喫茶ゆりかごの日常   作:木々丸

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 まさか自分の小説の評価に色がつく日が来るとは思わず、事実を認識してからは戦々恐々としておりました。
 改めまして、ご拝読くださりありがとうございます。これからも好き勝手に書いていくかと思いますが、興味がありましたら今後ともよろしくお願いいたします。
 早速で申し訳ありませんが、今回は独自の意見が多分に含まれています。そういう見方もあるのかー、くらいの軽い気持ちでご覧いただけましたら幸いです。


オタクが寄れば無限の知恵

 夜が更け、月も雲に覆われ完全な暗闇が周囲を支配している。足音を極力殺しながら大地を駆け進む中、ようやく夜闇に目が慣れてきた。マギを使えば指輪を介して光源にすることもできるが、大量の敵がいると分かっている以上、無計画にマギを消費する訳にはいかない。

 もちろん、CHARMにだけはマギを通し続けて常に臨戦態勢に入れるよう準備している。必要経費というやつだ。マギを与えなければCHARMなどゴテゴテした金属塊、重量もお察しである。

 木々に生い茂る葉は風にそよいで互いに擦れ合い、静かにサラサラと音を奏でる。普段なら風情を感じるこの音も、今では索敵を妨げるノイズでしかない。

 

 今日はなんとふざけた日だろう。始まりは夜中、とある山中にて2体のヒュージが確認されたという報告から。これを受け、夜間の出撃当番だった高等部の二年生から二人、私を含む一年生から三人に討伐のお鉢が回ってきた。

 たった2体に対してリリィが多すぎると思ったが、集められた一年生全員が経験や活躍の乏しい人か高等部からの新米だったので、危険度の低い任務に同行させて経験を積ませようという魂胆なのだろうと納得した。

 もしくは、最近ヒュージの出現数が増加傾向にあるらしく、そちらの対応も兼ねているのかもしれない。だとすれば予備戦力は人選ミスと言わざるをえませんが。

 

 そしていざ現場に到着してみればどうだ。目標となるヒュージを見つけたかと思えば、まるでタイミングを見計らったかのように複数のケイブが発生し、その中から羽虫のようにわらわらと現れるヒュージ。鈍色の荒波に飲まれ、あっという間に私たち5人は分断されてしまった。

 各々が自分の身を守るので精一杯、気づいた時には私一人になっていた。

 現れた大量のヒュージを思い返し、その状況で自身が立たされた『孤立』という立場に思い至り、全身が身震いした。

 

 この時ほど、中等部から戦闘に参加してよかったと思うことはなかった。なまじ何度も戦闘を経験して生き残ってきただけに、こんな緊急事態でも……だからこそと言うべきか、どう動けばいいかを頭が冷静に思考してくれた。

 

「全員と合流……攻めるにせよ退くにせよこれは大前提。過去に例を見ないヒュージの大量発生、一人では絶対に戦えない。空への発砲など、自身の居場所を伝える行為は仲間だけでなくヒュージにも位置を知らせてしまうので愚策。下手をすればその数と質量で一方的に押し潰される。となれば、足で探すしかない……この広い山の中を、ヒュージの大群が蠢く伏魔殿と化した中を、一人で……」

 

 不可能だ。

 私は弱いという自覚がある。中等部から3年間、生きて経験を積み重ねようと攻撃を避ける特訓を続けてきたが、それだけだ。後の先を取るカウンターも最近ようやく慣れてきたきたレベル。この非常事態に付け焼き刃がそうそう上手くはまるものか。

 それより救援を呼ぶべきだと通信機を取り出すが、何故か通信が安定して繋がらない。山の中といえどここは電波が届かない田舎町ではないはずなのに。

 まさかと思い、CHARMのコアを用いた通信で仲間との連絡を試みたが、結果は同じだった。

 

 非常事態に次いで異常事態。私が新米リリィならパニックを起こしているところだ。

 その場に立ち尽くし、事の重大さを脳内で反芻する。大量のヒュージ、仲間と分断、孤立、実力不足、通信不良、救援望み薄。

 不可能の文字が頭を埋め尽くし、止まらない震えを抑えたくて両手で左右の肩を掴んで情けなくその場に蹲る。脳内から溢れた自身と仲間の死の恐怖が身体をがんじがらめにするかのように伝わっていき、情報をシャットアウトするかのようにギュッと目を瞑った。

