私は親戚の息子さんが修学旅行で鎌倉に行ったと聞いて羨望の念を抱きながら執筆しておりました。聖地巡礼行きたいなー。
何をするにもお金がかかる世界でお金を稼げない喫茶ゆりかごですが、今日は一柳隊の中でも特にイチャついているお二人(私見です)にご来店いただきました。
朝4時。刻々と太陽が覗く時が迫る頃、私の1日は始まる。
店の裏にある倉庫からさらに奥に、小ぢんまりとした小さな部屋が二つ。その片方が私の自室兼寝床。
正直言って狭いですが、用途としては寝床の側面が強いため、ベッド一つ置けるだけのスペースがあればいい。このベッドは下に収納棚がついた設計となっていて、着替えはそちらに入れてあります。
ベッドと収納を両立できるなんて、人類の発想は素晴らしいですね。
着替えを終えたら、起床時間に合わせて炊けるよう設定しておいた炊飯器からお米を頂戴し、市販の乾燥ワカメと一緒ににぎにぎと形を整えおにぎりの完成。ラップに包んだこれの出番は後ほどに。
あとは水筒を一つ用意して準備完了。店を出て鍵をかけたら、店の裏にひっそりと停めてあるバイクの元へ向かい、エンジンをかける。車はもう一人の従業員が買い出しの足として使っているので、これが私の主な移動手段である。まあ車といっても食材運ぶ用の冷凍車ですが。
話は逸れますが、リリィは特例として、年齢規定に達していなくても各種運転免許の取得試験を受けることができる。私は将来の仕事のことを考えて、在学中に大型二輪免許や普通自動車免許、2級船舶免許を取得し、もう一人の従業員はこれに加えてガーデンが保有するガンシップの操縦もできるとのこと。将来はガーデン所属のパイロットにでもなるつもりなのかと思い聞いてみたら、動機は「ガンシップ動かすのって面白そうだろ?」とのこと。確かに興味ありますけども。
手押しで店から表通りまでバイクを出したら、ヘルメットを被りいざ出発。バイクで風を切りながら走る感覚はとても気持ちいいもので、ツーリングを趣味にする人の気持ちが少し分かります。
バイク特有の排気音を耳に、早朝のまだ少し冷んやりする空気を肌に感じながら走ること数十分、やってきたのは私が購入した温室ハウス。
これぞ、私の朝のお仕事、自家栽培しているコーヒー豆のお世話です。
喫茶店をやるというのは在学中から既に考えていたことで、その先駆けとして行っていたのがコーヒー豆栽培でした。ちなみに、温室ハウスの購入費用は一部私の両親からの出費で賄われており、現在、稼ぎから捻出して少しずつ返金中。
で、コーヒー豆栽培と口で言うのは簡単ですが、やってみるとこれが中々難しい。元々が温暖な地域で栽培されるものなので、日本でやろうと思ったら、温度管理はもちろん、日照や水やりなど、色々な条件を考慮しなければならない。
それを何とかクリアし、初めて収穫した時は感動的でした。品種はなんてことない普通のものですが、この豆から百合ヶ丘との本格的な交流が始まったということもあり、とても思い出深い品です。
朝からそんな重労働なんてご苦労ですね、とか思ってる人。そのご苦労な農業者がいるから私たちの生活に食べ物が回ってきてるんですからね。
まあ大変なのは事実で、お店用と百合ヶ丘への納入用とお得意様用と、その全ての豆を1人で管理するのは骨が折れます。汗がダラダラと流れて止まらないので、持ってきた水筒で水分補給をしないと脱水症状を起こすかもしれないので注意しなければいけません。暑い夏の日なんかは尚更です。
もう一人の従業員がいる時にはたま〜に手伝ってもらうんですが、やっぱり一人いるといないじゃ作業効率が違います。
ていうか、
これは本格的に、もう一人くらい従業員の雇用を検討してみましょうか。
そんな重労働が終われば、持ってきたおにぎりが私を癒してくれる。一口食べれば疲れた体に塩分が溶け、空っぽの胃が満たされ、口にしがたい満足感に襲われる。
まあおにぎりは口にしてるんですけどね。
………………………………………はい。
