セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
ある日、本当にある日のことだ。何の記念日でもないある日、セリムはこんなことを聞いてきた。
「レイゼン。君は二度目の生、というものを信じますか?」
「……それは、今までの人生に決別をして、とか。あるいはある気付きを得て全く新しい自分に生まれ変わって、だとか……そういう話ですか?」
「だとしたら"信じますか"なんて聞きませんよ」
内心汗びっしょりである。
え。え?
「……アメストリス。及び周辺諸国……それはアメストリスが吸収してきたすべての国において言えることですが、死者の魂は死後天へと召され、戻ることはありません」
「模範的な良い解答ですね。でも僕が聞いているのは、信じるかどうか、です。……二度目の生。今を一度目として、死後、その次があったら、と」
「お断りしたいですね」
「へぇ、それは何故?」
「次の生が今生より良いものであるという確約は無い。である以上、あらゆる魂が安らかな眠りに就ける安寧の天へと永住した方がまだマシでしょう」
「相変わらず悲観的ですね。より良いものになるリターンより、より悪いものになるリスクを取ると」
「こればかりは悲観的ではないと思いますよ、セリム様。一般論です。──無論、三度目、四度目があるのなら……その先も生が続き続け、それが一本の人生となるのなら話は別だと思いますが」
これはアメストリス人の一般論であり、私の死生観でもあると思う。
普通のことだ。続いたら嬉しい。それは結構。だけど、そこが地獄でないと誰が言いきれる。現に今、私は平和に生きればある程度の贅沢と細やかな幸福の得られる日本から、この未来に絶望と破綻しかないアメストリスへ転生した。
国外逃亡したとして、アメストリス人の肩身は狭い。力をつけようにも身体がついてこない。軍に所属すれば待っているのは破滅と謀略。一般人として生きて行けば賢者の石。
具体例がここにいるのだから、サンプルケースは十分だ。何せ私の主観なのだから。
「レイゼンは不老長寿を望むのですか?」
「まさか。その果てに何がありますか。今の私は諦観によって潰れて死に、後に残るは楽観と極論の化け物だけでしょう。今の私は今の私を全うできたら幸福です。それができるかどうか怪しい国ですから」
ホーエンハイムのように「皆と一緒に老いて死にたい」と思っても死ぬことができずに置いていかれる。お父様のように何か壮大な計画を立てたところで共に喜ぶ仲間もいない。そもそも惑星にも宇宙にも寿命があるのだから、その苦痛に適応できなければ発狂するしかない。
それに、不老不死を追い求めるのは決まって野心家か権力者かのどちらかだけだ。あとはまぁ、今現在幸福であるもの。
未来に展望を持たない私みたいな人間がそれを求むるわけもない。
「セリム様は、求めるのですか。次なる生。あるいは不老不死を」
「……。……どう、でしょうね」
小さな小さなその手を憂い顔で見るセリム。
暗く落ちた陰はセリムかプライドか、微妙に判別できない。
笑っていないからだ。自嘲はしているけれど。
「次もお父さんとお母さんのもとに生まれることができるのなら、次なる生は欲しいですよ」
「つまり要らない、と」
「お父さんもお母さんも共に生まれ変わる確率はゼロに近いから、ですか?」
「大総統と夫人は次なる生を望まないと思ったからです」
「!」
望むはずがない。
キング・ブラッドレイが。その夫人が。
次なる生も不老不死も、たとえその未来にセリムとの幸福な家庭があったとしても──決してあの二人は望むまい。
「……レイゼン。君と話していると、君がどんどん遠くに離れて行ってしまうように感じます。君、僕と同い年ですよね?」
「セリム様が同い年なのであれば、そうですね」
「はぁ。……君はどんな相手になら靡くんですか?」
「靡く、とは。権力に屈する気はありませんよ」
「そういう話ではなく。君は……そうだな。たとえば僕の家族に、ラストという女性がいます。彼女は包容力があって面倒見が良くて、君みたいな悲観的で死にたがりの子でも優しく包んでくれるでしょう。そういう方がいいですか?」
