セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
肉迫する。右手に持った小太刀サイズの漆黒。滑り込ませるように切り上げたそれを、フラスコの中の小人は避ける素振りさえしない。だから一撃入って、けれど仰け反ることもなくその右手を私に──届かせられない。
影が防いだからだ。
「……それがオマエの望んだ在り方かね、プライド」
「そうですね。レイゼンの前に出ることも後ろに下がることもなく、共に戦う。無論、良いのですよ。貴方には未だ五十二万の命のストックがあるのですから、僕達のことなど気にせずいてくださっても。貴方は今どんな錬成陣が展開されているかを考えなければならないのでは?」
「くだらん」
錬成反応。
今度は私ではなくセリムを狙って放たれたそれを、しかしホーエンハイムが防ぐ。
「なんだ、ホーエンハイム。ワタシの邪魔をすることまでは理解が及ぶが、何故プライドを守る」
「仲間を守るのにそれほど不思議がられる所以は無いと思うけどな」
「仲間? プライドが?」
「不本意です。協力者、とかにしておいてくれませんか」
「え、そっちに拒絶されるんだ……」
コントをしている二人とは打って変わった温度差で、一撃一撃丁寧にフラスコの中の小人を斬り殺していく。丁寧に、そして前の斬撃より速く、鋭く。
一秒に一回を、コンマ七秒に一回、コンマ五秒に一回。その二乗、三乗。
折れない、壊れない刀だ。
それを最大限に活かす。今まではやってこなかった、耐久性能を無視した曲芸染みた攻撃も織り交ぜて、途切れない攻撃を行い続ける。
開放・国土錬成陣。
その真髄は、閉鎖・真理の扉を開け放つことにある。
この国土錬成陣は賢者の石など錬成しない。私が語った閉鎖・真理の扉のイメージをもとに、イシュヴァールの天才が汲み上げた国土錬成陣であり──直接の効果というか、目に見えた効果はほとんどない。だからすぐに内容を看破されることはないはず。
よってここにいる私達の仕事は、錬成陣が明確な効果を発揮するまでフラスコの中の小人を削り続けることと、国土錬成陣の中心にいたホーエンハイムの役割をフラスコの中の小人に悟らせないこと。
要するに、ここに至ってもまだ時間稼ぎである。
「時間稼ぎか」
「肯定します。当然のように、私の役割は貴方をここに引き留めることにあります。なお、逃げても同じことですよ。外にはマスタング大佐らの火力組が控えていますので、逃げた方が減りは早いかもしれませんね。どうせ私の攻撃で五十三万を削り切ることはできませんし、そちらの方が効率よくはありますが」
「……有象無象の烏合の衆など賢者の石の糧になるだけだ、と言いたいところだが……その対策をしていないとも思えん。否、考えるに、その対策がこの国土錬成陣の効果、ではないかね?」
「さて。そんなことのためだけに国土錬成陣を使うかどうかを考えてみればいいんじゃないですか?」
決して。
舌戦において、フラスコの中の小人に勝てる、なんて思い上がりを私はしていない。
ポーカーフェイスは得意だけど、相手だって稀代の天才だ。私の言動や仕草の節々から察される可能性がある。
だから私は、「知らない」ことを選んだ。
上述の通り、私の役割は「フラスコの中の小人を削ること」だし「ホーエンハイムの役割をフラスコの中の小人に悟らせないこと」だけど、「私はホーエンハイムの役割を知らない」。流石に開放・国土錬成陣の効果は知っているけれど、イシュヴァールの彼とホーエンハイムがどういう役割を担うのかを知らないままでいることにした。
信じたし、託した。仮に彼らが私達を裏切っていたら、全てが水泡に帰す可能性もある。
でもまぁ頼ったのだ。うん、成長。
「何をしたいかなど、粗方わかっている。だが……」
「ええ、阻止できないでしょう。今の貴方には五千万の魂もありませんから、小型太陽を生み出すこともできません。無理を通せばできるのでしょうが、制御しきれずに自身を消滅させるに至る、ですか」
