かくしてよはまわる──雷電卿は天才故に嘯く 作:あかつきマリア
四月の半ば、川越市の郊外。
日も昇って少しした頃、彼女は湯気の立ち上るコーヒー片手に半折した新聞を読んでいる。
丁寧な装飾の施されたソファ、大理石のテーブル、食べかけのトーストに堅焼きのハムエッグ。
艶のあるストレートで深紅のアウターカラーに紺碧のインナーカラーという奇抜なロングヘア、燃え盛る焔のような赫い瞳。
まるで絵本の中から出てきた少女、あるいは、丹精込めて作られたお人形のように可愛らしい彼女は、小さな丸眼鏡型ルーペを掛けて変わらない朝の一時を過ごしている。
──
超心理学者という物々しい肩書きを背負い、新宿にキャンパスのある霧城大学で宗教心理学科の助教授を勤め、同科の講師として教鞭を振るう。
彼女は俗に言うオカルティストだ。
表向き、神秘学や超心理学に傾倒した奇人変人の類にある彼女の正体は、かつての時代では華族とも呼ばれた資産家にして、代々魔術師として研鑽を積む浅木家の末裔である。
豪華絢爛の調度品に囲まれた彼女は、さながらドールハウスに飾られた人形の様に愛らしく、そして、どこか少しだけ不気味。
──新聞に目を落としていた彼女だったが、ふと、3mほど離れた所にある薄型の液晶テレビに目をやる。
それから、ぱちん、と、弾けるような音がしたかと思うと、部屋中の電気が灯り、テレビからニュースが流れ始めた。
ふぅ、と、溜め息を吐いた彼女はぴょこんと立ち上がり、新聞をテーブルへ放って、テレビの下に置いてあったリモコンを手にチャンネルを切り替える。
リモコンを手に持ち、テレビへと視線を向けたままソファへ戻った彼女は、新聞とリモコンを交換し、また先程の体制に戻った。
テレビから流れる
また小さく溜め息を吐くと、ルーペを外して目頭を押さえた。
「──またか」
コーヒーと新聞をテーブルに置き、両手と脚を組んで、どこか遠くを見るような、本日3度目の深い溜め息。
テーブルに置かれた新聞の小さな見出し、それには、事故での死亡記事が載せられていた。
──町田市で火事、ガス漏れが原因か?
という文章から始まり、内容はこうだ。
昨夜2時頃、台所で起きたガス爆発が原因で家屋1棟が全焼、今朝未明、2時間にも及ぶ消火活動も虚しく、寝室にて家主である
僅か数行に満たない小さな記事であるが、彼女にとってこの夫妻は全く赤の他人という訳でもなかった。
旧華族の出である彼女には何かと知り合いは多い。
この記事にあった夫妻は、そんな彼女の数少ない
とはいえ、それだけでは彼女の言葉の意味に結び付かないのだが──
理由を悟らせることも感傷に浸る間もなく、さっさと身支度を済ませた彼女はいつものように凛とした姿で玄関に立っていた。
藍色のロングコートに編み上げのロングブーツ、頭には紺色のミリタリーベレー帽、そして、持ち手を銀で装飾した樫のステッキと小さな手提げ鞄を手にしている。
そんな彼女を玄関先の庭──
否、サッカーコート4面分程の広さはあろうかという庭園、玄関扉の先には扇状の階段、更にその先には横付けに停まっている
そして、後部座席のドア前には召使いの女性。
紺色に染め上げられたボブカットヘアーに小麦色の肌、赤縁アンダーフレームの眼鏡、童顔で頬に少しそばかす。
身長180cmはあろうかという高身長で、モノトーンの落ち着いた色合いのクラシックなエプロンドレスを着た彼女は、百合を見て深々とお辞儀をした。
「おはようございます、お嬢様」
「お嬢様はよせと言った」
呆れた様子で鼻を鳴らした百合はステッキを手に、階段を降りていく。
が、つるりと脚を滑らせ、呆れ顔のまま後ろ側へと倒れそうに──
と、それを瞬く間の早業で百合を支えたメイド、そのまま何事もなかったかの様に百合の手を取って車の前まで案内した。
「師匠、お気を付けください」
「そう呼ぶのもよせと言った」
不服そうに言葉を返した百合にメイドは微笑みを浮かべて、車の後部座席のドアを開け、百合はするりと車内へ入る。
メイドがドアを閉め、そのままの足で彼女は運転席に乗車し、車のエンジンを掛けた。
小気味よい音を立ててエンジンに火が入り、サイドブレーキを下げる。
「相も変わらず良い仕事をしているな、上条くんの所は
エンジンの音だけで素人の私でも調子が良くなっているのが分かるよ」
「散々ジャガーは嫌だと愚痴をこぼして居た百合様でも、車が無いのは困りますものね」
「全くだ、あるならあっただけ良いのは確かだとして、父上の置き土産の中でも気に入らん方に入る
尤も、電車通勤もそれはそれで悪くないが、
走り出した車が門を抜け、一般道へ出ると、百合は、はたと思い出したように鞄から携帯電話を取り出した。
しばらく文字打ちをした後、携帯電話を鞄に戻し、シートベルトをして口を開く。
「
「えぇ、かしこまりました
ですが、本日は朝から講義では?」
「なに、少し寄るだけさ
その後の脚のことも考えていない訳ではない」
なるほど、と、頷いたメイド──
もとい、
それを見た百合は改めて鞄の中から携帯電話を取り出し、発信履歴から通話の発信をした。
コール音がちょうど3回鳴ると、その相手が通話に出た。
『あー、もしもし?』
「おはようあきほくん、調子は如何かね?」
『ぼちぼちですよ
それで、こんな朝からどんな御用事で?
