継承するなんて、あり得ない。……何より、だ。何よりそれは──かつての私が嫌っていた事と全く同じ。

 あの有名人だった彼の全てを背負わなければならなくなった私と同じ。

 それが嫌だという心はまだ変わっていない。

 

「重ねて言います。私達の味方になってください。紛い物が本物の邁進を止めるのは違う、との話でしたが、紛い物が紛い物同士で結託することは問題ないものと私は捉えます。あなたの家族も、あなたの友人も、あなたが敵になることを良くは思っていないはずです。この際私の味方になる必要はないので、エドワードさんの味方にはなってあげてください。父親が敵である、というのは、辛いと思いますよ」

「……ずるいな。そこでエドワードを引き合いに出してくるのか」

「人心掌握において家族の情に訴えかけるのは常套手段です」

「そういうのは心に秘めておくものだよ」

「見抜かれて動揺し、それが相手に伝わって交渉が上手く行かなくなるくらいなら、初めから開示していた方がスムーズに事が運ぶでしょう」

「スムーズな交渉のやり方、なんて言葉が君の口から出るとは思ってなかったよ」

「貴方と今敵対する理由がありません。むしろなんとしてでも味方に引き込みたいと思っている以上、軽率に剣を抜くわけにはいきません」

「自制が利くこと自体にも驚いているの、伝わってるかな」

「子供の成長は早いんですよ」

「やっぱり自分で言うんだ……」

 

 そして私は、はぐらかされない。

 

「答えを求めます。このずるい交渉材料を目の前にして──貴方はそれでも否を返すのですか?」

「……少し家族の時間が欲しい、と言ったら、怒るかい?」

「いいえ。むしろ交渉の席についてくれたことを喜ばしく思います。ただこのまままた雲隠れをされても困るので──エドワードさん」

 

 錬成反応が走る。

 床に穴が開いて、そこから出てくるのは金と青銅。

 

「え」

「おう。まーた殺し合いになるんじゃねぇかと冷や冷やしてたが、やっぱ人は成長するモンだな」

「ね。いつでも止められるように準備してたけど、要らない心配だったみたい。ちょっと感動しているボクがいる」

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

「いやちょ、まだ心の準備が」

「時間は有限です」

 

 ──それが、数日前の話。

 

 

 

 上述の通り、ヴァン・ホーエンハイムは割と簡単に見つかった。

 アメストリス全土を包囲して捜索を行ったのだ。彼にどれだけの""出力""があれど、姿形を消せるわけではない。それでも捜索に数日を要したのは彼がイシュヴァールの地にいたからだ。マスタング大佐の手の及ばぬイシュヴァール地区に籠っていた彼は、だからこそイシュヴァール人の情報網に引っかかり、傷の男(スカー)を通じて身柄の確保が為された。

 抵抗は無いどころか連行に協力的で、私が到着するまでの間もずっと大人しくしていたというから、これは絶対裏がある、と思って臨んだ交渉の席。

 

 なんてことはない。

 彼はいつも通り、決め切れずに迷っていただけだった。

 

「……」

「……」

 

 一応、まだ返事は無いので、困り気味。彼を作戦に組み込むにせよ断られるにせよ、五十三万の賢者の石は無視できない戦力だ。どっちに着くかをはっきりしてもらわないと動けない。

 その代わり、彼の返事が来るときには他の準備は万端でいたい。

 だから今日はここに来た。休日をフル利用して、ここに。

 

「……」

「……」

 

 ここ。

 東方司令部。

 

 眼前で本を読んでいるのは、リザ・ホークアイ。

 ……マスタング大佐の司令室に案内されてから、まだどちらも一言もしゃべっていない。遠巻きにハイマンス・ブレダとジャン・ハボック、ケイン・フュリーにヴァトー・ファルマンと、東方司令部の面々が揃っているけれど──やっぱりこっちも何も言わない。

 いや、何かひそひそと喋っているのはわかるけど、言葉としては伝わってこない。

 

「……」

「……」

 

 沈黙を破ったのは。

 

「レイゼンさん」

「はい」

「……一つ、お願いがあるの」

「はい。私にできることなら」

「口調を崩すことは、可能?」

「不可能です。これは万人に対してそうなので」

「……そう」

 

 なんだか残念そうに言うホークアイ中尉。

 別にレイゼン・M・ダッドリーと仲が良かったわけでもないだろうに、どうしたんだろう。

 

「約束があっただけ」

「そうですか」

「ええ」

「……聞かないの?」

「聞く理由がありません」

「そう」

「はい」

 

 今度は不服そうなホークアイ中尉。

 聞いてほしかったのだろうか。

 

「……」

「……」

「……レイゼンさん」

「はい」

「……いえ、なんでもないわ。ごめんなさい」

「はあ」

 

 うーん。

 煮え切らないというか。踏み切らないというか。

 何か思う所があるのは目に見えてわかるのに、ラインを越えては来ないのが、なんだろう。

 

 凄く。

 

「別に、私の心は言葉程度行動程度では傷つかないので、言いたいことがあるのならどうぞ」

「……」

「あるいはレイゼン・M・ダッドリーへの懺悔でも構いませんよ。私は知りませんが、同じ名を持つ私に吐いて気が済むのなら、それも良いでしょう」

「……やっぱり、本当に別人、なのね」

「今更ですね。マスタング大佐から詳しい話が為されたと聞いていましたが、聞き逃していましたか。それとも信じられなかっただけですか」

「……多分、後者」

「何故そこまで彼女に入れ込んでいるのですか?」

「それは」

 