コーヒー豆のお世話を終わらせ、軽く腹ごしらえを終えたら、すぐさま帰路に着く。これからお店の開店準備もしなくてはならないので、ここでゆっくりしている暇はありません。
過労で倒れるんじゃないか? 百由さんを見てください、何徹したか知れない彼女が倒れてないんですから、ちゃんと寝てる私が倒れる道理はありません。
再びバイクに跨り、エンジンをかけたら排気音を響かせいざ出発。目指すは愛する我が家、喫茶ゆりかごです。
「……で、帰ってくるまでで大体3時間少々ってところですかね。帰ったらシャワーで汗を流してちゃんとしたご飯を食べて開店準備を済ませたら、あとはお客様が来てくれるのを祈るだけです」
「以前から思っていたのですが、宣伝などはされないのですか?」
「鎌倉にだって他にも喫茶店はあるんですよ、それもちゃんと人目につく場所に。通うのに楽な店が他にあるのに、宣伝を見たとして、こんな辺鄙な所にある喫茶店にわざわざ足を運ぶ人がいると思いますか?」
「それは、確かに……はっ! す、すみません……」
「いえいえ、こっちから振った話ですから、謝らないでください。まあ、こうして来てくれる方は確かにいらっしゃいますから、私は満足してますし、やりがいも大いに感じてます……経営は綱渡り気味ですけど」
「やはり宣伝されては?」
「ちょっと心配になっちゃうね……」
いつも早朝から勤勉に働いているからでしょうか、神様は今日もお客様を寄越してくださいました。心の中でお天道様に手を合わせておきます。ありがたやありがたや。
そんな神様が遣わしたお客様が、目の前のカウンター席に座る二人。
一人は長いブロンドヘアーをサイドテールに結んだ、左右で赤と金の異なる色の瞳を持った少女、百合ヶ丘女学院高等部1年の
お淑やかな雰囲気を漂わせていますが、ヒュージに奪われた故郷の
ちなみに、リリィ大好きな私ですが、神琳さんのことはちょっとだけ苦手です。
もう一人は初めましての方。綺麗な黒髪を束ねて肩から流している、同じく高等部1年の
アイスランドのご出身で、上と下にリリィのお姉さんと妹さんがいるのだそうです。いつか会ってみたいです、やましい気持ちなんてありません、ホントです。
物静かな印象を受けた通り、口数は少なく、私と話す時は声量も少し落ちてしまいますが、神琳さんと話す時は普通に喋っています。信頼というか、相手に心を許している感じが伝わってきます。
こうなると、雨嘉さんとの間に薄くも確かな壁があることを理解せざるを得ないので、なんとか取っ払いたいところです。
「そういえば、何で私の朝活の話になったんでしたっけ?」
「わたくしが、雨嘉さんと日課の早朝ランニングをしているという話をして、そこから自然とその話に……」
「毎朝4時起きって、辛くないんですか?」
雨嘉さんから気を使うように問われる。彼女たちがやっているという早朝のトレーニングはもう少し遅い時間から始まるとはいえ、早起きが大変だということを理解しているからこその心配でしょう。
「始めたての頃はそれはもう辛かったですよ。4時に起きてコーヒー豆のお世話をして、帰ったら9時にはお店を開けて接客して(客なんて稀だけど)、8時に店じまいをして、洗い物とか在庫やレジ漏れの確認もして、夕食や入浴が終わる頃には10時前後ですし……あれ、何でこんな作業を私は一人で全部こなしてるんですか?」
「アルバイトなどは雇われないのですか?」
「鎌倉にだって他にも喫茶店はあるんですよ、それもちゃんと人目につく場所に。通うのに楽な店が他にあるのに、募集を見たとして、こんな辺鄙な所にある喫茶店にわざわざ足を運ぶ人がいると思いますか?」
「なんか、さっきも聞いたような……」
実際、喫茶店の営業に関して言えば、座席数を絞ることで満員になったとしても一人で回せるようにはなっています。リリィ時代に鍛えていたので体力には自信がありますし、喫茶ゆりかごを始めて1年も経った頃にはその使い方も覚えたので、早起きに慣れたこともあってか疲れにくくなりました。