「……成程、二年を待たずに決行した理由はこれか」
「リオールに血の紋さえ刻まれなければ、貴方は賢者の石の錬成陣を組み上げられません。つまり、"一度目"においてエルリック兄弟らと戦った貴方より、遥かに弱体化した状態で戦い得る。それが決行時期を早めた理由になります」
多分、五千万状態のフラスコの中の小人だったら、流石に無理だった。あの時だってクセルクセス人のトロイの木馬があって初めて戦える状態に持っていけただけで、ホーエンハイムの賢者の石をフラスコの中の小人が取り込んでいなかったら惨敗していたことだろう。
そして繰り返しの知識があるフラスコの中の小人は、もう決してホーエンハイムから賢者の石を奪ったりしない。つまり二年を待っていたら絶対に勝ち目がなかったのだ。
時間の猶予、なんてものは、実はなかったのである。
「レイゼン、もっと激しく動いても大丈夫ですよ。僕は君の速さに追いつけます」
「ああ、精彩を欠いた動きをしているのは、単純に私が死にかけだからです。まるでなんでもないことかのように、まるでセリム様が来たことで全回復したかのように振舞っているだけで、貴方が来る前までのダメージが消えたわけではありません。──大丈夫です。フラスコの中の小人を殺し切るまで、死ぬつもりはありませんから」
事実を言ったら息をのんだ音が聞こえたので、安心させておく。
錬丹術は決して万能ではない。無理なものは無理だ。
むしろ、賢者の石の塊相手に無手で頑張った方だと思う。再三になるけれど、ポーカーフェイスは得意だから。
「……問おう、レイゼン・M・ダッドリー」
「はい」
「ワタシに、反撃の余地はあるかね?」
一瞬、虚を突かれた。
なんだその問いは。
「無いと思います。双方の実力を完全に把握した上で、こちらの天才が徒党を組んで編み出した案ですから」
「そうか」
フラスコの中の小人は──諦めたように、そう呟いて。
直後、ニヤリと笑った。
「
「!」
どこかで。
どこかで、大きな扉の開くような音が響いた気がする。
「──セリム様、ヴァン・ホーエンハイム! なりふり構わない最大火力でフラスコの中の小人を」
「無駄だ」
金髪の老人が、自らの胸に腕を突き刺す。
瞬間、そこから赤い錬成反応が溢れ出た。
言動から察せることは、ただ一つ。
この「勝てない今回」を放棄し、「可能性のある次」へ行かんとする行動。ただし、フラスコの中の小人はどのような条件で次が来るのかを理解できていないから、これはある種の賭けだ。
でも、自身と同等規模の天才が敷いた「フラスコの中の小人完封策」を絶対に破れないものだと見抜き、であればパーセンテージが落ちてでも零パーセントじゃない方を選んだのだ。
即ち、自らの最期を再現する、という形を。
「かくなる上は、第二案を──」
「させねぇよ」
漆黒の剣を自らの心臓に突き立てようとして、しかし地面から出て来た石の縄に絡めとられる。
これは。
いや、今の声は。
「……エドワード・エルリック? どうし、て……」
そんなことをしている間に、フラスコの中の小人の胸のその中心に穴が開く。
穴。穴だ。そしてそこから、黒い手が出てくる。それはフラスコの中の小人に対して""掻き毟り""を実行し、虚空へとフラスコの中の小人を葬り去っていく。
ただし、かつてのように無念の果てに、ではなく、得意げな顔を崩さないままだ。
──最終手段として、服の裏地に仕込んでいた紅蓮の錬成陣を。
「やらせないよ。ごめんね、レイゼンさん」
それは、背後から。
次に目を覚ました時。
目の前にはもう、フラスコの中の小人はいなかった。
「……インターバルがある可能性は考慮していましたが、本当にあるとは」
「レイゼン! 良かった……。ありがとうございます、ヴァン・ホーエンハイム。イズミ・カーティス。貴方達の適切な処置のおかげです」
