セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
ダッドリーの剣、というのは「銃に勝る剣術」を指す。
味方も敵も銃をメインウェポンに、剣はもしもの時用のサブウェポンに、としているこの時代において、銃器の一切を持たないその剣は、しかし時として銃にも勝る貫通力と殲滅力を誇る。
相対しての話だけではない。当然のようにある不意打ち、奇襲。そして狙撃。常在戦場とまでは行かないまでも、発砲音や銃弾の飛翔音に対しての嗅覚が異常に優れ、また判断も対処も早い。
そして──そのダッドリーの剣を受け継いだ者同士は、だからこそ、剣を重ねるだけで相手が何を言いたいのか、何をしたいのかがわかる。
……のだという。
私は受け継いでいないから、わからないけれど。
「そこまで! 勝者、エイアグラム様!!」
「……すまない、少し強く斬り過ぎた。怪我はないか、レイゼン」
差し伸べられた手。
ダッドリー家の練兵場は広大とまでは行かないもののそこそこの面積を保有し、だからこそ周囲では別の指南を受けている者も多い。それはつまり、観客が大勢いる、ということだ。
負けを晒した──とは、まぁ、思わない。長兄、エイアグラム・M・ダッドリー。体格差に始まって技量も膂力も体力も、何もかもが劣る私が勝てるわけがない。
わからなかった。
剣を通じてとか。全く以て伝わってこなかった。
セリムの計らいで剣術、錬金術、喧嘩の恐らく最上位にいる人たちと交えてみて、私は何も成長していない。彼の好意か何らかの計画か、とかく受けた恩は何ら返せそうにない。私は全く強くなっていないのだと痛感する。
「どうした、レイゼン。押し黙ってしまって。……骨折でもしたか? すぐに医者を手配し」
「いえ。怪我はありません。ありませんので、もう一手お願いできますでしょうか、お兄様」
「……焦りが見えるな。何があった、レイゼン」
「何も得られなかったから、焦っているだけです。ダッドリーの剣を持たぬこの非才の身に、どうか付き合ってはいただけないでしょうか、エイアグラムお兄様」
焦りもする。
常日頃肉盾だの時間稼ぎだのを謳っておいて、蓋を開けてみれば障害にもならない路傍の石とは笑えてくる。もし何かあった時、彼は
無理だ。
少なくとも今の私では。でも、付け焼き刃の技術など身を滅ぼすだけ。強く凶悪な錬金術ではどうしようもないこともある。剣だ。剣でなければいけない理由がある。
アメストリスに生まれた以上は──錬金術では、いけないと。
「セリム様のことか」
「はい。そして、自分のことでもあります」
「上手く行っていないとは聞いている。……権力のしがらみは、お前から自由意志を奪った。まだその歳では、運命を上手く享受できないか」
「セリム様に不満はありません。ただ私は──自分に価値を見出せない。ダッドリーの剣を授からぬ私に何がありましょうか。女である。ダッドリー家の女であるという一点だけで求められた。それはもう疑いようもありません。ですが」
エンヴィーに言われた言葉だ。
好かれるのが怖い。
利用されるのなら、良い。その方が理由がわかりやすい。けどもし、期待されているのなら、怖い。
私に要人警護としての役割を求めているのなら。甘い言葉を囁いて、常から自身のそばに私を置いて、いざという時の盾とするつもりであるのなら。
今の私では、失望させてしまう。
……もし今のセリムが、プライドが、二度目の生なるものを手にし、何かが変わっているというのなら──もし、彼を変えた光というのが、あの兄弟の兄のことであるのなら。
その光を遮るのが私であってはいけない。それは多分、原作ファンとしての私が言う解釈違いと矛盾することかもしれないけれど、だって光を得たもう一人の
もし、もし、もし。
傲慢が何かに変わるのなら──私はそれも見てみたい。だから、私のせいで元に戻してしまうのだけは、絶対に在ってはならないことだ。
