セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
違和感を覚えた。
それは、お兄様たちが血相を変えて中央司令部へと向かった、もぬけの殻となった部屋に入った時だ。
何か事件があったのだろうことはわかる。ただそちらに興味はない。お兄様たちが出て行ったのだから、大丈夫。いざとなれば大総統がいるし。
でもこの違和感は。
「……あれ」
テーブルに敷かれたアメストリスの全体図。軍事作戦の暗号めいた記号の書き込まれたそれを見て──違和感を確信に変える。
決めた。
冬季休みの、旅行先。
「それで、どのようなご用件です、ダッドリー中将」
「職権濫用じゃ」
「は?」
「孫娘が、冬季の冬山を見たいと言い出した。今まで誰よりも寂しい思いをさせてしまってきた孫娘の久方ぶりの我儘に、儂は応える必要があった。だから来た」
「……はあ」
「申し訳ありません、アームストロング少将。本当はお爺様の許可も得ずブリッグズの許可も得ず、一人こそこそとブリッグズ砦を見て回るつもりだったのですが、この屈強なるブリッグズ兵ならば子供だろうと不審者であれば容赦なく斬り殺してしまいそうだなと思い、こうして真正面から門戸を叩かせてもらいました」
「素直なことは美徳だが、やろうとしていたことは最悪だな、貴様」
「レイゼン・M・ダッドリーと申します。中央学院が冬季休みである今の内に、やりたいことをやりたくて来ました。よろしくお願いいたします」
「やりたいことだと?」
「はい。ブリッグズ砦の成り立ちを調べたいんです。長らくドラクマからアメストリスを守り続けたこの砦の成立経緯を」
「……幼等部の学徒に課せられる自由研究、か?」
「いいえ。私は私の意思でここにいます。アームストロング少将」
強く、鋭い目。
彼女もまた銃をほとんど使わない剣士だ。女傑──その言葉に該当する者はアメストリスでもそこそこ存在するが、彼女はその最上位に位置すると言って過言ではないだろう。
オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将。
個でいえば最強ランキングは誰かの主観によって歪められようが、群での最強はイシュヴァールの武僧かブリッグズ兵かのどちらかに二分されることだろう。
その巣穴に今、私はいる。
「……話はわかりました。何やら正式な令状も届いている。……ああ、そうか。確かお前は、大総統の子息の許婚だったか。まったく、大の大人が揃って子供に振り回されるなど……」
「三日だ。邪魔をするつもりはない。ドラクマが攻めて来たのなら儂も戦おう。故、三日の間だけ、この砦にこの子を置いてはくれないか」
「良いでしょう。ただし、ブリッグズにはブリッグズのルールがある。そして仮に中将の言う通りドラクマが攻めてきた時、ご令嬢を守る者は誰もいないと考えてもらいたい。そんな余裕はない」
「無論です。襲ってきたのが人であれ熊であれ、敵であれば私は退きません。この身、非才の身ながら──二秒か、一秒か。お爺様やアームストロング少将のための時間稼ぎをしてみせましょう」
私の言葉に、何やら抗議の目線をお爺様へと投げかける少将。
お爺様は困った様子で頬を掻く。
そうして──少将は、私に歩み寄り、屈み。
ぐい、と。
私の胸倉を掴み、引き寄せた。
「今、私に子供を肉盾にして逃げろ、と言ったか?」
「いいえ。私を囮にして隙を突け、と言いました」
「……ダッドリー家は元より気に入らんが、お前は格別だな。中将殿。血の気の多い息子孫息子は致し方ないにしても、未だ軍人ですらない幼子にまでそういう教育をしているのはどうかと思いますが」
「これがしておらんのだ……。ダッドリーの剣も、レイゼンには授けておらん」
「それでコレですか。先が思いやられますね」
「うむぅ。なんとかならぬかね?」
「私では無理でしょう。……レイゼン嬢。私達はお前のような木っ端の手助けなど必要ない。邪魔だ。ゆえ、戦場にはもちろん、兵士たちの前にも極力出てくるな」
「お断りします。これはお爺様の職権濫用。大総統直々の命令という追い風もありますから、この三日間は存分に調べさせていただきます。故、ブリッグズ兵の前に出ることも多々あるかと」
放される。
「勝手にしろ。武器庫など、危険な場所には入るな。以上だ」
「はい。ありがとうございます」
許可は得た。
あとは好きに調べさせてもらおう。
とまぁ、三日と経たず、ではあった。
「やっぱり……」
「何かわかったのか、レイゼン」
「はい、お爺様。私の読み通り、ブリッグズ砦は建設当初にあった予定から、大きく……いえ、地図上では僅かに
「元々ブリッグズ山を切り開いて作られた砦じゃ。そういうこともあるのだろうが、読み通り、とは?」
「私がこの砦を作るのなら、もう少し西に作る、という話です」
違和感の正体はこれだった。
ブリッグズ砦が少しだけ東にある。多分だけど、他の主要施設……いや、血の紋となるような場所も、東へズレているんじゃないかと思っている。