 それは。

 

「……貴女が消えたとされている""前""において、貴女を殺したのが……私だから」

「ああ。なんだ、そんなことですか」

「……」

「別に何を気にすることもないでしょう。私は護衛としての責務を全うし、貴女は軍人としての責務を全うした。これまで幾度となく行ってきたそれの最後の一ページがたまたま彼女の最期だったというだけで、貴女が殺したから彼女が消えたわけじゃありません」

「どうして……そんなことがわかるの?」

「彼女の消え際を私は視ました。彼女が消えたのは自らの意思に因るもので、ホークアイ中尉は一切関係ありません。いえ、彼女を殺してきたいずれの存在も、彼女が消えることへの意志に何ら関わっていない、というべきでしょう。彼女は自ら消え、このフラスコに風穴を開けました。そこに自責の念も貴女達を咎める心も一切なく、ただただセリム様への感情があるだけでした」

 

 雨の降る真理の空間。

 あの時の彼女の言葉。

 

「こう言ってはなんですが──それは自意識過剰というものです。貴女達は誰一人として彼女に影響を与えられていません。彼女を変えたのはセリム様であり、セリム様だけが彼女を揺るがすことができる。そしてその上で、彼女はセリム様の意思を聞かずに自ら足を踏み外しました。憐憫こそ向けられるでしょうが、同情されることではありません。アレはただの自殺です」

「……そう割り切れないくらいには、過去があるの。朧げな記憶の全てにおいて敵対していたけれど……だからこそ言葉を交わす機会も多かった。立ち位置と行動理念が似ていた、というのも……あるのでしょうね」

「別に中尉はマスタング大佐の護衛ではないでしょう」

「後ろにあるものの方が強いことを知っていて、けれど守らんとする意思が、よ」

 

 ああ。

 成程。確かに、似ている。

 だから、何故私達が前に出るのかと聞かれたら、多分同じ答えを返すのだろう。

 

 戦闘能力と感情は別物だ、と。

 それを理解できていないのが私達であると知らない部分までそっくり、か。

 

「レイゼンさん」

「はい」

「もし仮に、この先の戦いで……プライドが危機に陥ったら、貴女は」

「当然、そうならないように立ち回り、且つなってしまった場合でも全力を賭して彼を守ります」

「それで死ぬことになっても?」

「はい。全力を賭すとはそういうことです。私が生き残り、彼が死んでしまうなんて状況は、全力を賭せていないのと同じ。色々成長した私ですが、そこは変わっていません」

 

 怪我をしない立ち回り。生存のための剣。

 それはセリムの護衛をするにあたって「効率が良い」というだけで進んだ道であって、彼の護衛においてこの二つが邪魔になるのならば、私は成長をかなぐり捨ててでも彼を守るだろう。

 自らが前に進むことなんかより、そっちの方が大事だから。

 

 私は別に、自らを大事に思えるようになったわけじゃない。

 依然として自分が嫌いなのは変わらない。ただ自己犠牲の精神に準じているわけじゃない。

 

 損得勘定。効率配分。

 それを考えた時に、今までの私のやり方は酷く不合理だと気付いただけ。

 

「マスタング大佐が危機に陥ったら、貴女も進んで前に出るのでは? 彼を矢面に立たせるのは色々心配が勝るでしょう。彼へ向かう悪意の牙も、彼が取る選択も、決まってマスタング大佐自身を傷つけるものばかり。それでもついていきたくなる背中があるから、貴女は……貴女達は彼を慕っているのでは?」

「……」

「返事は期待していませんでしたが、ハボック大尉がサムズアップをしているので是であると解釈します」

 

 良い笑顔だった。

 

「そして、悪魔の話をすれば悪魔が現れるものです」

「誰が悪魔だ誰が」

「比喩表現ですよ。通じませんでしたか?」

 

 気配でわかっていたから、彼が扉を開けるその寸前に言葉を吐いた。

 ……ちょっと気を張り過ぎかもしれない。初めて入る場所だから、緊張していた。もう少し緩和する。脱力脱力。

 

「お帰りなさい、大佐」

「うむ。中尉、レイゼン・M・ダッドリーに何か変なことをされていないだろうな」

「されていません。むしろ私がしていました」

「なにっ……な、何を?」

「だから、変なことです」

「はい。変なことをされていました」

 

 ホークアイ中尉の懺悔を聞くのは、確かに変なことだろう。

 

「そんなことよりマスタング大佐。お忙しいところ時間を作っていただきありがとうございます。早速ですが本題に移っていいですか」

「早速過ぎる。まずはコーヒーを」

「今淹れています。大佐、どうぞご歓談の程を」

「……中尉。上官が話をまとめたい、と言っているのだから、そこは身を引くものじゃないか?」

「コーヒーが飲みたいとしか聞こえませんでした。申し訳ありません」

「権力を笠に着て行間を読めとは、流石ですマスタング大佐。悪魔なだけありますね」

「ええいうるさいうるさい! 女性軍人には口で勝てた試しがないんだ、これ以上は時間の無駄だ! レイゼン・M・ダッドリー、本題に入ってくれ」

「話を逸らしたのは貴方ですが、まぁいいです。それでは──」

 

 既に練り終えた""作戦""を、お話いたします。

 ヴァン・ホーエンハイムありきのものですが、軍人からの目線を頂ければ幸いです。

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