「セリム様は私に好意を伝えてくれています。けれど、今の私はその好意を受け取れるほどの器が無い。あれを歯の浮くような言葉だと感じるのは、私自身が未熟だからだと考えます。違っても構いません。勘違いでも知りません。ただ、これは」
「……良いだろう。もう一試合、行こうか」
「私の納得の問題です!」
腰に差していた鞘を抜く。
姿勢は低く、獣のように。四足の構えはダッドリー家では一度も見せたことが無い……使ったことのない構え。
エイアグラムお兄様が少しだけ警戒するように目を細め、剣を傾けた。
使っていなかったものを使う。
靴の裏に仕込んだ錬成陣に思念を送り、爆発させる。まるで私を銃弾とするかのように。
銃に勝る剣術を謳うダッドリーの剣に、銃弾となって挑む私はさぞかし愚かなことだろう。
仕方のない話だ。銃撃兵であれば降伏もできようが、既に放たれている銃弾は止まれない。ただ防がれるか、ただ切り落とされるか、ただ避けられるまで、止まらない。
埒外の速度で肉迫した私に、けれど当然のように反応するエイアグラムお兄様。
その彼に対し、私は右掌を張り手のように押し出す。剣に対して、だ。
一瞬彼の剣が鈍る。妹の手を斬ってしまう可能性に鈍ったわけではない。
この手にあったはずの鞘が無くなっていることに鈍ったのだ。
「っ、いつの間に!」
「駆け出しと同時にです。──私に目が行ったでしょう、お兄様」
直後、青い錬成反応が迸る。
ダッドリーの剣ならば練習用の鈍刀でも私の手を斬り得たのだろう。彼が本気であったのなら、鈍っていなければ、斬るも叩き折るも簡単だった。けれど、またも小細工だ。ミスディレクション。彼が達人だから、彼の目がとても良いから、探してしまう。
特に何の仕掛けもしていない鞘を。錬成反応を迸らせているだけの鞘を。
パキン、と。
割れる、折れる音がして、腹部に鈍痛が走った。
「! ……す、すまないレイゼン!」
折れる音は、エイアグラムお兄様の剣が私の錬成で折れた音。
鈍痛は彼の膝蹴りだ。ダッドリー家たるもの、剣だけしか扱えないでどうすると、格闘技まで仕込まれているというのだから隙が無い。当然のように私には教えられていない。
だが。
「……っ、銃弾一発で、ダッドリーの剣を折ったのなら……今の私には、十分だと……納得しました」
横にずれて、地面に落ちていく……所をエイアグラムお兄様が拾ってくれる。幸い内臓の損傷はないようだけど、意識はちゃんとかすんでいる。
ああ、まぁ、そう。エイアグラムお兄様が、手加減を忘れてしまう程度には、本気を引き出せたと……都合の良い解釈をしておこう。
「レイゼン! レイゼン!?」
まだだ。
まだ打ち止めじゃない。まだ頭は打っていない。
私はまだ、強くなれる。……今の弱さに目を瞑れないのは、未熟者故。
私は、まだ──。
「起きましたか」
「……セリム、様?」
病室であるのはすぐに察した。エイアグラムお兄様の膝蹴り一発で昏倒した、と。全く情けの無い話だ。それで運び込まれて、軍の誰かが何かしらチクったのかな。あるいはここ軍人病院かな。
なんにせよ、迷惑をかけた。
謝らねば。
「ああ、まだ安静にしていなさい。内臓破裂こそなかったにせよ、ダメージはしっかり残っている。子供の時分にそういうのをそのままにしておくと、大人になってから響くからね」
「はい、申し訳ありません」
優しい声だった。担当してくれた医者だろうか、人の気分を落ち着かせる、いい、こ、え……。
「落ち着いたらこれを飲んでほしい。内服薬で、苦みが多少あるから、無理ならば果実水を持ってくるよ」
「……な」
「レイゼン、安心してください。彼は腕の良い医者ですから、きっとすぐに良くなりますよ」
に、を。
言葉を続かせずに良かったと心底思う。
だってそこには──仲良さげに、そしてどちらもが心配そうに私を窺う二人がいたのだ。
セリムは良い。そっちじゃない。
「それじゃあ、私は他の患者のところへ行ってくるから、何かあったら看護師に声をかけてくれ」
「はい、
何故、ティム・マルコーが、当然のように医者をしている?