「いや……延命措置でしかない。俺が生体錬成に長けていたら、話はもう少し違ったかもしれないけど……賢者の石は別の事に使っているから、全てを無視した治療は行えなかった」
「こっちもだ。……自分のことくらい治せるように、ってやってただけだったから、あまりに知識が足りなかった。マルコーさんくらいの腕があったら良かったんだけどね」
成程。
止血は、されている。
いや、そんなことはどうでもいい。
「どういうことですか、エルリック兄弟。なぜ、あの土壇場で裏切りを」
「そーいう作戦なんだよ。アンタが頑なに聞かなかった、
「だから、ボク達はフラスコの中の小人がこういう強硬手段に出ることを想定していたんだ。下はセリムと父さん、上はマスタング大佐たち。国土錬成陣まで使ったフラスコの中の小人の完封作戦を用意すれば、唯一の逃げ道である"次"を選ぶだろう、って」
「んで、アルや大佐の記憶から、フラスコの中の小人が消えた後も少しだけ猶予があるってわかってたからな。それをアンタや
……なら、「知らない」ことを選んだのは、英断だった、というわけだ。
あそこで私が必死に抵抗したから、フラスコの中の小人は自身の選択が間違っていないと確信に至れた。私が仮に作戦を知っていて、簡単に諦めていたら……彼は最後まで抵抗していたかもしれない。
無論、そうしたところで完封できる作戦が整っているのだろうけど。
天才、か。
「それで、私の命を使う以外に、どのような方法でこの世界を終わらせるのですか? 当初の開放・国土錬成陣では、フラスコの中の小人を使うことが第一案の大前提だったように思いますが」
「俺が代わりになる」
「……まぁ、そこの是非は問いません。納得の上、なのでしょうし。……ただ、不満はありますね。私の第二案を否定しておいて、結局犠牲になるのですか」
「否定したわけじゃないさ。君はバックアップ、というだけだ。こっちだってフラスコを内側から破る錬成陣、なんてものは初めて実行するわけだから、失敗する可能性だって十分に考えられる。そうなったら確実な方法である君の命を使うしかなくなる」
「ならば最初から私でやった方が良い様に思いますが……納得しておきましょう。これ以上の議論は時間の無駄でしょうから」
「ああ。……それじゃ、俺達は最後の錬成に行ってくるから」
言って。
ヴァン・ホーエンハイム、エルリック兄弟、そしてイズミ・カーティスがこの空間を去っていく。
最後の錬成。
開放・国土錬成陣の仕上げ、か。
「良いのですか? 別れの言葉を告げなくて」
「要らないでしょう。そういうセリム様こそ、"光"に対して何か言うことがあるのでは?」
「あはは、中々引き摺りますね。……もうそういうことは言い終えましたよ。君と別れている間に、十分に、ね」
「そうですか。……さて、私達も行きましょうか。私自らを贄とする方は、どこにいても使えるので。あ、そういえば大総統はどこに?」
「父は、母の元へ向かいましたよ。僕の方はもう別れを告げてきています。……レイゼンは、ダッドリー家との別れは」
「はい。既に」
ダッドリー家の皆。お母様もお父様もお爺様も、エイアグラムお兄様も、そして今回連絡役として奔走しまくってくれたラグスお兄様とも、既に別れを終えている。
だから本当に、あとはセリムとだけだ。
ゆっくりと、今まで通って来た道を遡っていく。
暗闇の通路には激しい戦闘痕が残っているけれど、二人の
お父様の部屋にもまた嵐の過ぎ去ったような痕跡があるけれど、一滴の血も流れていない。
そのまま白い部屋も、パイプだらけの通路も、そして混乱が収まって人が戻ってきていた中央司令部内も通り過ぎて。
がく、と。
倒れそうになった身体を、けれど隣にいたセリムが支えてくれた。
「もう、歩けませんか?」
「……弱音、吐きたくないんですけどね。……どうやら、足が言うことを聞いてくれなさそうです」
「では」
よいしょ、なんて言うこともなく、セリムは私をおぶる。
