セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
雨が上がった。
よって、作戦開始である。
まず動きを見せたのは軍だ。ただし私がお爺様とお父様にお願いしたのは軍事演習などではなく──「各々の知り合いに声をかけてもらって、少しの間だけ共にサボってもらう」というもの。
今のアメストリス軍はその半数以上が首切りにあっていて、数が少ない。またその強硬的な人事異動に兵士たちも少なくない不満を持っているらしく、ちょいと発破をかけてやれば一発だ、とはラグスお兄様曰くである。
そうして、少なくとも中央軍が一割か二割ほど手薄になったところで、次だ。
本当に突然のことだった。
無論示し合わされた突然だ。けれど多くのものにとってはあまりにも突然すぎて何が起こったのか理解に時間を要した事だろう。
石柱。
巨大で巨大で、首が痛くなるほどの高さの、単なる石柱。
それが中央司令部および大総統府前の広場に乱立する。進行形でし続けている。
錬金術師が見ればこう称するだろう。なんて稚拙な錬金術だ、と。円と四角形の組み合わせからなる最も簡単な錬成陣によって錬成される石柱群。どうせどこぞの目立ちたがりか加減を知らない初心者が馬鹿をやったのだろうと、そう評価されるもの。
高名な錬金術師ならこう判断するだろう。おかしい、と。
錬成速度もさることながら、どこに術者がいるのかを把握させない立ち上がり。錬成反応の出ているところを調べに行ってもそこに術者は居らず、ただ錬成されて行く石柱があるのみ。
真面目過ぎます、と。
さて、軍は仮にこれを「誰かの悪戯だ」と判断できても、放っておくことはできない。
ただの石柱と侮るなかれ、もしこの矛先が市街地や中央司令部、大総統府に向けば大惨事を引き起こす。仮に悪戯だったとしても大総統府前広場でやるのは悪質なのだ。だから犯人捜しに人数を割かなければならない。
けれど、こういう雑用を任せても良いような──重要な任を負っていない存在は軒並み解雇されているか、何故かこの日に限って遊び惚けている。憲兵を動かすには軍の目の前すぎる。だから正規軍人が動かざるを得ない。
そうして中央軍はさらに手薄になる。
「……些かうまく行き過ぎな気もしますが、それだけ彼らが優秀、ということにしておきましょう」
「言っている場合ですか? アナタが辿り着けなかったら全てが水泡に帰すことをお忘れで?」
「いちいち挑発しないでください。……マルコー医師、キンブリー大佐の手綱をお願いします」
「彼は私の言葉で御せるものではないが……留意はしておくよ」
「人を暴れ馬のように言いますね」
「理性ある暴れ馬がどれほど怖いか、と……私まで挑発していては意味がありませんね。それでは──
片や真剣な顔で、片や隠しきれない笑みで。
白衣から私服へ、アメストリス軍の制服から白いコートに着替えた二人は、至上の実力を以て凱旋する。
決めごとは二つ。
人的被害の一切を出さないこと。
そして、「約束の時」まで暴れ続け逃げ続けること。
──悲鳴が響き渡る。
「一つ目の決めごとに関しては些かの不安が残りますが、彼もプロフェッショナルですから、まぁいいでしょう」
踵を返す。
歩くのは手薄になった中央軍。無論人が減ったと言っても決してゼロではないから、気配を読んでスニーキングミッションを熟していく。
『レイゼン・M・ダッドリー。こちらブリッグズ。今マスタング隊と合流した。そちらの状況はどうだ』
「潜入は完了していますが、目的地へ辿り着くまでにはもう少し時間がかかりそうです。このままでは」
『わかった。では、手筈通り真正面から行く。巻き込まれるなよ』
「それは問題ありませんが、
『こちらの心配は要らん。ただ、そうだな。一つだけ聞かせろ。そいつらを殺すのは人的被害か?』
「まさか」
『ならば言葉は不要だ。──武運を祈っている』
無線が切れる。
直後、激しい爆発音が中央司令部の正面玄関から聞こえた。
キンブリーとマルコー医師は街での遊撃クーデター。
アームストロング少将とマスタング大佐は軍への真正面からのクーデター。
エンヴィー曰くもうずっとマスタング大佐はクーデターを起こしていない、とのことだったけど、経験を忘れてはいないようで良かった。
人間、慌てれば慌てるほど死角への関心は薄れるものだ。