「生憎と同性趣味はありませんよ。否定もしませんが」
「だから、僕がそういう風になったら、君は僕を好いてくださいますか?」
「難しい質問ですね。セリム様はそういう風にはならない、と断言しておきます」
何故なら傲慢だから。
なってほしくない、が正解まである。まさかラストの名を自ら振ってくるとは思ってもみなかったけれど、美青年版ラストなプライドとか嫌だ。一緒にいて笑顔を投げかけられるだけでなんか裏があるんじゃないかと勘繰ってしまいそうだし。今でもそうだけど。
「……大人に憧れているんですか、セリム様は」
「え? ……今どんな思考を辿ってそこに辿り着いたのですか?」
「頼られたい。面倒見のいい人、包容力。それはつまり、私達のような子供を守り得る大人になりたいと──そういう話だと判断しました」
「大人、ですか。……まぁ、そうですね。成りたいかと問われたら無論ですが……いえ、なりたいですよ」
今の溜めの後には、「無理な話です」が続いたんじゃないだろうか。
セリムの容器は成長しない。子供の内は騙せても、いずれは。だからもしお父様の国土錬成陣が発動しない、なんていうびつくりぎゃうてんなことが起きたとしても、この許婚は必ず解消されると思っている。
「レイゼン。僕はね、光を見たことがあるんですよ」
「はあ。今真上にもありますが」
「抽象的な話です。抽象的に返してください」
「はあ」
何故か右目に手を当てて。
セリムは何か昔懐かしむかのように語る。
「要らないものとして斬り捨てたはずなのに、要らないものとして切り離されたはずなのに、悉く僕を遮ってくる光。……いつしか僕は、それを求めるようになっていた」
「抽象的すぎて相槌しか打てませんが、はあ」
「先日会ったでしょう。アレックス・ルイ・アームストロング少佐。彼と会って、レイゼンは何か感じることがありませんでしたか?」
「もしかして筋肉の照りのことを言っていますか?」
「レイゼン。聡明な君が、わざわざ僕の話の腰を折っている。これは、僕の言いたいことは看破されていると見た方がよさそうですね」
……ようやく理解した。
というかここまで来て本当にようやくだ。もっと早く気付け。
セリムは、だから。
最初の質問は──私へ、ではなく、自分、なんだ。
「誰とでも仲が良く、誰とでも打ち解け合える。……彼になりたいわけじゃありませんし、彼に憧れているわけでもない。ただ、難しいものですね。外面だけ彼のように誰とでも仲良くなれる良い子を演じた所で、僕が欲するものは手に入らなかった」
「セリム様には無理でしょうね。そもそもアームストロング少佐のアレは演じているわけではないでしょうし」
「僕には無理であると、どうして言えるのですか?」
「セリム様が他人に然程興味を持っていないからです。学徒も教師も、有象無象。軍人も憲兵も、烏合の衆。セリム様が今大切にしているのは大総統と夫人だけ」
「あと君もですよ、レイゼン」
「聞かなかった体で話を進めます。セリム様は聡明だ。私と同い年とは思えないくらいに。だけど同時にあまりに愚鈍です。気付いていないでしょう。光へは手を伸ばしているくせに、他者から伸びる手は振り払っている自分に」
でもそれが傲慢だ。プライドだ。
だって彼は、そうあれかしとして生まれたのだから仕方がない。エンヴィーが最後までその嫉妬に振り回されたように、グラトニーが暴食のあまり食い殺されたように、スロウスが死の間際諦めを選んだように。
──だからこそ、美しいのだけど。
「……僕を愚鈍とまで言いますか。流石ですよ、レイゼン。そこまで……入ってくる人は、君ともう一人くらいだった」
「だから同時に、もし光があなたの手を振り払ったら、あなたは耐えられない。セリム様はとても弱い人だと私は思っています」
「その時は君が掴んでください。僕の手。許婚でしょう?」
「私の両手は剣と鞘で埋まっていますので」
ダッドリー家の長女として。末娘として。
この二つは手放さない。
それに、誰かに手を差し伸べられるほど私には余裕がない。誰かを救うような力がない。精々が時間稼ぎ。精々が肉盾だ。
あるいは、前の生でも。
少し、踏み込む。
「セリム様」
「なんですか?」