「早起きをずっと続けてきた神琳さんなら分かると思うんですけど、習慣的に早起きしてると、身体が自然とその時間に起きるようになるんですよ。体内時計が勝手に目覚ましかけてくれるみたいな」
「人間は慣れる生き物ですから、どんな環境であっても自然と馴染んでしまうのでしょう。かく言うわたくしも、百合ヶ丘で過ごす内に、様々なことに慣れていきましたから。授業や訓練、その予習復習などなど……」
「うああ〜〜〜勉強の話はやめてくださ〜〜い」
私は頭を抱えて悶絶する。勉強関連のワードは、私の耳が拒絶反応を起こしてしまうのです。
その様子に、二人は驚いたように目を丸くする。
「もしかして皐月さんって、勉強できなかったんですか? なんでも出来ちゃいそうなイメージがありますけど……」
「わたくしも知りませんでした。思えば、わたくしたちの知る皐月さんは、リリィとしての皐月さんです。関わりも、CHARMの技術指導や高等部でのご活躍を聞く程度で、学生としての皐月さんについてはあまり聞き及んだことがありません」
「ううっ、視線が痛い……体を動かす方が性に合ってるんですよ。座学はダメです、特に一般科目、中でも数学は。xとかyとか文字がいっぱい出てきて公式も似たようなのが次々現れてぇぁああああ考えたら頭痛くなってきたあああxのゲシュタルト崩壊〜〜」
「ふふっ、意外な一面が見られましたね」
「それで済ませていいのかな、これ……」
神琳さんから注文を受けたことで、私は正気を取り戻しました。さすがは神琳さん、マネーに関わる話に敏感に反応する私の習性をよく理解していらっしゃる。
そして、いつもなら紅茶を頼んでいるところなのに、先ほど朝活の話をしたからか、珍しくコーヒーを注文してくれました。
「えっ、いいんですか!?」
「はい。朝早くから苦労されていると聞きましたし、折角なので、本日はコーヒーを頂こうかと。雨嘉さんはどうしますか?」
「えっと……じゃあ、私も同じで」
「やったー! 出張店以外で淹れるのいつ以来だろう! お客さんに振る舞うのは久しぶりかもー!」
「そんなにご無沙汰だったんだ……」
子供のようにはしゃぎながら、私は手早く準備を開始した。
焙煎済みのコーヒー豆を取り出し、コーヒーミルに投入。上部のハンドルを回すと、中に入れられた豆がゴリゴリとすり潰されていく。この工程を「グラインド」と言います。
次にフィルターをドリッパーにセットして、粉末状になった豆を投入。そこに上からお湯を注ぐと、下のサーバーに抽出されたコーヒーが溜まっていく。
最後にそれをカップに注げば、嗜好の一杯(かどうかは要審議)の完成です。
久々に店で淹れたコーヒーは、我ながらいい出来栄え。味も保証できる、当店自慢の一品を二人のお客様へと差し出した。
「お待たせいたしました〜。お砂糖はお手元のものをご利用くださ〜い」
「ありがとうございます」
「あっ、いい香り……」
受け取ったコーヒーから立つ特有の深みのある香りが嗅覚を刺激する。どうやら掴みは上手くいった様子。問題は味だ。
二人がカップを口元まで持っていき、神琳さんが一口、それをチラリと様子見した雨嘉さんも一口、コーヒーを口に運ぶ。
今にも飛び出しそうなドキドキする心臓を押し殺しながら、二人からの感想を待つ私の耳に入ってきたのは……
「……さすがのお手前です、皐月さん」
「うん、美味しい。深みのある味だけど苦すぎなくて、すごく飲みやすいです」
「……っはあーーー、よかったぁ」
自分用にコーヒーを作るのと、相手のために作るのはわけが違う。最後に誰かにコーヒーを振る舞ったのは、1ヶ月前の百合ヶ丘出張店の時だったはずなので、美味しいと言ってもらえたことで私は胸を撫で下ろす。
コーヒーを淹れる腕は落ちずとも、他者に振る舞うコーヒーには少しばかり工夫をしているので、その匙加減の感が鈍ってはいないかと不安だったのですが、どうやら心配は杞憂に終わったようです。
と、コーヒーを飲んだ神琳さんが何やら考え込む様子を見せる。
「…………」
「ん、神琳さん? どうかされましたか?」
「いえ、やはり学院のものとは違うと思いまして……」
「どういうこと? 神琳」