内服薬は苦かったが、そんなものどうでもいいくらいのびつくりぎゃうてんがあって動揺している。
なぜ。
セリムと仲睦まじい様子なのも勿論気になるが、彼の顔には驚くほど翳りがなかった。トラウマを抱えているような顔ではなかったのだ。晴れやかというか、まっとうに仕事をしている真っ当な人、というか。
ティム・マルコーが。
「聞きましたよ、レイゼン。相当な無茶をしたそうですね」
「いえ。大総統やグリードさんと戦った時と比べたら、大したことはしていません。……それよりも、何故セリム様がここに?」
「ダッドリー家には軍人の門下生がたくさんいますから。中には将校となってまであそこに通っている者もいるくらいで、君が病院に運ばれる程の大怪我をしたとわざわざお父さんに報告しに来たみたいで」
「……過保護ですね。いえ、何より弱い私が悪い……」
「経緯は聞きましたが、流石の僕でもわかりますよ。お兄さんと君では力の差が歴然だ。それは君が弱い云々の話ではなく、単純な経験値や体格差というものです。君がお兄さんと同い年になって、お兄さんが行った何かしらを成し遂げられなかったというのなら、確かに君は弱いかもしれない。だけど今はそのくらいが当然だと思いますよ」
……セリムが慰めてきている。
まだ決めかねている。自分で吐いた言葉なのにうだうだと鬱陶しい事この上無いけど──だから、解釈違いを許容するか、しないか、という話。
あり得ない。こんなことは絶対にあり得ない。という私と。
あり得ないなんてことはあり得ない、というグリード風の私と。
「……先ほどの、医師の方は」
「あ、今露骨に話を逸らしましたね」
「はい。その部分は理屈ではわかっていても本能が納得できていない部分なので、言い争っても仕方がないと判断しました」
「素直なのは良いことですが、少しさらけ出し過ぎにも見えます。……君のお兄さんから看病を代わってもらった時、言われましたよ。"私の妹をどれだけ困らせたら気が済むのか"、と」
やめてお兄様。死ぬ死ぬ。相手プライドプライド。作中屈指の怪物だから! 最終盤まで動かないお父様と違って超アクティブな倒せない化け物だから! 変なこと言わないで!
「返す言葉もありませんでした。……知っていますか、レイゼン。君を許婚にと選んだのは、僕なんですよ。
「理由を教えてください。私は一目惚れというものを毛の先程も信じていません。誰かを好きになるのには相応の理由があり、誰かに振り向いてほしいと思うにはそれだけの経緯が必要です」
「……理由」
「セリム様が私に惚れている、と。セリム様からも、他の人からも、何度も聞かされました。ですが理由が全く伝わってこない。エンヴィーさんはセリム様の趣味に合っていただけ、食の好みのようなものと仰っていましたが、私にはセリム様がただそれだけの理由で許婚なんて形にまでして私を逃がさないようにするとは思えない」
マルコー医師も凄く気になるけど、実際まだ上手く立ち上がるのも難しそうなので、踏み込んだことを聞く。核心を。もう、今更だとは思うけど。
「教えてください、セリム様。あなたは私の何を見たんですか。あなたは私の何を知り、何を以て伴侶にすると決めたのですか」
「……それを面と向かって君に言えと? ふふふ、僕にも恥じらいというものはあるんですよ」
「そうですか。では、この話は終わりです。変なことを聞き」
ぺた、と。
小さな手が私の口を塞ぐ。
「ダメですね。僕の悪い癖です。君相手ならもっと踏み込まなければ逃げてしまうと知っているのに、ついいつもの癖で相手から引き出すような話調をしてしまう。……レイゼン、この手を離しても、僕の言葉をしっかりと聞いてくれますか?」
頷く。
理由がわからないから怖い。エンヴィーの言う通りだ。
だから私はずっと拒否している。拒絶している。
その理由を吐いてくれるのなら。
納得できる理由なら。
「……僕が君に恋していると気付いたのは、随分と昔の話で。遠く遠く、昔の話」
「赤子の頃ですか?」
「口を挟まないで聞いてください。抽象的な言葉を多用するつもりなので」
「はあ」
「前に聞きましたね。二度目の生を信じるかと。……あれは僕への問いかけでもありました」
知っています、とは言えないので、頷く。
「前に光を見たことがあると言いましたね。アレ、嘘なんです」
「嘘?」
「はい。見たことがある、なんてものじゃない。数えきれない程見ました。何度も何度も見ました。その光は、あらゆる局面において、どのような状況にあっても光でした。……ズルい話です。僕らは変われないのに、
それは。