「なぜそんなにも急いでいるのですか? 私からすればあなたこそ、死にたがりに見えます」
「……それは」
「もしセリム様の言う通り、未来に展望があるとして、私を伴侶に召すとして。その段階からでも問題ないでしょう。私達はまだ幼子の域を出ません。少年、青年へと姿を変えていく内に身に付ければいい話ばかりです。もし私の1915年の春、という言葉がセリム様を縛り付けているのであれば撤回も考えますが」「いえ。いえ、それはそのままにしておいてください。……そうですね、
「また戦闘ですか」
「グリードと戦ったのも、アームストロング少佐と戦ったのも、貴女が勝手にやったことですよ、レイゼン」
どちらにせよなんにせよ、私に拒否権はない。
しかし、危なかった。踏み込み過ぎた。今一人称私だったぞ。プライド出てきてるぞ。死ぬ死ぬ普通に死ぬ。
「……最後に一つ、質問しても良いですか、レイゼン」
「はい」
「どうしてお父さんとお母さんが次なる生や不老不死を望まないと思ったんですか?」
決まっている。
そんなものは、決まっている。
「行動に迷いが無いからです。大総統は二度、夫人とは一度お会いした限りですが、自らの為すこと全てに満足していた。いえ、言葉が足りませんね。つまり、納得の行く行動を納得して行っていたんです。不老不死も次なる生も、死により途絶えることが満足できぬ未熟者の抱く末路。それは化け物の末路とも言えましょう。──あの二人は人間ですから、そんな願いは絶対に抱かない」
「……やはり僕は君が好きです。愛していますよ、レイゼン」
「そういうことで話を終わらせておきましょう」
たとえ化け物の血が流れていても、彼は人間だと知っている。
彼の選んだ女性が彼に物怖じしないヒトだと私は勝手に知っている。
……とかって調子に乗ったけど、もし私の確信した通りのセリムなら、今の会話かなり核心突きすぎてないだろうか。大丈夫かな私。明日生きてるかな。
生きてた。
生きてて、今顔の両脇にボインがある。
「セリムお坊ちゃんのタイプがこういうコだったとはねぇ。ね、アナタ。レイゼンといったかしら」
「はい。レイゼン・M・ダッドリー。ダッドリー家が長女にして末娘でむぎゅ」
「固過ぎ。ちょっとそこ、エンヴィー。そこのお菓子こっちに寄せて頂戴」
「……まぁいいけど」
そしてなぜかセリムがここにおらず、そしてそしてなぜかラストとエンヴィーがここにいる。
私の命が風前の灯火過ぎる。
せめて剣術家と戦って死なせてはくれないものか。
「しっかし、あのプ……セリムがねぇ。にん……こんなのにお熱とは。人って変わるっつーか変わり過ぎっつーかさ」
「恋は盲目よ、エンヴィー。一度恋に落ちてしまったら自分じゃ歯止めが利かないものなの」
「へぇへぇ、そういうものですか。……で、いつになったら帰ってくるの、アイツは」
「さぁ? お父様に報告があるとかで……それを終えたら戻ってくるんじゃないかしら」
「べっつにその場にいたって報告くらいできるってのにサ。それを俺達に子守りまで任せて。過保護すぎっつーかちょっとキモいまで入ってるよね」
驚いたことにエンヴィーに一番共感できている。そうだ、セリムが"そう"なら他も"そう"かもと思っていたけれど、そんなことはないらし、い? あるいはこの二人はどうなってもこの性格なのか。
「お二人は、セリム様のご家族であると聞きました」
「ええ、そうよ」
「家族……まぁ、そうだけどサ」
「お爺様からは、セリム様が私を許婚に選んだと聞かされていますが、政略結婚にそういう当人間の感情は挟まれないと思っています。何か知りませんか?」
「あら……取り付く島もないとは聞いていたけれど」
「マジのマジかよ。鈍感も過ぎれば……とかって言おうと思ったけど、アイツを良く知ってる俺達からしても今のプ、セリムはオカシイくらいお熱だからなぁ」
「はい。毎日毎日歯の浮くようなセリフばかりで。何か強迫観念に似たものを感じます。誰かに弱みを握られている、とかでしょうか」
「そりゃ無いよ。アレにそんなことしようものなら……ひぇ~っ」
良い機会ではある。
「レイゼンちゃん。セリムお坊ちゃんは本当にアナタに惚れているだけよ」
