セリム・ブラッドレイの許婚 作:クラレントブラッドブラッドレイ
何事か、何事かと集まってきた家族の前で、既に剣を構えているラグスお兄様と私。
誰が口を挟む間もない。
突きが来た。
「避けたなぁ、天才!!」
「いいえ、避け切れていません。肩口を斬りました」
「俺は心臓を突くつもりだった! ダッドリーの本気の剣を今、お前は避けた!」
「追撃をせずに言葉を吐いている時点で本気とは思えません。本気で来てください。私を殺すのなら、全力のお兄様がいい」
「良く吠えた!」
瞬間、顔の真横に剣があった。
いつの間に、なんて考える暇はない。避ける暇も受ける暇もないのなら、刺し違えるしかない。
ザク、という感覚は、自らの頭部から。
……浅い。
血は出ているが、それだけだ。それよりも、ほとんど攻撃姿勢にあったラグスお兄様の腹を切り裂くつもりで放った斬撃が完全に避けられていることの方がクる。
届かない。腕が短い。足が短い。
言い訳だ。体格差が言い訳にならないことは、エドワード・エルリックが証明している。
「どんだけ──覚悟キマってんだよ、お前。今、俺のこと殺す気だっただろ」
「当然です。殺す気で来ている剣士に対し、相応の覚悟を返さねば無礼でしょう」
「助けを求めろよ、レイゼン! 爺さんも兄ちゃんもいるぞ! 母さんに手を伸ばしたっていい!」
蹴り……いや、裏に刃も潜んでいる。
片方は食らうしかない。なら、蹴りを食らってから刃を止める。同じ轍は踏まない。あの時のエイアグラムお兄様の膝蹴りだって、私が油断していなければ防げたはずなのだ。
バチバチと迸る錬成反応は、私の服から。
「……錬金術」
「錬成速度が素人に毛が生えた程度なので、ダメージを殺し切れませんでした。国家錬金術師であればもっとスマートにやるでしょう」
このまま受けてばかりではいられない。
こちらからも踏み込み、左手の小刀で斬撃を入れ続ける。時折鞘と剣を入れ替えて、慣れさせないようにする。
ただ、やっぱり圧倒的に力が足りない。防戦一方に見えて、その実鼻歌でも吹けそうなほどの余裕がラグスお兄様にある。
「俺に力押しとは、どうした、頭斬られて思考が鈍ったか!」
「いいえ。今しがた刻み終わっただけです」
「!」
またも錬成反応。今度は──ラグスお兄様の剣から。
ピシリと小さな罅が入る。ただそれだけだ。それでも、それを重ねれば折ることも可能だろう。
距離を取り、一度剣を鞘に戻して、再度抜く。
「……成程。その鞘、塗料か顔料か、何か付けるモンが詰まってんな」
「はい。錬成陣は別に、何か特別な材料で描かなければならない、ということはありませんので──子供でも簡単に手に入るボロ炭を剣にまぶしてあります。切れ味は当然落ちますが、相手が油断している限りは錬成陣を刻み続けられる」
「油断? した覚えはないぞ、俺は」
「言葉を違えましたね。そういう錬金術があると知らない相手、私がそういう錬金術を使えると知らない相手には効果覿面です、と言ったのです」
「成程」
また突き。今度は──鞘を破壊するコース。
「俺の突きが、どこに当たるかも見えてやがんな!」
「もっとも読みやすい攻撃ですからね、突きは」
「そんなこと、ねえんだが、な!」
ラグスお兄様の剣が私の鞘に当たる。
木製の鞘は簡単に割れ、中の黒炭が辺りに散らばった。
「……どういうつもりだ」
「何がですか」
「今、俺の突きがどこに来るかわかってただろ。なら鞘を下げるなり放るなりすりゃよかった。流石の俺でも空中にあるンな軽い鞘を突きで割る、なんて曲芸はできねえよ」
「簡単な話です」
錬成反応。それはラグスお兄様の剣と、その直下の地面から。
「この錬成陣の上でお兄様に鞘を破壊していただくことが、私の目的だったというだけで」
「っ、チ」
灼光。赤熱した大地は、今まさに爆発する予兆をお兄様に見せつける。
「馬鹿が、自分も巻き込むぞ!」
「始めからそういう死合いでしょう」
突き。
今度は、私から。
「ぐ!?」
「とまぁ、残念ながら、こんな簡単な錬成陣で爆発なんて起こせたら、私は国家錬金術師になっています。これは少し地面を盛り上がらせて、まるで爆発するかのように光らせるという効果のみを持つ錬成陣」