 持ち主の手から離れたことで愛用していたCHARM(グングニル)はマギの光を失い、ただの鉄塊と化してその場に横たわるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっかり10秒後、問いかけた。

 さて、未熟な私よ。現実逃避は済んだか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肩を抱えていた腕を垂れ下げ脱力し、呼吸を一度、緑に覆われた澄んだ山の空気を吸って吐く。落ち着くには十分すぎる時間をもらった。

 

 私は弱いという自覚がある。

 だから人より恐怖する。

 だから足踏みしてしまう。

 だから自分自身に現実を突きつけ『戦え』と叱咤するのだ。

 恐怖も奮起も、人が持つ感情から来るものだ。だったら、それに飲まれるのも、振り払うのも、全てはその人の心次第。

 

「前を見て……仲間はいない、散り散りになった。このままだと全員が危ない、そして救援も望めない。私がやる、私がやるんだ。今まで散々助けられてきたんだ、今度は私が助ける番。おんぶに抱っこはもう終わり。私はリリィだ、私だって……私だって、百合ヶ丘のリリィです!」

 

 恐怖はまだ残っている。それを上書きするだけの誇りと勇気を胸に抱いた。蛮勇でも構わない。ここから動き出す原動力となれば、今は何だってよかった。

 地面に転がるグングニルを掴んでマギを通す。瞬間、再び持ち主の手に戻ったCHARMは喜びを表すようにコアにルーンを浮かび上がらせ、主人と一体となるかのように重量が消えた。

 CHARMとリリィは一心同体、よく言ったものです。

 

 それからはひたすら駆けた、ヒュージに気取られないないよう足音を消して。

 ヒュージサーチャーはない、別れた仲間が持っていたから。

 手がかりもない。あの瞬間、眼前に映っていたのは鈍色に光る巨体だけだった。

 頼れるのは己の感覚だけ。侵略者に何も奪わせまいと、私というリリィは戦場にその身を投げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開くと、見慣れた天井が視界いっぱいに広がっていた。

 何かを握っていたように丸まった手を開いて感じる感触は、柔らかなベッドと暑い夏仕様の薄い掛け布団。

 自分が店の奥に設けた寝室にいることを理解した私は全てを悟った。

 

「夢か……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ということが今朝あったんですよ」

「なぜそれを脈絡もなく私に話す」

「いや、何となく誰かに聞いてほしくて」

「虚空にでも向けて話してろよ」

「それじゃ私が寂しい人みたいじゃないですか!」

「その通りだろ。普段店に誰も来なくて独りで泣いてるのはどこの誰だ」

 

 私がいるのはトラックの助手席。手を伸ばせば運転席でハンドルを握る小憎たらしい童顔に拳でも手刀でも叩き込める絶好の位置。

 しかし、その行為は学校の調理実習中に悪ガキどもが包丁片手にふざけ出すようなもの。流石にそれくらいの常識は理解しているので運転中の彼女に手を出すような馬鹿な真似はしない。

 愛莉さんもそれを理解しているのか、こちらに一瞥をくれることもなく正面から目線を外さない。歯牙にも掛けないその態度にはちょっかいの一つでもかけたくなるのが人の性ですが、さっきも言ったように彼女は運転中。鍛えられた自制心によりその衝動は鳴りを潜めた。

 代わりというわけではありませんが、暇つぶしの会話には付き合ってもらいます。

 

「ヒュージの大量発生ねぇ……今の時代じゃ別に珍しくもない」

「私たちが前線で戦っていた数年前、かつてデュエル世代と呼ばれていた頃、ヒュージと1体1で戦う戦闘形態が採られていました。しかし、それはヒュージの出現数や大型ヒュージの出現頻度が現代と比べて少なかったから成立していた。それが増加してきたことで、デュエルでは対処が難しくなり、リリィの犠牲だけがいたずらに増えた。よって、これに台頭する形で現在のレギオンやノインヴェルト戦術のような集団戦が主流となった。今にして思えば、あの戦いもその予兆だったのでしょう」

 

 現在、私たちは鎌倉の最前線を張るガーデンにして我が愛しの母校にして店のお得意様である百合ヶ丘女学院に向かう途上。注文を受けているコーヒー豆の納入準備が整ったので献上に参るところです。

 私たちが乗っているトラックの荷台には焙煎を終えたコーヒー豆が詰められた袋が積み込まれている。これを百合ヶ丘まで送り届けて搬入するのが本日のお仕事です。

 