影を使えば、と思ったけど、あれは鋭利だから無理か。
「無理をしましたね。相変わらず、ですが」
「そうですか? 一人で突っ込まなかっただけ成長でしょう。たくさんの人に頼りましたし、たくさん信じました。……貴方が来ることも含めて、です」
「それでも無理をしたでしょう。本当は……矢面に立つのは僕だけでも良かった。でも、それだと君は絶対に納得しないでしょうから、まぁ、これが最善だったんだと思います」
「はい」
背負われて、歩いていく。
どこへ行くのか。学院、ではなさそうだ。まぁ、こんなボロボロの姿で行くわけにもいかない。というかクーデター騒ぎで休みになっているだろうから、どっちみちか。
「……過去の話をしましょう、レイゼン」
「レイゼン・M・ダッドリーについて、ですか?」
「そう……なってしまうかもしれません。他の女性の話題は、嫌ですか?」
「いえ。貴方が語りたいのであれば、止めませんよ」
そうですか。と
ありがとうございます。と。
そう言って、セリムはポツポツと話を始める。
「君と別れた後、エドワード・エルリックらと激しく衝突して、彼の言葉にハッとさせられたんです。果たして、僕は本当にレイゼンを……君ではない彼女を愛していたのか、と」
「なんとも分かり切った気付きですね」
「ああ、レイゼンはわかっていたんですね。そう……僕は彼女を愛せてはいなかった。彼女が死んだことで愛を知り、恋を知り、此度でようやくそれを実行できただけで、僕は決して彼女を愛せてはいなかった。彼女は僕を愛してくれていたのかもしれませんが、僕から彼女に向けていた感情は、そんなにも高尚なものではなく……いつもの、傲慢故の占有欲のようなものだったのでしょう」
レイゼン・M・ダッドリー。
事実、彼女はセリムの護衛でしかないのだ。でしかなかった。
そして彼女側も――その愛が愛恋の愛だったかどうかはわからない。あの献身精神や滅私の行動を見るに、愛恋というよりは慈愛の心だったように見えた。
つまるところ、セリムとレイゼン・M・ダッドリーの間には、初めから愛情なんてものはなかったのだろう。
「でもね、レイゼン。僕の心には、前のレイゼンへ向けていたものとは全く違う感情があることに気付いたんです。気付かされた、が正しいですが」
「……」
「僕は君を喪うのが心底嫌だった。君と離別することがあまりにも嫌だった。次を求めた僕は愚かでした。それは結局君を喪うことと変わりないのに。……そして、気付いたんです。これが──愛なのだと」
「そうですね。私も同じ気付きを得ていました。セリム様が他の女に現を抜かしたことも嫌だと思いましたし、貴方と離れ離れになることを……いえ、何も言葉を交わせずに離れ離れになることを、私は嫌がっていた。私のものは愛恋なのかどうかはわかりませんが、少なくとも愛情だったのは事実でしょう」
あるいは、傲慢故の占有欲だったかもしれないけれど。
「セリム様。私も貴方も、感情は幼子なんだと思います。大人なエルリック兄弟や他の人々と違って、まだ生まれたばかり。だから、ロマンチックでドラマチックな愛恋なんて覚えなくてもいい。ただ」
ただ。
「ちゃんと、言います。──セリム様。ようやく私は、貴方と離別することを──悲しいと思えるようになりました。寂しいと、そう思えるようになったんです。この先が存在しないことも、元の世界のセリム様が私のことなど記憶していないという事実も、全てが──悔しいと、苦しいと、そう思えるようになりました」
「僕もですよ。僕の方が、です。……フラスコの中の小人がいなくなっても、
背負われているから顔は窺えないけれど。
感情を露わにした声だった。
「約束。1915年の春、という約束は、果たせませんでしたね」
「構いません。それよりも早く、君は振り向いてくれた」
「学院内では日常を、という約束も破ってしまいました」
「あれの原因は僕にあります。君のせいじゃない」