「……ブラフかよ」
「でも、これでわかりましたね。やっぱりラグスお兄様は本気じゃない。私を殺す気なら、あんな勧告しなかった。お兄様の脚力があれば一人離脱することも可能だったはずだから」
剣を構える。
先程の突きは、ラグスお兄様に苦悶の声を漏らさせることに成功した。けどそれだけだ。剣先は彼の服さえも掠めていない。
その程度が、今の私。
「ああ、そうだよ。これでもかってくらいボコして、意識失わせてやめるつもりだった。けど気が変わった。──死ね、レイゼン」
誰も、何も言わない。
私が助けを求めないから。ダッドリー家の人間だから。
理由はそれくらいか。
十分。
「──これで未来が変わることを祈ります」
ただで死ぬつもりはない。だが死ぬだろう。
本気のラグスお兄様の剣など、初めから避けられるはずがない。手心を加えていないと嘯いて、その実殺す気が無かったから私が優勢に見えていただけだ。
死があった。
目の前に。覚悟や決意を固める前に、死がそこにあって。
「、ン、だぁ!?」
死んで──いない。
何かに包まれている。黒い。何かに。
「……君はやはり、死ぬその間際まで、目を閉じないのですね」
黒が呟く。ぎょろりとした目。鋭利な口。
知っている声。
「レイゼン!?」
「なんじゃ、あの化け物は!」
「クソ、レイゼン! 無事か!? おい返事をしろ!」
外でお兄様たちが騒いでいる。やめてほしい。
余計なことをすれば、死んでしまう。無理です。勝てません。これは、彼は、正真正銘の化け物だから。
「大丈夫ですよ。一部始終は聞いていましたから。彼らを傷つけることはありませんし、こちら側の声が彼らに漏れることもありません」
「……そう、ですか」
「驚きもしない。怖がりもしませんね。でも、私は君の前でこの姿を晒したことは一度もありません」
「そう、ですか。覚えていないので、知りませんが」
目を細める黒。
「私が無様にも悩んでいる間に、君は随分と窶れてしまったようだ。……私は重荷ですか、レイゼン」
「どうでしょうか。恐らく貴方がいなかったとしても、私は誰かを守って死ぬ道を選んだ。あるいはこうして、誰かに死を乞うて死んだ。……貴方のせいではないですよ」
「私をセリムと、そう呼ばないのですね」
「名前。聞いていませんから」
言えば、黒はふふ、と笑う。
知っているクセに、と。
「レイゼン。私は決めましたよ。君に渡された問題。自らの存在理由と君、どちらを取るのか」
「そうですか。それで、答えは?」
「君を取ることにしました。だってそれが、この無限にも思える箱庭の中で、唯一選んでこなかった選択肢でしたから」
「私が好きだから……ではないんですね」
虚を突かれたように目を丸くする黒。
「……申し訳ありません。言い直す機会をください、レイゼン」
「はい。さっきのは聞かなかったことにします」
「レイゼン。レイゼン・M・ダッドリー。私は君を好いています。でも、君が勘違いしているような……前回の君を、その前、もっと前の君を愛しているから、君が好き、ということではありません。勿論始まりはそれですが──今この時をもって確信しました。私は今の君が好きだ。死の間際でも目を閉じず、無理だとわかっていながら運命に立ち向かう君が好きだ。時間をかけて申し訳ありません。私は君を、己が物にしたい。私は君の気持ちが欲しい。──聞いてください。顔を上げてください、レイゼン。私は
だから、そろそろ。
迷うこともやめようと思った。なんて現金な女だ。告白されたから気分を変えるなんて、芯が無いにも程がある。
「嫌です」
「……そう、ですか」
「振り向いてあげません。私はあなたに守られる気はない。そしてあなたが私に守られたくないというのなら──私はいつでもあなたの隣にいますから、私は前を見ます。ですから、どうか」
「……意地悪な人だな、君は。ええ、私も前を見ますよ。そろそろね」
ズズ、と黒が引いていく。
影のように。
「冬季休みが明けたら、また会いましょう」
「はい。楽しみにしています」
そのまま影は雲散霧消し。
私は、ラグスお兄様に、そしてエイアグラムお兄様、お母様、お爺様に抱きしめられたのだった。
さて、冬季休みが終わり、1912年となった。