神琳さんはコーヒーの入ったカップを持ち上げると、それをまじまじと見つめながら言った。
「皐月さんはご自身で栽培されたコーヒー豆を百合ヶ丘に卸されています。今、わたくしたちが飲んだコーヒーに使われた豆と同じものをです。ですが、以前学院で飲んだコーヒーと今飲んだコーヒーを比較すると、後者の方が美味しいと感じるのです。学院では電動ミルを使用しているそうなので、そこに差が生まれる要因があると考えているのですが……」
「ああ、多分それは、私が提供する人によって豆の挽き方を少しだけ変えているからだと思いますよ」
「挽き方を変える? 一人ひとりに合わせて変えてるんですか?」
耳を疑うかのように雨嘉さんが聞き返す。
「はい。豆の挽き方一つで、コーヒーの味ってガラリと変わるんですよ。細かく挽けば苦みが強くなったり、粗めに挽けばスッキリした味わいになったり。お二人にお出ししたのはその中間、一般的なコーヒーのそれから、少しだけ粗めに挽いてみました。苦みを押し出すより、味わいをまろやかにした方が、日々頑張っているお身体に合うんじゃないかと思いまして」
「じゃあ、苦みが少ないのは、粗い挽き方だったからってことですか?」
「味は豆の種類にもよりますけど、使ってるのは何の変哲もないスタンダードな品種ですし、豆の挽き具合も経験と感覚に基づく技巧なので、まあ僭越ながら、私の手腕によるものということになるかと」
「そう謙遜なさらずとも、この味は皐月さんの技術と経験の賜物です。もっと胸を張ってよろしいかと」
「もう、神琳さんったら、そんなおだてるようなこと言ったって何も出ませんよ。さっきドーナツ焼いたんですけど食べます? コーヒーに合うシュガーいっぱいのやつなんですけど〜」
見事に上機嫌になってご馳走してしまった私でした。
なお、ボソッと「おだてたつもりは微塵も無かったのですが……」という神琳さんの呟きは私の耳には届かないまま、お店の空気に消えていった。神琳さんと雨嘉さんは、勝手に舞い上がった私によって完全な棚ぼたをもらった形となったのでした。
「ところで皐月さん、是非とも一つ、ご相談したいことがあるのですが」
コーヒーを飲み終えた頃、唐突に神琳さんがそう言った。
「いきなりですね。神琳さんが私に相談だなんて珍しい」
「いえ、そもそも今日は、雨嘉さんにこのお店を紹介するついでに、以前から考えていた相談事を聞いていただきたいと思って参りました」
「そうだったんだ……」
目的を聞かされていなかったのか、雨嘉さんが驚きと納得を含んだ声を漏らす。
私としては相談事など腕をめいっぱいに広げて歓迎するところですが、その前に聞き捨てならない言葉が聞こえたので一言物申させていただきます。
「なるほど、つまりメインは雨嘉さんとの時間で私はそのついでですか、そうですかそうですか……私泣いちゃいますよ?」
「いえ、決してそのようなつもりは、それは言葉のあやと言いますか……」
「いやいや、いいんですよ
「……失言は訂正しますので、どうかお許しを」
この先の面倒くさい展開を悟ったのか、神琳さんは参りましたといった表情で早々に白旗を振った。
(神琳が負けるなんて……皐月さん、すごい)
「まあ、気にしてませんし私も大人ですから? 広い心と懐で許してあげましょう。それで、相談したいことって何なんですか?」
「いえ、他人を頼ろうとしているのに、
「え?」
そう言った神琳さんは本当に席を立ち始めた。
「神琳、いいの?」
「はい、自身の浅慮さが嫌になりました。それに、いつまでもお店の席を占領するのは店主の皐月さんにもご迷惑ですし……
「あー! あー! 分かりました、分かりました謝ります! 無意味に
「ふふっ、まあ、わたくしも鬼ではありませんから、広い心と懐で許してあげましょう」
「雨嘉さーん! 神琳さんがいじめるー!」
「えっ!? えっと、よしよし……?」
(……やっぱり神琳はすごい、卒業生さえも手玉にしちゃう)