ご多忙なあなたのことです、暇なアタシに何かお仕事をくれるってヤツですかい、師匠?』
通話に出たのは、少し疲れた様子の声に皮肉交じりの粗暴な口調が特徴の女性。
そんな様子にも気にせず、また溜め息を吐いた百合はしばしの間を置いて返事をした。
「僕は君を弟子にしたつもりはないよ
君には零香という飛び切り教え上手な師が居るじゃないか
そんなことより、今朝の朝刊は読んだかね?」
『今朝の朝刊?
あぁ、一面を飾ってる昨日の競馬でロイヤルジョージが3冠取ったってヤツですか?
「馬は好きだが、競馬に興味はないよ
君が少し前に
今日の毎読新聞の朝刊、3面の左下だ
火事の記事が載ってるだろう?」
百合の言葉を受け、電話口の向こうで束になった紙を開く音、そしてそれを捲る音が聞こえ、少々の沈黙。
唸る声がしたかと思うと、少し待ってくれとの言葉を後に保留音が鳴った。
──それから、信号を二つほど通り過ぎた頃、会話は再開する。
『あー、お待たせして申し訳ありません
んで、毎読の3面でしたかね?』
「あぁ、そうだ」
『グッドニュースかどうかは判断しかねますが、つい先程この記事にある現場から鑑識が帰って来ましてね
どうも
「それは紛れもなくグッドニュースだよあきほくん」
百合の返答に一拍置き、あきほと呼ばれた女性が淡々と告げる。
『まず、記事にはガス爆発って書いてあるんですが、コイツはどうも引っ掛かるらしい
火元は確かに台所のガス栓付近と思われてる、が、ソイツはあくまで家の火災のソレです』
「
『あぁ、ただ、
あきほが苦々しく鼻を鳴らす。
妙に間を開け、百合の言葉が出かかった所でようやっと彼女は口を開いた。
『死因は先の通りで間違いないんですがね
前川夫妻は、動かすのも困難な程炭化していたんだそうです
おかしいのは、人の形だけは保っていたって所で、そのままの形で真っ黒焦げ
──まるで、蛇花火のようだった、と』
「……想像したくないね」
『全くだ、普通の火災じゃこんな風にはなりゃしません
もし仮に、念入りに燃えるよう、寝室にも火を着けてたとしても、そんな状態になるはずもない
っていうのが、鑑識の見解だそうで
あぁそう、一応言っておきますが、状況的に夫妻であろうってだけで、身元の確認が取れてる訳じゃありません
ここまで黒焦げだと、DNA鑑定も不可能だそうです』
ふむ、と、百合が返事をし、続けてごく冷静な声色で言葉を投げる。
「聞いているだけの想像ではあるが、間違いなく、魔術の心得がある者か
或いは、超常な怪物による仕業と見て間違いないだろう
可能なら資料を少し見たい
今ちょうどそちらへ向かっている所なんだ」
『分かりましたよ、師匠が着いたら直ぐに車を出せるよう、スタンバっておきますわ』
「よろしく頼む」
神妙な面持ちで通話を切った百合は両手を組み、目を瞑って静かに思考に耽った。
持てる知識、それらを収める引き出しを幾つも開けて、その中からそれらしき事件が無かったか、或いは、そういった現象を引き起こせる者が居なかったか、と、記憶の隅から隅を巡り巡る。
「──百合様、あと5分程で目的地です」
「あぁ、分かった、下車の準備をしよう
僕が降りたらそのまま戻っていい」
「かしこまりました」
結果から言えば、百合の考えうる中で今回のような事件を引き起こせる存在は検討も付かないといった所。
しかしながら、そんな方法を自分であれば実行出来るか否かで言えば、それは、
少なくとも、自分と同程度の魔術の才がある魔術師か、或いは、未知の超常的存在であるならば、不可能とは言い難い。
とはいえ、自分がそれを起こせるとして、自分であるならばもっと仰々しくなり、人知れず行える筈もない。
ならば、この事件の首謀者は細やかに、且つ、物を精確に燃やすことに長けた者であるのは間違いないだろう、と、予想する。
考えをまとめ終わった所で車のドアが開いた。
「到着致しました、警視庁です」
「あぁ、ご苦労」
「行ってらっしゃいませ、百合様」
ステッキと鞄を手に車を降りた百合は帽子を軽く持ち上げ、メイドに挨拶をすると、メイドも深くお辞儀をして運転席へと戻る。
去っていく車を背に、朝日の照り返しで輝く警視庁を見上げ、一つ鼻を鳴らした百合は、帽子の位置を少し直して警視庁の玄関へと向かった。
百合が玄関に近付くと、ちょうどそこから出て来た女性が百合へ向けて小さく手を上げた。