突然の襲撃に慌てて戦闘態勢を組んだ中央の軍人たちは、マスタング大佐とブリッグズという二大巨頭の対処に追われ、物陰に隠れる小娘になど気を割けなくなる。
気配が読みやすくなった。騒音はノイズにはならない。聞く音を区分し、判別し、必要な音だけを拾って目的地へ急ぐ。
なお、今頃お母様も動きを見せているはずだ。即ちイドバタネットワークを通じての避難誘導──ダッドリー家の家名をも用いて、戦う意思のない者達をキンブリーの戦闘範囲外へ。
「よ、っと。ふぅ」
「おや、グリードさん」
「おや、じゃねーよ。なんだ、嬢ちゃん。水臭ぇな。俺様は親父殿に離反宣言してんだ、こういうのやるなら誘ってくれりゃいいのによ」
「フラスコの中の小人の予備電池……もとい携帯食料は隔離しておいた方が良いと思いまして」
「言い直せてねーよ」
「共に戦ってくれるというのなら歓迎しますが、フラスコの中の小人との戦いで貴方が役に立つとは思えないので、良い所で離脱してください」
「本気で言ってん……だよな、その目は。はぁ、嬢ちゃん頼ること覚えたんじゃなかったのかよ」
「頼れる人には頼っています。貴方は信用に足る人物ではありますが、ことフラスコの中の小人との戦いにおいては無力です。取り込まれたあとの炭化くらいしか決定打がない。それも自爆特攻でしかないし、また切り離されたら意味がない」
「おうおうぶっ刺してくるなぁオイ」
だから私は
あるいはワンチャンスでエンヴィーやラストへも協力を取り付けられた気はしないでもないけれど、彼ら彼女らがフラスコの中の小人に牙を立てられる未来がまるで見えないのだ。
何故ならプライドとグラトニー以外の
チャンスがあるとすればグラトニーの疑似・真理の扉だけど、もう作っていないとのことなので没。
プライド……セリムの影だけがノーリスクでフラスコの中の小人と戦える。
「ただ、そうですね。おあつらえ向きではあったのかもしれません」
「あん? そりゃどういう」
疑問を述べ切る前にグリードの手が硬化し、その剣を受け止める。
私は私で別方向からの剣を受け流し、力を殺さないまま相手の剣先を壁に突き刺させた。
「……こいつら、いたのか」
「私も驚きではあります。誰が適合するかはわかっているはずなのに、わざわざ失敗作まで再現するとは、非効率的です」
こいつら。
それは老人だった。無個性な老人。
五人。
あるいはキング・ブラッドレイの成り損ないと呼ばれる者たち。
「五対一ですが、どうですか」
「がっはっは! なんだ嬢ちゃん、俺様を露払いに使おうってか!」
「安い挑発をしますが、できないのであれば構いません。私が処理します」
「良い度胸だ。んで、悪くねぇ。安くても売られたモンを奪わねえのは強欲に恥じる。とっとと行きな!」
「ご助力、感謝します」
一歩目で深く踏み込み、二歩目で最高速に達して五人の隙間を通り抜ける。
それでも反応してくる老人たちを、しかし赤い錬成反応を立てて完全に変化した彼が縫い留めた。
あとはお願いします。
そう宙に言葉を溶かして、深部へと進んでいく──。
本来であれば赤い液体の入ったシリンダーや無数のパイプのあるはずの部屋。
けれど何もない、不自然に何もない部屋を通り抜けて、第五研究所の地下と同じ感じの白い空間……も通り抜けて、そこへ辿り着く。
通称、お父様の部屋。
ただしここには誰もいない。前回の答え合わせ以降フラスコの中の小人はここに現れてはいない。
誰もいない、はずだった。
「……」
「上で姿を見ないと思ったら、ここにいましたか。今軍はてんやわんやですよ。トップがその場にいなくていいんですか」
「構わないとも。私がいないだけで烏合の衆になるほど、アメストリス軍は柔ではない」
「そうですか。──では、始めますか」
「何を、かね?」
「殺し合いです」
彼は、一言。
ふむ、と前置いてから──言う。
「なぜ?」
「……なぜ、とは」
「だから、何故だ、レイゼン・M・ダッドリー。なぜ私と君は戦わなければならない?」
「あなたがそこに立ちはだかっているから。それ以外に理由が必要ですか?」
「必要だとも。此度は先日のような理由付けが存在しない。何百年を過ごし、何百年の記憶を受け継ごうとも尚子供の域を出られぬ長兄を焚きつける意味であの襲撃を行ったが、今回その長兄はいない。なれば私が君に向ける刃は存在しないといえる」
「私はフラスコの中の小人を害す存在です。父親を守るのがあなた達
「
「では、今もなお次とカミを狙うアレは、何者ですか」