一応卒業生である私に対して皮肉たっぷりのこの仕返しに、私はこの場の唯一の良心である雨嘉さんに泣きついた。頭に添えられた手はとても優しくて、一人っ子の私は知らないお姉ちゃんの温もりみたいなものを感じる。
ごめんなさい雨嘉さんの妹さん、今だけはこの柔らかな手の感触を私に譲ってください。
ていうか神琳さん、やっぱり神琳さんはちょっとだけ苦手です。こういう食えない性格が神琳さんを僅かにでも苦手と感じる要因だと思います。いいところが沢山あるのは知ってますけど!
私が神琳さんに初めて会ったのは高等部3年の頃、CHARMの技術指導で中等部に出向いた時です。技術指導では基礎的な扱い方はもちろん個人技の伝授もしており、私はしょっちゅう指導に指名されました。負傷する割合が著しく低かった私の技術の伝達・継承を百合ヶ丘は望んでいたのかもしれません。
神琳さんへの第一印象は『礼儀正しい清楚な人』でした。さすがは生え抜きのリリィなだけあって、その優雅で気品高い振る舞いは、実に百合ヶ丘のリリィらしいと感じました。庶民の出の私からすれば憧れの的です。
しかし、指導を進める内にその印象はボロボロと崩れて消えた。この人、私を利用する気満々でした。対面して指導しているときも、他の方の指導をしている間もずっとこちらを見ていて、技術を盗んでやるという気概を全く隠さず私を観察する虎視眈々っぷりときたら、いっそ清々しいくらい。
いや、いいんです。強くなるための指導なんですからそれくらいの気概はむしろ推奨されるべきもの。でも見られる側からしたら落ち着かないことこの上ありませんでした。
それもこれも、行き着く先は台北奪還という彼女の悲願。彼女の故郷は今やヒュージが我が物顔で跋扈する陥落指定地域、取り戻すにはそれ相応の戦力と準備がいる。
神琳さんは自分の手で取り戻したいのでしょう。だからこそ、当時から最強のレギオンの呼び声が高かったアールヴヘイムの予備隊メンバー入りを目指していた。そのための血の滲むような努力も怠ることはなかった。
彼女が行っているモデル活動もそう。ただ雑誌に載る、インタビューに答えるだけに見えるそれも、その実は自身を使った日本に対するイメージ戦略。自身が偶像として先立つことで、台北奪還に向けた将来的な支援を日本から得るための。
こうして見ると、神琳さんの努力は正道から裏道まで様々な方向に伸びている。私は彼女を努力を惜しまない人と評しましたが、正確には、やれることは何でもやる人と言うべきかもしれない。
そんな実力、頭脳、行動力とあらゆる面で私より優れている神琳さんが相談なんて言うのだから乗り気にならずにはいられない。先程までのやりとりもお互いに冗談だったと理解しており、雨嘉さんのよしよしの名残を惜しみつつ定位置に戻った時には神琳さんも席に座り直していた。
「さて、おふざけも程々にして、そろそろ聞きましょうか。ご相談というのは?」
「ええ、それは他ならぬ、こちらの雨嘉さんに関することでして」
「「えっ!?」」
私はもちろん、個人的な話なら私には関係ないと高を括っていたのだろう雨嘉さんが揃って驚いた。私としては、本人がいる前で本人に関する相談を本人じゃない人が切り出すの!? という驚愕ですが。
当然、突然話が回ってきた雨嘉さんはルームメイトに説明を求めた。
「ち、ちょっと待って神琳。相談って私のことなの!?」
「はい。雨嘉さんと境遇が似ている皐月さんなら、とても有意義な回答をいただけるのではないかと、以前から考えていたのです」
「境遇が似ている?」
言われただけではピンとこない私が、雨嘉さんに続いて説明を求める。
「雨嘉さんの故郷にいるお姉様と妹さんはとても優秀なリリィだそうで、そのお二人と比べて雨嘉さんは自分のことをヘボリリィだと、出会った頃からそう評していました」
「うぅ……」
「つまり、上と下に出来のいい姉妹がいて、板挟みにされた雨嘉さんは自分にコンプレックスを持っていると」
「仰る通りです」
「うぅ……」
それは難儀な話です。兄弟や姉妹は、片方がダメだともう片方はしっかり育つ、なんてよく言われますが、じゃあ片方が殊更に優秀だったらどうか?
