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トレセン学園から歩いて五分。道路から続く地下への階段を下り、突き当たりにある純喫茶風のお店が目的地だ。
「いらっしゃい……おやおや。来てくれたんだねえ」
「行かなくても、乗り込んでくるだろ」
「私がそんなことをするとでも? 不本意だが、入校許可証を発行してもらうだけで手間取るんだよ?」
「……そういえばそうだったな」
学園近く、そしてレトロな喫茶店の雰囲気を手軽に味わえるとあって、ウマ娘たちには人気のお店。ここは俺のかつての担当ウマ娘・アグネスタキオンが経営している。のだが、彼女が接客をすることは少ない。
「いらっしゃいませ……コーヒー、でよろしいですか?」
「紅茶は?」
「さっき……タキオンさんが、赤色に光る薬を作っていたので……たぶんそれが、入ると思います……」
「じゃあ、コーヒーで」
「おいおい、まだどんな薬か分からないだろー?」
「じゃあ、効能だけ聞いておこうか」
「元気がみなぎる薬さ。上手くいっていればね」
「……」
「成功していれば、人間である君もウマ娘並の速さで走ることができる」
「成功していれば、な」
アグネスタキオンと言えば、学園にいた頃から有名なマッドサイエンティスト。生徒だろうがトレーナーだろうが容赦なく実験台にし、授業も研究に比べてつまらないからという理由だけでサボり、そのたびに方々から怒られていた。それでもクラシックレースという早い段階から頭角を現していたから、間違いなく才能はある。彼女が何とか無事にトレセン学園を卒業できたのは、間違いなく俺と、彼女の同期で今コーヒーを淹れてくれているマンハッタンカフェのおかげだ。にも関わらず、彼女は卒業後も懲りずにここでいそいそと研究活動に励んでいる。
「お待たせいたしました……今日は、モカのいい豆が入っていたので……ぜひ、味わっていただきたくて」
「ありがとう、いただきます」
「後で紅茶の方も飲んでおくれよー? こっちもダージリンのいい茶葉が入っているからねえ」
「薬を入れないなら、な」
「入れないなら、そのまま飲んでもらうことになるが?」
「なんで飲むのが前提なんだ」
「今日は残念ながら、一人もお客さんが来ていなくてね。君が今日最初の実験台……失礼、モルモットになるのだよ」
「意味変わってないよな?」
ギャンギャンと騒ぐ俺とタキオンをよそに、カフェは俺たちから少し離れた席に座り、丁寧に何やらノート作りをしていた。スポーツ系の大学でごく普通の大学生活を送る傍ら、走り続けるカフェだが、将来の夢は一流のバリスタ。世界を渡り歩き、最高の豆と最高の淹れ方、それらを見極める感覚を養うため、今から熱心に勉強している。タキオンが出しゃばってこなければ、かつての関係者にコーヒーを振る舞えるということで、カフェも店の手伝い自体は乗り気なようだ。
「しかし、カフェは熱心だねえ。レースと同じくらい、君がコーヒーに入れ込むとは思わなかったよ」
「タキオンさんだって……一生研究ができるほど、将来は安泰じゃないですか……」
「研究者の道は案外残酷でね。一定期間成果を出せないと、資金は芋づる式に打ち切られてしまうのだよ。とはいえ、私が世界で片手の指で数えられるほどのウマ娘研究者である限りは、カフェの言う通り食いっぱぐれないだろうけどねえ」
タキオンにももちろん、スポーツ系大学の推薦や、プロのレース界へのお誘いは来ていた。当たり前だ。皐月賞後の怪我で一度はつまづいたものの、そこから奇跡の復活を果たし、カフェやジャングルポケットに並ぶ名ウマ娘として活躍したのだから。特に大学の方は、タキオンの面倒をぜひ見たいという風変わり、いや研究熱心な教授がいたから、俺も面倒臭がるタキオンをよそに推薦書を出そうとしたのだが、直前になってタキオンから申し出があった。「何のしがらみもない状態で、気ままに研究を続けたい」と。その頃は彼女の起こした不祥事の数々が学園内で完結していて、まだ外に実績が伝わっていなかったから、今思えばすごい勇気だ。彼女はこんな狭苦しいところで地味に暮らしていながら、今や世界中の研究機関から資金援助を受けてウマ娘という種の真理に迫ろうとしている。
「タキオンさんが倒れてしまったら……私の、監督責任になりそうなので……」
「ありがとうな、いつもお弁当作ってくれて」
「いえ……お気になさらず。タキオンさんの偏食ぶりには、相変わらず困っていますが……」
「せっかく作ってくれてるんだから、好き嫌いするなよ」
「そう言うが、君だってメインのおかずがピーマンの肉詰めだったら、午後のモチベーションが下がるだろー? 何度も直接打診したのに、カフェは意地悪だ」
「ピーマンには栄養がたくさん含まれているんです……それでお弁当丸ごと食べずにぐったりしていたら、元も子もありません……」
「私の好きなものは言ったはずだろー? 私が毎日同じメニューでいいと言っているんだし、カフェも楽でいいだろうに」
「ダメです、タキオンさん、あなたの研究は未来のウマ娘たちを救うかもしれないんです……実験失敗と数々の不祥事には、目をつぶれませんが……」
「つぶれないんじゃないか!」
何年も連れ添っている夫婦の貫禄。タキオンとカフェからは、そんな関係性を感じる。両方ともそんなことはみじんも意識していないだろうが。
「食べられるものを今から少しでも開拓しておくことは、大事ですから……」
「全くカフェは世話焼きだねえ……で、モルモット君。この試作品を飲むのか、飲まないのか。選んでもらおうか」
「クソッ、逃げられないか」
「もう試作品って言っちゃってるじゃないですか……」
「このプロトタイプ品には、新しくハブ酒の成分を混ぜたんだ! 飲めばたちまち、元気いっぱいになること間違いなしさ!」
「それは……ウマ娘のみなさんには、飲ませられません……アナタが来てくれて、助かりました……」
「カ、カフェ!?!?」
タキオンもカフェも少し俺から離れているのに、ぽんっ、と頭に手を置かれる感覚がした。ドンマイ、とでも言いたげに。
「今日、この後トレーニングあるんだけど……」
「君の担当ウマ娘たちがフリー、つまり直近にレースがないことは確認済みさ! 自主トレに切り替えれば問題はないよ」
「ええい、クソッ」
俺が何とかしてタキオンお手製の薬を飲まないようにする策は、全部お見通しらしい。ハブ酒なら毒ではないし、死ぬことはない。二日酔いとかそういう意味なら死ぬかもしれないが。覚悟を決めて、俺はタキオンから押しつけられた薬をぐいっとあおる。
飲んで一時間経った頃。猛烈に元気が湧き、眠気も吹っ飛んで今すぐフルマラソンを全速力で走りたい衝動に駆られる。が、同時に身体の奥底から全身がクリスマスツリーよろしく蛍光赤色にまぶしく光り始めてしまい、とんでもない副作用が治まるまで喫茶店で厄介になるほかなかったのだった。