かくしてよはまわる──雷電卿は天才故に嘯く 作:あかつきマリア
昼食を終え、一息吐いた百合と零香はひとまず、過去の異変──
つまり、駿河少年の周辺を探るより、実害の出たものの中から、損失した資料を元に犯人の動機を探る方向で話が固まった。
「それで、無くなった資料なのだが、実の所、まだ一部のコピーや写本が我が家の書庫で眠っているとは思う
それもあって、まずは僕の家で資料探しを手伝って欲しい訳だ」
「貴女の家の書庫ね……
ひょっとすると数日掛りとかも有り得そうで気が滅入るわ」
零香の呆れ混じりの一言に百合も皮肉るように鼻を鳴らして応える。
「全くだ
──あの書庫は
「人海戦術が使えないっていうのも考えものだわ……」
「ともあれ、決まったのであれば行動は起こさねばな
時間があるとも限らん」
そう、百合が決意と共に立ち上がった時である。
扉の開く音だ。
「タイミングが良いのか悪いのか……
はいはい!
今行くわ!」
急ぎ気味に零香が研究室の方へと駆け、扉を開けるが、その直後、ピタリと動きを止め、数拍の内に彼女は後退りをする。
瞬時に状況の異常性に気付いた百合が身構えて零香の元へ駆け寄ると、目の前には一人の青年が立っていた。
「……質問をしに来た、って感じじゃないわね」
青年の手にはナイフが握られており、その切っ先は真っ直ぐに零香の喉元へと向けられ──
その目には濁りも輝きも無かった。
「いやぁ、何だか居ても立っても居られなくなっちゃいまして!
およそ勘の良い貴女の事ですから、なるべく手早くと思っただけです」
「主語が無いのは、文章として適切じゃないって叱る所かしら?
駿河くん」
青年はにんまり笑みを浮かべると、そのまま踏み込み、零香の喉を裂かんとナイフが突き出された。
ふと、ナイフを突き出す腕から奇妙な甘い香りが漂い、一瞬、零香の思考が回転する。
その思考の回転を一度脇に置き、突き出されたナイフを瞬時に右側へ身体を逸らして避けた。
その後方には待ち構えるようにして彼女の影で佇んでいた百合。
百合は微動だにせず、青年の姿、あるいはナイフを一瞥すると、バチンと弾ける音と共に、百合の頬を青白い光が走り、それは瞬く間にナイフへと跳ぶ。
そうして、ナイフはまるで鎚で叩き上げられたように天井へと弾け飛んで突き刺さったのだ。
青年は思わず、ナイフを握っていた手を引き、それをもう片方の手で押さえた。
「もう少し慎重な手合いだと思ったが……
はて、僕の思い違いだったかな?」
百合の毅然とした態度に青年、駿河の姿をしたそれは、目を丸く見開き、明らかな動揺を僅かだが見せた。
それも一瞬でなりを潜め、零香へと一度目線を移し、百合と視線をぶつけ合う。
「──暗示の類であれば対策済みだ、君のように僕を狙う者は多いのでね
あぁ、僕の相棒の目も
「やっぱり一筋縄じゃ行かないか……
いくら親が偉大な魔術師だからって、二世ならボンクラだろうって、油断しちゃったけど
あぁ、嫌だなぁ」
「生憎、父上は僕にとって尊敬に値する人間ではなかったのでね」
青年はふと目を細めるとカチンと歯を打ち鳴らした。
その仕草に零香は、まるで百合を庇うように青年との間に割って入り、百合を背で突き飛ばす。
刹那、赤く凄まじい閃光が弾け、爆炎が零香を包んだ。
「零香!」
「思った通りだ!
教授!
あんたはお人好しが過ぎるな!」
三日月のように口角を吊り上げ、青年はクカカと笑う。
僅かに身動ぎをした零香は、揺らめく炎の中、百合へ向けキラリと蒼い瞳を輝かせた。
それを見るまでもなく、倒れる最中、崩れた体勢から百合は人差し指と中指を合わせ、真っ直ぐにそれを青年に向ける。
百合の指先から青白い閃光が二つ、三つと迸り、青年の右脚を撃ち貫いた。
落ちる右膝、ぐらりと揺れる視界、吊り上がったままの口角。
その中で煌めく蒼い炎が確かに彼を見下していた。
そうして、零香が揺らりと動き出す。
青年の胸ぐらを燃える指先で捉えた彼女は、その襟を巻き込むようにして拳を握り、自分の方へと腕力で引き寄せ、腰を捻り、足を踏ん張る。
どうだ、青年を後ろへと投げて見せたのだ。
その勢いを以て、零香を包んでいた炎は振り解かれる。
肩で息をし、額に汗を滲ませ、涼しい微笑みを浮かべた彼女と、埃に塗れた赤いカーペットの床に転げた青年は零香と視線をぶつけ合った。
「私をお人好しだと思ったなら筋違いね
私、
青年は目を細め、吊り上がった口角の奥で歯をギリリと鳴らす。
「あぁそうかい
それじゃあ今は認めるしかないな
負けってやつをさ」
「勝ち負けなんて──」
左の眉を吊り上げ、明らかな不快感を
瞬間、青白い一筋の光が弾ける音と共に零香の足元を駆けた。
思わず出し掛けた左脚を躊躇した零香は、咄嗟に青年の瞳を覗く。
「覚えておけ!
俺の名は、
そこのチビの親父が遺した、もう一人の子だ!」
「なっ……!?」
「百合の……!?」
二人の言葉を遮るように、三人の頭上が赤く煌めく。
それは、天井に突き刺さったナイフ。
ナイフが赤熱し、ブツブツと音を立てているではないか。
零香は咄嗟に百合を守るよう、彼女へと覆いかぶさり、その隙を突いて青年──
浅木 薊は教授室から走り去った。
部屋の時計が秒針を一つ刻む。
刃の光が膨れ上がり、赤い光が瞬く間に白く移り変わる。
そして、強烈な爆音を伴って燃え盛る炎が部屋を隅々まで白に染め上げた。
部屋中を駆け巡る熱風と青白い炎、炎。
揺らめく陽炎が二人の傍にあったソファーとテーブルを焦がし、カーペットを炎上させる。
しかし、不思議なことに、炎は教授室の外へは漏れず、部屋に所狭しと並べられた本棚や本は一切燃えることなく静かに佇んでいた。
それは、二人も同じく、身動きこそしないものの、分厚い木のテーブルや丈夫な造りのソファーですら一瞬で黒焦げになる程の熱と炎は、二人を焼くことはない。
炎はものの十数秒で治まり、熱もそれから数秒の後に和らいだ。
二人が動けるようになったのは、それから一分弱のこと。
真っ先に零香が深呼吸をし、彼女の中で頭を抱えてうずくまる百合に声を掛けた。
「生きてるわよね?」
「死んでいるように見えるかい?」
「死なせるものですか」
ふっ、と微笑んだ零香は身体を起こし、百合の顔色を伺った。
百合も直ぐに身体を起こすと、呆れた様子で辺りを見回し、零香の方へ視線を移す。
「全く、とんでもないことをしてくれたものだ」
「えぇ、久々に肝が冷えたわ」
盛大に溜め息を吐いた二人だったが、改めて顔を合わせて笑い合った。