「仲間はバラバラ、合流できても集団戦のイロハなんて碌に知らない。なんでそんな中で現れたヒュージを全部倒して帰還できたんだよ」

「一番の要因は、世来(せら)さん……高等部からリリィになった方が戦闘中に『カリスマ』に覚醒したことですね。あれのおかげで私たちの継戦能力が飛躍的に上昇しました。どれだけ消耗しても、浄化・還元する負のマギはたんまりとありましたから。おまけに『ルナティックトランサー』使いの霧矢(きりや)様の負のマギも浄化してくれましたので、デメリットを気にせず暴れてもらえました。当時は花形スキルと言われてただけあって迫力が凄かったんですよ。その突破力も要因の一つですね」

 

 カリスマ。ヒュージが持つ負のマギを浄化し自身のものとし、その余剰分を味方に供給することで士気とポテンシャルの向上を成すレアスキルである。マギの浄化という作用がある関係上、使用すると負のマギが溜まってしまうルナティックトランサーとの相性も悪くない。

 ルナティックトランサーと対をなすと言うのなら『ブレイヴ』が挙げられるが、浄化という観点から見れば似たようなものだ。

 余談ですが、カリスマはレアスキルの中でも解明が進んでいないスキルとされており、さらなる力を持った上位スキルの存在も噂されているとか。

 

「偶然にもその場でカリスマ持ちが生まれたのが功を奏したわけか」

「レアスキルの覚醒は当人の人となりが強く反映されると言われています。カリスマの覚醒は偶然ではなく運命と言うべきです。だってそっちの方がロマンチックじゃないですか! 世来さんと霧矢様はその後シュッツエンゲルの契りを結ばれたんですよ、きゃー素敵です!」

「あーはいはい」

 

 ついていけないとでも言いたげに投げやりな相槌を打たれた。

 百合ヶ丘へ向かうのは、なにも仕事のためだけではない。それを終わらせれば、半分以上私の趣味であるリリィたちとの触れ合いが待っているのだ。

 触れ合いと言っても、別に某百合ヶ丘の問題児みたいにならないよう節度には気をつけている。学院側や交友関係にある人から目をつけられたくないというのもそうだが、一番の理由はいわゆる『尊み成分』である。

 擬似姉妹という尊みが溢れる関係、それによらずとも各所で展開される友愛を超えた交友。それらを第三者視点で眺めつつ、そこから発せられる尊みを摂取していたいというのが密かな理想。

 だから間違っても間に挟まるなどというおこがましい考えを持ってはいけない。そんなことになれば、世界中の尊みを愛する者たちから石を投げられ吊し上げられ磔にされた上で簀巻きにされて怪物(ヒュージ)が揺蕩う海に捨てられても文句は言えない(個人の意見です)。

 私ならそんなことされる前に責任持って腹を切りますけど。

 

 

 

 

 

 同時刻、某ガーデン。

 

「……はっ!」

「どうしたの、紅巴?」

「どこからかまだ見ぬ同士の気配がします!」

「ごめん、どういうこと?」

「とっきーの第六感ビンビンだね☆」

 

 

 

 

 

 信号が青に変わり、私たちを乗せたトラックが進み舗装された山道に入る。

 百合ヶ丘女学院は、由比ヶ浜の海に屹立するヒュージネストから襲来するヒュージを迎撃する形で戦いを繰り広げている。私たちが住まう鎌倉の街を背に、山々を天然の防壁として活用し、その頂上にガーデンを建てることでヒュージを引きつけているのだ。

 ヒュージにとっては、敵の拠点がこれ見よがしに建てられ、そこから邪魔なリリィが自分たちを倒そうとやってくるのだから目障りに見えることだろう。百合ヶ丘からすればヒュージネストも似たようなものですが。

 何が言いたいかと言えば、目的地の百合ヶ丘は山の上にあるので到着にはまだ少しばかり時間がかかる。雑談続行です。

 

「愛莉さんって、レギオン制についてはどう思ってるんですか?」

「藪からなんだ急に」

「ほら、愛莉さんって正面からヒュージをぶった斬るの好きだったじゃないですか、バーサーカーみたいに」

「一言余計なんだけど」

「だからちょっと気になったんですよ。集団戦に移行したとなれば、一人で突出するような機会もあまりないでしょうから。引退した身なら、冷静かつ俯瞰的に今を見れるでしょう?」