当然、もう片方は比べられ、期待をかけられる。
雨嘉さんの親御さんがそういった期待を雨嘉さんに向けているのかは知りませんが、少なくとも雨嘉さんはそれを感じているのだ、王家に生まれた責任感のようなものを。
秀でたリリィにならなければならない、しかし自分は姉と妹より劣っている。最も身近な比較対象がそれなら、雨嘉さんが自身を必要以上に過小評価してしまうのは想像に難くない。
「なるほど、境遇が似ているというのはそういう……」
「えっ、分かったんですか?」
「はい。雨嘉さんは要するに、自分が周りと比べてリリィとして役立たずだって思ってるんでしょう?」
「えっと、その、はい……」
自信なさげに肩を落として消え入るような声で肯定する雨嘉さん。ここまで話を聞いた瞬間、私は察してしまった。
ああ、これは多分、一緒にいる人が抱く感情は二つに一つ、同情か苛立ちだ。そして、この人のルームメイトはあろうことか、あの郭神琳さん。幼い頃から研鑽を積み、自他に誇れる自分になろうと努力し続けてきた彼女がどちらに転ぶかなんて火を見るより明らかです。
間違っていたら店を畳む覚悟で断言してもいい、絶対に後者。
気落ちしている雨嘉さんを一旦放置し、私は神琳さんに詰め寄り小声で問いただす。
「神琳さん、まさかとは思いますけど、自分にとって雨嘉さんの葛藤が腹立たしいから私に何とかしろとか言うんじゃないでしょうね?」
「さすがは皐月さん、もうそこまで理解してくださるなんて。ですがご安心ください、わたくしの雨嘉さんに対する感情には、既に折り合いをつけています。今こうして皐月さんに相談を持ちかけているのは、ひとえに雨嘉さんのため、彼女のルームメイトとして、一人の友人として手助けしたいからに他なりません」
……嘘は言っていないように感じる。どうやら本当に親切心からの行動らしい。
確かに、雨嘉さんの境遇を考えれば、私以上に理解を示せる人間は中々いないでしょう。自分で言うのもアレですが、良い人選だと思います。
ここはひとまず納得することにして、しょんぼりしている雨嘉さんを起こした私は神琳さんに確認をとった。
「つまり神琳さんは、雨嘉さんに自信を持ってほしいから、似た環境にいた私にアドバイスしてほしいと、そういうことですか?」
「はい、まさしく」
「あの、さっきから似ているっていうのは……?」
私と神琳さんがお互いに頷いて納得し合う中、雨嘉さんがおずおずと手を挙げる。
「えーっとですねー、雨嘉さんは私のことをどの程度ご存知でしょうか?」
「あの、前にふーみんが色々話してたのを聞きました。百合ヶ丘の卒業生で、中等部からの編入生で、デュエル世代では異色の回避を軸にしたスタイルだったとか、そのくらいですけど……」
「うんうん、じゃあ私が中等部時代は落ちこぼれだったことは?」
「……えっ?」
やはり寝耳に水のご様子。雨嘉さんが言っていたふーみんとは、恐らく二水さんのことでしょう。彼女のことですから、私のマイナスなイメージに繋がる内容は伏せていたのかもしれない。
ご配慮痛み入りますが、ここは話すべき場面です。というか、別に隠してるわけでもないですし、卒業しちゃった今なら笑って話せることです。
「百合ヶ丘の中等部編入試験には、限られた才能を発掘するという意図があります。そこに合格したからには、何かしらの才を見出され、期待をかけられるということ。私は周囲の人間やガーデンからかかるその期待を3年間も裏切り続けてきたんですよ。周りとの差を見せつけられて、自分の非力さを自覚して、それでもリリィである以上、どうしようもなく成果は求められる。こんな低次元でもがいている私がいたんじゃ、同条件で成果を出してる人からは『何なんだあの子は』って、蔑みを向けられたりもしました。自分はダメな奴だと思ったことなど、何度あったか知れません」