いや冬季休みの最中に年は変わっているんだけど、そこはご愛嬌で。
「おはようございます、レイゼン」
「おはようございます、セリム様」
挨拶をされたから、し返す。
いつもと変わらないセリム。だけど、彼は私の手を強引に掴んで、ぐっと引っ張った。
「ここではなんですから、二人だけの場所で、秘密の話をしましょう」
途端、周囲にいた学徒たちがざわつく。
けれど気にしない様子のセリム。まぁ、私も気にはしないけれども。
引っ張られる気はない。
だから、隣にまで追いついて、歩く。
「どこへ行くのかわかっているんですか?」
「いつもの場所でしょう」
「はい。いつもの場所です」
今年の春には小等部へ上がり、そして1915年の春には中等部へ。
時間は少ししかない。少なくとも私はそう思っている。
だから──。
「セリム様」
「なんですか?」
「私はあなたを覚えていない。けれど私はあなたを知っている。だから、お願いがあります」
「はい」
「前の私と、今の私を重ねるのはもうやめてください。別人です。本質的に似通った部分は多々あるのでしょうが、完全な別人です。そして、それでも私が好きだというのなら」
「言うのなら?」
「私の我儘に付き合ってください。私はあなたのことを、たくさんたくさん振り回す気があります」
我慢するな、と言われた。ラグスお兄様に。
頼れ、と言われた。イズミ・カーティスに。ラグスお兄様にも。
だから、うん。
セリムをガンガン頼る。だって彼は、作中最強と言える存在なのだから。
「構いませんが、僕も君を振り回しますよ。たくさんたくさん振り回します」
「では、死なないように気を付けてください。セリム様が死にそうになったら、次の瞬間私が死んでいると思うので」
「それは、本当に気を付けなくてはいけませんね」
笑う。
笑った。久しぶり、かもしれない。
最後に泣いたのがいつだったのかは覚えていないけれど、今笑えたのなら、それでいい気がする。
ああ。
じゃあ、ようやく一歩目を踏み出そう。
人間になるための一歩目を。
*
ごうんごうんと何かが流れる音が響く部屋。地下。
そこに二つがいた。
「
「なんでしょうか、父よ」
「おまえは、一般的な愛恋をして、あの妻を召し取ったのだったな」
「はい。あれは私が選びました」
「それで、どうだ。
「紆余曲折はあったようですが──概ね、順調かと」
良い、と。
嬉しそうな声を出す。
「何度も何度も繰り返した。何度も何度も企てた。……だが、わたしの終わりは、いつもいつもあの白い空間の、暗い扉の中だった。いつもいつもフラスコの中で始まって、いつもいつもフラスコの中で終わる」
それは会話ではなく、独白だったのだろう。
「繰り返していると気付いてからは、わたしは様々な試薬を箱庭に流した。場所や時間、人材。だが、結局初めの配役が最も適しているとわかった。その上で無駄を排除し、余計なものを嫌った」
もう一つも、相槌さえ打たずに言葉を聞く。
「だが試薬……様々なものを試していく内に、面白い波紋を生む事象が何度かあった。事象は回数を重ねるごとに偏りを生み、それは前回で確定したよ」
ごうんごうんと。
音が、響く。
「それは、恋慕だった」
にんまりと。
面白いものを見つけた、というように。面白いものを眺めるように。
「それがあるだけで、違う結果が現れる。
実験結果を口にしているだけだ。
望ましい実験結果を。狙い通りの結果を。
「わたしから切り離されたもっとも大きい感情でありながら、もっとも己を御し、縛り付ける
腕を大きく広げ、歓迎するように。
「前回ですべてが確定した。そして今回──特異点となった。それが何かわかるかね、
「はい。──レイゼン・M・ダッドリー。父よ、あなたが用意した試薬の内、良い結果を齎し続けたダッドリー家という薬品から生まれ出でた、
「そうだ。これが喜ばしい実験結果でなくて、なんだというのだ。ようやくだ。ようやくだぞ、
天へ。空へ。宙へ。
語り掛けるように、あるいは叫びあげるように。
「君だよ。あらゆるものが同じ道を辿り続ける中で、此度君だけが""幼かった""。──期待しているよ、特異点」
それは地下の。
誰も知らない、誰にも聞こえない──