「はぁー、そうだなぁ……」

 

 もちろん辰姫さんのようなワンマンアーミースタイルなリリィもいるし、作戦如何によっては全くなくなるわけではないですが、それでもデュエル世代より機会が減るのは間違いない。昭和のヤンキーよろしくタイマンを張る時代は終わったのだ。

 デュエルの才能を疎かにしていいとは言わない。亜羅揶さんや広夢さんのように大物レギオンに属していながらデュエル能力が高いリリィはいるし、そもそもが1対1でヒュージを倒す戦い方、デュエルの強さは地力の高さとイコールだ。

 レギオン制の現代、集団戦術を密にするのは正しいが、余裕があるならその方面の力をつけるのも決して悪いことではないというのが当時を生きた私の意見。

 愛莉さんは、ハンドルから片手を離して頭を掻くと、少しだけ考えるそぶりを見せたのち、あくまで個人的な意見だが、と前置きして答えた。

 

「……レギオン制への転換自体はいい判断だと思う。大型ヒュージ相手に一人で突っ張ってもどうしようもないからな。お前が言ったように、その出現数が増えたとあったらな、どの道デュエルの寿命は短かっただろうよ。それに、集団戦への転向でお前の『レジスタ』や私の『鷹の目』みたいに影に隠れていたスキルも日の目を浴びることになった。特にレジスタやヘリオスフィアの躍進には目を見張る。せっかく手に入れたレアスキル、活かさなきゃもったいないしな」

「愛莉さんは現役時代でもバリバリ使ってましたよね」

「うるせーよ茶々入れんな。デュエルの廃止で残念なのは、個の戦闘力を鍛える機会が減ったことだな。集団戦が主流になって、戦術もそれに見合うものになって、訓練もそういう内容に力を入れるだろう。だからって戦場で孤立しない保証はない。お前はよく知ってるよなァ、皐月?」

「………」

 

 嫌味っぽい愛莉さんの言葉で、今朝夢に見た過去の映像が私の脳裏にフラッシュバックする。

 かつてはデュエル世代、一人で戦うなど当たり前だった。しかし、あれだけの数の敵を目にした上での孤立は、当時の私に孤独感を植えつけるには充分すぎるインパクトだった。

 

「仲間と戦うのが悪いなんてことはないし、頼るのも間違ってない。だがそれにあぐらをかいてると、いざ一人になった時にあっという間にヒュージの餌になる。デュエルにせよレギオンにせよ、最低限の自衛くらいはできなきゃ話にならん。自己の力の向上は全体の戦力上昇、それに伴う自信につながり、それは戦場での精神的余裕を生む……油断や慢心にならないよう気をつける必要はあるけどな。それを育む機会が減る以上、その辺は当人の向上心と訓練量次第なんじゃね?」

「おおー……」

 

 思ってた以上に真面目な答えが返ってきて内心で愛莉さんを見直した。こと戦闘に関しては多くの知見を持っているこの人の話は聞いていて多角的な勉強になる。

 

「レギオン制への転換はここ数年の話だから、ちょうど私らで代替わりの時期か? その短い時間で集団戦を実戦で使えるレベルに落とし込み、なおかつ自身をそのレベルまで鍛え上げた現2、3年生はすげェよ、素直に尊敬する。百合ヶ丘(お前のとこ)だと、そうだな……」

 

 再び考えるそぶりを見せた愛莉さんは、やがて一人のリリィの名前を挙げた。

 

「2年の近藤貞花(こんどうみさか)は特に良い。デュエル世代では将来を有望視されていたが、レギオン制への転向でその評価が落ちた。それでも時代に順応して戦い続け、かの御台場迎撃戦(おだいばげいげきせん)ではギガント級相手に単独で二十分の拮抗を演じてみせた。デュエル廃止の要因をひっくり返す大活躍だ、私だってそんなのやったことねーよ。お前は? タイマン何分いける?」

「敵の特性によりますけど……十分が限界ですかね」

「後輩が後輩なら先輩も先輩だな、充分ヤベェよ。近藤、今じゃ『制御不能のリリィ』なんて言われてるだろ? いい響きだよなァ。私もどうせつけられるならそんなぶっ飛んだ異名が欲しかったな。私はあいつ結構好きだぞ」

「私としては、百合ヶ丘のリリィとしてもう少し慎しさを持ってほしいというか……」

「お前の小言は長いから聞かねェぞ」

「今まで長々と喋ってたのに!?」

「人はその人らしく、何が悪いんだか」

 

 話を振ったのは私ですがこれは勝手もいいところでは?