「……その、辛くなかったんですか?」
「辛いし苦しかったですよ、周りより何歩も後ろを歩いているのは。そして何より、手の届くところにいたはずのクラスメイトがいなくなってしまうのは。仲良くしてくれる人も、冷ややかな態度をとる人も、一緒にヒュージと戦う仲間でしたから、大切にしている気持ちはあったんです。でも、昨日笑い合ってた人が、憎まれ口を叩いてた人が、次の日にはいなくなってる……リリィである以上、そういったことはままあると覚悟していました。それに直面した瞬間、彼女たちは最初から私の手が届かないところにいたんだってことを理解したら、自分の無力さが嫌になっちゃって」
若干のセンチメンタルに包まれながら、私は話を続ける。
「だからとにかく鍛えました。走り込みも、訓練も、CHARMの扱いも、射撃も、できることはひたすらに、前に立つ背に並べるようにと。そうして行き着いたのが回避スタイルでした。それを身につけてからは、私も戦力として戦えるようになって、周りからも少しずつ認めてもらえるようになったんです。雨嘉さんにもありますよね、他人に引けを取らない自分自身の武器」
「あっ……」
思い当たることがあるのか、雨嘉さんはハッと目を見開く。
「それを磨き続けなさい。それはあなたの力になるし、周りのリリィの支えにもなる。集団戦術が重視される昨今なら尚更に。そうして戦い続けていれば、自信なんて勝手についてきますよ」
「勝手に……?」
「焦らずともいいということです。私たちの頃と違って、今のリリィには一緒に戦って、守ってくれる人が、ずっと近くにいますから。というわけですから神琳さん、雨嘉さんのこと、ちゃんと守ってあげてくださいね」
「あらあら、責任重大ですね」
言葉とは裏腹に、嬉しそうに神琳さんは笑う。先程の友人として、という言葉は本当に本心のようです。実はちょっとだけ疑ってました、土下座したい気分です。
守り守られる、デュエル世代では中々できなかったことです。それが自然に、一般的になったんですから、そういった面からも、レギオン制への変更はよい変革だったと言えるでしょう。
ほら、安心できたのか雨嘉さんも嬉しそうに横目でチラリと神琳さんを見つめて……嬉しそうに……嬉しそう……
刹那、私の脳内に電流走る。
「あー、ついでにもう一つアドバイスをしましょう。さっき言ったことと同じようではあるんですけど〜」
「「?」」
「頼れる仲間は大事にしてくださいね。特に……」
私は雨嘉さんの耳元まで顔を近づけると、神琳さんには聞こえないよう小さな声でそっと耳打ちした。
「雨嘉さん、皐月さんに何と言われたのですか?」
「……」
「雨嘉さん?」
喫茶ゆりかごからの帰り道、お土産に持たされた大量のドーナツが入った袋を片手に神琳から向けられる視線から、雨嘉は目を逸らし続けていた。理由は簡単、先程から聞かれているある店主からの一言である。
(……だめ、あんな風に言われたら、変に意識しちゃう)
雨嘉の頭の中では、未だにその一言が渦を巻いていた。
『特に、あなたを思い見守ってくれている、親愛なるルームメイトの誰かさんはね』
額面通りに受け取ればなんて事のない助言だが、やけに含みを持った言い方をされたため、雨嘉は半信半疑ながらもその気で捉えていた。もちろん、ここまで条件を限定されて誰のことを言っているのか気付かないほど雨嘉は鈍くない。