「自らが紛い物ではないという優越に浸り、先がないことに震える何者か。ただ貪欲に知識を欲し、ただひたすらに目的のみを求め続けた賢者はもうどこにもおらん。今のアレは、ただ終わることを怯えるだけの愚者だ」
……驚いた。
そこまで言い切るとは。
キング・ブラッドレイ。あるいは
生い立ちもその人生も、決して自由があったとは言えない、ある意味初めから紛い物である存在。けれど決して離反することはなく、その生の尽きる一瞬まで
彼がこうもフラスコの中の小人を突き放す言動を取るとは。
「……わかりました。戦う意思がないのであれば、私も剣を収めます。……ただ、一つだけ」
「なにかね?」
「私を追う形で、エルリック兄弟やヴァン・ホーエンハイム、そして……セリム様が来るかと思います。セリム様が来るかどうかは五分五分ですが、まぁくると思います。ですのでその時は」
一拍置いて。
「全力でお相手お願いします。手加減や手心は必要ありません。本気で向き合ってあげてください」
「良いのかね、セリムの許婚であり護衛である君がそんなことを宣って」
「フラスコの中の小人が父親ではないのだとすれば、セリム様の父親は貴方だけになりますから。貴方に欠片でも親心があるのなら、どうかお願いします。私は確かに許婚であり護衛ですが、父親と息子の会話に口を挟まないのは"出来たお嫁さん"であり"出来た部下"だと思いますので」
「良かろう」
「では」
彼の横を通り抜ける。
──飛んできた殺気には、反応しない。
案の定首の皮を切る直前で止まった刃に臆することなく道を急ぐ。
信用している。
何度も刃を重ねて来たから、心の底からその言を信じられる。
「……常に猛獣のような殺気を垂れ流していた娘が、斯うも自制を身に着けるか。ふっふっふ、セリム。お前の抱きたかった鳥は、大空を自由に飛んでいるようだぞ」
暗闇。けれどポツポツと灯りがある。
そこは史実に置いてマスタング大佐、ホークアイ中尉とエンヴィーが対峙した通路。
「なんでいるんですか、とは聞いておきます」
「いなきゃよかったって?」
「あなたがいたらグリードさんを連れずに来た意味がないですから」
「あっそ。まー安心しなよ。このエンヴィー様がここにいるのは、別にお父様に対峙したいからってわけじゃないからさ」
「そうなんですか?」
エンヴィー。
自分の死地で何をしているのか。
「まぁ、なに? 一応不始末にはなるからサ。嫌なんだよね、愚図に愚図だと思われるの」
「はあ。……ああ、そういうことですか」
「へぇ、もしかして気配って奴? 感じ取れるようになったんだ、俺達の気配まで」
「氣を感じ取ったわけではありません。ただ男女によって骨格の差や内臓の有無で足音に違いができますから、それで判別しただけです」
「うひゃあ、想像以上にキモチワルイ答えが返って来た。ま、いーケド。そら、出て来なよ──ラスト」
暗がりから、女性が出てくる。
胸元を大きく開き、その中心にウロボロスの入れ墨をした彼女は、ふふ、と上品に笑った。
「エンヴィー。人間嫌いのあなたがそちらへついているなんて、珍しいわね」
「別に人間についたわけじゃないよ。お父様に敵対したってだけだ」
「そう。……一応私も聞いておきましょうか。なぜ?」
「飽きた。ラスト、アンタに手を出すなって言った時とおんなじ理由だよ。もう飽きたんだ。人間に嫉妬し続けるのも、人間に負け続けるのも、人間を玩具にし続けるのも。俺達はもう
エンヴィーは、その両腕を暗緑色に肥大化させる。
それを見たラストも溜め息を吐いて、指を長く伸ばした。
「子ども同士で争うなんて、グリードだけで十分でしょうに」
「アンタが悪いんだよ、ラスト。一度は俺の言葉に乗ったクセに、こうしてコイツを止めに現れた。そりゃ裏切りってモンだろ」
「そうね。でも、許してちょうだい。私にも譲れないものがあった──ただそれだけだから」
「わかってる。アンタは
そこにあるのはもう、二人だけの世界だった。
私の介在する余地のない姉弟喧嘩。速さは要らない。二人の横を当然のように通り抜けたって、二人とも当然のようにスルーする。
多分。
どちらが勝っても、追いかけてはこないのだろう。
別れの言葉は告げない。
私は歩を早めて、先を急ぐ──。
*
そういう、諸々を潜り抜けて。
辿り着いた。
本来であれば、中央司令部から先ほどの通路に繋がり、その最奥がお父様の部屋になっている。その順路が一部逆だったのは、あの暗闇の通路が別の場所に繋がっていたからだ。