 

「じゃあ長々ついでにもう少しだけ」

「まだ続けるんです? 流石にくどいと思われてますよ?」

「誰にだよ……っと、残念。おしゃべりの時間はここまでらしい」

 

 そう言う愛莉さんの視線の先に私も目を向けると、そこには白百合のごとき純白の校舎がご拝謁。時間がかかると思えば雑談してればさほどかかったとは思えず、人の脳は以外と単純なのかもしれない。

 本日の仕事先、私の母校である百合ヶ丘女学院が見えてきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガーデンは軍事拠点の側面はあれど、そこはやはり学校。生徒が通る正門とは別に、お客人や業者の方などが通る裏門ももちろんあり、そこを私たちを乗せたトラックが通っていく。

 時刻は昼過ぎ。今ごろ学院内では授業が行われているのだろう、生徒の姿はほとんど見えない。リリィといえど学生の身分、その本分である勉強を疎かにしてはいけない。

 ブーメラン? 卒業証書が疎かにしなかったという証拠です。

 

 前に聞いたところ、うちの豆を使ったコーヒーは一部で勉強のお供に重宝されているらしい。百合ヶ丘の人たちは多くが紅茶派。こういった理由がなければ自ずとコーヒーに触れる機会は少ないのかもしれない。

 流石は百合ヶ丘、お嬢様学校かつ屈指の名門なだけあって集まる方々も高尚な御仁でいらっしゃる。

 ともかく、注文があるからには一定の需要がある証拠。うちはそれに応えて品物を用意するまで。取引先との関係なんて本来はそんなwin-winなもので終わっているはずだ。私が少し特殊なだけである。

 

「お久しぶり、暁乃さん。元気だった?」

「………」

 

 そう、仕事先で学生時代の恩師に会うなど普通はない。もう一度言うが、これは私が少し特殊なだけである。

 いつも仕事で来る時は会う機会などなかった煙草を咥えた百合ヶ丘女学院の教導官、吉阪凪沙(よしざかなぎさ)先生が何故か私たちを出迎えてくれた。

 

「……あの、なんで吉阪先生がここに? いつもなら事務員か調理師の方が応対してくださってたはずなんですが」

「あら、教師が教え子に会うのに大層な理由が必要かしら?」

「茶化さないで答えてください!」

「もう、冗談が通じないわね。今日の午後のCHARM演習、別の教導官が担当なの。だから暇を持て余してたのよ。そしたら今日、あなたが仕事で来るって聞いたから、応対に向かってた事務員の方と変わってもらったのよ」

「理由がどっこいどっこいなんですが。なんですか暇を持て余してたって、デスクワークしてください」

「あら、あなたに会いたかったのも本音よ?」

「おーい! 搬入始めていいのかー!?」

「あっ、お願いしまーす!」

 

 ついつい話し込みそうになったところを愛莉さんの一喝で仕事に戻る。吉阪先生は昔から他者を自身のペースに乗せるのがお上手だ。ひとえに教師という立場から来るだけのものではない、彼女自身のセンスとも言える。

 愛莉さんがトラックの荷台を開けて中に積まれたコーヒー豆入りの袋を運び込む傍ら、私は対応してくれた吉阪先生に受け取り確認の書類を見せた。

 

「一応の形式として、搬入が全部終わったのを確認してからサインをお願いします」

「真面目なのね」

「仕事ですから」

 

 力持ちな愛莉さんは、一度に複数個の袋を運べてしまうので、搬入作業は彼女一人で事足りる。その間、私は何をしているかというと、対応してくださった方とちょっとした世間話などで会話を弾ませている。

 肉体労働を押し付けてサボりか、と言われそうですが、これだって取引先との関係を保つ一種のテクニック。相手に私を好意的な人物だと印象づけておくためだ。

 もっとも、吉阪先生は高等部で指導してくださった恩師だ。そんな気遣いはせずに卒業生という立場をいいことに少しプライベートな話に踏み込む。

 私の視線は、吉阪先生の口元から立ち昇る煙に向けられていた。

 