(あなたを思い見守っている、なんて……た、確かに神琳のことは頼りになるし尊敬もしてるけど、神琳が私をそんな風に……)
「雨嘉さん? 大丈夫ですか?」
考え事に気を取られていた雨嘉は、神琳からの不意打ちに全く反応できなかった。
神琳は隣を歩く雨嘉の前に出ると、頑なに目を合わせようとしない雨嘉の顔に両手を添え、クイッと強制的に顔を向き合わせた。
変に意識してしまっている最中だった雨嘉、これには赤面するしかなかった。
「雨嘉さん? 顔が赤くなっていますが、本当に大丈夫ですか? まさか熱でも……」
「だ、大丈夫だよ!? 最近暑くなってきたから、それじゃないかな!?」
「………」
弁明するものの、神琳は納得がいかない様子。そのままじっと見つめられる雨嘉は、頬の紅潮を止められずにいた。
(だめ、ダメ。そんなのじゃない、私と神琳はそんなのじゃないって分かってるのに……なんでこんな事になっちゃうの……?)
悪いのはリリィバカな卒業生である。
(そうだ、全部あの人が悪いんだ……焚きつけたのは皐月さんなんだから、文句を言われても、全部皐月さんが悪いんだ)
悶々とする自身の気持ちの責任全てを某店主に押し付け(正当な押し付けである)、雨嘉は少なくとも今だけは、自分に素直になることにした。
自分の顔に添えられた柔らかな手に自身のひんやりした手を重ね、誰によるものでもなく、今度は自分の意思で神琳に向き合う。
「ねぇ、神琳」
「はい?」
「お店で神琳が私を守るって言ってくれた時、私、嬉しかったんだ。守ってもらえるくらいには、神琳から認めてもらえてるんだって」
「そんな、認める以前に、レギオンで共に戦う仲間ですもの。そうするのは当然だわ」
「うん。でもね、私も神琳や、私を迎えてくれた梨璃たちに応えたい。だから私、もっと頑張るよ。守られるだけじゃない、私もみんなを……神琳を守りたいから」
数秒、その場は沈黙が支配した。勇気半分、恥ずかしさ半分で告白した雨嘉は、残る勇気で神琳と目を合わせ続ける。先程までの立場が今や逆転していた。
雨嘉には、告白の中に一種の不安を隠していた。喫茶ゆりかごの店主から聞かされた、リリィであることの運命。戦い続ける限り、いつか必ず誰かとの別れは訪れる。雨嘉自身、それは理解していた。そして同時に考えてしまった。
もし、私の隣にいる友人が、明日に帰らぬ人となってしまったら。
それを知ってか知らずか、雨嘉からの言葉を聞き終えるた当の神琳は、ただ優しく柔和な微笑みを浮かべてこう返した。
「大丈夫よ、雨嘉さん。わたくしは雨嘉さんが力あるリリィであることを知っています。それに、皐月さんも言っていたでしょう? 焦る必要はありません。私は、どこも遠くになんて行ったりしませんよ」
「……うん、知ってる」
たったそれだけで、雨嘉の不安は消えた。再確認ができたから。
(たとえ、どんなに離れて戦っていたとしても)
(私は神琳を守れる、そう信じてくれているなら……大丈夫)
「わたくしは遠くに行きませんし」
「私が行かせないから」
この二人が
免許云々の話は、ラスバレで一葉が大型二輪くらいありそうな厳つめのバイクに乗ってるメモリアがあったり楓さんが船の操縦したりしてたので出来そうだなー、と思いながら書きました。
(投稿後、公式設定とのご指摘をいただきました)
神琳と雨嘉さんにはやっぱりイチャついてほしかったんです。でも朋友になる前だったのであくまで戦友的な意味合いに落ち着かせました。この二人の歴史は、かのイベント前と後に分けられます。