「理由がわかりません。彼ほどの聡明さがあれば、もっと有力な家柄の……それに、その家相応の特別さを持つ者を選べたはずです」
「恋に理由なんてないの。子供にはまだ難しいかしら」
「人間の好みなんか、食い物の好き嫌いみたいなもんだろ~? 単純にアイツのシュミにアンタが合ってたってだけじゃないの」
「……」
「見て、エンヴィー。この子全く納得行ってないわ」
「みたいだねぇ。……あのサ、もしかしてだけど、好かれるのが怖かったりする?」
「どう、でしょう。好意や悪意に然程敏感なわけではありませんが……そうですね。セリム様から好かれるのは、少し怖いかもしれません」
言えば、エンヴィーは「たっはァ!」とそれはもう嬉しそうな顔をする。ラストは私の頬をぐにゅぐにゅする。
「怖がられてやんの、アイツ! っはぁ~、いっつもいっつもエラソーな事言っておいて、こんな子供の心も掴めないかぁ! なぁラスト、これさ、コイツにアイツを混乱させるアレソレ吹き込んでおけば、おもっしろいモン見られるんじゃない?」
「そうね。アナタの後ろにセリムお坊ちゃんがいなければそれも叶ったでしょうね」
「!?」
バッと振り返るエンヴィー。
そこに、いた。
にっこり笑顔のセリムが。気のせいでなければ彼から伸びる影がざわついているような気がしないでもない彼が。
「お……っとと、っとぉ、おかえりプラ、じゃないセリムお坊ちゃん。お父様とのお話は済んだんだ? 思ったより早かったね」
「ええ、
「私は見ての通り、あなたにはない包容力でこのコを包んであげていただけだケド……」
「おいおいおいおい見捨てるのかよラスト! つか何もしてない! 何もしてないって!」
「レイゼン。何かされましたか?」
「いえ。セリム様と普段している世間話の延長線上のようなものでした。特におかしなことはされていません」
強いて言えばボインに今尚包まれていることだが。
これを否定するのは……女だろうが男だろうができまい。一切隠していないウロボロスのタトゥーが頭上にあるとしても、なーんにも気にならない。
「そうですか。では帰りましょうか、レイゼン。ラスト、レイゼンの相手をしてくれてありがとうございました。ですが、ここに彼女を置いておくと悪い影響を受けてしまいそうなので、返していただけますか?」
「そうねぇ。嫌だ、と言ったら……どうするのかしら?」
「……驚きました。私に歯向かうんですか?」
「歯向かうとかそういうことじゃなくて」
じゃなくて、のあたりで私の首元に手をやって、そのまま流れるような指裁きで私の顔を右斜め上に向けて、姿勢も苦しくない感じに動かしてくれて。
キスを、落とした。
……?
「このコ、気に入ったわ。私にくれないかしら、セリムお坊ちゃん」
「──本気なら、こちらも本気で行きますよ」
「なんて、嘘よ、嘘。からかっただけ。はい、返すわ」
返される。
……いや、否定はしないとはいったけど、同性愛にはあんまり興味がないんです。ごめんなさい。
「帰る前に一つだけ忠告しておくわ。そのコ、本気で射止めないとどっか行っちゃうわよ」
「あぁ、それはソーだろうねー。聞いてた百万倍届いてないよ、アンタの言葉」
「わかっていますよ、それくらい。さ、行きましょうレイゼン。この二人ならまだ安心できると思った僕が馬鹿でした」
「はあ。あ、それと、ラストさん。ごめんなさい、私はセリム様の許婚であるのであなたの好意は受け取れません。また、同性と、というのも否定はしませんが私の趣味ではありませんので、悪しからず」
キョトンとしたのは、多分私以外の全員だったんだろう。
一瞬エンヴィーが「ぶっ」と言って、そのまま自分の口と腹筋あたりを押さえてプルプルしていたりするのは置いておくとして。
「あらら、フラれちゃったわ」
「当然です。さぁレイゼン、手を」
紳士的なエスコート……には些か身長が足りないけれど。
これ以上いるとエンヴィーの命が危ない気がするので、素直に従う。
視線。
「なんですか?」
「……僕とはキス、してくれないんですか?」
「命令してくだされば」
「そうですか。じゃあ、いいです」
「はあ」
そういえば。
どっかの哲学者が言っていたか。
嫉妬と傲慢は同義だ、とか、なんとか。