「……煙草、まだ吸われてるんですね」

「もちろん。そういうあなたは吸わないの?」

「愛莉さんが二十歳(はたち)になりたての頃に買ってきたことがありまして、その時に吸ったのが今のところ最初で最後です。愛莉さんは気に入ったみたいですけど、私にはあれの良さは分かりません。法で規制されてないだけで実態は()()じゃないですか」

「へぇ、吸えないわけじゃないのね」

 

 口調から何か企んでいるように感じた私が吉阪先生を見ると、彼女は懐から煙草の入った箱を取り出し、中から一本、私に差し出してきた。

 

「……これは?」

「折角だから一緒に吸ってみない?」

「私の話聞いてました? 私、煙草には否定的なんですけど……」

「いいじゃない、成人した教え子と吸う機会なんてあまりなかったから少し高揚してるのかもしれないわね」

「それこそ煙草のせいでは?」

「どうかしら、別にこれを機に喫煙者になれだなんて言わないから。一本だけ、私に付き合ってくれないかしら?」

 

 私を見つめる先生の目は優しげだった。私の言葉を聞いていないわけではなく、我儘だという自覚もあって、無理強いするつもりはないようだった。

 恩師からそんな優しさを見せられては、断るに断れない。

 

「……一本だけですからね」

「ふふっ、ありがとう」

 

 先生から煙草を受け取り、近づけてきた先生の煙草から火をもらう。白く細長い筒状の物体の先から小さな煙が立ち昇り始めた。

 火がついたことを確認し、煙草を口元まで持っていくと、一口吸って、そして吐く。私の口から煙が吐き出される様を横から眺めていた吉阪先生は嬉しそうに微笑んでいる。

 

「似合うじゃない、様になってるわよ。大人の美しさが垣間見えるわ」

「吉阪先生には及びません。それと、嫌いという立場を明言した上でその評価は皮肉にしか聞こえません」

 

 お互いにクスリと笑うと、私は再び煙草を吸う。この煙が体内に入ってくるような感覚はやはり慣れない。

 そんな私を横目に、吉阪先生は人差し指と中指で煙草を挟んで口元から離すと、あくまで淡々と聞いてきた。

 

「そういえば暁乃さん、彼女のことはどうなったの?」

「彼女?」

「在学中、あなたのシルトに名乗りを上げた子のことよ」

 

 私の口からため息と一緒に取り込んだ煙が吐き出される。

 

「……天葉さんに続いて先生までそれを聞きますか。天葉さんは何も知らなそうだったからともかく、先生なら多少の話は耳に入っているのでは?」

「だからこそ、よ。天野さんも気になってるみたいでね、私のところまで話を聞きにきたくらいだもの」

「噂好きの主婦かあの人は」

「もちろんプライバシーに関わることだから何も言わなかったわ。そこは安心してね奥様」

「主婦の井戸端会議か」

「だけどね、私も天野さんとは違う意味で気にしてるわ。当時のままならまるで喧嘩別れみたいじゃない。よりを戻そうとは思わないの?」

「よりを戻すって、そもそもなんの関係も築いていないのに何を戻せと。それに、その気があったとしても、私は彼女がどこにいて何をしてるのか、何も知りません。こんな薄情な先輩のことはとっくに忘れて、別のいい人作ってますよ」

 

 それだけ言うと、私は何度目かの煙草に口をつけた。まるで逃げるように。

 在学中に交わされたシュッツエンゲルの契りは、本人たちの卒業後も恒久的に続くものらしい。結べば、の話だが。

 契りを解消した人、結びたくても結べない人、契りを断られた人……華やかな尊きこの関係も、全てが美しくあれるわけじゃないのだ。

 吉阪先生もわたしがそれ以上喋る気がないと分かったのか、一服すると私と同時に煙を吐いた。そして、空気を変えるためか別の話題を振ってきた。

 

「暁乃さん、お酒って飲める?」

「何ですか、煙草の次は酒の席に付き合えと? 別に構いませんけど、何故か愛莉さんから『お前は絶対にアルコールを摂取するな』とキツく言われてまして。なので、ノンアルでよければお付き合いしますが」

「あら、お酒に弱いの?」

「さあ? 飲んだ時の記憶がアルコールごと抜け落ちてますので、何があったかは愛莉さんしか知りません。まあ、あの様子だと大層なことをやらかしたのかもしれませんが」

「それはつまり弱いってことじゃないの?」

「……確かに」

「残念ね、いいお酒を扱っている所を知ってるんだけど。この分じゃ難しそうね」

 