綿密に計算されているはずの国土錬成陣。そのズレ。
「そうかそうか……しかし、レイゼン」
「はい」
「寒くはないのかね?」
「唐突ですね、お爺様。寒いですか、今」
「儂は寒い」
「わかりました。では砦の中に戻りましょうか」
寒さは無い。
肌着に錬成細工をしている。レーヨンを始めとした化学繊維。吸湿効果を錬金術で良い感じに高めて、時折水分を逃がすことで体内の熱を保ち続ける。
寒冷地に行くにあたってその寒さで行動が制限されるなどあってはならない。それゆえの対処だ。
「……」
「レイゼン?」
「……仕事熱心ですね、ブリッグズ兵は」
「ああ、ずっと儂らを監視しておる者のことか。心配せんでも、れっきとしたブリッグズ兵じゃよ、アレは」
「そうですか。では、仕事熱心なのは少将と」
砦の中に戻りながら、そういう話をする。
思えばこうしてお爺様と一対一で話す、というのは……中々ない経験かもしれない。いつもは必ず誰かがそばにいた。
前は、ダッドリーの剣は授けられないと告げられたあの時か。
「戻りましたか、中将殿」
「む? なにかあったか、少将」
「ええ、ドラクマ側で妙な動きが。念のためではありますが、お覚悟のほどを」
「ドラクマの兵は、そんな頻繁に攻めてきているのですか?」
「大人の会話に口を挟むな。邪魔だ。今は時を急ぐ。貴様の相手をしている時間は無い」
「儂の助けは必要かね?」
「いいえ。ここはブリッグズ。中将殿もご令嬢も旅行目的で来たのなら大人しく避難していてください」
「わかった。では行くぞ、レイゼン」
「……わかりました」
流石にそこまでの我儘は言えない。
ただ、そうだな。
治療用の生体錬成陣をいくつか描いておくか。マルコーさんレベルとは口が裂けても言えないけれど、多少の切り傷や打撲程度なら治せるものを。骨折となると、その人の骨の大きさなんかを測らないといけないからあらかじめ用意しておく、というのは難しいんだけど。
「お爺様。ブリッグズ砦の医務室はどこですか?」
「……何か考えがあるんじゃな?」
「考えというほどのものではありませんが」
死人が出ないことを祈るくらいか、あとできることは。
ただまぁ、たとえ私に一騎当千の力があったとしても、ここブリッグズでは前線に出させてもらう、なんてことはできないだろうけど。
出たとしても。
果たして私に、何か感情が去来するものなのか。
結局、何もなかった。というよりドラクマが
私達も調査を終えたので、三日を待つことなくセントラルへ帰ることとなった。今はその汽車の中。
「お爺様は、なぜ私にダッドリーの剣を授けてくださらなかったのですか?」
「手綱もマトモに引けないお前に、ダッドリーの剣はじゃじゃ馬が過ぎる」
「あの時赤子を脱したばかりだった私に、見限りを付けたと」
「……ああ。ダッドリーの剣は敵を討ち滅ぼすもの。決して自らを壊し尽くす剣ではない」
成程。
でも、授けられなかった結果──同じ道を辿ろうとしているけれど。
「お爺様。夢は、見ますか?」
「夢?」
「はい。夜眠る時に、夢を見ることはあるでしょうか」
「無論、あるが……レイゼンはないのか?」
「ないわけではないです。ただ私には、夢が夢であると瞬時にわかってしまう。悪夢も良い夢も、まやかしであると気付いてしまう」
だってそこは大抵日本だから。
あるいは──私が死んだときの光景だから。
「……夢はな、儂も、おかしなものを見るよ」
「おかしなもの?」
「お前を喪う夢じゃ。だが、儂もすぐに夢だと気付く。何故ならその時々……状況は違えど、お前はエイアグラムと同じくらいの年頃の……成長したらこんな風になるんじゃろうな、という儂の願望に過ぎん故。そこに今のお前の生き急ぐ生き方を加味すれば、あんな夢を見るのも納得でな」
そこは。
それは、私もずっと気になっていたことだ。
セリムは言っていた。セリムが初めて私を見た時、私はそこらの有象無象と同じ
今が幼等部で、1915年には中等部へ上がる……と言っても、さしものアメストリス軍もこんな幼子までは徴兵していない。イシュヴァール時のホークアイ中尉でさえもう少し年が上だったはずだ。
けれど、その1915年、あるいはその前に至るどこかで私を見た時、既に女性軍人と言われる程であったのならば──年齢が合わない。
「……別に、夢を理由にお前に剣を授けなかったわけではないぞ?」
「わかっています。ただ、今の私は混乱していて、思考に時間を要するだけです」
「そうか。……む! 何奴!」
お爺様がいきなり立ち上がって振り返って、腰に佩いた剣まで抜いた。
そこまで行けば悲鳴も上がる。ただ一連の動作が流麗過ぎて、未だ一般人がお爺様の動きに眼球を合わせられていないだけ。
そして──向けられた相手が、素直に降伏宣言をしていたから、悲鳴が上がる前にお爺様は剣をしまった。
「やぁ、すまないね、ダッドリー中将」
「お前か……まったく。本当に
「邪なって……オレ、妻子いるんだけど」
「……結婚しとったのか!?