「──許婚という約束も、破る形になりました」
「であれば今守ればいい。そうでしょう?」
どこか。
地図でも名前のついていないのだろう、どこかの丘。
そこに、降ろされる。
上手く立てない。だからまた体を支えられる。
「結婚しましょう、レイゼン」
「……そうですね。約束を守り切るのなら──それが一番」
ドン、と。
セントラルの方で、光の柱が立ち上る。
それは上空へ……否、概念的な上方へ駆けていき。
コルクを、押し上げる。
「開放・国土錬成陣。その本質は、この
「いいじゃないですか、今は。今は、僕に集中してください、レイゼン」
「……はい」
詳しい解説は要らないか。
そんなのは、国家錬金術師にでも任せればいい。
今の私達は、ただの子供なのだから。
「申し訳ありません。指輪の類は持ってきていません」
「ああ……錬金術で作れたら良かったのですが、もう腕が上がりませんね」
「ですから」
ですから。
セリムは、私の正面に来て。
そっと、口づけを落とした。
「好きですよ、レイゼン。愛しています」
「……私も好きです。別れが、嫌で嫌で仕方がないくらいには」
「最後のその瞬間まで、一緒にいましょう」
「喜んで」
光が迫ってくる。
セントラルを、いいや、アメストリスの全土を──白い光が。
私も、セリムも。
飲み込まれて──。
強く抱きしめ合って。
*
雨が降っている。
真っ白な空間に、雨が。
「何故だ」
「何が?」
「何故だ。何故──失敗した」
「当然の帰結でしょう。強いて言うのなら、レイゼン・M・ダッドリーがレイゼン・M・ダッドリーを引き込んだ時点で、アナタの負けは確定していたのです」
真っ黒な球体と、真っ白な少女が話す。
少女はレイゼン・M・ダッドリーかもしれないけれど、別の呼び名が多くあった。
彼女は「世界」であり「宇宙」であり「神」であり「真理」であり「全」であり「一」であったけれど──。
決して、「球体自身」ではなかった。
「どこへ行ったのだ。ワタシの真理は。ワタシのカミは!」
「忘れたのですか? ここはアナタの扉のムコウ側。であれば、アナタが本来の扉に辿り着ける所以もありません。アナタは間違えたのです。アナタに残されていたのは、一刻も早く国土錬成陣を完成させ、誰に邪魔されることもなく扉を開くという道のみ。現状を変えることに怯えて現状維持のスタンスを変えなかったアナタには、もう扉も応えてはくれません」
「だからといって、何故オマエの扉に繋がる!」
「簡単な話です」
真っ白な、黒くぼやけた輪郭のみの少女は──けれど、大きく口角を上げて笑う。
「ワタシが風穴だから、ですよ」
轟と。
ああ、黒い球体は、自らがどこかに吸われて行くのを感じた事だろう。
黒い手に引きずり込まれたムコウ側ともまた違う。
どれほど踏ん張ろうとも、その身体はどこぞかへと吸い込まれて行く。
「どこへ、どこへ連れて行く気だ!」
「余地のない世界。即ち、元来の死です」
「何故だ! 何故ワタシがそんな場所へ──」
「等価交換ですよ、フラスコの中の小人」
ああ、もう。
無理だった。
「死後の世界から、レイゼン・M・ダッドリーという本物が引き抜かれたので──同じく本物であるアナタで穴埋めするのが筋でしょう。紛い物では話になりませんから。レイゼン・M・ダッドリーと等価足れるのは、アナタだけなのです」
レイゼン・M・ダッドリー。
セリム・ブラッドレイの護衛でしかなかった彼女が行った最期の錬金術は、フラスコに風穴を開けただけに留まらなかったのだ。
等価交換という絶対の法則により、彼を世界の外へ放り出す。
そこは死の世界。真理の世界などという余地のある空間ではない、暗く、暖かく、そして──何もない。
死。死。死。
意識を保つことさえできない、絶対の世界に、今。
さぁ、無理矢理に開け放たれた扉は、重厚な音を立てて閉じて行き──。
内側にも、外側にも。
もう、何も残っていなかった。
雨が降る――。