 残念そうに肩をすくめる吉阪先生を見て、どこかいたたまれなくなってしまう。先生としても、教え子と飲むというのは夢だったのかもしれない。

 しかし申し訳ないことに、私は酒が入るとおかしくなるらしい。一度飲んで目を覚ますと、そこにはすこぶる不機嫌そうな愛莉さんが。事の詳細を聞こうとしても、本人は何も語らず「二度と飲むな」の一点張り。

 結局、私の晩酌はノンアルでしか潤えないのだ。ちなみに、うちには愛莉さんが飲む用のアルコール入りの酒が置いてあるので飲もうと思えばいつでも飲める。頭にコブを作る覚悟があれば。

 

 こんな話をしている間に、気づけば私は吉阪先生から頂いた煙草は吸い尽くしていた。それを見た吉阪先生は驚いたように目を見開くと携帯灰皿を差し出した。

 

「あら、もう吸ってしまったの? 早いわね」

「す、すみません。会話を肴に夢中になっちゃいました……」

「いいのよ。それで、どうだった? 久しぶりの煙草の味は」

「……やはり私にこれの良さは分かりません。吉阪先生も、あまり吸いすぎはダメですよ。将来肺を病んじゃいますからね」

「忠告どうもありがとう。それにしても可哀想ね、煙草の味を理解できないなんて。まだまだ子供ってことかしら?」

「そりゃあ私は吉阪先生より歳食ってませんかr

 

 

 

 

 

「おーい、搬入終わったぞー……頭抑えてどうした?」

「ちょっと頭上に隕石が落ちただけです……」

「自業自得だな」

「あなたの人生楽しそうね」

「そうですねおかげさまで!」

 

 

 

 

 

 吉阪先生から受け取りのサインを頂戴し、今日のメインのお仕事は終了した。それと同時に「おい」と声をかけた愛莉さんが私にある物が入った紙袋を放って寄越してきた。

 

「持ってくんだろ、それ。助手席に置いてあったぞ」

「ありがとうございます! いやぁ、忘れるところでした。危ない危ない」

 

 この紙袋には、理事長に渡す品物が入っている。これも私の仕事の一環、忘れたとあっては目も当てられない。

 

「じゃあ私はこのまま理事長代行のところに行ってきます。愛莉さんは……」

「トラックに戻って寝る」

「いつも通りですね、それでは私はここで。吉阪先生、お酒の件はうちに来てくれればノンアルがあるので私も乾杯できますよ?」

「ステルスマーケティングのつもり? ふふっ、考えておくわ」

 

 朗らかな笑顔で手を振る吉阪先生にお辞儀で返し、私は恩師に背を向けて百合ヶ丘の校舎へ足を踏み入れた。理事長室に向かい、仕事と挨拶を済ませれば、その後は待望の時間が私を待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、私もこの辺で」

 

 そう言ってトラックに戻ろうとする愛莉の腕を掴んで引き留める人間がいた。未だに煙草をふかす吉阪凪沙である。

 

「……まだ何か用か?」

「そう邪険にしないで。私、今日はもう担当の授業がなくてね、だから時間があるのよ。もう少し暇つぶしに付き合ってくれない?」

「百合ヶ丘にデスクワークという概念は無いのか?」

「いいじゃない。折角だもの、暁乃さんの日頃の話とか聞きたいわ。もちろん、タダでとは言わないわ。私も在学中の彼女の話を聞かせてあげる。どう? 興味はないかしら、『台場(だいば)悪童(あくどう)』四ノ宮愛莉さん?」

 

 そう言って、吉阪は煙草を一本差し出した。

 二つの餌に愛莉の心は僅かに揺れ動き、やがてフッと笑うと差し出された煙草を指で挟んで取り上げると、煙草の先を獲物を向けるかのように吉阪に突きつけた。悪ガキらしく、無造作に、無作法に。

 

「とびっきりの話聞かせろよ?」

「あら、そちらの話も期待していいのかしら?」

 

 程なくして、二人の煙草と話のタネに火がついた。




 小説を読んで勉強していると、吉阪先生という素敵な方に出会ってしまったので突発的に出演させていただきました(アニメ準拠とは)。
 最近新作も発売されましたアサルトリリィの小説、買ったはいいものの読む時間が作れず埃を被り始めています。忙しいって大変です。



 重ねまして、ご拝読いただきありがとうございます。
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