くたびれたロングコートに、金髪と金眼。知性の感じさせる顔つきは、決意が刻まれている。
ホーエンハイム。ヴァン・ホーエンハイム。
それが、当たり前のように、汽車にいた。今乗車してきたのだ。
「……お爺様、この方は」
「此奴はホーエンハイム。ただの……なんだ?」
「ただの旅行者だよ、オレは」
「そうじゃな、二十年前からな」
「若作りはお互い様だろう、ダッドリー」
ホーエンハイム。作中屈指の、脆い脆い化け物。
彼への感情は沢山あるけれど、それよりも気になることが一つあった。
「ご結婚、されているのですか?」
「これ、レイゼン。まずは自己紹介が先じゃ」
「申し訳ありません。レイゼン・M・ダッドリーと申します。ダッドリー家の末娘です」
「……ダッドリー中将。彼女が末娘だというのは、本当かい?」
「なんじゃ。儂が養子を取るとでも?」
「違う違う、そういうんじゃなくて……幼いのにしっかりしている、と思っただけだよ」
セリムが何度も生を巡っているなら、他の
もし。もしも──これらすべての歪みが""お父様""を起因としているのなら、もしやホーエンハイムも、なのだろうか。
「オレはヴァン・ホーエンハイムという者だ。よろしく、お嬢さん」
だってそもそも、ホーエンハイムはそう好き好んで人と関わり合いを持つ男ではなかったはず、だから。
「ほら」
と、ホーエンハイムはロケットを見せてくれた。そこには一枚の写真。
ホーエンハイムと、トリシャ・エルリックと、そして赤子が二人。幸福の写真。
「ほーぉ、こりゃまた随分と別嬪さんを捕まえたな」
「だろう? 自慢の妻なんだ」
「……」
死した、という影が無い。
死んでいるのなら、こんなにも柔和に話せるわけがない。
じゃあなんでエドワードは国家錬金術師になった。そこは確実なはずだ。だってセリムが話を振ってきている。直接目にしたわけじゃないけれど、確実にエドワード・エルリックは国家錬金術師になった。
アレが、私を試すブラフか何かでなければ。
「何か、気になるものでもあったのかな、お嬢さん」
「幸せそうで、つい、魅入ってしまいました」
「そうか。それは、ありがとう」
墓前でもないのに。
あの笑顔を見せるのか。
「ホーエンハイムさんは、何を目的に旅をしているのですか?」
「目的?」
「大抵の旅行者は目的地があると思います。勿論根無し草を貫く放浪人もいるでしょうが、あなたには家族がいる。だというのに旅をしているというのなら、その終着点が何かあるはずだと考えました」
「聡明な子だな。……目的は、あるよ。ただ、人にはあまり言いふらしたくはない」
「なんじゃ。犯罪か? とうとうお前を儂がしょっ引く日が来たか」
「気が早いよダッドリー……。ただ、そうだな。この国を守るための準備をしているんだ」
「ふん! 国防は軍の仕事じゃ。一般人は下がっとれ!」
「はは、それを言われちゃ引き下がるしかない」
カウンター錬成陣の用意はしている、のか。
じゃあつまり、国土錬成陣も作られてはいる? 私と違ってホーエンハイムには時間がある。行動制限もない。勘違いでカウンター錬成陣を敷く、なんてことはないはずだ。
「……ホーエンハイムさん」
「なにかな」
「先日……国家錬金術師となった、エドワード・エルリックという少年をご存じでしょうか」
「……ああ、知っているよ」
「ご家族、ですか」
「どうしてそう思ったのかな」
「金髪金眼は、アメストリス広しといえど、あなたと彼しか見たことが無いからです」
これは嘘だ。私はまだエドワードを見ていない。だから、その特徴が本当にあるかどうかを知らない。
「……ああ。オレの、自慢の息子だ」
「何故止めんかった」
「え?」
「国家錬金術師制度なぞ、マトモな軍人教育も受けずに軍に首輪をかけられる、大人にとっての都合の良い制度でしかない。少なくとも儂はそう思っとる。何故止めなんだ、ホーエンハイム」