彼女は赤いシュシュでまとめられた柔らかな栗色の長髪を左肩へ流しており、紺色のスーツの上からベージュのトレンチコートを羽織り、赤いフレームの色眼鏡を掛けていた。
先程、百合と電話越しに会話をしていた人物、
「思ったより早い到着ですね、師匠」
「迅速な行動は社会人としての嗜みだよ
すまないが、早速資料を見せてくれ」
「それじゃ、アタシの車へ」
駐車場へ向けて歩き出した彼女と並んだ百合は、あきほが小脇に抱えている大判の封筒に目をやった。
「それが件の資料かね?」
「えぇ、一応、毎度の事にはなりますが、中身はウチで扱ってる物なんで、いつも通り気合いで頭にぶち込んでください」
「少なくとも、今回は忘れずに頭に入りそうだよ
──僕は君も知っての通り執念深いのでな」
低く、唸るように吐き捨てた百合の言葉に、あきほは目を細め、深い溜め息を吐くと、呆れた様子で頭を搔く。
「あのですね、師匠
前にも伝えましたが、師匠もウチじゃ
協力者としてこれ以上ないくらい助けて貰ってるのも事実ですが、下手を打たないでくださいよ?
何かあって教授から大目玉を食らうのは本当に嫌なんで」
「承知している
あくまで僕は
無理はしないし、親友を悲しませる気はない」
百合の決意に満ちた言葉を聞いたあきほであったが、その表情は明らかにそれを信用していないといった様子で、顔も引きつっている。
「アタシはあの人からの説教はもう食らいたくないですからね?
バカをやるなら一人じゃない時にしてください
責任取れなくなるんで」
「む……?
バカをやるとはどういうことか!
そんなことは──」
「はいはい、後は資料と相談してください」
溜め息混じりに、いつの間にやら到着した彼女の車の助手席のドアを開けたあきほは、百合を助手席へと押し込んだ。
お小言を放り投げながらぷりぷり怒りを露わにしている百合の膝の上に、さらりと封筒が置かれる。
「アタシはちっとばっか一服してるんで、早く目を通してください
どうせこの後講義があるから送って行けって言うんでしょう?」
すっかり興奮した様子だった百合も、資料が手の内に入ると目の色が変わる。
あきほが煙草に火を点ける頃には、百合も資料の束に没頭していた。
そうして、煙草を吸い終わったあきほが運転席に座ると、百合は資料をまとめ、封筒に詰め直してあきほに手渡す。
「どうです?」
「読んだ限りなら、人の手が携わっている可能性は著しく低いように感じる内容だ」
「そうですか、では、人の意思は介在しないと?」
「いや、そうとも言い切れんよ」
あきほが顎に手をやり、ふむ、一つ息を吐いて百合の言葉を待った。
「──前川夫妻だが、名こそそれほど知られてはいないが優秀な錬金術師の家柄の者でね
僕も何度か顔を合わせたことがある
恨みを買うタイプかと言われれば、否と即答出来るのだが、その研究はそれなりに貴重なものだったと記憶している」
「貴重と来ましたか」
「決して邪悪なものではなかった、と弁明はしておくよ
表向き、妻は薬剤師、夫は妻が作った薬の小売をしていて、よく効く漢方薬って言うんで、そこそこ評判の良い店をやっていたんだ」
「──妻が薬剤師、ね」
思い当たる節はある、腑に落ちた、そんな風に窓の外、どこか遠くを見たあきほだったが、チラりと百合の方へ視線を戻した。
「そう言えば、君の母は薬剤師だったと前に言っていたね」
「
ガキの頃に亡くなったんで、あまり詳しいことは知りませんが
──あぁ、つまり、前川夫妻も魔女の薬を?」
「察しが良いね
彼らは魔術の心得がある者向けの薬を取り扱っていてね
日本じゃ魔女の薬を取り扱えるくらい腕の良い薬師は珍しい」
「なら、人為的な事件って線は外せなくなりますね
資料を欲しがる連中も少なくないでしょうし」
「或いは、その資料を抹消したかったか」
ポンと出た百合の言葉にあきほは目を丸くし、短く唸った。
「前川夫妻もどうあれ魔術師だ、大概の魔術師は、君達が僕を監視対象にする理由と同じく、何をしでかすか分からない
もし、犯人と呼べるような者が存在するのであれば、そういういざこざの中で、何を思って行動したのか、それを知る必要はあるだろうね」
「いや、いい話だったぜ師匠
その意見は念頭に置いて、アタシも現場を見てくる
助かった」
満足そうに礼を言ったあきほは車のエンジンを掛け、ハンドルを握った。
「じゃあ師匠、大学まで送るぜ」
「すまないが頼むよあきほくん」