「ええと」
「口を挟まないで、と言ったでしょう。質疑応答は最後です。受け付けるかどうかは別ですが」
「はあ」
「君を初めて見た時、僕は君をそこらにいる有象無象と同じだと思っていました。
続ける。セリムは昔を懐かしむように、続ける。
「でもね、君が
「死んでいませむぎゅ」
「やっぱりこの口は閉じておきましょう」
にっこりと。
セリムは私の口に手を押し付ける。
「君は人間でありながら、僕たちの……僕の前に立った。誰もが光を応援し、鼓舞し、託す中で、権力にも暴力にも屈することなく君は僕の盾となった。なぜですか? 僕がその程度では死なないと、君はもうわかっていたはずなのに」
「……」
「酷い話です。何度やってもバッドエンド。君が現れても結末が変わることは無い。無かった。何度やっても変わらなかった。君はどういう状況でも僕を守って死にましたね。……いいですか、レイゼン。これから話すことは、僕の中でもまとめ切れていない酷い言葉だ。言い方というものがあるだろう、とお父さんやラスト、グリードに怒られてしまいそうなほど、酷い言葉です。それでも聞いてくれます……いや、聞いてください。聞かせます」
その瞳は、赤く。
「僕は君の死体を見るたび、沸々と沸き立つ感情に困惑しました。けれど、ようやく
その影はざわめき。
「許せなかったんですよ。だって君は、僕のものなのに。勝手に盾になって、勝手に死んでいく。レイゼン。僕はね、とっても傲慢なんです。それ以外の感情を持たないくらいに。だから、許せない。僕を守り死ぬ君が。僕に何も残さない君が。君に死なれた僕の虚無を、一欠片たりとも気に留めない君が」
その口から零れる言葉は──支配欲か、征服欲か。
「これが僕の、君を好いている理由です。今の君に言っても何にもならない言葉です」
「……」
自分のものだから、好き。
子供が自らに与えられた玩具を大事にするように。壊してしまえば同じものを求め、経済力がついてきたら、自分で買うようにもなるのかもしれない。始まりがどんなであれ、その行為を。
好き、と呼ばずして、なんと呼ぶのか。
口を抑えてきていたセリムの手を無理矢理外す。
そして──爛と。
彼をねめつける。
「……怒りました、か。流石の君でも」
「知りません。理由は理解しました。今納得しました。これより私は、あなたの好意を受け入れることでしょう。ただ、気に入りません」
「何が、でしょうか」
「話の全容はわかりません。理解しがたい部分も多かった。だけど、言いましたね。酷い話だと。何度やってもバッドエンドだと。気に入りません。何故ですか。何故あなたは、幸福になれない」
「……そんなのは、こっちが聞きたいくらいですよ」
「セリム様が諦めているからですよ」
断言する。
何度やっても無駄だったから、せめて幸福なひと時を存分に楽しみたい。ただそれだけに聞こえる。
話の全容も理解している。私に関してがよくわからないけれど、大体想像通りだろう。
それで。
それが、なんだ。
「セリム様。あなたが毎回光に遮られているのはなぜですか?」
「……光が、僕の前に立ちはだかるから」
「違います。あなたが光に対峙しているからです」
「っ……言いたいことはわかりました。けれど、申し訳ありません、レイゼン。そこだけは変えられないのです。
だから、それが、なんだと問うている。
「セリム様の存在意義と私を天秤にかけたら、どちらに傾きますか」
「酷い質問ですね。それは私に死ねと言っているのと同義だ」
「はい。そう聞こえなかったのなら、あなたにはもう言葉は届かないものと判断していました」
日々の言葉が嘘ではないのなら。
心の底から私を守りたいなどと嘯くのなら。
自分の存在意義くらい、賭けないで如何とするか。
「……らしくないことを言っても良いですか、レイゼン」
「どうぞ」
「少し時間をください。その天秤は……恐らく、何千年に値する重みを持っている。探します。私の中で、その秤が君に傾く理由を」
「お好きにどうぞ。ただ、そうですね、いつも焦らされているので、今回くらいは焦らせておきます」
外したセリムの手を、自らの首に当てる。
震えが伝わる。
「もたもたしていると、また、私が死んでしまいますよ」
「嫌な言葉だ。……遠いなぁ、君は。本当に……遠い」
それじゃあ。
内臓のダメージを無視してハキハキ喋っているのにも限界が来たので──眠らせてもらおう。
なんだ。変に強気になったのは、内服薬の副作用にしておこう。おのれティム・マルコー。
……あ、で、なんでマルコー医師はあんなにも普通のお医者さんだったの?