「……止める資格がないからさ」
「息子なのにか」
「息子だからだよ、ダッドリー。オレは……悪魔みたいなものだからさ。あんなにも決意の決まった目を向けられちゃ、否定できない」
わからない。セリムもホーエンハイムも、抽象的な言葉を使い過ぎだ。
もう少しわかりやすく話してほしい。
「おっと、そろそろオレは降りるから、また今度」
「ああ。次に会う時、拘置所の中でないことを祈る」
「だから犯罪なんかしてないって……」
降車駅は、ニューオープティン。リゼンブールへの乗り換えのある駅。
「……ホーエンハイムさん」
「っとと、何かな、お嬢さん」
「あなたにとって私は、何に見えますか」
「というと?」
「異物ですか。希望ですか」
お爺様も夢を見ると言っていた。セリムも何度も光を見たと言っていた。ホーエンハイムは私が末娘であるかどうかを確認した。
ならば。
「……オレとお嬢さんは初対面。そんな相手に、そこまで深い思いは抱かないよ」
「そうですか。……申し訳ありません。多感な時期で」
「自分で言うんだ……。ああ、それじゃ、オレは行くから。ダッドリー、またピナコ達と一緒に一杯やれる日を願っているよ」
去っていくホーエンハイム。彼が降車してすぐ、また汽車は走り出す。
ぐるぐる。考える。
私、か。
私だけが知らない。私だけがついていけていない。
前提はどこまでひっくり返っている。陰謀とカウンターはどこまで組み上がっている。
これほどまでに状況が変わっていて──ならば、セリムの私への恋心は、なんだ。あの話を聞いた限りでは、受け入れられるもののような気もするけれど。
でも、それは。
レイゼン・M・ダッドリーという女性へ対しての恋慕であって──私へ、ではないのではないか。
前があるのなら。
私は、なんだ。
「レイゼン」
「……」
「レイゼン? どうしたんじゃ? もう中央駅じゃから、降りるぞ?」
「……はい。今行きます」
効率を求めているのなら、私なんぞに構っていていいのか。もっとたくさんやることがあるんじゃないのか。失敗を繰り返さないための記録帳に、私の名を載せる意味はあるのか。
「大丈夫か、レイゼン」
「……お爺様」
「なんじゃ」
「もし私が、長女だったら。エイアグラムお兄様達よりも先に生まれていたら、私にダッドリーの剣を授けていましたか」
「別に年齢を気にして授けていないわけではないと言ったはずじゃ。儂がお前に剣を与えなんだのは、才能を見ての話。お前が幾つであろうと、仮にダッドリー家の生まれでなかったとしても、才があれば鍛えるし、なければ授けることはない」
ならば、彼女から才を奪ったのは──私、か?
「顔色が悪いな。やはりブリッグズの寒さが堪えたか」
まただ。
囁いてくる。それを知って、何ができると。
それを調べて、なんになると。私が、私如きが真実を知って、何か変わるのかと。
諦観が押し寄せてくる。
「お爺様」
「なんじゃ」
「ごめんなさい」
光。いつも腰に差している鞘に刻まれた錬成陣の一つを起動させ、目がくらむほどの光を起こしたのだ。
「むぉ──レイゼン!?」
靴裏の錬成陣を使い、一気に加速する。お爺様の腕から離れ──乗り換えの、南部への汽車へ。
お金はある程度持っている。お小遣い程度だけど、汽車賃くらいは支払える。
駆け込み乗車になってしまうことだけは許してほしい。
ただ、今から行く場所が、到底お爺様には受け入れ難いだろう場所だから。
「レイゼン! どうしたんじゃレイゼン!!」
どうしたのか、はわからない。
だけど。
もし、そうなら、と。
唯一聞きだして、問い出して──危険じゃなさそうな人に、聞きたかった。
世界は閉じているのか、と。
19時20分、19時40分に次話が投稿されます。