長い長い道を歩いた。
上での戦闘音が聞こえない程の深さを、長く長く。
して。
「来たか」
「はい。来ました」
彼はいた。
一見して何もない空間。お父様の部屋からパイプや溶鉱炉など、余計なものの全てを消し去ったかのようなその空間の中心に、ポツリと。
「まったく、オマエは堪え性というものを持ち合わせてはいないのかね? 約束の日まで待てばいいものを。オマエは目の前にあった
「目の前で起きている事実を無視してまで得た幸福では浸るに浸れないと、ただそれだけです。貴方を排除したのち、世界が崩れる前の一瞬の幸福を最大限に享受できればそれでいいので」
剣を抜く。
いつものスタイルとはまた違う。剣は逆手ではなく素直に持ち、左手の鞘は逆手気味に持つ。
「まさかとは思うが、ワタシと戦うつもりか?」
「戦わずして言葉が届くのであればそうしましたが、今の貴方に何を言っても無駄でしょう。聞き入れる気の無い者に掛ける言葉など、私は持ち合わせていませんので」
「……期待したワタシが愚かだったか。残念だ、レイゼン・M・ダッドリー」
赤い錬成反応が空気を伝う。
何を錬成したのかてんでわからないまま、それは私の元にまで到達し。
「なに?」
私の正面で、打ち消されたように雲散霧消した。
「何を驚いているのか、聴かせていただいてもよろしいでしょうか」
「オマエ……今のは、なんだ?」
「今のというと?」
「惚けるな、面倒だ。今のは今のだ。ワタシの攻撃を打ち消したソレはなんだと聞いている」
「さぁ、なんでしょうか。貴方も錬金術師だというのなら、観察して考察してみたらいかがでしょうか」
「……図に乗るなよ」
瞬間、超規模の錬成が行われる。
この空間のあらゆるところを赤が照らし、私の周囲を埋め尽くす。
全方位攻撃。
それを──剣と鞘で、全て叩き落す。
「どうぞ、考え続けてください。考える時間を与えるつもりはありませんが」
肉迫する。二歩目でトップスピードにまで至り、懐に入るころには剣を振り切っている。
だから、その身体に傷がつく。防御は間に合わない。コンマ一秒の時点で張られていた打ち消しの錬金術は、けれどこちらが打ち消し自体を打ち消したことで消え去り、剣の煌きだけがフラスコの中の小人のやせぎすの身体を捉える。
斬ったその瞬間に再生していくのを確認しながら、けれど連撃はやめない。くるくると回りながら、あるいは屈んだり離れたり踏み込んだり跳んだりを繰り返しながら、決して離れずについていく。
時折放たれる錬金術は確実に叩き落として、さらにさらに、さらに、と。
「ッ、くだらん!」
その光が見えた瞬間、バックステップで大きく後退。範囲外にまで逃げる。
錬成光──それは個人の命を奪い、賢者の石にする謎の錬金術。
「……もういい。仕組みはわからんが、何が起きているのかは理解した」
「では、正解です、と先に言っておきます」
「賢者の石だな。ワタシの錬金術の悉くを打ち消しているものが何かなど、考えるまでもない」
「先に述べた通りです」
構えなおし、フラスコの中の小人を正眼に捉える。
彼の言う通りだ。
今私は、賢者の石を使っている。それも全力で。
元々の技量が低いから、キンブリーのようにセーブして使うのができない。あるいは私のような低位術者が出力をセーブしたら、フラスコの中の小人の出力に簡単に負けてしまう、というのもあるか。
とかく、このペースで賢者の石を使い続ければ、恐らくあと五分と経たずにガス欠になるだろう。
五分。
「喜ばしいと、そう言いましょう」
左腕に巻いた、明らかに大きさの合っていない時計を視界に収める。
……「約束の時」まであと七分程。
合わせる気は無い。
残りの五分間、全力で石を使い続ける。その後の二分は、まぁなんとかなるだろう。どうしようもなかったらそれまでだ。どうしようもないんだから仕方がない。
「残数は五十二万九千九百と幾十人ほどか、でしょう。──削り切らせていただきます」
「人間はすぐに思い上がり、地に叩き落とされるものだが、オマエの思い上がりは止まることを知らんな」
「お互い様でしょう。天に手を伸ばし、地に引き摺り下ろされたフラスコの中の小人。フラスコの外を望むこと自体が思い上がりなのだと、まだ気付けないのですね」
雑談はここまでだ。
──猛攻を再開した。
心のどこかで、彼を待ちながら。